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2016年8月

2016年8月31日 (水)

ユ-モア短編集 [第62話] ややこしい

 白川(しらかわ)渡は、おやっ? と振り返って立ち止まった。すれ違ったとき、今、別れたばかりの課長、小峰(こみね)に出会ったのである。いや、いやいやいや、そんなはずはない…と白川は思った。よく考えれば、そっくりな男もいる訳だ。偶然、似ていただけだろう…と、白川は無理に思うことにした。その間(あいだ)にも、小峰そっくりの男は遠ざかっていく。悪くしたもので、その日の白川は急いでいなかった。というか、手持ち無沙汰でどう時間を潰(つぶ)そうか…と思っていた矢先だったのだ。小峰に急用だといって勇んで会社を出たまではよかったが、待ち合わせ相手のOL、由香(ゆか)から携帯メールが入り、ドタキャンされたのである。そのあと奇妙な偶然に出会った・・という訳だ。
 遠ざかるにつれ次第に小さくなるその男は、前だけではなく、後ろ姿まで小峰によく似ていた。気づいたとき、白川はツカ、ツカ、ツカ、ツカツカツカツカ…と早足でその男を追っていた。すぐ、男に追いついた白川は男の前へ素早く回り込んだ。
「あの、もし…」
「はい、なにか…」
 立ち止った男は、やはり課長の小峰と瓜(うり)二つだった。それに、声まで小峰と似通っているではないか。
「人違いでしたら、すみません。あなた…小峰さんですか?」
「いえ、私は大峰(おおみね)です」
「…」
 白川は一瞬、ポカン…と木偶(でく)の坊(ぼう)になり、ややこしい…と思った。

                         THE END

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2016年8月30日 (火)

ユ-モア短編集 [第61話] どうなさいます?

 温泉はいい…と思いながら、湯桶(ゆおけ)被(かぶる)は絶景の夕陽(ゆうひ)を前にして海沿いの露天風呂に浸(つ)かっていた。湯船の前には置場石があり、その上には盆に乗った徳利の一合酒とツマミの小皿、杯(さかずき)、それに割り箸が置かれている。湯桶は時折り、冷(さ)めかけた徳利の酒を湯で温めながら、チビリチビリと杯で飲み、そして小皿のツマミを食らう。湯桶の眼前には潮騒(しおさい)と沈みゆく夕陽の絶景がある。この絶妙に配合された景観は、湯桶にとって何とも言えない最高の気分を醸(かも)し出していた。
 ほどよく酔いも回り、いい心地になった湯桶は、そろそろ上がるか…と思った。そのときである。
「どうなさいます?」
 急に背後で老婆の声がした。湯桶は、えっ? と後ろを振り返った。自分一人が浸かる露天の湯で人の声などする訳がない。だが、湯桶は人の声を確かに聞いたぞ…と思った。まあそれでも、そんな妙なことがある訳がない。あれば怪談である。ははは…それはない、それはないと思いながら湯桶は上がり、脱衣場まで歩いた。その後は何事もなく時が移ろい、美味(うま)い魚と料理に舌鼓(したつづみ)をうった湯桶は、いい気分で横になることにした。
 夜半である。すっかり、いい気分で寝入っていた湯桶は、ふと潮騒の音で目覚めた。そのときだった。
「どうなさいます?」
 ふと、老婆の声がした。あの湯舟で聞いた声とまったく同じだった。湯桶は、ゾォ~~っと寒(さむ)けを覚(おぼ)え、布団を頭まで被(かぶ)ると震えながら目を瞑(つむ)っていた。どうも、しなくていいっ! と思えた。その後は何事もなく、怖さを感じながらも、いつしか湯桶は微睡(まどろ)んでいた。
 次の朝である。朝食も終わり、ほどよいところでチェックアウトすることにした湯桶は帳場のカウンターへ行くと勘定を済ませた。
「あの…昨日(きのう)」
 湯桶がそこまで言ったそのときである。それを遮(さえぎ)るように宿屋の主人が言い返した。
「ああ、お客さんも聞かれました? すみませんねぇ~、先代の女将(おかみ)をやっとりました今年、95になる母親です。ボケでしてね、昔を想い出しては…」
 多くを語らず、宿屋の主人は口籠(くちごも)った。
「アレは、どういう意味なんですかね?」
「いやぁ~、ずっと食事前にお客さまの接待をしとりましたもんで…。たぶん、それが…」
「なるほど…そういうことでしたか」
 湯桶が得心して、荷物を取りに戻(もど)ろうとしたそのときだった。背後で宿屋の主人の声がした。
「どうなさいます?」
「えっ? 何がですか?」
「お車は?」
「あっ! ああ…。呼んどいて下さい」
 湯桶は、親子だなぁ…と思った。

                    THE END

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2016年8月29日 (月)

ユ-モア短編集 [第60話] 異次元ポケット

 道岡 田舎(いなか)は異次元を信じる風変わりな学者として、大学や世間で知られた男だった。道岡は大学から、いや正確には世間一般からも異端視されていた。というのも、彼の理論はどう考えても今の現在科学では説明できない理論だったのである。彼は持論を曲げなかった。そのためか、UFOの飛来を、さも現実的に語るマニアチックな人々と同列視された。
 ここは、牧野家の茶の間である。
『ほら! 見えるでしょ! この斜め横にある異次元ポケットが…』
 テレビ画面から流れる道岡の映像と音声を見ながら、小学1年の弘輝(ひろき)は、ははは…と笑った。
「パパ、この人、○ラえもんの作者?」
「いや、弘坊、そうじゃないんだ…」
 父親の弘明(ひろあき)は説明に困った。この人は変な学者なんだ・・とも我が子に言いにくい。事実、よくこんな男が教授になれたもんだ・・との風評(ふうひょう)が流れていた。いつの間にか巷(ちまた)でポケット学者という道岡の別名が付けられていた。
「今日は天気がいいから、外へ出よう!」
 説明に困った弘明はテレビを消した。
 ここは、数分前のテレビスタジオである。道岡がゲストとして座っていた。カメラは左側に座るMCの男性アナウンサー1名と女性タレント1名、それに右側に座る道岡をワイドに映し出していた。
「では、この異次元ポケットの扉(とびら)を開けてみましょう…。ほう、牧野さんのお宅のようですね。あっ! 今、このテレビ画面が映ってます。近づいてみましょう。おお! お嬢ちゃんがテレビをご覧になってますねっ!」
 道岡の異次元ポケットは惜しいが、少しズレていた。

                       THE END

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2016年8月28日 (日)

ユ-モア短編集 [第59話] 丸金(まるがね)荘の人々

 うらぶれた街の片隅に丸金(まるがね)荘は立っていた。時折り、住人は変化していたが、住む者は誰もが一見、気味悪い連中だった。街の者は皆、丸金荘の人々を幽霊と蔭(かげ)で囁(ささや)くようになっていた。
 そんなある日、丸金荘に松竹(まつたけ)立夫(たてお)というホームレスまがいの男がやってきて、一室を借りることになった。アパートの持ち主で管理人を兼(か)ねる八頭(やつがしら)は、快(こころよ)くその男を住まわせることにした。というのも、八頭でさえ丸金荘の建物は気味悪く、月収入がなければ一刻も早くどこかへ引っ越したい・・と思っていたからだ。丸金荘は、住む条件に部屋掃除の決まりはあったが、ただ同然の月¥100で暮らせる気味悪い連中の塒(ねぐら)になっていたのである。
 暑い夏も峠を越え、ようやく涼風が肌を潤(うるお)す頃になると、丸金荘の住人は、すっかり疲れ果てていた。夏の盛りは彼等の書き入れ時(どき)で、その気味悪さからか、各地の幽霊大会、お化け関係の催しには引っぱりだこだったからだ。
「いやぁ~お久しぶりです。お元気で!」
「ええ、まあ…。おたくも」
「はい、まあ、なんとか…」
 こんな会話が荘内の通路で聞かれることが、たまにあった。隣同士なのだが、住人達が顔を合わせることは滅多となかった。街の人々が幽霊と囁く所以(ゆえん)である。
 そんな丸金荘の住人が忽然(こつぜん)と全員、消えたのは、翌年(よくとし)のお盆前だった。警察による懸命の捜査にもかかわらず、一件はいっこう解決を見なかった。事件性のものなのかすら分からず、ついに捜査本部は継続を断念、捜査員数人を残して解散した。その頃、人々は松竹を筆頭に、本物のあの世の幽霊に招(まね)かれていた。人々は至れり尽くせりの料理を前に、飲めや歌えのドンチャン騒ぎを日々、繰り返していた。

                        THE END

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2016年8月27日 (土)

ユ-モア短編集 [第58話] 鰻(ウナギ)の寝床(ねどこ)

 外気温が38℃を超えた夏の昼間である。ギラつく太陽は今日も厳(きび)しくジリジリと照っていた。正木省太は部屋の窓からそのギラつく太陽を怨(うら)めしげに見上げた。部屋のクーラーはここ数日、朝から晩まで、ほぼ24時間フル稼働している。
「いやぁ~参ったな。こう暑いと何もできん…」
 ひとり呟(つぶや)いたそのあとに、『が、腹は減る…』と正木は付け加えて思った。すると妙なもので、美味(うま)そうな鰻重(うなじゅう)が心に浮かんだ。当然、鰻重の横では三つ葉を浮かべた肝吸(きもす)いの椀(わん)が笑っている。これはもう、鰻好きの正木にとって、耐えがたい欲望の誘爆を引き起こさずにはいられなかった。
「ああ~~~っ!! ウナギだっ!」
 こうなれば、夏の暑さなど、どこ吹く風である。あれほど暑く感じ、外出など、とても無理無理…と思えていた心境が180°変化した。正木は半袖(はんそで)シャツを着るか着ないうちに家を飛び出していた。
 正木の行きつけの鰻専門店、益屋は建物からして鰻の寝床(ねどこ)だった。間口が狭くて奥行きが
長い店の造りなのだ。狭い店の戸を開けると、長さが7、8mもあろうかという通路状のカウンター席が長く見える。横幅は? といえば、カウンター椅子の背を人が一人、通れるか通れないかという幅で、実に狭い。要するに、縦に長く横に短い鰻の寝床(ねどこ)状の店なのである。だが、この店の秘伝のタレは実に美味で、江戸時代から継ぎ足し継ぎ足して今に至っているという主(あるじ)の自慢話を聞くにつけ、なるほど! と正木を唸(うな)らせていた。この鰻重を正木は無性に食べたく、いや食らいつきたくなったのである。
 店前まで正木が来ると、[本日は勝手ながら、臨時休業させていただきます]という立て札が表戸に掛(か)けられていた。正木は、あんぐりした顔で、その立て札を怨めしげに見ながら、家へUターンした。
 ギラつく太陽の中、汗にびっしょりと濡れながら家へ戻(もど)った正木に気力など、もう残っていなかった。正木は、取り敢(あ)えず身体を水で拭いて、下着を着替えると、クーラーを強にした部屋の陰湿な寝床で横になった。正木はまるで鰻だった。

                         THE END

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2016年8月26日 (金)

ユ-モア短編集 [第57話] 錆(さび)を取る

 茂木桜(もぎざくら)万太郎は、ほぼ老人に近くなった中年後期のしがない痩(や)せ男である。町役場を退職後、細々と年金で生計を維持していた。妻の里美も十分働かせた痩せ馬に敢(あ)えて鞭(むち)をいれることなく好きにさせているから、茂木桜は助かっていた。侘(わ)びしい暮らしながら、金に不自由するほどのこともなく、妻との年金である程度は満足感を得ていた。
 茂木桜はこの日も朝から日課にしている盆栽の水やりを済ませ、さてと…と、まったりソファーに腰を下ろした。里美が温めてくれた暖かいミルクをフゥ~~フゥ~~と美味(うま)そうに啜(すす)っていると、キッチンから声が飛んできた。
「これ、錆(さび)ついちゃってるの! 研(と)いで下さらな
い?」
 茂木桜が視線を声がした方に向けると、妻の里美が前の洗い場で包丁を翳(かざ)していた。手の空(あ)いた茂木桜は断る理由が見つからなかった。
「ああ…いいよ。そこに置いといてくれ」
 このひと言(こと)が彼の人生を狂わせた・・ということはなかったが、かなり茂木桜を手古摺(てこず)らせる結果となった。
 錆を取る・・この作業は簡単そうに見えてなかなか、ねちっこいコンニャク作業なのだ。コンニャクはスパッ! と切れそうで切れない柔らかさがあるが、それであった。今風に言えばファジー、文語風に表現すれば曖昧模糊(あいまいもこ)なのだ。
 茂木桜が砥石で研ぎ始めて十数分したが、さっぱり錆はとれなかった。しばらく放置してあった包丁のようで、錆が深くなっていたのである。茂木桜は離婚して今は家にいる娘の沙代の顔が、ふと包丁にオーバーラップして浮かんだ。包丁は錆を修復できるうちに研がないと駄目にしてしまう。夫婦関係も修復可能なうちに蟠(わだかま)った感情の錆を取らないと駄目になってしまう。沙代の場合は研ぎ忘れて駄目になったのだ。俺達も危うい危うい…と、茂木桜は力を入れて真剣に包丁を研ぎ始めた。

                        THE END

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2016年8月25日 (木)

ユ-モア短編集 [第56話] アレルギー

 外には夏の暑い日射しがあった。そんな中、蒲畑(かばはた)巧(たくみ)は、ついうっかりし、風邪をひいてしまった。力仕事をしたまではよかったのだが、厚着のまま最後までやり続け、汗びっしょりになった。まあそれでも、そこまでは、よくあることで、まだよかった。問題はそのあとの処理である。いつもなら着替えて身体を拭(ふ)くかシャワーを浴びるのだが、急用ができ、時間に追われたから、つい着がえを忘れてしまった。そのうち体熱で乾くだろう…と考えたのが甘かった。結果、蒲畑は風邪をひいてしまったのである。
 次の朝、フラつく身体で病院へ行き、医者に点滴注射を受けた蒲畑は、診断を終えると処方された薬をもらいに薬局へ向かった。
「アレルギーとか、ありますか?」
「えっ? いや、別に…」
 薬剤師に唐突(とうとつ)に訊(き)かれ、蒲畑は思わず、そう返していた。言ったとおり、蒲畑に薬アレルギーはなかった。ただ、薬アレルギーはない蒲畑には、ある種のアレルギーがあった。
 薬をもらい、帰宅すると、その日は養生しておとなしくベッドで寝ることにした。とはいえ、暑い夏である。クーラ-をつけないと、とても眠れたものではない。実を言えば、蒲畑はクーラーアレルギーだったのである。クーラーのスイッチを入れて眠っていると、当然ながら身体中に蕁麻疹(じんましん)が噴き出てきた。これはいかん! と蒲畑はスイッチを切った。しばらくすると蕁麻疹は鳴りを潜(ひそ)めたが、今度は身体が熱くなり、汗が噴き出てきた。薬効で熱は下がってはいたが、汗びっしょりになった蒲畑は、ベッドを出ると身体を水で拭いた。気持はよかったが、悪くしたもので、また熱が出てきた。薬を飲み、蒲畑はまたベッドへ入った。当然、身体が熱く眠れず、団扇(うちわ)で煽(あお)いだ。このくり返しが何度か続き、眠れぬ夜になった。蒲畑は腹が空いていることに、ようやく気づいてゾッ! とした。 

                        THE END

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2016年8月24日 (水)

ユ-モア短編集 [第55話] 遺失物

 交番へ駆け込んだ男は、妙な遺失物を取り出すと若い巡査の前へ置いた。
「なんですか? これは…」
 若い巡査は妙な遺失物を手にすると、怪訝(けげん)な面持ちで右から左から・・上から下からと見回した。
「いや~、それは私にも分からんのですがね。一応、お届けしようと思って…」
 その遺失物は、外見上は小型の電気機器に見えたが、現在、市場(しじょう)に出回っているものとは異質の、精巧な機器のように見えた。
「どうかしたか?」
 先輩と思われる初老の巡査が現れた。
「いえね…これ」
 若い巡査は初老の巡査に遺失物を手渡した。
「なんだ、これは?」
 初老の巡査も見たことがないだけに、あんぐりした顔で妙な遺失物を見回した。
「届けがあったんですから、遺失物ですよね?」
「そら、そうなるだろう。人が使うもので道に落ちていたんならそうだろう。そうだろ?」
 今一、自信なさげに、初老の巡査は逆に訊(たず)ねた。
「はあ…まあ、そうなんでしょうか?」
「あの、もう帰っていいですか?」
「いや、ちょっと待って下さい! 拾得物件預り書を書いていただきます…」
「そんなもの、結構ですよ。拾って届けただけですから…。いらない、いらない!」
 駆け込んだ男は迷惑そうな顔をした。
「いや、そう言われましても、一応、規則ですから…」
「私ゃ、急いでるんだっ! 国民を守る警察が国民を困らせて、どうするんですっ!」
 立場が逆転し、男は二人の巡査を説諭(せつゆ)した。
「いや、それはそうなんですが、私らも困りますんで…。オタクのご要望どおりですと、権利放棄となりますが、その場合でも、こちらに書いていただいて…」
「どうしてもですか?」
「はい、どうしてもです。遺失物法施行規則第3条で提出した物件を放棄する旨の申告があったときは、拾得物件控書の権利放棄の申告の欄に提出者の署名を求めるものとする・・と、ありまして」
「わっ!! 凄(すご)いですねっ、先輩!」
 若い巡査が感嘆(かんたん)の声を漏(も)らした。
「ははは…試験はダメだったが、これでも巡査部長だ、私は」
「でしたね。次は警部補試験、受かりますよ、きっと」
 どうでもいいから早くしてくれ! と男は思った。
「それにしても…なんでしょうな?」
 初老の巡査は届けた男に振った。 
「さぁ~」
 男は、俺に訊(き)いてどうするんだ、と思ったが、話を合わせた。三人は妙な遺失物をシゲシゲと見ながら首を傾(かし)げた。その遺失物は異星人がうっかりUFOから落としたものだった。

                      THE END

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2016年8月23日 (火)

ユ-モア短編集 [第54話] バリバリバリ!とウゥ~~~!

 溝下(みぞした)静男が車を運転していると、突然、若者が運転するオ-トバイがバリバリバリ! と賑(にぎ)やかな音を出し、追い抜いた。おお! 格好いいなっ! と思った瞬間、今度は白バイが、ウゥ~~~! とサイレンを鳴らして横を通過した。
「前の車! 止まりなさいっ!」
 白バイに乗った、これもまた格好いい警官が発するマイク音が溝下の耳にも届いた。しばらく、バリバリバリ!とウゥ~~~!による音の競争が続いたが、5分弱すると、静かに消えた。溝下は、止められたな…と思いながら車を走らせ、前方を注視した。すると、白バイが前方に見えてきた。ああ、やはりな…と思ったが、通過したとき、おやっ? と思った。白バイは止まっていたが、オ-トバイの姿がなかった。事情は分からなかったが、どうも逃げられた感がしないでもなかった。なんだ! しっかりしろ! 白バイ…と応援しながら、目的の地で荷を降ろすと、急いでUターンした。今日は同じルートをまだ2往復しないといけないからだった。
 溝下が車を運転して途中までやってきたとき、またバリバリバリ! と賑(にぎ)やかな音がしてオ-トバイが溝下の車を猛スピードで追い抜いていった。若者は格好いいが、70キロは出てるな…と思えた。そう思った直後、またウゥ~~~! ときて、白バイと格好いい警官が見えた。心なしか警官が萎(な)えて見えたから、警官、ガンバレ! と溝下は、また内心で応援していた。多少、追い抜かれた悔(くや)しさが潜在意識であったからかも知れなかった。
「前の車! 止まりなさいっ!」
 行きと同じように、警官が発するマイク音が聞こえ、バリバリバリ! ときた。そして、バリバリバリ!とウゥ~~~!の音競争がし、また5分弱で消えた。やがて溝下は、工場へ戻(もど)り、2度目の積み荷を積むと、また発車した。また、バリバリバリ! が抜くんだろうな…と期待せずに期待していると、やはり
バリバリバリ! は聞こえた。だが、格好いい若者とオ-トバイの姿は現れなかった。当然、格好いい警官と白バイの姿も現れなかった。なんだ…と楽しみをとられたように溝下はテンションを下げた。そして、3度目の最後の積み荷を降ろし、帰途についたときもバリバリバリ!とウゥ~~~!の音のみだった。
 その後も運転中、バリバリバリ!とウゥ~~~!の競争音が溝下の耳に聞こえ続けた。まあどちらにしても俺は格好よくないからな…と思うだけで、溝下の興味は完全に消えていた。

                        THE END

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2016年8月22日 (月)

ユ-モア短編集 [第53話] 馬鹿捕り紙

 世の中にはどうしようもない、うすら馬鹿と呼ばれる種族がいる。これは、一般の民族や国家などの範囲を超越して、広く世界に分布する人間の一族だ。国境を越え、世界各地に蔓延(はびこ)るこの手合いには、警察力がまったく役に立たない。犯罪にもならないから、取り締まりようがないのである。
「またかっ!」
 朝から気分よく家の前の敷地内を掃(は)き清めていた岡野(おかの)均(ひとし)は、そう愚痴ると深い溜息(ためいき)を一つ吐(は)いた。最近では、捨てられたポイ捨てゴミを目にした日は、どうも気分がよくなかった。うすら馬鹿め! そのうち、ギャフンと言わせてやる…と、岡野は、うすら馬鹿防犯用の馬鹿捕り紙を家の前へ敷くことにした。捨てた途端、ハエ捕り紙よろしく、ベタベタと足下(あしもと)が粘りつき、蠅のようには死なないものの、やがては歩行に支障を起こす・・というシロモノだった。岡野は意気込んで、その馬鹿捕り紙の制作に取りかかった。
 一週間が過ぎ去った。
「よしっ! よしよし…」
 出来上った粘性の馬鹿捕り紙を見ながら、岡野は意気込んで家表の敷地下に敷き終えた。
『フフフ…明日が楽しみだ…』
 岡野は嘯(うそぶ)くと、ニヒルな笑みを浮かべた。まるで自分が尋常ではない天才科学者にでもなった気分の岡野だった。というのも、粘性物質の研究と紙質、紙への塗りつけには、かなり手が込んだからだった。
 次の日の朝、うすら馬鹿がひっかかった痕跡(こんせき)が馬鹿捕り紙に残っていた。岡野は、ははは…やった! と喜ぶより、逆にその者が哀れで悲しく思えた。他に考えることはないのか…と思えたからだ。馬鹿捕り紙は、岡野を悲しく思わせる紙だった。

                        THE END

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2016年8月21日 (日)

ユ-モア短編集 [第52話] 遊ばれる

 上坂(うえさか)友樹は完全に遊ばれていた。いや、こんなはずじゃなかった…と上坂は後悔していた。最初のやり始めは、ほんの片手間のつもりだったのだ。それが今では、ドップリとテレビゲームにハマっていた。最初、上坂は玩具(おもちゃ)のゲームで時間つぶしに遊んでやろう…と偉そうに思った。歴史好きの上坂は戦国ゲームを玩具屋で買った。ふん! こんなものは馴れりゃ簡単だ…とゲームをシゲシゲと見ながら思った。ところが、である。いっこうゲームに勝ちが見えなかった。関ヶ原で福島正則勢の騎兵として戦う上坂は、小西行長勢と果敢(かかん)に闘(たたか)っていた。だが結果は、プログラムのせいでもないのだろうが、やってもやっても勝てなかった。具合が悪いことには、このゲームには上坂を虜(とりこ)にする魔力が秘められているようだった。遊び半分でやり始めた上坂だったが、次第に本気になり、抜き差しならなくなっていった。要は、ゲームで遊ぶつもりが、ゲームに遊ばれ始めたのである。時間が大幅にゲームに費(つい)やされるようになった。このままではいかん…と、踠(もが)けば踠くほど、上坂は生活が乱れていった。
「お前、このごろ変だぞ…」
 蒼白い顔に目だけ血走らせた上坂を見て、同じ課の永田は案じる顔で忠言した。
「いや、大丈夫だ…」
 無精髭(ふせしょうひげ)に蒼白い顔は、誰の目にも大丈夫には見えなかった。
「上坂君。君ね、どこか悪くないか? 一日休んでいいから、病院で診てもらって、ゆっくり休養しなさい…」
 数日後、見かねた課長の須磨は、とうとう上坂を課長席に呼び、休暇を与えた。
「お、俺はゲームに遊ばれてるんですっ! 課長、助けて下さいっ!」
 上坂は絶叫していた。その声は課内の隅々(すみずみ)まで轟(とどろ)いた。全員の視線が上坂に注(そそ)がれた。上坂は人目も憚(はばか)らず、フロアへ膝(ひざ)まづくと、よよ・・と泣き崩れた。その片手には、いつ背広から取り出したのか、テレビゲーム機器のソフトが握られていた。
「ははは…簡単なことさ。忘れりゃいいんだよ、上坂君! 忘れなさい!」
 須磨はポン! と上坂の肩を一つ叩(たた)き、薬言を与えた。

                        THE END

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2016年8月20日 (土)

ユ-モア短編集 [第51話] 退屈

 テレビが賑(にぎ)やかに唸(うな)っている。何をしても盛り上がらない堀崎沙希枝は、動くのを諦(あきら)め、ひとりアングリとした顔でテレビを観ながら煎餅を齧(かじ)っていた。もちろん、畳の上へ寝転がった姿勢で、である。これは誰が見ても、典型的なオバチャンが退屈している姿勢に思えた。沙希枝自身もそれは自覚しているのだが、取りたてて気には留めていなかった。旦那の堀崎は別に何も言わず、そんな沙希枝と日々、暮らしていた。沙希枝の内心は、私はまだ若いんだから…そうそう! 買い置きがなかったわね、煎餅(せんべい)を買ってこなくっちゃ…くらいの浮いた気分だった。
「堀崎さん、別にどこもお悪くありません。…あの、こんなことを言っちゃなんなんですがね。お悪くはないんですが、少しダイエットされた方がよかないですか? ははは…太った私が言うのも、なんなんですが」
 体重が優(ゆう)に100㎏は超える・・と思える医者の皮平(かわひら)は、検診結果の書類を見ながら退屈そうに欠伸(あくび)をしながらニヤリと言った。沙希枝は、そうよっ! アンタには言われたくないわっ! と内心で怒れたが、さすがにそれは言えず、思うに留(とど)めた。
「はい! 少し、頑張りますわ」
 沙希枝は一応、そう言って、愛想笑いした。
病院の帰り道、よくよく考えれば、もうそんな年なんだわ…と沙希枝は少し反省した。沙希枝は今年で五十路(いそじ)に入っていたのだった。退屈しのぎに寄ったス―パ―に美味そうなメロ[銀ムツ]の切り身パックがあった。いつもは4きれパックを買うのだが、2きれパックにした。ご飯が進んで、1きれで3膳以上、食べてしまうことは百も承知だったからだ。余ったお金で退屈しのぎに煎餅を4袋買った。いつもは2袋だった。退屈が沙希枝を太らせていたのだ。

                         THE END

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2016年8月19日 (金)

ユ-モア短編集 [第50話] それは、ない…

 土筆(つくし)新(あらた)は、今をときめく新進スリラー作家だった。彼のスリラー小説はサスペンスとは一線を画し、どこか不気味で身の毛がよだった。地球温暖化で涼を求める傾向が人々に強まったからでもないのだろうが、どういう訳か子供からお年寄りまでの幅広い世代に人気があった。土筆の筆致(ひっち)は卓越(たくえつ)していて、読む者を小説の中へ誘い込み、虜(とりこ)にした。そんな有能な土筆にも欠点が一つだけあった。彼は新作を思い描く中で、どんな場合でも「それは、ない…」と口走るのだった。自分が心に描いた構想を一端、自らが否定することで、新しい展開を構成しようという彼独自の手法だった。ただ、その口走りが自分の意志で制止できず、ところ構わず口走ってしまうことだった。普通の場合は、変な人だ? と思われる程度で済んだが、とんでもないケースに発展する場合もあった。
 人混みの繁華街を歩いていた土筆に、突如として新しい小説の構想が一つ、閃(ひらめ)いた。当然、土筆は足を止め、反射的に口走っていた。
「それは、ない…」
 その場の近くでは、偶然、易者が一人の客を占っていた。
「ちょっと、あんた! 私の見立てにケチをつけなさんな!」
 土筆が驚いて声がする方向を見ると、易者と客が自分を見ているではないか。
「あっ! いやいや。オタクの話じゃないんです。すみません」
 土筆は反射的に謝(あやま)り、頭をペコリと下げていた。
「また、この次にするよ…」
 客は椅子を立つと、見料を置いて去った。土筆も歩き始めた。そのときだった。中途半端な見立て赤っ恥(ぱじ)をかかされた易者が叫んだ。
「ちょっと、そこのお方! 待ちなさい!」
 土筆は立ち止り、振り向いた。
「見料はいりませんから、座りなさいっ! あるか、ないか、はっきりさせよじゃありませんかっ!」
 易者は、少し興奮していた。土筆としては何のことか分からなかったが、易者が怒っているようだ…とは分かった。土筆は歩(ほ)を戻(もど)すと、易者の前へ置かれた椅子へ座った。
「あの…何がある、ないんでしょ?」
「嫌ですなぁ~。あんた。『それは、ない…』っていったでしょうが」
「ははは…それは私の口癖(くちぐせ)でして…」
「おかしな人だ、あんたは…。私は易者ですぞ!」
 易者は呆(あき)れた。そのときまた一つ、土筆に小説の構想が湧いた。
「それは、ない…」
「何がないんですっ!」
 土筆は易者を怒らせたことに気づき、思わず口を手で押さえた。
「いやいや、『それは、ない…』ということはないんですよ」
「ややこしいお人だ! もう、よろしいです」
 易者は嫌な顔をしながら片手で土筆を追っ払う仕草をした。土筆は、すぐ立ち去った。それ以降、土筆はマスクをかけて、外をブラつくようになった。そして、今日もまた歩いていた。
「やあ、土筆さんじゃないですか! また、お願いしますよっ」
 土筆の姿に気づいて懇願するように近づいてきたのは、出版社の編集記者だった。
「それは、ない…」
 閃い(ひらめ)た編集者は訝(いぶか)しげに土筆の顔を見た。
「いやいやいや…それはない、ことはないんですよ、ははは…」
 土筆は、笑って誤魔化(ごまか)した。

                        THE END

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2016年8月18日 (木)

ユ-モア短編集 [第49話] 氷と水

 ここは、とある商社である。岩窪(いわくぼ)堅一と柔肌(やわはだ)餅雄は同じ課の双肩(そうけん)として腕を競っていた。仲が悪い訳ではなかったが、ある種のライバル感が課内に漂(ただよ)い、二人が見えない火花を散らす様子が時折り見られた。岩窪と柔肌の性格は、これも絵を描(えが)いたように相反(そうはん)していた。岩窪の発想は氷のように固く、柔肌はその逆で、水のように柔らかな発想だった。
「…弱ったたな。俺には分からんから、この一件は二人に任せるよ。ははは…早い者勝ちだ」
 課長の油木(あぶらぎ)は課のエースの岩窪と柔肌に下駄を預けた。
 次の日から、二人のやり方で相手会社との契約獲得競争が始まった。岩窪は過去のメリットを得たときの相手会社との契約データを集めて分析した。氷の発想である。片や柔肌は、相手会社が今後、何を目指しているかという未来の経営方針に関するあらゆるデ-タを集めて分析した。水の発想である。
 二人の発想は相手会社を招(まね)いてのプレゼンテーションで激突した。とはいえ、それは表面上は見えない静かで熾烈(しれつ)な争いだった。
「なるほど…。お二人のプランニングは理解いたしました。持ち帰って検討いたします。ご返答は後日、電話にて…」
 相手会社の執行役員達は納得しながら静かに席を立った。
 数時間後、油木と執行役員の酒を飲み交わす姿が銀座の一流クラブで見られた。恒例(こうれい)になっている接待である。
「どうですかね? 感触は…」
 油木は侍(はべ)る綺麗どころに酒を勧(すす)めさせながら、訊(き)くでなく訊(たず)ねた。
「まあ、五里霧中の話ですな、ははは…」
「なるほど! 霧ですか…。今のところ、どちらが?」
 油木が訊ねたとき、別の執行役員が赤ら顔でポツリと漏らした。
「ははは…それは、あなた…霜と出るか雪と出るか、ですよ」
「霜と雪? …はあはあ、持ち帰ってみないと分からないと」
「そうそう。早朝、晴れるか降るかは、私らには…」
「ははは…生憎(あいにく)、両者とも霙(みぞれ)になることも、あるでしょうが」
 また別の執行役員が口を開いた。油木は、痛いところを突かれ、苦笑した。岩窪と柔肌の氷と水の発想だけでは割り切れないウィスキーの水割りのような契約だった。

                        THE END

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2016年8月17日 (水)

ユ-モア短編集 [第48話] 共生

 生物には寄生と共生がある。もちろん、どちらにも属さずに生きる生物もいる。だが、広い意味で、生物は単独では生きられない。目には見えない形で、他の生物の何らかの恩恵に浴して生きているのである。このことを忘れると、この男、池飼(いけがい)鮒夫(ふなお)のようなことになってしまう。
「はい! 時間1,500円を頂戴しとります…。はい! 追加料金は30分で500円ですが…はい! もちろん、道具レンタル料はサービスさせていただいております。はい! コミということで…はい! どうぞ、ご贔屓(ひいき)に。お待ち申しております」
 朝から問い合わせの電話がかかってきて、応対した池飼は、ほっとして電話を切った。店の規模を少し大きくしてから、この手の電話が頻繁(ひんぱん)にかかるようになり池飼は少し疲れ気味だった。だが今日からは、新しい従業員を3名、雇(やと)ったから楽が出来る…と思えば疲れも取れた。事実、その日から池飼は楽になった。苦労してここまで店を大きくしたんだから、当然のことだ…と池飼は考えた。すべては俺の優(すぐ)れた経営力だ…とも思った。
 五年が経ち、店は大いに繁盛していた。それにともない、利益も当然ながら増えた。
「あの…もう少し、頂戴できないですかね」
 月極(つきぎめ)の給料日、一人の従業員が遠慮ぎみにそう言った。三人に給料袋と明細を渡したあとだった。明細には¥122,400の給料額が印字されていた。現金支払いに拘(こだわ)る池飼は、時代おくれながらキャッシュで紙幣と貨幣を袋渡ししていた。
「嫌なら、辞めてもらって結構だ!」
 苦労人、池飼の上手(じょうず)の手から水が零(こぼ)れた。池飼の心は緩(ゆる)んでいた。自分の力を過信するようになっていたのだ。従業員など、また雇えばいい…と無意識で思った心が、そう言わせていた。
「そうですか…。それじゃ、今月いっぱいで。長い間、お世話になりました」
 ペコリと頭を下げたのは一人だけではなかった。翌月、三人が辞めた池飼釣堀店は営業できなくなり、店を閉ざした。池飼と三人の従業員は共生関係だったのである。池飼は、すっかりそのことを忘れていた。
「よろしく、お願いします!」
「ああ、そんなには出せんが、まあ頑張ってくれ!」
「はいっ!」
 半年後、池飼は辞めた三人が立ち上げた店で従業員として働いていた。

                       THE END

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2016年8月16日 (火)

ユ-モア短編集 [第47話] ピント

 山岳写真家として世に知られた川平静一は、今朝も早くから後家岳(ごけだけ)の中腹で写真を撮っていた。ファインダーを覗(のぞ)くと、いつもより、どうも今一、ピントが甘く感じられた。川平はカメラ構えを一時、中断し、俺も年か…と、溜息(ためいき)をついた。ガス雲が下界から吹き上がってきて、たちまち考えたアングルの景観を閉ざしたとき、今回はこれまでか…と川平は思った。
 下山してポジ・フィルムの各コマをスクリーンへ投射すると、これ! という重要写真のピントが何枚もボケていた。川平の眼は、カメラのファイダー枠(わく)を捉えていなかったのである。時まさに、女子W杯の真っただ中、テレビはその中継音をガナり立てていた。川平の眼は編集作業を見ているから、テレビは音を聴くのみだった。
「おしいっ! ボールだっ!!」
 アナウンサーが興奮して叫んだ。思わず川平が画面を見ると、シュートした選手が枠を外(はず)したあとだった。川平は、キーパーに取られるのは仕方ないとして、最低限、枠には入れようや…と偉(えら)そうに思った。だが、そう思いながら見た川平の写真は、明らかにピント枠を外していた。川平はポジ写真を見たあと、テレビ画面のゴール枠をアングリした顔で眺(なが)めた。
「チェ!」
 川平の口を衝(つ)いて出た言葉は、舌打ちだった。

                        THE END

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2016年8月15日 (月)

ユ-モア短編集 [第46話] ウサギとツルとカメ

 ウサギとカメの話は童話や童謡でよく知られている。大学院名誉教授の徳山栄次郎は、ならばウサギとツルはどうなるのか? と書斎で真剣に考え込んでいた。最近、徳山は時折り、妄想に悩まされることがあった。別に体調の方は悪くなかったが、この日も、妻の富江とレストランで久々に食事をしたあと、どうもいけなくなっていた。タクシーを拾い、自宅に辿(たど)りついたまではよかったが、玄関へ上がった途端、完全にいけなくなってしまった。どういう風にいけなくなったのかといえば、次から次へと妄想が飛び出すのである。富江には適当に言って、先に寝てもらった。書斎へ入り椅子に座った途端、徳山の脳裡にウサギとカメが現れた。過去、数度、現れていたから、いかんいかん、また現れたか…と徳山は妄想を掻き消そうとした。だが結局、駄目だった。徳山は開き直り、ならば、じっくり付き合おうじゃないか! と大きく考えた。徳山は、カメではなくツルならどうなんだ…と妄想を広げた。しばらく真剣に考えるうちに、徳山自身、自分の妄想の広がりを止められなくなっていた。気づけば、徳山はウサギ、カメ、ツルに関する資料を書棚から選んでいた。もちろん、生物関係の文献である。徳山の書斎には、教授だけに、もの凄い数と種類の本が、所狭しと書棚に並んでいた。
「ほう…なるほど」
 何が、なるほどなのか、自分で理解しないまま、徳山はそう呟(つぶや)いた。ウサギは哺乳類、カメは爬虫類、ツルは鳥類と出ていた。当然、誰が考えても三者三様だった。次に徳山は論理的に考えた。ウサギは油断してウッカリ眠ってしまった。ツルは飛ぶから当然、早い。ウサギ以上に油断する可能性があった。結局、ウサギは競争の途中で眠り、ツルは余裕で道草し、カメがやはり一番に着くだろう…と、徳永は結論づけた。その結論を忘れないよう軽くメモし、徳永は眠ることにした。ただ、書斎を出たときには夜も更け、11時過ぎになっていた。
 次の日、朝起きたとき、徳永はすでに昨夜のことをすっかり忘れていた。メモしたことすら忘れていた。ただ、ツルとカメはお目出度(めでた)い・・という発想だけは心の片隅に残っていた。

                        THE END

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2016年8月14日 (日)

ユ-モア短編集 [第45話] 馬鹿につける薬

 昔から、馬鹿につける薬はないという。薮崎(やぶざき)学(まなぶ)も、そんな男の一人だった。
 梅雨が明け、暑い夏が始まったこの日の朝も、いつものように藪崎は地下鉄に揺られていた。
「あっ! 私、降りますので…」
 年の頃なら17、8と見える可愛い女性が、ニッコリと微笑(ほほえ)みながら目の前に立つ藪崎に言った。身なりからして、どうもこの辺(あた)りに勤めるOLぽかった。可愛い美人にそう言われれば、さすがに悪い気はしない。
「どうも…」
 軽く一礼をしながらポツリと言うと、藪崎は操(あやつ)り人形のようにその女性と入れ替わって座っていた。女性は藪崎に一瞥(いちべつ)することなく、そのまま出口へと向かった。普通なら、話はこれで終わりである。だが藪崎はお馬鹿である。座りながら、アレコレと思いを巡らした。ニッコリと微笑んだ…俺に声をかけてまで座席を譲ってくれた…これはもう、俺に好意があるからに違いない…と薮崎は思った。いや、お馬鹿な藪崎は独断と偏見で、そう断定した。
 次の日の朝、藪崎は同時刻の電車に乗り込み、車内を見回していた。しかし、そう上手(うま)く偶然が重なるはずがない。お目当ての可愛い女性は乗っていなかった。藪崎はお馬鹿である。次の日の朝も、そして次の次の日の朝も、藪崎は見回し続けた。だがやはり、お目当ての可愛い女性は乗っていなかった。そして、半年の月日が過ぎ去ろうとしていた。
 藪崎が諦(あきら)めかけたある日の朝、歩いていた舗道で偶然、そのお目当ての女性を発見した。相手も歩いていて、対向から近づいてくるではないか。もちろん、向うは薮崎のことはすっかり忘れているようで、表情一つ変えなかった。近づいたその女性と擦(す)れ違った瞬間、薮崎は意を決して声をかけようとした。そのとき、どこから現れたのか、運悪く一匹の虻(あぶ)がブ~~ンと羽根音を立てて薮崎を威嚇(いかく)した。正確には自分の存在を主張して注意を喚起(かんき)したのだが、お馬鹿な薮崎は手で虻を振り払った。これがいけなかった。蜂のひと刺しならぬ、虻のひと刺(さ)しである。片腕をチクリ! と刺され、薮崎はアタフタとした。
「大丈夫ですか? あの…これ、使って下さい」
 どういう因縁なのだろうか、その女性はポシェットから軟膏を出し、電車のときと同じようにニッコリと微笑んだ。
「どうも…」
 ポツンと軽く一礼をしながらそう言うと、藪崎は操(あやつ)り人形のように、その軟膏を受け取り、片腕に塗っていた。女性は藪崎から軟膏を受け取ると、何もなかったように立ち去った。藪崎はその後ろ姿を、ただ茫然(ぼうぜん)と見送っていた。馬鹿につける薬はあった。

 
                     THE END

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2016年8月13日 (土)

ユ-モア短編集 [第44話] 感性

 人は同じ内容でも受け取り方が違う。相手の言葉をどう捉(とら)えるか・・は、その人の感性で変化するということだ。
 岡崎省吾は、今日も録画した女子W杯に釘づけになっていた。
「よしっ!」
 弥間耶(みまや)の強烈なシュートが相手ゴールのネットを揺らした瞬間、岡崎は雄叫(おたけ)びを上げていた。感性の爆発である。それを冷(さ)めた目で見つめていたのは、今年で8才になる息子の省太だった。省太の感性は、サッカーファンを自認する両親と歩調を合わせる程度のもので、熱狂するという類(たぐ)いではなかった。要するに、両親のご機嫌を伺(うかが)い、適当にワァーワァー賑やかにするというものだ。岡崎や妻の聡子(としこ)の感性が100%とすれば、省太のそれは30%にも満たなかった。それでも妙なもので、応援しているうちに省太の感性も高まっていった。
「こちらもエース・ストライカーが欲しいよなっ!」
「ええ、カムバックみたいのがねっ!」
 初戦を1-0でものにしたことで、両親の談義は熱を帯びていた。カムバックは優勝候補の一角を占める某国の得点王であり、カウンター攻撃の決定力には岡崎といえども一目(いちもく)置いていた。
「メッシュはどうなの?」
 省太がポツリと口を挟んだ。
「省、それは男子だ…」
 岡崎が、にこやかな顔で解説した。何はともあれ、岡崎としてはサッカーが話題ならご機嫌だった。省太の方はといえば、『え~、一席、ご機嫌を伺わせていただきます…』的なくらいである。両者の間には、明らかに感性の違いがあった。
「出来たわよっ!」
 台所に立った聡子が声を少し大きくしてテレビの前の二人に言った。
「は~い!」「は~い!」
 美味(うま)そうなカレーうどんの匂(にお)いがした。聡子が作るカレーうどんはプロ風で好評だった。この味覚に関して、二人の感性は100%で同じだった。

                       THE END

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2016年8月12日 (金)

ユ-モア短編集 [第43話] せこい、ような、しらこい話

 せこい発想は、ろくな結果を導(みちび)かない。要は、マイナス効果になりやすい、ということだ。
『偉(えら)く混んでるなぁ…』
 大型スーパーへ食料品を買に出た岩山堅二は車を運転しながら、店へ駐車しようとする車の多さに驚かされた。仕方なく、スーパー近くの店へ駐車させ、そこから徒歩で店へ入ろう…と、せこい発想を思い浮かべた。別に駐車禁止場所へ車を置く訳ではないから悪い発想とは言えなかったが、それにしても、せこかった。
 車を停(と)め、歩き出したときである。
「今日は休みですよ…」
 駐車しないで下さいよ・・とでも言いたげな男がチェーンを引いて牽制(けんせい)しながら言った。岩山は、なんだ、しらこいなぁ…と思った。休み云々(うんぬん)と言われれば、車を停めた意味がなくなる。それは即(すなわ)ち、車を停車させている正当性をなくす・・ということになるからだ。
「はあ…」
 ポツンと言うでなく呟(つぶや)くと、岩山は車に乗り込んだ。そのときには、すでに次の発想が纏(まと)まっているところが岩山の真骨頂(しんこっちょう)だ。長年の経験が素早い発想を生んだのだった。岩山は店の近くにコンビニがあることを知っていた。当然、岩山は始動した車をコンビニへ停車させた。このとき、岩山のせこい発想は消えていた。岩山はコンビニでほんの少しの食品を買うと店を出た。レシートがあるから、正々堂々とした店の客であるという、しらこい発想だ。胸を張って歩ける…これは少し大げさだが、正当性は完冪(かんぺき)だった。これ見よがしに男の前を通過してスーパーへ入った。無料の袋があったので、入らない分は、その袋に入れよう…と岩山は、せこい、ような、しらこさで思った。

                         THE END

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2016年8月11日 (木)

ユ-モア短編集 [第42話] 我慢(がまん)

 陶芸家の向畑(むこうばた)邦男は、片足で愛用の轆轤(ロクロ)を回しながら、造形の仕上げにかかった。昨夜来、急に湧き上がった創作意欲が、彼を徹夜させていた。昨日(きのう)の朝食以降、口に入れたものはなく、ただひたすらコネコネと陶土をこねくり回しているのだった。すでに夜は更け、日が変わり、物音一つしない、いわゆる草木も眠る丑三つ時だった。草木は眠ったのだろうが、向畑は眠っていなかった。
「…」
 思うに任せず、向畑はついに轆轤を止め、両腕を組んだ。このときはまだ、我慢(がまん)するほどの尿意を催(もよお)していなかったから、真剣に考え込めた。
 しばらくして、意を決したかのように轆轤を回し始めた向畑は、ふたたび陶土をコネコネした。少し気に入った形が仕上がったのか一瞬、向畑の顔に笑みが零(こぼ)れた。だがそれは一瞬で、すぐ向畑の顔は曇った。そのとき、向畑は尿意に襲われていた。ただ、それはまだ我慢できる範囲のもので、陶芸に影響を与えるほどではなかった。だから、そのまま向畑は陶芸を続けた。空腹の我慢には自信があった人間国宝の向畑だが、これだけはどうしようもなかった。
 しばらく続ける間に、次第に向畑が思い描いていた形が出来つつあった。それに伴(ともな)って尿意も次第に強まり、向畑の額(ひたい)に脂汗(あぶらあせ)が滲(にじ)んだ。
「おお! …」
 ついに向畑は形を完成させた。それと同時に、向畑は我慢できず、びっしょりと下半身を濡らしていた。やってしまったのだ。
「これでいい…」
 いい訳がなかった。

                          THE END

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2016年8月10日 (水)

ユ-モア短編集 [第41話] 躊躇(ためら)い

 土曜の朝、獅子園(ししぞの)公二は楽しみにしていた登山に出かけた。時折り、獅子園は登山をすることで日々のストレスを発散していた。
 今回、登る牛窪山(うしくぼやま)は馬糞(ばふん)山系に位置する小高い山の一つだった。以前から獅子園が登りたかった山だが、登れず今に至っていた。
 登山の馴(な)れはあったが、獅子園が準備に手を抜いたことはなく、今回も順調に推移した。獅子園の準備はいつも万全で、不測の事態にも対応策を持つ慎重派・・それが獅子園だった。
 ほぼ山の中腹まで登ったとき、獅子園はおやっ? と首を傾(かし)げながら地図を見直した。地図には記されていない分岐路に出食わしたのである。さて、どうしたものか…と、獅子園は躊躇(ためら)いながら、近くにあった岩場へ腰を下ろした。ちょうど、休憩しようと思っていた矢先だったこともある。せせらぎも上手(うま)い具合に近くにあり、喉(のど)を潤(うるお)しながら獅子園は左右の分岐路を見た。一見、左を進めば緩(ゆる)やかそうに見えた。いやいやいや、それは甘い甘い…と獅子園はまた、躊躇った。そう見えて険(けわ)しいケースも今まで多々、経験していたからだ。じゃあ、右にしよう…と獅子園は腰を上げ、リュックを背負うと右の道を歩み始めた。しばらく行くと、急に道は険しくなった。獅子園はふたたび、立ち止って躊躇った。引き返して左を登ろうか…と。獅子園は分岐路まで引き返し、左の道を登ろうとした。そのとき、待てよ! というふたたびの躊躇い心が獅子園に湧き起こった。獅子園は腕を見た、10時半ばになっていた。ここからだと、隣の羊毛山(ようもうざん)の方が近いぞ…と思えたのだ。羊毛山も牛窪山と同じように登りたかった山の一つだった。距離的にみても、今の時間ならスムースに登れそうだった。獅子園は躊躇いながら後ろ髪を引かれる思いで羊毛山へのルートをとった。羊毛山へは、分岐路から少し下山したところに迂回(うかい)路がある。この道は地図にも出ていたから獅子園は以前から知っていた。少し下りて迂回し、羊毛山への道を進んだとき、獅子園は俄(にわ)かに腹が減ってきた。11時過ぎだったから、それもありか…と思え、獅子園は腰を下ろすと少し早い昼食にした。
 腹も満たされ、さてと! と獅子園は少し重くなった腰を上げた。そして、しばらく歩いたとき、獅子園にまた躊躇いの心が湧き起こった。今日はやめて、今度、登ろう…というネガティブな躊躇いの心だった。今度、朝早くから気分よく分岐路の左を登ろう…という思いだ。結局、獅子園は下山した。
 昼の1時過ぎ、家への帰途についた電車の窓から馬糞山系の山々が見えた。そのとき、全天、俄かにかき曇り、大粒の雨が降り出した。雨はたちまち豪雨となった。躊躇いは、獅子園を助けた。

                      THE END

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2016年8月 9日 (火)

ユ-モア短編集 [第40話] 緩(ゆる)む

 寺島賢助は日曜の朝、スパナレンチでボルトのネジを締(し)めていた。昨日(きのう)の夜、何げなく触った取っ手金具の基盤部が緩(ゆる)んでいた。それを、明日はやるぞ! と固く決意し、寝込んだのである。寺島の場合、気づいたことはやってしまわないと気が済まない性分(しょうぶん)だったから、そのまま放置しての一夜は非常に気分が苛(さいな)まれた。それでも、グッ! と我慢(がまん)してベッドに潜(もぐ)り込んだまではよかったが、とうとう寝つけぬまま空が白み始めたのである。そんな寺島だったから、早々と起き出したときは当然、眼は血走っていた。
 起き出した寺島はパジャマから着替えることなく、さっそくスパナレンチを握っていた。一件は早く片づくかに思えたが、案に相違して締まったネジは固く、緩みそうもない。何度も試みたが、それ以上やればネジ山が崩れる恐れが出てきたから一端、断念して両腕を組み考えた。その結果、寺島は潤滑スプレーを取り出し、液を吹きつけた。ネジは幸いにも緩んだ。ここまではよかった。
 ネジを抜き取ると、何度も回したものだからネジ山が馬鹿になっていた。太いボルトならタップを切って細いネジ山には出来るが、間滅(まめつ)したネジ山を太くは出来ない。寺島はアングリした顔でふたたび、両腕を組み考えた。そのとき妻の美代子がつけたのだろう。ふと、『安全保障関連法案が○△×●で…』と言っているテレビニュースの声が耳に入ってきた。寺島は、ふ~~~ん…と気を取られながら、間滅したネジ山をもう一度、見た。寺島にはネジ山が憲法のように見えた。そのとき、寺島のズボンがずり落ちかけた。寺島のベルトも緩んでいた。

                   THE END

 注;この小説は飽くまで寺島個人が思ったところを如実に描いたものであり、私個人の見解は中立的立場として伏せさせて戴きたく存じますので、その点は誤解なきよう、宜しく御願い申し上げます。

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2016年8月 8日 (月)

ユ-モア短編集 [第39話] 噴火

 夕方、角田(つのだ)省次が勤めから帰ると、妻の実夏(みか)が玄関へ走り出てきた。
「あなた、大変よっ!」
「ど、どうしたっ?!」
 よからぬ不測の事態が起こったかと角田は緊張感を露(あら)わにして訊(たず)ねた。
「噴火よっ! 噴火したのっ!」
「… どこが?」
 角田の緊張感は、溜息(ためいき)とともに一瞬にして萎(しぼ)んだ。
「富士山!」
「ええっ!? 富士山!!!」
 角田の緊張感は、一瞬にして回復した。
「…じゃないの。の近く…」
「なんだ、箱根か?」
 角田の緊張感は、ふたたび萎(な)えた。
「ええ、まあ…」
「箱根は最近、ニュースになってるじゃないか」
「そうなんだけど…」
 実夏は少し声を小さくした。
「つまらんことを帰って早々(そうそう)、グダグダ言わんでくれ。俺は疲れてんだっ!」
 靴を脱ぎながら角田は噴火しそうに怒れてきた。俺が噴火してどうするんだ・・と角田はグッと抑(おさ)えて、思うに留めた。
 クローゼットで背広を脱ぎながら角田が着替えていると、後ろから実夏が声をかけた。
「噴火のね…灰が明日の朝、降るそうよ…」
「なにっ!」
「それと、噴火の影響で列車ダイヤが乱れるって…」
 角田は小田原から浜松まで通勤していたから、影響は大いにあった。
「なぜ、それを早く言わん!!」
 角田の緊張感は、ふたたび回復した。明日の午前から係長昇進の辞令が交付される運びになっていたのである。間にあわなければコトだった。噴火は角田の出世に影響していた。

                       THE END

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2016年8月 7日 (日)

ユ-モア短編集 [第38話] 梅雨(つゆ)

 旦那の聡(さとし)は妻の忍(しのぶ)に愚痴られ続け、萎(な)えていた。少し気分を和(やわ)らげようとテレビをつけると、天気予報をやっていた。
「気象庁は◎◎地方が梅雨に入ったと見られる、と発表しました」
 聡は、そうなのか…と、思った。ふと、窓を見ると、空は薄墨色の雲で被(おお)われている。聡は改めて、そうなんだ…と実感した。
「梅雨なんだな…」
 忍に言うでなく呟(つぶや)くと、忍も虚(うつ)ろな顔で空を見た。
「そうみたいね…」
 珍しく愚痴られず、聡はこれはいいぞ…と思った。空は曇っていたが降り出す様子もなく、小康状態を保っていた。聡は今の俺達みたいだな…と二人の夫婦関係を思った。
 一週間が過ぎ去り、聡はまた忍に愚痴られていた。少し以前より愚痴られ方が強くなったようで、聡も少し怒れたから、ふた言(こと)み言、言い返していた。聡は少し気分を和らげようと、テレビをつけた。
「寒冷前線は以前より、やや北へ押し上げられています…」
 聡は、そうなのか…と、思った。ふと、窓を見ると、薄墨色の空で、幾らか蒸(む)しっぽかった。聡は改めて、そうなんだ…と実感した。
「梅雨は蒸すな…」
 忍に言うでなく呟(つぶや)くと、忍はチラッと空を見た。
「そらそうよ!」
 言い方が険(けわ)しくなっていて、聡はこれはいけないぞ…と思った。外はジトジトと降り出していた。
 そしてまた一週間が過ぎ去った。聡は相変わらず愚痴られ、同じだけ愚痴り返していた。完全な軽い喧嘩(けんか)だった。外は梅雨末期の土砂降りになってった。聡は少し気分を和らげようと、テレビをつけた。
「各地で梅雨末期の豪雨となっております。今後の気象情報には充分、ご注意下さい」
 聡は、注意しないとな…と、思った。そして無言で忍を見た。二人は数日、口をきいていなかった。
 そしてまた一週間が過ぎ去り、ついに梅雨が明けた。外はすっかり晴れ渡り、夏の熱気が部屋へと入ってきた。聡はテレビをつけた。
「◎◎地方の梅雨は明けたようだと気象庁は発表しました」
 聡は、そうなのか…と、思った。
「おい、梅雨が明けたそうだ…」
 忍に言うでなく呟くと、忍は明るい顔で空を見た。
「そうね…」
 言い方は柔和(にゅうわ)で、顔には笑みが零(こぼ)れていた。 

                       THE END

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2016年8月 6日 (土)

ユ-モア短編集 [第37話] 立ち話

 二人の男が横断歩道の交差点で話し合っていた。二人は偶然に出会った古い友人だった。それも久しぶりの出会いだったから、立ち話になった。二人が話す間、信号が幾度も変わった。二人は路肩(ろかた)へ寄って話をしたので、通行の邪魔になることもなかった。それでも、通行人は佇(たたず)んで話し続ける二人を物珍しげにチラ見しながら横断していった。
「ははは…まあ、ここでの立ち話もなんだから、そこら辺の喫茶店でゆっくり話そうや」
 もう充分、話をしたあと、一人の男が気づいたように言った。
「ああ…」
 ある程度は話したぞ…と、もう一人の男は思ったが、急いではいなかったから応諾(おうだく)して頷(うなず)いた。一人の男は誘ったものの、辺(あた)りの土地勘がまったくなかった。誘われたもう一人の男も同じだった。当然、そこら辺の喫茶店に目星があるはずもなかった。二人はお互いに知ったかぶりをして歩いた。
「おかしいな…この辺だったと思うが…」
「そうそう、この辺にあった、あった!」
「だろ?」
 二人は妙なところで話が合った。事実は、二人ともまったく土地勘がなく、知らない場所へ迷い込んでいたのである。それでも、二人は歩きながら立ち話をした。立ち話が続けられたのは、お互いに相手の土地勘を信じていたからだった。そんな二人が歩き回っても、喫茶店が現れる訳がない。結局、二人は小一時間、立ち話をしながら辺りを徘徊(はいかい)し、喫茶店を見つけられぬまま元いた横断歩道の交差点へ戻(もど)る破目になった。いわゆる、双六(すごろく)で言うところの[振り出しへ戻る]である。
「まっ! 元気でっ」
「ああ、君もなっ!」
 二人は横断歩道を渡ると、燃えきらぬまま左右に分かれた。立ち話もなんだから・・ということはなく、結局、立ち話でよかったのだ。

                        THE END

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2016年8月 5日 (金)

ユ-モア短編集 [第36話] ポンポコポン!

 中秋の名月が猪野毛(いのげ)の森を照らしている。猪野毛の森は、小高い牡丹(ぼたん)山の山裾(やますそ)に広がる鬱蒼(うっそう)とした森だった。この森には昔から住まう狸(たぬき)のポンポコ一家が塒(ねぐら)を構えていた。
 枯尾花(すすき)が風に戦(そよ)ぎ、名月が煌々(こうこう)と蒼白く輝くなか、ポンポコ一家の父子狸が月を愛(め)でていた。
『とうちゃん、いい月夜だね』
『ああ…人は悪くなったが、お月さまは変わらんなぁ~』
 そこへ現れたのが、母狸だった。
『なに言ってるのよ。あんただって悪くなったじゃない。この前、お芋、一本、少なかったわよっ!』
 ポンポコ狸の父は、四本あったお芋の一本を、こっそり腹へ納めたのだった。まあ、それでも一家の分は、それぞれ一本はある・・というシラコい目論見(もくろみ)である。母狸は、父狸のそのシラコさを完璧(かんぺき)に見抜いていた。言われた父狸は子狸の手前、認める訳にもいかず、バツ悪く腹鼓(はらづつみ)をポンポコポン! と打った。静かな森に父狸の腹鼓が響き渡った。
『なによっ!』
 誤魔化すのっ!? とでも言いたげに、母狸もポンポコポン! と打ち返した。二匹は、しばらく腹鼓を打ち合った。
『いい音色だね…』
 二匹の腹鼓を聞いていた子狸も、そう言うと腹鼓を打ち始めた。名月の猪野毛の森にポンポコ一家の腹鼓がいい音色で響き渡った。

                       THE END

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2016年8月 4日 (木)

ユ-モア短編集 [第35話] 名曲秘話

 演歌の大御所的作曲家である遠堂豆雄は、最近、すっかりスランプに陥(おちい)っていた。その訳は…と原因を日々、探る遠堂だったが、どうしても思い当たる節(ふし)がなく、悩んでいた。スランプを脱しようと、遠堂は場末の街へ飲みに出た。
「いつもので、いいですか? 遠堂さん…」
 スナックのバーテン大梶は、遠堂の顔を見た途端、そう言った。
「ああ、頼むよ…」
 遠堂はそういうと、いつも座る定位置のカウンター椅子へ腰を下ろした。
「元気がないですね。どうかされましたか…」
 大梶は気遣(きづか)ってか、小さく訊(たず)ねた。
「な~に、どうってこともないんだが…ちょっとしたスランプでね」
 遠堂が新進作曲家としてデビューして以来、大梶とは50年来の付き合いだった。そんなことででもなかったが、遠堂はなんでも気さくに打ち明けた。
「そうでしたか…。ダブルにしますか?」
「ああ…」
 大梶は手馴れた所作でグラスに水割りを作ると、遠堂の前へ突き出しのサラミを乗せた小皿とともに置いた。遠堂は、すぐにグラスを手にすると、グビリとひと口、喉(のど)へ流し込んだ。
「なにか、いい手立てはないかねぇ~」
 遠堂は大梶に言うではなく愚痴った。そのとき、遠くから偶然、どこで吹くのか夜鳴き蕎麦(そば)屋のチャルメラの音が侘(わ)びしく聞こえてきた。
「そうですねぇ~…トウシロの私なんかにゃ分かりませんが、アレなんかどうです?」
 大梶は音がした方向を徐(おもむろ)に見た。
「ああ…アレか…」
 遠堂は頷(うなず)くと、残りの酒をいっきに飲み干した。
「有難う…」
 遠堂はいつもの額を支払うと、スゥ~っと店を出た。
 それから十日後、遠堂が久々に世に出す曲♪チャルメラ悲恋♪が発売された。歌うは演歌期待の新人、鰹(かつお)昆布美(こぶみ)だった。
 ひと月後、曲は大ヒットした。有線で飲み屋街を席巻(せっけん)したのである。その年の有線放送大賞は申すに及ばず、数々の賞を総なめにし、曲中のひと節(ふし)は人々の流行語にもなった。ああ・・涙なしでは語れない名曲の誕生には、こんな偶然の秘話が隠されていた。

                        THE END

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2016年8月 3日 (水)

ユ-モア短編集 [第34話] 記憶

 人の記憶ほど曖昧(あいまい)なものはない。
「いや、いやいやいや…確かに、もう一切れあった!」
 横川家では、朝から残っていた一切れの銀ムツの味噌焼きを巡り、口喧嘩(くちげんか)が勃発(ぼっぱつ)していた。横川渡×妻、江美による壮絶な口バトルである。
「何、言ってるのよっ! 昨日の夕飯に食べたでしょっ!」
「馬鹿なっ! それは先週の話だろうがっ!」
「またまたっ! 昨日よ?! もう、忘れたのっ!」
「そうだ、昨日だっ! 忘れるかっ!」
 猫のタマは、偉いことになったぞ…と二人の声に驚き、フロアから飛び起きると、スタスタ、奥の間へトンズラを決め込んだ。
「あなたの記憶違いよっ!」
「そんなことあるかっ! 俺の記憶は確かだっ!」
 ついに争点は記憶の信憑性(しんぴょうせい)が問題となってきた。
「じゃあ、言わせてもらうけど、昨日のオカズは何だった?」
 江美は完全な不信感を露(あら)わにした。
「オカズ?! オカズは、海老フライ・・笹かまぼこの板わさ・・それに…じゃないかっ!」
「ほら! それに、なに? 味噌焼きがあるじゃないっ!?」
「んっ? …いや、いやいやいや、味噌焼きはなかったっ! なかった! …なかったはずだ」
「あったわよぉ~!」
「そうだったか? …」
 横川の声は次第に小さくなった。このとき、横川は江美の言葉でおやっ? と自問自答していた。そうだ、食べたかっ? 食べたな…と。だが、一家の主(あるじ)としては、急に退却するのも不甲斐(ふがい)ない。加えて、男のメンツもあった。横川は記憶違いを内心で実感したあと、何かいい手立てはないか…と探った。
「あっ! いけない、いけないっ! 平田に電話しないとっ!」
 横川はタマと同じく、自室へトンズラを決め込んだ。

                         THE END

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2016年8月 2日 (火)

ユ-モア短編集 [第33話] イン・ドア派

 下永(しもなが)等は根暗(ねくら)になっていた。なにも好き好んでこうなったんじゃない! と、下永は思って生きていた。世間並みの大学を出て、就職したのは一流商社だった。そして数年は順風満帆(じゅんぷうまんばん)の人生だった。彼の未来は誰の目にもバラ色に思えた。だが、世の中はそう甘くなかった。数年が経(た)ったある日、下永の商社は外資系会社に吸収され、彼はリストラで左遷同様に子会社へ出向となった。ここまでは、まだよかった。さらに輪をかけて、その子会社は整理され消滅し、下永は失業したのである。意気健康で明るかった下永は、この日を境に根暗に変身した。下永は社会が嫌になり、外へ出なくなったのである。あちこちと出歩いていたアウト・ドア派の下永が、イン・ドア派になってしまったのだ。
 ここは下永がかつていた商社の課である。
「下永君、今、どうしてるんだ?」
 ふと、下永のかつて座っていたデスクを見ながら、課長席に座る仙波(せんば)が部下の係長、胡麻(ごま)に訊(たず)ねた。仙波は下永と同期入社だったが、数年間、泣かず飛ばずで、危うく首になりかけた男だった。それが皮肉にも下永とは真逆に、吸収合併後は飛ぶ鳥を落とす勢いで出世コースを上(のぼ)りつめたのだった。根暗でイン・ドア派だった仙波は、出世とともにアウト・ドア派へ変身した。
「聞いた風の噂(うわさ)では、なんか飛んでないみたいですよ」
 胡麻は小声で他の課員に聞こえないよう、ボソッと言った。
「飛んでないか…。まだまだ飛べる奴なんだが…」
 そう仙波が言ったときだった。下永がツカツカと課へイン・ドアしてきた。
「久しぶりだな、仙波!」
「おお、下永か…。よく入れたな」
 仙波は驚いた掠(かす)れ声で下永に言った。胡麻は予期せぬ下永を見て言葉を失い、茫然(ぼうぜん)と課長席の前で立ち尽くした。
「ああ…。玄関受付の倉島君が訳を言ったら入れてくれたよ」
「倉島? …ああ、ここにいた倉島加奈か」
「今は総務課です…」
 ようやく落ち着きを取り戻した胡麻が、小さな声で言った。
「今日は君に頭を下げにきた。なんでもやる! 俺に仕事をくれ!」
 下永は人目も憚(はばか)らず頭を下げ、大声で言った。イン・ドア派の下永はアウト・ドアしたくなったのだ。

                        THE END

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2016年8月 1日 (月)

ユ-モア短編集 [第32話] 欠陥商品

 日曜の朝、坂山努は楽しみにしていた電気街への買い出しにかけた。つまらない物や不必要な小物も含み、いろいろ珍しい商品を買って帰るのがなによりの坂山だった。
 この日は快晴で暑くなく、湿度も低いという具合で、ブラつくには最適の気候だった。坂山は、いつものようにウロウロと見て歩き、ふと一軒の店に入った。少し奥に珍しい電気製品が置かれていたからである。
「あの…これ?」
 坂山は店主と思われる男に声をかけた。
「はい…ああ、コレですかな。コレは売りものじゃないんでございますよ、はい! 欠陥商品なんでございますがね、実は。なんかデザインが気に入りましてな、ははは…私の身勝手で置いているだけなんでございますよ」
 店主は坂山に物腰低く説明した。だが、坂山はなぜか、その小物商品が気に入ってしまった。
「お支払いしますから、私が買わせていただく訳には?」
「えっ! コレを、でございますか? コレは…」
 店主はニヤけて困り顔をした。
「ぜひ、お願いします!」
「…と、言われましてもねぇ~。値段のつけようがねぇ~…欠陥商品ですからねぇ~」
 店主は[ねぇ~攻勢]で坂山の意思を削(そ)ごうとした。買い取りを阻(はば)む、いわばサッカーでやるところのプレス風である。だが、坂山もこの街の一見(いちげん)客ではない。いわば時代劇で演じられるところのウロつき流・免許皆伝の遣(つか)い手だから、そう簡単には引き下がらなかった。
「いや、いやいやいや…だからご主人のいい値で結構ですから」
 大相撲で言うところの下手投げ風である。
「さよ、ですか? …しかし、こんなもの、何にお使いになるんです?」
「いや、まあ…。いろいろと」
 坂山は適当に濁(にご)した。いわば国会で見られるところの政府答弁風である。
「いいでょ! 私も、この道30年の電気屋だっ! ただで結構ざんす! 持ってって下さい!」
 主人は、いわば卸市場で値づけられるところの落札風に、きっぷよく言った。坂山はその欠陥商品の入った小袋を肩にかけ、店を出た。いわば大黒様の♪大きな袋を肩にかけ~♪と歌われるところの唱歌風だった。

                        THE END

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