« 2015年2月 | トップページ | 2015年4月 »

2015年3月

2015年3月31日 (火)

短編小説集(72) 接着

 世間は大型連休である。川山は連休に旅に出ることは、まずなかった。川山がそうするようになったのには、過去の痛い経験があった。遠くまで高速で出かけたのだが、行きの渋滞で半日を空(むな)しくしてしまったのである。当然、旅館にはその日に着けず、キャンセルせざるを得なかった。狂った歯車はすべてを左右する。結果、このときの旅は散々なものとなった。そんなことで、川山は連休は出かけず、日曜大工をすることにしていた。今では、それがある種の楽しみとなっていた。
 今日も川山は日曜大工をしていた。半ば目的のモノが出来上ったとき突然、ポキッ! と鉄芯が折れた。中心となる肝心の棒で、川山は弱ったぞ…と、思案に暮れた。だが、刻々と時間は過ぎていく。川山は金属用の瞬間接着剤を出し、折れた鉄芯を接着した。そして、作業を再開した。制作は順調に進みそうだったが、しばらくしたとき、鉄芯は無惨にも分断して折れてしまった。あんぐりした顔で川山はその折れた鉄芯を見た。だが、見ていても仕方がない・・と川山はハンダゴテを出し、ハンダづけしようと試みた。これで二度目である。しばらくすると接着が完成した。川山は、ヨッシャ! とガッツポーズを決め、作業を再開した。工作は今度こそ順調に行くやに思えた。ところがしばらく進んだとき、ふたたび心棒がポロッ! と折れ、工作物は大きく歪(ゆが)んだ。川山はフゥ~っと深い溜め息をついた。予定ではそろそろ仕上げにかかる時間が近づいていた。弱ったぞ…と、川山は、ふたたび思案に暮れたが、どうしようもない。スポーツドリンクで喉(のど)を潤(うるお)し、折れた鉄芯を手に持った。
「よしっ! やるか…」
 俄(にわ)か仕込みではあったが、川山は溶接技術を習得していた。最初から、そうすればよかったな…と、川山はそんな自分に苦笑した。数十分後、工作物は無事、完成していた。予定よりは数時間遅れたが、最後までやり通し完成できたことに川山は満足した。完成した工作物を見ながら川山は即席麺を啜(すす)った。そのとき、ふと川山の心中にある想いが浮かんだ。マンションの隣(となり)に住む若い夫婦は、去年、離婚した。新婚四年足らずだった。川山は接着剤だな…と思った。床下(ゆかした)の階下に住む中年夫婦は十五年足らずで離婚した。川山はハンダだな…と思った。天井(てんじょう)上の階に住む老夫婦は四十五年で死別した。川山は溶接だな…と思った。

                           THE END

|

2015年3月30日 (月)

短編小説集(71) 消えた棒

 はて? と、神はお考えになった。下界では一人の男が何やら失(な)くしたらしく、うろうろと辺(あた)りを探し歩いていた。アチラ・・コチラ・・ソチラ・・やはり、ない…。男は思案に暮れた末、諦(あきら)めたらしく、どっしりと床(ゆか)へ座り込んだ。その間(かん)、およそ半時間だった。そして、しばらくすると、男はやはり諦め切れなかったのか、ふたたび探し始めた。しかし、男が探す目的の物は、ついに見つからなかった。二時間ばかりが経過し、辺りには夕闇が迫っていた。神は天界からその様子の一部始終をご覧になっておられた。そして、ついに見つからず途方に暮れるその男を少し哀れに思(おぼ)し召(め)された。男は何やら呟(つぶや)き始めた
『あやつ、なにやら口を動かして言っておるな。どれどれ…』
 神はお手を神耳(しんじ)へとお近づけになり、聞き耳をお立てになった。千里眼(せんりがん)とはよく使われる人間の言葉だが、この場合は神の千里耳(せんりじ)である。
『なになに…、フムフム』
 男が呟いていたのは、こうである。
「はぁ~、どこを探してもない。この前は他へ置き忘れていたから、すぐ見つかったんだが…。今回は、どこにもない?」
『ほっほっほっ…なるほどのう、馬鹿なやつだ。あそこにあるではないか。少し離れてはおるがのう。ほ~っほっほっほっ…』
 神は瞬間、お分かりになったのです。その棒がどこにあるかを…。
『人間とは仕方がない生き者ものじゃて…。ソレッ!!』
 神の御手(みて)が動くや、全天に閃光(せんこう)が走り、すさまじい雷鳴が轟(とどろ)きました。
 下界では男が不思議そうに空を見上げております。それもそのはずで、雲など、ほんのひと握りもなく、閃光が走り雷鳴が轟くはずがなかったのだ。その男が見つけられなかった棒は神によって命を吹き込まれ、俄(にわ)かに生きるがごとく動き、元の位置へ戻ったのだった。それは、男がその棒を買い求める前、存在していた店だった。
「まあ、いいか…。明日(あした)、買うとしよう…」
 男は溜め息を一つ吐(は)き、夕飯の準備を始めた。
 その翌日、その棒は店で男によって、ふたたび買われ、男の家へと無事、戻った。棒は男が置いた元の場所に戻ったのである。ただ、男の心中には棒を失って買ったという気持が残った。新しかったが、その棒は何年か前に男が買い求めた棒であった。
『ほっほっほっ…まあ、よかろうて…』
 神は、ニタリと笑顔を見せられ、虚空(こくう)の彼方(かなた)へ姿をおをお隠(かく)しになった。

                        THE END

|

2015年3月29日 (日)

短編小説集(70) 一石ゼロ鳥

 何をやっても上手(うま)くいかない不器用な男がいた。つい先日など、ことのついでにと庭木の散水をしてホースを切るミスを犯した。どうすればホースをスッパリ切れるのか? と、誰もが訊(き)きたいような話だが、この男の場合、いとも簡単にそれをやってのけた。ある種、凡ミスの達人ともいえる不器用さだった。しかも、それだけではない。この男がホースを切った庭木は見るも不格好な枝ぶりで、剪定? と首が捻(ひね)れるお粗末さだった。これでは一石二鳥どころか、一石一鳥にもならない一石ゼロ鳥な訳である。まあ、他人がどうこう言う話ではない上に、有名作家ということで家人は何も言わなかったから、そのまま捨て置かれた。家人はすでに何を言っても無駄と諦(あきら)めた節(ふし)があった。
 こんな男が世の中で役に立っているのか? といえば、それがどうして、ほどよい塩梅(あんばい)に役立っていた。まあ、一日中、座ってモノを書くだけの作家だから、役に立っているのかは疑わしかったが、それなりに彼の本は売れていて、印税も困らぬ程度に入っていたから役立っていたのだろう。彼の顔は世間に少なからず知られていたから、この不器用さはカバーされていた。困っていたのは出版業界などの彼の原稿関係だった。
 書斎に置かれた電話が鳴り、男は受話器を取り、対応していた。
「お忘れですか?」
「そうそう…、この前の依頼だったよね」
「ええ! そうですよ! 先生は忘れぬようにとメモっておられました!」
「それなんだがね…。うっかり原稿の書き損じた紙と一緒にゴミへ捨てたようなんだ」
「あの、ご依頼をお受けになったご記憶は?」
「ははは…。記憶できるくらいなら、私がメモるかね? 君」
 男は逆に編集者を切り返した。
「はあ、それはまあ…。ということは、手つかずで…」
「ああ、まあね…」
「まあじゃありませんよ、先生! 私が編集長に怒られます!」
 編集者は半泣きの声で訴(うった)えた。
「分かった分かった。そう言うなよ、君。いつまでだった、ソレ?」
「来週、火曜です!」
「よし、分かった。あさって取りに来るだろ? その原稿と一石二鳥で渡すよ」
「大丈夫ですか!?」
 100%疑った編集者の声がした。男は編集者に、まったく信用されていなかった。
「大丈夫、大丈夫!」
「本当に大丈夫ですか!?」
 信用できません! と口から出かけた言葉を必死に止(とど)め、編集者はくり返した。明らかに不信を露(あらわ)にした確認だった。
「ああ…。じゃあ、切るよ」
 男は編集者の諄(くど)さに少しムッとして電話を切った。
 来週の火曜は、瞬く間に巡った。表戸がガラッ! と開き、家人に案内された編集者が馴(な)れたように書斎へ入ってきた。
「先生、原稿を取りに来ました。お願いします!」
「えっ!? 今日だった?」
 編集者は言葉を失い、ガックリと項垂(うなだ)れた。
 男は原稿を依頼されたことすら忘れていた。一石ゼロ鳥だった。 

                       THE END

|

2015年3月28日 (土)

短編小説集(69) 外来語

 益川は多くの聴衆を前に講演をしていた。
「…で、ありまして、誠に素晴らしい人物なのであります。私は彼を深く尊敬し、リスペクトいたしております!」
 聴衆の一人、桃葉はニタリ! と笑い、蚊の鳴くような小声で呟(つぶや)いた。
『あの人、分かってねえな…。尊敬してリスペクトする訳か…』
 聞こえたのか、桃葉の左隣りに座っていた柏木が小笑いした。
『フフッ、私もそう思いますよ。ダブってますよね』
『ええ、重複してダブってますね』
 二人は大きく笑いそうになり、かろうじて小笑いで凌(しの)いだ。それでも静寂の会場だからか
、後ろ席から咳払(せきばら)いがした。二人は押し黙った。そして、数十秒が経過した。益川は自分の演説に酔ってきたのか、次第に声高(こわだか)の絶叫調になっていた。
『フフッ、後ほど…』
『はい…』
 意気投合した桃葉と柏木は、軽く挨拶を交わした。そのとき、桃葉の右隣りに座っていた梅川が呟いた。
『私も仲間に入れて下さいよ…』
 二人は無言で梅川を見て会釈した。
 益川の講演が終わり、彼は万雷の拍手を浴びて退席した。三人は笑いながら野次的な拍手を散漫(さんまん)に叩(たた)いた。多くの聴衆は乱れながら立ち、退席を始めた。三人は座ったままだった。
「桃葉と申します。いやぁ~、参りましよ、あの方には」
 桃葉が話の先陣を切った。
「桃葉さん? 変わった苗字ですな。私、柏木です」
「梅川です」
「いや、どうも。大物ともなれば、間違いなど屁とも思わない。ああ、なりたいものです…」
 桃葉は左右に座る柏木と梅川を交互に見ながら存念(ぞんねん)を吐いた。
「ははは…、そのとおり! 尊敬してリスペクトすりゃ、かなりの尊敬です、はははは…。最近、こういうのが多いんですよ。私、国語教師をやってますが、つくづく日本語の乱れが嫌になってます。若者言葉もさりながら、意味なく使う外来語が増えていけません」
 柏木は本筋を披歴(ひれき)した。
「私は魚河岸で働いてる根っからの魚屋ですがね。なんか最近、魚河岸から出ると話すのが怖いです。猫も杓子(しゃくし)も外来語入れますから、こちとら、分かりゃしない!」
 梅川が怒り口調(くちょう)で愚痴った。
「ははは…、まあまあ。そろそろ、立ちましょうか?」
 多くの聴衆も、ある程度出て通路は空いてきていた。その状況を確認し、桃葉が二人に言った。
「そうですね…」
 柏木が同意して立ち、梅川も続いた。
「どうです?! このあと、すこしお茶でも飲みながら話すっていうのは…。こうしてお会いしたのも何かの縁です」
 桃葉が二人を誘った。
「いいですね!」
 柏木は、すぐ乗った。
「すぐ近くに茶店(さてん)があります。ツリーだったかな…確か、そんな茶店ですが、どうです?」
 梅川は、よくこの辺(あた)りに出没するのか、地の利に明るかった。
「あっ! そうですか。じゃあ…」
 話はすぐに纏(まと)まり、三人は会場をあとにした。
 三十分後、ツリーの店内では笑声が渦巻き、三人は意気投合していた。
「ダメダメ! 尊敬してリスペクトしちゃ~」
「ははは…。まだ、なんか言われてましたよ。最後の方で」
「高齢者は介護だけじゃなくケアしなくてはなりません…でしたか?」
「介護してケアですか? ははは…、こりゃ、至れり尽くせりだ!」
 三人は大笑いした。しばらく話し、三人は外へ出た。辺りに暗闇(くらやみ)が迫っていた。三人の姿が小さくなった頃、店の名を示す照明が灯(とも)った。
━ ツリーという木 ━ 


                       THE END

|

2015年3月27日 (金)

短編小説集(68) 蒟蒻[こんにゃく]

 柔崎(やわさき)は蒟蒻(こんにゃく)のような高校生だ。苗字(みょうじ)からして柔らかそうな男子生徒である。彼はすぐフニャリと曲がる自然体で生き続けていた。恰(あたか)も、裏も表もない蒟蒻そのものだった。ついた渾名(あだな)はそのものズバリ、コンニャクである。
「おい! 2組のコンニャクだ。ちょうどいいや。ムシャクシャしていたとこだし、愚痴を聞いてもらおうぜ」
「そうだな…」
 イジメではない。柔崎は[なんでも聞き係]になっていた。男子、女子生徒を問わず柔崎のところへ来て、愚痴をブツブツと吐いてはスカッ! として帰っていった。いつの間にか、その評判は全校にも及び、学年を問わず、彼のところへ来ては愚痴るようになっていった。また、その時々の柔崎の対応が上手(うま)く、生徒達の愚痴を聞くだけでなく、いい相談相手として解決策や解消策も示したから尚更(なおさら)だった。学校はイジメの逆現象として、見て見ぬ振りをした。というよりか、校長は密かに見守る方針を取った。彼はすでに多くの先生を凌(しの)ぎ、学校の有名人であった。そして今日も、同学年で1組の男子が二名、柔崎に目をつけ、近寄ろうとしていた。
「ちょっとさぁ~、話があるんだけど時間、あるかなぁ~」
「ああ、すみませんねぇ~。放課後の5時10分からにしてもらえませんかぁ~。もうすぐ予約の方が来られるんで…」
「ふ~ん、そうなんだ…。じゃあ、それで頼むよ!」
「はい、分かりました」
 柔崎は予約ノートへ鉛筆で記入した。男子生徒二名は立ち去ろうとした。
「あっ! すみません! もう一度、こちら向いて下さい」
 背に声を受け、ギクッ! と立ち止った男子生徒二名は振り向いた。
「え~~と。竹川君に松海君ですね。すみません、お手間を取らせました。では、のちほど…」
 この高校には名札必携の古き伝統の校則があった。柔崎は二人の名札を見て素早くノートへメモし、足早に去った。逆に取り残された二人は茫然(ぼうぜん)と柔崎を見送る破目になった。
「お待たせしました! どういった内容でしょう?」
 校舎裏である。すでに女子生徒が待機していた。その生徒は、すぐにペチャクチャと愚痴りだした。
「ああ~そうでしたか。それは、いけない! 向田さん、それは、あなたの方が正しいですよ、ぜったい! 無視してやりなさい、無視、無視!」
「ありがとう、コンニャク。いえ、柔崎君」
「まあ、僕もそれとなく手は打っときますが…」
「どうするつもり?」
「それとなく、そうしないように言い含めますよ」
「そう、お願いするわね。スカッ! としたわ」
 向田は軽く礼をすると去っていった。
「これで、一つ片づいたと…。あっ! いけねぇや。授業が始まる!」
 柔崎はメモし終えたノートを手に、教室へと急いだ。
 

                      THE END

|

2015年3月26日 (木)

短編小説集(67) よく効きます!

 宝木は病院へ行こうか、どうか迷っていた。というのは、悪いとは感じないし、具合が悪いというほどの体調でもなかったからだ。妻に夜な夜な攻められ、宝木は体力的にギブアップ寸前だった。しかし、かろうじて夜のお勤めを果たし、仕事のお勤めに朝、疲れ顔で家を出ていたのだ。妻は益々、艶(つや)っぽく綺麗になっていく。それに反比例するかのように、宝木は貧相になる一方だった。これ以上、痩せたくはないのだ。勤務の予定はその日に限って空(あ)いていて、昼から明日のプレゼンテーション準備だけだった。
 気づけば、病院前のエントランスに宝木は立っていた。そして、いつの間にか受付で手続きを済ませ、待合室の長椅子にいた。
『宝木さん、どうぞ…』
 マイク音が響き、宝木は診察室へ入った。
「どうされました?」
 医者が馴(な)れた静かな声で言った。
「… どこも悪くはないんですがね」
「えっ?」
 医者は宝木の言う意味が分からず、怪訝(けげん)な表情をした。
「調子はいかがですか?」
 医者は気を取り直して、また訊(たず)ねた。
「はあ、お蔭(かげ)さまで…」
「はあ?」
 医者は、やはり意味が分からず途方に暮れた。
「ちょっと、前を開けて下さい」
 医者は聴診器を耳に付けながら、医者のパターンにしようと試みた。それには逆らわらず、宝木は素直に胸をはだけた。
「大きく吸って…。はい、吐いて…」
 医者は聴診器を胸へ当て、上から目線の言い方で呼吸音を確かめた。
「…大丈夫ですね。どこか、調子悪いんですか?」
 医者は、訝(いぶか)しそうに宝木に訊ねた。
「いや、どうも精力が…」
「はあ?」
「ナニですよ。ははは、先生…」
「あっ! ああ! ああ! そっちでしたか。ははは…」
 やっと意味を理解したのか、医者は笑って声を和(やわ)らげた。
「いいのが、ありますよ。よく効きます! お出ししておきましょう」
「アレですか?」
 宝木は、てっきりバイアグラだ…と思い、ニヤけながら暈(ぼか)して訊(き)いた。
「アレじゃないんですがね。…まあ、よく似たようなものです。よく効きます!」
「そうなんですか?」
 宝木は身を乗り出した。
「間違いありません。その新薬、現に私が服用してるんですから。はっはっはっ…!」
 医者は大笑いした。
「ははは…。効きそうですね?」
 釣られて宝木も笑った。
「ええ。間違いなく、よく効きます!」
 医者が太鼓判を押した。その瞬間、不思議にも宝木は、ムラムラと身体に力が湧(わ)くのを覚えた。

                      THE END

|

2015年3月25日 (水)

短編小説集(66) 賞

 美術展覧会場内のホールである。受賞した者達が順々に表彰されていた。葉桜もその中の一人で、少し前、観客席の前列から上がり、表彰状とトロフィーを受け取ったところだった。この手のものは貰(もら)って悪い気がしない…と、トロフィーを眺(なが)めながら葉桜は壇上で北叟笑(ほくそえ)んだ。葉桜が貰ったのは努力賞である。あとで懇親会…と続く会の構成上、誰彼(だれかれ)となく賞を与えようという開催者側の意向で受賞となったのだ。だから、招待された者で受賞していない者は皆無(かいむ)だった・・ということになる。
「お疲れさまでした…。なかなかの力作ですね!」
「はあ? …ええ、まあ」
 懇親会が開かれ、グラス片手に葉桜は紳士風の知らない人物からそう言われ、ニタリ! とした。どうも同じ受賞者の感じがした。
「あなたは何賞を?」
 紳士風の人物は唐突(とうとつ)に訊(たず)ねた。
「ははは…、まあ」
 努力賞を…とも言えず、葉桜は笑って濁(にご)した。よく考えれば、オリンピックで金メダルをとった訳でもなく、ただ描いて出品した一枚の絵なのだから、どうってことはないのだ。そこらのゴミと一緒にされて捨てられても決して不思議ではなかった。だから、努力賞とトロフィーを頂戴できただけでも御(おん)の字で、葉桜は少しずつ恥ずかしくなっていた。懇親会にいることすら不釣り合いに思えた。
「私は技巧賞でしたよ」
「ほう! それは素晴らしいですね!」
 少し驚いたふりをして褒(ほ)めた葉桜だったが、内心では、『まあ全員が貰えるんだから、大したことはないさ…』と、冷(さ)めて思っていた。
 美術展覧会は会員制で、会の維持のため、年会費を出資する仕組みになっていた。額自体はそれほど高額ではなかったが、それでも、懇親会ぐらいでは元は取れんぞ…と、葉桜は、さもしくも思った。
 数日後、葉桜の職場に一報が届いた。美術展覧会からの電話だった。
「おめでとうございます! あなたの絵が世界の○○賞受賞作に決定いたしましたっ!」
「えっ! 本当ですかっ!!」
「はい! ただ今、大賞決定の報がっ!」
 電話の声は興奮ぎみに震えていた。葉桜もその声に促(うなが)されるように興奮した。
「そうですかっ! 有難うございましたぁ~! ところで、○○賞って、なんですか?!」
「はあ?」
 葉桜は、その賞を知らなかった。

                        THE END

|

2015年3月24日 (火)

短編小説集(65) 教訓

 あの津波で被害を受けた人々は、その事実を教訓とした。防潮堤などという気分的な安心で人々を救えないことも人々の教訓となった。もの凄(すご)い高額な予算を計上して作られた二重の防潮堤が、あの津波の前に無力だったことも人々は事実として知っていた。平地に町を再建するなら、住民が避難し、収容できる強固な避難ビルが必要だという発想が起こった。それも、全住民を収容し得る避難ビルでなければならないと…。もちろん、分散した小、中規模の避難ビルが何ヶ所かでもいい…と人々は思った。防潮堤に予算を当てるなら、まずそちらが先決だろう…というのが、現実を体験した人々の気持だった。むろん、高台に町を再建するならば、それもよし・・と人々は考えた。この場合、寝起きをする住宅地と漁業関係施設は切り離さねばならない。高台に出来た町と漁港や漁業施設とを結ぶ通行道路も必要となるだろう…と人々は思った。このように、人々は津波の教訓から多くのことを学んだ。それは、自然が人々に教えた訓示だった。人間は自然には勝てないと…。勝てない以上、被害を未然に防ぐか最小限にとどめるしか、人々には対応する術(すべ)がないことも教訓として知らされた。津波に無力だった防潮堤は、災害を抑えられる…という思い上がった人間の考えが引き起こした教訓だった。
 あの放射能で馴(な)れ親しんだ故郷(ふるさと)や住家を捨てるという被害を受けた人々は、その事実を教訓とした。非常用発電機という気分的な安心で、人間、家畜や動物を救えないことも人々は教訓として知らされた。冷却不能に陥(おちい)り、メルトダウンという恐ろしい放射能汚染の事実を知った人々は故郷を離れねばならなかった。そして、今もこの現実は続いている。一端放出された放射能が短い歳月で消えない、いや、消せない事実も人々は教訓として知らされたのだ。自然の被害に対応し得ない非常用発電機や放射能を中和して消せない科学の力など、あってなしに等しいと…。家畜は死に絶え、或いは野生化して死の町と化した地域をさ迷い歩いている。その前に、なにも出来ない無力な人々の科学力。こんな科学力など無(な)かった自然に恵まれた遠い過去の方が…と被災した人々は思った。津波に無力だった非常用発電機は、技術は盤石(ばんじゃく)だ…という人間の科学技術への過信が引き起こした教訓なのだ。
 ○○年後、こうした幾つもの教訓を経(へ)て、人々は町を再建し、復興させていった。やがて、被災地に活気が戻った。そして、さらに歳月(としつき)が流れていった。
「いがったなぁ~~」
 海底の巨大地震で、ふたたび大津波が襲ったとき、人々は完璧(かんぺき)な避難ビルで安全を確かめ合い手を取りあった。人々の住家に被害は出たが、放射能汚染や人的被害はなく、多くの尊い命は救われた。自然が無言で示した教訓を、人々が素直に受け入れた恩恵であった。

                      THE END

 ※ 再建とは、人間以外の動物、家畜への完全な保護対策をも含む。

|

2015年3月23日 (月)

短編小説集(64) さみだれ横丁

 さみだれ横丁は、正確には五月雨横丁と書く。だが、界隈(かいわい)の住人は小難(こむず)しいということで専(もっぱ)ら仮名(かな)書きを使用し、馴(な)れ親しむようになった。ただ、親しまれるようになるまでには、いろいろとあった。
 まず、その謂(いわ)れである。不思議なことにこの横丁へ入った初めての人々は、横丁へ来た目的を五月雨が降るようにすっかり忘れ、陰気に横丁の外へと流れ去るのだった。そして、横丁を出てしばらくしたとき、おやっ? と自分がここへ何をしに来たのかを想い出し、横丁へと方向転換した。ところが、ふたたび横丁へ入る角(かど)を曲がった途端、またすっかり目的を忘れ、流れるように横丁を出ていく・・といった塩梅(あんばい)になった。そういうことが何度か続けば、流石(さすが)に日は傾いてくる。やがて夕方近くとなり、横丁へ来た人々は目的を果たせぬまま帰途につく破目となった。そんな噂(うわさ)が評判となって世間へ広がり、いつの間にか誰彼(だれかれ)となく五月雨横丁と呼ぶようになったのである。界隈の住人は、いい迷惑なのだが、呼び名が小粋(こいき)なことから、定着してしまった、という経緯(いきさつ)があった。
 次に、迷った者が帰途に着(つ)くときは必ず雨になるという点である。もちろん、初めて訪れた者だけに現れる奇怪(きっかい)な現象で、界隈の住人は普通に横丁を出入りしていた。まあ、他にもいろいろとあるのだが、そこがお聞きになりたい方は、私に直接、聞いていただきたい。私が聞いた真相を、詳(くわ)しく語りたいと思う。まあ、それはさておき、今日もまた一人、横丁を訪ねてやってきた若い娘がいる。年の頃は17、8の芸能人にしたいような美形である。
「ああ、あったわ。あそこを曲がれば五月雨横丁ね…」
 娘は地図の書かれた小さな紙と辺りの景色を照らし合わせながら立っていた。娘は今年入社した芸能プロダクションの新人マネージャーで、横丁内に新築された邸宅を訪ねてきたのだった。家は、とある超有名な芸能界の大御所女優が建てたのだが、娘はそのお付きのマネージャーに抜擢されたのである。審査に立ち会ったその女優の鶴の一声で決まったのである。
 娘は歩き始め、横丁へ入る角を事もなげに曲がった。すると、そのときである。
『あれっ? 私、何しに来たのかしら、こんな所へ…?』
 辺りを見回せば、見たこともない景色が広がっている。もちろん、初めて来た土地だから分からないでもなかったが、娘が疑問に思ったのは別の意味だった。娘は立ち止り、考えを過去へと遡(さかのぼ)らせた。芸能プダクションを出た…までの記憶は戻った。しかし、なぜ出たのかという目的の記憶が娘には欠落していた。私、どうかしてるのかしら? と、娘は首を捻(ひね)った。そこらをウロつく徘徊(はいかい)症では無論、なかった。とすれば…と、娘は考えを巡らせた。通行人がそんな娘を怪訝(けげん)な眼差(まなざ)しで見ながら通り過ぎた。娘はとうとう居たたまれなくなり、その場所からUターンした。ひとまず事務所へ戻(もど)ろう…と娘は思い、横丁を出た。そして、しばらくしたときだった。あっ! と、娘は目的を想い出した。娘は、ふたたび横丁への角を曲がった。瞬間、娘はまた目的を忘れた。そういうことが三度(みたび)あり、娘は四度目は横丁へ入らない! と決意した。携帯で女優を呼び出したのである。
「あっ! 先生ですか? 私、マネージャーを務めさせていただきます新人の最上川(もがみがわ)と申します。近くまでお迎えに参ったのですが、生憎(あいにく)、道に迷ってしまいまして…。はい! … お迎えの車は駅前へ止めております。すぐ近くだということでしたので…」
『ああ、そうなの…。ウフッ! あなた、横丁で忘れたんじゃない?』
「えっ!? ええ、まあ…。よく御存じで」
『ここ、あるのよ。怖(こわ)かった? 私もね、最初、新築の家を見に来たときさ、立派な建物だけど、誰の家かしら? って思ったものよ。そう! 分かったわ。私が駅まで行きます。駅で待ってて頂戴』
「分かりました。どうも、すみません! お時間は大丈夫でしたでしょうか? 社長に聞いてなかったもので…」
『大丈夫、大丈夫。ほほほ…私! だもの。待たせときゃいいのよ、泣きつかれた雑誌社の取材だからさ』
「そうでしたか。よかった…。では、のちほど…」
 最上川はホッ! として携帯を切った。不思議なことに、急に雲が出て五月雨がポツリポツリと降り出した。傘を持っていない最上川は、慌(あわ)てて早足で駅へと駆(か)けだした。━ 五月雨を 集めて早し 最上川 ━ だった。

                      THE END

|

2015年3月22日 (日)

短編小説集(63) 資格

 資格を取るのが生き甲斐(がい)という男がいた。元来、資格は生活するための仕事に就(つ)く手段なのだ。そういう意味では、資格を取ることを生き甲斐にするのは・・妙と言えば妙なのである。自己顕示欲が強い人間はそうした傾向が強いのだが、彼の場合はそうではなく、純粋に楽しみとしていた。資格を取るため勉強するプロセスが好きなのであり、資格を取ってしまえば、そんな資格、取ったか? と、忘れるような男だった。かといって、彼の行為が法律で罰せられるのか? といえば、まったくNo,だ。まあ、知らぬが仏・・で、どうでもいい話ではある。
「あなたは、確か…?」
 男は偶然、隣り合わせたベンチの若者に声をかけられた。
「はあ…。こういう者です」
 男は便宜上、作った名刺をポケットから出し、若者に手渡した。名刺には[資格の王者  ○○○○]と印字されていた。
「ああ、あなたがあの有名な資格の王者さんですか? この前、テレビで…」
「ははは…少し前でしたね」
 俺も有名になったな…と、男は恐縮した。
「で、今はなにをなさってるんです?」
「えっ?」
 男はギクリ! とした。とても『次の資格を取ろうと勉強中です』とは言えなかった。
「はあ、まあ…」
 男は言葉を濁した。俺はなんのために資格を取ってるんだろう…? と、素朴な疑問が男に湧(わ)いた。
「じゃあ、僕、行きますので…。頑張って下さい!」
「どうも…」
 若者はベンチを立つと、どこかへ消え去った。男は茫然(ぼうぜん)と 立ち去る若者を見送った。
 そのひと月後、男は資格取得の通信教育会社、アイキャンへ就職し、働いていた。

                          THE END

|

2015年3月21日 (土)

短編小説集(62) 一品料理

「ははは…なにを今さら。私なんぞ、ずっと連休ですぞ。年(ねん)がら年じゅう!」
 自慢っぽく賃貸マンションの大家(おおや)、黒豚が言った。彼は自慢じゃないが、飲み屋以外、このマンションから一歩も外へ出たことがない…と自慢にもならない話を自慢する変わり者である。すべての所用を助手兼雑用係の焼丸が一切、賄(まかな)い、黒豚がやることと言えば、月一度のマンション住人に対する集金訪問だけだった。それも、ピンポ~~ンと押して、返事がなければ、二度目は焼丸が回るという怠慢ぷりだった。
「いやぁ~、あなたとこうして飲むのも、もう彼是(かれこれ)三十年ほどにもなりますな」
 小料理屋、茅葺(かやぶき)のカウンターで、串竹が突き出しを(つ)まみながら、そう言った。
「そうそう。あのマンションを建てたのがそれぐらいですからな。それ以降、あなたとはご昵懇(じっこん)にさせてもらってます」
 そう言うと、黒豚は生ビールのジョッキをグビリと飲んだ。二人は適当に語らい、酔いが回れば適当に分かれた。席を立つ合図は、助手の焼丸が迎えにきた頃合いになっていた。人々が行楽に浮かれる連休も、黒豚と串竹は飲んでは食すのが常だった。
「旦那、明日から数日は休みますんで…」
 申し訳なさそうに茅葺の主人、葦(あし)原が一品料理の芋の煮っ転がしの小鉢を二つ置きながら言った。この店の煮っ転がしは山椒(さんしょう)風味で実に美味だった。
「連休ですかな?」
「ははは…、家族にせがまれまして」
「夜っぴいて出られるか、下を走られた方が賢明ですな」
 黒豚が、ほんのりした赤ら顔の美味(うま)そうな顔で、自慢っぽく知ったかぶった。
「有難うございます。うちは夜行のバス予約でして…」
 空振りに終わった黒豚は撃沈し、芋の煮っ転がしを箸(はし)で摘まんだ。いや、それは一瞬、摘まんだように見えたが、生憎(あいにく)、カウンター下へと落ちて転がった。そこはそれ、変り者の黒豚である。酔いもあってか悪びれもせず、しゃがみ込んで下へ手を伸ばし、手の指で芋を摘まみ
上げると口へ運んだ。汚(きた)ねぇ~…と主人の葦原は思ったが、『客には言えねぇ~言えねぇ~』と思うにとどめ、天井(てんじょう)を見上げて目を逸(そ)らした。
「まあ、連休です。…いろいろありますな。家族サービスして下さい!」
 串竹が黒豚をフォローするように話題を刺し込んだ。黒豚は丸焼きにされた豚のような赤ら顔で、腕を見た。そろそろ、焼丸が迎えに来る頃合いだった。黒豚の勘は的中した。ガラッ! と戸が開き、焼丸が出来上った黒豚を盛り付けに来た。美味そうな一品料理が席をフラフラと立った。

                        THE END

|

2015年3月20日 (金)

短編小説集(61) ゆったり…

 泰然自若(たいぜんじじゃく)を正(まさ)に絵で描いたような男がいた。この男、少々のことでは動じない、いわば落ちつき払った余裕と風格が感じられる男だった。そんな男だから、やれ地震だの火事だのと辺(あた)りの者が騒ぎたてようと、重い腰を上げた試(ため)しがなかった。男が座る足下(あしもと)の座布団には苔(こけ)が生えてるに違いない…と、近所の者達は陰口を叩(たた)いた。だが、男はいっこうに気にする様子もなく、相も変わらず、ゆったり…遠くの景色を見続けた。この日もすでに日は西山へ没し、夕闇が迫っていた。
「あのう…夕飯ですが」
 息子の嫁が離れへやって来て、いつものように盆に乗せた夕食を運んできた。
「ああ、有難う。そこへ置いて下さい…」
 男は決まり文句を一つ吐(は)き、相も変わらず、ゆったり…遠くの景色を見ながら座布団に座っていた。そして時折り、薄気味悪くニヤリ! と笑い、なにやらボソッと呟(つぶや)くのだった。呟く男の視線の遥か先には、地元で神の祠(ほこら)として祭られた岩山があった。
 ある日、息子の嫁は、何を呟いておられるのだろう…と聞き耳を立てた。
『ははは…、神さま、そういう訳にも参りません。私にそのような実力はありませんから…』
 男は、ゆったり…囁(ささや)くように呟いた。神さま? と、息子の嫁は訝(いぶか)しく思った。そして、ひょっとしたらボケかしら? と昨日観た痴呆症のテレビを思い出した。夕闇が忍び寄っていた。息子の嫁は少し気味悪くなり、足早(あしばや)に離れを去った。相も変わらず男は、ゆったり…座りながら置かれた盆を手繰(たぐ)り寄せた。
『では、いただきます…』
 男は、すでに暗闇となった遥か先の神の祠を望みながら呟いた。箸(はし)を取り、男はいつものように食べ始めたが、急に箸を止めた。
『えっ! 今宵ですか? そんな…。なんの準備もしておりませんが…』
 男は急に驚きの呟き声を出した。男が言い終わると、不思議にも一陣の風が舞い、風鈴がチリン! と音を立てて鳴った。男は驚きとは裏腹に、やはり、ゆったり…動じなかった。
 その翌朝、息子の嫁が離れへ朝食を運んだとき、男の姿は忽然と消えていた。男が座っていた薄汚れた座布団の上には神の祠のお札が一枚、置かれていた。

                        THE END

|

2015年3月19日 (木)

短編小説集(60) 頑張れ~!

 堤防の土手道を小さく移動する物があった。谷岡が目を凝(こ)らすと、それは、一人の子供が懸命に自転車のペダルを漕(こ)ぐ姿だった。一瞬、谷岡は、そんなはずはない…と、目頭(めがしら)を擦(こす)った。だが、その子は疑うべくもなく、遠い自分の姿だった。いや、そんな馬鹿なことはない…と、もう一度、谷岡は子供の姿を凝視(ぎょうし)した。やはり、その子は遠い幼(おさな)い頃の自分だった。ふと、谷岡にその頃の記憶が甦(よみがえ)った。確かに、この光景に似た記憶が谷岡にはあった。
 季節は丁度、青葉が芽吹く今の時節だった。そのとき俺は…と、谷岡は記憶を辿(たど)った。そうだ…、母ちゃんが倒れたと小野先生に言われたんだ。俺は学校を早退し、病院へ向かっていた。この堤防の道だった…。徐々(じょじょ)に谷岡の追憶は鮮明になっていった。あのとき…、そうだった。あと五分、早いとね…と、医師の富沢は言ったのだ。両眼を閉ざした母の顔が幼い谷岡の目に焼きついていた。それが今、甦ったのだった。
 陽炎(かげろう)で堤防が揺らいで見えた。その中を幼い谷岡は、懸命にペダルを漕いでいた。見えるはずがない幻(まぼろし)の姿を、谷岡は今、見ていた。谷岡は、思わず叫んでいた。
「頑張れ~!」
一瞬、ペダルを漕ぐ子供の谷岡が谷岡を見た。いや、谷岡にはそう思えた。そして、谷岡の意識はゆらゆらと陽炎のように遠退(とおの)いた。目を開けたとき、辺りにはすでに夕闇が迫っていた。谷岡は堤防の草叢(くさむら)で眠っていたのだった。不思議なことに、違う記憶が谷岡に甦った。谷岡は、亡くなる前の母に会えたのだった。母は、二コリと幼い谷岡を見て笑っていた。

                          THE END

|

2015年3月18日 (水)

短編小説集(59) 裁[さば]き

 再審の法廷で、ああでもない、こうでもないと、原告被告側の双方が丁々発止(ちょうちょうはっし)の大激論を展開していた。主神はその光景を霞(かすみ)の上より静かにご覧になっておられた。
『人間の行いじゃのう…。双方とも間違っておるというに…』
 溜め息混じりに主神は、そう仰せになった。
『いかが、いたしましょう?』
 お付きの見習い神は、主神の傍(かたわ)らで畏(かしこ)まりながら伺(うかが)った。
『捨ておきなさい。いずれ、その過(あやま)ちは人間、自(みずか)らが背負うことになるのじゃからのう。世が乱れれば、上手(うま)く裁(さば)けておらぬ、ということじゃ。世が平穏に住みよくなれば、それは上手く裁けておるということになる』
『ははっ! 最近、冤罪(えんざい)とやらで、無罪などと騒いでおりますが…』
『ほっほっほっ…愚(おろ)かしくも情けなきことじゃて。裁きは一度限りじゃ。二度も裁くは真(まこと)の見えぬアホウがすることである。ほっほっほっ…いずれ、世に現れるわ』
『と、申されますと?』
 見習い神は訝(いぶか)しそうに主神を窺(うかが)った。
『考えてもみよ。罪なき者が繋(つな)がれし間、罪ある者は悠々自適に暮らし、逃げ仰せておる。罪ある者が世に君臨し、罪なき者が世に出られぬとならば、上下(うえした)倍の差、いや、数倍になるやもしれぬが、世の荒廃、隆盛の差となるであろう…』
 主神は笑顔を見せられ、厳(おごそ)かな声で語られた。
『ならば、捨て置けぬのでは?』
『先ほども申したとおり、捨て置きなさい。裁きを誤まれし償(つぐな)いは、人間、自らが償わねばならぬ…』
『ははっ!』
 法廷では、裁判が続いていた。主神は聞くに堪(た)えぬという嘆(なげ)かわしい顔つきで、両の耳を手でお塞(ふさ)ぎになった。
『行こうかの…』
 主神と見習い神を乗せた霞は、法廷より空の彼方(かなた)へと消え去った。
 

                        THE END

|

2015年3月17日 (火)

短編小説集(58) 危[あや]うい!

 地球カラス会議が世界各国から選出されたカラスの代表達によってカアカアと開催されていた。カラス連合[カラ連]事務局長が口を開いた。
「カア! 最近の人間達は、我々を食べるそうであります。我々は非常に危(あや)うい! のであります。このような食文化が全世界に広がれば、我々は絶滅の危機に陥(おちい)る可能性もあり、ゆゆしき事態なのであります。本日、お集まりいただきましたのは、この件に関し、皆さま方のご意見を拝聴し、有効な対応措置及び対策を検討いただければ、と考えております。よろしく、お願い申し上げます。時間も限られておりますことから、僭越(せんえつ)ながら、私(わたくし)が議長として指名させていただきたく存じますので、宜(よろ)しくお願い申し上げます。カア!」
 事務局長が、軽く頭を下げて羽根をサワッと軽く広げると、代表達は一斉(いっせい)にカアカア…と拍手ならぬ歓声をあげた。
「カア! 有難うございます。…では、最初にこの件を事務局へ提訴されました日本代表から、説明をお願いいたします。カア!」
「カア! ただいまご紹介にあずかりました、日本代表であります。我が国の、とある地域では現在、カラス肉を特産品にしようという、実に嘆かわしい事態が進行しております。カラス御膳と名打って、胸肉のステーキ、手羽のから揚げ、ガラスープ、モツの串焼きと、まあ語るも、おぞましく、危うい! 話なのでございます。ここに至りまして、事態を放置できぬ! と決断し、事務局へ提訴に及んだ次第でございます。なにとぞ、多数のご意見をたまわり、適切なる対応措置、対策等をご発議願いますようお願いを申しあげる次第でございます。カア!」
「カア! 有難うございました。では、ご羽根(きょしゅ)いただいたアメリカ代表。カア!」
「カア! あの…モツと申されましたが、その辺(あた)りの詳(くわ)しいご説明をお願いいたします。カア!」
「カア! では、日本代表、お願いいたします。カア!」
「カア! 失礼いたしました。モツとは砂肝(すなぎも)、心臓、レバーでございます。カア!」
「カア! アメリカ代表、いかがでしょう? カア!」
「カア! 有難うございました。理解いたしました。それにしても、人間の雑食性は我々を凌(しの)ぐようでございます。彼等はなんでも食べるようです。カア!」
「カア! 議長もそのように考えます。では次に…」
 事務局長は一堂に会したカラス達を、ゆったりと見回した。
「カア! はい、ロシア代表。カア!」
「カア! 人間世界では今、発言された代表の方と私の国は今一、関係しっくりしていない訳でございますが、私はカラスとしてアメリカ代表と羽根を携えてこの危機を乗り越えたく存じます。カア!」
 これを聞き、代表達はふたたび、拍手ならぬ歓声をカアカア…とあげた。意見、感想が各国代表から幾つか、述べられ、続いて対応措置及び対策の協議へと会議は推移した。
「カア! 断固、戦うべし! カア!」
「カア! そうだ! カア!」
「カア! お静かに! はい、そちらの代表。カア!」
「カア! 人間はアホウだとアホウドリが申しておりました。私達も心ない人間達に羽毛(うもう)利用の目的で乱獲され、絶滅の危機に陥ったが、今は反省したらしく、丁重に保護されていると…。ですから、もう少し長い目で彼等を見るべきだと、私は思います。カア!」
「カア! その事実は議長の私も聞き及んでおります。人間は人間同士で戦い傷つけあう、アホウで馬鹿な動物のようです。危うい! のは、私どもより、むしろ彼等かも知れません。私どもが戦わずとも、いずれ…。カア、カア!」
 事務局長は言葉を濁(にご)した。


                      THE END

|

2015年3月16日 (月)

短編小説集(57) 靴のご神託

 土井は疲れていた。これで三日、徹夜が続いている。休みたいとは思うが、会社の実情は予断を許さず、ここ一カ月が峠という重病人のような状態だった。あちら、こちらと、土井は新たな資金繰りに奔走(ほんそう)していた。幸い、土井の活躍のお蔭(かげ)で会社は不渡りを出さず、どうやら回復の兆(きざ)しが見え始めた。それとは裏腹に、土井の靴はすでに裏底が擦(す)り切れ、明日をも知れぬ状態であった。
「よく働いてくれたが、お前もそろそろな…」
 会社からようやく解放され、家へ着いた土井は玄関で脱いだ靴を眺(なが)めながら、しみじみと呟(つぶ)いた。
『今、なんと仰(おお)せになられました? それは余りに攣(つ)れない申しよう…』
 んっ? 靴が話した! いや、そんな馬鹿な話はない。靴が話す訳がない! と、土井は靴を手に持ち凝視(ぎょうし)した。
『私(わたくし)でござります、ご主人さま! これだけ奉仕せし身を、ご無体にも、お見限りになられるとは…!』
 靴から出た時代言葉の声は、確かに土井の耳に聞こえた。土井は、ああ、過労のせいの幻覚か…と思った。靴を玄関下へ置いた土井は、奥の間へ入ろうとした。
『お待ち下さりませ、ご主人さま!』
 土井の背にまた声がした。土井は少し怖(こわ)かったが、思いきって振り返った。すると、玄関下へ置いた靴が微(かす)かに震動していた。
『私が申すのは、決して保身に身を窶(やつ)すいい訳などではござりませぬ。歴然とした理由があるのでござります』
「どういうことで?」
 いつの間にか土井は靴に話しかけていた。
『私が、かく申すは妙かとは存じまするが、ここは一つ、ご主人さまのために申しておかねばなりますまい。なにを隠そう、私はあなた様の守り神なのでござります。この神足(じんそく)を後生大事になさりますれば、あなた様の幸せは疑うべくもなし。家内安全、家運隆盛!』
 どこかで聞いたような言葉だ…と、土井は思った。
「で、私にどうしろと?」
『それでござります、ご主人さま。私はもうあなた様のお足になることはできませぬ。しかしながら、ここに鎮座し、他の靴どもに霊気を与えることにより命(めい)を下(くだ)すことはできるのでございます』
「なるほど…」
『さすれば、私めを靴箱の上へ置き、安置下さりませ! 十日に一度、いや、ひと月に一度ほども塵(ちり)を払って下さりますれば、過分の幸せにて…』
「ああ、そうなんですか? じゃあ、そうさせてもらいます」
『なにとぞ、よしなに!』
 次の瞬間、靴の微かな震動は止まった。土井の額(ひたい)に脂汗(あぶらあせ)が滲(にじ)んだ。土井は顔面蒼白(がんめんそうはく)となり、奥の間へ駆け込んだ。
 その後、土井は聞いた通り、その靴を一段高い靴箱の上へ丁重に安置した。それ以降、土井の人生履歴は右上がりの隆盛を極め、一家は繁栄を続けた。

                         THE END

|

2015年3月15日 (日)

短編小説集(56) ド派手[はで]な男

 春 爛漫(らんまん)、桜が咲き誇(ほこ)っている。そこへ一人のド 派手(はで)な男が現れた。この男が現れれば周囲の人々が全員、振り向く・・といったド派手さで、見る人々の度肝(どぎも)を抜いた。しかし人々は、誰もその男を知らなかった。
「誰だい? アレは?」
「さあ…」
 通行人が二人、囁(ささや)きながら男の前を通り過ぎた。
 話は三年ばかり前に遡(さかのぼ)る。
 春爛漫の桜が咲き誇っていた。その中にその男もいた。少し離れたところでは政界、芸能界などの有名人を囲み、[桜を楽しむ会]という催(もよお)しごとが行われていた。その様子を遠目に、男は家から持参の特製ジュースを堪能(たんのう)しながらキャンバスに桜を描いていた。この男の場合、描き方が違った。桜を愛(め)でる人々を含めて描くのである。人々も含め、満開に咲き誇る桜を一つの情景として描くのである。すでに桜花の下の人々は絵には欠かせない一部に溶け込んでいた。男の握る筆がなんとも流暢(りゅうちょう)に流れ、一枚の油絵が完成していた。その間(かん)、僅(わず)か20分少々であった。男は世界に屈指の画壇の天才だった。だが、残念なことに、誰もその男の名を知らなかった。男は有名になりたい…と思った。だがそれは、マスコミの力が必要だった。男はふと、自分の服装を見遣(みや)った。なんとも地味(じみ)だった。これでは駄目だな…と思えた。その日から、男はド派手な服装で出かけ、絵を描くようになった。
 そして、月日は流れたのである。今日もその男は春爛漫の桜を遠目に、ド派手な服装で絵を描いていた。しかし、相変わらず、誰もその男のことを知らなかった。

                           THE END

|

2015年3月14日 (土)

短編小説集(55) 豆腐慕情

 久品(ひさじな)優(すぐる)は豆腐好きである。あの柔らかい感触が堪(たま)らん! と言うのが彼の口癖だ。その彼は、美味(うま)い豆腐を探し求めてアチコチと散策するのを唯一の楽しみにしている。平たく言えば豆腐に慕情を抱く趣味である。先だっても、こういうことがあった。
「この豆腐、色艶(いろつや)がいいですねぇ~」
「へへへ…嫌(いや)ですよ、お客さん。白い豆腐に色艶なんて、あるんですかぁ~?」
 水槽に沈めた豆腐を綺麗に水中で切り分けながら、豆腐屋は妙な客だ? とばかりに久品をチラ見した。
「いや! それが、あるんです」
 久品は自信ありげに言い切った。
「ほう、そうなんですか…。あっしには分からねえや」
「まあ、味がよけりゃ、いいんでしょうが…」
「そりゃ、そうですよ。どうです?」
「そうですね…。絹と木綿を一丁ずつ、それと油揚げを五枚ほどもらいましょうか…」
「へい! 毎度!!」
 主人は馴れた動きで、注文された品を包んだ。
「安いですね!」
 代金を聞き、久品は驚いた。
「へへっ、初めてのお客さんですからね、サービスですよ。それに、豆腐 通(つう)とくりゃ、こちとら儲(もう)けられねぇ~や」
「悪いね!」
「いいんですよ、お客さん。また、ご贔屓(ひいき)に!」
 笑顔で見送られ代金も激安だったから、久品としては大満足だった。久品は手にした豆腐に、しみじみと慕情を感じた。
 別に、豆腐を安く買おうと店へ入った訳ではなかったが、結果としてどの店でも安く買え、久品は重宝(ちょうほう)した。いつしか、豆腐屋仲間の口コミで、久品の名は有名になっていった。彼の通称は[褒(ほ)め旦那]である。まだ久品が来てない店は注意を喚起(かんき)された。久品の慕情趣味は、次第に危うくなっていった。
 ところが、である。こういう慕情には、得てして天からの助けがあるものだ。久品の慕情趣味が、どういう訳かマスコミに取り上げられ、テレビや新聞、週刊各誌を賑(にぎ)わすことになった。彼は一躍、時の人としてスター扱いされ始めたのである。ついに、久品に一度、来店してもらおうと、全国の豆腐屋が彼を待ち焦(こ)がれるような事態となった。
 それから一年が過ぎ去ったとき、久品は豆腐博士として大学に聘(しょうへい)され、商品学の客員教授として教壇に立っていた。講義内容は、豆腐に関する慕情的研究である。

                       THE END

|

2015年3月13日 (金)

短編小説集(54) 波の音

 雲の上から海を臨(のぞ)む浜辺伝いの庭は波静かだった。庭のハンモックの上で岡倉は揺られていた。いつの間にか眠気に誘われ、岡倉は読み始めた書物を芝生の上へ置き、眠っていた。そよ風にハンモックが微(かす)かに揺れた。その岡倉自身を岡倉が、雲の上から眺(なが)めていた。
 大空に浮かぶ雲の上だった。岡倉は寝 転(ころ)がり、フワリフワフワ…と漂(ただよ)っていた。下界を望む岡倉に、いつやら現実にあった光景が見えた。雲の高さからは到底、見えるはずもない、僅(わず)か数mばかり離れた間近から見える大きさだった。鮮明だった。長閑(のどか)に家族達が暮らすあの頃の光景があった。庭で飼っていた愛犬が吠(ほ)えていた。妻や子の騒ぐ賑やかな笑顔があった。岡倉は思わずそれらを抱き寄せたい衝動にかられた。
 次の瞬間、光景が一変した。穏やかなさざ波の音が途絶えた。しばらくして、横一列の波が海岸線をめがけ、ひた走る光景が望めた。やがて、すべての人々や物が波に飲み込まれていった。あり得ない悪夢だった。だが、それは岡倉が体験した現実の光景だった。
 岡倉は目覚めた。海を臨(のぞ)める浜辺伝いの庭跡は波静かだった。その庭跡の土の上で岡倉は目覚めた。かつてそこには庭木に吊(つ)るされたハンモックがあった。すべてが跡形もなく岡倉の前から消え去っていた。だが、あの前とちっとも変らない静かな波の音があった。

                          THE END

|

2015年3月12日 (木)

短編小説集(53) 不滅の原理

 千代田は想い巡っていた。この世に生じたものは移ろいとともに消え去っていく。たとえそれが泰然自若(たいぜんじじゃく)として動かない山や川などの自然であろうと、宇宙次元での長い時の流れの中では移ろい、消えては生まれるのだ…と。この不滅の原理は、物理学で[エネルギー保存の法則]というらしい…と千代田が知ったのはつい最近のことだった。アインシュタインというメジャーに知られた偉い学者先生が相対性理論とかで考えだした質量・エネルギー等価原理で、E=mC^2の数式で表(あらわ)したと書かれていた。千代田にとっては、そんな小難しい知識はどうでもよかった。第一、彼には物理学の知識など皆無だった。もっとシンプルに考えたかったのである。
 遠い親戚の法事があり、千代田は父親の代理で席についた。なんとも、居心地が悪く、借り物の猫のように末席で飲み食いし、話しかけられれば適当に応対して静かな聞く人になりきっていた。
「いやぁ~~、ああなるのかねぇ~。お骨あげのときは愕然(がくぜん)でしたよ」
「そうでしたか…。僕は何度か、そういう場に臨(のぞ)んでますので…」
「馴(な)れりゃ、どうってことないんでしょうがね…」
「ええ、まあ…」
 知らない親戚の男の酌(しゃく)を杯(さかずき)に受けながら、千代田は普通に応対していた。話す言葉とは裏腹に、この酢もろこは実に美味(うま)い…と思っていた。そしてふと、ある想いに至り、千代田の箸(はし)が止まった。
「どうかされましたか?」
 遠い親戚の男が訊(たず)ねた。
「あっ! いや、べつに。ははは…」
 愛想笑いをして誤魔化(ごまか)し、千代田は箸を動かした。千代田が思ったのは、もろこは食べられて消える。消えるが、僕のエネルギーになる。じゃあ、人は? ということだった。幸い、遠い親戚の男は深追いせず、用を足しに席を外(はず)した。千代田は、ひと安心して、苦手な日本酒をやめ、いつも晩酌(ばんしゃく)で飲むコップのビールを飲み干(ほ)した。遺体は骨だけだ…と、千代田は祭壇に安置された骨壺を遠目で見つめた。一瞬、祭壇の遺影が動いた。いや、動いた気がした。千代田は目頭(めがしら)を擦(こす)った。気のせいか…と、また酢もろこを摘(つ)まみ、コップに瓶ビールを注(そそ)いだ。そうだ! と閃(ひらめ)き、胡坐(あぐら)を掻(か)いた膝(ひざ)をひとつ、ポン! と打った。
「えっ? どうかされました?」
 そのとき、遠い親戚の男がニヤけながら席へ戻(もど)ってきた。膝を打ったところを、どうも見られていた節(ふし)があった。
「ああ、いや、なに…。急用を思いだしましてね。そろそろ、失礼を…」
 丁度、頃合いでもあり、千代田は席を立つとお辞儀して玄関へ向かった。家人の老女が急いで送りに出た。
「少し早いですが、急用がありまして…。この辺りで…。お疲れの出ませんように」
「ご丁重に…態々(わざわざ)、痛み入ります。本日は、どうも遠いところを有難うございました」
 家人の老女は決まり文句のように流暢(りゅうちょう)に言葉を流した。立て板に水だな…と千代田は思った。千代田の家は、そう遠くはなかった。
「いえいえ…」
 千代田は家を後(あと)にし、歩きながら考えた。あっ! 消えた遺体は、魂(たましい)と分離するんだ…と。身体の魂の分離・・これが、すなわち死か…。千代田は不滅の原理を単純に理解した。

                         THE END

|

2015年3月11日 (水)

短編小説集(52) てんとう虫曲線

 田所謙一は物事に対するとき、どうしても柔和になれない性格だった。要は、人や出来事に対して丸くなれないのである。人の場合だと、相手の話を愛想よく聞くとか、聞き上手(じょうず)になる・・といった類(たぐい)だ。どうしても自分の思いを直に返すものだから、相手との話し合いは、ほとんどの場合で角(かど)が立ち、尖(とが)った。挙句の果てには、二度と君とは口を聞きたくない! となり、関係が決裂した。こういう男が職場で役に立つのか? といえば、はっきり言ってNo,!![駄目]だろう。だが、捨てる神あれば拾う神ありで、Don,t Worry!![大丈夫]だった。彼は会社の備品倉庫で一日中、話さない物との整理や収納に明け暮れていた。周囲には誰も人はいず、彼は出勤するとタイムカードを押し、昼になれば買ってきた弁当を会社の電子レンジでチン! して食べ、持参の魔法瓶の茶をマグカップで飲んだ。そして、また仕事をし、退社時間になると、タイムカードを押して帰宅するのだった。会社も一本筋が通った男としていつか役立つだろう…と田所を首にはせず、温存したのである。そんな角(かく)ばった田所の角(かど)が取れ、曲線のように丸みを帯びたのは、ひょんなことだった。
 その日、田所はいつものように会社備品の確認しながら整理をしていた。確認は備品台帳を睨(にら)みながら備品と照合する。睨むのが人ではないから問題は起きなかった。田所が見つめる台帳の上にどこから飛んで来たのか、一匹のてんとう虫が舞い降りた。なんとも綺麗な背模様と曲線に、田所は睨むでなく見つめた。すると妙なことに、田所の心の尖りが削(けず)られ始めた。もちろんそれは、目には見えないメンタルなものだった。一時間後、そのてんとう虫はフワッ! と舞い上がり、どこかへ消えた。田所は一時間、ただじっと、そのてんとう虫を見続けていたことになる。そして一時間が立ったとき、田所の心はすっかり削られ、丸くなっていた。
「君、人が変わったそうだね。なにか、あったの? あの尖りの田所さんが? って、社内で評判だそうじゃないか」
 社長室に呼ばれ、田所は直接、社長に訊(たず)ねられた。
「ええ、まあ…。てんとう虫曲線です」
「んっ? …なんだ、それは?」
 社長は訝(いぶか)しそうに田所を見た。

                          完THE END

|

2015年3月10日 (火)

短編小説集(51) 馴染[なじ]みたい…

 村越は裕福が故(ゆえ)に気苦労が絶えなかった。
「あっ! おはようございます」
「おはようございます」
 勤務日で村越が自動開閉門を開けようと、戸外のボタンを押したときのことである。表の舗道で冗談にも美人とは言えないご近所の中年主婦、戸神佐知江と池島妙子が挨拶をしていた。まあ、それはいいとしても…と村越は思いながら見ていた。どうせ、無視(シカト)だろ! と少し怒(いか)り気分で思ったが、案の定、二人は村越の姿に気づくと無視し、避けるように家内へ引っ込んだ。その素早さといったら、尋常のものではなく、恰(あたか)も、素早い独楽(こま)ネズミのようであった。いつものことだから、さほど腹立たしくもなかったが、村越にすれば朝からどうも気分がよくない。それでも、かろうじて怒りを鎮め、村越は車を発進した。今朝、お抱え運転手の寺崎が気分が悪くなった・・と電話してきたからで、そのときは仕方ないな…と思った。すぐに他の運転手を回してくれ! と実家へ連絡を入れると、悪いときに悪いことは重なるもので、五人いる常駐運転手の誰もに空(あ)きがないという。村越にとって会社など、どうという所ではなく休めばよかったのだが、生憎(あいにく)、経済団体主催の親交ゴルフコンペがあり、父親に頼まれてそうもいかなかったのである。で仕方なく村越は、「今日だけだぞっ!」と、誰に言うでなく大声を発し、ハンドルを握る人になったのである。内心、村越はご近所と馴染(なじ)みたい…とは思っていた。だが、相手国が好戦的では村越としても厳戒体制で臨(のぞ)まねばならなかった。まるで、今朝のテレビに映っていた地中海だな…と、運転しながら村越は、ぶつくさ思った。道の途中で、いつもなら見える景観が消え、霧が俄(にわ)かに出てきて、車の視界を遮(さえぎ)った。村越はおやっ? と思った。霧が出ることなど、天気予報は言っていなかったからである。村越はヘッドライトを点灯させ、自転車並みの速度で走った。10分ばかり走り、会社まで残り半ばというところで霧は急に消えた。村越はやれやれ…と思った。しかし、その安堵(あんど)感は一時(いっとき)のことだった。
 会社へ着いたとき、驚愕(きょうがく)の光景を村越は目にした。エントランスに座って笑顔で出迎えてくれるはずの若い美人受付嬢の二人がいなかった。いや、いることはいたのだが、それは村越が今朝見た不美人の中年主婦、戸神佐知江と池島妙子の顔をした受付嬢だった。村越は瞬間、Oh! My God! これは夢だ…と思った。だが、夢とは思えない現実感が村越の感覚にはあった。二人は当然のように、村越を笑顔ではなく無視して視線を机上へ伏せた。
「おはよう!」
 社内で村越の方から声をかけるなどということは前代未聞の珍事だった。それが、現実に起こっていた。村越に
馴染みたい…と思う深層心理が働いたのである。その瞬間、戸神と池島の顔が消え、いつもの若い美人受付嬢の笑顔に変化した。村越は目を擦(こす)った。
「おはようございます。…社長、どうかされました?」
 愛想よい笑顔で受付嬢が訊(たず)ねた。
「いや、なんでもない…」
 村越が社長室へ入り椅子へ座った途端、辺りは霧に閉ざされた。村越が、なんだ! と立ち上がると、不思議にも霧は一瞬で消えた。そこは出かける前の村越の自宅だった。村越は、ゾクッ! と寒気を覚えた。腕を見れば出たときの時間だった。まあ、仕方がない…と、村越は戸外へ出て、自動開閉門のボタンを押した。表の舗道では、戸神佐知江と池島妙子が挨拶をしていた。この光景は今朝あったはずだ…と村越は思った。そのとき、二人は村越の姿に気づいた。
「おはようございます! 村越さん」
 何かが違っていた。
「あっ! おはようございます!」
 村越は思わず笑顔で返し、馴染んでいた。

                      THE END

|

2015年3月 9日 (月)

不条理のアクシデント 第百話  風聞の掟[おきて]  

「まさか、そんな! 常務が…」
 業務部の部長代理、北舟が驚きながら副部長の熊毛に返した。
「いや、本当らしいですよ、部長代理。どうも常務、魔が刺したというか…」
 北舟よりはいくらか情報通の熊毛は、穏やかに北舟の耳元で囁(ささや)いた。
「いやぁ~、副部長。すぐには私、信じられんです。常務は身持ちの堅い方ですから」
「私だって同じですよ。まさか、あの方が…って、今でも思いますよ。彼女は社長のコレでしょ?」
 北舟は右手の小指を立てて熊毛に示した。
「らしいですね。で、いつの話です?」
「いやあ、昨日ね。秘書課の揚羽君から…。いや、彼女も風の噂(うわさ)って言ってたんですがね」
「風の噂ですか…。だとすれば、専務派の工作ということも考えられます。いや、その可能性が、むしろ高いですよ、副社長を決める役員会前ですから。私達としては迂闊(うかつ)なことは申せません」
 熊毛が北舟に釘を刺した。そこへ業務部長の小鹿が、か細く現れた。
「あなた方、どうかしましたか?」
「いやなに…。カクカクシカジカなんですよ、部長」
 熊毛は情報のあらましを小鹿に報告した。
「それは、間違いなく営業部の諜略(ちょうりゃく)だぞ、君!」
 歴史好きの小鹿は、か細く断定した。
「はあ、私もそうは思うんですが…。実はですね…」
 熊毛は、今にも小鹿を食べるように耳元で囁いた。
「ほう…常務が。なに? …うんうん。揚羽君から。ああ、…あの子なら知ってる。…風の噂だって? 詳しく今夜、聞いておくよ」
 熊毛が耳元で話す勢いに圧倒され、小鹿はつい本音(ほんね)を漏(も)らした。
「ええっ!」「ええっ!」
 北舟も熊毛も驚いた。まさか、揚羽が小鹿のナニとは知らなかったのだ。本人が洩(も)らしたのだから、これは間違いがない。さて、そうなれば、常務の噂よりこの事実を専務派の営業部に知られることの方が危(あや)うくなる。
「部長! しばらく、揚羽には逢わんで下さい! 漏れれば、常務が不利になります!」
 熊毛が小鹿に懇願(こんがん)した。
「分かった…」
 これが、風聞を封じる三人の掟(おきて)となった。だが、話は予想もしないところから漏れたのである。それは、夫の行動を不審に思った小鹿の妻が素行調査を依頼し、会社役員の婦人会で愚痴ったのだった。ところが時を同じくして、営業部長の猪田の浮気も妻の愚痴で発覚し、常務派と専務派の抗争は引き分け(イーブン)となった。
 一週間が過ぎ去り、役員会の席である。
「副社長には系列会社の岡田社長を招聘(しょうへい)することにした。皆、宜(よろ)しく頼む!」
 創業者である社長のひと声で、役員会は五分で終わった。専務派も常務派も、『トンビに油揚げか…』と、テンションを下げた。

                          完

|

2015年3月 8日 (日)

不条理のアクシデント 第九十九話  謎の花

 見たこともないような花が戸畑の庭のプランターに一輪、ひっそりと咲いていた。戸畑は家内の雑用を済ませながら頭の中でアレコレと巡った。
━ いったい、あの花は、なんなんだ? ━
 もちろん、植えた覚えはなかった。どうにも気になってしようがない。戸畑は書斎へ入ると図鑑を調べ始めた。しかし、どこにもその花の名や写真は出ていなかった。次第に戸畑は焦(あせ)り始めた。見間違いということもある…と、ふたたび庭へ出て確かめてみたが、やはり、その見たこともない花は咲いていた。よく見れば、微妙に花びらが動いているではないか。微速度撮影した映像なら分かるが、現実にゆっくりと動く花など、戸畑は今まで見たことがなかった。いや、戸畑に限らず、誰も目にした者はいないだろうと思えた。戸畑は図鑑のことを忘れ、その花に見入った。すると、花から微(かす)かな音が聞こえてきた。目だけでなく耳も怪(おか)しくなったか…と、戸畑は束(つか)の間、思った。身体を花に近づけると、確かに花から音が流れていた。その音は戸畑が今まで聞いたことがない妙な音色だった。慌(あわ)てて書斎へ駆け戻(もど)り、戸畑はボイス・レコーダーを手にすると、一目散に庭へ舞い戻り、スイッチを入れた。戸畑はその妙な音色をボイス・レコーダーにしっかりと録音した。いや、したつもりだった。戸畑があとから再生すると何も録音されておらず無音だった。
 そんなこともあってか、戸畑は疲れを取ろうと、ひとっ風呂(ぷろ)、浴びた。上がって肴(さかな)を摘まみながら一杯やっていると、夜になっていた。いつもは回らない少しの酒がその日に限ってよく回り、戸畑はすっかり酔ってしまった。眠気も襲い、早めに眠ることにした。戸畑はすぐ、深い眠りへと落ちていった。どれくらい眠っただろうか。戸畑がふと、妙な冷気に目覚めたのは深夜だった。
『今日は、どうも…』
 戸畑は聞こえるはずがない女性の声に起こされた。戸畑のベッドに冷気が忍び寄っていた。戸畑がハッ! と半身を起したとき、プランターに植えられた謎の花がどういう訳か暗闇の中に輝いて見えた。嘘だろ! と、戸畑はベッドを下(お)り、謎の花が咲くプランターへ近づいた。紛(まぎ)れもなく今日見た花だった。だが、戸畑は寝室へプランターを運んだ覚えがなかった。妙だ…と、戸畑が思ったそのときである。
『ええ、私の方から来たのですよ…』
 戸畑は気持を見透かされたようで、ゾッ! とした。それでなくても、花が話すこと自体が不気味で、夢と思わずにはいられなかったのだ。戸畑はそのまま意識が遠 退(の)いた。
 次の朝、戸畑の姿は神隠しに遭(あ)ったように消えていた。寝室には、謎の花が二輪、プランターの中で寄り添って咲き、置かれていた。

                         完

|

2015年3月 7日 (土)

不条理のアクシデント 第九十八話  退化

 春のいい天気なので、ブラリと自転車で外出した木島は軽くペダルを漕(こ)いで家へと戻(もど)った。そのときふと、自転車で流れた景観が頭へフラッシュした。迂回(うかい)した道路で行われていた電柱工事である。電話線? いや、電線だったか? と木島は動きを止めて考えた。だが、どうしても記憶は戻(もど)らなかった。意固地になった木島は、ネット検索に打って出た。よく考えればどうでもいいことなのだが、このまま分からず終(じま)いにする、というのが木島の性分には、どうも合わなかった。で、パソコンをさっそく開けて検索をしたのだが、どうにも分からず、とうとう畳(たたみ)の上へ大の字になり、不貞腐(ふてくさ)れる破目に陥(おちい)った。結果、どうにもならないまま、パソコンをシャッ心が晴れず、木島は畳(たたみ)の上へ大の字になって不貞腐(ふてくさ)れた。そのときチャイムが鳴り、友人の汲田が玄関から勝手に上がってきた。いつものことなので、さして木島は気にしなかった。
「なんだ? 金欠か?」
「そうじゃ、ねえんだよ…。そうだ! お前、アレ知ってるか?」
「アレって?」
「ここへ来るとき、やってたろ。工事さ」
「ああ、あれか…。あれは電線だ」
「なんだ、そうか…」
 あっ! という間に、木島の難問は解決した。結局、パソコンを駆使して知識を得ようという方法は徒労に帰した。ふと、木島は思った。文明の利器とか言うが、ひょっとすると、人は退化してるんじゃないか? と。小難しいことを機械に考えさせ、自分達は何も考えず答えを得ている。これって、退化なんじゃないか…。木島は他の例も気づいた。自分達は遊び道具がなかったから作って遊んだ。今の子供達はテレビゲームとかの既製品を買って機械相手に遊んでいる。それはそれで結構なことなんだろうが、反面、作ったり工夫したりする人間本来に備わった能力を、自らが退化させているんじゃないだろうか…。木島はネガティブ思考になるのが嫌で、考えないことにした。そんな無口になった木島に汲田が問いかけた。
「お前、何かあったか?」
「いや、何もないさ。ちょっと、文明を気づく人間が馬鹿に見えたのさ」
「どういうことだ?」
 汲田が木島を窺(うかが)う。
「ひと言(こと)で言えば、便利に馴(な)れ過ぎた人間が、退化してるってことさ」
 木島は淡々と答えた。
「退化か…。言えるかもな。劇的に世を揺るがすような発明や発見も最近、ないからなぁ~」
 汲田も同調した。
「小ぶりで努力賞的な発見は多いんだがな。どでかい、のがない」
「ああ…、退化だ」
 汲田が腕組みしながら頷(うなず)いた。
「鳥インフルエンザで何万羽も殺処分らしいぜ」
 汲田は続けて言った。
「それだって、他のいい方法が分からないからだろ? いや、分からないんじゃなくって、すでに考える能力が多分に退化し始めてるのかもな、ははは…」
 木島がまた、淡々と答えた。木島と汲田の会話は、いつの間にかすっかり冷えきっていた。二人は同時にくしゃみをした。

                          完

|

2015年3月 6日 (金)

不条理のアクシデント 第九十七話  流れで…

 池波伸次は流れに身を任(まか)せて生きる男だった。それはまるで、♪時の過ぎゆくままにぃ~♪と有名歌手が唄っていたような格好よさではなく、飽くまで行き当たりばったりの出たとこ勝負・・という、なんとも不安定で格好悪い生きざまだった。それでも池波は、それでよし! としていたから、これはもう、他人がとやかく言う筋合いの話ではなかった。大きなお世話なのだし、池波はそれで損をしたことがなかったのだから尚更(なおさら)である。
 桜が散り、花筏(はないかだ)が池の濠(ほり)を優雅に流れている。池波は土手の草原に座りながら、その流れを眺(なが)めていた。俺もこんな綺麗に流れる人生を…などと不似合いに思いながら、池波は、ヨッコラショ! と立ち上がった。そのときだった。池波の視線の先に大きな壺の蓋(ふた)が見えた。誰かが捨てたものが土に埋(う)まってるんだろう…と、池波は軽く思って立ち去ろうとした。だが、その壺の蓋は、実に鮮やかな瑠璃(るり)色に輝いていた。太陽の乱反射か…とは思ったが、池波は妙に気になった。近づいて手にし、その蓋を取ってみた。中には金銀宝石が、ぎっしりと詰まっているではないか。ハハ~~ン、誰かが何かの事情で埋(うず)めたんだ…と池波は思った。これも流れだ…と思え、壺を掘り出すと池の水で洗い、池波は何もなかったように本の位置へ戻(もど)して埋め、立ち去った。どうも、よからぬ風が流れているように思えた。これも、流れで生きる池波の勘(かん)だった。
 三日後、テレビ画面がその池の濠を映し出していた。音声は池波が戻した壺と窃盗事件を絡(から)めて報じていた。池波は嘘(うそ)だろ! と思った。
「池波さんですか? 誠に申し訳ございませんが、署までご同行願います…」
 刑事らしき私服の警官が警察手帳を示して池波の前へ現れた。持ち帰らなかったとはいえ、洗ったりして手に触れた以上、指紋が付いているのは当然で、警官が訪ねてきたのも頷(うなず)けた。池波は、まあ、流れで…と、パトカーへ乗り込んだ。車の中で、嫌味含みでアレコレ訊(たず)ねられたが、どういう訳かいい風を池波は肌に感じた。その勘は実に見事に当たっていた。取り調べが始まって二分も経(た)たないうちに、犯人自首の報が警察に入ったのだった。池波に対峙(たいじ)して座る刑事の偉ぶった口調が一変した。
「どうも、すみませんでした!! お引き取りになって結構です!」
 池波は署長以下、総出で見送られた。こうなったのも、流れで…と、池波は思った。警察をあとにして、歩きながら、ふと、ズボンのポケットへ手を突っ込んだとき、池波はいい流れの風を肌で感じた。ズボンには以前、買った三枚の宝くじが入っていた。池波はその足で宝くじ売り場へ向かった。その宝くじは三枚とも池波の勘どおり当たっていた。池波は前後賞を含め数億円をを手にし、言葉どおりの億万長者になっていた。池波は大喜びすることもなく、これも流れで…と冷(さ)めて思った。だがその後、札束を手にしたとき、悪い流れを感じた。
 一ヵ月後、日本は財政 破綻(はたん)し、数億円はただの紙切れ同然になっていた。

                           完

|

2015年3月 5日 (木)

不条理のアクシデント 第九十六話  話題

 身に迫る災難や危険を察知すると、未然に話題を変える男がいた。方月(ほうづき)という珍しい姓のためか、彼はアホウ月という渾名(あだな)を有難くも課内で拝命していた。その彼が所属する課は堅くも堅い、泣く子も黙(だま)る、人事部管理課。通称、人管である。
 話題を変えるといっても、それは局面に応じて変化させるという型(かた)を決めないものだった。例えば職場内の人間関係の場合、機転を利(き)かせて話題を変えた。仕事の場合は、まったく別次元の逆発想で、そういう考え方もありか…と上司を思わせた。また、宴席の場合、シラけた座を一変させる余興をして一同を笑わせた。要は、その時々の話題変化を強弱、軽重、硬柔に使い分けることで、その場を凌(しの)いだのである。アホウ月と呼ばれる方月だったが、彼は決して馬鹿でも阿呆(アホウ)でもなかった。いや、真逆の課内一の切れ者と言っても過言ではない存在だった。
 方月は今朝も軽く話題を変化させていた。
「どうなのかねぇ~? 来季の採用は…」
 課長の宇佐美は、机の前で待機する方月に訊(たず)ねるでなく口を開いた。
「えっ? ははは…。それにしても消費税って一円玉が貯まりますよねぇ~」
「んっ? ああ、そうそう。昨日は妻の買い物で増えて往生したよ」
「そういうのって、結構、困りますよね。私は、レジ前の募金箱へ入れることにしております」
「ああ、それはいいかもな…。邪魔って訳じゃないんだが、どっさり持って移動するっていうのもな。ところで、どうなのかねぇ~? 来季の採用なんだが…」
「えっ? ははは…。そういえば、また五月の連休ですが、今年も課長、お出かけですか?」
「そうそう、それなんだよ、君。私は乗り気じゃないんだ。ゆったり、疲れをとって眠っていたいんだが、妻がね…」
「はあ、家(うち)もそうでして…」
「お互い、大変だね? …ご苦労さん。なぜ、君を呼んだのかな?」
「さあ~?」
「あっ! もう、いいよ…。…?」
「その花瓶の花、課長、綺麗ですね?」
「んっ? ああ…。…」
 方月は軽くお辞儀すると、自席へ戻った。

                             完

|

2015年3月 4日 (水)

不条理のアクシデント 第九十五話  あの味

 あの味は忘れられん! と、事あるごとに住尾は思い出した。その味は住尾が生涯で初めて口にした絶妙の味だった。彼がその料理を口にしたのは、故(ゆえ)あって友人となった稲辺という大学院生の実家である。
 それは、数年前の寒い夜のことだった。
「まあ、上がれよ! 今日は皆、旅行に行ってな。誰もいないんだよ」
「…」
 ああ、そうなんだ…と思いながら、住尾は言われるまま黙って靴を脱いだ。
 稲辺は冷蔵庫から缶ビールを2本出し、1本を住尾に渡した。
「お前、腹減ってないか? 夕飯、まだだろ?」
「ああ、まだだ…」
 住尾は事実をそのとおり話した。
「よし! じゃあ、準備するから食ってけよ。俺も腹空いてるから、すぐ支度(したく)する」
 稲辺は賑やかに動き出した。そして10分後のテーブルには一応、食事が出来る形が構成された。だがそのとき、住尾は、おやっ? とテーブル上のセッティングに違和感を覚えた。皿や茶碗、箸などは置かれていた。しかし、肝心のおかずは沢庵以外、見当たらない。住尾が訝(いぶか)しげに稲辺を見ると、稲辺は鍋を持って奥から現れた。
「お待ちっ! これを温(あたた)めてたんだ。さあ食べよう」
 稲辺がテーブル上に置いたのは、明らかにスキ焼の匂いがする汁だけの鍋だった。普通はスキ焼なら卵とかを割った小鉢が置かれ。グツグツと煮えた肉や他の具材を箸で摘(つ)まみながら食べるんじゃないのか…と、住尾は不満はないものの奇妙に思った。
「ああ、これか…。昨日、スキ焼だったんだ。お前一人、留守番させて申し訳ない、とかなんとか言われてさ。ははは…、結局、そう言いながら全部、食べて家族は出かけたよ。まあ、うちの家族はその程度さ。しかし、美味いぜ、これを温(あった)かい御飯にかけて食べると…。まあ、騙されたと思って食べてみな」
 稲辺にペラペラと流暢に話され、住尾は断る訳にもいかず、稲辺と同じ所作でスキ焼の残り汁を熱々の御飯にかけて食べた。ひと口…ふた口…これが絶妙の味だった。住尾は知らないうちに三膳をおかわりして食べていた。
 あの味を求めて試してみたが、材料が違うからなのか、はたまた味付けが違ったからなのか、住尾は未(いま)だに、あの味に巡り合ってはいなかった。
『美味しかったですか?』
 ある夜、夢に、そのスキ焼の汁が登場し、話しかけてきた。 
『美味しかったですか?』
『ええ、とても。もう一度、あなたが食べたい…』
 住尾は思わず夢で語りかけていた。スキ焼の残り汁は、ニンマリと笑った。

                          完

|

2015年3月 3日 (火)

不条理のアクシデント 第九十四話  暮れる色

 空が暮れ泥(なず)んでいた。確かに日足は長くなった…と、宿題の絵を書く堅太のクレパスが賑やかな線を描いた。誰が見ても山と空だが、色が少し違うように思える絵だった。いや、はっきりいえば、全然、色が違っていた。ただ、その絵には才能が認められた。実に描写が克明で、写実派の画家・・を彷彿とさせる絵だった。とても、10才の小学生の絵とは思えなかった。
 次の日の図工の時間である。生徒達が宿題で描いてきた絵を一人ずつ教師が呼んで、評価をしている。
「…、なぜ、この色にしたの?」
 図工の原塚先生は笑いながら優太に訊(たず)ねた。堅太が色盲(しきもう)でないことは、担任の平山先生に訊(き)いて知っていた。
「訳はないよ…。ただ、そう感じたから」
「そう感じたのか…」
「うん! なんか、この感じ…」
 堅太は描いた絵の空を指さして、そう言った。その口調には自信が溢(あふ)れていた。原塚先生には分からなかったが、そのとき堅太の感覚ではその空の色彩は、山や野や田畑の色彩と融合していた。その絵は普通目には、すぐに異色だったが、10分ばかり見続けていると、観る者の感覚を次第に変化させる、独特の技巧だったのである。堅太には描く瞬間に、その感覚が脳裡(のうり)に訪れたのだった。
「惜しいなぁ~。色彩以外は素晴らしく上手いんだけどね。先生はそう思うぞ」
「はい! 有難うございます。また、書いてきます」
「うん! 頑張ってな!」
 堅太は絵を持って自分の席へ戻った。
「では、次の人! …山崎君」
 一人一人、原塚先生の指導と評価が続いた。
 後日、堅太は日本画壇にその名を轟(とどろ)かせることになるのだが、この頃には誰一人としてそうなる彼を予見できる者はいなかった。この技法は未(いま)だに解明されていない不思議な特殊技法である。

                           完

|

2015年3月 2日 (月)

不条理のアクシデント 第九十三話  こんちわ!

 吹宮謙二の家へ訪ねてきた者がいる。者とは言っても、それは吹宮に分かるだけで他人には見えない、いわば気配であり、人ではなった。今日も朝から吹宮の家へ訪ねてきた者、いや、気配があった。
『こんちわ! 吹宮さん、おられますか?』
 吹宮は、そろそろ来るかな…と思っていたから、落ちついて答えた。
「はい、どうぞ! 玄関は開いてますから…」
 その声と同時に、不思議にも僅(わず)かに入口の戸が開き、また閉ざされた。吹宮は台所で鍋の準備をしていた。というのも、気温が低く、どうも温かい夕飯がいいな…と思えたからだった。
『あっ! 吹宮さん、こんちわ! ここにおられましたか…』
「ああ、冬ちゃんか。そろそろ、来るかな? って思ってたとこだよ。まあ、炬燵(こたつ)にでも入って待ってておくれよ」
『どうも…』
 そう言うと、冬の始めはスゥ~っと台所から姿を消した。
 吹宮の家は古風な日本建築で、食事はいつも、畳敷の茶の間で食べていた。四畳半だから、そう広くはない。その間へ吹宮は具入りの鍋を運び、すでにセッティングしておいた簡易ガスコンロのスイッチを捻(ひね)った。冬の始めは、すでに吹宮の左 隣(どなり)へ座っていて、炬燵へ脚を入れていた。と言っても、それは他人には見えない存在の、ただの空気である。その空気は少し冷えていた。
「おおっ! さすがは冬ちゃんだ、寒いねぇ~~」
 吹宮は思わず身を縮め、部屋のエアコンをつけた。
『いやぁ~、どうも、すみませんねぇ』
「いやいや、君が謝(あやま)るこっちゃないけどさ。ところで、皆(みんな)は元気にしてるかい?」
『ああ、そのことなんですがね。春ちゃんと秋ちゃんは、まあまあなんですが、夏ちゃんがかなり腕白になってましてね。今年はかなり暑くなりそうですから、注意して下さい』
「そう言う君は、どうなの?」
『へへへ…。どうも、すみません』
「謝ってちゃ分からないじゃないか」
『はあ…。まあ、始めは自重するつもりなんですが、あとから来る者が暴れるかも分からないんで…』
「ああ、君は冬の始めだったもんなぁ~」
『ええ。前、中、後半と受け持つパーツが三部構成なんです』
「そうか…、まあ各々(おのおの)、挨拶に来るだろうから、そのとき穏便に頼む、と説得するよ」
『そうして下さい。あっ! 鍋が煮えてますよ』
「君には悪いが、それじゃ、失敬! どれどれ」
 吹宮は鍋の具をつつきながら、熱燗(あつかん)で一杯、やり始めた。
『お邪魔ですね…。それじゃ、これで』
「ああ、元気でね。…元気というのも、少し妙か?」
『ははは…』
 冬の始めは小笑いすると、冷気を流しながら吹宮の前から消え去った。

                          完

|

2015年3月 1日 (日)

不条理のアクシデント 第九十二話  誰もいない

 寝過ごして起きれば、昼前になっていた。いつもソワソワと動いている妻の美樹の姿が消えていた。家中を見回ったがいない。買物袋はある。ご近所か…と、静一は外へ出た。だが、隣の家にも、やはり人の気配はなかった。五月蠅(うるさ)い…と、いつも愚痴る近所の番犬が吠(ほ)える声もしなかった。うろたえた静一は110番へ電話をかけた。
「あ、あのう…誰もいません!」
 静一が受話器に話しかけた途端、女性の電話音が聞こえた。
『この電話番号は現在、使われておりません…』
 そんな馬鹿な! と静一は怒れた。昨日の夜、眠るまで家族は皆、いた。いや、いた、はずだった。そうでなければ、一家団らんで和気藹藹(わきあいあい)とスキ焼鍋を囲んでいたあの記憶は、すべて夢だったことになる。静一は、電話台の前のフロアへ腰を抜かしたように座り込み、茫然(ぼうぜん)した。ここはひとまず、落ちつこう…と、静一は息を吸い込むと大きな深呼吸を、ひとつした。それから、急須にポットの湯を注ぎ、熱目の茶を湯呑みに淹(い)れて飲んだ。そうだ! 携帯だ…と気づき、静一は電話帳に登録した番号へ片っぱしから電話をした。しかし、返ってくる電話音は、やはり攣(つ)れない女性の声だった。
『この電話番号は現在、使われておりません…』
 小一時間が経過した。静一の顔は蒼ざめていた。これは、夢に違いない…と、静一は缶ビールを一本、飲み干し、ベッドへ潜(もぐ)り込んだ。すぐには寝つけなかったが、それでもいつしか深い眠りへと落ちていった。
 ふと、気づいたとき、部屋の窓は薄暗く、すでに夕方近くになっていた。静一はベッドを降り、無気力にフラフラと部屋を出た。そのとき、キッチンで包丁の音がした。静一は喜び勇んでキッチンへと走った。そこには美樹の後ろ姿があった。
「あらっ! いらしたの? てっきり外出かと思ったわ…」
 美樹が答えた。だが、振り返ったその姿は年老いていた。静一は嘘だろ! と、愕然(がくぜん)とした。だが、鏡に映る自分の姿を見たとき、静一は現実を信じない訳にはいかなかった。鏡の中には年老いた自分がいた。

                          完

|

« 2015年2月 | トップページ | 2015年4月 »