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2014年12月

2014年12月31日 (水)

生活短編集 32 鹿インフルエンザ 

 2034年、世界を震撼(しんかん)させた鳥インフルエンザが医学の進歩でようやく沈静化し、世界の人々はパンデミックスの恐怖から解き放たれた喜びで胸を撫(な)で下ろしていた。その喜びもつかの間、今度は奈良公園の鹿が相次いで死ぬという原因不明の事態が起こった。即刻、国立医療研究センター研究所の調査班SADが派遣された結果、新たな新種のウイルスが発見された。SADは、ただちに現場の消毒等を開始し、周辺への観光客等、人々の立ち入りを禁止した。マスコミは鹿インフルエンザ発生を新聞、テレビ等を通じ、華々しく報じた。
「安心して下さい! 鹿インフルエンザは、どうも馬にだけ感染するようです…」
 感染症制御研究部内の感染研究室では、研究員の高桑が室長の中山を前に興奮して話していた。
「馬鹿か…」
「えっ?」
 高桑は自分のことを言われたと思い一瞬、顔を強張(こわば)らせた。
「いや、失敬! 君のこっちゃない…」
 その言葉で少し落ち着いた高桑は、物静かになり中山の言葉を噛みしめた。
「あっ! なるほど…。鹿から馬で馬鹿ですか」
「そう。君が少し入り込んでるんで、駄洒落(だじゃれ)で凝(こ)りを解(ほぐ)してやろうと思ってな」
「有難うございます。でも僕、そんなに凝ってませんから!」
 高桑は意固地に言い返した。中山は高桑の性格を知っているからか、それ以上は言わなかった。
 鹿インフルエンザの猛威は凄(すご)く、瞬く間に奈良の鹿の四分の一近くが死んでいった。このままでは神の遣(つか)いとされる鹿が死滅すると、ウイルス感染がないと断定された陰性の鹿の全国移送が決定し、ただちに開始された。
 一週間後、妙なところから鹿インフルエンザの特効薬が判明した。それは馬の毛から抽出された成分だった。感染した鹿にその成分を元に作られたワクチンを筋注したところ、鹿は元気になったのである。まさしく、馬と鹿は切り離せない…と研究室内は笑いで沸き返った。その後の研究で犬と猿でもやはり同じ研究成果が出た。

                            完

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2014年12月30日 (火)

生活短編集 31 夢か… 

 国連本部のビルだ…と、小学校五年の俊也は思った。だが、なぜ自分が飛行機のようにフワフワと二ューヨーク上空を飛んでいるのかが分からなかった。その疑問を深く考える間もなく場面は変わった。俊也は国連本部の中を見学していた。国連の女性職員と思われる外人に日本語で説明を受けていた。その外人の日本語は流暢(りゅうちょう)だった。同級生もたくさんいて、俊也は彼等の中の一人として、ぞろぞろと歩いていた。よく見れば職員だけでなく、内部にいる人々はすべてが日本語で話していた。  
『あそこに浮かんでいる航空母艦は国際連合の所有物で、多目的な平和利用のために使用されています』
 職員が指さす方向には、確かに航空母艦が見えた。ただ、その空母は俊也がテレビで見た航空機を甲板(かんぱん)上に一機も搭載していなかった。
『ただ今、艦内では、ユネスコ主催による世界言語学会が開催されております。艦内には世界各国から選ばれた言語学者が一堂に会し、地球上のどこでも通じる新たな地球語開発を行っています』
 ほう、そうなんだ…と、俊也は単純に思った。そのとき、一人の同級生が突然、質問した。
『甲板にあるアレはなんですか?』
 同級生が指さす方向を見ると、妙な屋台があった。どう見ても、夜鳴き蕎麦(そば)屋の屋台だった。
『ああ、アレですか。アレはお蕎麦の出店ですね。今日は日本のサービス・デーですから、甲板上では、他にも日本のいろいろな料理が艦内の人々に振る舞われます』
『ということは、お寿司とか?』
『はい、そうですね…』
 言葉のあと、
甲板上には次々とそれらしき出店が姿を現した。いつの間にか、ざわざわと学者達も現れ、勝手気ままに話しながら好きな食事を選んで移動している光景が見られた。俊也は皆と一緒にその光景を見ていた。そのとき急に場面が変わり、俊也は空母の中で美味(うま)そうにインドカレーを食べていた。
『俊也! 俊也! 起きなさい!』
 俊也は声がする方向を見回したが、辺りは海原に青い空だけだ。おかしいな…と俊也が思っていると、艦が俄(にわ)かに揺れ出した。それとともに俊也の意識は朦朧(もうろう)となった。
 気づくと、母が俊也の肩を揺すっていた。いつの間にか俊也はキッチンテーブルの椅子に座り眠ってしまったのだ。夕飯を準備する母が作ったカレーの匂いがした。俊也は、夢か…と思った。

                        完

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2014年12月29日 (月)

生活短編集 30 テリトリー 

 すべてのものには、その影響力を共有し、他の影響力を排除しようとする範囲がある。人はそれを領域(テリトリー)と呼ぶ。それはウイルスなどのミクロの世界から国や宗教、思想の違いで生じる人的摩擦というマクロの世界まで、全般に共通して存在する。
 浩輝はよしっ! とばかりに遊び仲間から勝ちとったビー玉を見ながら北叟笑(ほくそえ)んだ。これで当分の間、自分のテリトリーを侵略する手強(てごわ)い相手はいなくなったぞ…と思った。隣町からテリトリーを広げ、ついに決闘的な勝負となった今日の相手は、それほどの腕の持ち主だった。浩輝のビー球の命中率は、ほぼ百発百中で、よほどのことがない限り、僕に勝てる相手はないだろう…と、自負する腕の持ち主だ。その腕に匹敵するほど今日の相手は強かった。いつもは、小一時間で片づく相手だったが、今日はもう薄暗い夕闇が迫っていた。三時過ぎから始めたのだから、数時間は対戦していたことになる。相手は大物で、百発以上は持っていた。恐らく、あいつも僕と同じように多くの相手に勝って、せしめたのだろう…と浩輝には思えた。
「おはようございます…」
「おっ! おはよう」
 小学校への通学途上、先を歩いていた上級生が浩輝に挨拶し、立ち止って道を譲った。浩輝も馴れたもので、さも当然とばかりに落ちついて返事した。半年ばかり前、この辺りを牛耳(ぎゅうじ)っていた相手だったが、勝負の結果、浩輝によってスッカラカンになるまでビー玉を取られ、今では完全に浩輝を崇拝(リスペクト)していた。その上級生を尻目に、浩輝はこの辺りは完全に僕のテリトリーだな…と、まんざらでもなかった。
 だが、世の中は栄枯盛衰である。そんな浩輝の権勢も、あるときを境に衰え始めた。新しく転校してきた一年下の生徒によってである。その生徒のビー玉の腕は神童と呼ぶに等しかった。
 一年後、浩輝はその生徒とテリトリーを共有し、和解した。浩輝には、このままでは自分のテリトリーを失うぞ…という事前の先見性があったのだ。これが、戦国の現代を生き抜く道か…と、歴史好きの浩輝は、しみじみと子供心に思った。

          
                 完

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2014年12月28日 (日)

生活短編集 29 動く 

 じっとしていても埒(らち)が明かないから、ともかく動こうと、尾世は動くことにした。まあ、動いてから発想を組み立てながら目的地へ移動すれば、よしとしよう…という単純な発想である。
「動物は動くものさ、ははは…」
 生物学の俵教授はそう言うと、尾世の肩をポン! と軽く叩いた。俵教授と同じ郷里の尾世は、学生時代からなにかと俵と親交があった。大学卒業後、就職が内定せず困っていた尾世を研究室へ入れてくれたのも当時、助教授だった俵だった。
 ともかく動こうと家を出た尾世だから、目的など何もない。歩いているとポストがあった。そういや、そろそろ年賀の季節か…と尾世は思った。じゃあ、郵便局へ立ち寄るか…という頭脳内で発想の動きがあり、身体が動いた。正確には両足である。位置は分かっていたから現在地からは…と頭脳を巡らせ、歩道を右折左折していった。近道を選んで路地に入った途端、細い側溝の清流に黄色いボールが一個、流れてきた。なんだか知らないが…と思うでなく尾世の身体は動いて、その黄色いボールを拾っていた。テニスでもなければ野球、ピンポンの球でもない。はて? と、尾世はあんぐりした顔で考えた。
「おじさん、どうも有難う!」
 すると、遠くから尾世に向かって声がし、小学生の二人の男子が息を切らせて走ってきた。
「んっ? ああ…」
 尾世の手は無意識に動いて、その黄色いボールを返していた。そのとき、尾世の口は自然に動いて訊(たず)ねていた。もちろんその背景には、前段階でのボールに対する潜在意識が働いていたことは間違いなかったのだが…。
「これは、なんなの?」
「ああ、これ? カラーボールだよ。おじさん、知らないの?」
「ははは…馬鹿な。知ってるさ、もちろん。カラーボールだろ? カラーボールだよ。ははは…」
 尾世のメンツは潰(つぶ)れそうになった。尾世は笑って誤魔化した。自然と笑って暈(ぼか)そう! という命令が脳から出され、顔面神経が顔の筋肉を動かしたのである。子供二人は、訝(いぶか)しげな表情で尾世に軽くお辞儀すると走り去った。近くに咲いていた路地のタンポポは動かず、それでいて微かな風に揺れ動かされながら、尾世を馬鹿な男だ…という冷めた目で見ていた。

                             完

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2014年12月27日 (土)

生活短編集 28 雨漏[あまも]りするボロ家

 朝からポツポツ…と降り出した雨滴(うてき)が、昼過ぎにはザザァーと本降りとなり激しさを増した。こうなると、手の空いた子供は忙(いそが)しくなる。屋根のあちらこちらと、雨漏(あまも)りが始まるからだ。子供達は、それぞれが鍋と茶碗を持ち、天井を見上げながら滴(しずく)が落ちる床(ゆか)板へそれらを置いていく。床に畳は入っていない。夏は冷んやりとしていいのだが、冬場は冷たい上に、床下から隙間(すきま)風が吹き上がり、たいそう寒かった。
 雨は勢いを増し、しばらくすると、床(ゆか)の上を見てでないと茶碗や鍋を蹴飛ばしそうで歩けなくなった。
 中岡家の家族は夫婦と子供が六人である。日々、貧しい生活ながらも、この家に笑いが絶えたことはなかった。旦那の太治は三 反(たん)五 畝(せ)の田畑で農業をしている。妻の初江はその太治を手助けしているが、身籠(みごも)っていて、この春にはもう一人、七人目が生まれる予定だ。太治の信念は、ボロ家でも楽しい我が家である。家族に囲まれ、幸せに笑って暮らせるボロ家があれば、それでいい…という信念である。
小一時間、降った雨はようやく小降りとなり、夕方近くには幸い、やんだ。太治は、ひとまずホッ! とした。やまないと小屋で家族が寝なければならない。というのは、茶碗や鍋が置かれた上に布団は敷けないからだ。テレビもラジオもない中岡の家では、楽しみは家族全員でやる双六(すごろく)遊びである。家族全員が参加し、60wの裸電球一ヶが照らす灯りの下で、ワイワイと食後、八時過ぎまで楽しむのだ。これには特典が付いていて、勝った者は翌日のおかずが一品、増えるのである。昨日は三男の太三が勝ち、朝一番で飼っている鶏の卵をせしめた。一番上の兄とすぐ上の姉はそうでもなかったが、幼い弟や妹達は羨(うらや)ましそうに太三の皿に乗った卵焼きを見つめた。太三はその羨望(せんぼう)の眼に耐えられず、弟や妹達に卵焼きを分け与えた。結局、太三が食べられた卵焼きは、ほんの一口だった。それでも、家族の笑い声は絶えず、長閑(のどか)なひとときが流れていった。これが中岡家の家風である。この家の中は、一歩外へ出た途端、殺伐とする世間とは異質の生活風景が存在していた。

                           完

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2014年12月26日 (金)

生活短編集 27 それでいい… 

 一生懸命やっているのだが、今一つ成績が上がらない耕太は、これが僕の実力か…と半分方、諦(あきら)め気分になっていた。だが、救いの神はいるものだ。担任が変わった小学四年の春、耕太の成績は俄(にわ)かに上がり始めた。担任の室川先生は新任教師だが、実に上手く生徒の個性を把握(はあく)して、一人一人にその個性を伸ばす方法をアドバイスした。先生は当然、クラス全員を対象にしていたから、耕太だけでなく、他のクラス仲間の成績も上がりそうなものなのだが、先生に言わせれば、それには先天的な個人差があるようで、すべての生徒の成績が極端に上がるということではない・・と父兄は家庭訪問で聞かされていた。
「ああ、出来なきゃ、それでいいよ。うん! それでいい…」
 室川先生の口癖である。耕太はその先生の言葉を聞くと解放されたような気分になった。すると、それまで筋道的に解けなかった問題や、思い出せない問題、考える問題が、もの凄(すご)く簡単に解答できるようになるのだった。結果として、耕太の成績は急上昇したのである。もちろんクラス仲間達も、それなりに上ることは上がっているようだった。クラスでは、先生を真似て、それでいい…と言うのが流行していた。
 となりのクラス担任は室川先生と真逆の教育方針をとっていた。必ず解かせる、思い出させる、考えさせる、・・という方針である。どちらの担任も相手の教育方針が間違っているとは思わなかったが、それでも自分の信念は曲げずに担任を続けていた。
 あるとき、ふたクラス合同の市展に出す図工があった。耕太のクラスは独創性で美術展入賞者が続出した。耕太の作品も特選・市長賞に選ばれ、トロフィーと賞状をもらった。別のクラスの生徒は一人も選ばれなかった。もちろん、その現象は偶然、起こったとも考えられた。しかし、必然的にそうなったと考えられなくもなかった。
 それ以降、学校は、[それでいい…]効果として、室川先生の教育方針を高く評価するようになった。

                            完

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2014年12月25日 (木)

生活短編集 26 遅刻 

 昨日は土曜だったから、今朝はゆっくり寝ていてもいいんだ…と翔太は半分、目覚めた意識の中で思った。ただ、もうひとつ確信が持てなかったのは、昨日が土曜だったというはっきりとした記憶である。はっきりしていれば、なんの問題もなくゆっくり眠っていられる。しかし、この寒い厳冬に、体温でほどよく温(ぬく)まった寝床(ねどこ)から出るのは気が進まない。上手くしたもので、翔太が眠るベッドからわずか1mばかりのところにテレビのリモコンがあった。それはいつもそこにあるから翔太の頭の中でその映像が浮かんでいた。翔太は無意識で、毛布を被(かぶ)ったままリモコンに近づき、手にして押した。
「七時のニュースです。濃霧の影響で始発から軒並み1時間から2時間の遅れとなっており、構内は通勤客で混雑しています」
 翔太は霧か…と最初思い、しばらくして通勤客? と思った。日曜に通勤客はおかしい? と瞬間、頭が巡ったのである。まさか月曜? いや、そんなことはないだろう。昨日、休んだじゃないか…とすれば、やはり今日は日曜だ…と、また翔太はウトウトした。20分ほど過ぎたときだった。翔太はハッ! と目覚めた。その目覚め方は尋常ではなく、ベッドからガバッ! と、直立する目覚めだった。それには訳があった。昨日は小学校の創立記念日で学校が休みだったのだ。そのことをうっかり翔太は忘れていた。蒼香ちゃんのお誕生パーティーに呼ばれ、すっかり創立記念日の休みだという記憶が飛んでしまった・・ということもあった。
 とにかく、急がねばならない。目覚ましを見れば、7時30分である。いつもなら、登校で家を出る時間だった。顔を洗うとか食事とかの考えは、まず捨てねばならない。着替えをし、今日は何曜だったか? と、次に翔太は巡った。7時35分になった。火曜だったことを思い出し、教科書とノート類を乱雑にランドセルへ詰め込んで部屋を出た。
「行ってきます!!」
「あら、翔ちゃん、どうしたの?」
「遅刻だよ、遅刻!」
 翔太は玄関へ走り、バタバタと靴を履(は)いた。ママの美紀が怪訝(けげん)な表情で玄関へ出てきた。
「あら! 今日は振り替え休日じゃなかったっけ?」
「えっ?」
「だって、そう言ってたわよ。創立記念日と振り替え休日で連休になるって」
「…そうだった?」
「ええ…。違った?」
「そうそう、そうだった。遅刻すると思った」
 翔太はホッ! として、靴を脱いで、ゆったりと上がった。
「それはいいけど、今日は8時から野球の試合でしょ?」
 翔太は遅刻だ! と、慌(あわ)ててランドセルを肩から降ろした。遅刻すると草野球の監督にお目玉を食(く)らうのだ。翔太は、またバタバタし始めた。

                         完

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2014年12月24日 (水)

生活短編集 25 大家族 

 この核家族化のご時世に、山奥の一軒家に、なんと137人で暮らす中松家という大家族がいた。これはもう、完璧なギネスもので、世界各国から好奇心半分の観光客が押し寄せていた。竹田城跡の比ではなかった。こうなれば、家族生活どころの話ではなくなった。なんといっても、広い敷地に137人が暮らしているのだ。そうはいっても、山奥である。家の周囲の田畑を子供が生まれるたびに増築し、継ぎ足し継ぎ足しでなんとも不格好な家の構造になっていた。家の入口から一番、奥まで普通に歩いても10分以上かかるのだった。
「え~~こちらに見えますのが、世界的に評判になっております中松家でございます。敷地面積が実に…」
 中年男の観光ガイドは隣で通訳する女性補助ガイドに小声で、「おい! なん㎡(ヘーベ)だった!」と呟(つぶや)
くように早口で訊(たず)ねた。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
 若い新入補助ガイドは手持ちのマニュアルを慌(あわ)てて捲(めく)り始めた。
「もう、いい!! …え~~、ははは…広い家ですよね」
 大半が外人だから分からないだろう…と誤魔化しを決め、中年男ガイドは笑って暈(ぼか)した。そのとき、家から軍勢のように一斉(いっせい)に子供や大人が飛び出してきた。中松家の一日が始まったのである。観光客は慌(あわ)てて左右に分かれ、軍勢の通路を開けた。中松家の人々は手を振りながらスターよろしく、登校やら出勤やらジョギングやら農作業やらに散らばっていった。空ではパタパタパタ…という喧(やかま)しい音を立てながら放送局のヘリが旋回している。
「見えるでしょうか! 皆さんが動かれ出ていかれます。え~~、こちら現場、中松家の上空から、白坂がお伝えいたしました!」
 ヘリの中では手持ちのVTR機材を手に眼下の中松家を映すカメラマンとリボーターがマイクロホン片手に叫んでいた。
 今日も中松家のスケジュールは、ぎっしりと多彩で、長老は政府主催の来賓として、皇室列席のもと、国際的な夕食会に招待されていた。

                            完

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2014年12月23日 (火)

生活短編集 24 仕事を追え! 

 田所は課長席の前に立ち、小さくなっていた。ジィ~~っと田所の顔を見ながら、時折り手元の書類に目を落とすのは会計課長の藤堂だ。
「突合(とつごう)はしたんだね?」
「はい…」
 藤堂の問いかけに田所は小さく返した。はい、間違いなく! と大きく返せないのは、やはり自信がなかったからだ。月例の監査が三日後に迫っていた。一週間前にはどうしても数千円の出どころが判明しなかったのだが、ようやく田所はその出どころを見つけ出し、再計算し直した。これでやれやれと思っていたところ、残念なことに結果はごく僅(わず)かな誤差が生じてしまった。その誤差は予算残額の計が少ないのではなく多過ぎたのである。予算の残額が多いのは結構なことだが、合わなければ監査は通らない。それが分かったのが藤堂の確認によってだった。その後、全係員を上げての再計算がなされ、間違いが発覚した。差引簿の誤記入だった。藤堂が決裁印を押す間際(まぎわ)だったが、きわどくその過(あやま)ちは正された。
 閉庁直後、田所は藤堂に呼び止められた。
「君はよくやってるが、結果がよろしくない。というのは、努力が足りないせいだと僕は思う。ははは…君は仕事に追われてるんだよ。きつく言えば、仕事を追え! ということだな。そのうち仕事の前に出られる。そうすりゃ、しめたものだぞ。仕事を待ちかまえて討ちとれる」
 藤堂は柔和な口調で田所を指導した。
「討ちとれますか?」
「ああ、討ちとれる!」
「分かりました…」
「コツコツやってる姿勢は高く買ってるんだよ。ただ、それだけじゃね」
「はい、頑張ります…」
 田所は次の日からそれまでより1時間早く出勤し、仕事に励むようになった。
『田所さん、参りました! 私の降参です』
 田所は誰も出勤していない職場を見回した。当然、誰もいなかった。
『田所さん、私は仕事です』
 声は差引簿だった。田所は唖然(あぜん)とした。
『課長さんの、仕事を追え! のひと言には参りましたよ。とうとう、私が追われてしまったようです』
 やはり、声は差引簿から出ていた。
「まあ、今後ともよろしく頼みます」
 不思議なことに田所は差引簿と違和感なく話していた。
『いや、こちらこそ。そろそろ、皆さんが来られますよ。では…』
 声が消えるとともに田所の意識も途絶えた。
「田所君!」
「…」
 課長の藤堂が田所の肩を揺すっていた。田所は机へうつ伏せになり、眠っていたのだった。
「仕事を追い過ぎたようだな。ははは…結構、結構!」
 課員達がぞろぞろと出勤してきた。

                           完

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2014年12月22日 (月)

生活短編集 23 定年後 

 須山は去年春、定年を迎えた。やれやれ、これで第二の人生が…と軽く考えていた矢先だった。部長の川北は、『ははは…今、君にやめられちゃ、誰も君のセクションが出来ないから困っちゃうんだよね~』と、軽く言われ、仕方なく延長して働くことにした。副部長待遇の嘱託としてである。
「よく降るね。20cmは積もったろう…。どうだい、帰りに一杯! もちろん、私の奢(おご)りだよ」
 川北は須山が退職しなかったから一応、幹部にもメンツが立ち、なにかと須山のご機嫌をとった。
「いいですね! それじゃ、遠慮なく」
 相変わらず雪が断続的に降る寒い日である。須山も少し温まりたい気分だったから、話は案外、スムースに纏(まと)まった。
 仕事が終わり、二人は会社を出た。いきつけの[烏帽子(えぼし)屋]は二十年前の開店以来、全店員が烏帽子を被(かぶ)って接客するユニークな店として好評だった。もちろん、美味(うま)くて安くてポリュームがあり…と至れり尽くせりだったからでもあるのだが…。
「定年後はもう一度、大学の医学部に入って医者になりたかったんですよ。そのために少しは貯めたんですけどね…」
 つくねをフゥ~フゥ~させながら、柚子(ゆず)味噌をつけて美味そうに食べ、須山は軽く笑った。
「そうだったの? なんか、引き止めて悪かったね」
 川北は熱燗の酒を口へ流し込んだ。
「ははは…いいんですよ。どうせ受かるかどうかも分からないんですから」
 須山はビールジョッキを一気にふた口、飲んだ。
「いや! 君だったら絶対、受かるよ。同期の私が保証する」
 川北が湯気の上がる豚肉を酢味噌で頬張る。 
「ははは…部長に保証されましてもねぇ~」
 そう言いながら、須山も負けじと湯気の上がる豚肉を酢味噌で頬張った。鍋が頃合いの湯気を立てて煮えている。二人の頬(ほお)に赤みがさし、少し出来あがってきた。
「部長はどうなんです?」
「俺かい? 俺の定年後はまあ、趣味のゴルフと盆栽いじりかな。ははは…まあ、定番だ」
「そういうのも、肩が凝らず、いいですよね!」
 べんちゃらではなく、須山はそう思っていた。医者は来世に予約するか…と。

                          完

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2014年12月21日 (日)

生活短編集 22 箱モノ 

「はい! 毎度、ありがとうございました」
「どうも…」
引っ越しも済み、業者が帰った。遠藤は室内にうず高く積まれた段ボールの山を見回し、深くため息をついた。これから、この段ボールとの戦いが始まるのだ。段ボールを組立て荷づくりを始めた・・まではよかった。部屋のモノを入れていくにつれ、思いのほか箱の数が増えていった。少し整理した方がよかったか…と、入れたモノをもう一度出し、持っていくモノといらないモノに別けていった。すでにこの頃から少しため息が出ていた。業者が来るのが明日だから放っておく訳にはいかないと、また続け、ようやく夜8時過ぎに片づいたのだ。そして、今日である。遠藤はすっかり疲れていた。会社の仕事は疲れれば要領でなんとか凌(しの)げたが、プライべートな自分のことは手を抜く訳にはいかない。引っ越し作業がその例だ。まあ、それでも…と、ひと箱、ふた箱と開け、いつの間にか眠ってしまった。気づくともう朝の十時だった。日曜だからよかったが、これが月曜なら完全に遅刻である。遠藤はホッとため息をついた。そのとき、外で音がした。なんだろう? と窓から覗くと空き地に何かが建つようで、工事が始まっていた。すでに鉄骨が組み立てられていた。遠藤の脳裡に段ボール箱が浮かんだ。その瞬間、建物が段ボール箱に見えた。遠藤は目を擦(こす)った。また、ため息が漏れ、遠藤はテレビをつけた。国会の予算委員会が映し出されていた。野党議員が公共工事の無駄を削減する質問をしていた。
「箱モノばかり作って、何も使われてないじゃないですか! そんな無駄な予算をなぜ使うんです?! その予算で作ったものを維持できていれば、トンネルの落盤事故は起こらなかった! 違いますか?!」
「丸太建設大臣!」
「総理! 総理の答弁ですよ!」
 賑やかなこった…と遠藤は画面を見ながら冷(さ)めた目で思ったが、ただ一つ、箱モノという野党議員の言葉だけが心に残った。
 その夜、遠藤は夢を見た。段ボール箱が遠藤のベッドを取り囲んでいた。
『遠藤さん! 起きて下さい。私達は箱モノです』
 遠藤は薄目を開けた。段ボール箱が話していた。
「なにか?」
『いや、別にどうのこうのじゃないんです。余り毛嫌いされるのもなんですから、少しはイメージを回復しようと皆で集まったんですよ』
「そうでしたか…。いや、君達は役に立ってるんだけどね。役に立たない箱モノが多いってことです」
『確かに三次元は無駄なモノが多いようですね、反省します』
「いや、君達じゃなく、人間が反省することです…」
 そのとき、映像が遠退き、気づけば朝だった。朝日が昇っていた。遠藤は箱モノのトラウマから脱け出していた。

                          完

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2014年12月20日 (土)

生活短編集 21 験(げん)かつぎ 

 ありとあらゆる全(すべ)てのことに験(げん)をかつぐ男がいた。この男の名は北矢洋二といった。験をかつぐとは、ある種の呪(まじな)いである。過去によい結果だったから、それと同じことをして吉兆を呼び込もうとする行為だ。
 白々と夜が明け始めた頃、北矢は自宅の離れにある専用の洞(ほら)の中で護摩木を焚いていた。今日の朝食のおかずは何にしよう…と迷い、精神を集中するためである。昨日(きのう)の朝は厚焼き卵を添えたが残念な一日になってしまったのだ。『よし! ここはひとつ験をかつごう…』と北矢は思った。三日前は納豆に白ネギを刻んで入れたものを添えたが、これがどうして、抜群の好結果を生んで、北矢フードの売り上げは跳ね上がったのだった。その験をかつごうというのである。そうと決断すれば北矢の動きは速い。アッ! という間に朝食の準備が整い、食べ終えていた。その間(かん)およそ15分。早食いは消化に悪そうだが、北矢は生れもって胃腸が弱く、雑炊とかお粥(かゆ)にして主食のご飯がわりにするのが日常だった。
「店長! また大口が舞い込みました! どうします? アルバイトを雇(やと)わないと品が揃(そろ)えられませんよ!」
 食後、洗い物をしていた北矢の携帯に責任者の坂波から一報が入った。
「ちょっと待ってくれ! 十分後にこちらから連絡する」
「分かりました…」
 坂波は携帯を切った。北矢は足早にそそくさと、ふたたび洞へ向かった。洞へ入ると座り込み、一心に護摩木焚きである。そして、五分ばかりが経過した。
『今を遡(さかのぼ)ること二年前…あのときもアルバイトを雇おうとしたんだ。ところが、その日を境にどういう訳か売れ行きが落ち始めたんだった…。よし、これだな!』
 北矢は立つとすぐ携帯を手にした。
「坂波君か! 悪いが大口は無理だ。当分は小口にしてくれ!」
「分かりました!」
 その日の夕方、坂波から北矢にまた携帯が入った。
「店長! 小口にしてよかったですよ。朝に電話した大口の取引先ですが、先ほど不渡りを出し、倒産しました!」
「そうか、よかったじゃないか。ははは…」
 坂波の携帯が切れた直後、北矢は夕飯のおかずを何にしようか…と護摩木を焚いていた。五分ばかりが過ぎ、おかずが決まった。北矢はそそくさと、炊事場へ向かった。どうも、しゃぶしゃぶに決まったようである。験がいいおかず、ということのようだ。
 これは余談だが、北矢が北矢フードへ出勤した日は一度もない。すべては坂波が店長代理で店を取り仕切っている。そのすべての采配(さいはい)は北矢への携帯で決まるのである。

                         完

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2014年12月19日 (金)

不条理のアクシデント 第五十話 ひまわり荘 

 ひまわり荘の住人は朝、太陽が昇り始めると、どの部屋の者も一斉(いっせい)に起き出す。そして、日没とともに一斉に眠るのだ。太陽が顔を覗(のぞ)かせない日は一日中、眠るという奇妙な生活を繰り返していた。で、ややこしい日はどうなのか? といえば、それぞれが自由で、好きな時に起きて眠るというのが通例になっていた。当然、近所の住人達は異端視し、煙(けむ)い目で彼等を見ていた。ひまわり荘は下階が左右5室づつ並ぶ10室で、二階も同じ構造で作られて10室分あったから、計20室構造のアパートである。
 アパートの表はチラホラと野草が生える空き地になっている。朝、入口から出てきた一番、古株の寺崎が両手を広げながらストレッチを始めた。その少し前から軽めのストレッチをしているのが元林である。こちらも同じくらい古くからこのアパートに住んでいる。二人は仲のいい中年女だ。
「あ~~、いいお天気ですわねぇ!」
 寺崎が元林に声をかけた。
「ええ! ですわね」
 いつもの挨拶と見え、ストレッチをしながらスンナリと元林は返した。するとしぱらくして、一人の老人が、ゆったりと出てきた。高山である。この男は、ひまわり荘の大家(おおや)を兼ねた住人で、いわばアパートの長老的存在だった。高山は女性二人と少し離れたところでストレッチを始めた。
「おはようございます!!」 「おはようございます!!」
 寺崎と元林は同時に高山へ挨拶の言葉を投げた。
「ああ、おはようさんです!」
 高山も二人に声を返した。しばらくすると、残りの17人が全員、背広、カーディガン、ジャージ、割烹(かっぽう)着など様々な服装で無秩序に出てきた。しかし、空き地の決めごとのように男女にきっちり分かれていく。いつの間にか二集団に別たれ、身近な者と挨拶を適当に交わしながらそれぞれストレッチをやり始めた。このストレッチも各自各様に身体を動かしているから、傍目(はため)には実に不 揃(ふぞ)いで見苦しい。そんな他人の目はお構いなしの住人達だった。
 今日は決められた家賃納付日である。ところが、滞納してもひまわり荘では大家からの請求がない。いわば、自由納付の決まりになっていた。大家の高山はこのアパートをボランティア気分で貸していた。いつでも納められるときに納めて下さいという方針で、要は、あるとき払いの催促(さいそく)なし、というやつである。だから、借りてから一度も納めていないという住人も数名いた。高山も忘れるほどで、形ばかりの帳簿は作っていたが、計算をしたことがなかった。お金を徴収しないアパートとしてギネスに申請すれば、間違いなく登録されることは疑う余地がなかった。ただひとつ、高山は気に入った者にしか部屋を貸さなかった。書類審査とかではなく、早い話、肩書などはどうでもよく、人間性である。これは! と高山を唸(うな)らせれば、まあ、衣食住(いしょくじゅう)の住の心配は本人が出ていくと言わないかぎり一生、保障されたと言ってよかった。 
「皆さん、今朝は月終わりの晴れの日ですから、ご都合がよろしければお持ち下さい。待っております。ああ、お悪い方は結構ですよ。いつものように朝から夕方まで私はおりますから、好きなときにノックして下さい」
「と、いいますと、大家さんは今日もカップ麺ですか?」
「はい、その予定をしております」
 一同からドッ! と笑声が起こった。
「では、これで解散しましょう。その前に、いつものご唱和をお願いします。よろしいですか? …今日も和(なご)やか、ひまわり荘! はいっ!!」
「今日も和やか、ひまわり荘!!」 「今日も和やか、ひまわり荘!!」…
 大家の高山に続き、全員が唱和する。
「明るく、のどかに暮らそうよ! はいっ!!」
「明るく、のどかに暮らそうよ!!」 「明るく、のどかに暮らそうよ!!」…
 全員が、ふたたび唱和した。 
「皆さん、有難うございましたぁ~~!」
 高山が他の住人達にお辞儀すると、他の者達もお辞儀し、ざわつきながら解散していく。出勤する者[太陽が出ている日とややこしい日だけ勤務する条件付きアルバイト]、ジョギングをする者、趣味を楽しむ者、小説家を目指す者…種々、雑多だ。ひまわり荘の一日が始まった。

                          完

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2014年12月18日 (木)

不条理のアクシデント 第四十九話 十一段

 プロ棋士二人による囲碁十段戦の対局が繰(く)り広げられている。辺りは静寂のみが支配し、時折り、パタパタと扇子を動かす音や記録係の読み上げる声などが小さく聞こえるだけで、あとは一切の気配がなかった。突然、後手番の平田十段の右手が動き、碁笥(ごけ)の白蛤(はまぐり)石がピシッ! と盤上に音高く打たれた。
「白18の4、ツケ」
 半分、睡魔に襲われウツラウツラと頭(こうべ)を垂れていた源田九段は、その石音にハッ! と目覚めた。うんっ? と打たれた白石を見つめると、次の瞬間、源田九段は那智黒石をより大きな音でピッシッ!! と盤上に打った。
「黒18の5、ハネ」
 すぐに平田十段の手が動いた。
「白18の3、ヒキ」
 記録係の声が静かに響く。盤上を見た源田九段が、ウッ! とひと声あげ、顎髭(あごひげ)に片手をやりながら揉(も)み始め、考え始めた。そして20分が経過したとき、考え倦(あぐ)ねた末(すえ)の源田九段は静かに黒石を一目(いちもく)盤上の隅に置き、対峙して座る平田十段に軽く頭を下げた。
「ありません…」
「えっ!?」
 平田十段は手の扇子を握りしめ、驚いた。記録係二人も同時に「さあ?」と顔を見合わせ、首を傾(かし)げた。無言の時が束(つか)の間、流れた。歴史的な前代未聞の珍事が棋院で起きた一瞬だった。
「ひ、平田十段の中押し勝ちでございます…」
 平田十段はこの一番に勝ち、十段位を防衛したのである。
「いやぁ~参りました。平田十一段」
「はぁ?」
 平田は源田の言葉が解せず、顔を窺(うかが)った。それでなくても、なぜ源田が投了したのかが平田には皆目、分からなかったのだ。かねてより囲碁界では奇才の変人と言われる源田である。
「ははは…ジョーク、ジョークですよ。それじゃ、お先に…」
 顎髭ををふたたび撫(な)でつけると、源田は席を立った。実はウツラウツラとしていたとき、源田九段は朧気(おぼろげ)に夢を見ていたのだった。その夢の中では雲の階段が続いていて、丁度、十段目が、やや広めの踊り場になっていた。そこには平田十段が悠然と笑顔で座っていて、源田九段を手招きしていた。源田九段は九段目の階段を踊り場へ昇ろうとするのだが、どうした訳か足が動かなかった。平田十段は、『それじゃ、お先に…』と言うと、立ち上がって十一段目の階段に昇り、腰をふたたび下ろした。そのとき、ピシッ! と石音がして、源田九段は束の間の夢から現実に戻されたのだった。夢の階段は十一、十二、十三段…と、ずっと続いていた。

                         完

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2014年12月17日 (水)

不条理のアクシデント 第四十八話  腰かけ峠

 今から数百年ほど前、とある山村に彦一という百姓が暮らしていた。その男が耕す田畑は、どういう訳か、山一つ越えたところにあった。いわゆる飛び地である。どうしてオラの田畑(でんばた)さ、山向こうにあんだ? と日頃から彦一は不思議でならなかった。彦一以外の村の者達は朝、田畑へ出て耕作し、昼になれば持参の昼飯を食べ、夕方前にまた家に帰れば事足りた。だが彦一の場合、そうはいかない。他の者達と同じ分の耕作をするには早く家を出て山を越えねばならないのだ。そして、山向こうにある田畑へ着いた早朝には、すぐ耕作を始める必要があった。だから、暗いうちから起きて朝飯用の握り飯を作らねばならなかった。朝飯は家を出て歩きながら齧(かじ)り、竹筒の水を飲んで渇きを癒(いや)した。しかも昼に飯を食らうのはいいが、八つ時には耕作をやめ、日暮れまでに家へ戻(もど)らねばならなかった。人の倍は働いたことになる。
 そんな日々を彦一が続けていたある日のことである。いつものように彦一は家を出て山の峠に差しかかった。あとは下りである。脚が勝手に下りて行くから、ほっとひと息つける気分になれるところだ。この峠は昔から腰かけ峠と呼ばれ、一度、腰を下ろすと天の使いが声をかけるまで立ち上がれない・・という腰かけ石の謂(いわ)れが伝わっていた。毎朝通る峠だから、彦一は当然、その腰かけ石の前を通った。しかし、村に伝わる謂れも知っていたから、彦一は見て見ぬ振りで通り過ぎるのだった。心では、そったら馬鹿な話だばねだ…と思いながらも、やはり怖さも手伝って通り過ぎていたのである。だが、その日は、少し彦一の気分が昂(たか)ぶっていた。同じ村に住む多恵という娘を嫁にする話が纏(まと)まったからである。彦一は浮かれていた。少し気分が昂ぶり過ぎ、峠に出た頃には疲れがどっと出た。そんなこともあり、彦一は腰かけ石に座ってしまったのである。すでに辺りは黄昏(たそが)れが迫っていた。しばらく座っていると、ようやく疲れも取れ、あとは下って村さ戻るだ・・と彦一が腰を上げようとしたときである。どうしたことか、彦一の身体は石に吸い寄せられたようにびくとも動かなかった。立とうとしても立てないのである。彦一の額(ひたい)に冷や汗が流れ始めた。そして、とうとう漆黒の暗闇が辺りを覆った。梟(ふくろう)の鳴く声がどこからか聞こえる。山下の村の灯りがチラホラと見えるのが彦一の唯一の救いだった。そのとき、一陣の風が舞った。赤い光が一瞬、輝き、声がした。
『なにをしておる、彦一よ! 浮かれるでない。この石に座ってはならぬ。今度(こたび)だけは日々の精進に免じて助けて遣(つか)わす。以後は、心せよ』
 声のあと、ふたたび赤い光が一瞬、輝き、風が舞った。彦一は嘘のように立つことが出来た。その後、彦一はその石には二度と座らず、妻と二人で幸せに暮らしたそうである。

                           完

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2014年12月16日 (火)

不条理のアクシデント 第四十七話 豆腐売り 

 今からもう、五十年ばかり前の話である。串木町にある細い路地伝いをいつも通る豆腐売りがいた。その年老いた豆腐売りの名は誰も知らなかったが、それでも滅法、美味(うま)いという評判が立ち、小一時間もすると、瞬く間に売り切れとなった。それもそのはずで、豆腐売りが自転車の荷台に積んで売るのだから、数は限られているのだ。豆腐だけでなく、油揚げも美味で好評だった。豆腐売りはすべて売れると音もなく消え去った。その気味悪さに、誰も豆腐売りのあとを追う者はいなかった。
 串木町には古くから祭られているお蔭(かげ)稲荷という小さな社(やしろ)があった。言い伝えによれば、人に助けられた狐がお礼にと、この辺りの住人を守っているのだという。なんでも、病気が退散したとか、枕元に狐火が燃えたとか・・話は十や二十では尽(つ)きず、人々は祠(ほこら)と社を奉納して参るようになったという話である。豆腐売りの油揚げや豆腐がすぐ売り切れたのも道理で、串木の住人はその買った油揚げをその社へ供えた。その油揚げは次の朝、綺麗に消えていた。
「ふん! どうせ、獣(けもの)かカラスの仕業(しわざ)に決まってる」
 串木の住人は誰彼となく、そう言った。
 ある日、またいつもの年老いた豆腐売りがどこからともなく現れた。自転車にはゴム球の先に金属製の笛が付いているラッパがあり、指でゴムを握ると、♪パプゥ~~、パプゥ~~♪と、鳴り響くのだった。その音がこの日も聞こえ出した。女房達は我先にと鍋を持って路地に急いだ。そして、この日もいつもより早めにすべてが売り切れとなった。
「ほんとに美味しいし、安いんで助かるわぁ~」
 一人の中年女がお世辞含みで言った。豆腐売りは手拭(ぬぐ)いを頭から顎(あご)にかけて巻いて括(くく)り、さらに薄汚れた帽子を阿弥陀に被(かぶ)っている。その頭を無言で軽く下げた。なにか話を期待していた中年女だったが、返事がないから黙って去った。皆が家へ戻ったのを見届けた豆腐売りは、辺りを見回すとスゥ~っと自転車とともに霞(かすみ)に変化(へんげ)した。それを二階の物干し台から見ていた男がいた。豆腐売りに声をかけた中年女の亭主である。どうも女房に豆腐屋が消える最後を見届けるように言われていた節(ふし)があった。男は霞の流れていく方角を目で追った。すると、霞はお蔭稲荷の鳥居の中へ入って消えた。男は妙だぞ? と訝(いぶか)った。その日の深夜、男はお蔭稲荷をじっと監視した。すると、誰もが寝静まった真夜中、一匹の狐が供えられた油揚げを自転車の荷台に積んだ箱へ入れ、木(こ)の葉を一枚置くとなにやら呪文をかけた。荷台の箱はたちまち白煙に覆(おお)われた。そして白煙が消えると、狐は箱の蓋(ふた)を開けた。箱の中には豆腐やら油揚げが一杯に入っていた。油揚げは供えられたものではなく、新しい油揚げに変化しているようだった。男は近づき過ぎて、滑(すべ)りそうになった。その音を狐は見逃さず、たちまち、自転車とともに姿を消した。
「まさか…」
「いや、まちげぇねぇ~!」
 亭主は女房に、かくかくしかじか…と一部始終を話した。次の日以降、豆腐売りは姿を見せなくなった。そして、供えられた油揚げも次の朝、そのまま残るようになった。
 そんな串木町のお蔭稲荷に纏(まつ)わる話を私は子供の頃、聞かされた記憶が残っている。

                          完

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2014年12月15日 (月)

不条理のアクシデント 第四十六話 選挙 

 竹谷は国政選挙を終えて帰ってきた。よく考えれば、今日しなければならないことはあった。だが、今まで行かなかったことはなかったから、台風が接近する中、惰性で行った・・というだけのことである。お蔭で傘が一本、強風で駄目になったが、まあ、買い替えようと思っていたからいいか…と軽く流した。竹谷は誰がいいとかは全く決めていた訳ではなかった。しかし、投票所へ行くことだけは前夜、決めていた。投票所へ入り選挙用紙を係員からもらい、鉛筆で記入した。昨日(きのう)、最後に耳に入った選挙演説の立候補者を書いた。なかなかいい声で演説が上手く、マスコミが注目していたから印象に残ったということもある。政策とかは、まったく竹谷の念頭になかった。
政策とかは、まったく竹谷の念頭になかった。
 帰って暖房を入れ、竹谷は温(あたた)かいココアを喉(のど)に流し込んだ。その途端、ふぅ~っと身体が和(なご)み、人心地ついた。
 深夜、選挙速報を見ながらふと、竹谷は思った。期日前投票が出きるのだから、当日だけじゃなく、三日ほど有効期間を設けたらどうなんだろう。そうすれば投票率も50%を下回ることがないんじゃないか…と。有効期間が三日の投票券である。一票の格差も確かに問題だが、民意を反映させるには制度も弄(いじ)らないと駄目だろうと、竹谷は、また思った。選挙のたびに一票の格差問題で選挙無効の訴えが起こる昨今だが、なんか足元を見忘れているように竹谷には思えた。
 仕事疲れからか、いつの間にか竹谷はウトウトした。竹谷は晴れ渡った青空を見ながら歩いていた。ポケットには選挙用紙があった。目の前に投票所が近づいてきた。不思議なことに投票所の方が竹谷の方へ近づいていた。竹谷は、おや? っと思い、立ち止った。投票所は竹谷の前、数mのところまで近づくと、ピタリ! と止まった。
『お待ちしておりました!』
 竹谷はギクッ! とした。総理大臣以下、テレビでよく見る顔がずらりと並んでいた。竹谷は、まるで自分が国賓(こくひん)待遇にでもなった気分がした。そのとき、電話が鳴る音がした。竹谷は懐(ふところ)へ入れた携帯を弄(まさぐ)ったがバイブはしていなかった。辺りを見回したとき、建物や人々の姿がぼやけ、意識が遠 退(の)いた。
 竹谷が気づくと、部屋の電話が鳴っていた。竹谷は夢を見ていたのだった。
『お待ちしております!』
「えっ?! どちらさまで…」
『先ほど投票所前でお会いしましたが…』
 話のあと、笑い声がした。竹谷は、そんな馬鹿な! と思った。そしてゾクッ! と身体に寒気(さむけ)を覚え、怖くなった。

                           完

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2014年12月14日 (日)

不条理のアクシデント 第四十五話 天下の回りもの 

 リストラで働き場を失った釣海は、ハローワークの失業保険金でどうにか月々の生活を凌(しの)いでいた。そして、今日もハローワーク通いである。最初のうちはよかったが、半年もすると係の堀田は釣海を見るたびに嫌な顔をするようになっていた。
「少し高望みなんじゃないですか? 釣海さん。この辺りのランクで手を打たれた方がいいんじゃないでしょうか…」
「ええ、それはまあ、そうなんでしょうが…。今一つ、私にはしっくりしないんですよ」
「まあ、お電話しておきますから一度、行ってみて下さい。私も上から言われるんで…」
 堀田は後ろに座る上役席をチラ見し、頼み顔で軽く頭を下げた。
「分かりました。じゃあ、とりあえず行ってはみます」
 [行ってみます]とは言わず、[行ってはみます]と、[は]を入れたのが釣海の味噌である。一応、あなたの顔は立てましょう・・という上手投げの言いようだから本末転倒で、どちらが係員なのか分からない。実は堀田は釣海の近所で顔なじみだった。子だくさんで平職員の堀田の生活も、なかなかどうして、自分と変わらず大変なように釣海には見えた。だから、出世して金を少しでも家計へ…という気持も分からないではなかった。ともかく、そんなことで、釣海は堀田が紹介した潮路干物(ひもの)産業へ行くことを了解した。
 潮路干物産業は割合、分かりやすい海岸伝いにあった。外見はどう見ても漁村の一軒家だった。
「うちは家内規模でやってますんで、そう多くはお出しできませんよ」
「やはり、そうですか…」
「どこへ行かれても、ご希望の額を出すところは…」
 ねぇ、あんたもその辺は分かるでしょ? という顔を潮路はした。
「はあ…」
「まあ、この額でよろしければ、いつからでも来て下さい。お待ちしてます」
 案の定、希望した額はもらえそうになく、釣海は、ご返事はハローワークから…と暈(ぼか)し、潮路干物産業をあとにした。帰る途中、釣海は携帯で堀田を呼び出し、かくかくしかじか…と伝えた。
『やはり、駄目でしたか。まあ、仕方ないですね。一応、私の顔も立ちましたし…』
 堀田の声は最後の方が聞こえないほど小さくなった。
『えっ?! はあ。まあ、そういうことで…』
 語尾を濁して携帯を切るのが、いつの間にか釣海の常套(じょうとう)手段になっていた。
 ハローワークへ行く日がまた巡り、釣海はハローワークの通用門を潜(くぐ)ろうとした。そのとき、ふと後ろから釣海は声をかけられた。
「ははは…また、お見かけしましたね。私も失業中でして…」
 釣海が振り返ると白髭(しろひげ)の初老の男が笑って立っていた。釣海にはまったく面識がなく、見た覚えもなかった。こんな男…いたかな? と、釣海は訝(いぶか)しげに軽く頭を下げた。
「我々にはなかなか回りませんな、金は。天下の回りものといいますが…」
「はあ…」
「そのうち、あなたには回るでしょうが。ははは…」
 二人は一緒に自動ドアを入った。
「釣海さん!!」
 堀田が渋顔で釣海を呼んだ。上司の手前、内心とは別の作り顔である。釣海はレギュラー席のように馴れた所作で堀田に対峙(たいじ)して座った。
「あのう…あの方も失業中なんですか?」
 釣海は小声で堀田に訊(たず)ねた。
「えっ?! どなたです?」
 堀田は辺りを見回した。釣海も見回したが、一緒に入ったはずの男の姿は忽然(こつぜん)と消えていた。
「あれっ? おかしいなぁ~…」
 そんなことがあり、相変わらず釣海はハローワークへ通っていたが、その日は振り込みの日だった。釣海は引きだしたあとの通帳と現金を確認して唖然(あぜん)とした。通帳残高は1億を超えていた。

                          完

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2014年12月13日 (土)

不条理のアクシデント 第四十四話 揃[そろ]えて下さい 

 日々、仕事に追われる野上は弱音を吐かない性格からか、窶(やつ)れながらも頑張っていた。帰宅するのがやっとで、いつも玄関で靴を脱がず、崩れるように爆睡しているのだった。気づけばいつも深夜帯の十時を回るのが常であった。空腹対策はそうなることを見越して、駅近くにある常連の食堂で済ませ、改札を潜(くぐ)った。そんな毎日が続いていたが、この日もいつものように残業を済ますと野上は常連の食堂で食事を済ませ、箸を置いた。すでに野上の意識は時折り朦朧(もうろう)とし、睡魔が忍び寄っていた。
『あっ! お客さん。揃(そろ)えて下さい!』
 野上は、辺りを見回した。客はもう一人いたが、その男は少し離れたカウンターで静かにラーメンを啜(すす)っていた。声はこの男ではない…とすれば誰だ。野上は店主を見た。店主は調理に集中していた。どうも店主でもなさそうだ…と思った。残るのは若い店員だけだった。調理待ちで、金属トレイを片手に隅に立っている。
「今、なにか言った、君?!」
「…?」
 野上に声をかけられ、店員は怪訝(けげん)な顔をして自分を指さした。
「そう!」
「えっ? なにも言ってませんが…」
「揃えて下さい、ってさ」
「はあ?」
「まあ、いい…。親父さん、勘定、ここへ置くよ!」
「へい、まいどっ!!」
 店主は野上を見ず、声だけ投げた。信用というほどのことではないが、注文や支払いの額が同じという、いわば常連客という馴染みの愛想だ。野上は空耳の内容が気になったのか、乱雑に置いた器を整えて立った。野上が後ろ向きになったとき、また声がした。
『そうそう…』
「えっ?!」
 野上は振り返った。
「お客さん、どうかされました?」
 店主が訝(いぶか)しげに野上を見た。
「いや、どうも…」
 野上は眠気のせいだ…と思った。駅→車内→駅と、どうにか耐えたが、家へ戻った途端、やはり野上は睡魔に襲われた。気づけば、いつものように靴を履(は)いたまま眠り、玄関に横たわっていた。気づいた野上はフラフラと立ち、靴を脱いで奥の間へ行こうと後ろを向いた。そのときである。
『あっ! 旦那さん。揃(そろ)えて下さい!』
「んっ? …」
 野上は突然、声を背に受け、振り返った。だがそこには、静まり返った玄関があるだけである。やはり、睡眠不足のせいだ…と野上は思った。野上は、ふたたび後ろを向いて歩き始めた。
『だめだめ! 揃えて下さい!』
 野上は確かに声を聞いたぞ、と再々度、振り返った。しかし、状況は同じで、静まり返った玄関があるだけである。野上はひと通り辺りを見回し、最後に玄関下へ視線を落とした。すると、乱雑に脱ぎ捨てた革靴が散らばっていた。野上はきちんと揃え、下駄箱の上へ置いた。
『そうそう…』
「えっ!?」
『それでいいですよ、もう…』
「ええっ?!!」
 野上は置いた靴をじっと、見つめた。
『だから、もういいんですよ。今後もきちんと、揃えて下さい』
 野上は自分の耳を疑ったが、声は厳然と聞こえていた。
『そうすれば、仕事も捗(はかど)り、片づきますよ』
「はい…」
 野上は靴に返事をしていた。
 それ以降、野上は物をきちんと置くことにした。すると、不思議なことに野上は仕事に追われなくなり、野上から疲れや眠気は消え失せていった。

                          完

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2014年12月12日 (金)

不条理のアクシデント 第四十三話 ため息 

 三日前に降ったのだから、もう一度くらい降るだろうが、ここしばらくは降らないだろう…と山並は軽く思っていた。だが、その考えは甘く、朝起きたとき、雪はまた降り積もっていた。
「なんだ! またかよ…」
 静かな佇(たたず)まいの雪景色は好きだが、また疲れるか…という雪 掻(か)きをする自分の姿がふと、頭を過(よぎ)り、山並の口からため息が洩(も)れた。まあ、そんなことを思っても仕方がないか…と思いなおし、山並はふたたび深いため息を吐(つ)きながら、とりあえずベッドを出た。
 それからの小一時間は山並にとって重かった。だが、身体が勝手に動き、いつの間にか山並は雪掻きを終えていた。ふと、腕を見ると、もう昼近くになっていた。山並が、やれやれ…と家の中へ入ろうとしたとき、天から声がした。
『疲れさせて、すみません…。でも、私も仕事なんですよね。降らせなさい! と上から命じられれば降らさねばなりません』
 山並は雪空を見上げ、耳を澄ませながら見回した。しかし、どこにもその姿は見えない。気のせいか…と山並は視線を地面へ落とした。
『ははは…私は見えませんよ!』
「あの…僕に何か用ですか?」
 山並は声を探しながら雪空に訊(たず)ねた。
『いえ、そういう訳でもないんですが、少し時間が出来たもんで、声をかけたまでです』
「上って、誰ですか?」
『空を支配されておられる崇高(すうこう)な存在です。私達はお傍(そば)にも寄れません』
「ふ~ん…そうなんですか」
 山並は見えない存在と違和感のない普通の会話をしていた。他人が見れば、ひとりごとを呟(つぶや)くおかしな男と映っただろう。
「でも、僕だけになぜ?」
『それはあなたが、ため息を吐かれたからです。一度ならず二度までも…。私にも見栄がありますからね。一応、雪ですから』
「確かに、あなたは雪のようですが、それがなにか?」
『ですから、あなたに働いてもらったのですよ』
「と、言いますと?」
『私の仕事は人に働いてもらって、お幾ら? という存在なんですよ』
「言われている意味が分かりません」
『私も、あなたになぜこのようなことをお話しているのか分かりません』
 山並と雪の声は、ともに笑ったあと、深いため息を吐(つ)いた。

                        完

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2014年12月11日 (木)

不条理のアクシデント 第四十二話 ご意見探訪 

 欠伸(あくび)をしながら新聞を畳(たた)んだ竹松末男は、妻の美弥をそれとなく眺(なが)めた。美弥は食後の洗いものをしていた。
「なんか、アフリカでは、また紛争らしいぞ。テロも起こってる…」
「ふ~~ん」
 美弥は政治にはまったく興味がない。軽く聞き流す返事を末男に返した。湯呑みの茶をひと口、飲んだとき、末男はふと、疑問が浮かんだ。
「兵器がないと戦えないよな…。まあ、せいぜい殴り合うくらいだ」
「んっ? ええ、そうね…」
 美弥は洗い物を終わり、ネルドリップ式でコーヒーを淹(い)れ始めた。
「太古の昔から、食べるために獣(けもの)とか魚などを獲る道具として武器が生まれたんだよ。それが歴史の中で、人を殺傷する武器と食べるための武器が分かれた訳だ」
 美弥は洗い物を終わり、コーヒーカップを運んで末男の前のソファーへ座った。
「なるほど…」
「人を殺傷する武器は時代とともに、どんどん進化して兵器になった」
「本来の目的を離れて、間違った方向へ進んだ訳ね」
「そうそう…」
 二人はコーヒーを啜(すす)った。
「紛争や戦争には原因がある。それを突き詰めていけば、解決策は必ず見つかるはずなんだ」
「難しいことは、よく分かんないけど…」
「まあ、聞いてくれよ。争い合う組織とか国とかの言い分の違いが原因じゃないんだ」
「どういうこと?」
「さっき言ったとおりさ。言い分が違ったって、争う兵器がなけりゃ紛争や戦争は出来ないだろ?」
「まあ、そうよね…」
「得てして、低開発国とか開発途上国でトラブルが起きている。その原因はなぜか? という訳だ」
「原因を掘り進めていくのね。少し犯人探しのサスペンスみたいで面白そう」
「馬鹿! 茶化すんじゃない」
「ごめん…」
 美弥はふてくされてコーヒーを啜った。
「君が謝(あやま)るこっちゃないけどさ。原因は先進諸国の武器援助とか輸出にあるのさ」
「それは、そうね」
「国の利権とか、いろいろ絡(から)んで大変なんだろうけど、解決策は国連で地球レベルの武器輸出禁止条約を作ることが、まず第一歩だろうな」
 末男は言い終え、またひと口、コーヒーを啜った。
「あくまでも、理想よね。そうなると、いいけど…」
「ああ…」
 末男はテレビのリモコンを手にし、ボタンを押した。すると不思議なことに、見なれた家の全景が映し出された。
「あれっ!? これ俺ん家(ち)じゃないか?」
「そうよね…」
 美弥も訝(いぶか)しそうに画面に見入った。そのとき、画面に一人の女性が、マイク片手にしゃしゃり出た。
『竹松さん、有難うございました! 貴重な音声は放送局を通じ、国連本部へ届けられます。以上、ご意見探訪を終わります。藤崎がお送りしました!』
「ええ~~~っ!!」
 二人は同時に大声を上げた。
 よくよく考えると、末男は放送局から依頼を受け、了承した事実をうっかり忘れていたのだった。末男のポケットには局から預かった送信機が入っていた。

                          完

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2014年12月10日 (水)

不条理のアクシデント 第四十一話 三河なりきり店 

 三河なりきり店は、依頼人をすっかりその気にさせることでストレスを解消してもらおうという企画で出来た店だ。店長の三河基彦以下、子供一人を含む全員で10名の合名会社の形をとっている。メンタル面のケアを生業(なりわい)とする店で、この手の店がまだ世間ではないため結構、評判はよく、営業利益もそれなりに出していた。初老の三河は今日も机に座りながら店員達に笑顔で指示を出していた。全員が元芸能界出身者で、それなりの演技力は持っていたが、諸事情により一般社会へ降臨した者達である。三河自身も元有名劇団員で、店ではただ一人、軽く世間に知られた男だった。
「よし! 多木君は奥様役。で、奈月ちゃんはその娘。期間は今日から一ヶ月。勤務時間は朝6時から夕方の5時まで。ただし、奈月ちゃんは紙に書いてあるとおりで結構です。で、翌月にはまた、ここへ出勤して下さい。給料はそのとき、キャッシュでお支払いします。先方にはお昼の休憩を含む休憩時間と週一日以上は休ませて下さいとは言ってあります。労働基準法があるからね。いつものように私が両手を叩(たた)いた瞬間から、君達は三河なりきり店の店員を離れます。いいね!」
「はいっ!!」「はい…」
「奈月ちゃんは相変わらず、返事がいいねっ!」
 娘役の鹿山奈月はニッコリと笑った。三月に満13才となり、労働基準監督署の許可を得て四月からこの店に入った人気者だ。
「皆川家はやや上流の家だから心するように。で、これが住所と家の詳細。これが非常用の諸経費です。今日はお休みです」
 三十半ばの多木緑と13才になった奈月は三河から何枚かの書類と諸経費の入った袋を受け取った。
「店長、私、今の学校でいいんですか?」
「ああ、いいよ。先方には言ってあるから…」
「は~~い!!」 
「他の人は、今日もよろしくお願いします。では!」
 10名全員が円陣を組み、片手を重ね合った。そして、店長の三河の掛け声とともに全員が声を出して団結感を共有した。その後、緑と奈月の二人を除く全員は店を出ていった。
「では、叩くよ!」
 三河は二人の前で両手を叩いた。その瞬間、二人の態度は豹変した。
「じゃあ、行きましょう、奈月ちゃん」
「はい、ママ!」
 三河は両腕を組み、いい調子! とばかりにニンマリと笑った。三河なりきり店は営業を開始した。

                          完

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2014年12月 9日 (火)

不条理のアクシデント 第四十話 BD地帯 

 検問である。田上は車を急停車させた。
「ここから先へはいけません! Uターンして引き返して下さい!」
 田上はおやっ? と首を捻(ひね)って辺りを見回した。警官が数名で検問をしている。赤色灯を点灯させているパトカーが近くに停車しており、警官の動きが活発だ。田上は、ただならぬ異様な気配を感じた。
「あのう…この先で何かあったんですか?」
 田上は運転席の窓を開け、警官に訊(たず)ねた。
「国からの緊急命令が発せられたんですよ。ここから先はBD地帯です!」
「BD地帯? なんですか、それは?」
「えっ? ですから、BD地帯なんですよ!」
 検問の警官も今一、分かっていないようだったが、立場上、威張って言い返してきた。警官にそう言われては仕方がない。しぶしぶ、田上は車をUターンさせた。目的地まではあと少しだったが、迂回(うかい)すればなんとかなるか…と車をしばらく走らせたところで一端、道脇へ止め、別の道をカーナビで調べた。ところが、である。目的地へ行ける迂回路がない。田上は腕を見た。取引先と会う約束の時間が一時間ほど先に迫っていた。数年通いつめ取れなかったのだが、ようやく取れた契約だった。田上は会社をウキウキ気分で出た。課長以下、課の全員が拍手で送り出してくれた。まるで結婚式の新郎の気分で会社を出た田上だったのだ。それが、訳の分からない検問である。田上は少し焦(あせ)った。先方の会社へは足繁く通っていたから、辺りの土地勘は十分過ぎるほど田上の頭の中にあった。何かよい手立てはないか・・と田上は辺りを見た。すると、不思議なことに少し錆びついてはいるが、まだ十分乗れる自転車が捨てられ、倒れていた。まあこれも偶然だな…と、そのときの田上は思った。神の助け、とも思えた。田上は車を降り、その自転車を漕(こ)ぎ始めた。田舎のことでもあり、自動車が通れる幅の道はなかったが、畦道(あぜみち)は幾らでもあり、田上は迂回しながら少しずつ目的地へ近づいていった。あと500mほど先に会社の遠景が見えたとき、田上はホッと安堵(あんど)の息を漏らした。まだ30分ばかりあった。田上があと50mほどに近づいたとき、また警官達の姿が目に入った。パトカーは停車していない。ただ、今度は白バイが赤色灯を点灯して止まっていた。
「ここから先はBD地帯ですから進めませんよ!」
「はあ?! そこの会社へ行きたいんですよ、私は!」
「ですから、ここから先はBD地帯だから駄目なんです!」
「BD地帯BD地帯って、いったいなんなんです?!」
「分からないお人だ。BD地帯は国から命令されたBD地帯ですよ!」
「…もう、いいです!」
 押し問答になると諦(あきら)め、田上は自転車を一端、引き返すことにした。しばらく漕いだところで警官は見えなくなった。田上はまた自転車を迂回させて漕ぎ、会社の数m先まで迫(せま)った。よし! とばかりに、田上は自転車を止め、徒歩で会社の通用門へ入った。
「よく来られましたね。ここはBD地帯ですよ!」
 取引先の社員が耳元で小さく田上に囁(ささや)いた。
「あの…、BD地帯って、いったいどういう意味なんです?」
「さあ? BD地帯らしいですよ」
「ですから、そのBDって?」
「BDはBDですよ! アルファベットのBD!」
「…」
 田上はその後、黙々と契約を済ませ、取引先を出ようとした。妙なことに、取引先の全員が拍手で田上を送り出した。田上は、なぜか背筋にゾクッ! と寒気(さむけ)を感じた。

                           完

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2014年12月 8日 (月)

不条理のアクシデント 第三十九話 はれのちくもり、とおもったら、またはれぎみ

 航太は幼稚園児です。ある日の夕方、航太はテレビの天気予報を観ていました。
「航ちゃん、ごはんよ!」
「えっ! もう? …パパは?」
「パパは出張だって言ったでしょ!」
「うん、それはきいたよ。でも、なぜそれで、ごはんがはやくなるの?」
「パパはね、今日は帰ってこないの!」
 ママの睦美は少し疲れぎみのせいか、諄(くど)い子ね! という煩(わずら)わしそうな顔で航太を見ました。
「そうなんだ…。これさ、すぐおわるから、ちょっとまって!」
 航太は睦美へ、リターンエースですぐ返しました。若い女性の天気予報士が天気概況を話しています。
『低気圧は遠ざかりますから各地で晴れるでしょう。ただ、高気圧の速度が遅いため、ところにより雲が残るでしょう」
「あしたは、はれだ…」
 航太は天気予報を聞くのが最近の趣味になっていました。子供の趣味は高じやすいものです。最近では、必ず自分の絵日記にお天気を書き記(しる)していたのです。それも半端じゃないほどの懲(こ)りようで、実に詳細でした。
 夕食が終わり、子供部屋へ戻った航太は、さっそく書き出しました。
「はれのちくもりだ。…いや、そうおもったけど、はれてきたんだった。まてよ! …はれてきたけど、はれるまではいかなかったんだった…」
 航太はお天気欄に、 ━ はれのちくもり、とおもったら、またはれぎみ ━ と書きました。
 その夜、航太は夢を見ました。夢の中の航太は雲の上で眠っていました。
『起きなさい、航ちゃん!!』
 航太はその呼び声で目覚め、うっすらと瞼(まぶた)を開けました。すると、お日さまがニッコリと微笑(ほほえ)んで、航太を眺(なが)めていました。不思議なことに、いつもは眩(まぶ)しいお日さまが、ちっとも眩しくありません。
『航ちゃんは感心ですね! いつも、お日さまはあなたを見ていますよ! これからも、あなたのお天気予報を楽しみにしています。あしたは、きっと先生に褒(ほ)められるわよ』
 声がなんだかママに似ているな…と航太は思いました。
「航ちゃん、起きなさいよ! 遅刻よ!」
 航太が薄目を開けると、お日さまじゃなくママが航太を見下(みお)ろしていました。もう次の日の朝になっていたのでした。
「うん…」
 航太は、ゆっくりとベッドから出ました。その日、航太は夢のとおり、先生に絵日記のお天気予報を褒められました。

                        完

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2014年12月 7日 (日)

不条理のアクシデント 第三十八話 豆まき

 今年も節分がやってきた。随分前になるが、私はこんな話を友人から聞かされたことがある。
 伊坂家では節分の夜、恒例(こうれい)の豆まきが予定されていた。今年で小学四年生になる長男の聖矢には今一、豆をまくという行為が理解できなかった。食べればポリポリと美味(おい)しいのに、なぜそれを大人は投げ捨てるんだろう? という素朴な疑問である。それとなく両親に訊(き)くと、節分とかいう日本の儀式だと言われた。ふ~んと、ひとまずは聞いておいた聖矢だったが、妹の愛奈にしつこく訊かれ、辟易(へきえき)していた。そこはそれ、年上だから、妹の手前、両親に聞いた通りに答えてはおいたのだが、自分自身が納得できないのだから、しっくりとしない気分だった。
 伊坂家には今は使われていない土蔵があり、そこには鬼の家族が住んでいた。幸い、土蔵は豆まきの対象から外されていたため、節分の夜には家の外から多くの鬼達が逃げ込んできた。鬼の家族はその鬼達を招き入れたので、土蔵の中はなんとも賑やかだった。もちろん人間の目に鬼達は見えず、話し声も聞こえないのだから、その夜は大宴会の様相を呈(てい)していた。世間一般には、節分は鬼達の厄日(やくび)だと考えられがちだが、この伊坂家では節分が鬼達にとって一年に一度のめでたい祝祭日になっていたのである。
 鬼達が飲めや唄えの大賑わいの最中、少し離れた伊坂家の玄関では聖矢が豆をまいていた。ちょうどそのとき、土蔵で酔っぱらっていた鬼の一匹が、うっかりした足下のバケツを蹴飛ばした。と同時に、ガシャン!! という凄(すさ)まじい音が辺りに鳴り響いた。聖矢が豆をまき終わり玄関の戸を閉めようとしたときで、聖矢は、おやっ? と不思議に思った。聖矢は恐る恐る土蔵へと近づき扉を開けようとした。すると妙なことに、いつもは閉まっているはずの土蔵の鍵が開いていて、聖矢は簡単に中へ入ることができた。中へ入ると、声は聞こえないものの、鬼達が浮かれる様子が聖矢の目に飛び込んできた。一定量以上の酒を飲むと妖気を失なってしまうことを鬼達はつい忘れていたのである。聖矢は驚きと恐怖で、土蔵の前で固まってしまった。バケツを蹴ってしまった鬼が固まっている聖矢に気づいた。鬼はゆっくりと聖矢に近づいた。
「坊っちゃん! 俺達が見えるのかね?」
「は、はい! …まあ」
 聖矢は恐ろしさで小さく返した。
「そうかい。そんなぶっそうなものは置いて、まあ、ゆっくりしていきな」
 聖矢は鬼が指さす豆入りの枡(ます)を下へ置くと、その鬼に従って奥へ入った。土蔵の奥では、鬼達が輪になって、飲めや唄えの大宴会の真っ最中である。
「おお! 新入りですかい!」
 手下らしい鬼が訊(たず)ねた。
「いや、そうじゃねえ、この家の坊っちゃんだ。おい、甘酒をお出ししろ!」
 聖矢は甘酒をふるまわれた。あとから分かったのだが、聖矢に話しかけた鬼は鬼達の総元締めだった。甘酒は不思議なことに本物で、聖矢はすっかりいい気分になった。
「聖矢~! 聖矢~!!」
 聖矢の姿が消えたことに気づいたのか、母親の呼ぶ大声がした。
「あっ! 僕、帰らなきゃ…」
「坊っちゃん、これからもよろしくな! 鬼の俺が言うのも、なんだが…」
 鬼の総元締めは頭の角(つの)を撫(な)でながら照れて笑った。聖矢も釣られて笑い、ゆっくりと立ち上がった。聖矢の顔は甘酒のせいで、すっかり火照(ほて)っていた。
「これ、忘れもの…」
 子鬼の一匹が、置かれた豆入りの枡を聖矢に手渡した。
「あっ、有難う」
 聖矢は鬼達にお辞儀すると土蔵をあとにした。
 友人に訊かされたのはそんな話だった。今でも節分の日になると、伊坂家は鬼達の飲めや唄えの大宴会で大層、賑わっているという。不思議なことに伊坂家では悪いことが起こらず、幸せごとばかりが続いているそうである。

                         完

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2014年12月 6日 (土)

不条理のアクシデント 第三十七話 シャンシャンシャン! 

 物事はシャンシャンシャン! と話が纏(まと)まれば前進する。鈴川はその手の名人で、彼が加われば壊(こわ)れかけた話なら上手く修復され、纏まらない話の場合でも見事に纏まった。さらに、その能力は話にかぎらず、商談、人間関係、物、現象、事象など…要は、なんでもござれの特殊能力を秘めた人間だったのである。むろん、鈴川にそんな能力があることなど世間の誰も知る訳がなく、鈴川本人さえ知らずに日々を暮らしていた。
「鈴川さん、今日、このあと空(あ)いてます?」
 閉庁間際、官財課の出山が鈴川に近づき、そう呟(つぶや)いた。出山は区役所の同期で採用は一緒だったが、民間に二年いた鈴川より二つ下だった。任用直後、鈴川は抜擢人事で総務課に配属された。彼の実力は総務部人事課を通して区役所の上層部にも知れ渡っていた。
「はあ…」
 鈴川は曖昧(あいまい)に肯定した。
「そうですか! じゃあ、一時間ほど付き合って下さい。ちょっとご相談したいことがあるんです。トレンドで待ってます!」
「はあ…」
 鈴川はふたたび肯定し、首を縦に振った。トレンドは区役所ビルの地階に新しく出店した喫茶店である。出山は笑顔で軽くお辞儀すると官財課から去った。また、シャンシャンシャン! か…と、鈴川は思った。彼にとって、報酬のない依頼は仕事の延長のようなものになっていた。それは、依頼を受けることが嫌だという理由ではなく、首尾よく解決したという噂(うわさ)が噂を呼んで、今や連日のように依頼を受ける日々が続いていたからである。鈴川は疲れていたのだ。いつの間にか鈴川は依頼を解決するコツを知った。それは偶然だったのだが、手の人差し指を一本、上方向に立て、軽く数秒、両目を閉ざしただけで解決するというものだった。簡単に解決する要領が分かると、それ以降、依頼は急増したのである。なんといっても、解決するまでの期間が急に早まったからである。
 トレンドに他の客はなく、出山はコーヒーを啜(すす)りながら、ひとり寂しく鈴川を待っていた。座ると鈴川はすぐに相談を聞いた。そして話をひと通り聞くと、鈴川は腕組みをした。
「なるほど…」
「実は、そういうことなんです」
「そうか…。よし! 俺がなんとかしよう」
 出山の相談内容は家庭不和だった。妻との仲がギクシャクしているというのだ。このままでは離婚に発展しかねないから、なんとかしてもらえないか、というものだった。出山の妻の携帯番号を聞き、鈴川はすぐに電話をかけた。そして、相手が出たことを確認し、鈴川は片手の人差し指を上向けると、軽く目を閉ざした。
「もしもし! 出山の家内ですが! もしもし!」
 数秒して鈴川は目を開けた。
「あっ! 失礼しました! 私、区役所で出山と同期の鈴川と申します。出山の話では、なんでも今、ご家庭が不和だとか…」
「えっ! 主人がそんなことを…。おかしいですわね? 家庭不和だなんて、ほほほ…」
「あっ! どうも…。人を間違えたようです。失礼いたしました!」
 鈴川は、すぐ携帯を切った。
「おい! 安心しろ! もう、シャンシャンシャン! だ」
「シャンシャンシャン! ですか。どうも有難うございました」
 その後も鈴川には依頼が殺到した。その噂は、さらに噂を呼び、ついには国レベルに達した。
「おい、鈴川君。総理から極秘裏(ごくひり)の電話だ!」
「はあ…」
 区長室に呼び出された鈴川は区長より受話器を受け取った。
「…なるほど! 分かりました。日本国のため、なんとかやってみましょう!」
 いつものように鈴川は片手の人差し指を立て、目を数秒、閉ざした。
「もう、大丈夫でしょう。総理のご心配は解決したはずです。シャンシャンシャン! です」
 次の朝、マスコミ各社が、日本に発生した国際的な重大問題の解決を一斉(いっせい)に報じた。

                           完

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2014年12月 5日 (金)

不条理のアクシデント 第三十六話 間抜けな男

 川戸ほど間抜けた男は恐らく世界に一人もいないだろう。これは天然とかの次元を超越していた。あるときなど、買いものの支払いをし、数十万入りの財布を忘れたのである。まあ、こんなことは誰にもあるのだろうが、この男の場合は尋常ではない忘れようだったのだ。
「お客さま、あのう…お包みした方が?」
「あっ! それはいい。でも、袋にだけは入れといてよ」
「かしこまりました…」
 店員はそう言うと、川戸が指定した指輪入りの小ケースを袋へ入れて手渡した。川戸はその袋を受け取ると、店員に軽く頭を下げ格好よく店を出た。そのとき、分厚い財布が邪魔になり、袋へ放り込んだのである。俄(にわ)かの入り用でキャシュが必要だったから、財布は分厚い札で膨らんでいた。馴れない厚みに川戸は嫌悪感を感じていたから、渡りに舟の袋だった。そんなことで、買った指輪が入った袋へ財布も放り込み、気分よく出入り口へ向かったのである。いつも通う一流ブランドを取扱う店だからか、店員も川戸にはビップクラスの対応である。
「有難うございました…またのお越しを!」
 定員は平身低頭で歩き去る川戸の後ろ姿に声を投げかけた。川戸は、さも当然とばかりに振り返らず、軽く左手を上げると格好よく店を出た。店を出ると、川戸は手に提(さ)げた袋が格好悪く思えた。出逢うのは婚約した彼女である。身重の彼女に川戸は結婚を迫られていた。好きな相手だから、まあいいか…と軽く了解した相手だった。その彼女に手渡す指輪なのだ。どうせ手渡すなら格好よく…と、単純に思い、背広の内ポケットへ指輪の小ケースを納めた。そこまではよかった。少し歩いた歩道にゴミ箱が設置されていたのがいけなかった。川戸は財布入りの袋をそのままゴミ箱へ捨てたのである。腕を見れば、約束の時間が近づいていた。間抜けな川戸は鼻歌を口ずさみながら歩を速めたのだった。
 日常くり返される間抜けに、川戸自身もつくづく嫌になっていた。川戸は自分で何もしないでおこう…と、ついに決断し、で、そうした。もちろんその前に自分専属の有能な執事を一人雇った。金には不自由しない資産家の川戸だから、そんなことは訳なかった。結婚もすることだし、これ以上トラブルを起こすのは、彼女の手前、憚(はばか)られた。その結婚式の日、川戸はまた間抜けをした。式場を間違え、花嫁や自分の関係者達を待ち続けたのである。この日、いつもは執事が付き従って出る車だったが、今日は格好よく式場へ…と、川戸は別の高級外車で乗り付けたのである。乗り付けたのはいいが、そこは間抜けにも場違いの式場だった。そこは、川戸の記憶にあった以前結婚し、すぐ離婚した相手との結婚式場だった。離婚原因が川戸の間抜けだったことは言うまでもない。だが、そんな間抜けな川戸が世界を救うことになろうとは…。いや、間抜けな川戸だからこそ、世界を救えたのかも知れなかったのだが…。
 世界はある出来事を境に恐慌へと突入していた。恐慌が起こる直前、川戸はあるヘッジファンドを買収していた。資産家の川戸なら簡単なことで、軽く小指を動かして執事に命じたのである。そして、川戸は世界的な額の利潤を得た。国家レベルをはるかに上回る地球規模の利潤であった。世界恐慌の発端はその直後に発生した。以後、世界各国は喘(あえ)いでいった。
「…気の毒なことだな」
「援助、いかがいたしましょうか?」
 執事が川戸に伺(うかが)いを立てた。有能な執事のお蔭で、川戸は恐慌をすぐに止められる資金を動かすことが可能な世界的資産家になっていた。川戸は執事に右手の親指を一本、立て、ジェスチャーをした。間抜けにも川戸はガウンを羽織り、優雅な椅子へ後ろ向きで座っていた。川戸は後ろ向きだから…と、左手を立てたつもりだった。
「かしこまりました。左様に…」
 執事はすぐ、退席した。左手を立てたときはNOで、右手の場合はOKという暗黙の決めごとが川戸と執事の間には出来ていたのだった。
 次の日を境に世界は恐慌を脱した。川戸は不思議でならなかった。
「私の力は必要なかったな…」
「いえ、川戸さまのお蔭でございます」
「えっ?!」
 川戸は優雅な椅子から立ち上がり、後ろを振り返った。

                         完

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2014年12月 4日 (木)

不条理のアクシデント 第三十五話 宝船 

『まあ、人間達のやることですから、許してやってくださいな』
『ははは…、さすがは紅一点! 弁天さまの仰せは実にすばらしい!』
『あら、いやですわ、寿老人さまったら。ほほほ…』
 棚引く雲の宝船に乗られた七福神さまの会話が続いております。ことの発端は、人間達の余りの横暴ぶりに業(ごう)を煮やされた毘沙門さまがお怒りになり、言われたひと言が発端でございました。
『いや、私も少し我を失ったようですな、ははは…。しかし、このままでは、いづれこの国も、いや世界は破滅するでしょう』
『まあまあ毘沙門さま。そう深刻に物事をお考えにならずに…。少し黄金(こがね)を降らせ過ぎた私(わたくし)の責任でもありますから…』
 毘沙門さまを宥(なだ)められながら反省されておられる福禄寿さまを尻眼に、虚空へ釣り糸を垂れておられるのは恵比寿さまでございます。
『今日は、いい鯛話が釣れませんなあ…。二日前なんか、大鯛の福話が釣れましたのに。ほっほっほっ…』
 恵比寿さまも皆さまのお話にご参加されました。皆さまと少し離れた船べりでは、布袋さまと大黒さまが何やら話しておいでになります。
『日の本(もと)も少し豊かになり過ぎましたかな。人間達が浮かれ過ぎておりますが…』
 大黒さまは、そう仰せになり、深いため息をおつきになりました。
『ほほほ…、まあまあ大黒さま。人間ですからな、それは仕方ありません。しかし、人間というのは、貧しいときの方が実に生き生きとして優しいですなぁ~』
 弁天さまと同じようなことを、布袋さまが仰せになりました。
 その頃、下界では、余りの天気のよさに、一人の男が、じっと天を仰いでおりました。この男、感心なことに国に貢献する陰の立役者でありながら社会からは見離され、一人、侘(わ)びしい人生を送っていたのでございます。それでも、めげず、日々、活躍しておりました。
「天気はいいが、私には地位、金、名誉、なにもない! まあ、あるのは健康くらいか。ははは…」
 その男の小声が、ふと寿老人さまの耳に届いたのでございます。
『そうそう。それがなによりですじゃ、ほっほっほっ…。おっ! この男、なかなか感心な男ですぞ!』
 寿老人さまは天眼鏡をその男に向けられそう仰せになりますと、右手にお持ちの杖を虚空へ向け、ひと振りされました。虚空にはたちまち、一陣の風が舞い起こり、その男へ一直線に降下しました。そして、男の体内へスゥ~っと吸いこまれたのでございます。
『ですなぁ…』
 寿老人さまの言葉をお聞きになり、福禄寿さまも頷(うなず)かれたのでございます。そして、片手を広げられますと、その男に向け、軽くお振りになられました。
『どうです、皆さま方も!』
 寿老人さまは他の神さま方を見回され、そう言われました。他の神さま方も頷かれ、それぞれがその男めがけて手をお動かしになりました。
「? 体がなんか軽くなったぞ! …それに、なんだ、これは!!」
 その男の家の庭には、純金の小判が天空より雨よ霰(あられ)と降り注いだのでございます。
 それ以降、さまざまな幸せが男の周辺に訪れ、長寿を全(まっと)うしたと聞いております。家の屋根には、その男が亡くなる寸前まで、人の目には見えない宝船が留まっていたそうにございます。

                         完

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2014年12月 3日 (水)

不条理のアクシデント 第三十四話 がさつ 

 平口は、がさつな男で知られていた。彼が行動を起こすと、どうも物事がきっちりと収まった試(ため)しがなかった。ただ、本人には自分ががさつだという自覚がない。いつもやることは一生懸命やっているつもりなのだが、コトが終わったとき、そのコトは収まっていないのだった。要は失敗である。
 この日も平口は、がさつにも暗闇の中で落として割ったコップをなんとかしようと試みた。コップの上だけが欠けた程度だったから、これは研磨工具で割れた部分を削(けず)れば、また何かに使えるだろう…と、一端はゴミとして新聞紙に包んで捨てたものをゴミ袋から取り出し、作業を始めたのである。だが、工具を回転させ、コップを削ろうと接触させた瞬間、コップに皹(ひび)が入り、破片が飛び散った。明らかに失敗したのだった。その後、よくよく考えれば、ガラス物は溶かして成形し直すか、あるいはタングステンカーバンドの超硬合金加工の刃を使用して切断するかの方法しかないのだ。いづれにしても安直な発想では駄目なのだが、開口は安易にやってしまった挙句、失敗したのだった。厚目のガラスなら上手く削れるのだろうが、物は薄いコップなのである。平口はその判断を欠いていた。実は以前、同じように上部の一部だけ皹が入ったコップを削って直せたのだ。その記憶が潜在意識として、どこかに残っていたのであろう。上手く成形し直せたそのコップは厚手のガラスだった。がさつな平口が幾つか成功した事例の、数少ない一つである。
「弱ったなぁ…」
 割れてしまってからでは遅い。あんぐりした顔で平口は両腕を組み、思案に暮れた。救いの神は存在するものだ。そのとき平口にふと、名案が浮かんだ。そうだ! このコップ、底は厚手だ! 平口はゴミ袋にまた捨てた割れたコップを再々度、取りだした。新聞紙に包(くる)まれた割れたコップをペンチで底部近くまで欠き、いびつになった周囲を研磨工具で慎重に削った。幸いにも、がさつにならず、上手くいった。平口はホッ! として溜息をついた。頭の中に描いたのは、ちょっとした付けダレ入れである。トンカツとかのソース、刺身の溜まり醤油などを入れ、付けて食す…という構図である。平口の頭の中に陽が射し、平口はニンマリと笑った。

                          完

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2014年12月 2日 (火)

不条理のアクシデント 第三十三話 どこか違う? 

 塩崎は眼科の待合室で、じっと座っていた。椅子とかの周囲の配置が変わり、その変化に戸惑ったからである。というのも、この前、来診したとき、椅子は確かに右側を向いて並んでいたはずだった。それが、今朝の状況は真逆の左側なのだ。しかも、受付があった位置には受付がなかった。これでは仕方がない。係の人が来るまで待つしかないか…と、塩崎をすっかり諦(あきら)め気分にさせたのである。そして座ったのだが、それがどうしたことか係員どころか患者すら来ないのである。妙だな…と塩崎は首を傾(かし)げながら、じっと座っていた。
 小一時間が過ぎ去ったが、やはり誰一人として来ない。今日は臨時の休診日か? と一瞬、塩崎は思った。そうだとしても入口が開いていたのは妙だ…と塩崎はまた思った。よく考えれば、予約したのだから今朝来たのは間違いがないはずである。予約票も、現に今朝の早朝時間が印字されていた。
 二時間ばかりが過ぎた。だがやはり、人っ子ひとり来ない。カスミ目で通っていたのだが、そのせいでもないようだ。どこか違う? 塩崎は次第に気味悪くなっていった。それでもまあ…と塩崎は座り続けた。
 やがて昼前になった。辛抱強い塩崎だが、ここまで待たされては、さすがに堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒が切れた。別の日にするか…と、ついに塩崎は重い腰を上げた。
 一歩、外へ出ると、人の気配は、いや、そればかりか生きものの気配はまったく消え、道路と建物が静寂の中に存在するだけである。これも妙だ…と塩崎は思った。昼前なら、いつもはかなりの喧騒(けんそう)なのだが…と、塩崎は歩きながら辺りを見回し、また首を傾げた。
 十数分歩き塩崎が家へ戻ったとき、妻はいなかった。買物でも行っているのだろうとリビングを抜け自分の部屋へ戻った塩崎は唖然(あぜん)とした。塩崎の机の上には塩崎の遺影が立てられており、花瓶には秋桜(コスモス)が飾られていた。塩崎は死んでいたのである。ではいつ? そして、俺は? と塩崎は巡った。そういえば、いつも感じる身体の感触が失せていた。塩崎は前回、眼科を来診する途中、道路で車に撥(は)ねられたのだった。緊急外来で搬送された塩崎は、昏睡状態でベッドに横たわっていた。撥ねられた弾(はず)みで、塩崎の身体と霊魂は分離し、霊魂が眼科へ向かったのである。この世とあの世は時差があった。塩崎は次回、予約するはずだった十日ほど先の眼科へ入ったのだ。家へ戻ったとき、塩崎が手に持っていた予約票は、いつの間にか消え失(う)せていた。

                          完

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2014年12月 1日 (月)

不条理のアクシデント 第三十二話 未納です…  

 やっと年金の支払いが終ったか…と満年齢の還暦を迎えた吉倉はホッ! と胸を撫(な)で下ろした。だが、その読みは、かなり甘かった。吉倉を待ち構えていたのは、馴れない手続きの日々だったのである。
 現在の制度では満65からが本当の支給対象となる年齢で、吉倉のように還暦の60から支給を請求すれば、老齢基礎年金の繰り上げ支給ということで減額されることを知らなかったのだ。
「未納です…」
「ええっ!! そんな馬鹿な! ちゃんと役所の窓口で支払いましたよ。しかも、もう納め忘れはありませんか? って尋ねたら、係の人に、はい、これで大丈夫です、って太鼓判を押されました」
「はあ…。当方もデータの書き換えミスとか、いろいろトラブルもございましたから…。なにか領収書とかは?」
「そんなものは残ってませんよ。なにぶん、今の勤めの20年以上前ですからねぇ」
「はあ、そりゃそうでしょうね。知っておられるとは存じますが、年金に加入された日が即、保険料を納められた日とは認められないということなんです。お気の毒ですが現状は、未納です…」
「はあ…。でも、たった数か月ですよ。前後は長年、きっちり納めてるんですから…」
「この書類にお書き下されば、こちらで調査は、してみますが…」
「お願いします…」
 その場はそれで引き揚げた吉倉だったが、日本年金機構から調査結果の封書が舞い込んだのは数か月あとで、しかも、判明せず…という惨憺(さんたん)たる結果だった。
「ははは…お前は甘いよ。相手は消えた年金問題で一時は世間で超有名人になった悪名高い元社会保険庁だぜ」
 吉倉の親友である多賀は、笑いながらそう告げた。
「いや、それは俺も知っていたさ」
「まあ、巧妙な官僚の頭脳詐欺(さぎ)にあったと思って諦(あきら)めることだな。相手は国と政治家だ。俺達が捌(さば)ける相手じゃない」
 数ヵ月後、吉倉が思い描いていた額の約三割が減額された。さらに未納期間分が減らされ、吉倉の年金支給額が決定したのである。三割といえば、40年かけた内の約12年分が消えたことになる。そこへ加えて、未納の年金記録である。吉倉は国を信じられなくなっていった。実は吉倉には本人も自覚していない隠されたオーラを発する力があった。吉倉の活力が落ちた途端、国力が減衰し始めたのである。政府や日銀は国力減衰の事実をひた隠そうとした。いつしか日本国債の国際信用度は下落し、国民が国債を買う余裕がなくなってからというもの、外国債として海外投資家が日本国債を購入するようになっていった。結果として、日本経済は破綻(はたん)の道を余儀なくされたのである。
「ミノウ、デス…」
 国はついに債務不履行に陥(おちい)り、国際社会に対し破産宣告をして経済終戦を迎えた。

                           完

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