2017年7月23日 (日)

よくある・ユーモア短編集-88- 都合

 朝が明けていた。寝室を出た高桑(たかくわ)は、この日に限り、無性(むしょう)に腹が減っていた。いつも朝は全(まったく)と言っていいほど食欲が出ず、少しの野菜とミルクセーキで済(す)ますのが常だった。それがどうしたことか、這(は)い回りたいほど腹が減るではないか。こうなっては、さすがに何か食べないと動きが取れない。高桑はキッチンにある冷蔵庫へと、ひた走りに急いでいた。冷蔵庫には幸い、昨日(きのう)、買っておいた食パンが一斤(いっきん)あった。高桑はトーストにすることなく引き千切(ちぎ)ると、生で口へと詰め込んでいた。2枚ほどを機械のように内臓へ収納すると人心地(ひとごこち)がつき、高桑の空腹感は、ほんの少し遠退(とおの)いた。とはいえ、その感覚は、完全に空腹感が満たされたというものではなかった。それでも仕方なく、高桑は勤務する国税庁査察部へと家を出た。
 勤務中も高桑の空腹感が消えることはなかった。デスクに座りながら、高桑は、はて? 昨日と今日の違いは…と考えた。だが、思い当たるような違いはなかった。いつものように昨日も起き、少しの野菜とミルクセーキを飲むと家を出たのである。
「高桑君、どうしたんだ? なんか、今日はおかしいぞ…」
 高桑の勤務態度の変調を察知した部長の麻尾が心配そうに声をかけた。
「いや、別に…。どうも…」
 高桑は半(なか)ば笑って暈(ぼか)した。高桑はその後も必死で我慢し、昼食休憩を迎えた。
「あら? 高桑さん、珍しいわね。そんなに…」
 食堂の賄い婦、絹川が訝(いぶか)しげに訊(たず)ねた。高桑は食券を、いつもの倍、買っていた。
「査察ですか? ははは…まあ」
 高桑は笑って、軽く流した。
 ようやく、勤務を終えて家に着いたとき、高桑の空腹感は嘘(うそ)のように消えていた。それどころか、逆に食欲が全然、湧(わ)かなくなっていた。高桑は、なんなんだ、この変化は? …と思った。必然的に夕飯は抜き、早めに眠ることにした。そしてその夜、高桑は妙な夢を見た。
『そりゃ、私だって都合がありますよ…』
 高桑は胃腸に囁(ささや)かれた。
『ほう、そうなんですか?』
『ははは…当然ですよ。あなただって都合がいいとき、悪いときはあるでしょうが…』
 高桑は、なるほど…と得心したところで目が覚めた。早暁(そうぎょう)の明るさが寝室を覆(おお)っていた。妙なもので、腹具合はいつもの状態に戻(もど)っている。空腹でもなく、食欲がなくもない・・そんな状態だった。高桑は、見た夢を思い出し、身体(からだ)の都合なんだ…と思った。
 すべてが都合で変化するということは、よくある。

                           完

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2017年7月22日 (土)

よくある・ユーモア短編集-87- 無

 無になれば物事がスンナリと上手(うま)くいく・・ということは、よくある。
 財閥の総帥(そうすい)である会長の塚平(つかひら)は、迷いを断とうと訪れた禅宗の芥掃寺(かいそうじ)で禅を結んでいた。
『無になりなされ…』
 ビシッ! と肩に警策(きょうさく)を受け、塚平はハッ! と我に返った。今夜、寄ろうと決めていた高級クラブのママ、美季の顔が閉じた瞼(まぶた)の裏を過(よぎ)り、思わずニヤけて少し身体が動いたのだ。右に左にと歩く禅師はそれを見逃(みのが)さず、硬い樫板の警策で塚平を打擲(ちょうちゃく)したのである。背後で禅師の小声を受け、塚平は身を硬くし、姿勢を正すと、無になろうとした。だが…。
 塚平は、ここ最近、美季に入れ上げていた。二日も店へ寄らないと、もうダメで、会長室で決裁印を押すのがもどかしくなるほど美季に逢(あ)いたくなるのだった。塚平が迷いを断とうとしたのは、実はこのことが原因だった。逢えば、当然ながら、あれやこれやとなり、精を吸い取られて邸宅への帰還(きかん)となる。養子の塚平にとって夜、邸宅へ帰らない…ということは、即、離縁を申し渡される覚悟をせねばならなかったのである。気を遣(つか)うは、精力は吸い取られるわ・・で、塚平はここ最近、心身の衰えを肌に感じていた。それを解決するには、美季を忘れるしかなかったのである。だが、塚平の願いとは裏腹に、禅を終えたとき、塚平の心の中には美季の艶(あで)やかな姿が益々、克明(こくめい)になっていた。逆効果だったか…と、塚平は芥掃寺を訪れねばよかった…と後悔(こうかい)した。だが、もう遅かった。
「いつもの店…」
「はい! かしこまりました…」
 寺を出た瞬間、塚平はお抱え運転手の判鮫(はんざめ)に小声で言った。妙なもので、禅師の小声と塚平の小声は、どういう訳か音の響きが似通(にかよ)っていた。塚平は美季に一辺倒になるという、ある意味の無になっていた。
 無になることは難(むずか)しいが、雑念も一点に極(きわ)まれば、逆に無になれ、物事がスンナリと上手くいく・・ということは、よくある。

                           完

 朝が明けていた。寝室を出た高桑(たかくわ)は、この日に限り、無性(むしょう)に腹が減っていた。いつも朝は全(まったく)と言っていいほど食欲が出ず、少しの野菜とミルクセーキで済(す)ますのが常だった。それがどうしたことか、這(は)い回りたいほど腹が減るではないか。こうなっては、さすがに何か食べないと動きが取れない。高桑はキッチンにある冷蔵庫へと、ひた走りに急いでいた。冷蔵庫には幸い、昨日(きのう)、買っておいた食パンが一斤(いっきん)あった。高桑はトーストにすることなく引き千切(ちぎ)ると、生で口へと詰め込んでいた。2枚ほどを機械のように内臓へ収納すると人心地(ひとごこち)がつき、高桑の空腹感は、ほんの少し遠退(とおの)いた。とはいえ、その感覚は、完全に空腹感が満たされたというものではなかった。それでも仕方なく、高桑は勤務する国税庁査察部へと家を出た。
 勤務中も高桑の空腹感が消えることはなかった。デスクに座りながら、高桑は、はて? 昨日と今日の違いは…と考えた。だが、思い当たるような違いはなかった。いつものように昨日も起き、少しの野菜とミルクセーキを飲むと家を出たのである。
「高桑君、どうしたんだ? なんか、今日はおかしいぞ…」
 高桑の勤務態度の変調を察知した部長の麻尾が心配そうに声をかけた。
「いや、別に…。どうも…」
 高桑は半(なか)ば笑って暈(ぼか)した。高桑はその後も必死で我慢し、昼食休憩を迎えた。
「あら? 高桑さん、珍しいわね。そんなに…」
 食堂の賄い婦、絹川が訝(いぶか)しげに訊(たず)ねた。高桑は食券を、いつもの倍、買っていた。
「査察ですか? ははは…まあ」
 高桑は笑って、軽く流した。
 ようやく、勤務を終えて家に着いたとき、高桑の空腹感は嘘(うそ)のように消えていた。それどころか、逆に食欲が全然、湧(わ)かなくなっていた。高桑は、なんなんだ、この変化は? …と思った。必然的に夕飯は抜き、早めに眠ることにした。そしてその夜、高桑は妙な夢を見た。
『そりゃ、私だって都合がありますよ…』
 高桑は胃腸に囁(ささや)かれた。
『ほう、そうなんですか?』
『ははは…当然ですよ。あなただって都合がいいとき、悪いときはあるでしょうが…』
 高桑は、なるほど…と得心したところで目が覚めた。早暁(そうぎょう)の明るさが寝室を覆(おお)っていた。妙なもので、腹具合はいつもの状態に戻(もど)っている。空腹でもなく、食欲がなくもない・・そんな状態だった。高桑は、見た夢を思い出し、身体(からだ)の都合なんだ…と思った。
 すべてが都合で変化するということは、よくある。

                            完

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2017年7月21日 (金)

よくある・ユーモア短編集-86- 評価(ひょうか)

 人は品や格で他の人々から評価(ひょうか)され生きている。人間である以上、それは仕方がないことなのだが、土那辺(どなべ)の考えは世間一般とは少し違った。品は上品な人だ! とか、下品だわっ! とか思ったり言われたりする。格も同じで、格に合うから合格だとか、格に合わないから不合格だ・・と世間では評価する。土那辺にはその辺(あた)りの見えない基準が分からなかった。だいたい、偉(えら)そうに格に合わない・・などと上から目線で、お前はいったいどれだけの者なんだっ! とムカつくのである。その者とは見えず、漠然(ばくぜん)としているだけに、余計、腹立たしく思う土那辺だった。
 そんなある日のことである。県職員の土那辺は箱矢(はこや)町への異動を命じられ、赴任(ふにん)した。列車を降り、駅を一歩出ると、電話で言われた出迎えを探すため、右や左と見まわした。
「土那辺さん! こっちです!」
 少し離れた駅前広場で待機している一台の車があった。[箱矢町役場]とド派手な文字で書かれた車の前で手を大きく振る男がいた。車はまるでリオのカーニパルでパレードしても不思議ではないように装飾されたオープンカーだった。土那辺は見た瞬間、車評価で、すっかり町に惚(ほ)れ込んでしまった。だいたい、公共物がキチン! と地味(じみ)な楷書(かいしょ)で[箱矢町 商工観光課]と書かれねばならない決まりはないのだ。世間一般が役場は地味なものだ・・と評価しているだけで、ド派手が悪い! ということでは決してない。それに反論するようなこの町長の方針が土那辺を、大いに気分よくしていた。
「商業観光課の軽手(かるて)と申します」
「土那辺です」
 対面した二人は、さっそく名刺交換をした。
「いい町ですねっ! この車は?」
「ははは…随分、派手でしょ? いやぁ~、運転する私ら職員が恥ずかしいくらいですから…」
「町長さんの方針ですか?」
「はい! なにせ、町長は元芸能人でしたから…」
「ほう!」
 土那辺は少し興味が湧(わ)いた。
「まっ! さっぱり売れず、Uターンした口ですがね、ははは…」
「なるほど、それで…」
 土那辺は、なるほど…と思った。
 車が町役場へ着くと、玄関では町長らしき男が出迎えていた。町役場は今にも崩れそうで、町役場には似つかわしくない古い廃材で建てられたと思える建物だった。
「箱矢町へ、ようこそ。私が町長の掃杭(はくい)と申します…」
 掃杭は蚊の鳴くような声で、か弱く言った。
「あっ! 土那辺です…」
 そこへ走って飛んできたのは、助役の水滝(みずたき)だった。
「… …助役の水滝ですっ!」
 土那辺は、そら当然、今夜の歓迎会は水炊(みずだき)だろう…と思った。
 この話は、単なる笑い話だが、評価で人が世間を浮き沈みすることは、確かに、よくある。

                           完

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2017年7月20日 (木)

よくある・ユーモア短編集-85- ウポリタン

 ナポリタンはスパゲティ料理の定番として、よく知られている。生粋(きっすい)の関西人である靴底(くつぞこ)は、別にスパゲティやのうて、ウドンでも、ええんやないか? …という素朴な疑問を抱いていた。その靴底が考案、工夫、吟味した挙句(あげく)、店へ出したのが[ウポリタン]である。カレー、しょうゆ、みそ煮込みなど、いろいろとウドンも馴染(なじ)むからこそ! のアイデアだった。靴底は料理人であるにもかかわらず、アイデアに長(た)けた発明家でもあった。靴底のアイデアは多岐に渡り、いつしか彼は最初のアイデアとして命名した料理名に因(ちな)み、ウポリタンと影(かげ)で人々に呼ばれ称されるようになった。そして後日、靴底は21世紀の発明王として世界で知らない者がない著名な人物となるのだが、残念なことに現在では未(いま)だその名を知る者は数少ない。
 ここで、靴底の実績である混合アイデアの幾つかを紹介してみよう。雷(かみなり)の電力化、悪性細胞の菌遺伝子操作ワクチンによる治癒化、人口重力1Gの生成…など、科学、医学、物理学と枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
 靴底のように実力ある者が、悲しいかな、世に出られないケースは、確かに世界で、よくある。

                           完

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2017年7月19日 (水)

よくある・ユーモア短編集-84- 曲がる

 金属は熱を加えれば、大よその物は曲がるか、溶ける。人も程度の差こそあれ、曲がって生きている。まあ人の場合は、自(みずか)ら積極的に曲がる人、影響を受けて曲がりやすい人、なかなか同調せず曲がりにくい人・・などと分かれるが、それでも少なからず曲がらなければ世間では生きられず、遠退(とおの)くことになる。曲がりにくい人は頑固(がんこ)者と呼ばれるが、さらに、まったく曲がらない人は宗教者、芸術家、芸能人などといった独自の分野で光を自ら発する人々で、世間とは一線を画(かく)す。いわば、他の人々を自らの光で曲げる能力がある人・・ということになる。
「はいっ! それはもう…。私がやっておきますので、課長は先方の接待へお行き下さい…」
「そうか? すまんな、軟場(なんば)君」
「いえ…」
 係長の軟場はグニャリ! と自ら曲がり、課長の鋼原(こうばら)にピタッ! と溶け込むように接着した。
 それを遠目で見ていたのは、そんなお調子者の軟場を快(こころよ)く思わない平社員の陶山(とうやま)と硝子(がらす)だった。
「チェ! 軟場のやつ、また曲がってら…」
「ほんと! あの方、よくもまあ、あれだけ柔らかく曲がられますよね、陶山さん」
「君もそう思うだろ?」
「ええ!」
「フンッ! 料亭かっ! こっちは屋台だっ! 行くぞっ、硝子!」
「はい!」
 腹立たしくデスクの椅子を立った陶山に肩を叩(たた)かれ、硝子は釣られるように席を立った。硝子は陶山に完全に溶かされて曲がり、形のいいグラスになっていた。
 多数から浮き上がるのが嫌(いや)で、いつの間にか多数に入って曲がることは、世間で、よくある。

                           完

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2017年7月18日 (火)

よくある・ユーモア短編集-83- 値打ち

 値下がりした株を買っておいた平社員の氷場(こおりば)だったが、どういう訳か急騰(きゅうとう)した株の儲(もう)けで億万長者になっていた。その株は氷場が働いている親会社の株だったが、氷場はそのことを秘密にして、コツコツと今までどおり働いた。氷場は苦労して得た金と楽をして得た金の、値内(ねうち)の差を知っていた。氷場は株が下がる都度(つど)、その金でまた同じ株を買い足(た)していった。
 時は流れ、氷場はいつのまにか発言力を持つ大株主となっていた。そんな、ある日のことである。
「さて…昼にするかっ!」
 課長の霞(かすみ)はいつもの動作で両手を大の字にして欠伸(あくび)をし、そう言った。その大声に課員達の手は一斉(いっせい)に止まり、課内はザワついた。いつも昼休みの10分前、買い出しと出前回り[出前をこちらから店へ取りに行く]の時間を見て、少し早く昼にするのが慣例となっていた。その10分ぶんだけ早く午後の始業に入るという、一種のフレックス・タイム制である。
「氷場さんは酢豚弁当でしたね…」
 氷場が黙って首を縦に振ると、後輩の霜地(しもち)は飛び出すように買いに出ていった。これも、いつもの一日の流れだった。
「氷場は酢豚ばかりだなっ! ははは…俺は特上の鰻重(うなじゅう)だぞっ!」
「分かってますよっ! 課長は金が有り余ってますからねっ!」
「ははは…馬鹿を言うなっ!」
 鰻のように首をウネウネとさせ、霞は、まんざらでもないように笑った。笑いは、親会社からの電話が社長室へ入るのと同時だった。
「はっ?! うちの会社の、こ、氷場がっ! いえっ! 氷場さんがですかっ?!」
 社長の霧橋(きりはし)は慌(あわ)て驚き、思わず言葉を噛(か)んでいた。
 半年後、氷場は親会社の専務席に座っていた。
「専務…酢豚弁当でしたね」
「ああ、そうしてください…」
 氷場は、さも当たり前のように秘書の霙木(みぞれぎ)の顔を見て言った。
 五年後、氷場は社長席に座っていた。
 物の価値を知り、変化に流されない人は、どこまでも出世する・・ということは、確かに世間で、よくある。

                          完

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2017年7月17日 (月)

よくある・ユーモア短編集-82- 羊(ひつじ)が一匹

 そろそろ眠るか…と貝塚(かいづか)は寝室へ向かった。ところが、である。さてと! と身体を横たえると、いっこう眠くならないのだ。いつもなら、5~10分もすれば、すでにこの世の者でないほど爆睡(ばくすい)しているというのに、この夜にかぎって眠れないのだった。明日(あした)は大事な出張があり、指定席券を取ってある8時半過ぎの新幹線に乗らねばならない。当然そうなると、7時頃には起きる必要があった。だが、眠れないものは仕方がない。貝塚は少し焦(あせ)った。どうしたものか…としばらく巡っていると、ふと、あることに思い当たった。そうだっ! 羊(ひつじ)が一匹だ…と。羊が一匹・・とは、羊の数を数えるよく知られたベタな睡眠法である。それしか思いつかない以上、そうしよう…と貝塚は羊を数え始めた。だが、どんどん羊の数が増えていくのに、いっこう眠くならないのだ。貝塚は益々、焦った。こうなると、眠ろう…と思えば思うほど目は冴(さ)えてくる。そうこうするうちに、頭の中で増えた羊の一匹が、群れから外れ訝(いぶか)しそうな顔で貝塚の目の前に近づいてきた。
『あの…眠りたいんですか?』
『ああ、明日は朝が早いからね』
『ふ~ん、そうなんだ…。なんとかしましょうか? 僕が』
『おっ! そうしてもらえると助かるな…』
『では、そのように…』
 貝塚はすでにウトウト眠り、羊と話す夢を見ていた。次の朝、貝塚は無事に新幹線に乗車できた。
 まあ、焦れば焦るほどコトが進まないことは、確かによくある。

                             完

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2017年7月16日 (日)

よくある・ユーモア短編集-81- 曖昧(あいまい)

 結論を曖昧(あいまい)にすることで話が首尾(しゅび)よく纏(まと)まることは、よくある。右か左かっ! 白か黒かっ! とかの話ではなく、物事が順調に進むために双方が納得できる合意点に歩み寄る訳だ。右なら左へ、左なら右へ、白や黒なら少し灰色へ・・と歩み寄る訳だ。程度の幅はあるものの、双方の妥協である。玉虫色だから、あとあと話が拗(こじ)れる原因にもなるが、ともかくその場は、まあ、いいか…と、双方が丸く矛(ほこ)を収(おさ)める。
 地球規模の国家間では、大筋で合意する・・とかいわれる共同声明などがある。少し規模を小さくすれば、わが国の具体例として、国会の与野党の国対委員長による会談や各委員会の理事会などがある。
『その件に関しては理事会で協議いたします…』
 テレビの国会中継で決まり文句のようによく耳にする、聞き馴れた言葉である。まあ…その件に関しては理事会で・・と曖昧に暈(ぼか)し、審議を続行させる手段である。これで双方の激突は一時的に回避(かいひ)され、審議はスムースに進むことになる。
 会社の昼どきである。昼少し前、買い出し役の後輩社員、井川に頼んだ元久保は、買って帰った井川に愚痴っていた。
「俺は、いつもの! って頼んだんだよっ!」
「いつもの、でしょ。いつものならコロッケ弁当じゃありませんかっ!!」
「馬鹿言えっ! それは、一昨日(おととい)までだろっ。昨日(きのう)からはハンバーグ弁当に昇格させたじゃないか」
「そりゃそうですけどね。いつものというのは一昨日までのも含まれるんじゃないんですかっ!!」
 いつもの・・の解釈を巡って、課内では二人の論争が始まっていた。他の課員達は、馬鹿馬鹿しい、どっちだっていいじゃないか…とでも言いたげに、二人をチラ見しながら食堂や外食へと課を出ていった。課内に残されたのは元久保と井川だけだった。
「もう、いい…! 冷えるから、食べよう」
「はい…」
 どちらの言い分が正しいか、を棚上げし、温(あたた)かい弁当が冷えることを危(あや)ぶんだ二人は、結論を曖昧にした。
 曖昧が物事の潤滑油となることは、世間で、よくある。

                           完

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2017年7月15日 (土)

よくある・ユーモア短編集-80- 流される

 誰もいない一人でいるとき、よし! こうしよう…と強く決めたことが、別の考えの群衆の中にいると、勢いに押され、群衆に流されることが、よくある。
 弓祭(ゆみまつり)町に住む梅川は天気がいいのに気をよくしたのか、ブラッと出ることにした。のんびり釣り竿(ざお)片手に家を出ると、寒さも緩(ゆる)み、肌を撫(な)でる早春の風が心地よい。
「あらっ! 梅川さん。どちらへお出かけです?」
 町の路地を曲がったところで、ばったり出会った知り合いの甘酒が、梅川に声をかけた。
「えっ?! いやぁ~なに。これといって決めちゃいないんですがね。天気がいいんで、この前、忙(いそが)しく出られなかった釣りでもやろうと思いまして…」
「そうでしたか…」
「そういう甘酒さんは?」
「いや、なに。ははは…これから、そこの桃畑でご近所の皆さんと一杯飲みを…」
「なるほど! 桃畑も満開ですからね。いい見頃だっ!」
「そうなんですよ! よかったら梅川さんも…。あっ、そうか。これから釣りでしたね」
「はあ。まあ、必ず! というもんでもないんですがね…。それじゃ!」
 二人が軽く会釈(えしゃく)をし、左右に別れて歩き出したときである。梅川の進む方角から、ぞろぞろと、近所の男達が酒や料理を手にして歩いてきた。細い道だったから、当然、行き違いざまに双方は出食わして止まることになる。
「やあ! 梅川さん。どうです! これからご一緒に一杯!」
「いやぁ~、私は何も持ってきてませんから…」
 近所の男の一人に声をかけられ、梅川は返したが、どういう訳か梅川の口から、釣りの言葉は出なかった。近所の男達に少し流されかけたのだった。
「ははは…いいんですよ。三人分ばかり余計に手料理と酒はありますからな」
 そこへ先ほど別れた甘酒が引き返してきた。前後を近所の男達に囲まれ、いつのまにか梅川は流された。
 小一時間後、飲めや唄えですっかり赤ら顔に出来上がった男達の姿が桃林にあった。むろんその中には、流された梅川の姿もあった。
 人の世の柵(しがらみ)の中では、確かに群衆に流されることが、よくある。

                           完

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2017年7月14日 (金)

よくある・ユーモア短編集-79- あのとき…

 物事(ものごと)の成否(せいひ)には、タイミングというものがついて回る。タイミングを逃(のが)すと、しまった! あのとき…と、後々(あとあと)、失敗を後悔(こうかい)することにも成りかねない。
 槍投げの足川(あしかわ)は、迫った代表選考会に向け、最後の調整をグラウンドで行っていた。足川は勝ち気の性格が災いして、実力がありながら前大会ではライバルの野毛(のげ)に僅(わず)かな飛距離で敗れ、二位に甘んじた苦(にが)い経験があった。それ以降、この日までの練習で、あのとき…と、投擲(とうてき)した瞬間の自分の勝ち気を悔(く)いない日はなかった。というのも、勝ち気が力みを生じ、型を崩して投げた結果、飛距離は今一、伸びなかったのである。意識せず、力まなけば、なんのことはなかった。だが、足川の勝ち気が野毛に負けまいと意識させ、いつもの実力を出させなかったのだ。力まず、無心で投げていれば、隙(すき)は生じなかったのである。それ以降、しばらくの間、足川は野毛に敗れた口惜(くや)しさから、投げ槍になった。だが足川は、しばらくして立ち直った。心・技・体の一つ、心が欠けていたことに気づいたのである。
 あれから一年の歳月(としつき)が流れていた。その間(かん)、足川は寺に住み込み、禅を結ぶことで集中力を養ったのである。
 足川がリベンジに燃える代表選考会の当日を迎えていた。ライパルの野毛は今回も足川を負かす…と意気込んでいた。一年前のあのとき…野毛は投擲に失敗した足川のあとに投げた。投擲に失敗して投げ槍になった足川とは裏腹に、野毛の心は槍投げになっていた。いや、勇(いさ)んでアグレッシブになっていた。飛距離はぐんぐん伸びた・・のである。この日は、野毛の方が先に投げた。野毛の足川を負かす…という意気込みが投擲を失敗させた。結果、あとに投げた足川の心は野毛の失敗で槍投げになっていた。いや、勇んでいた。飛距離はぐんぐん伸び、見事、足川はリベンジを果たすことができた。破れた野毛は、あのとき…と悔いることになった。
 人生では、あとあと、あのとき…と思うことが、よくある。

                           完

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