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2014年7月

2014年7月31日 (木)

短編小説集(13) 解毒<18>

「ははは…確かに。だが工藤、この現象には一定のサイクルがあるぞ」
「どういうことです」
「いや、詳しくは閣議のあと、話そう。秘書官がすぐ呼びにくるだろう」
 篠口の予想どおり、その数分後、藤堂秘書官がふたたび現れた。
「総理、お時間です。官邸へお送りいたします…」
 篠口は席を立った。工藤も篠口に続いた。いつの間にか工藤の後ろには秘書官らしき男が数名、付き従っていた。
 官邸へ到着後、エレベーターで昇った篠口は、閣議応接室へと入った。工藤は藤堂に促され、ひと足早く閣議応接室へ入っていた。閣僚全員で総理を迎え入れるという慣例があるようだった。テレビニュースでよく映る光景である。
 閣議の内容は藤堂から歩きながら事前に概要を聞かされていたから、当たり障(さわ)りなく適当に流した。終わったとき、これじゃ日本はだめだぞ…と、篠口は自責の念に駆られていた。ただ一つ、これは別世界の出来事だ…という救いはあった。
「少し歩こうか…」
 閣議終了後、しばらく時間をくれと藤堂に言い、工藤とともに孟宗竹が素晴らしい二階の中庭を歩いた。人払いを告げたから、篠口の傍には工藤しかいない。遠目に見られても、総理と官房長官が歩いているのだから、なんの違和感もなかった。
「さっきの話だが…」
 篠口は穏やかに切りだした。
「一定のサイクルがあるって言われましたが…」
「そうなんだよ。私は課長から社長、社長から総理、そして総理からまた元の課長と循環しているんだよ。工藤、君だって同じだ」
「…そういや、そうですね。僕の場合だと、係長から専務、専務から官房長官。で、官房長官からまた元の係長ですか…」
「そういうことだ。ただ、原因がわからん。未知の見えない力・・としか言いようがない。しかも、なぜそれが私と君だけに起きるのか、ということもな」
「もう、僕はどうでもいいです。どちらにしろ、自分の力じゃどうにもならないみたいですし…」
 工藤は半ば諦(あき)めたように言った。

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2014年7月30日 (水)

短編小説集(13) 解毒<17>

 次の日の朝七時、篠口は玄関チャイムで起こされた。ドアレンズを覗(のぞ)くと、屈強なSP(セキュリティポリス)風の男が2名と手提げの黒カバンを持った背広服の若者が一人、立っていた。
「総理、お迎えに参りました」
「あっ! ああ…、しばらく待ってくれたまえ」
 篠口の口からスムースに言葉が出た。これはあの日の朝と同じだ。だとすれば、俺は総理か? と、篠口はネクタイを締めながら巡った。そのとき、待てよ! このサイクルは繰り返されてるぞ、と篠口は気づいた。確かに、出来ごとはその時々で変化したが、一定のサイクルで課長→社長→総理→課長と循環していると気づかされたのである。迎えの男が総理秘書官の藤堂だとは、すでに分かっているから、篠口としては少し落ち着けた。
「待たせたね…」
 篠口は前回とは違う余裕の言葉も自然と言えた。マンション前に止められた高級車はその数分後、滑らかに総理公邸を目指し発進した。
 総理公邸へ着くと、篠口はすぐ工藤を呼んでくれるよう、さっそく藤堂に命じた。多少、厚かましさも増していた。篠口の心中では、工藤が官房長官であることはすでに確定できていたからだ。
「かしこまりました…」
 藤堂は携帯を手にすると、すぐに指示を出した。篠口には分からなかったが、他にも数人の秘書官がいるようで、その者達に連絡を入れて指示したようだった。
  しばらくして工藤が公邸へ到着した。
「君、すまないが二人だけにしてくれ」
 工藤が現れると、篠口は藤堂を遠ざけた。藤堂は軽く黙礼し、退席した。
「課長!」
「おい! 総理だぞ、今の俺は」
 篠口の顔に少し余裕の笑みが零(こぼ)れた。
「そうでした、つい、うっかり…。どうも、ややこしくていけませんね」
 工藤はボリボリと頭を掻いた。

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2014年7月29日 (火)

短編小説集(13) 解毒<16>

「口にしたことが現実になる、っことですか? それって、僕と課長だけなんでしょうか?」
「それは分からんが、誰かに聞こえてんのか?」
「だとすれば怖い話ですよ。それに、どうすりゃ元に戻れるのかが分かりません」
 工藤は、次第に怖(おそ)ろしくなっていた。このとき、二人は自分達が未知の見えない力で解毒されていることを、まだ理解していなかった。未知の見えない力・・それは、地球に秘められた科学では解き明かせない宇宙神秘の解毒作用だった。なぜその現象が、篠口と工藤にだけ生じたのか…それが不思議だった。訳が分からないまま、二人は別の世界に存在していた。
「とにかく平静を装って、この世界で生きるしかない。今の君は係長じゃなく専務だからな」
「分かってます。こちらの方がポスト的には有難いんですけどね」
「それに、仕事も楽だしな」
 篠口がそう返したとき、秘書室長の山崎茉莉が社長室へ入ってきた。
「社長、鈴木会長がご都合をお訊(き)きでございますが。いかがいたしましょう?」
「えっ? 何の都合だい?」
「ご冗談を。もちろんゴルフの懇親会でございます。この前、体調が悪いとお断りになったじゃございませんか」
 茉莉は怪訝(けげん)な表情で篠口を窺(うかが)った。
「あっ! そういや、そうだったね。…腰痛で当分、無理だと言っておいてくれ」
「かしこまりました…」
 茉莉は社長室を出ていった。ゴルフをやったことがない篠口は危なかった…と、ほっと胸を撫で下ろした。
「いやぁ~、前言取り消しです。楽そうでもないですね。僕も気をつけないと…」
 工藤がポツリと言った。
「ああ、そうみたいだ。ゴルフか…、やっときゃよかったよ」
 その日は前回の馴れもあり、篠口も工藤も、少し楽に社長と専務を演じて終えた。

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2014年7月28日 (月)

短編小説集(13) 解毒<15>

 社長室へ工藤が入ったのは、その五分後である。
「また、ですね…」
「工藤、えらく落ち着いてるな」
「いやあ、そうでもないんですが…。昨日(きのう)、寝ずに考えたんです。それで、やっと少し分かってきました」
「なにが?」
「僕が課長に言ったことがありましたよね」
「俺に何か言ったか?」
 篠口は思い当たらなかったのか、訊(たず)ねた。
「いつでしたか…もう、随分前になりますが、課長が俺達、死ぬまで今のままか? ってお訊(たず)ねになって、僕が、一度、社長の椅子(いす)へ座ってみたいと言ったことがあったじゃないですか」
「そんなこと、あったかなあ?」
「ありましたよ。この不思議な出来事が起こる以前でした。僕は、その回転椅子のクッションは心地よさそうだって言いました」
 工藤は篠口が座る社長席の椅子を指さした。
「ああ…そういや、そんなことを聞いたような。だが、それが原因だと?」
「いや、はっきりとはしないんですが。どうもそれくらいしか考えつくことがないんですよ」
「君が思ったことが、現実になったってことか? それじゃ、二度目の今朝は、どうなんだ?」
「いや、僕は思い当たらないんですが、課長は? いや、社長は?」
「課長でいいんだよ、課長で。だいたい、この世界がおかしい!」
 篠口は少し怒りぎみに断言した。
「はあ、すみません」
「いや、謝(あやま)る必要はないが…。ああ、そういや、俺もこの世界へ来る前、決裁を押しながら椅子でふんずり返っていたい、と思ったことがあったな」
 篠口にも思い当たる節(ふし)はあった。

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2014年7月27日 (日)

短編小説集(13) 解毒<14>

「あっ! そうなんですか…、失礼しました!」
 平林はそれ以上返せず、立ち去った。篠口としては、やれやれである。しかし、この先の展開がたちまち気になった。またこの世界へ紛(まぎ)れ込んだ以上、一刻も早く工藤に会って今後の方策を探るしかないな…と篠口は昇るエレベーターの中で巡った。もちろん、向かう先は営業第一課ではなく社長室である。
「おはようございます…」
 篠口が社長室のドアを開けると、秘書室長に違いない山崎茉莉がすでに出勤していて、篠口を一礼して出迎えた。
「おはよう!」
 ここは訊(たず)ねず、素直にいこう…と篠口は瞬間、判断した。
「ああ君、専務を呼んでくれないか」
「かしこまりました。専務室へそのように、ご連絡いたします…」
 山崎が隣の秘書室へ退出した。篠口は我ながら社長の語り口調が板についてきたな・・と感じた。決して偉ぶっている訳ではなく、ただ、この状況に従って素直なだけだ、と自らに言い聞かせながら…。
 江藤から連絡が入ったのは、その直後だった。このとき江藤は出勤したところで、エントランスを歩いていた。そのときタイミングよくエントランスの受付に専務室から内線が入り、受付嬢に呼び止められたのである。もちろん、社長秘書で秘書室長の山崎から専務秘書に内線が入れられ、専務秘書からエントランスの受付へ、工藤が出勤したら呼び止めてくれと内線が入ったということである。そうした経緯があり、受付の工藤は慌てて社長室へ内線を入れたのだった。
「課長…じゃないですね。社長、工藤です。おおよその流れは飲み込めました。僕、専務なんですよね?」
「ああ、そういうこった。すぐ、社長室へ上がって来てくれ」
「分かりました…」
 受付嬢が傍(そば)にいる手前、工藤は多くを語らず受話器を置いた。

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2014年7月26日 (土)

短編小説集(13) 解毒<13>

 一時間後、二人はフリーズにいた。
「課長、僕達は大丈夫なんでしょうか?」
「そんなこたぁ~、私が訊(き)きたいよ。今の流れで生きてくしかないじゃないか」
「それはそうなんですが、いつあの世界に戻らされるか、と考えると、僕は不安なんです」
「それは私だって同(おんな)じさ」
「いったい、なぜ僕達だけがこうなったんでしょうね?」
 工藤は空(から)になったコーヒーカップを啜(すす)りながら言った。
「分かりゃ苦労しないよ…。まあ、平凡に毎日を送るしかないか」
「…ですね。当たり障(さわ)りなく…」
「無事に元へ戻ったんだから、今のところ何もなかったときと同じだ」
「そうでしょうか? なんか、課員達が洗練されたように僕には映るんですが…」
「洗練された?」
「ええ、毒が抜けたというか…。仕事もノルマ制が消え、テキパキと熟(こな)しますしね。なんか、今までのダラつき感が全然、ないんですよ」
「毒が抜けたか、ははは…。いや、そういや、そうだなあ。俺達を苦しめた、あのノルマ制がない。いつ消えたんだ? そうか…別世界にいた間にか」
 篠口は思い当たる節(ふし)があった。だが結局、自分達が別世界へ紛(まぎ)れ込んだことと課員達が解毒され洗練されたこと、そして仕事のノルマ制が廃止されていたことの三つの謎(なぞ)は拭(ぬぐ)えなかった。コーヒー一杯で散々、語り合った挙句、結論が出ないまま二人は別れた。
 次の日は何事もなく、一日が終わった。そしてまた次の日が巡った。
「おはようございます、社長! お早いですね? お車は?」
 出勤した篠口がエントランスへ入ると課員の平林羊一が声をかけた。状況は数日前の朝とまったく同じだった。篠口は呆然(ぼうぜん)とし、心が真っ白になった。
 

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2014年7月25日 (金)

短編小説集(13) 解毒<12>

「以前、どこかでお会いしませんでしたか?」
「はて? …どうでしたか。お出会いしたような、しなかったような…。ははは…世間は広いようで狭いですからな。どこかでお会いしたかも知れませんが…」
 藤堂は語尾を濁した。
「ははは…そうですな。もう、うちの上層部には?」
「はあ、さきほど顔つなぎだけはしました。なにせ、この会社は私の融資部が調査した結果、あなたの営業第一課が営業利益のすべてを担っていると見ましたからね」
「それで、態々(わざわざ)…」
「そういうことです。会社上層部はどうでもいいのです。私の方針は、利益ある直接取引ですから」
 そう言って、藤堂はニンマリと笑った。少なくとも今は秘書官の藤堂じゃない…と篠口は思った。秘書室長だった山崎茉莉が現実の世界では今年入社の新人秘書だったことを思えば、将来の展開として藤堂が政界へうって出て首相秘書官になることも十分予想された。だから、少なくとも今は、なのである。二人がしばらく話していると、係長の工藤が特別応接室へ入ってきた。そのとき、藤堂は不思議なものをみるようにジッ! と工藤の顔を見た。
「あなたは、もしや工藤さん?」
「はい、部下の工藤謀と申します。以後、ご昵懇(じっこん)に…」
 工藤は内ポケットに入れた名刺を取り出し、藤堂に手渡した。
「どっかでお会いしたような…。不思議な感覚です」
 藤堂は工藤の名刺を受取って自分の名刺を返し、首を捻った。
「ははは…まあ、世間は広いようで狭いですから」
 篠口は取り繕うように話へ割って入った。その後は、何事もなく、しばらく話をすると藤堂は席を立った。
「今後ともよろしく! では、いずれまた…」
「いえ、こちらこそ…」
 篠口はドアを出る藤堂に軽く頭を下げ、工藤も従った。
 退社時間となり、篠口と工藤は時間差で会社を出た。工藤とは駅前のフリーズで落ち合う約束だった。

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2014年7月24日 (木)

短編小説集(13) 解毒<11>

「軽率だったな。だが、これで判明するぞ、現実離れした世界のすべてが…」
 篠口はトーンを下げて、前に座る係長の工藤に言った。
「はい…」
 工藤は机の書類に目を通しながらの姿勢で、そう返した。
「ただいま、秘書室の山崎から特別応接室の方へ藤堂専務をお通しした、とのことでございます」
 ふたたび、平林が課長席へ近づいて言った。山崎? …聞きおぼえがある名だ、と篠口は思った。
「秘書室長の山崎茉莉君か?」
「えっ? 山崎は今年の入社でございますが…」
 平林は訝(いぶか)しげに篠口を見た。秘書の山崎は存在するか・・ただ、秘書室長ではなく新入りの秘書として…。篠口は頭が混乱しそうだった。
「課長、お待たせしては…」
 考え込む篠口に工藤が忠言した。
「分かってる…」
 篠口は課長席を立つと特別応接室へと向かった。
 篠口が特別応接室のドアを開けると、応接セットのソファーに座る藤堂の後ろ姿が見えた。
「いや、どうも…。お待たせしました!」
 篠口は早足で藤堂の正面へ回った。その顔は、やはり秘書官の藤堂だった。一瞬、躊躇(ちゅうちょ)した篠口は、冷静になろうと自(みずか)らに言い聞かせながら藤堂の対面の椅子へ腰を下ろした。
「お初にお目にかかります。私、このたび着任いたしました開成銀行の藤堂です…」
 そう言いながら藤堂は、背広から名刺入れを取り出し、その一枚を篠口に手渡そうとした。篠口も背広から名刺入れを取り出し、二人は同時に名刺を交換した。おいおい、お前は首相秘書官じゃなかったのか? とは思ったが言えず、篠口は[開成銀行・専務取締役]と印字された名刺を見た。

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2014年7月23日 (水)

短編小説集(13) 解毒<10>

「係長も起きて下さい!」
 二人は徐(おもむろ)に身体を起こし、辺りを見回した。すべてがなかったことのように、以前の状態へ戻っていた。
「今日は何日かね、安藤君」
「嫌ですね、課長。きのう、明日は開成銀行の藤堂専務にお会いになるとおっしゃっておられたじゃないですか」
 藤堂専務・・ああ、そういや新任の…と篠口は思いだした。篠口は支店から抜擢人事で就任した藤堂専務とは一面識もなかった。まてよ、藤堂?! まさか、あの秘書官の藤堂? と一瞬、篠口は鳥肌が立った。
「秘書官の藤堂? ははは…そんな馬鹿な話はないよな、工藤?」
 安藤が席へ戻ると、篠口はすぐ前の工藤に訊(たず)ねた。今までの現実から乖離(かいり)した世界が工藤と共有されていれば、工藤は秘書官の藤堂を知っているはずだった。
「はい、まさか…」
「ということは、君もあの世界にいたのか?」
「ええ、いましたよ。課長もですか?」
「ああ…」
 二人は沈黙し、青ざめた。
 それから一時間後、篠口はちょうど、決裁を済ませたところだった。それを見計らったように、課員の平林が課長席へ近づいてきた。
「課長、ただいま連絡がありまして、開成銀行の藤堂専務が、まもなく到着されるとのことです」
「ああ、そうか…。ありがとう」
 篠口は、これであの藤堂かが判明するぞ・・と思った。
「我々はどうしたんだろうな、工藤? いや、こんなバカな現実がある訳がない。夢だ夢だ、ははは…夢だ。だろ? 工藤」
「ええ、そう思います。僕が官房長官な訳がありません」
 二人は顔を見合わせて、笑い転げた。多くの課員達が一斉に、課長席と係長席の二人を見遣(みや)った。二人はすぐ表情を素へ戻し、笑いを止めた。

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2014年7月22日 (火)

短編小説集(13) 解毒<9>

 閣僚達は、ただポカ~ンとして聞くだけだった。
「オホン! 総理が言っておられることを要約いたしますと、サラ金地獄に陥った我が国を、なんとかしよう! という決意なのです」
 咳払いを一つすると、工藤は官房長官になりきって上手くその場をとり繕(つくろ)った。篠口も少し言い過ぎたか…と思った矢先だったから、ほっとした。しかし我ながら、よくもまあ、こんな大胆な発言が出来たものだと、篠口は首を捻った。この時点で、篠口と工藤の身に起こった事象の歪(ゆが)みは、少しずつ終息の方向に動き始めていた。そのとき、秘書官の藤堂が血相を変えて閣議室へ入ってきた。藤堂はドアを閉め、篠口に駆けよるや、絶叫した。
「総理、偉いことです! 石橋国連大使が国連事務総長に決定しました!」
 知らない人物だったが、石橋? とは訊(き)けず、篠口は総理として慌てるな! と自分に言い聞かせた。
「そうか…。藤堂君、そりゃ偉いことでもなんでもなかろう。すばらしいホットニュースじゃないか。ねえ、皆さん!」
 篠口は余裕の笑いで閣僚達を見回した。閣僚達から誰彼となく拍手が湧き出し、閣議室に谺(こだま)する。篠口も工藤も、いつのまにか合わせるように拍手していた。篠口は表面上は笑顔で手を叩きながらもその実、ますます訳が分からなくなってきたぞ…と不安感に駆られていた。その心境は工藤もまた同じだった。俺は篠口課長の部下の係長でいいんだ! 誰か元に戻してくれ!! と懇願しながら…。次の瞬間、工藤が見る閣僚達の姿が歪み始めた。工藤は思わず、目頭を手で押さえた。その現象は総理の篠口にも起きていた。須藤も歪んで揺れる閣僚達の姿に、思わず指で目頭を擦(こす)った。
 気づけば、二人は課長室にいて、互いの席でうつ伏せになりながら眠りこけていた。室内では一人、二人と出勤を始めた社員達が席に着きながら、ざわついていた。
「課長! おはようございます」
 女性事務員の安藤由香が篠口と工藤の肩を揺すった。

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2014年7月21日 (月)

短編小説集(13) 解毒<8>

そのとき篠口は工藤のことを考えていた。恐らく、この流れで行けば、奴が官房長官じゃないか、と…。
 やがて車はスムースに公邸前へ横づけされた。
「官房長官は工藤だったな?」
「はい、そうですが…」
 藤堂はふたたび、不信な表情を露(あら)わにし、篠口を見た。
「ははは…最近、健忘症ぎみでな。ド忘れすることが多いんだよ。一度、医者に診てもらわんといかんな」
「それは剣呑ですね。お大事になさって下さい。日本にとって、大切なお身体なんですから」
「ああ、ありがとう」
 篠口はそう返すしかなかったが、当てずっぽうの予想は、やはり的中していた。工藤が長官か…。はて、これからどうする…。なるに任せるしかないか…と、篠口はテンションを下げた。解決の糸口が見つからないのだから仕方がなかった。
 ここは首相官邸である。内閣総理大臣となった篠口はテレビカメラと取り巻き連中に囲まれ官邸内に入ったあと、四階の閣議室へと直行した。閣議が迫っていますと補佐官の二宮に促されたからである。篠口としては、その前に工藤に会っておきたかったのだが、二人きりになる場は公式の場では不可能に近かった。余りにも周囲に人の気配が多過ぎたのである。
 篠口が閣議室に入ると、すでに閣僚は取り囲むように着席していて、テレビのニュース画面で見た映像が再現された。フラッシュが光り、篠口は中央へ座った。閣僚メンバーは一面識もない連中ばかりだった。ただ一人、官房長官らしい工藤だけがニヤリとして軽く頭を下げた。篠口の頭は白紙で、何を語っていいのかもまったく見当がつかなかった。なると、ままよ! とドサッ! と椅子に座ると、篠口は日常、思っている自論をぶちあげた。各社マスコミが室内から撤収した直後である。
「君達、どう思ってるんだ! 日本はこのままでは破綻(はたん)するぞ! 今こそこの国を、解毒せねばならんのだっ!」
 篠口はすでに総理になりきっていた。演じている気持も失せ、普段の思いの丈を吐露していた。

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2014年7月20日 (日)

短編小説集(13) 解毒<7>

「お待たせしました…」
 篠口は歩き始めた。篠口の前方に1名、後方に1名のSP風男がいかめしくガードして歩く。篠口の右横には藤堂がいて、歩調を合わせる。
「もっといつものようにお威張り下さい。今日の総理は少し怪(おか)しいですよ?」
 藤堂はニンマリとした。俺が総理で、いつも威張っているだって…。篠口は現実から乖離(かいり)した展開に、思わず笑い転げた。前後の男はギクッ! と驚いて歩を止め、藤堂も停止して篠口を窺(うかが)った。 
「ど、どうかされましたか?! 総理!」
「いや、失敬。なんでもない。ちょっと想い出したことがあったんだ…」
 篠口は、なるに任せるしかないな…と半ば諦(あきら)めた。
 やがて、連れていかれた・・と表現していい状況で高級車の後部座席に乗せられた篠口は、車中の人となった。横に添乗する藤堂は終始、押し黙っている。そのとき篠口にまた、一つの疑念が甦(よみがえ)った。
「総理って、公邸住まいじゃなかったのかな、普通は…」
「えっ? ああ、そのことですか。幽霊は嫌だから引っ越さないって言ってられたじゃないですか。私と一緒に住もうってご冗談も…」
 俺、そんなこと言ったか?・・とは返さず、篠口は黙って頷(うなず)いた。
「ああ、そうだったね…」
 車は永田町界隈へ入り、速度を幾らか落とした。
「まもなく公邸です」
「私はどうしたらいいの?」
「いつものように公邸でしばらく、ゆったりして戴いて、首相官邸へお送りさせて戴きます。その後は、総理のご意向のままに。官房長官とご相談を…」
「ああ、そうだよね」
 秘書官の藤堂は一瞬、顔をそむけ、これが総理か? という不信の表情を露(あら)わにした。

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2014年7月19日 (土)

短編小説集(13) 解毒<6>

 その日は、どうにかこうにか社長としてのスケジュールを熟(こな)し、篠口が疲れた身体を引きずるようにマンションへ戻ったのは夜の七時過ぎだった。工藤へ携帯を入れる気持の余裕もなく、社長としての時間を費やして帰宅したのだった。正確には確かに一度、トイレでかけようとしたことはあった。だが、「社長! どうかされましたか?!」と、お付きに入口の外から声高(こわだか)に叫ばれればそれも、ままならない。その後も車付きでの移動で、ようやくマンションへ着き、解放されたのだった。
「工藤か? どうだった?」
 マンションのドアを閉じると、篠口は、いの一番に携帯を握っていた。
「どうって、恐らく課長と同じ展開だったと思います」
「ということは、専務の一日か?」
「はい…」
「そうか…。実は俺も社長の一日だったんだ」
 しばらく二人は話したあと、明朝七時半に会社前で落ち合うことにした。少し早めにしたのは、他の社員達が出勤する前がいいだろうと判断したからである。
 翌朝七時、篠口は玄関チャイムで起こされた。うつろな目でドアレンズを覗(のぞ)くと、屈強なSP(セキュリティポリス)風の男が2名と手提げの黒カバンを持った背広服の若者が一人、立っていた。
「総理、お迎えに参りました」
「えっ?! もう一度、お願いします。どちらさまでしょう?」
「嫌ですよ総理、ご冗談は。私ですよ、秘書官の藤堂です」
「藤堂?」
 篠口には、まったく心当たりがなかった。それより、総理と呼ばれたことに篠口は仰天していた。幸い、朝食も済ませて出勤する矢先だったから、すぐ出られることは出られた。
「はい! 今、出ますから…」
 よくよく考えれば、首相が公邸にいないのが妙だが…と、思えた。だがまあ、歴代首相の中には自宅通いされる人も結構いるからな…と、頷(うなず)いた。それはそれとして、篠口は革靴を履くと、慌ててドアを出た。

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2014年7月18日 (金)

短編小説集(13) 解毒<5>

「そんなこと、私に訊(き)かれましても…」
 工藤は迷惑顔で返した。よく考えれば、確かに工藤が言うように、どう社内が変化しているかが先行き不透明なのである。分からないまま数秒、沈黙が続き、チ~ンと音がした。続いて静かにドアが開き、二人はエレベーターを降りた。
「とにかく、お前は専務室へな。俺は社長室だ!」
「はい!」
 緊張した声で工藤が返し、二人は別れた。まるで、ビルへ突入した特殊部隊だ・・と篠口は、しばらく前に見た映画を思いだしていた。
 篠口が社長室へ入ると、秘書室長の山崎茉莉(やまざきまり)がいた。
「おはようございます、社長」
 一、二度、出会った記憶はあったが、名前は知らなかった。篠口は名札をジッと見た。
「どうかされましたか?」
「い、いや…なんでもない。それより川辺社長…いや、川辺君は?」
「川辺? …でございますか? …あのう、社の者でございましょうか?」
「あっ! いや、間違えた。なんでもない。いいんだ、いいんだ…」
 篠口は慌てて取り消すと、社長席へドッカ! と座った。昨日までの課長席とは数段、心地よかった。社長って・・こうなんだな…と少なからずテンションが高まった。
「今日のご予定は、十時から取締役会、正午から帝都ホテルで鈴木グループの鈴木会長との会食、その後、懇親会が予定されております」
「…懇親会?」
「いつものゴルフ場でございますが…」
 茉莉は怪訝(けげん)な表情で篠口の顔を窺(うかが)った。篠口としては、それ以上、訊けなかった。社長なら当然、知っているからだったが、ゴルフはグランドゴルフを青年会で齧(かじ)った程度の篠口なのだ。
「今日は体調がすぐれん。懇親会は日延べさせてもらうよ。そう、連絡しておいてくれたまえ」
 咄嗟(とっさ)に出た自分の言葉ながら、上手い! と篠口は、ほっとした。

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2014年7月17日 (木)

短編小説集(13) 解毒<4>

「おはようございます、社長! なにかご用でしたか?」
 席から慌てて立ち上がり、駆けよるように篠口に近づいたのは課員の平橋羊一だった。
「お前、なに言ってる!」
 小馬鹿にされたようで篠口は少し、むかついた。
「なにって言われましても…」
 平橋は、それ以上は恐れ多くて言えない・・という顔つきで自席へ戻った。篠口にしてみれば、なにがなんだか理解できない。おっつけ、工藤も出勤してくるだろうから、それで事情が判明するだろう…と思え、篠口は不満ながらも課長席へは座らずUターンして課を出た。
 篠口がドアを閉じたとき、通路の向こうから係長の工藤が近づいてきた。
「おお! 工藤か。お前に」
 篠口がそこまで言おうとしたとき、工藤が話を切った。
「いや! 私から訊(き)きたいくらいですよ、課長」
「だよな! 俺は課長だよ。そうだろ?!」
「そのはずなんですが…。私は受付で『専務、おはようございます』と女子社員2名に挨拶されまして…」
 工藤は不安げに小さく言った。
「俺は社長って、今し方、平林に言われたぞ」
「課長は社長ですか…」
「どうも状況が変わってないのは、私と君だけみたいだな」
「ええ…。さあ、どうします?」
「とりあえず、皆に合わすしかないだろう。すべては、それからだ」
「はい! じゃあ、課長は社長室へ行かれるんですね?」
「ああ。君は専務室へな」
「はい、分かりました!」
 二人はエレベーターへ向かった。専務室と社長室は数階上だった。
「待てよ…。おい! だとすれば、社長や専務はどこへ行くんだ、工藤?!」
 エレベーターが上昇するなか、急に篠口が口走った。

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2014年7月16日 (水)

短編小説集(13) 解毒<3>

 そのとき、女店員が注文の品を持ってきたので、二人の会話はしばらく途切れた。無言で二人は飲み食いした。篠口は特に空腹だったから、話す暇(いとま)がなかった。
 十数分後、食べ終えた篠口が、下流へ放出されるダムの水のように口火を切った。
「俺達って、死ぬまで今のままか? な! お前どう思う」
「死ぬまで、ってこっちゃないでしょ」
「ああ、まあな。やめるまでだが…」
 篠口は一瞬、押し黙った。
「一度、あの社長席へ座ってみたいもんです。あの回転椅子のクッションが心地よさそうです」
「ははは…お前は能天気でいいな。俺にはそんな発想、浮かびもしなかったぜ」
「まあ、専務席でも常務席でもいいんですが…。少し心地悪くなりますがね」
 そんなこたぁ有り得ないだろう…と思えた篠口だったが、下がったテンションは一気に回復し、大声で笑い転げた。幸いフリーズの店内に客の姿はなく、遠くで棒立ちする女店員だけが訝(いぶか)しげに大声で笑う篠口を見る程度で済んだ。二人はその後もしばらく語り合い、店を出ると別れた。その後ろ姿は傷ついた二匹の狼が互いの傷を舐めあう姿に似通っていた。
 次の朝、出勤した篠口は会社のエントランスへ入ろうとしていた。今日からまたホルマリン漬けか…と、恐らく定刻には退社できない想定を胸に秘めて、篠口はエレベーター前に立った。そのとき、おやっ? と首を傾げる事態に篠口は気づいた。昨日までとは明らかに違う篠口に対する社員達の態度だった。すべての者が停止し、一歩下がって篠口に一礼する。篠口は、おいおい! やめてくれよ・・と口が開きかけたが、思うに留めた。状況が錯綜し、篠口の頭を混乱させていた。何故、自分に頭を下げるんだ? という疑問がまず、芽生えた。とりあえず、課へ行こう・・と篠口は急いだ。篠口が昨日まで座っていた課長席はあった。篠口は安心感からか、ほっとした。

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2014年7月15日 (火)

短編小説集(13) 解毒<2>

 篠口が冷蔵庫の水をコップ一杯飲んだとき、携帯がバイブした。着信は工藤からだった。
「篠口さん、今、どこですか?」
「俺か? …ああ、家だ。お前は?」
「私は駅前にいます。よかったら出てきて下さい。いつもの店で待ってます」
 篠口は腕を見た。すでに九時半ばになっていた。フリーズへは十分内外で行けた。
「よし! じゃあ十時でどうだ」
「いいですよ。先に入って待ってます」
 話はすぐに纏(まと)まった。
 背広を脱いだ姿での出会いはラフで疲れがとれるから、篠口はいつもそうしていた。工藤は決まりの背広姿だった。一張羅(いっちょうら)と見え、数年これ以外の姿を篠口は目にしたことがなかった。
「待たせたな」
「いや、私も今入ったばかりですから…」
 二人が話してるところへ若い女の店員が近づいて来た。
「そうか…。俺、腹減ったから、海鮮ピラフとミックスジュース。お前は?」
「私はアメリカン…」
「以上ですか?」
 常連だから深くは訊(き)かず、女店員は水コップを二つ置くとそのまま楚々と去った。
「昨日は、きつかったな」
「昨日は、じゃなくって、昨日も、ですよね」
「ああ、そうだな。…ここ最近、当たり前だ。どう思う?」
「どう思うって、やるしかないんじゃ」
「ノルマ制ができてから、半端なく疲れる」
「取らないと・・という気疲れもありますよね」
「そう…。お前とコンビだから、なんとかもってるが、一人なら、とっくに部外者だ」

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2014年7月14日 (月)

短編小説集(13) 解毒<1> 

 ようやくマンションに辿(たど)り着いた篠口彰夫(しのぐちあきお)は、ドアを閉じた瞬間、崩れるように残業で疲れた身体を玄関フロアーへ横たえた。瞬間、これが酒の酔いなら最高だろうな…と、瞼(まぶた)が潤んだ。そして、それもつかの間、篠口は眠気に俄かに襲われ、そのまま深い奈落の底へと沈んでいった。
 牛乳配達員が表の受け箱へ瓶を入れるガラス音が微かにし、篠口は目覚めた。窓からは薄明るい翌朝の光が差し込んでいた。ああ・・昨日は一睡もせず仕事に忙殺されていたんだった。のんびりと決裁印を押してふんずり返っていたいよ…と、篠口は、ぼんやりと思った。
 篠口は、いつの間にか会社に毒されていたのかも知れない。
「内示が出たよ、篠口君、来週から君は営業第一課長だ、おめでとう」
 部長の坂巻静一(さかまきせいいち)に言われたときは小躍りしたい気分の篠口だった。あれから二年か…と、篠口は思った。よくよく考えれば篠口は営業第一課課長という巧妙な餌で釣られた小魚だった。気分は日々、萎(な)え、まるで少しずつ毒を飲まされて弱る魚に思えた。
 そんな篠口にも工藤謀(くどうはかる)というただ一人の心を許せる係長の部下がいた。
 幸い、この日は創業記念日で篠口は会社を休めた。緩慢に立ち上がった篠口は、玄関へ脱ぎ散らかした靴を揃えると洗面所で顔を洗った。鏡の奥には、無精髭の窶(やつ)れた自分がいた。篠口にはその理由が分かっていた。ノルマ達成のために、ここ数日、無理を承知の日々が続いていたのだ。慰めといえば工藤と屋上で交わす三十分ばかりの会話だけだった。創業記念日で休めたこの日も、篠口にはまったく予定など立っていなかった。まずは疲れを取ろう…と、篠口は思っていた。次の日からは、またノルマを熟(こな)さねばならない。営業第一課長として、課員達を叱咤激励(しったげきれい)するのは正直なところ、もう嫌だった。だから、自ら残業で工藤と駆け回り、営業純益のノルマを達成しようとしていたのだ。実のところ、会社はそこまで強いてはいなかった。というのも、会社は営業第一課で支えられていたからである。二課、三課は名ばかりの存在だったのである。

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2014年7月13日 (日)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <12>

<12>

 やはり、街並み風景が違っていた。というか、すべてが一変していた。坪倉は、とりあえず家の外へ出て、表戸を閉めた。そして、一歩前へ歩を進めようとした。しかし、足は動かず、停止したまま、その場に凍りついた。高台の住宅地に建つ坪倉家の前は、一昨日(おととい)まで歩道を鋏んで同じような家並みが続いていたのだ。それが、今日も完全に消え失せ、家の前には駅が出現していた。坪倉がもう一度、目を擦(こす)りながら見返すと、家の正面前は駅の入り口になっていた。通り過ぎる大衆は、さも当然のように、なんの違和感もなく駅の構内へ吸い込まれていく。三軒左隣に住む部下の底村水男がそのとき偶然、坪倉家の前を通りがかり、坪倉に気づいた。
「坪倉課長! おはようございます」
「…底村君か、おはよう」
 …この場面は、昨日(きのう)とまったく同じだと坪倉は思った。それに自分が話していることも、一字一句違わず同じなのが不思議でならない。もちろん底村の言葉もだし、美郷の出がけの言葉もだった。
「どうかされたんですか? そんなところにジッとされて…。早く行かないと、遅刻ですよ」

                           
refrain

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2014年7月12日 (土)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <11>

 <11>

 あああ…坪倉は呻(うめ)きともつかない声をあげていた。頭がどうかなりそうだった。
━ よし! ひとまず眠ろう…。俺は疲れているんだ…すべては幻影だ…すべてが… ━
 坪倉は深い眠りへと落ちていった。
 いつの間にか夜になっていた。薄闇がベッド前の窓ガラスに見てとれた。坪倉はベッドから出ると、もう一度、窓下に広がる景色を見た。眠る前と同じ、昨日(きのう)までと変わらない近隣の住宅屋根が見えるばかりだった。寝室を出て階下へと戻り、口を漱(すす)いだあと、美郷の手料理を味わった。
「あなた、もう大丈夫なの?」
「ああ…やはり疲れてたんだろうな。長い夢を見たような気分だよ、ははは…」
 坪倉は笑い捨てて、すべてを忘れようとした。それで今朝からの不可解な出来事は、なかった…と思いたかった。しかし、その坪倉の思いは次の朝、無残にも打ち砕かれた。
「行ってくるよ!」
 玄関で声をかけたが妻の美郷(みさと)の返答は小さく、「は~い」である。ただ、それだけである。20年も前は、こんなじゃなかった…と鬱憤(うっぷん)を募らせながら坪倉満は家を出た。おやっ? 昨日もそう思ったったはずだ…と気づいたが、そのままにした。そして、ガラッ! っと表戸を開けて驚いた。

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2014年7月11日 (金)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <10>

 <10>

「俺、少し寝るよ。疲れてるみたいだ。起こさないでくれ」
 坪倉は少しトーンを下げていった。
「分かった…」
 美郷(みさと)は察したのか、ひと言だけポツリと返した。それ以上、夫婦の会話はなかった。坪倉は階段を上ると二階の寝室へ直行し、寝室横にあるクローゼットの中へ乱雑に背広を収納した。そして、ネクタイを外すとワイシャツも脱がずにベッドへ倒れ込み、静かに両の瞼(まぶた)を閉じた。坪倉はふと、ズボンを脱いでいないことに気づき、立ち上がったとき、閃(ひらめ)いた。
━ そうだ! 窓からの眺(なが)めで確認できるじゃないか! ━
 美郷のいうことが正しいなら、二階からの眺めは駅などない、昨日までの住宅が広がっていることになる。だが、今し方、帰ってきた自分を信じれば、家の前には歩道を挟んで尾振(おぶり)の駅舎が建っているはずだった。さて、いずれなのか…坪倉の胸は高鳴った。窓際へ寄り、坪倉は閉じられていた厚手のカーテンに恐る恐る手をかけた。次の瞬間、坪倉はもう一度、自らの目を疑う光景に遭遇していた。つい先ほど降りた尾振の駅舎はホームごと、どこかへ消えていた。眺めは妻の美郷がいったように、昨日までのなんの変化もない見馴れた幾つもの住宅の屋根と所々に植えられた庭園の樹木の緑であった。では、俺はどこから家へ帰ってきたというのだ…。記憶を辿(たど)れば、確かに尾振駅は出たはずだった。30分以内のことだから疑う余地はなかった。それに、自分以外にも乗降客はいたし、駅構内へ出入りする人の姿もそれなりにあったのだ。それが今は、すべてが消え去っていた。

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2014年7月10日 (木)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <9>

 <9>

『尾振(おぶり)~、尾振でございます』
 ブシュ! とドアが開き、坪倉が駅ホームへ降り立つと、いつもの街並みが見えた。やれやれ、元に戻(もど)ったんだ・・と坪倉は少し安心した。ところが、改札を抜けると、ホームから見えたいつもの街並みは消え失(う)せ、坪倉の家が正面に現れた。やはり戻っていない…と、坪倉は怖ろしさと気落ちを同時に味わった。しかし、よく考えてみれば便利なのは便利なのだ。今までは上り勾配(こうばい)の街並みを我が家まで10分ばかり歩いて帰らねばならなかった。その厳(きび)しさが今日はない。歩道を挟んで、すぐ前に我が家がある。訳が解明できない怖さは残るが、楽だった。
 駅を出ると坪倉は道幅がわずか2mばかりの歩道を垂直に抜け、家の玄関戸を開けた。
「あらっ? 今頃どうしたの、あなた?」
 客だと思ったのか、慌(あわ)てて奥から飛び出してきた妻の美郷(みさと)が怪訝(けげん)な顔つきで坪倉を見た。
「いや、ちょっと気分が悪くなったから早退させてもらったんだ」
「大丈夫? 病院に行った方がいいわよ」
「病院へは行ったんだ、その帰りさ。医者は別にどこも悪くないっていうんだが…。それよりさ、家の前に駅ってあったっけ?」
「駅って、尾振(おぶり)駅?」
「ああ…」
「なにいってるの、おかしい人ね。歩いて10分ほど行ったところじゃない。あなた、本当に大丈夫?」
 美郷は靴を脱いで上がった坪倉の顔を心配そうに窺(うかが)った。

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2014年7月 9日 (水)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <8>

  <8>

 病院を出ると会社へは戻らず、坪倉は帰宅することした。駅構内に入り改札を抜けてホームに立った。そこで坪倉はふたたび、我が目を疑った。つい今まであった・・いや、病院を出て・・本社前に戻り・・で、駅へ入ったのだ。それが、つい今だった。営林開発ビルの姿は坪倉の目から消えていた。そこには、昨日まで勤めていた風景があった。ということは・・本社ビルは野豚(のぶた)通りに移動したということになる…と坪倉は思った。次の瞬間、ブシュ! っという音がし、目の前の列車の開閉ドアが開いた。坪倉は列車がホームに入ってくるのも気づかず、物思いに耽(ふけ)っていたのだった。
━ まあ、とにかく家へ戻(もど)ろう。外で考えるのは危(あや)うい。それに、家前にある駅に着いたとき、昨日に戻っていることもある。いや、間違いなくそうに違いない。今し方の尾振(おぶり)のホームだって戻っていたじゃないか ━
 自問自答している間に、坪倉はいつの間にか列車に乗っていた。
『皆さま、本日は山猫鉄道をご利用いただきまして誠に有難うございます。この電車は土竜(もぐら)発の蚯蚓(みみず)行でございます。蚯蚓まで各駅に停車して参ります。次は犬鼻(いぬばな)~、犬鼻でございます。北横線(ほくおうせん)は乗り換えとなります』
 馴れた車掌の声で、坪倉はハッ! と我に返った。車内は空(す)いていたらしく、窓際の席に坪倉は座っていた。腕を見れば10時を少し回っていた。いつもなら決裁印を押している時刻だった。

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2014年7月 8日 (火)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <7>

  <7>

 坪倉のかかりつけの総合病院は尾振(おぶり)の駅から徒歩で5分ばかりのところにあった。だが坪倉は、そんなに近い病院ですら、現実に自分の目で見てみなければ安心できない疑心暗鬼に陥っていた。家、会社と二度もズレていた経緯をたどれば、坪倉が思う位置に病院が存在しないことも充分、有り得たからだ。
 早朝会議を早々に切り上げ、坪倉は早足で病院へ向かった。右折左折して徒歩5分、病院は記憶の位置にあった。
「おおっ!」
 坪倉は思わず安堵(あんど)の声を漏らしていた。よかった…と素直に思えた。
「妙ですねぇ~。別に悪いところは見当りませんが…」
 二、三の簡単な検査を済ませたあと、女医は笑みを浮かべていった。
「そうですか…。あのう…つかぬことをお訊(き)きしますが、営林開発は駅前に以前からありました?」
「えっ?」
 場違いな質問に女医は一瞬、面くらった。
「あっ! ああ…。そこの会社ですか? ええ、五年前からあるようですよ。この病院が出来たときにはあったって聞いてます」
「そうですか…」
「それが、どうかされました?」
「い、いえ、別に…」
 これ以上いえば変人に思われる危険性もあり、すぐに坪倉は否定した。
「そうですか…。お疲れなんでしょう。目薬をお出ししておきます」
 女医は優しい笑顔でそういった。

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2014年7月 7日 (月)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <6>

  <6>

「このビル、いつ建ったんだっけ?」
 早朝会議が始まる前、坪倉は底村に突然、訊(たず)ねた。
「えっ?! 急になんです、課長。まだ建って、五年ですよ」
 底村は呆(あき)れたようにいった。
「ああ、そうだった、そうだった。最近、物忘れが激しくていかんな、ははは…」
 坪倉は笑って誤魔化した。
「野豚通(のぶたどお)り、知ってるよな?」
「野豚通り? 聞いたことがないですね。この街ですか? …野豚」
 底村はニヤけて含み笑いをした。坪倉は昨日までその野豚通りの本社ビルに勤めていたのだ。ビル自体は昨日までと少しの変化もなかったが、その位置が完全にずれていた。しかも、坪倉の家と移動している状況が完全に一致しているのだった。
 やがて、課員から厳選されたいつものメンバ-が会議室へ現れ、早朝会議が始まった。どう考えてもそんな馬鹿なことはないはずだ、俺はおかしくなったんだ、はやく医者に診てもらわねば…と思うと、坪倉は早朝会議で話す部下の言葉も耳に入らなかった。
「では、そういうことで…。新菌種の生態に関しては継続研究するということで…。それで、よろしいですね、課長?」
 会議進行役の底村が隣に座る坪倉にいった。
「あっ? ああ…」
 坪倉は、意味が分からないまま了承した。

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2014年7月 6日 (日)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <5>

  <5>

 営林開発(株)は新規産業で370名ばかりの本社社員を擁(よう)し、新種のキノコ販売を中心とした会社である。坪倉は130名の研究開発課長で、その部下の底村は開発係長だ。会社の始業時間は8:30からだった。
 幾つかの駅をへて、列車は定刻の8:20に尾振(おぶり)の駅ホームへ滑り込んだ。坪倉、底村がいつも降りる駅である。しかし、坪倉は列車がスゥーっとホームに停止したとき、また一つの異変に気づかされた。ホームの向こうに見えた景観は営林開発本社ビルのすぐ前だった。今度こそ俺は夢を見ているか、おかしいのだろう…と、坪倉は思わざる得なかった。
「今日は、どうもおかしい…。私は会議が済んだら早退させてもらうよ、底村君」
「はあ…それはいいんですが。早く診てもらわれる方がいいですよ。風邪ですか?」
「いや、そうじゃないんだが、どうも目がおかしい」
「眼科ですか? お大事に」
「ああ、あとはよろしく頼む」
 坪倉は、敢(あ)えて駅前に会社があったか? とは訊(き)かなかった。底村に否定されるだろうと予想できたし、これ以上、妙な人だと思われるのは避けたかった。課長のプライドが許さなかったのである。
 営林開発(株)は新規産業としては割合、大きな企業だ。本社の他にも支店、営業所が全国規模で数十ヶ所、展開されていた。これも偏(ひとえ)に、栄光グループ傘下の子会社だというバックの支えがあったからだが、坪倉や底村達の研究部門には余り関係がなかった。

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2014年7月 5日 (土)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <4>

  <4>

「いつも思うんですが、この鉄道、面白い名前の駅が多いですね、課長」
 突然、なにを思ったのか、右横の底村がクスクス…と含み笑いをした。
「ああ…」
 坪倉としてはどうでもいいことで、面白くもなんともない。いや、それよりも、駅の前にあった今日の我が家・・それが現実なのかどうなのか、頬を抓(つね)ってみたい気分なのである。こんなときによくもまあ、シャーシャーと笑えるもんだ…と次第に怒れる坪倉だった。
『まもなく犬鼻(いぬばな)~、犬鼻でございます。北横線(ほくおうせん)は乗り換えとなります』
 そのとき、車掌がふたたび、独特の名調子で車内アナウンスを流した。このアナウンスも昨日までと少しも変わらない。となれば、やはり今の状態は現実なのか? いや、待て! 俺の家は駅の前なんかじゃない! そんなとこには断固としてないぞ! こうなったら、会社で地図を調べてやる! 坪倉の脳裡にパソコン画面で住所地図を検索する自分の姿が浮かんだ。そして、これですべてを理解できるはずだ…と坪倉は確信した。幸い、今日は早朝会議以後のスケジュールは空いていた。課内の決裁は、たかが知れている。パソコンで検索する余裕は充分あった。
 列車が犬鼻駅に着くと、多くの乗客が降りた。それと同時に多くの乗客が乗り込んできた。それまでの間に坪倉と底村は空いた席へ余裕を持って座ることができた。
「この駅へ着くと、やれやれですね。僕は少し寝ます」
「ああ…」
 底村が目を閉じた。坪倉にはどうでもいいことで、会社じゃないんだから、いちいち了解をとるなよ! と、そんな底村を煙たく思えた。

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2014年7月 4日 (金)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <3>

  <3>

「課長、来ました!」
 前の景色を見ながらぼんやりと坪倉が考えていたとき、いつもの六両編成の列車がホームへ流れるように入ってきた。列車が停車し、プシュ! と音がして自動ドアが開くと二人は乗り込んだ。このパターンはいつもと変わりなく、坪倉は少しの違和感も感じなかった。車内はある程度込んでいて、座席は埋まっていたから、好都合だ…とばかり坪倉は家の方角を向いて吊革を持つことにした。底村も上司の横に従った。
「君さ、前に何が見える?」
「何がって…、いつも見る建物ですよ」
「それって、おかしかないか? 俺の家が見えないのさ」
「そりゃそうでしょうよ。課長の家は数百m離れてるんですから」
「えっ!!?」
  お前! さっきは家の前に駅があるっていったじゃないか! と、少し矛盾を感じた坪倉だったが、そのままスルーした。自分の視覚もおかしいから、人のことはいえなかった。
「私、なにか変なこといいました?」
 底村はマジで問い返した。
「いや。だったか? …だよな」
「はは…やっぱり、なんか今日の課長、おかしいです」
 自動ドアが開き、新たに次の駅の乗客が乗り込んでくると二人の会話は途絶えた。坪倉はまだ今朝の展開が信じられず、夢の中だと思えていた。
『皆さま本日は山猫鉄道をご利用いただきまして誠に有難うございます。
この電車は土竜(もぐら)まで各駅に停車して参ります。次は犬鼻(いぬばな)~~、犬鼻~~』
 毎日聞いている車内アナウンスを車掌が流暢(りゅうちょう)に語りだした。

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2014年7月 3日 (木)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <2>

  <2>

「ああ、別に…」
「駅の中の出店ですか?」
「えっ?! ああ、まあ…」
 これ以上、訊(き)いては拙(まず)い…と坪倉は思い、適当に暈(ぼか)した。
「そういや、最近、出店が変わりましたよね。あそこの日替わり弁当、美味(うま)いんで好きです」
「そうだな、ははは…」
 坪倉は笑いで誤魔化(ごまか)した。
「さあ、急ぎましょう! 今日は早朝会議があります、課長」
「ああ…」
 目の前に映る景色は、どう考えても夢としか思えない。坪倉はそれでも部下の底村の手前、凍りついた両足を緩慢(かんまん)に動かし始めた。
 駅自体が変わったということではない。昨日まで数百m先には、この光景があったのだ。ただ、今朝はそれが家の前に移動していた・・ただ、それだけのことなのだ。いや、坪倉には駅構内に入っても、自分の視覚が信じられなかった。改札を抜けホームへ入ると、不思議なことにいつもの街並みが見えた。おかしい? と坪倉は思った。家の前に駅があるのだから、科学的な常識で考えれば、駅ホームからは坪倉家の景観が望めるはずなのだ。しかしそれが、まったく見えなかったのである。

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2014年7月 2日 (水)

怪奇ユーモア短編小説 坪倉家前の駅ホーム <1>

  <1>

 「行ってくるよ!」
 玄関で声をかけたが妻の美郷(みさと)の返答は小さく、「は~い」である。ただ、それだけである。20年も前は、こんなじゃなかった…と鬱憤(うっぷん)を募らせながら坪倉満は家を出た。そして、ガラッ! っと表戸を開けて驚いた。
「おやっ!!? そんな馬鹿な…」 
 昨日までの街並み風景が違っていた。というか、すべてが一変していた。坪倉は、とりあえず家の外へ出て、表戸を閉めた。そして、一歩前へ歩を進めようとした。しかし、足は動かず、停止したまま、その場に凍りついた。高台の住宅地に建つ坪倉家の前は、昨日(きのう)まで歩道を鋏んで同じような家並みが続いていたのだ。それが、今日は完全に消え失せ、家の前には駅が出現していた。坪倉がもう一度、目を擦(こす)りながら見返すと、家の正面前は駅の入り口になっていた。通り過ぎる大衆は、さも当然のように、なんの違和感もなく駅の構内へ吸い込まれていく。三軒左隣に住む部下の底村水男がそのとき偶然、坪倉家の前を通りがかり、坪倉に気づいた。
「坪倉課長! おはようございます」
「…底村君か、おはよう」
「どうかされたんですか? そんなところにジッとされて…。早く行かないと、遅刻ですよ」
 家の外玄関をそんなところに、といわれたのは心外だったが、そう違和感もなくポン! といわれたところをみると、自分が変なのか…と坪倉は思った。
「駅さ、前からこんなところにあったかい?」
「えっ? なに言ってられるんですか。ずっと、ありましたよ。課長、大丈夫ですか?」
 底村は坪倉の体調を気にして、怪訝(けげん)な表情で訊(たず)ねた。

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2014年7月 1日 (火)

短編小説集(12) 狐狗狸[コックリ]さん

 中学1年のときでした。職員室へ呼ばれた須藤君と桜庭(さくらば)君は生活指導の教師、川沼先生に注意されました。
「まあ、今日のところは大目にみよう。次回からは、ご家族を呼んで厳しく指導するぞ! もう、帰ってよろしい」
 二人は、ぺコリと頭を下げると職員室を出ました。須藤君と桜庭君が怒られていたのは、放課後に教室で五目並べをしていたからです。担任の山村先生には、それほど好きなら部を作れよ、といわれていた二人でしたが、放課後に残る者が十人を超えたところで・・と密かに決めていたのです。それが、あと僅(わず)かのところで、生活指導の川沼先生の耳に入り、呼び出された・・という訳です。おそらく、クラスの誰かがチクったに違いない・・と二人は廊下を歩きながら語りあいました。
「いや、木瀬だよ、きっと…。あいつは怪(あや)しい」
「そうか? 僕は安岡だと思う」
 二人の推理は違っていました。校門を出ると、いつも二人が立ち寄る公園がありました。
「よし、コックリさんだ! コックリさんに訊(たず)ねてみよう」
「コックリさん? なんだ、それ?」
 須藤君は首を捻(ひね)りました。
「まあ、僕に任せろよ。十円硬貨、あるか?」
「あるけど…」
「よし! それなら訊(き)けるよ」
 桜庭君は、カバンから画用紙を出すと半切りにしました。続けてその上へ鉛筆で「はい」「いいえ」と書き込み、その間に鳥居を描きました。そして、その下へ五十音の平仮名と数字を書いたのです。
「それじゃ、始めるよ。僕のいうとおりにしてくれよ」
「うん…」
 分からない須藤君は桜庭君に従うことにしました。桜庭君は鳥居の上に十円硬貨を乗せると人差し指を硬貨の上へ置くよう指示しました。須藤君がそうすると、その上へ桜庭君も人差し指を重ねて置きました。
「コックリさん、コックリさん、どうぞおいで下さいませ。もし、おいで下さいましたら、{はい}へお進み下さいませ」
 桜庭君がそういうと、十円硬貨は不思議にも動きだし、「はい」と文字の位置へ移動して答えました。
「チクったのは誰ですか」
 桜庭君は続けました。すると、ふたたび十円硬貨は不思議にも動きだし、「か・わ・ぬ・ま」と動いて示したのです。二人はギクッ! としました。「か・わ・ぬ・ま」とは生活指導の教師、川沼先生をおいて他にはいないからです。二人は思わず、顔を見合わせました。辺りには夕闇が迫っていました。
「コックリさん、コックリさん、どうぞお帰り下さいませ」
 桜庭君は丁重(ていちょう)にそうお願いすると、指の下の十円硬貨が動きだして鳥居へと戻(もど)りました。
「ありがとうございました」「ありがとうございました」
 それを見届けた桜庭君は、そういいました。須藤君も桜庭君に合わせていいました。
「おい! 川沼先生だよ」
「ああ…。ということは、先生が僕達を見てたってことかな?」
 少し怖くなった二人は、急ぐように公園をあとにしました。
 二人がその後、それとなく川沼先生に訊(たず)ねますと、川沼先生は「よく分かったな? そのとおりだ!」と、いったそうです。
 …実は、この話には続きがあるんです。三日ばかり過ぎた頃、急に桜庭君が熱をだして学校を休んだのです。それだけではありません。時を同じくして、須藤君も足を捻挫(ねんざ)して学校を休みました。一人だけならそういうこともあるのでしょうが、二人同時でしたから怖い話です。
「僕、あの紙と十円硬貨、まだそのままにしていたよ…」
 翌週の月曜日、二人は登校し、校庭で話し合いました。桜庭君が調べてみると、紙は48分割に細かく破り捨て、10円玉は三日以内に使って下さい・・と、あったそうです。桜庭君は、ついうっかり、あと始末をしていなかったのでした。桜庭君と須藤君は、その紙を放課後の下校のとき公園で破ると屑かごに捨て、十円硬貨は缶ジュースに使ってしまったそうです。その後は、そういうことは起こっていません。これは、すべて僕が二人から聞いた話です。皆さんもコックリさんをやるときは注意しましょう。崇(たた)りは怖いですから…。

                   THE END

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