2018年1月18日 (木)

困ったユーモア短編集-67- ついでに…

 ふと、心に浮かんで、物ごとを『ついでに…』と、一緒にやってしまおう・・とするときがある。こういう場合にかぎって、ミスが発生することが多い。困ったことに、ミスをしてから反省することが多いのが日常、世間で生きる我々である。それだけ世の中がスピードアップされ、人が時の流れに追いつけなくなっている・・ともいえる。
「節川(ふしかわ)さん、あの…」
「なんです? 多々木(たたき)さん?」
「いや、べつに…。何かやられますか?」
「いいえ、これといって…。次の駅まで少し眠ろうか・・くらいのことです」
 列車旅行で特急・鰹(かつお)の隣席に座った節川と多々木が、車窓に流れる外の景色を見ながら話しあっている。二人は昔ながら仲がよく、飲み屋で意気投合して決めた遠くの温泉への旅に出たのだった。
「そうですか。…でしたら、ついでに…といっちゃなんですが、次の駅で私の分も駅弁買ってもらえませんか」
「えっ? ああ、構わないですよ。なにか、されるんですか?」
 多々木は『列車の中だぞ、妙な人だな…』と思いながら了承(りょうしょう)した。
「ええ、まあ。あなたも、ついでに…どうです」
「ついでに? 何をです?」
「あれですよ、アレ!」
「アレ?」
 多々木が分からず首を傾(かし)げたとき、節川は持参したクーラーボックスで冷やしたワンカップの酒を、二本取り出した。ガラスの酒は冷えに冷えていた。釣りの旅でもあるまいし、クーラーボックスとは? と、思っていたから、その謎が解けた格好だ。
「ああ! ああ、なるほど!」
 多々木は思わず口に出して納得した。
「何がです?」
「いや、べつに…」
「私、飲むと、すぐ眠る癖(くせ)がありますので、ついでに…お願いしたようなことで」
「ああ! ああ! それも、ああ!」
 節川についでに…と言われた意味が分かり、多々木はすべて得心ができたのか、酒のツマミように美味(おい)しく食われた。

                           完

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2018年1月17日 (水)

困ったユーモア短編集-66- それは困る

 梅雨(つゆ)の頃になると、植えた夏野菜も根づき、少しだが実をつけ始める。ところが困ったことに、生育するに従って、苗に害虫がついたり菌による病気が出たりする。さらに、攻撃はそれらだけには留(とど)まらない。
「どうも、妙だなぁ~」
 早朝から家の畑へ出ていた村吉(むらよし)は首を捻(ひね)りながら呟(つぶや)いた。春に植えた夏野菜の茄子(なす)の苗だけが萎(しお)れていたのである。昨日(きのう)は一日中、梅雨の雨がシトシトと降っていたし、地は十分に水を吸っているはずで、萎れることはないはずだった。他の野菜苗が萎れていないのも怪(おか)しい。根切虫やアブラ虫などによる害や、その他の原因も考えられなくもない。村吉はシゲシゲと茄子の苗を観察し始めた。すでに小さな茄子が実をつけ、紫色の花も咲いている。葉先は萎れてはいるが、枯れかけている訳でもなく、茎はしっかりと直立していた。茎に虫がいる様子もなく、毎年、萎れるなどということもなかったから、疑問は村吉の心の中で益々(ますます)、膨(ふく)らんだ。
「まあ、いいか…」
 村吉はバケツに水を汲(く)むと、茄子の根元にやった。
 そして半日が経(た)ち、村吉はふたたび畑へ出た。すると、茄子は勢いを取り戻(もど)し、萎れていた葉も数日前のように、しっかりと開いていた。
「なんだ、やっぱり水か…」
 村吉は、なんとなく納得した。それで、コトは終わるかに思われた。ところが、である。夕方、『もう一度、見ておくか…』と、村吉が畑へ出ると、茄子は朝のようにまた、萎れていた。これは妙だ…と思った村吉の脳裏に根切虫による害・・が浮かんだ。村吉はスコップで根元を掘ってみた。すると、茄子の根元に空洞になった大きな穴が見つかった。村吉は一瞬でモグラだと分かった。
「それは困る」
 村吉は穴が開いた地面に思わず語りかけていた。村吉としては、穴の中のモグラに苦情を言ったつもりだった。バケツで何杯かの水を穴へ注ぐと、水は瞬(またた)く間に地中へと吸い込まれていった。
「なかなかの大物だな…。いや、小物か?」
 村吉はニンマリと笑みを浮かべた。その後の茄子がどうなったかは、読者諸氏のご想像にお任せしたい。

                           完

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2018年1月16日 (火)

困ったユーモア短編集-65- 攻守(こうしゅ)

 ここは土地保全派と建設推進派が鬩(せめ)ぎ合う最前線である。困ったことに相応の折り合いがつかず、土地保全派と建設推進派の両者が戦いを始め、幾久しかった。土地保全派は、元あった公園を憩(いこ)いの場として守ろうとする市民グループであり、建設推進派は市の建設課の面々であった。
「申し上げますっ! 敵勢およそ数人! なにやら掘立(ほったて)小屋のようなものを建て始めましたっ!」
「そうか、もう来おったか…」
 土地保全派の守将、取囲(とりい)は、笑い捨てながら静かに声を出した。取囲は公園の跡地を土地保全派の市民グループに日夜、交代で警備させていた。その全員がヘルメット、揃(そろ)いの着衣に身を固めているから、恰(あたか)も城を守備する城兵に似ていた。すでに、建設推進派である市は裁判所に対し強制代執行の許可を申請していた。これが認められれば、落城することは目に見えていた。物見の市民から報告を受けた取囲は、静かに双眼鏡を手にすると前方の茂みを眺(なが)めた。茂みの中には仮設された物置小屋の姿があった。
「もはや、これまでか…」
 総攻めをする建設推進派の動きを察知し、取囲はひと声、呟(つぶや)いた。これまで攻守を繰り返した籠城の日々が走馬灯のように取囲の脳裏を過(よぎ)った。
 それから十日ばかりが過ぎ、いよいよ建設推進派は強制代執行に踏み切った。
「ただちに囲みを解き、退去しなさい! 退去しない者は公務執行妨害で逮捕しますっ!」
 拡声機の声が公園内に響いた。
「刑部か。もはや、これまで…。皆の者、囲みを解き、退去せよっ!」
「ぅぅぅ…殿!」
 土地保全派の面々は、取囲を取り囲み、無念さに涙した。
「さあ、早う!」
 取囲の声に追い立てられ、市民達は涙しながら公園から去っていった。取囲だけは一歩も引かず座り続け、逮捕された。両者の攻守は強制代執行により幕を閉じたかに見えた。が…、現在は自然の森公園として復活し、残り少なくなった自然の寛(くつろ)ぎを市民に提供している。と、言いたいのだが、実はそうではなく、足りなくなった食糧増産の田畑になっている。攻守は人々VS飢えに変化しているというのが実態だ。

                             完

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2018年1月15日 (月)

困ったユーモア短編集-64- 奈落(ならく)の底

 芝居とか歌でよく見かける舞台には奈落(ならく)という装置がある。どうもその舞台の下を指(さ)すようだが、元々は仏教用語で、サンスクリット語の地獄[naraka]を音写(オンシャ)したときが始めらしい。僧が、うっかり書き間違えたのか、適当に欠伸(あくび)をしながら書いたものかまでは私には分からないが、まあ、そういうことだ。
 足利(あしかが)は奈落の底まで落ちたあと、天まで浮かんだような子だ・・と子供の頃、言われていた。困ったことに、大人になった今もそれがどういう意味だったのか分からず、考え続けている不思議な男である。
 ある時、足利はテレビニュースを見ていた。アナウンサーは、某国の金融市場が破綻(はたん)したっ! と、興奮した気持を必死に抑えるような声で読んでいた。そして、国民生活は最低ラインまで引き下がるだろう・・という悲観的な経済学者の見解を加えた。
「奈落の底だな…」
 足利はテレビ画面を見ながら、意味なくそう呟(つぶや)いたあと、ふと気づいた。そうだっ! 奈落の底とは、最低の生活状態に陥(おちい)ることだ…と。ということは、子供時代に言われていた意味は、最低の生活をしていた子が極楽のような裕福な暮らしをする子になった・・という意味だと分かった。長年の疑問が解(と)け、足利の心は晴々(はればれ)とした。そういえば、父親が宝くじに当たってからというもの、暮らしは一変したことだけは確かだった。一匹のメザシが入った遠足の弁当が、○○堂特製弁当に変化したことからも、それはよく理解できた。それ以降、足利家は利息で生活が事足りている。だから、足利は天まで浮かんでいる・・という訳だ。ただ足利は、応仁の乱→戦国乱世…と続き、やがては徳川家康が天下餅をニンマリと笑顔で頬張る先の世を知らない。

                          完

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2018年1月14日 (日)

困ったユーモア短編集-63- 梅雨(つゆ)

 なぜ梅雨(つゆ)入りするのか? とか、なぜそう宣言する必要があるのか? などと考えるのではなく、困ったことに梅雨がなぜ梅の雨なのか? さらには、なぜ梅雨で、[つゆ]と読むのか? などと、斜(はす)に構(かま)えて考える、風変りな男がいた。名を解明(かいみょう)という。普通に考えれば、呼び名が決まっていなければ、竹雨でも松雨でもいい訳で、取り立てて梅に拘(こだわ)る必要はないのだ。まあ、梅の実が採れる頃だから・・という人もあるだろうが、それだったら桃の実だって成長するのだから、桃雨でもよいことになる…と、解明は考えた。こうなれば解き明かさねば気が済まない解明である。外は雨模様で出にくいこともあったが、解明は書斎に籠(こも)るといろいろな資料を紐解(ひもと)き始めた。
「なるほど…。これによれば、毎日降る雨だから梅の字を当てた・・とあるな。…なになに! この時期は湿度が高く、黴(かび)が生(は)えやすいことから黴雨(ばいう)と呼ばれたものが同じ音(おん)読みの梅雨に転じた・・か…。この説も一理ある。待て待てっ! 調べたいのは梅雨を、なぜ[つゆ]と読むのかだった。少し脇道(わきみち)へ逸(そ)れたな。元の道へ戻(もど)ろう!」
 その後、梅雨を梅雨(ばいう)とも読む・・とは分かった。
「ひとまず、梅雨入りだっ!」
 解明は訳が分からないことをグダグダ…と呟(つぶや)きながら、淹(い)れたミルクティーを啜(すす)った。
「ええっ! まだあるのか。旧暦の五月に由来することから五月雨(さみだれ)な…。五月雨を あつめてて早し ナントカ・・というやつだな。…これもかっ! 麦の実る頃だから麦雨(ばくう)な…。これらも一理あるぞ。まだある! もう、いいっ!」
 解明は、梅雨は梅雨でいい…と見切りをつけ、書斎の椅子(いす)を立った。結局、梅雨が、なぜ[つゆ]と読むのかは分からず、読むから読むんだっ! ということで解明は決着させた。頭の中では、楽しみにしている冷蔵庫の餅(もち)が呼んでいた。

                            完

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2018年1月13日 (土)

困ったユーモア短編集-62- 自然と強制

 物ごとが進む場合、首尾よくいった結果は同じでも、そのプロセスが自然にそうなった場合と強制され、そうなった場合とで分かれる。強制されてなった場合は、自(みずか)らではなく何物あるいは何者かの外的な強制によって、そうなったのだから、いわば無理強(むりじ)いされた・・ともいえる。世の中の事象は自然とそうなるのがいいに決まっているが、シビアな現実はそれを許さず、強制力をもって、かろうじて治安が保たれているのが現状だ。法律、規則、ルールの類(たぐい)は、すべて強制である。まあ、ルールの場合は、この強制がなければ、試合や競技自体が成立しなくなるから少し意味を異(こと)にするのだが…。
「都代富(とよとみ)さん、どうしても、ですか?」
「ええ、これ以上、待ちましても、この地では、もはや美味(おい)しいステーキは食べられますまいっ! ははは…」
 友人の兎久側(とくがわ)に都代富は毅然(きぜん)と断言して笑い捨てた。
「と、なれば、いよいよ強制しかありませぬなっ!」
「ええ。もはや、待つだけ待ちましたからな。自然とそうならぬ以上、致(いた)し方(かた)ありますまいっ!」
 そこへコーヒーカップを運んで現れたのが、これも友人の喫茶店の主(あるじ)、先納(せんのう)である。
「そうなされ…」
 先納にそう言われ、都代富と兎久側は静かに頷(うなず)いた。三人とも歴史好きだけに、時代言葉で話すのが常(つね)となっていた。
 大軍勢ならぬ大金を懐(ふところ)にして、二人が高級ブランド牛生産地、方丈(ほうじょう)へのステーキ征伐(せいばつ)ならぬ堪能(たんのう)の旅に出かけたのは、それから数日後のことであった。自然ではなく、こちらから出向く強制である。結果は語るべくもないだろう。二人は征伐ではなく、堪能(たんのう)して帰途についたのである。

                          完

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2018年1月12日 (金)

困ったユーモア短編集-61- 恐れ入りました

 古谷は困ったことに、いつも相手に対して感心ばかりさせられるダメ男だった。早い話、相手の方がいつも自分の行動より上手(うわて)だった・・ということだ。そんな人生は面白おかしくもなんともないだろう…と思われがちだが、古谷の場合はそうではなく、いつも相手に感心するだけだった。というのも、古谷は自分がそれほど出来がいい男だと自身で思っていなかったからだ。要するに古谷はプライドというものを、まったく持たない男だった訳である。
 村役場での仕事が終わり、古谷は閉庁のチャイムとともに、大きな欠伸(あくび)を一つするとデスクを立った。さてこれからどうする…と古谷が思ったとき、すでに仕事を終えていた町田が声をかけた。
「古谷さん!」
 古谷は今日は俺が一番だろうと…勇んでいたから、庁舎の出口で町田に声をかけられ、先を越されたんだ…と思った。
「恐れ入りました」
 古谷の口から思わず、いつもの謝(あやま)り言葉が口から飛び出していた。
「えっ? 何がです?」
 町田には何か謝られることをされたのか見当がつかなかった。
「いやなに…お早いですね?」
「はあ? あっ! 私ですか? 私、今日は年次休暇をもらったんですよ、少し疲れていたものでリフレッシュしようと思いましてね」
「なぜ、ここに?」
 休みなら、町田が庁舎にいることは怪(おか)しい…と瞬間、古谷には思えた。
「ああ、忘れものがありましたから、ついでに取りに寄ったまでです。今、温泉の帰りなんですよ」
 村には自然に湧(わ)き出した温泉があり、村人(むらびと)は誰もが無料で湯治(とうじ)することができた。町田はそこの帰りだと言ったのだ。
「ああ、そうでしたたか…。恐れ入りました」
 古谷はまた、いつもの謝り言葉を口にしていた。というのも、古谷もかなり疲れが溜(た)まっていて、年次休暇で休むか と考えていた矢先だったからである。この発想でも先を越された訳で、恐れ入りました…となった訳だ。
「またまた! 何が?」
 町田にはそんな古谷の心境は分からないから当然、また訊(たず)ねた。
「いや、もういいじゃないですかっ!」
 これじゃ切りがない…と、古谷は思わずそう返した。二人はその後、鮨(すし)屋でビールを飲みながら美味(うま)い鮨を摘(つま)まんだ。古谷には入ったことがない初めての鮨屋だった。店を出ようとしたとき、町田が恰好よく言った。
「あっ! いいです。もう払いは済ませてますから…」
 聞くところによると、町田は毎月、先払いである程度の額を店へ前金で入れておくのだという。なんと鯔背(いなせ)な…と、古谷には町田の行(おこな)いが小粋(こいき)に映(うつ)った。
「恐れ入りました」
「なにがです?」
 町田だけではなく、店の店員も意味が分からず、訝(いぶか)しげに古谷を見た。
「いや、まあ…」
 古谷は説明するのも憚(はばか)られ、小声で暈(ぼか)した。そんな古谷だが、相変わらず今日も、「恐れ入りました」と、すべてに恐れ入っている

                         完

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2018年1月11日 (木)

困ったユーモア短編集-60- 有効に…

 人は限られた時間を生きている。無から生を受けた以上、孰(いずれ)は無となる訳だ。などと語ると、出来が悪くキナ臭い愚僧(ぐそう)のような語りとなるが、まあ、そのようなものだ。
 限りある生命なら有効に…ということになる。だが、それに気づくのは、大凡(おおよそ)の場合、人生が半(なか)ばを過ぎ、少なからず生きているということを考えさせられる頃になってからだ。
 川堀(かわほり)は虚(むな)しく街路を歩いていた。苦労して、ようやく築き上げた会社での地位や蓄財を、一瞬のうちに騙(だま)し盗られ、失(な)くしたのである。俺の人生は何だったんだ…と思いながら、川堀は虚しく歩くのだった。明日をどう生きる…と思う気力も、すでになかった。
「やあ、川堀さん! こんなところでお会いするとは…」
 いつぞや仕事で資金援助したことのある浜長(はまなが)が擦(す)れ違いざまに声をかけた。浜長に勧(すす)められるまま、二人は喫茶店で四方山(よもやま)話をした。
「ははは…大丈夫ですよ、川堀さん。有効ですよ、有効!」
「えっ!? 有効?」
 浜長から唐突(とうとつ)にそう言われ、川堀は訝(いぶか)しげに浜長を窺(うかが)った。
「そんなに悩まれなくても、人生はなんとかなるものです。会社再建の資金は私が用立てましょう。まずは小さなお店から有効に…お暮らしください。なんとかなりますよ、ははは…」
「有効に…ですか?」
「はい、有効に…です。無駄(むだ)を省(はぶ)いて…。きっと上手(うま)くいくはずです。私もそうでしたから…、また、ご連絡いたします。では…」
 浜長はレシートを手にすると、席をあとにした。川堀には浜長が救いの神に思えた。
 それ以降、川堀は有効に…を心がけ、生き続けているそうだ。最近、漏れ聞いた話によれば、以前以上の会社再建を果たしたということだ。私も、あやかりたいのだが、さっぱりだ。

                            完

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2018年1月10日 (水)

困ったユーモア短編集-59- 表面化

 忘れていたことが、思わぬところから表面化することがある。困ったことに、表面化するのは慌(あわて)ているときが多い。思わず、その人となりが表面化する訳だ。
 夕方、小忙(こぜわ)しそうに袋崎(ふくろざき)は探しものをしていた。明日は久々の出張である。天気予報は明朝から雨寄(あまよ)ると告げていた。傘がいるな…と、袋崎は折り畳み傘を鞄(かばん)へ入れておくことにした。ところが、いつも入れてあるはずの戸棚(とだな)に、傘がないのである。毎度、同じところへ収納しているのだからあるはずなのだが、見つからない。気づいたときは夕方で、まだ辺(あた)りは明るかったが、いつの間にかすっかり薄暗くなっていた。仕方なく、袋崎は部屋の灯(あか)りを点(つ)けた。そして動きを止めると、ひとまず落ち着いて考えることにした。この段階で、袋崎の潜在意識はまだ表面化していなかった。袋崎が、まず考えたことは、いつも収納する戸棚から最近、動かしたことがあるか…ということだった。だが、どうもそんな記憶がない。とりあえず夕飯にするか…と、袋崎はキッチンの冷蔵庫を開けた。中には昨日(きのう)調理した炒(いた)めものの残り皿が入っていた。袋崎は考えることなくその皿を電子レンジでチン! してテーブルへ置くと、数個のロールパンとともに食べ始めた。まだ、この段階でも袋崎の隠された潜在意識は表面化していなかった。
 食べ終えた袋崎は、いつものように洗い場で食器類を洗い始めた。このとき、袋崎自身が気づいていないある変化が脳内で起きていた。折り畳み傘を探している・・という記憶が飛んで、消えたのである。ド忘れしたという状況だ。さあ、大変なことになった・・というほどのことではないのだが、ともかく、飛んだ記憶は袋崎の発想から除外された。
 飛んだ記憶が表面化したのは、次の日の朝である。袋崎は出張の日・・ということもあり、早めに目覚め、床(とこ)を離れた。やはり天気予報どおり、空は雨寄っていた。困ったことに、このとき袋崎の飛んだ記憶が、『ただいま…』『お帰り…』とでもいうように復活した。気づいた袋崎は、ハッ! と慌てた。そしてついに袋崎の隠された潜在意識が、湧き出るように表面化したのである。袋崎はまるで無邪気な子供のようにソソクサと乱雑に辺りを探し始めた。よ~~く考えれば、折り畳み傘が見つからないからといって出張に支障(ししょう)がある訳ではないのだ。降れば、使い捨ての安いビニール傘を買えばいいだけの話なのである。だが袋崎の表面化した隠された潜在意識は、そんな発想を忘れさせていた。しばらく時が流れたが、折り畳み傘はとうとう見つからないまま、袋崎が家を出る限界の時間がやってきた。傘を持って出る・・という表面化した袋崎の頑(かたく)なな想いは、普通の傘を持って家を出させることになった。その日、雨寄ってはいたが、ついに雨は降らず、普通の傘はお荷物になっただけだった。
 袋崎が出張から帰ったとき、折り畳み傘は、ポツン! と靴箱の上に置き忘れられていた。袋崎は、アアッ! と、思わず叫んでいた。コトの経緯(けいい)を詳しく述べれば、天気予報を聞いた袋崎は無意識で戸棚から折り畳み傘を出したのだが、その記憶も忘れていたのである。ダブル忘れが表面化した瞬間だった

                            完

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2018年1月 9日 (火)

困ったユーモア短編集-58- ベスト・タイミング

 すべてにはベスト・タイミングというものがある。和風に言えば、いい頃合いである。ベスト・タイミングを逃せば、困ったことに、物ごとは上手(うま)く進まなくなるから厄介(やっかい)だ。このタイミングが分かっていれば鬼に金棒、酒好きに酒樽(さかだる)…まあ、こうとは言わないが、ともかく大きな味方になることは申すまでもない。
 ここは、とある中央省庁の人事局長室である。
「そういうことだから、よろしく頼みますよ、鰹身(かつおみ)さん」
 人事局長の本酢(ほんず)から呼び出された部長の鰹身は、次の人事異動の内示を一任されたところだった。それが無条件なら、なんの問題もないのだが、鰹身の手には本酢から手渡された一枚の用紙が握られていた。
「分かりました…」
 鰹身は本酢に一礼すると局長室をあとにした。もちろん、本酢から手渡された内示の極秘用紙は背広の内ポケットに収納されて、である。そこまでは、何の問題もなかった。だが、そのあとが、回り回っていけなかった。
 局長室を出た鰹身は部長室へ戻もどろうと通路を歩いていた。そのとき、本酢に手渡された極秘用紙のことが、ふと、気になった。この、ふと思いついたタイミングがいけなかった。鰹身は部長室へ入るドア前で背広からその極秘用紙を取り出して見た。例外として内示される人名と新任の部署が書かれていたのだが、鰹身はこれを見ていなかったのである。ふと、内容を確認してみたくなったのだ。鰹身は本酢がないと美味うまくない・・ということでもないが、まあ、そんな気分がしたのだろう。一応、確認したあと、なるほど…誰ソレがコレコレへか…と思いながら、ふたたび背広の内ポケットへ収納した。いや、鰹身は、したつもりだった。ところが、内示の極秘用紙は、ポトリ! ・・とフロアの上へ落ちたのだった。気づかない鰹身は、そのまま部長室のドアを開け、中へと入った。そのあと、通路を通りかかったのが、タイミング悪く、次期の課長ポストが噂うわさされていた人事係長の銚子(ちょうし)だった。銚子は落ちていた用紙に気づき、おやっ! と、何げなく拾ひろった。そして広げて見た。用紙には自分ではなく別の人名が書かれていたのだった。そのあと・・ひと悶着もんちゃくあっただろう・・と読者諸氏は思われるだろうが、別に何も起こらず、異動は沙汰止さたやみになったとだけ言っておきたい。理由は肝心の本酢の量が足りなくなり、買いに出なければならなくなったから・・ということではない。
 
                             完

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