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2015年2月

2015年2月28日 (土)

不条理のアクシデント 第九十一話  これが、いい…

 今年で小学校の三年生になった天川星也は欲しくなったモノを、せがんで手に入れることで喜びを感じる、なんとも風変わりな子供だった。それも、新しいものではなく、こんなもの、どうする? と大人が不思議がるレトロで古風なモノを欲しがる妙なところがあった。
 ある日曜の昼下がりである。父親の明夫に連れられ、星也はとある時代村に来ていた。明夫は乗り気ではなかったが、星也は来たかった時代村だったから心はウキウキしていた。
 入場記念の土産物売り場である。
「これが、いい…」
「ははは…それは無理だよ、星也」
 星也が指さす骨董(こっとう)仕立ての小判に、明夫は周囲の目を気にしながら笑顔で小さく制止した。
「僕ね、これは売りものじゃないんだ。売り物はこっちのコレ!」
 少し離れたところに立っていた店員が近づいて、土産物の小判を指さした。
「どうも、すみません…」
「いえ、ははは…」
 明夫が謝(あやま)ったので、店員は愛想笑いをした。
「僕ね、これが、いい…。絶対! これが、いい…」
 星也が意固地になった。明夫はしまった! また始まったか…と、連れてきたことを後悔(こうかい)した。だが、もう遅かった。明夫には駄々(だだ)を捏(こ)ねる星也に今まで一度として制止出来なかった過去があった。指定席を取った列車の時間が迫っていた。
「あの…、これ、なんとかなりませんかね」
「えっ? これですか? これは店の飾りですから…」
「そこを、なんとか。見たところ、コレとそう変わりはないように思うんですが…」
「はあ、まあ…。ちょっとお待ちください。店長に聞いてきます!」
 店員は、奥へ小走りして去り、すぐ戻(もど)ってきた。
「…いいということです。値段はコレと同じということで…」
「助かります。どうもすみません」
 欲しいものが手に入った星也は、したり顔である。金を支払い店頭の小判を包んでもらった二人は駅へと急いだ。
 帰宅して数日が経っていた。会社休みの日、星也が置きっぱなしにしていた骨董コレクションの本をめくっていた明夫は、なにげなく小判の写真に目をやった。よく見れば、店頭に飾ってあった小判とよく似ているではないか。慌(あわ)てた明夫は子供部屋へ走った。星也は学校でいなかった。明夫は土産品と本を比較してみた。両社は確かに酷似(こくじ)していた。
 後日、分かったことだが、それは紛(まぎ)れもなく時価¥1,800,000する本物の慶長小判金だった。明夫が支払ったのは¥1,800だったから、実に 1,000倍の値内品を星也は品定めしたのだった。それ以降、明夫は星也が「これが、いい…」というものは、すべて手に入れることにした。不思議なことに、それらはすべて高価な品ばかりだった。天川家はいつしか、巨万の富を得て、億万長者になっていた。

                          完

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2015年2月27日 (金)

不条理のアクシデント 第九十話  名誉 

 竹原は名誉を捨てて生きた男である。彼の行いなら優に世界の注目を一身に浴びても決して怪(おか)しくはなかった。だが竹原は、それが嫌だった。彼は現実に齎(もたら)される結果を大切にした。そのことが彼にとっては重要で、名誉などはどうでもよかった。
「ははは…名誉かね。それは、生きていく上での方便だよ、竹原君。私ら研究者には無用のものさ…」
 恩師の吹上教授は研究室で助教授の竹原に、そう諭(さと)した。教授が大学院から去り、後を継いだ竹原は、いっそう研究に傾注するようになった。
 三年後、彼はついにある種の遺伝子変換理論を完成させた。学会で提示されれば、明らかにノーベル賞に匹敵する発見だった。この理論を極秘裏に実践に移し、竹原は治験で100%治癒の実証を得た。国は薬剤の承認を遅らせていた。意図してなのか? 第二相段階から第三相段階への治験が年単位で遅延していた。竹原は焦(じ)れていた。彼を必要とする多くの患者が待っていた。承認が遅れる中で、多くの患者の命が消えていった。深夜、竹原はそれらの患者の家へ出向き、密かに門前で土下座し、帰った。屈辱の涙が彼の頬を幾筋も伝った。そしてついに、彼は決断した。
 一年後、多くの患者の命が彼の新薬により救われていった。その事実が世間一般に広がるにつれ、マスコミは竹原に注目しだした。連日の報道合戦が行われるようになった。日本は申すに及ばず、世界各国から多くの患者の問い合わせが彼の許(もと)へ殺到した。厚労省は無認可薬品の不正使用を放置できず、ついに動いた。竹原は薬事法違反で検挙された。そうなることは竹原も覚悟の上だった。彼は名誉をかなぐり捨て、多くの命を救った。
 一年後、公判の席で竹原は満足の笑みを浮かべていた。彼は執行猶予で釈放された。一方、厚労省内部では、治験遅延の原因となった関連企業との疑獄事件が検察庁特捜部により摘発され、関与した多くの者達は懲戒解雇の後、逮捕された。

                            完

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2015年2月26日 (木)

不条理のアクシデント 第八十九話  悪夢

 昨夜の夢は最悪だった…と優太は思った。眠ったのが深夜帯だったせいもあった。
 いつやら、正月前に友達から聞いた話で、元旦の夜、寝る前に枕の下へ七福神の絵が描かれた紙を忍ばせておけば、素晴らしいラッキーな初夢が見られる・・ということで、勇太は不審に思いながら、試してみた。結果、残念ながらその夜、夢は見なかった・・と優太は、その一件を思いだした。素晴らしい夢も悪夢も見なかったのだから、この一年は、まあ中吉ぐらいの運勢なんだろうな…と、勇太は軽く考えていた。それが甘かった。次の日に見た夢が最悪だった。それが昨夜の正月三日である。優太は意固地になった。こうなりゃ、なにがなんでも素晴らしい夢を見てやる! と、勇太は意気込んだ。とはいえ、夢というものは、そう意気込んで見れるものではない。形のない無形の心象風景だからな…と、勇太は小難しく考えた。まあ、焦ることはない
 眠りを妨(さまた)げる寝相(ねぞう)とか、眠れない状況とかで悪夢を見る場合がある・・とは、優太がいつか得た知識だった。よしっ! 努力だ! まず快適に眠ろう…と優太は益々、意気込んだ。ひとっ風呂浴び、早めに寝た。結果、残念ながらその夜も夢は見なかった。優太は次第に夢を見ることがトラウマになっていった。それが昂(こう)じたある夜、悪夢を見た。地獄の閻魔(えんま)さまが針の山の頂上に筵(むしろ)を敷いてどっかりと座り、鬼達に『少々、痛いぞよっ! もう少し厚目の筵はないのかっ!』と、赤ら顔でどやしつけていた。優太はどういう訳か雲の絨毯(じゅうたん)の上からその光景を眺(なが)めている・・という悪夢だった。なんと、その光景の怖(おそ)ろしいことといったら…筆舌に現わせないもの凄い悪夢だった。同じ夢を数日見続けた。優太は、もう夢のことは忘れようと思った。このままではメンタル面で駄目になる・・と思えたのだ。どういう訳か、その夜から夢をみなくなった。
 一年が巡り、翌年の正月になった。優太は夢のことが気にならなくなっていた。二日の朝、優太は素晴らしい初夢を見た。七福神達が乗った宝船に、優太が乗せてもらっている夢だった。

                          完

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2015年2月25日 (水)

不条理のアクシデント 第八十八話  頃合い

 物事には頃合いというものがある。これを見落とせば、幾らいい話でもシックリいかないことになる。
「惜しかったな…。三日前ならいい日和で満開だったんだが…」
「生憎(あいにく)、今日は雨ですからねぇ~」
 花見が仕事の都合で日延べとなり、今日は今日で春の雨が満開の桜を散らしていた。課長の山辺と課長補佐の牧場は恨めしそうに外を眺めながら愚痴っり合っていた。この二人は課内で[マキヤマさん]と呼ばれていた。牧場のマキと山辺のヤマを付け合わせたものだが、何かにつけて行動が一緒だったから、そう陰(かげ)で囁(ささや)かれたのだ。二人はアチラの関係じゃないか? などと、誰彼となくニヤリとされていた。誰彼といっても、課員は課長を含め五名だから、実質は三人である。
「おい! また、マキヤマが何かしゃべってるぞ」
 課長代理の今井が二人を指さした。
「この天気だからな…。俺が言ったとおり、昨日にすりゃ、丁度いい頃合いだったんだ」
 課長代行の片岡が渋面(しぶづら)を作った。
「ははは…そう、愚痴るな。とはいえ、そのとおりなんだが…」
 今井と片岡は笑いながら缶コーヒーを啜(すす)った。
「まあ、これでマキヤマさんも少しは懲(こ)りただろう。あの二人、いつも偉そうにしてるからな」
 今井が道理づいた。
「そうそう。少し、俺の腹の虫が治(おさ)まった」
 片岡は今井の言葉で溜飲を下げた。
 そこへ、課内五名の中でただ一人、平社員でOLの宮辺久美が顔を出した。
「あらっ! 盛り上がってますね、お二人!」
 久美は陽気に言った。
「盛り上がる訳ないだろ。今夜の花見、オジャンなんだぜ」
 片岡がまた渋面を作った。
「ああ、そうでした…」
「久美ちゃんのお酌が楽しみだったのにな…」
 今井が残念がった。
「すみませんねぇ~」
 久美は愛想笑いで返した。
「去年がタイミングだったかなぁ~」
 今井は告白の頃合いを失(な)くしたことを悔(く)やんだ。
「えっ?!」
 久美が怪訝(けげん)な表情を浮かべた。 
「ははは、なんでもないよ…」
 今井は暈(ぼか)して雨空を眺(なが)めた。
「頃合いが大事だからな、今井」
 片岡は今井の気持を知っていたから、ニヤリとしながら肩を一つ、ポン! と叩(たた)いた。久美には解せず、訝(いぶか)しそうにデスクへ戻っていった。
「あの二人は、いつも頃合いだな、ハハハハハ…」
 今井と片岡が大笑いした。遠くでヒソヒソと話していた山辺と牧場は笑い声に驚き、思わず振り返った。 

                            完

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2015年2月24日 (火)

不条理のアクシデント 第八十七話  苺[いちご]パック捜査本部

 土曜、下川は買物に出て苺(いちご)パックを買った。一日 経(た)った月曜の昼、下川は食べよう…と思い、ウキウキした気分で冷蔵庫を開けた。だが、買ったはずの苺パックは、忽然(こつぜん)と消えていた。ただちに苺パック捜査本部が下川を捜査本部長として下川邸に設置された。
 下川の朧気(おぼろげ)な記憶では、確かに冷蔵庫へ収納したはずだった。下川は買ったレシートを残していた。日付は新しく、すぐその日のレシートは見つかった。下川は確認した。レシートには日曜付で[453932K イチゴ ¥297C]と印字されていた。下川は間違いなく買ったんだ! と、その事実を確認した。その途端、楽しみにしていた苺が…と、下川のテンションは一気に急落した。犯人は誰だ?! もちろん、引ったくりやスリ取られた類(たぐい)の犯罪でないことは推測できた。
『いや、待てよ! 慌(あわ)てて落とした可能性もあるぞ…』
 ふと、下川はそのときの状況を想い起こした。買った籠の中のものは袋へすべて入れた…車の助手席へ袋を入れた…とすれば、あとは車の中か? と下川は巡った。ともかく、車の中を調べてみよう…と、下川は車の助手席を調べた。だが、車の中にはなかった。事件は迷宮入りの様相を帯びてきていた。このまま発見されなければ時効が成立するぞ! いや、苺が腐(くさ)るぞ! と思えた。捜査員一名、班長一名、本部長一名、計一名…そう思いながら下川はウトウト…と眠ってしまった。
 ふと、気づけば、数十分は眠っていた。もう、どうでもいいや…と、下川は捨て鉢になった。苺パック捜査本部は解決を見ないまま時効を迎え、解散した。

                             完

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2015年2月23日 (月)

不条理のアクシデント 第八十六話  フラッシュ・バック

 人気作家の金平は走馬灯のように巡る過去の時代を振り返っていた。

『お願いしますよ! なんとか…』
『ははは…、私らも慈善事業やってる訳じゃないんでね。悪く思わんで下さいよ。では、急ぎますんで…』

 二十年前の幻灯出版・編集部だった。担当の山村は鰾膠(にべ)もない返事で金平が持ち込んだ原稿をボツにすると席を立った。今では遠くなったそんな光景が金平の脳裡にフラッシュ・バックした。金平にとって、それはいい記憶ではなかった。だが、そのことがあったから金平が奮起できたのも事実だった。今では編集部の末松が揉(も)み手で原稿を取りに来る。この前など、出版社招待で北海道のとある温泉泊まりだった。
「はい! 金平です。…君だろ?!」
 机上の携帯が鳴り、機先を制して金平は先に口を開いた。
「…はい、そうです! 先生、よろしくお願いしますよ。版下を早く作れ! って編集長に急(せ)かされてるんで…」
「分かった、分かった。夕方までには仕上げとくよ。それでいいだろ?」
「はい! 助かります! なにぶん、よろしく! 6時にはお伺いいたします!」
 懇願する声が喜色に変わり、今では幻灯出版の中堅編集者として活躍している船頭が携帯を切った。以前は、こんなじゃなかった…と金平は、また巡った。記憶は、すぐにフラッシュ・バックした。

『ねえ~。分かってもらえると思うんだけど、これじゃ~ …ねえ~』
 遠回しに書き直しを要求する上から目線の船頭の言葉だった。
『三度目ですよ?』
『そうなんだけど、売れないとねぇ~。うちも慈善事業じゃないから…』
 いつやら聞いた言葉だ…と、金平は思った。
『分かりました…。それじゃ』

 十年前だ…と、金平は我に返った。原稿はほとんど出来ていた。最後の数枚を書き終えたとき、ふいに睡魔が金平を襲った。
○○
『悪いんですが、売れないんで…』
『打ち切りですか?』
『はあ、申し訳ありません。会社も慈善事業やってる訳じゃありませんし…』
 誰だか顔は霞(かす)んで分からないが、場所は見馴(みな)れた幻灯出版の編集部だった。
『そこを、なんとか…』
○○
「先生! 先生!」
 肩を揺り動かされ、金平は目覚めた。書斎の机に前のめりになり眠ってしまっていた。起こしたのは編集部の船頭だった。
「慈善事業じゃないね?」
「はあ?」
 船頭は原稿を差し出す金平を訝(いぶか)しそうな眼差(まなざ)しで見つめた。
 

                            完

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2015年2月22日 (日)

不条理のアクシデント 第八十五話  夢の宴[うたげ]  

 雨が降っていた。篠口は滴(したた)り落ちる雨を通路の窓からぼんやり眺(なが)めている。昼休みだから、一時(いっとき)、立っているのは、眠気を解(ほぐ)すのに丁度よかった。食後の缶コーヒーがその綻(ほころ)びを癒(いや)し、篠口を幾らかリラックスさせた。風もそう強くはなくシトシト降る催花雨(さいかう)だ。窓から見える沿道の桜はまだ七、八分咲きだから散る心配は、まずない。三日後に予定された恒例の花見には晴れるだろう…と、篠口は巡った。昨日、急務の仕事を徹夜でしたせいか、時折り睡魔が篠口を襲っていた。
「おお、咲いてきたな!」
 同期入省の山北が篠口の後ろから声をかけた。篠口は、ハッ! として腕を見た。昼休みが終わろうとしていた。
 篠口は、とある省の大臣官房参事官だ。同じ参事官の山北とは大学も入省も同期で、気性も合うと笑いあったビンゴな親友だった。
 昼三時前、疲れからか、眠気が篠口をふたたび襲っていた。ウトウトとデスクへ前のめりになり、篠口の意識は遠退(とおの)いた。
 気づけば、篠口は同僚達と満開の桜の下で花見をしていた。妙なことに、沿道の桜の下で宴(うたげ)は出来ないはずだった。
「今年の桜は、いい咲き具合だ。なあ、篠口!」
 一杯機嫌の山北が酒の回った赤ら顔でそう言った。確かに淡いピンクの桜は満開で、下からの眺めは絶景だったが、篠口には、ふと疑問が湧いた。
「んっ? ああ…。おい、ここで花見できたか?」
「ははは…冗談はよしだ。毎年、ここでやってるじゃないか」
「馬鹿な! ここは駄目だったろ!」
 篠口は言い返していた。
「お前、酒が弱くなったか? 馬鹿はお前!」
 吟醸・月正宗の小瓶を片手に、酔いの回った山北が篠口を指さした。その山北の顔が揺れ始め、篠口の意識は遠退いた。
「おい! 起きろ、篠口! …まあ、昨日は徹夜だったそうだから、大目に見てやろう」
 ニタリ! と山北は笑って言った。
「夢か…」
「なんだ、まだ寝ぼけてるのか? 明日は花見だぞ!」
「えっ! 三日後だろ?」
「なに言ってる。外を見ろ、桜は満開だ!」
「嘘を言え! さっき…」
 篠口は席を立つと、窓に駆け寄った。沿道の桜は満開で、照明灯に照らされ揺れていた。篠口は目を擦(こす)った。しかし、昼休みに見た七、八分咲きの桜は満開だった。
「どちらにしろ、ここでは駄目だろ」
「なに言ってる。すったもんだの挙句、今年から庁舎管理規程の特例で、ここもOKが出たじゃないか」
 ああ、そうだった…と篠口は思い出した。
「もう遅い。帰ろうぜ」
「ああ…」
 二人は肩を並べ、庁舎を後(あと)にした。生(なま)暖かい夜風に、沿道の桜が揺れた。その下の芝生に、篠口が夢の宴で見た、あるはずがない月正宗の小瓶が横たわっていた。

                           完

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2015年2月21日 (土)

不条理のアクシデント 第八十四話  花の台[うてな]  

 チラホラと桃が咲き始めた別荘の庭を、大会社の社長にまで出世した耳長は散策していた。春になれば、耳長の大豪邸には、さまざまな花が咲き乱れ、耳長の心を和(なご)ませた。むろん、それは花に限ったことではなく、荘厳な庭園仕立てが施(ほどこ)された中に植えられている樹々にしてもそうだったのだが…。
「耳長さん!」
 不意に、杖(つえ)をついてゆったりと歩く耳長へ届く声がした。耳長は立ち止り、辺(あた)りを見回したが、誰一人としていなかった。よく考えれば、今、この庭を散策する人物は自分をおいて他にいる訳がなかった。ただ一人、庭に出ていなくもない執事の室月は、今、朝食のテーブル準備に余念がなく、その姿はガラス越しに見えたから、彼でないことは明らかだった。彼は耳長と同い年で、耳長が唯一、心を許せるいい茶飲み友達でもあった。聞こえるはずがない声に、耳長は年老いて幻聴を聞いたか? と軽く流し、また歩き始めた。
「耳長さん! ここです」
 やはり、声がする…と耳長はふたたび立ち止って辺りの様子を窺(うかが)った。すると、耳長が見回す一角に植えられた一輪の桃の花の台(うてな)に小さな女性が立っている姿が目に止まった。そん馬鹿な話があろうはずがない…と耳長は刹那(せつな)、思った。眩(まばゆ)い光背を輝かせたその姿は、まるで仏だった。だが、現実に、耳長の目にその小さな女性の姿は見えていた。耳長は目を擦(こす)ったが、やはり姿は見えた。
「私はあなたが子供の頃、お助けいただいたセキレイです。今日はお暇(いとま)を申しに参りました。その節(せつ)は、どうも有難うございました…」
 耳長は、そんなことがあっただろうか? と、当時を思い返したが、すっかり忘れていた。セキレイの精は話し続けた。
「あなたは、大金持ちになられましたが、それは私達一族からの、ほんのお礼です。では…」
「ああ、もし!」
 耳長が声をかけたとき、すでに花の台に姿はなかった。そして、一陣の風が吹き渡り、その桃の花びらはハラハラと舞い落ちた。耳長は幻覚を見た…と思うことにした。だが、その声は耳長の脳裡に刻まれていた。
 ふと、振り返り、邸内へ戻ろうとした耳長は目を疑った。大豪邸は忽然(こつぜん)と消え、そこには普通の家が立っていた。執事の室月は消え、家の中には誰もいなかった。耳長はただの独居老人になっていた。

                           完

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2015年2月20日 (金)

不条理のアクシデント 第八十三話  蟋蟀[こおろぎ]橋

 時は寛永10年と申しますから、今からおおよそ380年ばかり前のお話でございます。
 秋の夜長、チリリリリリ…と、なんとも風情深く鳴く蟋蟀(こおろぎ)の声が聞こえる橋の袂(たもと)を一人の男が歩いておりました。この橋の名の謂(いわ)れはその名のとおり、多数の蟋蟀が集(すだ)くところから付けられたそうにございます。空には中秋の名月、空気も澄み渡り、夜風も心地よう吹いて肌を撫(な)でます。男は橋半ばで立ち止りますと、欄干(らんかん)越しの名月を愛(め)でておりました。そのとき、ふと男の背に声がいたしました。
『もし…、つかぬことをお訊(き)きいたしますが…』
 男が誰ぞと振り返りますと、そこには一人の若い美形の娘が立っておるではございませんか。それまで人の近づく気配もなかったものでございますから、男はギクリ! といたしました。しかしまあ、その娘には不気味な気配もいたしませんで、男は平静さを取り戻したのでございます。
「はあ、いかなることに、ございましょう?」
「この辺りに鳥居さまと申す方のお家(うち)はございませんでしょうか?」
「鳥居さまでございますか? 名はなんと申されます」
「確か、忠光さまとか…」
 鳥居は、その言葉に、ふたたびギクリ! といたしました。偶然ではございましょうが、それは自分の名でございました。
「そ、それは、拙者(せっしゃ)でございますが…」
「さようでございましたか。あなた様はいつも、この辺りをお通りになられてございますね」
「ははは…あなたの目汚しになりましたかな。左様、ここは登城への近道でございますので。…して、ご用の向きとは?」
 鳥居は自分をよく知っている者だ…と思いましたが、その娘には一面識もございません。
「この橋が架けかえられるそうにございますが…」
「ほう、内密の話を、ようご存知で…」
 鳥居は2千石の旗本でございました。
「風の噂(うわさ)を耳にしたまでのことでございます。そうでございましたら、どうか、堤の草原(くさわら)はそのままに願いとう存じます」
「いかなることに、ございましょう?」
「訳はお訊き下さいますな。どうか、私の命に免じて…」
 そう言いますと、その娘の姿は幻(まぼろし)のように闇の中へと消えたそうにございます。鳥居はゾクッ! と寒気(さむけ)を覚えました。そら、そうなりましょうな。夏こそ過ぎておりましたが、怪談を聞いたのではなく、鳥居は今風に言います、オカルトの実体験をしたのでございますから…。
 さて、鳥居がその場を立ち去ろうとし、足元を見たときでございました。足元には一匹の蟋蟀が死に絶えております。おお! これは…と、男は恐怖のあまり身震(みぶる)いし、一目散に駆けだしたそうにございます。
 まずはお粗末ながら、怪談 含(ぶく)みの蟋蟀橋、由来の一席、お後(あと)がよろしいようで…。

                         完

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2015年2月19日 (木)

不条理のアクシデント 第八十二話  寂[さび]れ街  

 片崎は、おやっ? と首を捻(ひね)った。折角、遠出して買いに来た店が見つからない。自転車を約30分ばかり漕(こ)いで、ようやく目的の店付近まで来たには来たのだ。片崎は自転車を一端、降り、道路マップを広げた。間違ってはいなかった。
━ やはり、この辺りだ… ━
 と、片崎は記憶を辿(たど)った。そして、やはり、ここだ…と確信した。そこには、一軒の大衆食堂があった。うっすらと灯りが漏れ、営業はしている風だった。ただ、周辺の店のシャッターは、ほとんどが閉ざされていた。辺りはどことなく憂(うれ)いを含み、不気味だった。その佇(たたず)まいは、以前、来た活気ある街の面影ではなかった。片崎は少し怖(こわ)くなってきた。すでに午後四時を回り、冬の日は暮れ始めていた。通行人が誰一人としていないのも、少し気がかりだった。ああ…今日は商店街が定休日か! と感じ、気分が少し落ちついた。片崎はともかく、大衆食堂に入ろう…と思った。店で訊(き)けば、その辺の事情も分かるだろうし、昼から何も口にせず、腹も減っていた。
「あのう…すみません!」
 店の中には、やはり人の気配がなくかったから、片崎は思わず声を出していた。
「はい、お待たせしました。 ご注文は?」
 店の奥から暖簾(のれん)を潜(くぐ)り、急に飛び出してきたのは顔が蒼白い初老の男だった。感じからして、どうもこの店の主人に思えた。
「チャーハンときつねうどんを…」
 あとあと考えれば妙な組み合わせなのだが、片崎の口は勝手に動き、食べたい品書きを選んでいた。
「はい! 少しお待ちを。なにぶん、一人でやってますんで…」
 まあ、そんな店は今どきあるな…と得心し、片崎は頷(うなず)いた。主人風の男は、あっ! と小さく声を出し、慌(あわ)てて暖簾へスゥ~っと駆け込んだ。片崎はなに事だ? と訝(いぶか)しく思った。男は、しばらくすると、水コップと茶を淹(い)れた湯呑みを盆へ乗せて戻ってきた。
「あのう…、この近くに竹山洋品店ってありませんでした?」
 水コップと湯呑みをテーブルへ置く男に、片崎は訊(たず)ねいていた。
「竹山洋品店? ああ! そういや、ありましたな。この先、二軒向こうです。今はもう、取り壊(こわ)されてありませんが…」
「ああ、そうでしたか…。それにしてもこの商店街、静かですね。今日は休みですか?」
「いいえぇ~、今日もやってますが」
「えっ?! ほとんどの店は閉まってますよ」
「ははは…お客さん、ご冗談を! 全店、開いてるじゃないですか。今日も人で大 賑(にぎ)わいですよ!」
 冗談はあんただろ! と片崎は怒れたが、グッと抑(おさ)え、外の様子を窺(うかが)った。やはり、人の気配は一切せず、アーケード街は静まり返っている。
「お客さん、この街、なんて言うか知ってます?」
「いや、一度、来ただけですから…」
「寂(さび)れ街って言うんですよ、フフフ…」
 薄気味悪く笑うと、男はスゥ~っと霞(かすみ)のように消え失せた。そのとき、片崎はゾクッ! とする冷気を肌に感じた。その男は二度と片崎の前へ現れなかった。片崎は走り出ると自転車へ飛び乗っていた。
 数日後、街の情報が得られた。商店街は一年前から閉ざされていた。時折り、幽霊が出るともっぱら評判で、人々は寂れ街というようになっていた。片崎はふと、男の言葉を思いだした。
『寂(さび)れ街って言うんですよ、フフフ…』
 片崎は冬に怪談かよ…と、別の寒気(さむけ)を覚えた。

                           完

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2015年2月18日 (水)

不条理のアクシデント 第八十一話  未完

 彫刻刀を握る深山の手が止まった。
「どうも納得が出来ない…」
 ポツリと深山は呟(つぶや)いた。深山が手にする完成近い木像は誰が見ても出来がよい仏像で、普通に市販しても十分、買い手がつく品に見えた。だが、深山は今一つ納得できなかった。彼はジィ~~っと手にした仏像を眺(なが)めながら、フゥ~っと溜(た)め息を吐(つ)くのだった。その木造は、どう見ても未完だった。というのも、苦心した挙句、施(ほどこ)した肝心の光背が取り外せるのである。仏の有難さを象徴する光背の光が消えたり輝いたりする仏は、有り得ないのである。すなわち、深山が手にした木像はただの未完の木彫(きぼ)り像であり、仏像ではないことを意味していた。
 深山は完成した仏像を持ち、大仏師の久松草琳に入門しようと考えていた。だが、手にした仏像 紛(まが)いの自作は、とても堂々と門を叩ける代物(しろもの)とは思えなかった。というか、未完きわまりない粗悪品に見えていた。深山は自己嫌悪に陥(おちい)っていた。深山はほぼ完成した未完の木像を部屋の片隅へ投げ捨てた。部屋の隅にはそうした未完の木像が何体も積み重ねられていた。
━ なにが足りない… ━
 深山は頭を抱(かか)えたが閃(ひらめ)きの兆(きざ)しは訪れなかった。一睡もしていない深山は、いつしか深い眠リへと誘(いざな)われていった。ふと目覚め、深山が見上げた窓ガラスの向こうでチチチッ! と小鳥が囀(さえず)った。そのとき、深山にある思いが閃いた。手間はかかるかも知れない。だが、本体と台座、光背までを一木で作ろう…という思いだった。
 一年後、深山が刻んだ木像は、もはや未完の木像ではなく、紛れもない完成した仏像だった。深山が最後の彫眼を施し終えたとき、不思議なことに窓から、ひと筋の光輪が仏像へと射し注(そそ)いだ。
「…」
 深山の口元に一瞬、安堵(あんど)の笑みが零(こぼ)れた。
 深山は現在、深山舟景と名乗り、仏師として全国的に活躍している。

                           完

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2015年2月17日 (火)

不条理のアクシデント 第八十話  買いだめ

 地方スーパーの三色堂は消費税値上げの駆け込み需要で混乱するほど賑(にぎ)わっていた。
「お、押さないでください! まだ在庫は十分にありますっ!」
 課長の平畑は混雑する客の誘導に必死だった。その客の一人、真佐江は今年で52になる中年女性である。というよりは、中年のおばさんと呼ぶのが相応(ふさわ)しいような厚かましさが、いつの間にか彼女の身に染(し)みついていた。
 真佐江は店の売り場のアチコチで、種々の品を買いだめていた。ひと目見て、そんなものを買ってどうするの? というものまであった。駐車した車はそれらの品で溢(あふ)れ返り、今日も真佐江は家と三色堂をすでに三往復していた。区役所に勤める夫の耕田は部長で、取り分けて真佐江が暮らしに困ることはなかった。それが理由ではなかったが、どういう訳か真佐江は買い癖(ぐせ)がついていた。無性に買わずにはいられない・・という癖である。他にすることはないのかと、夫の耕田を陰で愚痴らせていた。それが、この消費税値上げの駆け込み需要で、一気に火がついたのである。メラメラと燃えさかる購買欲の炎は、真佐江を人間から離(はな)れさせた。買い物に動き回るその姿は、もはや人間ではなく怪獣そのものだった。
「そ、それも!」
「えっ? そんなに買われるんですか? 先ほども買われましたよ」
「いいんです! いるんですから…」
 真佐江は意固地になって叫んだ。その叫び声の大きさに、他の客は一斉(いっせい)に真佐江を見た。真佐江は、とり乱した自分に気づき、自重した。
「そりゃ、そうでしょうが…」
 対応する平畑は困り果て、あんぐりとした。
「買うといったら、買うんです!」
 そこまで言われ、平畑の闘争心に火がついた。他の店員も見ている手前、メンツもある。平畑の声が少し強く変わった。
「先ほどでトラック一台分ですよ! 他のお客さまのご迷惑にもなりますから…」
 真佐江にも意地がある。
「もう、いいです! メーカーから直接、買いだめしますから!!」
「うわぁ~~っ!!!」
 周囲の客から、一斉に驚きの声が上がった。平畑もその中の一人になっていた。言った真佐江もその中の一人で、慌(あわ)てて自分の口を手で押さえた。

                           完

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2015年2月16日 (月)

不条理のアクシデント 第七十九話  しみじみと…  

 もう、やめよう…と思いながらも、自分を説得するまでには至らず、今日も岩崎は自動車教習所へ通い続けていた。試験に落ち続けて数十年、これはもう、はっきりいってギネスものだ…と、弘志自身にも思えていたし、心身ともにこの件では疲れ果てていた。
「お金も馬鹿にならないし、それでブレザーとか買った方がいいんじゃない」
 妻の浪江は、そう言いながら渋い顔で岩崎に教習料の入った袋を手渡した。
「ああ…」
 岩崎が受け取るときの決まり文句である。
「そうだ! 旅行がいいわ、旅行よ! 旅行にしましょ、ねぇ~~」
 浪江は、一端、手渡した教習料の入った袋を岩崎の手からもぎ取った。岩崎がアッ! と言う間もないほどの出来事で、一瞬の隙(すき)だった。いや、手渡さなかったかも知れない…と、岩崎は後日、思った。妻の手が伸びた瞬間、自分は取り返さず無力に手放したんだ…と気づいたのだ。岩崎の心は正直なところ、完璧(かんぺき)に疲れ果てていた。疲れ果てた結果、その金が瞬間、無駄に思えたのだ。
 それでも…と思うでもない何ものかが岩崎にはあった。岩崎はふたたび教習所へ現れていた。両脚が勝手に岩崎を教習所へと向かわせたのだった。
「ああっ、プレーキ!! 岩崎さん! もう…」
 相変わらずの危うい運転に、同乗している教官の堀田は呆(あき)れ声を出した。車庫入れしようとしていた教習車が、危うくフェンスに激突しそうになったのである。慌てて岩崎はプレーキを踏み、その場は事なきを得た。
そして、仮免の日がまた巡った。車の危険を避けるため・・ということもないのだろうが、いつの間にか岩崎の順番は最後に決まっていた。その日も順々に入所している受験者は受け終わり、最後の岩崎の番が巡った。
「岩崎さん! 軽くねっ! 軽ぅ~~く行きましょ!」
 堀田は力なく、小さく言った。どうも、おぼつかない…という潜在意識があり、危機意識のある声だった。それもそのはずで、岩崎が走った過去の仮免で、車が傷(いた)まないことはなかったからだ。堀田は、どうせまた当てる…という危機意識があり、被害を最小限に食い止めようとしてる向きが、なくもなかった。
「はい…」
 岩崎は素直に言った。その日は偶然、桜が満開で、晴れ渡っていた。奇跡は突然、訪れた。岩崎は別人のように滑らかな走行を開始したのである。S字カーブ、縦列駐車、サイド合わせ、車庫入れ…すべてがスンナリと上手(うま)く終わり、教習車は元の位置へ戻った。堀田は唖然(あぜん)として岩崎の顔を窺(うかが)った。
「… 岩崎さん、どうかされましたか?」
「いえ、別に。それでも…と、思っただけです」
「それでも?」
「どうせ今日も駄目だろうと思えました、しかし、それでも…と」
 止めた教習車の中で、しみじみと岩崎は言った。
「それでも、ですか…」
 しみじみと、明るく堀田は返した。
 しばらくして、合格者番号が告げられた。最後は堀田の番号だった。それ以降、岩崎はすべての失敗を諦(あきら)めないことで成功を手にしていった。
 免許を取った岩崎は今、中古でボロホロの車に乗っている。だが彼は、それでも…と、高級車を夢見て乗っている。

                           完

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2015年2月15日 (日)

不条理のアクシデント 第七十八話  振り出し  

 ここは未来のとある工業専門学校[工専]である。浩紀、民夫、友也の三人がゲーム部の部室で試作機の双六(すごろく)をやり始めた。
 双六は順調に進行し、白熱していった。浩紀が意気込んでコンパクト受像ボックスのサイコロ・ボタンを押した。点滅ランプが一回転するとサイの目が1~6の六通りに表示されるシステムだ。3の目を出せば上手(うま)く上がれるが、2の目だと土壺へ嵌(は)まり、振り出しへ戻(もど)されることになる。
 サイコロ・ボタンを押した浩紀は、止まった瞬間、サイの目を注視した。民夫と友也も、それぞれ手にするコンパクト受像ボックスに見入った。受像ボックスの中を色光の点滅で一回転して止まったサイの目は2だった。瞬間、浩紀の姿は消え失せた。
「ははは…残念でしたっ!」
 民夫が愉快そうに両手を叩(たた)きながら言った。友也は、腕組みして眺(なが)めるばかりで、はしゃぐことはなかった。浩紀は民夫の愉快そうな音声を聞き、腹立たしい気分だった。試作機の実験ゲームなのだから腹立たしくなるのは本来、変なのだ。だが、もう一歩で上がれた…とも考えられ、悔(くや)しくなる浩紀だった。ただ、民夫の姿は見えないから、浩紀は意固地になるほど腹立たしくはなかった。
 この双六ゲームは三人が新しく考案したもので、参加者が個々に人類平和のバーチャル・リアリティを体験できるゲームである。終戦の1945年を振り出しのスタートとして、上がりまでが五年単位でひと目ずつ作られていた。95年後の2040年の上がりまで、五年ずつ目はあった。もちろん、途中で2目戻る、とか3目進むとかも作ってあった。その理由もそれぞれ考えて三人は作っていた。あとは、すべてがコンビューター思考によって作られるバーチャルな映像と音声の世界である。浩紀が出した振り出しへ戻るは、[戦争に巻き込まれて振り出しへ]と理由づけが入力された。ゲームのバーチャル幻想体験システムは既成のソフトを使用して作られていた。ゲーム中は、コンパクト受像ボックスを片手に対戦者同士がそれぞれの幻想体験空間に移動し、通話し合う・・という進行である。サイは順に別空間で振る、一人が上がればゲーム・オーバー・・という基本ルールである。
 浩紀は遥か過去の、まだ自分が生まれてもいない1945年という終戦直後の日本へ現れていた。辺りは一面、未体験の焼け野原だった。こんな時代があったのか…と浩紀は思った。バーチャル映像は人物が存在ゼロの設定で作られていたから、バーチャルな人物に危害を加えられたり話しかけられたりするという映像上の心配はなかった。ただ、音声だけはその時代を再現したからリアル感が楽しめた反面、怖(こわ)さもあった。
『日本は再軍備をし、某国から攻撃を受けたのです…』
 振り出しへ戻された浩紀はバーチャル音声を聞きながら、描き出された焼け野原に佇(たたず)んでいた。
「さて、次は俺だな!」
 民夫は2010年にいた。つい最近である。ビル群の屋上の一角に民夫は現れていた。その映像は1965年にいる友也にもコンパクト受像ボックスを通して見られていた。民夫はサイコロ・ボタンを押した。出た目は6だった。瞬間、民夫の姿は消え、ふたたびその姿が現れたのは上がりの2040年だった。
『おめでとうございます、民夫さん! 上がりです。よって、参加された皆さま、このゲームはゲーム・オーバーとなります! 楽しんでいただけたでしょうか。では、私はこれで失礼いたします…』
 バーチャル音声が静かにフェード・アウトした。三人は、驚きのあまり茫然(ぼうぜん)自失になった。2040年・・コンピューターによって描き出されたバーチャル映像の上がりは、振り出しの映像とほとんど変化がなかった。民夫が現れた辺りは一面、焼け野原だった。

                            完

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2015年2月14日 (土)

不条理のアクシデント 第七十七話  声が聞こえる

 視力を不慮の事故で失った田井中は、スーパーの買物へ行くため、その日も盲導犬のぺスを連れて歩道を歩いていた。ぺスは生後4才になるラブラドール・レトリーバーの温厚なメスである。田井中が住む街は障害者対策に熱心で、都市整備がされていた。至る所がバリアフリー化され、田井中も大層、助かっていた。
 田井中が歩道を歩いていると、ぺスが突然、止まった。当然、連れている田井中も止まったが、いつも通る一本道のはずだから障害物はないはずだった。田井中は、おやっ? と思った。
「どうした、ぺス?」
 ぺスに語りかけたが、いっこうに動こうとしない。田井中は少しリールを引っぱった。だが、ぺスはやはりビクとも動かない。そして、低い唸(うな)り声を小さく出している。田井中には、その声が聞こえた。そのときである。
『あのう、もし…。田井中さんでいらっしゃいますか?』
 急に田井中へ語りかける女の声がした。妙だ…人の気配はなかったはずだが…と田井中はビクッ! と思った。いつもなら、後ろ、対向、左右の横から・・と、人が近づいたとき、田井中は馴(な)れでその気配を感じられるようになっていたからだ。事故後、20年の歳月が流れていた。それが、今日はまったく感じなかったのである。
「あの…、どちらさまで?」
 田井中は、声がした方向を向くと、静かに訊(たず)ねた。
『私です。お忘れになりました? いつやら同じクラスになった石橋です』
 石橋? ああ! ブリジストンか…と田井中は思った。あの頃、クラスでは美人でマドンナ的な存在だった石橋についた渾名(あだな)だった。その彼女の声が聞こえるのだ。だが、彼女は病死したはずだ…と、田井中は少し怖くなった。
「はあ、石橋さんは知っております。でも、あの方はご病気で…」
 田井中は口 籠(ごも)った。
『ええ、確かに死にました。でも、病気じゃないんです…』
 しくしく…と寂しげになくその女の声が田井中の耳に聞こえた。田井中はゾクッ! とした。いつの間にか、ぺスは唸るのをやめていた。
『私、ここで轢(ひ)かれて死んだんです…』
 そういや、石橋と名乗る女の声は若い声だった。田井中と同(おな)い年なら、初老のはずだからである。
「あ、あの私、道を急いでますので…」
 少し震える声で田井中は、そう言った。
『ごめんなさい。お止めするつもりじゃなかったんです。ただ、あなたに死の影が見えたもので…。この先の信号、注意して下さいね』
 そう呟(つぶや)くように告げると、女は押し黙った。そして、冷んやりとした風が田井中の頬(ほお)を掠(かす)めて流れ去った。次の瞬間、ぺスがワン! と大きくひと声、(ほ)吠えて動き始めた。田井中はふたたび、引っぱり動かされるように歩いていた。なんなんだ、いったい…田井中の頭は錯綜(さくそう)していた。恐怖心は幸い、目が見えないことで小さかったが、声が聞こえた薄気味悪さに変わりはなかった。
 しばらくすると、横断歩道があった。信号は田井中には見えなかったが、ぺスの利口さで停止し、また動き始めた。信号が変わった…と田井中は感じた。そのとき、信号無視した車が一台、田井中の後方を掠めて走り去った。もう少し田井中が遅れて渡っていれば、激突死するところだった。間一発で助かったのである。石橋と名乗った同級生の女の忠告は嘘(うそ)じゃなかった…。そう思うと、田井中は信号で両脚が凍りつき立ち止っていた。ぺスがリールを引っぱって田井中を催促した。
『よかった…』
 どこからともなく、女の小さな声が聞こえた。田井中はゾクッ! と身震(みぶる)いし、先を急いだ。

                             完

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2015年2月13日 (金)

不条理のアクシデント 第七十六話  手順前後  

 優先順位を間違うと手順前後となり酷(ひど)いことになる。
「パパ! 早くしてよ!」
 トイレの前で地団駄を踏んでいるのは今年、小学校三年になった悠基だ。
『ああ、もう出る。あと五分! 頼む!』
 パパの等がトイレ内から小声で言った。そこへ、美希が廊下を通りかかった。キッチンへの通路だから仕方がない。
「あなた達は、いつもそうなんだから…。二人ともいい加減にしなさいよね」
「ママは、そう言うけどさ~。パパ、長すぎるよぉ~」
 悠基は通り過ぎた美希の後ろ姿に言葉を投げた。美希は無視してキッチンへ消えた。
『いやぁ~、すまん、すまん…』
 等が呟(つぶや)くように謝(あやま)り、その日の朝は無事、終息した。
 小学校である。チャイムが鳴り、放課後になった。悠基はランドセルを背負うと退校した。今日は入っている将棋部の部活がない日なのだ。
「ははは…、そりゃお前さ、手順前後だよ。この前、それで僕、負けたんだ」
 同じクラブの彰則と連れだって、悠基は通学路を歩いていた。
「どういうこと?」
「お前が先に入れるよう動けばいいだけのことだよ。トイレで待つ前、お前、なにしてた?」
「トイレで待つ前ね…。トイレで待つ前は確か、洗面所で歯を磨いてた」
「じゃあ、トイレに行ってから歯を磨きゃいいじゃないか。手順前後、手順前後!」
 彰則は笑いながら朗(ほが)らかに言った。
「ああ、そうか…」
 次の日の朝、さっそく悠基は手順前後で実行した。よく考えれば、汚い話ながら健康的には出すモノは早く出さないといけないのだ。保健で習った快眠、快食、快便は健康の三種の神器? いや、そこまではいかないか…と、悠基は虚(うつ)ろに巡った。
 功を奏して、トイレは悠基が等を制した。
「ヨッシャ!」
 悠基はガッツポーズをして中へ躍(おど)り込んだ。やれやれと思ったのも束(つか)の間(ま)、トイレット・ぺーパーが切れていた。慌(あわ)てて出て悠基はトイレット・ぺーパーの収納場所へ向かった。そのとき、逆方向へ向かうひとつの影があった。対向しない通路を等はトイレット・ぺーパーを手に進んでいたのである。結局、悠基は等に先を越された。
「そりゃお前、準備不足だよ。棒銀もいいけどさぁ~。矢倉、美濃、袈裟囲いとかの形を作らないと…。森田さんに訊(き)いてみな」
 森田さん? 冗談だろ、あんな超有名なプロ棋士に訊ける訳ないだろ! と彰則に小馬鹿にされたようで、悠基は少し怒れた。将棋部長の彰則はプロ棋士を目指していたから、よく考えればそれも理に叶(かな)っていた。彰則は悠基より格段、棋力が優(すぐ)れ、言い返せなかった。
「準備不足か…」
「ああ。準備も、する、しないでは手順前後に影響するんだよ」
「なるほど…」
 その夜、悠基は手順前後の夢を見た。トイレの前で等と対峙(たいじ)して正座し、将棋盤をお互い睨(にら)みあっている夢である。
『ありません…』
 悠基が投了を小さく告げた。
『では、お先に…』
 等は静かにそう告げると、徐(おもむろ)に立ち上がってトイレの中へと消えた。悠基は急に便意に襲われ立ち上がって地団駄を踏んだ。そのとき、悠基は、ハッ! と、目覚めた。現実でも便意が襲っていた。辺りはまだ早朝の気配で薄暗い。悠基はトイレへ急ぎ、駆け込んだ。どういう訳か薄暗いトイレの隅に、ないはずの将棋盤が置かれていた。

                          完

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2015年2月12日 (木)

不条理のアクシデント 第七十五話  涙舟

 その日も渡し舟は向こうの河岸へと通行人を運んでいた。舟は船頭以外に五人乗れる程度の小舟だ。向こう岸が見える所に設けられたこの渡し場は、地元では遠い昔から涙の渡し・・と呼ばれていた。片道10分もかからない川巾(かわはば)なのだが、どういう訳かこの川には橋がなかった。なんでも、悲しい言い伝えがあるとかで、橋を架(か)ける話は幾度もあったようだが、地先の賛同が得られず、結局、架けられないまま、今の時代に至ったそうである。
「おぅ~~い! そこの人! 乗って下さいよ。もう出ますから~」
 年老いた船頭は、待合所から出ない若い女の乗客に声をかけた。二人乗ったのだが、もう一人が乗らないのである。いつも見ない妙な客だ? と首を傾(かし)げながら、年老いた船頭は百円を二人からそれぞれ受け取った。
「あんたら、あの人、知ってなさるか?」
 船頭は二人に訊(たず)ねたが、「さぁ~?」と首を傾げるばかりだった。声は聞こえる距離なのだから、女には聞こえているはずなのである。その女はやはり待合所から出ようとはせず、泣きながら無言で船頭に頭を下げるばかりだった。陽はすでに山向こうに沈んでいた。夏場の生暖かい風も吹き、船頭はその若い女にどこか薄気味悪さを感じた。これで今日は終わろう…と船頭が思った矢先のことだった。煮え切らない女に、船頭は待っていても埒(らち)が明かないから、もうひと声かけて出そう…と決意した。
「もう、出しますぞぉ~! この舟が最後ですぞぉ~!!」
 大声で呼んだが、やはり女は涙顔でお辞儀するばかりだ。そうか…客とは限らんか…と、船頭はふと気づいて、舟を出し、櫂(かい)を漕ぎ始めた。川半ばまで来たとき、中年の乗客の一人が、ポツリと口を開いた。
「そういや、亡くなったばあちゃんが、いつやら言ってたなぁ~」
「えっ? 何をです?」
 船頭はギィ~ギィ~と漕ぎながら、その中年男に訊(き)いた。
「いやぁ~、怖い話なんで、よしますよ」
「そう言わず、聞かせて下さい」
 船頭は、せがんだ。
「ああ、俺も聞きたいな」
 もう一人の乗客の青年も、せがんた。辺りには夕闇が迫っていた。
「そうですか、それじゃ…。なんでも、この舟は涙舟と呼ぶんだそうです。それに、涙の渡しと名づけられたのには、いわれがあるようなんです。遠い昔、この渡しで帰らない男を待ち続けた女が、とうとうそれを苦に身投げをしたんだそうです」
「ほう! その話は私も初耳ですな」
 年老いた船頭も、そんな逸話があったとは知らなかった。漕ぐ櫓の軋(きし)む音がギィ~ギィ~と妙に気味悪さを高める。
「も、もう、いいです!」
 青年が話を止めた。そのとき、薄闇の中をフワァ~と人魂(ひとだま)が舟めがけて近づいてきた。
『今、私の話をされてましたぁ~~?』
 いつの間にか乗客がひとり増えていた。待合所にいた女が蒼ざめた顔で乗っていた。女は長い髪を掻(か)き上げながら、冷んやりとした声で呟き、三人を見つめた。
「ギャ~~!!」

 ハッ! と登は目覚めた。深夜の四時前だった。登は、びっしょりと冷や汗を掻いていた。寝る前に読んだ百物語のせいだ…と思った。起き上がった登は身体を拭(ふ)こうと部屋を出た。そのとき部屋の中へ登が夢で見た女がスゥ~っと現れ、髪を掻き上げながら薄気味悪くニヤリと笑った。

                          完

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2015年2月11日 (水)

不条理のアクシデント 第七十四話  集光発電所

 西暦2350年、化石燃料の枯渇により人類は深刻なエネルギー危機に見舞われ、新たなエネルギーを得る必要に迫られていた。特に、それによる電力の不足は全世界の人々の生活を危うくし、一刻の猶予(ゆうよ)も許されぬ事態に立ち至っていたのである。そのため、世界の知識人達は新たに建設された地球連合ビルで一堂に会し、地球語による会議を開催していた。地球語は世界のどの国でも通用する地球共有語として共同研究され完成したものである。この地球語は、西暦2150年から各国域[西暦2014年現在の国家単位ではない]の学校で必須教科に取り入れられていた。そして、全学生が地球語を修得することが義務付けられるようになって幾久しかった。その会議で、ついに人類は全世界が一丸となりこの一大プロジェクトに着手することを決議した。その方法は、今年度、ノーベル化学賞を受賞したクラック・エリプトンの新理論、集光発電の実践定義によってである。世界七大陸に一ヶ所ずつ、計七ヶ所の集光発電所が建設され、完成の日の目を見たのは、それから20年後の西暦2370年のことだった。この構造は、端的(たんてき)に言えばオリンピック開催のため、ギリシャ神殿で採火される採火の方式に酷似していた。要は、その形式と規模を拡大させたものである。熱反射鏡の建設には用意周到な事前準備が必要となった。まず、作業員の安全性の確保のため、太陽光線の直射熱を避ける巨大ドームが作られ、その中で円錐型の反射鏡は完成していった。発電所には変電所も不可欠である。当然、それらも整備された。
「これで、ようやく我が家も安心だ…」
 部屋の宙にプカリプカリと浮かぶエアーマットに寝そべりながら、生存番号1824367251号の平松康司は古きよき時代の飲み物、カブチーノをしみじみと味わっていた。50年前から地球に生存するすべての人々に番号制が敷かれていた。もちろん、過去に使用されていた各国域での名前は、そのまま認められていたが、パスポートやビザは、すでに廃止され、法整備も全世界共通の法規に統一されて久しかった。政治や検疫システム、通貨など、ありとあらゆる世界を分け隔(へだ)てた地域格差は、すでにこの頃、消滅していた。科学の発展が宗教の迷信を凌駕(りょうが)し、民族間の偏見ゃ紛争、戦争も過去の馬鹿げた茶番劇として、時折りアーカイブ映像で流れていた。

「康司! 起きなさいよ!!」
 肩を揺すぶられ、ベッドで眠っていた康司は目覚めた。目の前には母親の照代が怒り顔で立っていた。どうも、夢を見たようだった。昨夜、テレビで流れた某局のエネルギー討論会を観た影響か…と、康司は、ぼんやりと思った。ベッドの下に、現実にはないはずのエア―マットが、ひっそりとあった。

                         完

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2015年2月10日 (火)

不条理のアクシデント 第七十三話  教養に生きる   

 春の陽気に誘われシトシトと暖かい催花雨(さいかう)が降っている。定年退職した坂巻謙一は今日も教養に生き、書物(しょもつ)を読み耽(ふけ)っている。無教養だった坂巻が教養に生きるようになったのには訳がある。役所で勤務していた坂巻は、事あるごとに自分の教養のなさを痛感させられたからだった。話は坂巻が最(もっと)も痛感させられたその頃に遡(さかのぼ)る。

 その日も暖かい催花雨が降っていた。坂巻は上司に怒られ、すっかりテンションを落としていた。
「まあ、気にするな! 俺だって、ちょくちょくあることだ」
 休憩ロビーで窓ガラスに映る催花雨を見ている坂巻の肩をポン! と叩(たた)いたのは同期入庁の奥峰平彦だ。手には温かな二本の缶コーヒーを持っている。
「ああ…」
「まあ、飲め!」
 缶コーヒーを手渡しながら横に座る奥峰は笑顔で言った。坂巻は頷(うなず)いて、その缶を受け取った。
 坂巻が上司である課長補佐の進藤に怒られたのには訳があった。監査委員選任の人事案件を見落としていたのだ。この春、議会事務局に配属され、まだ不慣れな坂巻だったから、選任時期をうっかり見落とした。議案第3号で諮(はか)る案件だったが欠落し、その3号議案に専決処分事項の承認案件を入れてしまったのだった。運が悪いことに共同作業をしていた先輩の山下がインフルエンザで数日休んだ時期と重なった。しかも進藤は、この春の異動で係長から管理職の課長補佐に昇進したものだから、一度怒りたくてウズウズしていた最悪期だった。これも運が悪いといえば運が悪い。周囲の職員達の教養はどういう訳か高く、坂巻はそれに馴染(なじ)めなかった。彼を誰一人、フォローする者はいなかった。その坂巻をつい最近まで仕事仲間だった菅財課の奥峰が慰めたのだ。
「教養は大事だな、奥峰…」
 缶コーヒーをグビグビッと飲み、坂巻は、しみじみと呟(つぶや)いた。
「んっ? …どういうことだ?」
 奥峰にはその意味が分からない。
「まあ、いいさ…」
 坂巻は事務局の皆が教養が高く、自分は教養がないから浮き上っている…とは言えず、暈(ぼか)して流した。
「そうか! まあ、馴(な)れんだろうが頑張れ! 今晩、一杯やろうや、付き合えよっ。じゃあな…!」 
「ああ…」
 坂巻はいい親友を持ったな…としみじみ思った。奥峰は飲み干した缶を屑カゴへ捨てると、笑顔で立ち去った。坂巻は自分の教養を高めようと決意した。その日から坂巻の猛特訓が始まった。寝ては起き、起きては見つつ幻の…という坂巻が教養に生きる強烈な日々が続いていったのである。
 一年後、議会事務局の誰もが付いていけない教養の高さを坂巻は持つに至った。君(くん)呼びだった進藤が「坂巻さん、お願いします…」と、さん呼びで尊敬(リスペクト)して話すようになったのはその頃からだった。事務局の職員達も、坂巻の前では一切、教養を披歴(ひれき)しなくなった。坂巻は不思議なことに、教養のオーラに包まれ、出世の道をひた走っていった。

 今日も、春の陽気に誘われシトシトと暖かい催花雨(さいかう)が降っている。退職した坂巻は今日も静かに書物を読み耽っている。

                           完

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2015年2月 9日 (月)

不条理のアクシデント 第七十二話  傾斜[スロープ]した男  

 今年で五十半ばになる村川七郎は傾斜(スロープ)した男である。そうなったのには訳があるのだが、結果、村川家は村川の感覚に合わさねばならない破目に陥(おちい)ったのである。これは家族の全員が我慢させられるという生活の日々であり、村川以外の家族にとっては辛(つら)い歳月が流れていった。こうした生活は、家族という最小の身近な組織を崩す何ものでもなかった。大きくなった子供達は傾斜した住みにくい家を離れて、それぞれ出ていった。今では、夫婦ということで仕方なく一緒に暮らす妻の沙紀代と核家族にもならない二人暮らしを村川はしているのだった。家は当初から基礎面で約5°の傾斜角を持って建てられた。手抜き工事とかで床に置いた球が転がる・・という性質の話ではない。転がるよう設計され、床が傾斜しているのだ。すべてが村川に合わせた設計なのである。この設計を依頼したのは施主の村川だが、彼が傾斜したのには彼に関わるある出来事があった。話は当時に遡(さかのぼ)る。
 ある晴れた日、グラウンドの外野席でぼんやりと草野球を観戦していた村川は、打者が打った場外ホームランの球を受け損ね、パウンドした球で頭を打った。幸いにも直撃は避けられたから命に別状はなく、怪我も小さなタンコブ程度で済み、当初の異常は認められなかった。村川も多少の痛みは感じたが、病院へ行くほどでもないな…と判断し、そのまま建て替え前の家へ帰宅した。
 一週間後、村川は妙な感覚を感じた。家を出た途端、歩道がどういう訳か緩慢(かんまん)な下り坂になっていたのである。村川は瞬間、そんな馬鹿な! と思った。それもそのはずで、昨日(きのう)まで歩道は平坦(へいたん)だったからである。俺は疲れてるんだ…と村川は会社へ行くのを断念して体調不良で休むことにした。家へ戻(もど)った村川は、沙紀代に具合が悪い旨(むね)の訳を言って眠ることにした。家の中も傾斜していた。村川は一時的なことなんだ…と自分に言い聞かせた。
「そう…。じゃあ、夕方に起こすわね」
「ああ…」
 沙紀代にそう言われ、村川はペッドへ入ると眠った。夕方になり沙紀代がドアを開け、村川を起こした。村川はベッドを出て両足を床(ゆか)へ下ろした。おやっ? と村川は思った。平坦なはずの床は、やはり傾斜していた。まだ疲れているんだ。それに不自由するほどのことでもない…と村川は一時のことと諦(あきら)め、そのまま生活を続けることにした。だが、その症状は一時的なことではなく続いたのである。
 こんな出来事があり、村川は傾斜した男になったのである。それ以降、彼の周りはすべてが傾斜した景色が見えている。靴も前が高く後ろが低い特注品だ。靴に限ったことではなく、村川が生活する個人的なものは、すべてがそうだった。会社の机も違和感があるくらい前上がりになっている。机の前足二本の下にモノを噛(か)ませ、態(わざ)と前上がりにしたのだ。書類が落ちないように磁石ストッパーで止め、ファイルとかのぶ厚いものは机の中か足下に置くようにしていた。会社では村川中心の進行は無理だから、まあ仕方がないか…と村川も思うことにした。会社の連中も最初は異端視したが、最近では理解を示してくれるようになっていた。
 会社に異変が起きたのは、世間が不況に陥ったときだった。それは悪い異変ではなかった。あらゆる業種の、それもほぼすべての企業が不況に陥り、業績が右肩下がりになっていく中で、村川の会社だけが益々、右肩上がりの好況を続けたのである。村川自身も信じられない出来事だった。村川は身震(みぶる)いするような怖さを感じた。

                          完

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2015年2月 8日 (日)

不条理のアクシデント 第七十一話  そろそろ、お迎えが…

 そろそろ、お迎えが…と言い始めて、もうかれこれ百五年、百合崎あやめは、しっかりと生き続けていた。彼女がそう言い始めたのは喜寿が過ぎたある頃からだった。いや、それがどうしてどうして、お迎えが来るというよりは、逆にお迎えの方が遠慮する…といった塩梅(あんばい)の元気さで、益々、勢いづいているのである。逆に若返っているのではないか、と家族達を思わせる溌剌(はつらつ)さは、他の者を圧倒して大いに意気 軒昂(けんこう)だった。
 今年も秋のお彼岸が巡り、彼岸花が鮮やかに朱色で存在を主張していた。
「おじいさん! 私もそろそろ、お迎えが…」
 と、墓で悲しそうに両手を合わせるあやめだが、家族の者達は後方にズラリと並び、声を殺して爆笑していた。というのも、やはりこれをお墓で言い続けてかれこれ二十五年ほどがしっかりと経(た)っていたからである。家族は、『また、大ばあちゃんが始めた…』ぐらいの気持なのだった。百合崎家の墓参は今や増えにも増えて数十人になろうとしていた。バス一台を借り切っての旅行ならぬ墓参だった。百合崎家では墓参が済むと、家族全員で夕食を一流ホテルで囲む習慣があった。財閥の総帥、百合崎岩蔵が生存中は大広間中央のテーブルへ岩蔵が座り、家族の者達は左右に分かれてズラリと並んでいた。岩蔵の死後はその岩蔵の席にあやめが座るようになり幾久(いくひさ)しかった。
「ほほほ…、皆(みんな)も元気でなによりだこと。私はそろそろ、お迎えが…」
「なに言ってるんです、お母さん。まだまだ…」
 言い返すのが役目となっている長男の岩一郎が母を宥(なだ)めたが、そう言う岩一郎も今年で八十の傘寿を迎え、百合崎グループの相談役を辞したのである。そんな岩一郎を少し離れた斜め向かいに座る次男の嫁、蘭子が、『あなたの方が、そろそろ、お迎えが…』と、冷(さ)めた気持で見つめていた。ただ、その顔は笑っているのだから、怖(こわ)い話である。蘭子は去年、七十の古希を迎えていた。しかし、上には上がいるもので、三男の嫁、梅は密かに百合崎家の婦人会・草月会の会長職を蘭子から奪おうと画策していたのである。これはもう、怖いを通り越して、実に怖(おそ)ろしい話だった。

                              完

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2015年2月 7日 (土)

不条理のアクシデント 第七十話  粘[ねば]る女  

 沼淵(ぬまぶち)家に嫁(とつ)いで早や20年、菅子(すがこ)はすっかり中年の粘っこい女になっていた。若いときはこんなじゃなかった…と自分に言い聞かせるのだが、言い聞かせるだけに終始し、気持を元に戻すまでにはいかなくなってしまっていた。いや、なり果てていた、と表現した方がいいだろう。
 若い頃の菅子は諦(あきら)めが早かった。駄目だと分かれば彼女はすぐ見切りをつけ、身を翻(ひるがえ)した。例えば、自分の買い求めていた品がなかったとすれば、他のモノで代用しよう…と、ピン! と閃(ひらめ)いた。ところが、今ではさっぱりそのひらめきが影を潜(ひそ)め、ネチネチといつまでも粘っこく探しているのである。まるで底なし沼に足を取られ、もがく女のように…。その姿は見るも醜(みにく)いものだった。
「沼淵の奥さん、そんなこと言われましてもねぇ~。季節が季節ですから、売ろうたって卸(おろし)には、もう入荷してないんですから!」
 八百猫の主人、猫川は渋い顔で言い切った。
「そこをなんとかするのが、あんたでしょうが!」
 今の菅子は少々のことでは下がらない。粘っこく猫川に食い下がった。自分でも不思議なほど闘志が燃えているのが不思議なくらいの菅子だった。若いときなら、ああ、そうなの…と、軽く諦(あきら)めていたのだ。
「まあ、冷凍ものなら…。市場で聞いてみますがね」
 菅子が意固地になっている松茸は通常、すでに木枯らしが吹く十二月初頭では入手が困難だった。いつぞや市場へ買い出しに行った際、ふと小耳(こみみ)
に挟んだ冷凍モノの宛(あ)てが猫川の脳裡を掠(かす)めたのである。
「あるんじゃない!」
「ええ、まあ…。あるかどうかは分からないんですがね。とにかく、当たってみましょう。来週にでも出直してもらえませんかね」
 猫川にしてみれば、こんな粘っこい鳥餅(とりもち)のような女に粘られたのでは、焼き鳥にされてしまう…くらいの気分なのだ。しかし、菅子にはそんな気持は微塵(みじん)もなく、ただ感情がそう言わせているだけだった。その場は不承不承、引いて、八百猫を出た菅子だった。
 一週間が経(た)ち、菅子が八百猫へ来店すると、他の野菜より一段高い棚に籠(かご)入りの松茸が並べられていた。
「お待ちしてましたよ、沼淵の奥さん!」
「あら、あったのね! でも、もういいの。必要なくなったから…」
「ええ~~っ!!」
 猫川としては、卸に頼みこんでようやく手に入れた季節外れのひと籠だったのだ。
「そんなこと言わずに、お願いしますよ、奥さん!」
 お得意ということもあり、そう無碍(むげ)にもできない猫川だった。
「だめよ、だめだめ!」
 菅子は、またしても粘っこくなった。こうなっては仕方がない。
「もう、いいです…」
 猫川は家で食べることにし、引き下がった。高価な大損(おおぞん)である。
「半値なら買ってもいいわよ。どう?」
 猫川は半分、損を取り戻せる…と単純に思った。
「… 仕方ありません。それでいいです」
「でも、冷凍よねぇ~。この値段の四分の一にしなさいよ!」
 菅子は、また粘った。猫川は幾らかでも回収できれば…と、土俵際まで寄られて思った。
「参ったなぁ~、奥さんには…。それ以上は無理ですよ」
「じゃあ、買うわ」
 結局、猫川は寄り切られ、あっけなく土俵を割った。菅子の財布には、彼女が最初からそう思っていたのか、買い値の額しか入っていなかった。二人の遣(や)り取りを聞きながら、松茸がフフフ…と、微(かす)かに笑って震えた。

                          完

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2015年2月 6日 (金)

不条理のアクシデント 第六十九話  怪談とうもろこし 

 寝ても覚めても、とうもろこししか食べない畑田という男がいた。この男、生まれながらの天然で、馬鹿や阿呆というのではないが、発想が実に風変わりだった。畑田が育った時代はまだ、学校給食がない時代で、彼が生まれたのは終戦直後だった。幸いにも畑田の家は農家で、食うものにはかろうじて不自由しなかったが、彼は天然だからか、寝ても覚めても、とうもろこしを食べていた。食糧難の時代だったから、取り分けて変人扱いされず畑田は成長していった。
 畑田が妙な男だ…と思われるようになったのは、日本がようやく戦後の混乱期を乗り越え、発展期にさしかかった昭和30年代末期だった。畑田は高校生になっていた。昼休みである。各自、弁当持参で好き勝手に食べていた。畑田はどこへも出ず、教室の自席で、黙々ととうもろこしを齧(かじ)り、水筒の茶を飲んでいた。そこへ、同級生の黒川と金村が校庭で弁当を食べ終え、戻(もど)ってきた。
「おい! あいつ、またとうもろこし食ってるぞ!」
 黒川が金村に廊下で囁(ささや)いた。
「放っとけよ。畑田はアレしか食わねえんだから…」 
「ああ…」
 二人は見て見ぬ振りをして教室へ入り席に着いた。すでに午後の授業が近づいていた。畑田は食べ終えると、とうもろこしの食べ終えて残った茎(くき)を両手で仰ぎ上げ、深々と一礼した。
「おい! あいつ、なにしてんだ? 気味悪いな」
「ああ…いつも、ああだ。他の奴も同じこと思ってるはずだぜ」
 離れた席から黒川と金村が囁き合っている。そこへ、ぞろぞろと他の生徒が教室へ戻っていた。全員が畑田のことを異様な目で見ていることに疑う余地はなかった。黒川と金村同様、彼を避けて教室外で昼食を済ます…という習慣がいつの間にか、このクラスに根づいていたのである。
 そして、奇妙なことが起こったのは一学期も残り少なくなった梅雨明けの暑い日だった。いつものように昼食を外で食べ終えたクラスの全員が教室へ戻ってきたときだった。畑田の姿は忽然と消えていた。
「は、畑田が消えた!!」
 彼の席には彼が食べ終えたと思われるとうもろこしの茎が数本、机上に乗っていた。
 それ以降、畑田の消息は不明のままである。不思議なことに、畑田の家では彼が消えてからというもの、とうもろこしが一本も採れなくなったということである。

                               完

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2015年2月 5日 (木)

不条理のアクシデント 第六十八話  風流人  

 最近、この辺りも風情がなくなったな…と石山は思った。風流人の石山としては、この上なく始末が悪い。以前は長閑(のどか)な川や緑が住まいの周(まわ)りを取り囲み、花や野鳥、そして虫達が賑(にぎ)やかに石山を慰(なぐさ)めてくれていたのだ。それがどうしたことか、今は見る影もなくなり、風情どころの話ではなくなった。日々、車が喧(やかま)しく飛び交い、騒音は絶えることなく、静けさや情緒さえも途絶えてしまった。音だけならまだしも、目に飛び込む肝心の景色さえビル群に遮(さえぎ)られ、あの大らかな山の景色も拝(おが)めなくなったのだ。風流人の石山としては、これはもう、怒り心頭に発する…というやつである。
「ここは駄目だな。引っ越すかっ!」
 ため息混じりに石山はポツリと呟(つぶや)いた。いつまで見ていても仕方ない…と、石山は外を眺(なが)めるのをやめ、茶の間のテレビをつけた。と、その瞬間である。
『た、ただ今、局の前にた、竜巻が発生した模様ですっ!』
 映像は乱れ、臨時ニュースを流す局アナウンサーの慌(あわ)てた声が聞こえた。スタジオ内は騒然としていた。そのテレビ局は石山の家から数キロ離れた所にあった。そんな馬鹿な! と石山は思い、急いで立ち上がると窓際へ再度、近づいた。だが、景色はやはり先ほどと変わらず、長閑なのである。テレビ報道が正しければ、この上空も曇っているだろうし、少なからず荒れた天候になっているはずである。その兆候(ちょうこう)が微塵(みじん)も感じられないのである。石山は玄関を慌(あわ)てて駆け出ると、家の周りを見回した。だが、やはり天候の具合はよく、陽の光が燦々(さんさん)と石山に降り注いだ。石山は急いで家の中へ入り、テレビ画面に見入った。そこに映っていた映像は、竜巻が荒々しく辺りの家の屋根を吹き上げて渦巻く様子だった。空はどす黒く濁(にご)り、竜巻の渦は大きく蛇行しながら進んでいた。驚くことに、その映像は石山の知っている場所で、かなり近かった。
「ええっ~~!」
 これはもう、信じられないぞ…と、石山は思った。現に風流人の石山の家からは長閑な快晴の空が広がっているのである。だが、テレビ映像はどす黒い灰色の空なのだ。これは、どう考えても矛盾しているぞ…と石山は思った。
 次の日の朝刊で事実が判明した。石山の体内から放出された風流オーラが石山の家から半径1キロ圏をドーム状に包み込み、竜巻の害から守っていたのだった。未(いま)だに、石山の風流オーラは科学で解明されていない。石山は今日も長閑に茶を点(た)てて啜(すす)り、満開の桜を愛(め)でながら桜餅を頬張っている。

                             完

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2015年2月 4日 (水)

不条理のアクシデント 第六十七話  あの頃

 久しぶりに郷里へ戻った三崎耕司は、春の陽気に誘われ野道を歩いていた。そして、辺りの一変した景色を眺(なが)めながら、自然が豊かだったあの頃へと想いを馳(は)せるのだった。懐(なつ)かしく想い返されるのは、数十年前のあの頃である。当時の三崎は若かった。ただ、あの頃の俺は相当、馬鹿だった…と、今の三崎には思えた。若さ故(ゆえ)ということもあったに違いない。ただ、思慮に欠け、短慮で馬鹿だったことは紛(まぎ)れもない事実なのだ。人生も残余を数える年になって、秀でた発想に恵まれるという馬鹿げた現実が今、三崎にはあった。戻れるなら、今の発想のままあの頃へ戻りたい…と思うが、まあそんなSF映画のようなことは不可能だろう。ならば、こうして懐かしみながら、今の俺ならどうした? と巡るくらいが相場か…と寂しく思う三崎だった。
「あの! ちょっとお訊(き)きしますけん!」
 野辺で止まっていた三崎に声をかける者がいた。誰だ? と三崎が辺りを見回すと、少し離れた畦道(あぜみち)を近づいてくる一人の中年女の姿があった。次第に近づくその女を、どこか見覚えがあるな…と三崎は感じた。
「わい、耕ちゃんと違おるか?」
 女は笑顔で、どんどん近づいてくる。よくは分からなかったが、三崎も微笑み返した。
「おいよ! 池島の沙代! 忘れてしもうた?」
 三崎の脳裡にあの頃の記憶が甦(よみがえ)った。
「ああ、池島の沙代ちゃんか。忘れてんよ。変わってしもうたから、だいかと思おたと」
 郷里の言葉が三崎の口からスラスラと出ていた。
「おいも変わったばってん、この辺も変わってしもうたでっしょ?」
「ははは…わいは面影、残っとぉ。でんな、この辺は…」
 いつの間にか沙代は三崎の間近に並んでいた。
「やけん、目ば閉じて話すーで!」
 沙代が笑って言った。二人が目を閉じると、幼いあの頃の景色が浮かんだ。あの頃と変わらない暖かい風だけが、二人の頬(ほほ)へ優しく流れていた。この風の匂いは二人とも忘れていなかった。
 突然、二人の耳にチャイムが聞こえた。廃校になったはずの三崎と沙代が通った小学校のチャイムだった。小学校はずっと以前、取り壊されていた。聞こえるはずのないチャイムだった。
 二人は目を閉じたまま、あの頃を想い出していた。

                           完

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2015年2月 3日 (火)

不条理のアクシデント 第六十六話  討論会  

 テレビ局のスタジオで討論会が行われている。
「あなたは、そう言いますがね! 男が欲情をなくせば、人類は減少して滅亡ですよっ!」
 評論家の川倉一郎が少し興奮ぎみに言った。
「それは浮気を正当化する男性の詭弁(きべん)でしかないでしょ!!」
 作家の牧城里子がリターンエースのような剛速球で返した。
「男女は生理的に違うんです! あんたは欲求不満なんだ!」
 川倉が意固地になった。
「なんですって!! 失礼な!」
「まあまあ…」
 司会者の天山は川倉と牧城の激論に割って入り、宥(なだ)めた。
 この夜、開かれた討論会は、[男女の生理的機能の違いについて]という論題である。政治家、作家、評論家などから選ばれた男女が各10人ずつ左右に陣取り、スタジオへ集結していた。最初のうちは双方とも自重し、討論会は無難に推移していたのだ。ことの発端は川倉が冗談半分に言ったひと言だった。談義はそれ以降、揺れ始めたのである。
「その話題はさておき、川倉さんは男性として、いい人生を過ごされてますか?」
 天山は意味深にニヤリ! と小笑いし、話を変えた。司会者としては上手(うま)い冷却法である。
「えっ?! そりゃ、まあ…」
 川倉は冷やされて言葉を濁(にご)した。一分前とは態度が豹変していた。牧城も俯(うつむ)き加減に笑った。
「牧城さんは?」
 天山の矢は間髪いれず、牧城にも放たれた。
「はあ、まあ…」
 羞恥(しゅうち)心を煽(あお)られ、牧城は頬(ほお)を幾らか赤らめた。
「ははは…。司会者も男性ですから川倉さんの肩を持ちたいのですが、冷静に考えますと、牧城さんのお考えも筋が通っておられます。まあ、この件は双方、ほどほどということで…」
 なにが、ほどほどなのかは分からないが、結論を暈(ぼか)し、天山は二人の話を上手く終結させた。
「男女の生理機能の討論から確執の言い争いへ話が流れているとは思いましたが、お二人の話を聞いておりますと、少し笑えたのも事実でございます。まあ、少子化の時代ですから、欲情より子孫繁栄ということでご協力を願えれば…」
「あなたは?」
 事前に名簿を見落としたのか、天山が訊(たず)ねた。
「申し遅れました! 皆さんよくご存知かとは思いますが、私(わたくし)、少子化担当特命副大臣を務めます外久保です!」
 これ見よがしに、外久保は自分を売り込んだ。だが、スタジオ内は静寂に包まれ、冷んやりと凍(こお)りついた。彼を知る者は、誰もいなかった。

                          完

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2015年2月 2日 (月)

不条理のアクシデント 第六十五話  エスカレート  

 今から何年か前、神田神保町に焚口(たきぐち)という一人のしがない男が住んでいた。この男、何代も続く古書店の店主である。なりたかった本屋でもなかったのだが、気づけば父親と同じように番台へ座り、焚口書店の埃(ほこり)を掃(はら)っていた・・という訳である。少し珍しい苗字以外、焚口には別に取り立てるほど目立ったところはなかった。
 ある休店日の朝、焚口が川の畔(ほとり)を散策していると、一枚の定期入れが歩道に落ちていた。辺りに通行人はいなかった。どうせ、この辺りの大学へ通う学生が落としたんだろう…と、焚口は取り分けて気にも留めず拾(ひろ)い、学生証を手掛かりに直接、届けてやろう…と思った。
「あの、すみません。これが落ちてましたので、底鍋さんに…」
「落し物ですか? 底鍋さん…、ちょっと、お待ちください」
 自席へ下がり、しばらくパソコンを弄(いじ)っていた女子職員は、すぐ窓口へ戻ってきた。珍しい名字の学生だからか、すぐにヒットしたのだ。
「はい、確かに当学の学生です。渡しておきますので…」
「お願いします…」
 一件が片づいた…と焚口は思った。ところが、話は別の方向へとエスカレートしていくことになった。焚口が立ち去ろうとしたときである。
「あの! 失礼ですが…、お名前だけでもお聞きしたいと思います」
「えっ? ああ、私ですか? 焚口と申しますが、…ただの通りすがりの者とお伝え願えれば、それで結構です」
「そうですか。態々(わざわざ)、ご苦労さまでした」
 三日後、どういうところから住所が分かったのか、落とし主の底鍋が焚口書店へ顔を出したのである。
「あの…私、底鍋です。先だっては、有難うございました」
 買う本を手に番台の焚口の前へ彼女は近づき、お辞儀した。
「ああ、底鍋さんでしたか」
 彼女が手にしていたのは、[炊飯の哲学]というタイトルの、なんとも学問としては不可解な古本だった。
「珍しい分野の本ですね。…400円、頂戴いたします」
 事務的に焚口は話した。
「私の苗字、珍しいと思いませんか? 今、そのルーツの論文を書いてるんです。この本も資料に使うつもりです」
「ははは…そうでしたか。いや、私も珍しいな…とは思ったんですがね。私の苗字も焚口ですから、なんかご縁がありそうですね」
 焚口は笑って言った。だが、話はエスカレートすることになった。彼女は足繁く、焚口書店へ顔を出すようになった。
 三年後、二人の関係はエスカレートし続け、焚口と底鍋は結婚していた。釜口書店の台所で炊飯する底鍋の姿があった。

                          完

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2015年2月 1日 (日)

不条理のアクシデント 第六十四話  地球人 

 そもそも、このひとつしかない地球で、なにを争ってるんだい! というのが今年、小学六年になった天川星矢の疑問である。新聞にはクリミア半島周辺で揉(も)める某国の記事が出ていた。星矢はその記事を読みながら次第に怒りが込み上げていた。
「小さい! 人間は実に小さい! …」
 彼は次第に怒りで手が震え出した。こりゃ、やばい…と、星矢は新聞を読むのをやめ、テーブル上へ置いた。そして、冷静になろうと両手を広げ、深呼吸をひとつした。それでも怒りはまだ少し残っていた。彼は立ち上ると洗面台へ近づき、蛇口を捻(ひね)った。続けて、水をコップへ注ぎ入れ、ガブガブと一気に飲み干した。
 星矢が自分を地球人だと意識して思うようになったのは彼が物心ついた頃からだった。だから、かれこれ数年ばかり、そう思い続けていることになる。この思いは、学校でホモ・サピエンスと学名がつく人間が進化を遂(と)げてきた歴史を学ぶにつけ、より強固なものとなっていった。星矢の目や耳に入る世界各国の紛争や戦争は、愚(おろ)かしくも馬鹿げた人間同士の自殺行為として映っているのだった。
 飲み終えたコップを洗いながら星矢は、ふと呟(つぶや)いた。
「最近の地球は、発想がなんか重いよ。地球人の僕としては、いたたまれない!」
「なにが、いたたまれないの! そんなこと言ってないで、宿題やりなさいよ!」
 洗濯を終えた江里が顔を出した。しまった! ママがいたのを忘れていた…と、星矢は舌を出して子供部屋へ撤収しようとした。
「また、新聞!! きちっと畳(たた)んでおきなさい。パパ、怒るわよ!」
 後方から江里の激しい愚痴攻撃をうけ、星矢は慌(あわ)てて新聞を綺麗に畳み直した。毎度のことながら、江里は容赦(ようしゃ)なかった。
 日々、地球人情報という観察記録を星矢は書いていた。そのノートには細々(こまごま)と人の特徴が記(しる)されていた。

1.地球人は戦うことが好きだ。戦うことをやめると、ムラムラと、また戦いたくなるようだ→ この前、堀田君と三田村さんは仲直なおりしたはずなのに、今日の給食のときから、またケンカしていた。

 といった内容だ。最近、星矢は地球人として、このままではいけない! と深く思うようになっている。大統領や各国首脳に任せていても埒(らち)が明かない…と気づいたのだ。星矢は国際連合に見切りをつけ、地球連合を組織した。今のところ、参加人員は星矢、一人である。

                          完

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