2018年5月28日 (月)

隠れたユーモア短編集-97- 集中力

 物事をやろうとしているとき、集中力は欠かせない。しかし、そのときの状況や各々(おのおの)に備わった人間性の違いによって集中力は違いを見せる。加えて、隠れた影響・・というのも関係する。例(たと)えば、やろう! と意気込んで集中力を高めたのはいいが、前日、薄着で眠った結果、寝冷えをして俄(にわ)かに腹具合が怪(おか)しくなる・・といったような場合だ。当然、やろう! としてもやれないから、トイレへ駆け込むことになる。こうした隠れた影響が集中力を削(そ)ぐ訳だ。だから、各自に備わった人間性だけで集中力は極まるものではない・・という結論に至る。
「どうも疲れ過ぎたようだ…」
 魚乃目(うおのめ)は集中力を欠き、寝起きが遅(おそ)くなった休日の朝、目覚ましを見ながらそう呟(つぶや)いた。その結果、いつも日課にしている軽い屈伸運動を忘れてしまった。なんということだっ! と腹立てても、集中力を欠いた自分のせいなのだから仕方がない。そしてその夜、明日は絶対、忘れないぞっ! と、集中力を高めたまではよかったが、魚乃目は何枚も着込んで眠ったため、今度は寝汗で風邪を引いてしまった・・という、お粗末な話である

                          完

 ※ 修練を積んだ達人ともなれば、集中力はどのようなことがあろうと途切れないそうです。^^

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2018年5月27日 (日)

隠れたユーモア短編集-96- 可処分所得

 可処分所得・・難(むずか)しい言葉だが、分かりやすく言えば[手取り額]ということになる。この可処分所得の仕組みには、実に狡猾(こうかつ)な騙(だま)しテクニックが潜(ひそ)んでいるのだ。金額の貰(もら)い手である働く人々からは、そのマジックのような騙しテクニックが見えない。たとえば年金は、65才になれば確かに満額の年金額が貰えるようになり、手元に入る金額は増える・・と誰も試算する訳だ。ところが、どっこい、そうは問屋が卸(おろ)さない。年金額が増えた以上に介護保険料が年金から差っ引(び)かれてチャンチャン! ・・という恐ろしいシステムなのだ。結果、年金を受け取ったときの可処分所得は、65才以前より下がるという最悪の老後を迎(むか)える・・ということになる。これは、いわば国家による弱い国民への苛(いじ)めだ。
 そんなこととは露(つゆ)ほども知らず、鹿馬本(かばもと)は、振り込まれた通帳を手に喜んでいた。
「んっ? 少し少ないな…。まっ! いいかっ。ははは…貰えるだけ有り難いと思わにゃなっ!」
 鹿馬本は通帳を両手で天に仰(あお)ぎ、軽く頭を下げた。
 このように、軽く考えれば幸せな気分となり、可処分所得! などと欲深く考えれば不幸せな気分になるということかも知れない。要は、隠れた罠には素直に引っかかった方がいいということになるだろう。まあ、もらえる額が多いほどいいことは確かだが…。^

       
                   完

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2018年5月26日 (土)

隠れたユーモア短編集-95- 運動会

 運動場の一角に設(もう)けられたベンチに座り、母校の小学校を訪れた葛餅(くずもち)と煎茶(せんちゃ)が話し合っている。
「ほう! 春か…。どおりで静かなはずだ。毎年なら今頃、賑(にぎ)やかなんだがな」
「なにせ、暑いだろ。熱中症対策だそうだ…」
「ははは…こんなこと言っちゃなんだが、馬鹿だな、先生方も。時期を遅(おく)らせばいいだけの話だろ。なにも初秋でないといけない、という決めはない。晩秋の11月初旬、中旬でもいい訳だっ」
「それはまあ、そうだが…」
「だろ? だいたい、運動会は秋、としたものだっ!」
「ああ、まあな…。ただ、遅らせば文化祭とかもあるからな…」
「文化祭を11月に! という決めもないぜっ」
「それもそうだが…。まあ、文化の日って祝日があるからだろ」
「文化の日は文化の日っ! というだけのもんさっ!」
「んっ? ああ…」
 熱い煎茶の湯気(ゆげ)に葛餅は食べられそうになった・・ということではなく、煎茶の話に頷(うなず)く他なかった。
「これには隠れた緻密(ちみつ)な読みが秘められてるっ!」
 煎茶は時間が経(た)ったから少しぬるくなったはずなのに、益々(ますます)、熱くなった。
「ははは…大げさなっ。緻密な読み・・ってのは?」
「教師も人の子。生徒に倒れられちゃ困るわなっ。そこでだっ! 春めいた頃にやりゃ、安心だ・・と考えた訳だ」
「なるほどっ! コトが起こらなけりゃ、その身は安泰! って訳か」
「まあ、そこまでは言わんがな。コトなかれ主義・・ってのはアリかもな」
「そうだな。しかし、受験とか他の諸事情もな」
「諸事情もっ!? ふん! ♪ショ ショ 証城寺(ショジョウジ)♪ も、へったくれもないっ!」
「上手(うま)いっ! だが、春でも熱中症の危険性がある・・って言うぜ」
「だから馬鹿だ・・と言うのさ。ははは…、暑い運動会の時期には校内で文化祭を、十分涼しくなった文化祭の時期には外で運動会をやりゃいいだけの話さっ」
「おおっ、テレコ[逆]になっ! そりゃ、いいや。ははは…」
 運動会の開催時期が春に変化する原因に、先生方の緻密な読みがあるのか? 私は知らない。ただ、煎茶が言ったように、秋の開催時期をテレコにする・・というのも一つの方法だとは思える。

                           完

 ※ 運動会の開催時期に対する考え方には個人差があります。^ ^

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2018年5月25日 (金)

隠れたユーモア短編集-94- 苦と楽

 そのときは苦と思っても、長いスパンで見ると、ああ、あの頃は楽しかったなぁ…と懐かしく思い出されることがある。それが苦と楽の妙な関係である。逆に、あの時は楽しかったが…と、今になると、そのことが苦になっていることも当然ある。
「入馬(いれば)さん、いつもすいませんねぇ~。こんなこと、掃除のおばちゃんがやってくれるでしょうに…」
 朝、出勤してきた顎川(あごかわ)は、課内のフロアを丁寧(ていねい)にモップで拭(ふ)き回っている入馬に声をかけた。
「いやぁ~、どうってことないですよ、大して苦にもなりませんし。それより、フロアが美しいと気分が楽になり、和(なご)むんで助かってます」
「そうなんですか? それならいいんですが…。でも毎日、36[サブロク]寸前の残業をなさっておられるんですから…」
 顎川は過労を心配して、暗に言った。
「有難うございます。しかし、これで気分がよくなるんですから、そう心配なさらずに…」
「分かりました…」
 それ以上は入馬に突っ込まず、顎川は少し離れたデスクへ座った。
 毎朝、しかも早朝出勤でフロア掃除をする入馬・・顎川にはどうしても苦を苦とは思わない入馬の心境が理解できなかった。入馬にしてみれば、別に苦とは思えない毎朝の日課のようなものなのだ。他人目にはそう映るのか…くらいに軽くは思ったが、そう深くは考えていなかった。
 入馬の早朝出勤の概要(がいよう)は、職場の上層部の耳へも自然と届いていた。
 数年後、入馬は馬小屋ではなく役員室の席へ座っていた。入馬の苦は楽を齎(もたら)したのである。だが、入馬にとってピカピカに磨(みが)かれて輝く役員室のフロアは苦そのものだった。
 苦と楽は、隠れたその人の思いよう・・ということになる

                           完

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2018年5月24日 (木)

隠れたユーモア短編集-93- 人生マラソン

 人生は長い長い果てしない、この世を去るまでのマラソンである。何があろうと止まる訳にはいかない。止まれば人生の終焉(しゅうえん)、死が待っているからだ。ただ、競技マラソンと違う点は、定まったコースがなく、見えない隠れたコースだということである。さらにそのコースは、スタート地点やゴールが人それぞれで、その走る距離も各々(おのおの)で違いを見せるという変幻自在のコースとなっている。だから、始まって1分も経たない間に終わる短いコースだったり、100年以上の長いコースだったりする場合もある訳だ。途中、事故とかでリタイアする人も当然でる。コースはその人が使命を果たしたときがゴールで、個人の意思に関係なく終わるらしい。私は知らないが、天命で決まっているそうだ。
「ご臨終です。8時12分でした…」
 医者が腕時計を見ながら、陰気な小声で言った。
「ぅぅぅ…じいちゃん!!」
 あんたも十分、じいちゃんだろうがっ! と苦情が出そうな80近い老齢の息子が、病室のベッドへ、ヨヨ・・と泣き崩れた。長い人生マラソンを走り終えたのは、今年で99になるこの男の父親だった。
「よく頑張られました。では…」
 医者が慰(なぐさ)めともつかぬ言葉を発し、
病室を出ていった。ところが、である。その医者がガチャリ! とドアのノブを閉めた途端、死んだはずの99になる父親がハッ! と目を見開いたのである。そして、父親は深い呼吸をし始め、口を開いた。
「ああ…よく眠ったっわい! 爽快な気分じゃ! では、お前達、そろそろ帰るとするかっ!」
 そう言うと、99になる父親はガバッ! と上半身を起すとベッドを降りた。
「エエ~~ッ!! 嘘(うそ)ぉ~~!!」
 病室にいた家族は、異口同音に驚いた。80近い老齢の息子は慌(あわ)てて医者を追った。
「せ、先生っ!! じいちゃんがっ!」
「…? どうか、されましたか?」
「かっ! 帰ると…」
「んっ? …ああ、葬儀社ですか?」
「違いますっ! タクシーですっ!」
 老齢の息子は慌てていたせいか、父親が息を吹き返したことを飛ばした。
「タクシーは拙(まず)いでしょ、タクシーはっ!」
 医者は理解できず、早とちりで誤解した。その後、どういう展開になったか私は知らないが、なんでもその父親は110才前後で今も健在だということだ。100才の祝い金を市から頂戴し、息子は北叟笑(ほくそえ)んだというからセコい。
 この場合の父親は人生をリタイアしたように見えるが、実はそうではなく、意識が混濁(こんだく)し始めてゴールと間違え、また走り始めたランナーだった。
 人生マラソンは千変万化する、ややこしいマラソンということになる。

      
                  完

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2018年5月23日 (水)

隠れたユーモア短編集-92- 弱い者

 弱い者は虐(しいた)げられ、這(は)い蹲(つくば)ってこの世を生きていかなければならない。強い者に対してはビクビクと震(ふる)え、その動きに押し殺されないよう隠れて暮らすのである。
 受けてもいない介護保険料を年金から引かれる年齢となり、元岡の暮らし向きは一層、深刻なものとなっていた。65才から介護保険料を月々¥7,500も引かれ、いよいよ生活は困窮(こんきゅう)の粋(いき)へ入ろうとしていたのである。国の介護保険料徴収による弱者切り捨ては、隠れた牙(きば)で国民を襲おうとしている…と、元岡は無性に腹立たしくなっていた。なにが公共の福祉だっ! と大仰(おおぎょう)に怒れるのである。高齢化しているとはいえ、介護保険料を少なくできる財源確保は必ず出来るはずだっ! せめて介護を受けていない者は減額しろっ! …と、元岡は諄(くど)く思った。無駄な財源は必ずあるはずで、俺のような弱い者を苛(いじ)め、永田町[国の中央官庁街が犇(ひしめ)く都心の町]は何が面白いんだっ! と、またまた元岡は怒れた。そのとき、だった。
「ちわぁ~! 蛸末(たこすえ)食堂ですっ!!」
 電話で頼んでおいた出前のチャーハン定食が届(とど)いたのである。元岡は怒りを忘れ、急いで玄関へと急行した。蛸末食堂のチャーハン定食はチャーハン+醤油ラーメンで、これがなかなかどうして、安価な上に美味(うま)かった。加えて、今月はサービス月間で、ギョーザが一人前、無料サービスで付いていた。店員に支払いを終え、イソイソ・・と元岡は美味そうにチャーハン定食を食べ始めた。元岡は介護保険料のことなど完全に忘れていた。弱い者は単純なことで生活の困窮といった政治への怒りを忘れる傾向があるようだ。

         
                  完

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2018年5月22日 (火)

隠れたユーモア短編集-91- [働く]ということ

 人が動くから[働く]か…と、学者の橘(たちばな)は、ふと思った。当たり前といえば当たり前なのだが、動いたからといって働いていないことも当然あるだろうがっ! と、誰に言われた訳でもないのに橘は自然と腹が立ってきた。だが待てよ…と、橘はまた思った。[働く]という言葉がある以上、そこには何らかの隠れた深ぁ~~~い意味が含まれているに違いない…と、橘はまたまた思った。別に思わなくてもいいのに思ってしまったのだから仕方がない。思うとやってしまわねば気が済まない性格の橘は、急いで書斎へ籠(こ)もると、研究を始めた。書棚に並んだ数多くの書物から、関係がありそうな書物が机上へと置かれた。橘は片っ端からそれらの書物を手にして開いた。そのとき、パラリンピックの放送を流している別の部屋のテレビ音声が、微(かす)かに橘の耳に入った。と同時に、橘は閃(ひらめ)いた。
『そうかっ! 五体満足に動けるということは有難いことなんだ。それを思えば、障害者の分まで頑張らねば罰(バチ)が当たる。それを思って有難く仕事に励む・・これが働くか…』
 橘は無理に関連づけるように、またまたまた思った。しばらくして、橘は、いやいやいや…と、その思いを打ち消した。動かず、じぃ~~~っと仕事をしている人もいるぞ。仕事をしているのに動いていない・・いや! 手とか頭は動かしているから、やはり[働く]か…と、打ち消した思いを、また打ち消した。そして数時間、橘が出した[働く]ということの結論は、隠れた働ける状況が有るということが幸せで、そのことが[働く]という言葉の真実の意味だ…と思えたとき、橘は鼾(いびき)をかきながら机の上へ突っ伏(ぶ)して眠ってしまっていた。

        
                   完

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2018年5月21日 (月)

隠れたユーモア短編集-90- 800倍液

 平林はウダウダと小一時間ばかりも考えていた。というより、考えさせられていた・・というのが正解だった。それというのも、しなくてもいい思いつきの消毒作業で、なにも今、しなくてもよかったのである。ところが、平林は始めてしまったのだから仕方がない。始めた以上、メリハリをつけて終了させる・・というのが、誰しも思うところである。だが、思いつきで始めた消毒作業には隠れた落とし穴が潜んでいた。
 [1]点着剤や消毒液などの薬剤を出す
 この発想は当然で、なにも問題はなかった。
 [2]液を入れる噴霧器を出す
 これも滞(とどこ)りなく、なんの問題もなかった。
 [3]噴霧器に薬剤を入れ、800倍に希釈(きしゃく)し、攪拌(かくはん)する
 さて、この[3]が平林を考えさせるネックになった。というのは、800倍液を作らねばならないのである。さて、水はどれだけ入れればいいでしょうか? という小学校高学年ぐらいの問題だ。これが、平林を考えさせる、なかなか手ごわい問題だった。平林は、はて? と水を入れた噴霧器を前に腕組みをしながら考え倦(あぐ)ねた。
 (1)噴霧器には水が8リットル入っていた。
 ということは…8リットルは8×1.000cc(1リットル)だから、8,000ccの水か…と、平林は考えた。ここまでに約20分を要していた。俺はダメだな…と平林は自分の馬鹿さ加減を脇道(わきみち)に逸(そ)れて考えた。それによって5分をここは取られ、加えてポジティブ[陽]気分もネガティブ[陰]になってしまった。いや、俺は挫(くじ)けんぞっ! と、平林はまた考え始めた。刻々と時間は過ぎていく。注文しておいた弁当屋が配達に来るのが先か、散布を終えるのが先か・・昼が近づいていた。サッカーでいうところのロスタイムである。そのとき、ついに平林は遅れ馳(ば)せながら閃(ひらめ)いた。
 (2)8,000cc まあ、÷800=10cc
 そうかっ! 10cc入れりゃ、800倍かっ! 平林は単純な解決に嬉(うれ)しくなり、ふたたび気分はポジティブになった。作業を急いで開始し、散布し終えたとき、弁当屋が配達するバイク音がした。平林は大げさに、金メダルだっ! と思った。
 単純な作業には、隠れた難解な内容が時折り潜(ひそ)んでいるから、油断できない・・という戒(いまし)めなのかも知れない。

       
                   完

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2018年5月20日 (日)

隠れたユーモア短編集-89- 不敵な嗤(わら)い

 とある化粧品会社の販売促進課である。データ分析係では、課長の射矢(いや)と課長代理の的(まと)が居残って話し合っていた。
「いや、それは…」
「そうか? 私は今までの例からして、間違いなくヒットすると思うんだが…」
「何も起こらねば、そうなるんでしょう、たぶん…。しかし、どうも悪い胸騒(むなさわ)ぎがするんですよ」
 話は四月から新しく発売予定のヘアワックス[ピカール]の販売予測に関してだった。
「悪い予感というと?」
 射矢は訝(いぶか)しげに的の顔を見た。 
「はあ…こんなこと言っちゃなんなんですが、ひょっとすると、情報が漏(も)れている可能性が…」
「なんだって! 産業スパイかっ!!」
「シィ~~、課長、声が大き過ぎますっ」
「いや、すまん…。だが、それは確かなんだろうな」
「私が信頼する部下の報告ですから、間違いないと…」
「そうか…。一応、部長にはそう伝えておく」
「内偵は進めておりますが、はっきりするまで、もうしばらくは発売の延期を…」
「分かった!」
 見えざる敵は、すでに二人の目の前にいた。データ分析画面を映し出すパソコンの電源コンセントに仕掛けられた盗聴器だった。
「フフフ…」
 密(ひそ)かに嗤(わら)う不敵な声。それは部長の大筒(おおづつ)だった。大筒は、取締役ポストを餌(えさ)に情報をライバル会社へ流し、釣られていたのである。自宅の一室のソファで風呂上りのブランデーグラスを傾けながら、大筒は流れる二人の音声に耳を傾けていた。
 だから、隠れた見えざる敵は怖(こわ)いのだ。

       
                   完

 ※ 大筒さんは引き抜かれたあと、出世はしましたが、過去のインサイダー取引が発覚し、逮捕されたということです。不敵な嗤いの末路は、まあ、そうなる・・ということでしょうか。

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2018年5月19日 (土)

隠れたユーモア短編集-88- 化かしあい

 世間は、そう甘くはない。ということは、殺伐(さつばつ)とした世相・・という現実を意味する。人心は荒廃(こうはい)し、社会は雑草だらけ・・ということだ。だが悲しいことに、私達にはその荒廃した姿が見えていない。私達は、ただただ、その見えない雑草の中で化かしあって生きているのである。善悪は別として、化かした者は勝者として世に君臨し、化かされた者は下級階層に甘んじることになる。
「炭川さん、その契約書類、明日までに頼むよ」
 課長代理の今路(こんろ)が課長補佐の炭川にデスク越しに声をかけた。柔和な物腰(ものごし)で頼んだ今路だったが、内心は炭川を化かそうとしていた。実のところその契約書類は、明日では遅(おそ)かったのだ。今路の思惑(おもわく)は、そう急がずともいいんだ…と炭川に思わせておいて、慌(あわ)てさせよう…という魂胆(こんたん)だった。なぜ二人が化かしあっているのか? といえば、副課長ポストを巡り、熾烈(しれつ)な出世競争を演じている矢先だったのである。
「分かりました…」
 炭川も柔和な物腰で今路に返事をした。だが、炭川もまた、今路を化かそうとしていた。今路の言った契約書類が明日、必要なことは、すでに部下を通じ、知らされていた炭川だった。課長の内輪(うちわ)にパタパタと煽(あお)られたとき、すでに十分、燃え盛る元火が着くよう、契約書類は完成してコピ-までされていたのである。今路は、明日、燃え盛って熱されるとも知らず、冷えた身体で化かしたつもりだった。炭川の方が一枚上だった・・ということになる。ところが、上には上がいた。課長の内輪は部長代理のポストを目指(めざ)していたから、二人を上手(うま)く利用してパタパタと煽り、化かしていた。そんなに急ぐ契約書類とも思えなかったのだが、部長の参馬(さんま)の覚えがよくなるよう、二人を化かしていたのである。ところが参馬は参馬で、コンガリと焼かれ、専務の台近(だいこん)に盛りつけられよう…と、必死に三人を化かしていた。だが、さらに上の化かし上手(じょうず)は専務の台近で、社長の尾更(おさら)に美味(おい)しく盛りつけられて味わってもらい、副社長ポストを次の役員会で射止めるサプライズ契約にしよう…と、部下達を化かしたつもりだった。だが、世間はそう甘くはなかった。全員の化かし合いは契約先の相手企業が倒産し、白紙となってしまったのである。
 まあ、隠れた化かしあいの末路(まつろ)は、こうなる・・としたものだ

         
                   完

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