2018年10月17日 (水)

泣けるユーモア短編集-39- いつもの

 桜田は駅前の駐車場へいつものように車を止め、いつもの駅の改札へスゥ~っと流暢(りゅうちょう)に入った。そして、いつもの勤務地へと、それもいつもの通勤用の鞄(かばん)を右手に持ち、いつもの時間帯の電車に乗るつもりで階段を上がってホームへと下りた。すべてが、いつもの繰り返しだった。今日もこうして流れていくのか…と、桜田が半(なか)ば溜め息を吐(つ)きながらホームのベンチで電車を待っていると、どういう訳かこの日に限って電車が来ない。妙だなぁ~? と訝(いぶか)しげに辺(あた)りを見回せば、これも妙なことに人っ子ひとりいないのである。そんなこたぁ~ない! と自分に言い聞かせ、桜田はベンチを立つとホームをウロウロと動き出した。そのときである。
『まもなく2番線に○□行きの快速が入ります。危険ですから、黄色い線の内側まで下がってお待ち下さい』
 聞きなれた駅自動放送が桜田の耳に飛び込んできた。桜田は、やれやれ、人はいる…と、ひとまず安心し、いつものライン番号近くのベンチに座って電車の到着を待った。だがしかし、数分が経(た)っても、いっこう、いつもの○□行きの快速電車が来ないのである。桜田は、ふたたび、そんなこたぁ~ない! と自分に言い聞かせ、駅員を探そうと立ち上がった。ところが、どういう訳かこの日に限って、駅員の姿がどこにも見当たらない。桜田は焦(あせ)る必要がないのに焦った。
「おぉ~~いっ!!」
 桜田は、いつの間にか叫んでいた。
「どうしたのっ! 遅刻するわよっ!!」
 大声に桜田が瞼(まぶた)を開けると、ベッドの上にはいつもの妻が警視総監が指揮するような厳(いか)つい顔で立っていた。桜田は悲喜こもごものビミョ~な感情に、思わずぅぅぅ…と泣けるのを我慢(がまん)した。

         
                   完

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2018年10月16日 (火)

泣けるユーモア短編集-38- 雛祭(ひなまつ)り

 雛祭(ひなまつ)りが男子にとってぅぅぅ…と泣けるほど居心地(いごこち)が悪い日なのか? といえば、実は案外そうでもない。まあ、女子、取り分け子供の場合、女子が威張(いば)れる日であることには違いないのだが…。しかし、やはり男子、取り分け子供の場合、居心地が悪い・・という状況に変わりはない。甘酒・・これを女子から、せしめるには、お呼ばれ・・という雛飾(ひなかざ)りの前で、女子達がどうのこうの…と言い合う会話に付き合い、その会に招(まね)かれる・・所謂(いわゆる)、[お招き]という一(いち)行程(こうてい)を経(へ)なければならないからだ。家の母親におねだりし、甘酒を…などという男子の甘い考えは、「あんたっ! 男の子でしょ!!」とかなんとか、お小言(こごと)を頂戴(ちょうだい)するのが関の山なのである。
 とある家の和間に飾られた豪華な雛壇(ひなだん)の前で、女子小学生が集まり雛祭りを楽しんでいる。その中に一人、借り物の猫のように小さくショボくなっている男子小学生がいる。小さくならねばならないのなら招かれねばいいのだが、まあ仕方なく…招かれたようだ。
「♪灯りをぉ~つけましょ、雪洞(ぼんぽり)にぃ~♪」
 女子小学生達が歌い、仕方なく小声で男子がお付き合いで歌う。これも、甘酒と菱餅(ひしもち)を食べるためだっ! という気分の歌いようである。
「お母さぁ~~ん! 甘酒はっ?!」
「はいはい! 持って来ましたよっ!」
 男子小学生は、してやったりっ! とガッツポーズを心でする。当然、顔はニヤけている。ところがどうした訳か、置かれた盆の上の茶碗が人数分(にんずうぶん)より一人分、足りない。
「お母さん、ひとつ足りないわよっ!」
「あらっ! ごめんなさいっ! もうないのよぉ~~!!」
 招かれた家の母親の声が男子小学生にとっては、なんともやるせなく、ぅぅぅ…と泣けるように聞こえる。当然、自分は飲めない・・と予想できたからだ。ところが、どっこい! である。
「お母さん、もう一つ、お茶碗。皆(みんな)のを少しずつ、
ければいいじゃないっ!」
 この女子小学生の声が、男子小学生には、なんともぅぅぅ…と泣けるように聞こえた。
 長閑(のどか)だった昭和40年代の雛祭りの一光景である。時代は移ろえど、こういうことは今もありそうだ。^^

          
                   完

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2018年10月15日 (月)

泣けるユーモア短編集-37- 邪魔

 ぅぅぅ…と泣ける出来事が起こるのは、邪魔の仕業(しわざ)だっ! と、よく言われる。だが、邪魔からすれば邪魔なりの言い分(ぶん)があり、邪魔されるには邪魔されるだけの原因があるだろうがっ! と、邪魔は開き直る訳である。そういや、そうか…と気づいて得心(とくしん)し、改悛(かいしゅん)の情(じょう)を示せば、邪魔としても、それなりに邪魔はしないでおこうか…などと殊勝(しゅしょう)にも思ったりもする。要は、邪魔をする意味がなくなるからで、邪魔し甲斐(がい)がある新天地を探して消え去ることとなる。
 雲一つない快晴の空、富士が一望(いちぼう)できるとある展望台に立つ二人の会話である。
「道の駅、閉まってましたな。ははは…私はサンドウイッチを娘が作ってくれたんでいいんですが…。それにしても、いい眺(なが)めですなぁ~」
「そりゃ、そうでしょうよ。なにせ世界に誇(ほこ)る富士ですからっ!」
 返された男は、乗りの悪い男だっ! 言わなきゃよかった! …と臍(ほぞ)を噛み、おし黙(だま)った。実は、邪魔がそう言わせたのである。声をかけられた男は、「ですよねっ! 来てよかった…」と当初、予算的に言おうとしていたのだ。ところが邪魔がスゥ~~っとどこからか現れ、本来なら開いているはずの道の駅を閉ざさせた。そうなれば、当然、チェッ! という気分になり、空きっ腹(ぱら)で嫌味(いやみ)を言う破目(はめ)に陥(おちい)る。結果、聞かれた男は補正の予算を立て、どこかで空腹を解消せねばならなくなった・・という訳だ。全(すべ)からく国家の予算財源が狂い、政府首脳が、ぅぅぅ…と泣ける原因は、邪魔の仕業(しわざ)と言っても過言ではない。

                            完

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2018年10月14日 (日)

泣けるユーモア短編集-36- 焦(あせ)り

 物事をしようとするとき、焦(あせ)りは禁物(きんもつ)である。どんな些細(ささい)なことでも焦れば、ぅぅぅ…と泣ける失敗を招(まね)きやすくするからだ。誰も、ぅぅぅ…と泣ける失敗はしたくない。
 とあるレストランの厨房(ちゅうぼう)である。
「料理長、最近の鴨羽(かもば)さん、随分、盛りつけが慎重(しんちょう)になられましたねっ!」
「そりゃ君さぁ~、ああいうことがあったろ? 面子(メンツ)丸つぶれだったからさぁ~」
 猪尾(いのお)は当然とばかりに、新米コックの戸坂(とさか)に返した。
「ちょいとした焦りだったんですよね。客に直接、運ばれたのが悪かったんですねっ、お得意ということでっ!」
「客が込んでいた上に、ウエイトレスが生憎(あいにく)休んで数が少なかった・・ということもあるしなっ!」
「ええ、そうでした。確か、皿を二枚重ねで出されたんでしたねっ!」
「鴨羽さんは私の大先輩なんだし、本当は料理長なんだぜ。腕もいいしな…。料理の失敗じゃないから泣ける話だが、きっと、自分を許せんのだろう…」
「ですかね…。焦りは禁物ですっ! あっ! 洗い場を片づけないとっ!」
 焦ったばかりに、戸坂は滑(すべ)って躓(つまず)いた。
「お前も焦りは禁物だなっ!」
 戸坂はフロアで打った脚(あし)を摩(さす)りながら苦笑(にがわら)いをした。

                             完

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2018年10月13日 (土)

泣けるユーモア短編集-35- 無意識

 意味もなく自然と身体が動き、無意識でなんとなくやってしまう・・ということがある。だが、このなんとなく無意識でやってしまう・・という行為の奥には潜在的にそうしたいと思っている深層心理が存在するのだ。人はそれに気づかず、ついついやってしまう。当然、無意識でやる行為の結果、可と不可が生じる。はっはっはっ…と喜びで笑える結果もあれば、ぅぅぅ…と泣ける結果まで、さまざまな結果が起こり得(う)る。
 昼前の法律事務所の中である。デスクに座った弁護士の二人が、なにやら語り合っている。
「腹が減りましたね…」
「はあ、もうこんな時間ですかっ! ちょっくら買ってきますか?」
「頼みますっ! いつもので…」
 蛸崎(たこざき)は決まり文句のようにそう言うと、烏賊尾(いかお)に小額紙幣を一枚、渡した。
「はい、分かりました。それにしても、よく飽(あ)きませんね。いつも魚フライ弁当で…。身体に毒(どく)ですよ」
「ははは…、ついつい無意識でね。あの店の魚、日変わりなんですよっ! それが楽しみなんだなぁ~!」
「そんなもんですか…」
「ええ、そんなもんなんです。それでついつい…。今日は何だろっ!」
「知りませんよっ! それじゃ!」
 烏賊尾は付き合ってられない思いでデスクを立つと事務所を出ていった。そして10分足らずすると、いつものように二つの袋を提(さ)げ、戻(もど)ってきた。
「すみません! 今日はどういう訳か魚フライ弁当が出来ないそうなんで、豚(トン)カツ弁当を…」
 烏賊尾は申し訳なさそうに豚カツ弁当が入った袋とお釣りを蛸崎のデスクの上へ置いた。
「ええっ! ぅぅぅ…魚フライ弁当じゃないんだっ!」
「そんな泣くようなことでも…」
 突然、涙目になった蛸崎を見て、烏賊尾は呆(あき)れ顔で小笑いした。
「いやっ! 昼は魚でしょうがっ!! 魚でないとっ!!」
 いつしか蛸崎の身体(からだ)は、無意識のうちに魚フライ体質に洗脳ではなく、洗体されていたのである。
「そう言わずに食べてくださいよっ!」
「そりゃ、態々(わざわざ)、買ってきてくれたんだから食べるよっ! 食べるけどねっ! ぅぅぅ…」
「今、お茶、淹(い)れます…」
 烏賊尾は蛸崎を見ながら、この人、大丈夫かっ? …と思ったが、思うに留(とど)め、話を切った。
 無意識も習慣となれば、けっこう怖(こわ)いのだ。


         
                  完

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2018年10月12日 (金)

泣けるユーモア短編集-34- 疲れる

 人は体力を消耗すれば、当然のことながら疲れる。これは程度の差こそあれ、人であれば誰にも共通する症状だ。疲れないぞっ! と言う人がいるなら一度、お目にかかりたいくらいのものだ。ただ、この[疲れる]という症状には、一つの特徴(とくちょう)がある。気力が漲(みなぎ)っているときに行動し、あるいは熟考して出る疲れと、そうでない状態で行動したときに出る疲れは、明らかに程度の差を見せる・・ということである。これが重なれば、両者には大きな差異が生じ、気力のないときに行動した者は過労で、ぅぅぅ…と泣けることにもなるということだ。もう一方の気力が充実して行動した者は、「どれっ! 疲れたから焼肉で一杯やり、サウナで汗でも流すかっ!」というようなアグレッシブさで[疲れる]という刺客(しかく)を逆袈裟(ぎゃくけさ)斬(ぎ)りにスパッ! と片づける・・といったことになる。
 社員食堂の片隅(かたすみ)で、同期入社の二人が食事をしながら語り合っている。
「灯台(とうだい)さんは全然、疲れませんよねっ! 」
「ははは…私だって疲れますよ、そりゃ。ただ私の場合は、疲れる・・ということを楽しんでるんです」
「どういうことです?」
「ものは考えよう・・疲れるということは、それだけ働いている→働かせてもらえる→動けてる→動ける→健康・・と考えれば、有り難いことじゃないですかっ!」
「ウワァ~~ッ! ものすごく前向きなんですねぇ~!」
「そんな訳でもないんですが、そう考えれば、生活が充実しますよっ!」
「私なんか、また疲れるのか…と、ついつい考えて、ぅぅぅ…と泣ける口なんで…」
「岬(みさき)さんはネガティブ思考だから、余計に疲れるんですよっ!」
「そうかも知れません…。今日は、いいお話を聞かせていただきました。有難うございました。参考にします」
 二人は別れ、お互いの課へ戻(もど)った。

           
                  完

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2018年10月11日 (木)

泣けるユーモア短編集-33- 不言実行(ふげんじっこう)

 これからやろう! と思ったことを、口に出してペラペラ話したりすると、出来なくなってしまい、ぅぅぅ…と泣けることになる。しよう! と思えば、黙(だま)ってやるのが得策(とくさく)・・ということに他ならない。
 快晴の春五月、小気味(こきみ)よい風が頬(ほほ)を撫(な)でる草原のキャンプ地である。手羽崎(てばさき)は、妻と子供二人を従え、このキャンプ地へ来ていた。他にも何組かの家族が思い思いにテントを張り、アウトドアを楽しんでいる。すでに11時を回り、そろそろ、どの家族も昼食の準備を始めようとしていた。
「ははは…お隣(とな)りは、どうもバーベキューのようだな。うちはカレーにしよう!」
 お隣りの家族が車からバーベキューセットを下ろしたのを見ながら手羽崎は、はっきりと妻に言った。
「カレー? カレーは夕方の予定だったんじゃないっ? お昼はコレッ! でしょ?!」
 妻が持ってきたサンドウイッチが入ったバスケットを持ち上げ、膨(ふく)れ面(づら)で言った。それもそのはずで、手羽崎の妻は朝早くから起き出し、家族四人分のサンドウイッチを精魂(せいこん)込めて作っていたのだ。手羽崎も手羽崎だ。玉ネギ、ニンジンなどの野菜を言う前に剥(む)くか切るかしていれば、「なんだ…もう始めちゃったの? 仕方ないわね。じゃあコレ、お三時にね…」くらいの話にはなったはずなのだ。それが、調理ナイフを取り出したとき口にしたものだから直撃を受け、無残にも撃沈したのである。不言実行していれば、カレーが美味(おい)しく食べられた・・ということに他ならない。まあ、サンドウイッチだからタマネギで泣けることはなかったものの、手羽崎の気分は、ぅぅぅ…と泣けることになってしまった。
 言わぬが花・・とは上手(うま)く例(たと)えたもので、物事はやってから話そう…程度の不言実行(ふげんじっこう)の気持が必要・・ということになる。

         
                   完

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2018年10月10日 (水)

泣けるユーモア短編集-32- 人

 人はさまざまで、ピンキリである。どの辺(あた)りからがピンで、どの辺りからがキリなのかは各自の判断次第だが、まあ、いろいろと種々雑多(しゅじゅざった)な人が存在することは事実である。
 とある、うらぶれた飲み屋に常連(じょうれん)客が屯(たむろ)している。
「ええっ! ¥20も安いドーナツが手に入った、だって?!」
「はいっ! 私も腕を上げたでしょ?」
「ははは…そんな大した腕でもないがなっ! 俺なんか、この前、売れ残ったタコ焼きを¥50で買った。人が途絶える時間帯があるからなっ!」
「それそれ! 店じまい前! 確かにあります。タイミングとコツですよね!」
「んっ? ははは…タイのコツ酒か、ありゃ美味(うま)いっ!」
「コツ酒…そういや、そろそろ甘酒の雛(ひな)祭りだぜ」
「甘酒にドーナツやタコ焼きは合わんぞっ! やはりそこは、菱餅(ひしもち)だろがっ!」
「ぅぅぅ…そんな怒るなっ!」
「泣ける話でもなかろっ!」
 飲み屋で、こういう呑気(のんき)な話ができる人々もいるから、人は様々だということになる。

        
                    完

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2018年10月 9日 (火)

泣けるユーモア短編集-31-  食べる

 食べる・・というプロセスが成立するには、幾つかの条件が必要となる。その必要条件が、すべて満たされないと、[食べる]という行為は成立しない訳だ。まず、第一の必要条件として、[健康]という条件が挙(あ)げられる。当然、心身ともに、である。第二の必要条件として、[食物を得る手段]という条件がある。これには貧富の差は関係なく、要は、食物を入手し得るか? という条件が問題となる。食物が手に入らなければ、いくら金があっても食べることは出来ない。さらに第三の必要条件として、[摂取時間]が要件となる。これは、食物を調理したり、調理した食物を食べる余裕時間があるか? ということに他ならない。食物はあるが、忙(いそが)しくて食べる時間がない・・では話にならない訳だ。他にも細々(こまごま)とした条件があるが、まあ大まかにいって、この三条件が必要不可欠な条件と言えるだろう。
 昼近い、とある市役所の商工観光課である。
「いい陽気になってきましたね、課長…」
 窓サッシに広がる春めいた青空を見遣(みや)り、課長補佐の煮蕗(にぶき)が課長の生節(なまぶし)に語りかけた。
「ああ…。どれどれ、久しぶりに昼飯は外で食うかっ! 君もどうだっ?」
 デスクの書類から目を離し、生節も窓サッシを見遣る。
「はいっ! 食堂ばかりでしたからね」
 当然、そうくるだろう…と、見越したような元気さで、煮蕗は返した。
「食べることが出来る。なんて有り難いことだっ! そうは思わんかっ? 煮蕗」
「はぁ?! …そうですね」
「食べたくても食べられん人々が、どういう訳か撃ち合っている…」
「今朝のアフリカ内戦のニュースですか?」
「ああ…。撃ち合ってないで、食物を耕作していれば、ユニセフの世話は必要なくなるんだが…」
「栄養失調の子供達ですね…」
「そう! この国では捨ててるしな。困ったもんだっ!」
「食べることの有り難さを忘れてしまったんですね、きっと…」
「そういうことだな。健康で食物があり、しかも食べられる・・有り難いことだっ!」
「感謝、感謝! …さあ、出ますかっ!」
「ああ…。しまった! 財布を忘れたっ! 君、今日は頼むっ! ははは…また奢(おご)るからさっ!」
「エエ~~ッ!!」
 うっちゃられた煮蕗は、ぅぅぅ…と泣けるようにテンションを落とし、ガックリと肩を落とした。
 食べる・・というプロセスが成立するまでには、さまざまな要素が介在(かいざい)する訳である。

       
                   完

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2018年10月 8日 (月)

泣けるユーモア短編集-30-  馬鹿につける薬

 馬鹿につける薬はない・・と、よく言われる。ところが、上手(うま)い具合に、いい薬があるのだ。その薬とは、馬鹿である。馬鹿と馬鹿がタッグを組めば、マイナス[-]×マイナス[-]でプラス[+]になるという具合だ。正確に言えば、そうなることがある・・程度の精度なのだが、それでも一応、馬鹿につける薬はある・・ということになる。馬鹿にとっては誠(まこと)に喜ばしい限りの話ではある。
 垣根越しにご近所のご隠居二人が語り合っている。少し品(しな)を作り、お互いを意識して自分を少しよく見せようとしているから話し合っている・・というのではなく、語り合っている訳だ。
「今朝はよく冷えましたな…」
 新調したばかりの着物の襟(えり)を両手で寄せながら、コレゾ! とばかりに見せびらかし、ご隠居が向かいのご隠居に語る。実のところ、この着物は息子の嫁が安物を買ってきて、「お義父(とう)さま、お高い着物が頃合いのお値段で手に入りましたの…」とかなんとか言い含めてプレゼントした品なのである。それを真(ま)に受けたご隠居は、明らかに馬鹿だった。
「ははは…さよ、てすなっ!」
 向かいのご隠居は『ったくっ! 安物(やすもの)ですぞっ!』とは瞬時に分かったが、そうとも言えず、愛想(あいそ)笑いをして応じた。そして、腕の腕時計を、コレゾ! とばかりに見せびらかし、向かいのご隠居がご隠居に語る。実のところ、この時計は娘婿(むすめむこ)が安物を友人に貰(もら)い、「お義父さん、これ少し値が張りましたが…」とかなんとかいい顔をしてプレゼントした安物なのである。それを真(ま)に受けたご隠居は、明らかに馬鹿だった。
「おっ! もうこんな時間ですかっ!」
「ははは…さよ、ですなっ!」
ご隠居は『ったくっ! 安物(やすもの)ですぞっ!』とは瞬時に分かったが、そうとも言えず、愛想(あいそ)笑いをして応じた。
「ではっ…」「ではっ…」
 二人の馬鹿なご隠居は笑顔で左右に別れ、家の中へと姿を消した。
 馬鹿につける薬は馬鹿で、ぅぅぅ…と泣けるほど安くつく・・という馬鹿なお話である。

        
                    完

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