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2014年5月

2014年5月31日 (土)

秋の風景 (第十五話) 確かに…

    秋の風景       水本爽涼

    (第十五話) 確かに…    

 僕も少し大きくなったせいか、自然の変化を幾らか上品に考えられるようになった。例えば今日の、空に浮かんだ鰯雲が実は高層雲だという類(たぐい)だ。確かに…と思える進歩? で、お利口さんとじいちゃんに頭を撫(な)でられるのだが、果してこれが進歩だろうか…と、いささか僕には疑念が芽生えていた。ある意味、俗界に染まった無駄な知識ではあるまいか…ということだ。愛奈(まな)は、キャハハ…と笑ったり、△●××★!!…と泣いたりして離乳食を食べ、母さんの乳を好きなだけ飲んでりゃいいのだが、僕の場合はそうはいかないのだ。俗界に染まろうと汚れようと、母さんから、「あらっ! また百点ね。正也は先が楽しみだわ」と期待に答え、褒められる子供であらねばならないのだ。まあ百歩譲って、家では俗界から逃れられたとしても、学校ではそうはいかない。父さんの場合だと社会だから、相当、手強(ごわ)い。確かに彼の場合はそれが分かっていてか杭(くい)を出さない。出る杭は打たれる…という諺(ことわざ)があるが、父さんはそれを理解していて、あえて出さないのではあるまいか。いわば、彼の処世術とでも言えるだろう。父さんは家でもじいちゃんに対して出ないから、確かに…と思える。じいちゃんの場合は他に敵らしい相手を寄せつけない威厳めいた光を放っておいでだから、これも確かに…と思わせる。母さんの場合は上品なホホホとPTA役員だから、知的なシールドで身体を防備している風に見える。これも、確かに…と思わせる説得力がある。愛奈の場合は、すべてが確かに…である。泣けば空腹か、洩らしたか、暑いか、寒いか…などの生理現象だからだ。僕は残念ながら、まだそこまでのオーラはない。正也なら確かに…と家族を思わせるものを身につけたいと思う。今のところは、減った冷蔵庫のケーキは正也だろう…と思わせる確かさだけなのだ。これでは品位に欠け、情けない。そこへいくとタマとポチはいい。人にどう思われようと、自分の意思どおりに生きている。昨日もポチは庭掃除をしていた父さんの手拭いをどこかへ持ち去った。タマは父さんの書斎を抜け毛だらけにして何かありましたか? という顔で欠伸(あくび)している。ははは…、確かに結構な生きざまだ。

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2014年5月30日 (金)

秋の風景 (第十四話) 夢の秋

    秋の風景       水本爽涼

    (第十四話) 夢の秋    

 「正也! 遅刻するわよ!」
 母さんが僕の部屋の前で声高に言った。彼女に来られては、すべてが終わった…である。僕は飛び起きた。愛奈(まな)は? といえば、すでに起きていて、庭で竹刀を片づけるじいちゃんの尻について、意味もなく師匠のシャツを引っぱっていた。じいちゃんは叱る訳にもいかず、愛奈のするに任せ、笑っている。いやいやいや…、そんな光景がある訳がない。現に昨日まで愛奈は育児ベッドでスヤスヤと眠っていたのだから…。僕は夢を見ているんだと思った。それにしても総天然色のかなりリアルな夢だ…と思えた。
「お兄ちゃん、遅刻するわよ!」
 僕は、お前には言われたくないぞ…と言い返そうとするが、声にならない。要するに失語状態で、口が開かないのである。じいちゃんは庭の向こうから二人を見ながら笑っている。空は青く晴れ渡り、色づいた庭木の黄色葉が美しい。すると、場面が急に変って五人の食事風景となった。愛奈がご飯を…そんな訳がない、とは思うが、彼女は小っちゃいながらも小ぶりのお茶碗と短いお箸を器用に使い、食べていた。
「おかわり!」
「結構、結構! たんとお代わりしなさい」
 じいちゃんは、すっかり愛奈びいきだ。そんなじいちゃんに父さんも母さんも何も言えないようだ。
「正也! もう…遅刻よっ!」
 母さんの呆(あき)れるような声がした。僕は、えっ!? と思った。今、食べかけたとこなのに…と思えたとき、目が覚めた。空は青く晴れ渡り、色づいた庭木の黄色葉が美しかった。ただそのとき、愛奈のむずかる泣き声がした。早朝稽古をじいちゃんとして、まだ少し時間がある…とベッドへ寝転んだのが迂闊(うかつ)だった。ウトウト…してしまったのだ。出来のよい僕にしては失態だった。

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2014年5月29日 (木)

秋の風景 (第十三話) 栗拾(ひろ)い

    秋の風景       水本爽涼

    (第十三話) 栗拾(ひろ)い    

 野山も色づき、すっかり秋景色が板についたある日、僕はじいちゃんと栗ひろいに出かけた。この行事はキノコ採りと同じで恒例だから、とり分けて語ることでもないのだが、まあ語りたいと思う。
「正也、やってくれ!」
「うん!」
 なんのことだ? と思われる方も多いと思うので解説すると、じいちゃんが栗を拾(ひろ)い集め、僕はそのイガ栗を絶妙の足捌(さば)きで栗出しする役目を仰せつかったのだ。手では痛くて持てないイガ栗も、両足のコツで上手く剥(む)けるのである。
「そうそう、その調子!」
 じいちゃんは満足げに僕の足元を見たあと、また落ちて散らばっている栗を集め始めた。しばらくすると、師匠から、「それくらいで、よかろう…」とストップがかかった。剥かれた栗は容易(たやす)く袋に入った。そしてその夜、母さんによって三分の二ほどは栗ご飯に調理され、僕達の腹へと収納されたのである。ただ、愛奈(まな)だけは収納できず、離乳食と母さんの乳以外は駄目だったから気の毒に思えた。こんな美味いものを…と思いながら僕は乳育児ベッドを見た。愛奈と語り合いながら食べる日も、そう遠くないだろう。あの泣き加減からして、かなりの好敵手に育つことが予想されたが、半ば嬉(うれ)しい心配でもあった。
「なかなかのものです、未知子さん。今年も美味いですよ」
「そうですか、ほほほ…」
 ほほほ…は余計だろう、とは思えたが心に留(とど)めた。
「うん! 確かに…」
 父さんもじいちゃんに追随した。まあ父さんの場合は、追随しないことの方が奇跡なのだが…。栗のようにトゲを出せば、恐らくはじいちゃんによって火中へ放り込まれ、熱さのあまり弾(はじ)けてしまうぐらいのものだろう。そこへいくと愛奈栗は誰も皮を剥くことすら出来ず、自然放置の状態を維持している。タマとポチは剥かずに持ち帰った栗をボールに見立てて遊ぶ。優雅、この上ない。

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2014年5月28日 (水)

秋の風景 (第十二話) 根性

    秋の風景       水本爽涼

    (第十二話) 根性    

「あと十日ほど先だな…」
 じいちゃんはキノコが採れる頃合いが絶妙に分かるお人だ。僕の師匠だから当然と言えば当然だが、なんといっても長年の経験からの勘によるところが大のようだ。
「じいちゃん、キノコの根ってあるの?」
 僕は普段、疑問に思っていることを、つい口にしてしまった。
「キノコの根な…。いや、それは、ない。根に見えるが、あれは菌糸の塊(かたまり)だ。正也も習ったろうが…」
 あっ! そういや…と、僕は学校の授業を思い出した。すでに習っていたものを忘れていたのだ。頭はよいみたいだが、僕もその程度の粗忽者なのである。
 根といえば、じいちゃんの根性はすさまじいもので、大よそ、この世のことは、すべて自分でなんとか出来ると確信をお持ちの大人物なのである。そこへいくと、父さんは、じいちゃんの子であることが嘘のように持続力がなく、まるで根性というものがない。駄目だと分かると、すぐ根を上げて撤収するか弱い小人物なのだ。しかし、そうも言ってられないのは、その小人物から僕が生産されたらしい…ということである。確率の高い嘆かわしい事実で、すぐにも消し去りたいが、そうはいかないのが人の世である。とりあえず、母さん似ということで得心することにした。で、その母さんは、じいちゃんといい勝負の根性の持ち主で、日々、根を上げずに家事や愛奈(まな)の育児に明け暮れておられる奇特なお人なのだ。じいちゃんは威厳めいた照かる丸禿(まるは)げ頭だから思わず合掌したくなるのに比べ、母さんの場合は、その有難さに手を合わせたくなる訳だ。父さんの場合は…程度で、意に介さない。空気のような存在とまでは言わないが、僕の家では、それに近いものがある。さて僕だが、丘本先生にも褒(ほ)められたのだが、何事も最後までやる子だそうだ。僕もそう思えるが、途中で棒を折るのが嫌いな性分だからだろう。決して根性がある、などと大仰には言えないが、じいちゃんの万分の一ほどはある、と謙遜しておこう。愛奈は泣き通す根性をお持ちだ。このお方には誰も勝てない。タマとポチに根性は関係ない。彼等は根性などどこ吹く風で、日々のんびりと暮しておられる。

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2014年5月27日 (火)

秋の風景 (第十一話) 秋めく

    秋の風景       水本爽涼

    (第十一話) 秋めく    

 ひょんなことで秋めくものだ。夏の熱気が、ある日を境にスゥ~っと去った。もちろん僕に断りもなく無言で去ったのだが、秋めく・・とは正(まさ)にこれ! と思える清々(すがすが)しさで、家族全員のテンションを向上させた。
「秋ですね…」
 父さんがじいちゃんに語りかけた。彼は恐る恐る言葉を選び、季節外れの落雷を未然に防ぐ手段を講じていた。
「そうだなあ…。いい気候になってきた。まあ、夏野菜の収穫は終わりだがな」
「ナスがありますよ」
「おお! そうだった。秋ナスがまだあったわい!」
 じいちゃんの顔が喜色満面となった。
「未知子には食べさせられないですが…」
「上手いこと言うな。秋ナスは嫁に食わすな、か…。まあしかし、未知子さんには食べてもらおう」
 二人は、ははは…と笑い合った。空に鰯雲が登場し、楚々とした風が爽やかに肌を撫でると、辺りは一斉に秋めく。黄金色(こがねいろ)に色づいた稲田の刈り入れも始まった。愛奈(まな)の機嫌も大層よく、母さんは大助かりだ。むずからないのは親孝行で結構なことである。僕も妹を見習わねばならない。買って欲しいものはあるが、じっと忍耐の子を続けようと思う。
「おい! 正也! こっちへ来い。美味いシュークリームを戴いたからな」
 離れから声がかかり、僕はじいちゃんに招待された。庭から足継ぎ石を踏んで上がると、珍しく父さんも来た。ほぼこれは奇跡に近い。父さんは普通、じいちゃんを避ける、としたものだったから、その常識は完璧に覆(くつがえ)された格好だ。これも秋めいたことによる一過性のものかも知れないけれど、ともかくお目出度いことのように僕には思えた。じいちゃんが淹(い)れた茶で三人がシュークリームを頬張る。三代の揃い踏みである。遠くでタマとポチが、あのお方達は先が読めないなあ…という視線で僕達を見ていた。

 

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2014年5月26日 (月)

夏の風景 特別編(2の2) 湧き水

   夏の風景       水本爽涼

    特別編(2の2) 湧き水

 洗い場の湧き水は、この空梅雨の夏でも決して途絶えることはなかった。真夏の今も滾々(こんこん)と湧き出ている。僕は昼寝の前に身体を冷やすため洗い場に浸(つ)かるのが常だった。で、今日も浸かっている訳だ。午前中に夏休みの宿題の日課を仕方なく済ませた。母さんのひと言があったことは報告するまでもない当然の事実だが、愛奈(まな)はいいなあ…とか不満に思いながらも片づけた次第だ。じいちゃんは事、学問に関しては学ばず、触れずのお人だから、母さんのように諄(くど)くは言わない。早朝稽古のあと、こんな会話があった。
「まあ、恥を掻かない程度にな…」
 それだけである。今日、浸かる洗い場の中には、そのじいちゃんもいて、珍しく身体を冷やしておられた。師匠だから、ここは敬語となる。
「じいちゃん、この水が止まったことはあるの?」
「んっ? いや…わしの知るかぎりでは、ないなあ。先代がわしに下さった土地じゃが、なんでも、この湧き水は名水らしい」
「そうなんだ…」
「こんな水に身体を沈められるとは、果報者と思わねばならんぞ、正也殿!」
「ははぁー!」
 ちょっとした演技でじいちゃんの時代劇に付き合ってみた。そこへ父さんが現れなくてもいいのに現れた。書斎で仕事を済ませた後らしく、両手を上へ大きく広げ、身体をほぐしながら、である。
「どうだ恭一、お前も浸からんか」
 じいちゃんが珍しく柔和な声をかけた。だが父さんは、それでもギクッ! とした。
「ははは…私は」
 朝から夏風邪を拗(こじ)らせ、グスングスンと言っておられるお人だから、その判断は正しいように思えた。
「ふん! 情けない奴だ。鍛えろ、鍛えろ!」
 冷水を気持よさそうに両手でジャブリ! と顔へやり、じいちゃんは半ば諦(あきら)め口調でそう言った。父さんは頭を掻きながら無言でソソクサと家の中へ退去した。こりゃ拙(まず)いところへ来たな…と思っていたに違いない。その父さんと入れ替わりに母さんが愛奈をあやしながら出てきた。
「わぁ~、いい風が流れますわね…」
「この冷水のお蔭(かげ)です。有難いことです」
 父さんに語ったお人とは別人が僕の横にいた。そろそろ身体が冷えてきた僕は、水から上がってタオルで拭いた。愛奈も気持ちいい風にバブバブと機嫌がいい。いや、むしろ場の空気を和ませる特殊効果がある、と言った方がいいだろう。母さんはしばらく椅子に腰かけて愛奈をあやしたあと、中へ戻った。
「正也! お昼寝しなさいよ」
 最後には必ずお小言(こごと)があるから油断ならない。いつものように僕は反射的に、「うんっ!」と可愛く返事してその場を凌(しの)いだ。日蔭のタマとポチが、『このお方は要領がいい…』とでも言いたげな眼差(まなざ)しで僕を見ていた。

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2014年5月25日 (日)

夏の風景 特別編(2の1) 夕立ち

   夏の風景       水本爽涼

    特別編(2の1) 夕立ち

 蝉しぐれの中を雑木林へ入り、クワガタを籠(かご)へ入れたとき、空が俄かにゴロゴロ! と鳴りだした。見上げれば斜め上方に入道雲が、『俺の夏だっ!』と言わんばかりに湧き上がっているのが見えた。それが次第に大きさを増し、全天を覆い尽くそうという勢いで広がっていった。こりゃ、ひと雨くるな…と僕は思った。愛奈(まな)のオギャ~! と同じで、こればかりはいつ降りだすか分からない。僕は虫捕りを中断し、家をめがけて一目散に駆けだした。雑木林は僕の庭のようなもので、決して迷うことはない。上手くしたもので、家の門を潜ったときパラパラ…と降りだし、次の瞬間、ザザザ…ときた。ポチが、『お帰り!』とばかりに尾を振って僕を見ていたが、簾(すだれ)のような雨脚(あまあし)を避けようと軒(のき)へ移動した。僕も丁度、軒へ入ったところだった。灰色の空に稲妻の閃光(せんこう)が鮮やかな線を描いてピカッ! と走り、しばらく遅れでズッド~~ン!! と雷鳴が轟(とどろ)いた。
「おお! きおったな!」
 離れの窓ガラスを開けたじいちゃんが、さも友人を迎えるかのような笑顔でニタリ! と笑って言った。僕は、雷さんは友達なんだ…と思った。そういや、どちらも落雷する。もちろん、じいちゃんの場合は父さん専門だが、その鋭さは今、鳴っている雷に決して引けを取らない。いわば、同格なのである。雷と同格の人など、世間に、そうざらにいるとは思えなかった。
「正也! どうだ、捕れたか?」
「まあね…」
「そうか…。いつやらも言ったが、虫にも生活があるからな。ほど良いところで逃がしてやれよ!」
「うん!」
 師匠の命令は絶対である。逆らうことなど許されよう筈(はず)がない。そんなことをすれば、刀掛けに置かれた刀でスッパリ! と斬られ、討ち首獄門、晒(さら)し首は免れないだろう。…まあ、そんなことはないだろうが…。
 降り出した夕立ちは夜には止(や)み、涼しげな風が家の中を満たした。
「蒸してましたからねぇ~、これで、さっぱりしました…」
「ああ、まあな…」
 縁台将棋を指しながら父さんがじいちゃんの顔を窺(うかが)う。じいちゃんも冷気で気分がいいのか、ジョッキのビールをグビリ! と、ひと飲みして呟(つぶや)いた。樹木や草花も生気を取り戻したようで、輝いて見えた。愛奈(まな)の夕立ちも母さんの乳を得て、今はバブバブへと回復した。いい具合だ。まあ、このお方には雷様も勝てないだろうが…と思いながら、僕はビールならぬ風呂上がりのジュースを堪能(たんのう)した。遠くで花火が揚がり始めた。某市の花火大会は僕の村からも見えるが、たぶんそれだろうと思えた。雷と花火、同じズド~~ン!でも、やはりこちらがいい。さっぱりした夏の夕立ちのあと味。…こちらは、僕の飲むジュースと、いい勝負に思える。

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2014年5月24日 (土)

夏の風景 (第二十話) 衰え

    夏の風景       水本爽涼

    (第二十話) 衰え    

 あれだけ猛威をふるった夏将軍も、夏休みが残り少なくなった八月下旬には、ようやく引っ越しの手続きを始めた。そうは言っても、表立っては相変わらず、『まだ帰らんぞっ!』とばかりに攻め立てたが、じいちゃんには歯が立たないようで、一目(いちもく)置いている風であった。その証拠に、じいちゃんが西瓜(すいか)を、わずか数口、頬張っただけで食べ終えると、必ずどこからか涼風がスゥ~っと流れ、辺りを冷んやりとさせるから不思議だった。じいちゃんには衰え、というものがないだけに、いささか夏将軍も面喰(めんくら)ったのかも知れない。そこへいくと父さんは、いい鴨で、夏の終わりともなると必ずバテたから、このお方には勝ったな…と思ったか思わなかったかは知らないが、僕には明らかに夏将軍の勝ちに思えた。しかし、バテた父さんは夏将軍が去ると、これも必ず復活したから、しぶといお人である。妹の愛奈(まな)は生まれて半年以上になるが、すっかり我が家の天下様で、至れり尽くせりの厚遇を受けておられる。だから夏将軍といえど手出しは出来ず、窓の向こうから熱気のある直射日光を浴びせる程度だったが、その光線さえシールドのような夏カーテンに遮(さえぎ)られ、さっぱり攻め手を欠いていた。だから、じいちゃん以上に負けに思えた。母さんはタフで、父さんと比べるのも憚(はばか)られるほどだった。彼女は賢明さで夏将軍を逆手(さかて)にとっていた。暑い日中の行動は極力避け、朝四時頃~十時頃までを行動範囲とし、愛奈の世話以外の家事は最小限に留めた。で、冷んやりした洗い場の湧き水近くの日蔭でタマ、ポチと同じく、ハンモックで寛(くつろ)いでおられるのだった。だから母さんの場合、衰えなどはまったくご縁がなかった訳だ。やることはやっておられるのだから、家族から苦情など出るはずもない。僕は? といえば、夏将軍とは仲のいい友達関係にあり、野に山に…と遊ばせてもらった仲だ。この人も衰えないなあ…と夏将軍は思っていたことだろう。隙(すき)あらば熱中症に・・と攻められることは、すでに僕の想定内で、母さんから手渡された水筒と日避け帽は必ず装着して外出したことが夏将軍をそう思わせる一因になったかも知れない。
 総じて、湧水家の人々は僕を含めて、したたかだ、ということになる。もちろん悪い意味ではなく、世界ランキングに入るのでは…と思わせる、いい意味である。

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2014年5月23日 (金)

夏の風景 (第十九話) 故障

    夏の風景       水本爽涼

    (第十九話) 故障    

 こう猛暑日が続くと、さすがに人はダレてくる。あの気丈なじいちゃんでさえ、ここ数日はめっきり口数が減った。ただ、日々続く団扇(うちわ)パタパタの羽音だけは小忙しく聞こえる。むろん、離れへ僕が行ったときだけの観察だから、それ以外の所作は分からないのだが…。
「ちょっと! 五月蠅(うるさ)いから黙っててくれ!」
「なによっ! 人が親切で言ってあげたのに…」
 人もダレ続けると他人に当たりたくなるみたいだ。結果、数日すると夫婦間は完璧に冷えきり、故障してしまった。物なら買い換えたり修理したりで事足りるが、人、特に大人の感情トラブルは始末が悪い。いつぞやも旅行に行く行かないでモメたことがあったが、幸いにも、しばらくすると解決した。
「正也、お二人はどうかしたか?」
「んっ? 知らないよ。故障だろ」
 じいちゃんは一瞬、ニッと笑って僕の頭を撫でた。
「故障か…。上手いこと言うなあ正也は、ははは…」
 俄かに僕の株は上がり、日本の景気は、よくなった。…まあ、そんなことはないが、とにかく、お褒めに預かった訳だ。故障を放置すれば偉いことになる。愛奈(まな)などは、その典型的な被害者で、くそ暑さもあるが、夫婦間の故障以後、母さんの微妙なあやし加減が悪くなったせいか、泣く回数が目に見えて増えた。
「おいっ! 正也。お二人さん、語ってるぞ」
「語っておられますな…」
 大人言葉でじいちゃんに返したのだが、じいちゃんが指さす方向を観察すると、父さんと母さんが仲睦まじく笑いながら話しているのだった。きっかけは知らないが、どうやら両者の軋轢(あつれき)は瓦解(がかい)したようだ。
 こうしてみれば、時は最大の医者だと僕には分った。善悪どちらにも言えるみたいだけれど、記憶が薄れ、それが潤滑油の働きをするようだ。ふと、タマとポチを見遣ると、洗い場の日陰で冷気を浴びて眠っておられた。彼等にこういうトラブルはなく、終始仲がいい。猫と犬だから夫婦という訳にはいかないのだろうが、…まあ、いい具合だ。

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2014年5月22日 (木)

夏の風景 (第十八話) 違う!

    夏の風景       水本爽涼

    (第十八話) 違う!    

「そうじゃない、そうじゃない!」
 朝から小さな雑音が僕の子供部屋へ飛び込んできた。いったい何事だ、とばかりに窓を全開すると、父さんが庭の整枝作業をしている姿が見えた。その傍(かたわ)らにはじいちゃんがいて、ご意見番よろしく、手ぶり身ぶりで指導していた。
「はい!」
 素直な返事はいいのだが、所作はどことなく不格好な上に、おぼつかない。いったいどういうことでこの場面になったのか? まったく分からない僕だった。
「違う!」
 とうとうじいちゃんが怒りだし、父さんが手にした高枝鋏を取り上げた。こうだ、とばかりに、じいちゃんは格好よく整枝して、彦生えや胴吹きなどの不要枝を切り落としていった。師匠の場合は切るではなく斬るような格好よさで、どちらがお年寄りなのか…と疑わしくなった。
「分かったか?!」
「はい、分かりました…」
 父さんは言われた通りにふたたび手渡された高枝鋏で切ろうとした。
「違う、違う! 何も分かっとらんじゃないかっ!」
「… …」
 打つ手なし、とは、まさにこれだな…と僕は思ったが、少し父さんが哀れになった。しかし救いの神ならぬ救いの母さんの声が聞こえた。
「お父さま~、お茶にして下さい! あなたもね!」
 つけ足しながら、父さんにも一応、お呼びがかかった。
「まあ、いい…。茶を飲んでからにしよう」
 僕も子供部屋を出て、お茶会に出席することにした。
 居間へ行くと、先ほどの騒ぎなどなかったように、じいちゃんと父さんは笑顔で茶を飲みながら話していた。愛奈(まな)は母さんに抱かれて機嫌よく茶ではない離乳食後の母乳を飲んでいた。
「いやあ~、難しいですね」
「ははは…馴れんことをするからだ。あとは、わしがやっておく」
「お願いします。私は不器用で…」
「違う! 馴れだ。頭と身体で覚える違いだ、ははは…」
 父さんは黙って頷(うなず)いた。思うところがあったのだろう。
「今朝の正也は竹刀(しない)の振りが鈍(にぶ)かったぞ」
 じいちゃんの視線が僕に向いて朝稽古の注意に及んだ。僕も黙って頷いた。

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2014年5月21日 (水)

夏の風景 (第十七話) いつまで…

    夏の風景       水本爽涼

    (第十七話) いつまでも…    

 蝉が合唱している。つい先だっては茶色っぽい幼虫だった彼らは、この夏になって土中から這い出し、ノソノソと樹を登り、さらには脱皮して、蝉へと華麗に変身した訳だ。変身はテレビでよくやっている類(たぐい)だ。
「やかましいがな、正也。蝉は、この夏かぎりの命だ。そう思うと、わしは空(むな)しゅうなるんだ…」
「そうなの…」
 よく分からない僕は一応、相槌を打って師匠のご機嫌を窺(うかが)った。後から聞いた話を端折ると、じいちゃんの戦友が暑い盛りに特攻隊とかで帰らぬ人となったのを想い出したのだという。益々、分からなくなる僕だったが、ふ~んと聞いておいた。
「わしも、そう長くない…」
 じいちゃんは蝉が鳴く樹を見上げながら目頭を赤くして押さえた。いや、いやいやいや…それはないだろうと、僕は瞬間、思ったが、師匠のご機嫌を損なうと一時間ばかり前にじいちゃんが棚に置いた饅頭が頂戴できなくなる恐れがあり、思うに留めた。
「どれ…茶にしよう。正也も来い!」
 じいちゃんは洗い場で冷やしたペットボトルの茶を手にすると、足継ぎ石から上がった。僕は、しめた! と喜びを露(あら)わにした。
 今日は珍しく冷房が入ってるぞ…と不思議に思ったら、じいちゃんが注釈を加えた。
「ああ…今日は、わしの古い友人が来るんだ」
 電気モノ嫌いのじいちゃんだから、滅多なことではクーラーを入れず、団扇(うちわ)パタパタなのだ。
 冷茶で美味しい饅頭を頬ばり、母屋へ戻ると父さんが欠伸(あくび)をして書斎から出てきた。夏季休暇が続くと身体が鈍(なま)ってしようがない…と贅沢(ぜいたく)なことを言う。僕とじいちゃんのように剣道で鍛えなされ、と言いたかったが、これも思うに留めた。父さんはじいちゃんとは真逆で、か細く、きゃしゃで、しかもすぐ体調を崩す弱いお方だから、いつまでのお命なのか分からないが、返ってジックリしぶとく長命なのかも知れない。僕や愛奈(まな)には、いつまで…という気持は、よほどのことでも起らないかぎり浮かばないように思う。母さんだけは心配だ。美人薄命というから、健康には留意して欲しいものだ。タマとポチは、いつまで…など知らぬげで、毎日をニャ~、ワン! と楽しく暮らしている。

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2014年5月20日 (火)

夏の風景 (第十六話) 衣装

    夏の風景       水本爽涼

    (第十六話) 衣装    

 タマがニャ~と美声で鳴いた。ふと見遣ると、ゆったりと居を移し、日射しが避けられる木蔭へと身を隠した。僕の前を横切ろうとしたとき、フゥ~! 暑くて堪(たま)りません…とでも言ったか言わずか、もう一度、ニャ~ときた。お前は衣装がいらないかわりに脱げないなあ…と少し気の毒に思った。ポチは夏バテぎみで、朝から洗い場の日蔭だ。僕達人間はこの暑い夏には薄着とかで調整する。じいちゃんなどは、そんなものはいらん! とばかりの上半身裸で、下もステテコ一枚で闊歩(かっぽ)している。お父さま、その格好は…と思っているに違いない母さんは、そうとも言えず、ただ険(けわ)しげな目線をじいちゃんに投げかけるだけで、ひと言も発しない。ただ、そのお鉢は父さんに回って、かなりの小言となって撥(は)ね返る。哀れなのは父さんだ。まるで十字架に磔(はりつけ)られたイエス・キリストさまのような存在なのだから、その哀れさは涙を誘う。じいちゃんと同じ格好で散々なお小言を頂戴するのだから、僕だったら逃げ出すだろうが、彼はどうしてどうして、すでにぶ厚くなった免疫の衣装を身に纏(まと)い、苦とも思わず聞き流す。だがその哀れさは見る者の心を悲しくさせる。そこへいくと愛奈(まな)はキューピッドで、蒸(む)れないよう、汗疹(あせも)にならないように…と、至れり尽くせりである。小難しく、名前までは覚えていないが、白い天花粉をパタパタ! と首筋とかに付けられて機嫌よく笑う顔を見ていると、僕まで機嫌よくなってくるから不思議だ。今日も幼児語で、※△□◎?#! とか言って小笑いした妹だが、母さん譲りの色白の美人衣装で生まれたのは幸いだった。父さん似だと…まあ、これは言うまい。その愛奈は、可愛い薄着の夏衣装である。僕は今年も半ズボンにランニングシャツ一枚で動き回っている。母さんといえば、いつもの上品っぽい衣装で、ホホホ…である。やはりPTA役員は違うなあ、と思えるのは僕だけではあるまい。
 このように湧水家では、各人各様の衣装を身につけ、暑い夏を乗り切っている。

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2014年5月19日 (月)

夏の風景 (第十五話) 怖い話 

    夏の風景       水本爽涼

    (第十五話) 怖い話    

 夏といえば怪談話だ。最近の子供は文明進歩が災いしてか、余り怖がらなくなった。そこへいくと、僕は昔人間なのか、この手の話は、めっぽう好きだ。
「昔は、よく見に行ったなあ~」
「そうでした…」
 今夜もじいちゃんと父さんが風呂上がりの一局を指している。僕は今、上がったところで、ビールをキュ~っと…という訳にはいかないから、ジュースをグビィ~っと堪能している。黙ってお二人の話に耳を傾けていると、どうもお化けの話のようだった。
「怪談牡丹灯籠…あれは怖かったが、少し艶っぽくてよかったですね」
「ああ、そうだったな…。四谷怪談は、このわしでも帰りにゾクッ! としたぞ。ワッハッハッハッ…」
 豪快に笑いながらそう言うと、じいちゃんは生ビールのジョッキをグビグビッ! と飲んだ。そこへ母さんがフゥ~! っと溜息をつきながら出てきた。愛奈(まな)を盥(たらい)で洗い、ようやくこうやく寝かしつけたところだ。
「正也! お茶碗!」
 忙しいと省略して命じられる。要は常任幹事のようになってしまった食前の準備と運搬作業を指す。
「は~~い!」
 母さんには弱い僕だから、そこは可愛く愛想をふり撒いて返事した。
「お父さま~、お食事になさって下さいましなぁ~! あなたもね!」
 ましなぁ~と来たか…と僕は思ったが、毎度のことだから、免疫でそれ以上に感情は動かなかった。父さんも毎度のことながら、カレーの福神漬けのように付け添いで呼ばれた。そのとき、愛奈がオギャ~! っと泣きだした。母さんは慌てて幼児ベッドの方へ走っていった。ゾクッ! ではないものの、僕は怪談以上にドキッ! と怖かった。

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2014年5月18日 (日)

夏の風景 (第十四話) 電気

    夏の風景       水本爽涼

    (第十四話) 電気    

 世間では電力問題が、この夏も話題になっている。父さんは相変わらず家内で存在力不足が常態化している。じいちゃんは逆で、その偉大な禿げ頭を照からせ光り輝いている。僕と母さんは、まあまあで、そう目立った存在ではない。愛奈(まな)は存在力こそ小さいが、一家になくてはならない夜の灯りのような存在で、目に見えない雰囲気的な輝きを僕達に送ってくれている。
「まあ、節電はするしかないが、洗い場のお蔭で、うちは助かる…」
「そうだね…」
 絶えることなく滾々(こんこん)と湧き出る洗い場に浸かる僕へ、じいちゃんが声をかけた。僕は当たり障りなく返した。じいちゃんも半身裸で丹念に身体を拭いていた。今年もタマとポチは洗い場近くの冷気に満ちた日陰だ。彼らは心地よく寛(くつろ)ぎながら横たわって眠る。父さんは母さんに小言を頂戴し、書斎の冷房を止められた。サウナ状態では中にいる訳にもいかず、彼は仕方なく団扇(うちわ)をパタパタ! と小忙しく扇ぎながら不機嫌に洗い場へ出てきた。自然の冷気だからお金もいらず、気温も5℃以上は低いだろう。浸かっている僕などは寒いくらいで、時折り上がっては、また浸かるを繰り返していた。
「原発騒ぎって、震災以降ですよね!」
「んっ? …そうだな。電力不足は各家庭の問題だけではないからなあ。町工場は、この夏、死活問題だ」
 大人の小難しい話を二人は始めた。僕は黙って聞いていた。タマとポチは、五月蠅(うるさ)いですよ、とは言えず一端、薄目を開けたが、ああ、このお人達か…と諦(あきら)めたようで、ふたたび目を閉じた。そういや学校で担任の丘本先生が、そのことを言っていたなあ…と、僕は思いだした。電力不足はお年寄りにも深刻で、亡くなられる方が増える可能性もある…と、先生は付け加えた。よく考えれば、これだけ進歩した現代社会で電気なしの生活は不可能に近い。いつのまにか、人は人力以上に電気や機械に頼るようになったんだ…と思えた。愛奈だけは、そんな世俗の汚(けが)れに関係なく、特別待遇でスヤスヤ眠っている。羨(うらや)ましい限りだ。

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2014年5月17日 (土)

夏の風景 (第十三話) 抵抗力

    夏の風景       水本爽涼

    (第十三話) 抵抗力    

 三種混合ワクチンとか、いろいろと愛奈(まな)も予防注射をされ、散々な目にあっているのだが、これも黴菌(バイキン)だらけの世で生きていく備えなのだから可哀そうだが仕方ないように思う。そういう僕だって今まで生きてきた長い人生の間で散々な目にあってきたのだ。そして今も予防接種で散々な目にあっている。身体の抵抗力は新しい免疫で強まる訳だが、僕には一つ研究したい課題が生じた。というのは、幾つぐらいまで注射で泣くか・・という課題だ。それは個人によって違うだろう、と言われればそれまでだが、大よその年齢を探りたいと思う訳だ。これはある意味、注射の恐怖に対する抵抗力の推移考察と言えるのではあるまいか。
「馬鹿者! お前は…」
 父さんがまた、汗を拭くじいちゃん雷の直撃を受けた。そういや夏だから、他の季節よりよく落雷するようだ。父さんは、じいちゃんの落雷にはかなり免疫が強まっているようで、余程のことがない限り、これくらいのお叱りではビクッ! ともしない。要は抵抗力が備わっている訳だ。そこへいくと僕はまだまだで、母さんやじいちゃんには愛想笑いとかでご機嫌を伺っているのだから駄目だ。
 おしめを替えられ、愛奈が泣き止んだ。彼女の場合は、無遠慮に不愉快を好きなだけ発散する泣き、だから、他者の攻撃による注射での泣きとは一線を画すだろう。
「すみません、うっかりしてました」
 父さんは、じいちゃんの落雷に対し素直に謝ることで事なきを得た。ヒラリ! と躱(かわ)す術(すべ)も抵抗力の一つなのかも知れない。現に、じいちゃんはそれ以上、突っ込まなかった。僕にじいちゃん雷が落ちた記憶は今までにないが、母さんのお叱りは時に触れ、有難く頂戴している。とはいえ、この僕にも抵抗力が備わったせいか、母さんのお叱りも、さほどは苦にならなくなった。すなわち、要領を得て、対応する免疫が出来た訳だ。ただ、じいちゃんに対応する抵抗力は未(いま)だ備わっていない。これは僕に限らず、父さんや母さんにも言えることで、ただ一人、妹の愛奈だけは抵抗力があるとは言えないけれど、じいちゃんに怯(ひる)まず泣き続ける強いお方だ。

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2014年5月16日 (金)

夏の風景 (第十二話) 哀れ

    夏の風景       水本爽涼

    (第十二話) 哀れ      

「おいっ! これはもう、いらないんじゃないかっ!?」
 夏季休暇で会社休みの父さんが珍しく物置を片づけ始めた。多少、威張っての物言いは、普段、しいたげられた鬱憤を晴らすかのようであった。止まった手の前には古びた扇風機の箱があった。
「いいから、それは。そのまま仕舞っておいて! リサイクル法で電気モノの引き取りはお金がかかるんだから…」
 母さんは愛奈(まな)を抱いて、あやしながら、そう言った。
「そうだったな…。正也、そっちの隅へ置いといてくれ!」
 僕は父さんの助手で手伝っていた。そこへ畑の作業を早めに切り上げたじいちゃんが戻ってきた。顔は少し赤ら顔で、身体からは湯気がフワ~っと立ち昇っていた。数分前に洗い場で身体を拭いたのだと言う。それが強烈な直射日光で蒸散し、湧き昇った訳だ。まるで茹(ゆ)で蛸だな…とは思えたが、毎度のことで師匠にそのようなことが言える訳もない。僕は黙々と父さんが言った扇風機の箱を元の場所へ収納した。
「おお! 正也殿も手伝い召されるか。それは重畳(ちょうじょう)!」
 じいちゃんの口から久しぶりにお武家言葉が飛び出した。
「お父さま、今、お茶にしますから…。あなたも切りをつけて! 正也も!」
 僕は母さんによってお菓子のオマケのように呼ばれた。
「は~~い!」
 そんなことは根に持たず、愛想よい返事で僕は大物ぶりを発揮した。
 十五分ばかり後、僕達はワイワイと茶の間で憩(いこ)っていた。愛奈だけは母さんにあやされて、時折り笑顔を見せて色どりを添えるだけだったが、これがどうしてどうして、なかなの隠し味で、場の雰囲気を和らげる一抹の清涼剤の役割を果たしたのだから大したものだ。この感性は聡明な僕だけが気づいた? ものかどうかは分からない。そう思いながら愛奈を見遣(や)ると偶然、目線が合ってしまった。愛奈が笑ったので僕も笑顔になった。
「人間もアアはなりたくないな…」
 父さんは隅へ戻された哀れな扇風機のことを口にした。
「お前も注意せんとな…」
 藪から棒で、じいちゃんに斬り返された父さんは沈黙して萎縮した。

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2014年5月15日 (木)

夏の風景 (第十一話) 梅雨明け

    夏の風景       水本爽涼

    (第十一話) 梅雨明け      

 今年も夏がやってきた。冬と違い、木枯らしを吹かせて『こんちわっ!』とは言わなかったのには、やはり我が家の状況が去年と変化していたことが挙げられるだろう。ジメジメした梅雨が明いて真夏特有のムゥ~っとした熱気が辺りを覆い始めたのだが、『おやっ? どうしたの?』と夏は怯(ひる)んで、また遠退いてしまった。夏が妹の愛奈(まな)を見て怯んだのかどうかは疑わしいが、ともかく湧水家の家族は去年の夏と比べて確実に増えていた訳だ。で?、ふたたび梅雨へと逆もどりし、気象庁は謝罪して梅雨明け宣言を慌てて取り消した。いや、正確にいえば気象庁にもそれなりのメンツがあり、梅雨は明けていなかったようだ、と暈したのだが…。
「なんだ! 夏だと思っとったら違うのか…。気象庁も当てにならんな」
 じいちゃんが台所の食卓テーブルで茶を啜りながらポツリと言った。
「今年は異常気象だそうですから、予測が狂ったんでしょう」
 父さんがじいちゃんの斜め向かいの席から返した。
「そんなことは分かっとる! それを予測するのが商売の気象庁だろうが」
「ええ、それはまあ、そうなんですが…」
 青菜に塩で、父さんはすぐ萎えた。そこへ母さんが愛奈を寝かしつけて戻ってきた。
「あの子は寝つきがいいから助かりますわ」
「そうそう、最近は夜泣きも減ったしな」
 僕の妹なんだから当然、出来がいい訳で、あなたとは違うよ、とばかりに父さんを遠目に見た。僕は居間の長椅子で新聞を読んでいた。
「手がかからないのは、いいことです。そこへいくと、お前は手がかかったなあ~。ばあさんが往生しとったわい、わっはっはっはっはっ…」
 とんだトバッチリで父さんは大火傷(やけど}を負った。萎えた青菜が、油でさらに炒められたようなものだ。その哀れな姿を見るに忍びず、僕は子供部屋へスゥ~っと消えた。
 結局、梅雨は宣言取り消しの三日後にふたたび明いたのだが、気象庁は懲りたのかプライドが傷つくのを恐れたのかは知らないが、完全無視した。今度こそ本当に夏がやってきたようだ。『事情が分かりましたよ。ご家族が増えたんですね。おめでとうございます!』とばかりで、気温は高いながらも湿気が低いサッパリしたいい心地の天候が訪れた。

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2014年5月14日 (水)

春の風景 特別編(2の2) 叫び

   春の風景       水本爽涼

    特別編(2の2) 叫び

 うららかな薫風が戦(そよ)ぐ中、爽快な愛奈(まな)の笑い声がする。まさにこれは日本の平和を物語る一瞬だ…とか思いながら柏餅をガブリ! と齧(かじ)った。今日は子供の日だ。去年までは僕一人だったが、今年の湧水家は二人の子供で大賑(おおにぎ)わいである。正月の愛奈の誕生から早いもので丸四ヶ月が経った。まあ今日は端午の節句でもあり僕の独壇場なのだが、かといって三月の桃の節句が愛奈の独壇場だったか…と顧(かえり)みれば、そうでもなかったことに僕はふと気づいた。まだ彼女は泣き叫ぶことくらいで、家族に存在力を示すまでには至っていなかったのが原因だ。そこへいくと僕は大いに叫んでいる。
「母さん、これしかないの?」
「去年はそれがいいって、ずっと着てたでしょ!」
 子供の日だから少しは身を窶(やつ)そうと、いい衣装をリクエストしたのがいけなかった。母さんは間髪いれず僕を窘(たしな)めた。それを横目にじいちゃんが赤ら顔で茶を啜(すす)る。
「正也殿、武士の具足は心に纏(まと)うものでござるぞ」
 意味が分からず、笑顔でそう言われては二の矢がつげない。僕は渋々ながらも無言で撤収した。
「あら! じゃあ、それでいいのね!」
 母さんが後退(あとずさ)りする僕を追い討ちしてきた。僕は咄嗟(とっさ)に「うん…」と一応、頷(うなず)いて攻撃軍を振り払った。幸いそれ以上の追撃はなく、僕は危うく難を逃れた。迂闊(うかつ)な叫びは身を滅ぼすな…と改めて知らされる出来事だった。そこへいくと、父さんの叫びは慎重だ。しかし、その慎重さもじいちゃんの前には儚くも潰(つい)える。その都度、父さんはひたすら忍耐の人となってそれらの場を凌ぎきるのだ。よく考えれば、巧みな技師とでも言えるのではあるまいか。じいちゃんは誰に気兼(きが)ねする風でもない叫びで他を威圧する。ただ、母さんに対してはどういう訳か青菜に塩で、攻撃力を有しない。母さんは、ほほほ…だから、上品な叫びに彼女の主張がやんわりと含まれている気がしないでもない。愛奈はそこへいくと、先程の話のように泣き叫ぶことがすべてだから、今のところはタマ、ポチと同列であろう。
 今年もじいちゃんが揚げてくれた鯉幟(こいのぼり)が風に棚引いて、なんとも優雅だ。聞こえてくる父さんのハーモニカは相変わらず拙(つたな)く、やめてもらいたいのだが、まあこれも我が家の行事的な色彩になりつつあるから甘受しなければならないだろう。ある意味、ハーモニカは音楽に乗せた父さんの叫びなのかも知れない。それは幾らか、鬱憤(うっぶん)を晴らす心の叫びに思えなくもない。洗濯物を取り入れる母さん、陽光に照かるじいちゃんの丸禿(まるは)げ頭、愛奈の泣き声、父さんの拙いハーモニカの音色、なんと長閑(のどか)で平和なことか…。タマもポチも寝入っている。銃弾の飛び交わないこの有難い日本に住めることを素直に感謝したいと僕は思う。せめてもの心の叫びである。

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2014年5月13日 (火)

春の風景 特別編(2の1) 法事

   春の風景       水本爽涼

    特別編(2の1) 法事

 「いやあ、どうも…」
 なにが、どうもなのか知らないが、朝の九時過ぎ、賞金寺の和尚(おしょう)さんが我が家を訪れた。じいちゃんの話によれば、ばあちゃんの法事らしい。
「態々(わざわざ)、痛み入ります。さあ! どうぞ、お上がり下さいまし」
 母さんに付いて玄関へ出ると、馴れた物言いで母さんが和尚さんを導いた。和尚さんは軽くお辞儀すると、さも当然のようにスタスタと上がった。かなり場馴れしてるな…と、僕は思った。
 母さんが案内した仏間には、すでに座布団が敷かれてあり、和尚さんはそこへ、どっかりと腰を下ろした。
「早いものですな…」
 じいちゃんが入ってきたのを見た和尚さんは先手を打って、じいちゃんの語る出鼻を挫(くじ)いた。じいちゃんは挨拶しよう…と思っていた矢先だったから、ウッ! と言葉に詰まった。師匠にしては手抜かりだな…と思えた。
「…あっ! いやいや。そうでございます。もう、三十三回忌で…」
「次は私は寄せて戴けませんがな。ははは…、飛びます」
 どこへ飛ぶんだ? と思ったのだが、なんでも、三十三回忌のあとは百回忌とかまで飛ぶらしい。もちろん、じいちゃんの解説によって知った話である。
 母さんがお茶を淹(い)れて出し、しばらくして法事が始まった。ばあちゃん方の親戚(しんせき)は代も変わり遠方のため案内状を出していなかったから、僕を含め湧水家の五人と二匹の出席のみだった。ただ、この中で和尚さんと直接、出会ったのは僕を含めて四人のみで、愛奈(まな)とタマ、ポチは、いわばエキストラ程度の出演だった。
「?△※∞~~◎○△▽$~~」
 和尚さんは訳の分からない日本語を唱え始めたが、退席する訳にもいかず、僕はつまらなく退屈に聞いていた。遠くのポチやタマは目を閉ざしていた。…いや、寝ていた。よく見ると仏壇には、ばあちゃんのお位牌が安置されている。じいちゃんの話では我が家は湧水家の分家筋で、じいちゃんの兄君(あにぎみ)が湧水家を継いで家督を守っているのだという。それを聞き、井伊直政公の家来筋というじいちゃん得意の講談も合点できたし、仏壇にばあちゃんのみの位牌という疑問も消え去った。
 お経も有難いところらしく、クライマックスへと進んできたとき突如、オギャ~~! と愛奈がきた。母さんは慌てて立つと小走りに仏間を出ていった。和尚さんは、完全に一本取られた形で、お経は一端、止まったが、そこはそれ、プロの意地がある。なんとか体裁(ていさい)を整えようと、「オホン! では…」とか言って、ふたたび続きを唱え始めた。じいちゃんは、ニタリ! とした。挨拶の出鼻を挫かれた借りを愛奈が見事に返したからだ。
 その後は何事もなく、お経は無事に終了した。その頃合いを見計らったかのように、母さんがお茶とお茶菓子、お布施を和尚さんの前へと運んだ。
「左様でございますか、では…」
 馴れた所作で和尚さんは母さんが出したお礼のお布施をスゥ~っと滑(なめ)らかに袂(たもと)へ納(おさ)めた。それも、さも当然とばかりに、だった。ああ、だから賞金寺か…と思えた。そして料理で一杯飲みとなった。もちろん僕はアルコールではなくジュースだった。
 和尚さんが帰ったあと、気疲れしたじいちゃん、父さんはグデ~ンと横になり、赤ら顔で眠っていた。どこか、タマやポチと同類に見えた。

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2014年5月12日 (月)

春の風景 (第二十話) 八十八夜

    春の風景       水本爽涼

    (第二十話) 八十八夜      

 ♪夏も近づくぅ~八十八夜ぁ~♪という唱歌がある。茶摘みの歌だが、我が家ではお茶が結構、飲まれる。とくにじいちゃんに至ってはお茶のない生活は有り得ない・・と思えるほどの茶好きだ。番茶、抹茶、煎茶、法事茶、紅茶・・と、なんでもござれで、離れのじいちゃんの茶の間には、各種のひととおりの茶が置かれているのだ。全部飲むの? と訊きたくなるのは家族で僕だけではあるまい。置いておいてもお茶は劣化するからだが、師匠はどうしてどうして、そこら辺りは心得ていて、ほんの少しづづを茶筒に入れておくのだ。聞けば、態々(わざわざ)茶の販売店まで出かけて、グラム買いするようだ。ここまでいけば、茶通(つう)と言わねばならないだろう。
「お父さま、お茶が入りましたよ…」
 離れまで母さんが呼びに来た。僕はじいちゃんの部屋で菓子をお相伴しつつ茶を飲んでいた。いや、じいちゃんに付き合っていた・・という方が正しいだろう。嘘はいけないから正確に言えば、お茶はどうでもよくお菓子をせしめていた・・というのが真意だ。
「あっ! どうも…。今、行きます、未知子さん」
 じいちゃんは愛想よく返答した。えっ?! 今、茶を飲んでるじゃない? という顔をすると、じいちゃんは、しみじみと言った。
「コレはコレ、アレはアレ…」
 僕は、よく分からなかったが、ふ~んという分かり顔をした。後から聞いたのだが、今の季節は新茶が美味しいそうで、いろいろ味わいが違って楽しみだという。師匠が茶通でなければ、おかしなことを言う人だ・・と思うのだろうが、何といっても師匠で茶通のじいちゃんが言うのだから、そうなのだろう・・と思える説得力があった。父さん、母さん、僕、じいちゃん…で新茶を堪能してワイワイと寛(くつろ)ぎ、愛奈(まな)はお茶とはいかないからミルクを飲んでスヤスヤと寛いでいた。
「いい季節になりましたね…」
 父さんにしては、まともな言葉が飛び出した。
「ああ、今日は八十八夜か…」
「今夜は戴きもののタケノコで、木の芽添えの味噌田楽にしましたわ」
「ほう! それは楽しみですな。未知子さんは料理がお上手ですから…」
「まあ、嫌ですわ、お父さまったら」
 母さんは上品にホホホ…と笑った。じいちゃんが言ったのは強(あなが)ちベンチャラでもなく、母さんの料理は確かに美味いのだ。お嫁さんをもらうなら、こういう人に限る・・と僕は常々、思っている。ただ、ホホホ…は困る。

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2014年5月11日 (日)

春の風景 (第十九話) 決めごと

    春の風景       水本爽涼

    (第十九話) 決めごと      

 妹が生まれてからというもの、我が家の決めごとも少しずつ変化している。たとえば、湧水家特有の一か月ずつ交代する風呂番係である。これを初めて読まれる方にも分かりやすく解説すれば、最後の終い湯の番だ。この当番の者は後片づけの責任者として風呂でゆったりと寛(くつろ)いだ後、湯を落としてゴシゴシ! と掃除の労働に汗することになる。だから、何のために入った風呂なのか分からない・・とは以前、僕も考えた。で、聡明な知恵を働かせた結果、僕の場合は先にゴシゴシ! と床を磨いた後で湯に浸かり、浴槽で鼻歌を♪~~♪と、うなることにした。そして十分、堪能した後で上がる直前に湯を浴槽から大部分抜き、バシャバシャとタオルで洗ってその湯を抜いて、はい! お終い・・と、まあこうなる訳だ。
 我が家の風呂番の由来は以前にも書いたと思うが、男女同権の時代に、いつも母さんが終い湯では、いかがなものか…と僕が提案して可決された案件だった。ところが、コウノトリが愛奈(まな)を連れてきた。この出現で母さんはそれでなくても忙しい上に、愛奈に吸われたり垂れられたりと、相当きつくなった。それで、僕がふたたび提案説明し、当分の間は母さんを風呂番から免除するという決定が湧水家の常任委員会で承認されたのである。これがまず変化した決めごとの一つだ。他にも、母さんが後片づけしていた食後の食器の運搬がセルフになったことだ。ただ、食前の食器の準備は僕の役目になってしまっていた。それまでも手伝うことはあったが、決めごととして強制されたものではなかったのだ。この役目はだれが決めたことでもなかったが、まあ仕方ないか…と文句を言わなかったせいで常任委員長のようなことになってしまった訳である。準備を仕切るのはいいが、食事にします! とかの強制力がない点は過去の政治と同じで、まったく拘束力がなく無意味でつまらなく思えたが、愛奈の可愛い顔を見るにつけ、妹のためだからまあ仕方ないか・・という寛容の気分に変わっていった。さて、他の決めごとの変化としては、父さんとじいちゃんが指す将棋どきの一杯準備だ。そうそう、マイナス面だけではなくプラス面もある。今年の桜は今までにはなかった愛奈を含めた家族全員での賑やかな花見となった。これは、じいちゃんの提案で、年に一回、恒例にすることが可決されたのだ。この先も我が家の決めごとは愛奈がらみで変わることが予想されるが、僕と違って怒られない偉いお方なのだから諦(あきら)めるしかないだろう。あっ! また愛奈が泣き始めた。
「… …」
 誰も何も言わず固まり、母さんだけが小走りして動いた。この場合の固まるのも決めごとだ。

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2014年5月10日 (土)

春の風景 (第十八話) 自然体

    春の風景       水本爽涼

    (第十八話) 自然体      

 結局、美味いものを食べたい、綺麗になりたい、いいものを着たい、有名になりたい…など、おおよそ人が考えるのは欲だ。そこんとこが人の感性によって違ってくる。近くの賞金寺の老僧に言わせれば、欲のない人間は生きる意味がないそうだ。妹の愛奈(まな)は、そんなことにはまったく関係なく、母さんの乳をたらふく吸って、やがて時が至れば好きなだけ垂れるのみで、自然体で生きている。僕もかつてはその自然体だったのだが、今ではすっかり醜い世俗にまみれ、生きながらえている訳だ。汚くても、まみれなければ、人の世は暮らせないのだから仕方がない。しかし妙なもので、その苦が楽にもなるのだから、この世は律しがたい。
「長いこと家族旅行、してないな…」
 父さんが新聞に目を通しながら、ボツンと母さんに言った。
「行ったじゃない、年末の海外…」
「ああ、アレか。アレは二人だったじゃないか」
 年末にじいちゃんのクイズ応募で当たった海外旅行の一件を言ってるんだな・・と僕はピン! ときた。これに関しては、冬の特別編で語ったとおりだ。目を通されておられない方は、特別編「禍福は糾(あざな)える縄」をお読み戴きたいと思う。
「愛奈の手が離れるようになれば、また行きましょ」
「いつのことやら…」
 父さんのため息が聞こえた。父さんもかなり世俗にまみれておられるな…と、思えた。子供部屋の窓を閉めておけばいいのだが、爽やかな風が肌をくすぐって気分いいから開けておいたのがいけなかった。父さんと母さんの会話など聞きたくもないが、風に流れて入ってくるものは仕方がない。窓は閉めず、聞こえるに任せておいた。その声に、じいちゃんの竹刀を振る声が混ざってきた。
 夕方、家族の食事が済んだ頃、じいちゃんが、はにかんだ笑顔で袋を母さんに渡した。
「今日、偶然、手頃なのがありましてな…」
「まあ! べビーカーの引換券!」
「明日、届けますと言っとりました」
「有難うございます。正也のときのはもう古くて使えないと思ってましたから…」
 さすがは我が剣の師匠だけのことはある…と僕は素直に思った。師匠のような光り輝く頭の自然体だと、必要、不必要なものがよく見えるようだ。
 このべビーカーは以前、掲載した特別編「どうでもいい」に登場した折り畳み式の乳母車である。時が前後したは御免蒙る。

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2014年5月 9日 (金)

春の風景 (第十七話) モヒカン

    春の風景       水本爽涼

    (第十七話) モヒカン      

「もうそろそろ切った方がよかないか?」
「そうね…そうするわ」
 愛奈(まな)が生まれて半年以上が過ぎたが、夏の暑さが残るある日、こんな会話が僕の子供部屋へ飛び込んできた。父さんと母さんの会話である。日曜日の早朝、じいちゃんとの剣道の朝稽古、ポチの散歩、タマとポチへの餌やり・・などを終えた僕が、食事も済んでほっこり一息し、子供部屋の椅子へ座った直後だった。何の話だ・・と気になりだしたら勉強など手につくはずがない。僕はすぐに椅子から立ち、居間へとUターンした。居間へ入ろうとしたとき、来なくてもいいのに、じいちゃんが離れからやって来た。来なくてもいいのに・・というのは、父さんとじいちゃんが出会うと、すぐショートして発火しやすいからだ。結局、僕とじいちゃんは二人同時に居間へ入ったのだが、その居間では、ひとつの珍事が始まっていた。母さんが愛奈の髪の毛を切り出していたのである。
「モミアゲが顔に張りついてるからな…」
 父さんは鋏片手の母さんの隣で覗き込んでいる。母さんは邪魔だから…と思っているのだろうが、手元が狂うと危ないと考えたのか考えなかったのかは知らないなが、ともかく
何も言わず、黙々と愛奈の髪を切り揃えていた。
「ほう…初散髪ですか」
「はい!」
 じいちゃんをチラ見した母さんは、これき返事しないと…と、ばかりにひと声、発した。まあ、それはそれでよかったのだが、しばらくすると愛奈の頭がモヒカン状になってきた。いわゆる、ニワトリのトサカ状である。父さんは、ニヤニヤと笑いだした。
「なによ!?」
 面白くないのは作業をする母さんである。
「こういうのは、俺の方が上手いな」
「じゃあ、やってよ」
 この光景を目にしたじいちゃんは、触らぬ神に祟(たた)りなし・・とばかりに台所へ入ると食卓テーブルへ座り、テレビのリモコンをONにした。僕は居間の応接セットに座って新聞を読む振りをしながらチラ見を続けた。やがて、父さんの修復作業が終わったのか、母さんは切った髪の毛の後処理を始めた。父さんは鋏を離し、書斎から小走りで持ってきたデジカメを手に愛奈の写真を撮りだした。
「タイトルはニワトリ1号・・いや、ヒヨコ1号だな」
「なによ、それ?」
 迷惑で母さんが言った。しかし、よく考えれば一番迷惑なのは妹の愛奈のはずなのである。それを知ってか知らずか、彼女は可愛く笑うばかりだった。

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2014年5月 8日 (木)

春の風景 (第十六話) やわ肌

    春の風景       水本爽涼

    (第十六話) やわ肌      

 誕生当時は妹の愛奈(まな)を散々、こきおろした僕ったが、数カ月経った今は、さすがに可愛くなってきた。いや、これはお世辞でもなんでもなく、父さんのように目に入れても痛くないとまでは言わないが、この上なく可愛いのは事実なのである。まあ、美人の母さんの優勢遺伝子を引き継いだから・・と考えればそれまでだが、父さんには似ない方がいいとは、かねがね思ってへおろいたところだ。結果、母さんに似たのだから、それはそれでよかったのだろう。父さんが醜いなどと言うつもりは毛頭ないが、イケメンでないことは事実なのである。
「よく飲むわ…」
 母さんが愛奈に母乳を与えながらポツリと言った。僕はタマとポチに餌を与えた後、自分の口にもおやつを与えていたところだった。この煎餅はなかなか美味いな・・と思っていたときの母さんの一言だった。そこへ師匠のじいちゃんが離れからやってきた。運悪く、そこへ庭木に水遣りを終えた父さんが沓脱石から上がってきた。必然的にじいちゃんと父さんは出くわした。
「おお、恭一、ごくろうさん。わしも水を遣ろうと思ってたとこだ」
「そうでしたか…」
 まあ、落雷や小言を食らうことはあるまいと父さんは安心したのか、ニンマリと顔を緩めた。
「未知子さん、飯にして下さらんか」
「はい! もうすぐ…」
 じいちゃんは母さんの授乳風景を見て、それ以上は言わなかった。いや、しまった・・と思ったのかも知れない。
「愛奈は餅をついたようなやわ肌ですな、ははは…」
 取り繕う瞬間の言葉なんだろうが、じいちゃんはまったく関係ないことを口走ってしまった。
「そうですね。あの、やわ肌には参ります」
「お前もそう思うだろ?」
 愛奈が取り持って、事なきを得た。愛奈のやわ肌に関しては、確かに僕もそう思う。いつやら抱っこしたときは、スポンジケーキのやんわり感を想い出したくらいだ。そのとき、授乳を終えた母さんが愛奈を乳幼児ベッドに下ろして振り返った。
「正也! 夕ご飯が食べられないわよ! お茶碗、出して頂戴!」
「は~~い!」
 危うく母さんの投げた小柄(こづか)をヒラリ! と躱(かわ)して、僕は慌てて煎餅を齧(かじ)るのをやめた。父さんの災難が形を変えて僕にやってきた格好だ。愛奈のやわ肌話を言っている相場ではなくなってきた。

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2014年5月 7日 (水)

春の風景 (第十五話) 夢の中で

     

    春の風景       水本爽涼

    (第十五話) 夢の中で      

 順調な日々が流れ、事もなげな日常がようやく繰り返される春となった。僕は新学期で一年進級したが、僕をめっぽう贔屓(ひいき)にしてくれる丘本先生の担任もそのままで、身の回りにはそう大した変化はなかった。父さんもじいちゃんの心配を余所(よそ)に、僕の予想通り安定したヒラが続くことになったようだ。母さんもそれを見越して、異動の時期になってもその件には何も触れなかった。まあ、母さんの場合は妹の愛奈(まな)のこともあったから、気にする暇(ひま)もなかったのは事実だ。とにかく、前年並みの春が今年も続くことになったのだから、今ある幸せに感謝しなければ罰(バチ)が当たるだろう。
「今日は体育がきつかったから、早く寝るよ」
 すがすがしい春の陽気の中、この日は体育のサッカーで動き過ぎたのだ。
「ほう、正也が疲れるとは珍しいな。わしの稽古では弱音を吐かんが…。ほれ、これを飲んで寝なさい」
 じいちゃんは滋養強壮剤と書かれた瓶から一粒を出し、僕に手渡そうとした。まさか、僕が萎えた老人と同じと思ってはいないのだろうが、少しいかがか・・とは思えた。だが、師匠の善意を無碍(むげ)にはできないから、「ありがとう…」と一応、受け取っておいた。後から始末すりゃいいや・・と、高を括(くく)っていると、じいちゃんは僕の薬を握った手を見続けている。僕は仕方なく炊事場でコップを出し水を注いで薬とともに飲み干した。そして、母さんに「おやすみ…」と言いながら、そそくさと自室へ撤収したのだが、その夜はその薬のせいかどうかは知らないが妙な夢を見た。夢の中では愛奈(まな)がすでに話せるようになっていて、母さんにべそをかきながら語りかけていた。
「お兄ちゃんが私を苛(いじ)めるの!」
「まあ! そうなの? 正也!」
 僕は必死に手振り身振りで否定しているのだが、声は出なかった。
「お兄ちゃんなんだからね!  駄目じゃない!!」
 母さんは僕をきつく叱った。哀れにも無実の罪を着せられた僕は、なおも手振り身振りで言い訳をしていていると目が覚めた。体中、びっしょりの汗だったが、どういう訳か疲れはすっかり失せ、身体が軽くなっていた。目覚ましは深夜の二時近くを指していた。このままでは風邪をひく…と思った僕は浴室へ行き、シャワーでさっぱりした。その後はこともなく、朝を迎えた。四人で朝食のテーブルを囲んでいると、じいちゃんがさっそく訊ねた。
「どうだ、正也。よく効くだろうが…」
「うん!」
「ははは…、弟子が困っておるのを看過できんわ」
 じいちゃんのお武家言葉の意味は分からなかったが、可愛く笑った。夢で母さんに叱られた下りは黙っておいた。

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2014年5月 6日 (火)

春の風景 (第十四話) どうでもいい

     

    春の風景       水本爽涼

    (第十四話) どうでもいい       

「父さん! 一杯、やりますか?」
 いったい何があったのかは知らないが、珍しく縁側廊下の座布団に座った父さんが、風呂上がりのじいちゃんを誘った。
「おお! わしは、いいが…、お前は大丈夫なのか?」
 最近は愛奈(まな)のことがあってか、何かにつけて遠慮を吐くじいちゃんなのだ。
「ええ、私は邪魔になるらしいですから…」
 あとから聞いた説明によれば、なんでも愛奈をあやそうと父さんがちょっかいを出すと、ほぼ100%の確率で母さんに追っ払われるらしい。まあ、小さいとはいえ、母さんにすれば、愛奈は唯一増えた女性の味方だし、不出来な亭主に余り関わられては、愛奈によからぬ影響が出る・・とでも思ってか思わないでか僕は知らないが、そういうことらしい。よく考えれば、目くじらを立てるようなことでもなく、どうでもいい話なのである。
 じいちゃんが父さんの対面へどっかと腰をおろし、将棋盤に駒を並べ始めた。父さんは傍らに置いた練り物の総菜パックを一つと缶ビールをじいちゃんに手渡した。
「おっ! すまないな」
 じいちゃんの顔が緩み、気のせいか幾らか頭の後光も輝きを増したように僕には見えた。最近は、もっぱら酒の肴は父さんかじいちゃんが買ってきていて、母さんが一品を作って持ってくる・・という習慣は薄らいでいる。というのも、母さんは何かにつけて愛奈にべったりだからだが、今も愛奈を風呂に入れている…いや、小さい盥(たらい)の湯舟につけて洗っている、といったところだ。そんなことは、どうでもいいと思ってか思わないのか、父さんは一杯飲みながらじいちゃんに続いて駒を並べ始めた。僕は台所にいて、風呂上がりのジュ-スを堪能しながら二人を見ているという寸法だ。
「どうだ、その後は?」
「なんです?」
「だから、アレだ、アレ」
「ああ、ナニですか…。いやべつに…」
「わしは、どうでもいいんだがな。愛奈もできたことだし、そろそろな」
「私はヒラでいいんですよ。どうも、それが性に合ってるようですし…」
「そうだな。遠方への異動もないしな。安定してるか、ははは…」
 話は父さんの会社でのことらしかった。それを聞いていた僕も、安定したヒラには賛成だ。どうでもいい話ながら、家内は安定していた方が僕にも何かにつけメリットがある。
「今度は、わしが買っておく」
 片手の肴を父さんに示しながら、じいちゃんが言った。
「お願いします…」
 父さんはニンマリしながら返した。どうでもいい話しながら、二人の仲がいいに越したことはない。

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2014年5月 5日 (月)

春の風景 (第十三話) 安眠

      春の風景       水本爽涼

    (第十三話) 安眠       

 僕に限らず、誰だって安眠できることに越したことはない。
「恭一、なんか冴えない顔だな。まあ、お前の場合はいつもだが…」
 剣道の早朝稽古でひと汗かいたじいちゃんがタオルで顔を拭きながら台所へ入ってきて、まずはひと声、父さんを雷撃した。父さんは新聞を読みながら食卓の整うのを待っていた。僕は父さんの対面に座っていて、母さんが早朝握ってくれた、おにぎりを頬張っていた。早朝稽古をじいちゃんより少し早く切り上げさせてもらい、ポチの散歩から帰ってきた僕は、いつものことながら、すっかり腹が減っていた。母さんはそれをよく知っていて、いつもおにぎりを二つは握って置いてくれていた。僕はそれを頬張っていた訳だ。それをうらめしそうにチラ見しながら父さんは新聞を読んでいた、とまあ、状況説明はこうなる。そこへ、じいちゃんだ。じいちゃんの声に思わずギクッ! とした父さんは一瞬、恐いものを見るように後ろを振り返った。
「いや~、よく眠ってないんですよ」
「なんだ! 夜更かしでもしたか?」
「そうじゃないんです。愛奈(まな)が夜中、泣きまして…」
「ほお、そうか…。まあ、仕方なかろう。赤ん坊は泣くのと洩らすのが仕事だからな。梅に鶯なんとやら…」
 訳の分からないことを言ってははは…と笑っただけで、原因が妹のせいか、それ以上、じいちゃんは父さんを追及しなかった。幸い、僕は子供部屋で寝ていたから、そんなことになっていようとは露ほども知らなかった訳だ。
「お父さま、私がいけないんですよ。うっかり、おしめを替えたと思い違えをしておりましたの」
「いや、未知子さんのせいじゃありません。今、恭一にも言いましたが、赤ん坊は泣くのが仕事ですから…」
 そのとき、タマが馬鹿馬鹿しい話を…とばかりにニャ~~と美声で鳴いた。よく考えれば、じいちゃんも僕も離れと子供部屋なのだ。寝るときは愛奈の泣き声の危険からは解放されている訳で、いわば人ごと的に安眠しているのである。そこへいくと、当事者の母さんや父さんは災難を被っていることになる。しかし、もう少し考えれば、二人は直接の生産責任者なのだし、それもまあ仕方ないように思える。まさか、コウノトリに責任はないだろう。

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2014年5月 4日 (日)

春の風景 (第十二話) 宮参り

      春の風景       水本爽涼

    (第十二話) 宮参り        

 なぜ宮参りに白羽二重の着物を着せ、紋の付いた祝い着を上から羽織らせねばならないのか・・という素朴な疑問が僕に湧き起こった話だが、今となってはもう前の話となり薄らいでしまった。
 まだ寒さの残る初春、愛奈(まな)に風邪をひかせまいと母さんがかなり神経質になってお宮へ参ったのは数か月前の日だった。この日は僕もゲスト出演で付き添い、父さんも関係者ながらもいてもいなくてもいいようなか細さで参列していた。幸い、この日は愛奈の人柄のせいか絶好の快晴でポカポカ陽気となったから、母さんの心配は有難いことに徒労に帰した。結局、なぜ白羽二重を着せるか・・という一件は判明しなかったが、読者の中にはお分かりになられる方もおられると思うから、僕がご教授願いたいくらいのものである。
 宮参りは男子の場合、生後31日や32日、女子の場合は32日や33日が一般的らしいが、生後一カ月くらいで各地で様々らしい。要は適当な時期を見計らってということらしいが、大安とかの吉日を選ぶのが通例らしい。僕の妹もご多聞に漏れず、大安吉日の日が宮参りだった。
 じいちゃんはこの日、どうしていたのか・・と気にされる読者の方もおられると思うが、彼の場合はそんなことには無頓着で、寒稽古を早朝にすると、いつものように湯気の立った身体を冷水で拭いてさっぱりし、「ああ、今日は宮参りでしたか…。気をつけて」と、母さんに言いながら笑っておられる偉いお方なのである。泰然自若とは、まさにこのことか・・と僕は二人の会話を聞きながら思った。世間のものごとなど、まったく自分とは別世界のことである・・とでも言いたげな風情だった。とはいえ、それが冷たい人・・とか思わせないのだから貫禄充分なのである。その点、父さんは関係者として付き添いで出かけたのだが、まったく重みがなく、か細い上に弱々しかったのは、親して不甲斐なく思えた。ゲスト出演の僕は恰(あたか)もスタッフになったかのように皆を気遣っていた。
「ただ今、帰りました…」
「あっ! ご苦労様でした…。風呂を沸かしておきました」
 珍しく、玄関に出てきたじいちゃんが満面の笑みで僕達を迎えた。こういうじいちゃんは、なんか怖い。

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2014年5月 3日 (土)

春の風景 (第十一話) 賑わい

      春の風景       水本爽涼

    (第十一話) 賑わい        

 あれから、しばらくたったが、僕の湧水家では相も変わらず幸せな毎日が続いている。あれから・・というのは、僕の妹が生まれてから、という意味だ。それ以降、妹の手前、じいちゃんの雷は少し鳴りを潜め、父さんは風格めいたものがほんの少しだが増え、僕は益々、その偉人ぶりを発揮しているという塩梅だ。妹はやはり好きなだけ母乳を飲み、好きなだけ垂れ流しているが、これはまあ、仕方のないところだろう。それでいて母さんは、ちっとも以前と変化がない。ある程度の慌ただしい動きは時折り見られるようになったが、それは赤ん坊の妹のせいで、母さん自身に変化が見られるようになった訳ではない。ああ、そうだ! まだ、読者の皆さんには妹の命名とか宮参りのエビソードを語っていなかったから、時に触れて紐解きたいと思う。えっ!? 時に触れてじゃなく、今すぐに紐解いてくれ・・ですって? それは浦島太郎さんとよく似通った発想のお方ではあるまいか・・と、思う。たちまち白髪の老人となられるお方に違いない、と思えるのだ。まあ、それはともかくとして、家人の動きが活発になり、家の中が賑やかになるというのはいい話に思える。春の陽気にも似て、なんかポカポカとした温もりの増した我が家なのである。
「おお! 正也か。すっかり暖かくなったな」
 離れへ行くと、じいちゃんが紋切り型の当たり前の言葉を口にした。日本人が常套とする挨拶言葉だが、僕はこういう意味ない言葉は不必要だ・・と、以前は思っていた。しかし今は、なかなかどうして相手の様子を窺う言葉としては、それなりに手頃な言葉なのではあるまいか・・と思うに至っている。
「そうだね…」
 で、僕も当然、その常套手段を用い、当たり障りなくじいちゃんの刃(やいば)を、ヒラリ! と躱(かわ)した。この瞬間、正也もなかなか腕を上げたわい・・とじいちゃんが思ったかは定かではないのだが…。
「愛奈(まな)はよく眠っておるか?」
「うん!」
 オムツを換えてもらってサッパリしてね・・とまでは、彼女を尊重して、敢えて僕は言わなかった。そうそう、妹の名は愛奈と名づけられたのだ。この話については後日、別の話として掲載したいと思う。ともかく、じいちゃんはせっせと元気に夏野菜を育てながら剣道の朝稽古に余念なく、僕もその弟子として師匠に追随している、とだけ言っておくことにしよう。とはいえ、父さんの怖いものに従うといった追随ではないことだけは明記しておきたい。おやっ! 母屋から愛奈の鳴き声が聞こえている。オムツは換えてもらったのだから、彼女の場合は他にお腹が空いた・・としか考えようがない。まあ、我が家の賑わいの一幕としては、いい傾向に思える。

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2014年5月 2日 (金)

スピンオフ小説 あんたはすごい! 最終回

 あんたはすごい!    水本爽涼
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    最終回
「もう一度、同じことが…」
『ええ、ここからはあなたの本来の人生です。事象は今までと同じことが起こりますが、単一の事象そのものは、あなたが流れに任せなければその都度、変化していきます。そのままの流れに任せるか、あるいは違った道に身を委(ゆだ)ねるか…は、あなた次第なのです』
「そのままの流れに任せれば、起こってきたような出世の道を歩むと?」
『はい、当然そうなるはずです、100%の確率で…。任せなければ、今までとは違った世界を、塩山さん、あなたは辿ることでしょう。大玉様の霊力に頼らない新たなあなたの人生を…』
「分かりました…」
 その時、ママの声がした。
「満ちゃん、何してんの? 早くこちらへ来なさいよ。水割りの氷が解けちゃうから…」
「はい! いきます…」
 私は長椅子にかけた背広の上衣を手に持ち、席を立った。
『では、この辺りで失礼をいたします。もう、お目にかかることは恐らくないと存じますが…。ははは…そうでした。初めから、お目にはかかっていないんでしたね? 声だけのお付き合いでした』
「そうでしたね…」
 私はニタリと一瞬、笑みが零(こぼ)れた。
『恐らく、沼澤さんに会われることになるとは思いますが、彼はあなたを知らないのですから、その点はよろしく』
 それでお告げは途絶えた。私はカウンター席へ何事もなかったように座った。そして、今まで過ぎ去った時間が、ふたたび繰り返しながら流れようとしていた。
                            完

   ≪あとがき≫
 この小説は飽く迄も私の夢であり、理想であり、そして期待である。期待は現実に開花しない幻花への儚い希望であるのかも知れない。現在の世界の風潮は、この小説に描いたことなどとは全く乖離した絵画をキャンバスに描こうとしている。私は描く画家の名を知らない。しかし、すべてが美辞麗句で塗り固められ、実質的には何もない、即ち形骸化してしまった空虚な事象への警鐘を、笑いの図式の中に描いたつもりである。ただ単に笑って戴けばいい。また、この中から一縷の考慮に及んで戴けたならば、幸いである。

                                水本爽涼

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2014年5月 1日 (木)

スピンオフ小説 あんたはすごい! 第316回

 あんたはすごい!    水本爽涼
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    第三百十六回
「寝不足ぎみのせいだと思います」
「そう? なら、いいんだけど…。いつものでいい?」
「えっ?! もう、かなり飲んでますので…」
「おかしい子ねえ。なに云ってんのよ。今、来たばかりじゃない」
 ママはカウンターの酒棚側へ入ると、氷を準備し始めた。つい今し方までと、どうも雰囲気が変化したように思えた。ただ変わらないのは店の佇(たたず)まいであった。
『いや、驚かせてすみません。あなたは今、過去の時空へ次元移動移動したのですよ』
「ええっ!!」
 お告げに、私は思わず絶叫していた。それを聞き、ママと早希ちゃんが私の方を振り向いた。
「満君! どうかしたっ?」
「いえ、別になんでもないです!」
「そう? …びっくりするじゃない」
 早希ちゃんがママに加えて云った。お告げとの心話は聞こえない二人だから、これは仕方がなかった。
『すべては大玉様のご意志です。玉が時空を動かすのは、すごい人だけだと、いつか申したはずです』
「ええ、それはまあ…。しかし、今の私は、どこに存在しているんですか?」
『まだ沼澤さんにあなたがお会いしていない頃ですよ』
「と、いうことは、数年も前だ…」
 私は、ただ唖然とした。
『そういうことです。すべてが起こる前の時空なのですよ…』
 お告げは厳(おごそ)かに云い切った。

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