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2017年6月

2017年6月30日 (金)

よくある・ユーモア短編集-65- 気分しだい

 目覚めると、朝から雪が降っていた。ああ、どうも冷えると思ったら…と御門(みかど)は雪明かりの窓を見た。今日は幸い、休みだから、そう慌(あわ)てることもない…という気分だ。御門はまた、ウトウトとそれから半時間ばかり眠った。目覚めたとき、明日(あした)ならドタバタだ…と御門は苦(にが)笑いをしながら、ベッドから嫌々、出た。
 洗顔を済ませた御門はキッチンへ入った。卵をスクランブルにし、ガーリックトーストとシナモン・ティーで軽い朝食を…と思っていたが、時計を見ると10時前になっていた。こりゃ朝食どころか、今で言うブランチだな…と、またまた苦笑いをしながら洗い終えた食器を拭いていると、やけに自分がお馬鹿に思え、御門は三度(みたび)苦笑いをした。
 スクランブル味が上手(うま)くいったのか、御門の気分は高揚(こうよう)していた。怖(こわ)いもので、気分が高まると知らず知らず行動力も湧いてくる。まあ、昼からゆっくりと…と思っていた雪掻きを、さて、これからやってしまうかっ! という気分へ変化した。
 昼前の雪は柔らかく、日射しで半ば解けかかっていたから足下が濡れた。しまった! と長靴を履かなかった軽はずみを悔いたが、もう遅い。御門の気分はまた低くなり、テンションは下降の一歩を辿(たど)った。株価暴落のようなものである。…まあ、それは少し違うだろうが、ともかく御門の気分は降下した。気分が降下すると、すべてに積極性がなくなる。御門の目論見では、雪掻きで軽く汗を流し、ひとっ風呂(ぶろ)浴びるかっ! …というものだったが、気分が急降下したことで、風呂へ入る気も失せていた。だいいち、雪解けでそんなに汗も掻かなかったから、さっぱりしよう! などという気分にならなかったこともある。さて、そうなれば…別にどうということもない。濡れた靴下を暖炉(だんろ)の火で乾かしながら、御門は何を思うでなくウツラウツラ…と眠っていた。気分とは怖いものである。僅(わず)か数十分、眠っただけで、御門の気分は元に戻(もど)っていた。いや、それよりもむしろ、足の心地いい暖かさで、気分は高揚へと変化していた。さてっ! 豚汁(とんじる)でも作るか…と、御門は徐(おもむろ)に立つと、またキッチンへ入った。調理も気分しだいである。高まった気分がいい味の豚汁を生み出したのである。その夜、御門は美味(うま)い豚汁で腹を満たすこととなった。さらには、止めた風呂も沸かす気になり、結果、御門は心地よく一日を終えたのだった。
 気分しだいで物事の成り行きが変化することは、確かによくある。 

                            完

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2017年6月29日 (木)

よくある・ユーモア短編集-64- そろそろ…

 滝口は外出の戸締りも終わり、そろそろ…出ようと、腰を上げた。と、そのとき、祁魂(けたたま)しい電話音がトゥルルルルル…と、鳴り響いた。
『チェッ! なんだい今頃っ!』
 心中ではそう思いながら、滝口は仕方なく受話器を手にした。
「はい! 滝口ですが…」
 心なしか不貞腐(ふてくさ)れぎみの声で滝口は応対した。だが、受話器からの返答はなく、無言で数秒が過ぎるとプツリ! と切れた。
「なんだい、人騒がせな…。間違い電話か」
 今度は、はっきりと声にし、滝口は少し怒りながら受話器を置いた。このときの滝口は、よくあることだな…と安易(あんい)に考えていた。気を取り直し、そろそろ…と滝口が動き始めたときである。突然、玄関のインターホンの音がピンポ~ン! と鳴った。
『なんだい…』
 心中ではそう思いながら、滝口は急いで玄関へ向かった。玄関には、郵便局員らしい人影が映っていた。
「はいはい! すいません…」
 謝らなくてもいいのに謝りながら、滝口は玄関のサッシ戸を開けた。滝口が思ったとおり、外には郵便局員が立っていた。
「書留です。認めをお願いします…」
 郵便局員は、封筒を手にし、小さな紙を指で示して言った。当然そのとき、滝口は認め印を持っていなかった。
「あっ! ちょっと、待ってください」
 滝口は認め印を入れている引き出しへと取って返した。しばらくして再び現れた玄関へ滝口は、差し出された小さな紙へ押印すると封筒を受け取った。郵便局員が去り、封筒の差し出し人を見ると、役場からの新年度の保険証だった。
『まあこれは、必要だわな…』
 需要書類である。滝口もこれには腹が立たなかった。だが、度々(たびたび)の待った! である。それも、そろそろ…と思った瞬間の連続だったから、滝口は少し外出する間合いを開けようと思った。しかし、しばらくしても何事も起こらなかった。やはり、気のせいか…と思え、滝口が、そろそろ…と腰を上げたときである。また、玄関のインターホンの音がピンポ~ン! と鳴った。
『チェッ!! 今度はなんだっ?!』
 滝口はかなり怒れてきた。玄関に回ると、やはり人影がした。
「はいっ !」
「宅配で~~すっ!!」
 誰だっ! と言わんばかりの無愛想な滝口の声に、愛想よい明るい声が表から返ってきた。そう言われては、滝口も機嫌を戻(もど)さない訳にはいかない。
「はい! 今、開けます…」
 滝口は穏やかに言うと、施錠を解いて玄関戸を開けた。
「ここへサインをお願いします…」
 また認め印か…と思った矢先だったから、滝口は少し心が綻(ほころ)んだ。心が綻んだ訳は、それだけではない。送り主は郷里の家からだった。
「あっ! どうも…」
 宅配員から重めのダンボール箱を受け取ると、滝口には中身が大凡(おおよそ)分かった。毎年送られてくるリンゴのようだった。滝口は、いつしかニンマリと微笑(ほほえ)んでいた。すでに滝口の脳裏からは、そろそろ…という外出の気分が消えていた。
 出鼻を挫(くじ)く・・とは、よく言われるが、不都合なタイミングが度(たび)重なることは、よくある。  

                         完

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2017年6月28日 (水)

よくある・ユーモア短編集-63- マニュアル

 最近の世の中は、多くの物事がマニュアルによって構成されている。物的には取り扱いのマニュアルとかであり、人的には顧客(こきゃく)に対する接遇(せつぐう)などがある。個々への対応は消去され、すべての対応が総花的に同一化される訳だ。総じて、物⇔人の場合は、ほとんどの場合が有効な手段となるが、人⇔人の場合となると、ある程度の融通幅(ゆうずうはば)を持たさないと大きなトラブルともなりかねない。
「君、これなんだけどね…私の場合、どれがヒットするの?」
「あっ! こちらでございますか? 当店の場合、お客様にお選びいただくことになっております」
「それは分かってるんだよっ! だから、君はどう思うのかを聞きたいんだ、私はっ!」
「そう申されましても、私どもからは、お答え出来ないことにマニュアルでなっておりまして…」
 客に詰め寄られた店員は冷や汗を掻(か)きながら返答に弱り果てた。
「そんな顔をしなくてもいいよ。何も君を苛(いじ)めてるんじゃないんだからね。店の責任者は?」
「はあ! ただ今、呼んで参ります…」
 店員が下がり、しばらくすると店長らしき男が現れた。
「お待たせいたしました。どういったことでございましょう?」
「これなんだけど、私にはどれがヒットするんだね?」
「はあ? ええ、まあ…どちらもよくお似合いでヒットされると思いますよ」
「だからさ! どれが一番、ヒットすると君は思う?」
「あの…お客様。当店ではそういうことをお答えできない規則になっておりまして…」
「マニュアルがある、と言いたいんだろっ! そのマニュアルは、いったい誰が決めたんだっ?」
「はあ…本店総務部からの指示でございます」
「君では話にならん! 本店総務部長を呼びたまえっ! 直接、話を聞こうじゃないかっ!」
 話は本店総務部長では解決しなかった。とうとう、この店に社長まで呼ばれることになり、店長が変わったという話である。

 これは極端な一例だが、マニュアルを重視し過ぎると、トラブルになることは、よくある。

                           完

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2017年6月27日 (火)

よくある・ユーモア短編集-62- 偶然の一致

 朝からバタバタしているのは、犬のペグを飼っいる柔木(やわらぎ)である。というのは、預(あず)かってもらった動物病院から早朝、電話が入り、出産が近いというのだ。目の中に入れても痛くない…これはまあ、少し大げさな物言いだが、それほど柔木が可愛がっているペグである。当然、バタバタする訳だ。いつもはのんびりとトイレの便座に座る柔木だったが、この朝は便座に座りながら歯ブラシを縦横に小忙(こぜわ)しく動かしていた。もう一匹、飼っている子猫のミーチャは、そんな柔木を、『見ちゃいられん…』と、お気に入りの高台で寝ながら首を動かし、柔木の一挙手一投足を眺(なが)めていた。
「ミルクは、いつものとこだからなっ! とうちゃん、これから行ってくる。すぐ戻(もど)る…」
 柔木は、バタバタしながら靴を履(は)き、バタバタと玄関ドアから出た。
 動物病院へ柔木が着くと、ちょうどペグのお産が終わったところだった。
「3匹、生まれましたよ。皆、元気です」
 獣医の梢(こずえ)は笑顔で柔木に声をかけた。
「そうですか…。ありがとうございました」
 柔木が軽くお辞儀をした。そのときだった。柔木の携帯がピピピピ…と激しく鳴った。
「はい、柔木ですが…。おおっ! 田所君かっ! どうした? 君、今、旅行中だったろ?」
『はいっ! 実は乗っていたツアーバスが崖(がけ)から転落しまして、僕、今、病院で手当を受けたとこなんですっ!』
「なんだってっ!! 大丈夫かっ!」
『ええ…お蔭(かげ)さんで僕は軽傷で済んだんですが…』
「あとの3人はっ!!」
『… …』
 携帯から田所のすすり泣く声だけが聞こえた。そのとき、飼育室から出てきた梢が柔木に声をかけた。
「3匹、見ますかっ!」
「やかましいっ! それどころじゃないっ!!」
「はあ?」
 梢は少し表情を強張(こおば)らせながら、訝(いぶか)しげな顔つきで柔木を窺(うかが)った。
「いえっ! なんでもありません、こちらのことです。…すみません! すぐ、そっちへ行くっ!」
 柔木は梢に慌(あわ)てて否定し、ひと言、加えると携帯を切った。柔木は切ったあと、どこへ行けばいいのか分からず、しまった! と悔(く)やんだ。そのとき、ふと柔木は、3匹が生まれ3人が死ぬという妙な偶然の一致にゾクッ! とした。
 世間で、妙な偶然の一致は、確かによくある。

                         完

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2017年6月26日 (月)

よくある・ユーモア短編集-61- 風呂屋

 国会で賑(にぎ)やかな代表質問が行われている。実況中継のテレビ画面を観ながら邦枝(くにえだ)は欠伸(あくび)をした。
「…ちっとも変らんなあ」
 那枝は欠伸のあと、そう呟(つぶや)きながら、さらに溜息(ためいき)を一つ吐(は)いた。何が変わらないのか・・といえば、与野党の国会議員の質問と、その答弁内容である。那枝に言わせれば、いつやら聞いた同じような質問と答弁を、同じ内容でまた蒸し返している…ということだ。もちろん、語られる文言(もんごん)は言葉、内容を弄(いじ)って巧(たく)みに掏(す)り
えてはいるが、よく聞けば、議員はやはり同じ内容を語っている・・となる。
「風呂屋か…」
 これも那枝の隠語だが、風呂屋→お湯ばっかり→言(ゆ)うばっかり・・となる。
「温(ぬる)いな。もう、ひと燃(く)べ!」
 しばらくして、また那枝は呟いた。那枝語では、風呂屋のお湯も熱め、温め、低めと、いろいろあるが、熱め→なかなかの発言、温め→もう少し熱い内容で語って欲しい、低め→有りきたりで、聞くに堪(た)えない・・となる。
 那枝がテレビを消したとき、キッチンから妻の美咲が現れた。
「今日の料理は上手(うま)く出来たわ…」
 はっきりとは言わない小声に、那枝は、『今日も風呂屋だな…』と思った。
 世の中には、風呂屋が大繁盛することが、よくある。

                          完

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2017年6月25日 (日)

よくある・ユーモア短編集-60- ズレ

 五月の半(なか)ば、外で夕食を済ませた丸太木(まるたぎ)は、職場から帰宅した。丸太木は残業続きですっかり疲れていた。今日はぐっすり眠るか…と、丸太木はシャワーのあとビールを喉(のど)へグピッ! と流し込み、そのまま寝入ってしまった。次の日は休日である。仕事も一応、切りがつき、丸太木としては気分的にぐっすりと眠れる訳だ。当然、次の日の天気など、雨が降ろうと槍が降ろうとどうでもよかった。ところが、である。次の日の朝は誰もが外出したくなりそうな快晴で、朝陽(あさひ)が射(さ)し込まなくてもいいのに丸太木の顔へ射し込んできた。春の大型連休を過ぎた頃合いだったから、気温も結構、朝から高くなっていた。いわゆるボカボカ陽気というやつである。こうなれば、眠るつもりが眠れなくなる。ベッドから出ると丸太木は寝室のカーテンを腹立たしく閉じ、また横になった。横にはなったが一端、目覚めればなかなか眠れるものではない。丸太木は窓に向かい、思わず「晴れればいいのかっ!」と呟(つぶや)いていた。そして、目を瞑(つむ)ったが、やはり眠れそうにない。そうこうするうちに半時間ばかり過ぎてしまった。そのとき、ふと、丸太木の脳裏にあることが閃(ひらめ)いた。いい閃きならよかったが、生憎(あいにく)それは悪く、忘れていた雑用を思い出さなくてもいいのに思い出してしまったのである。
『そういや今日はゴミ出しの日だった!』
 慌(あわ)てて跳ね起きると、丸太木はパジャマのまま、マンションの階下へと急いだ。いつものゴミ置き場へ行くと、ゴミ袋はひとつもなかった。
『遅かったか…』
 丸太木はテンションを下げながら中へと取って返し、昇降用のエレベーター前へ来た。そのとき、同じ階の鋸引(のこびき)が犬の散歩を終え、マンションへ入ってきた。エレベーターは一つだから、当然、丸太木とバッタリ出合う。
「いい天気ですね、丸太さん! どうされました、ゴミ袋を持って?」
 丸太木は『丸太じゃなく丸太木ですっ!』と言おうとしたが、罰(ばつ)悪く思うに留(とど)めた。
「ええ、まあ…」
 丸太木はなんとか、暈(ぼか)した。
 エレベーターが降り、チ~ン! と音がしたあとドアが開き、二人は中へ入った。丸太木がボタンを押してドアが閉じ、エレベーターは上へと動き出した。そして、しばらく二人の間に沈黙が続いた。やがて、チ~ン! と音がし、ドアが開いたあと、二人はエレベーターから出た。
「ゴミは明日ですよ、それじゃ…」
 訝(いぶか)しげに頭を下げ、鋸引は別方向へと去った。丸太木は、ぅぅぅ…と、なんとも言えない口惜(くや)しい気分で、思わず「晴れればいいのかっ!」と、また呟(つぶや)いていた。
 次の日の朝は土砂降りだった。丸太木はゴミを出したあと、恨めしげに天気のズレを感じながら、「降ればいいのかっ!」と呟いていた。
 思うに任せず、ズレることは、よくある。

                          完

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2017年6月24日 (土)

よくある・ユーモア短編集-59- 黒白(こくびゃく)

 湯鰤(ゆぶり)は久しぶりの快晴に、妻の香織(かおり)に命じられた座布団を干そう…と、庭に置かれた床几(しょうぎ)の上へ並べ始めた。こういう日は気分も高揚(こうよう)するというものである。何げなく床几の足下(あしもと)を見ると、床几の四本の足の一本が少し短いことに湯鰤は気づいた。なぜこの一本だけが…と解(げ)せなかったが、まあ短く歪(いびつ)になっているのだから仕方がない。
「どれ…修理してやるか」
 偉(えら)そうに上から目線で呟(つぶや)くと、湯鰤はDIY[DO IT YOURSELFの略で、自分でやろうという意味]で使っている日曜大工の道具を物置から取り出し始めた。時折り、この手の修理はやっていたから、半時間もあれば出来そうに思えた。ところが、である。コトはそう簡単には片づかなくなったのである。というのも、修理するとなると、床几の上へ並べた座布団を一時、別の場所へ移動せねばならなくなる。ということは、どこで干すか? と、場所を探さねばならないからだ。道具を出したまでの発想は白っぽくてよかったが、問題は座布団だ。この場所が見つからないと修理はできないから、動きが取れず黒くなり、黒白はつかなくなる。湯鰤は、さて? と手を止め、腕を組むと考え込んでしまった。
 五分ばかり経ったとき、香織が顔を出した。
「何してんのよっ!?」
 上には上がいるもので、早く干しなさいよっ! と言わんばかりの上から目線で、湯鰤は香織に強く催促(さいそく)された。
「どこへ干そう…」
 借りものの猫のような小声で、湯鰤はニャニャっと言った。
「どこでも、いいじゃない。ほら、そこっ!」
 上手(うま)くしたもので、物置の下には、ほどよく平らな小屋根があった。そこへ横一列に並べりゃいいじゃない! と香織は暗に言った訳だ。
「あっ! そうか…見損じたっ!」
 湯鰤は昨日(きのう)覚えたばかりの囲碁用語を少し格好よく使ってみた。これからどう黒白(こくびゃく)をつけようかと動きを制止させられていた矢先だったから、一端、萎(な)えた湯鰤の気分はふたたび高揚した。
 黒白が思わぬ形で着くことは、確かによくある。

                          完

 ※ 床几の足は無事、修理が終わったそうです。よかった、よかった。

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2017年6月23日 (金)

よくある・ユーモア短編集-58- 退化

 木場(きば)工業では日夜、新製品の受注が舞い込み、社内の開発部は活気に包まれていた。というのも、親会社の深川産業が新製品の考案を木場工業へ依頼したところ、見事、木場工業の技術スタッフが新製品開発に成功したのである。この新製品は世界にも類(るい)のない新技術製品として、世界での特許[パテント]料も含め、多額の当期純利益を計上しようとしていた。木場工業は申すに及ばず、親会社の深川産業の株価もウナギ上りの勢いを見ていた。
「ははは…笑いが止まらんよ、君。なにせ、去年の今頃、君の会社は整理にかけられそうだったんだからな…」
 深川産業の苔木(こけぎ)常務は執行役員として木場工業へ送り込んだ立見(たてみ)を
常務室へ呼び、満足そうに言った。
「はあ、お蔭(かげ)さまで…」
 木場工業にいた立見は、電話で苔木に呼び出され、忙(いそが)しい中、態々(わざわざ)、深川産業まで駆けつけたのである。だから、なんだっ! そんな話か…と、立見は顔や言葉には出さないまでも、内心では怒っていた。加えて、深川産業時代に専務派だった立見には、常務派に告られ、どうも体(てい)よく左遷(させん)させられた…という想いが潜在的にあったから、増してだった。常務派は社内の頭脳派とも呼ばれ、最新の電子機器を駆使して会社をリードしようとしていた。片や大岩(おおいわ)専務をリーダーとする専務派は職人的技術者集団として技術派と呼ばれていた。大岩自身も元技術者で、立見はその部下だった。俄然(がぜん)、社内で発言力が強かった常務派だったが、ここ最近、その勢いに陰(かげ)りを見せ始めていた。すべてを電子頭脳に頼っていた常務派の発想が退化し始めたのである。それは社長の眺(ながめ)も感じていた。取締役会でも、これは! という新機軸の提案がなくなっていたからだった。それに比べ専務派は社内での経営方針を含む新たな技術や発想を次々と生み出していた。今回の新製品開発も、その一つだった。
 人類が機械に頼り過ぎ、その発想力を退化させてしまう・・ということは、確かによくある。ここ最近、世界では歴史を一変させるような画期的な発明や発見が見られないのが、その具体例だ。

                           完

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2017年6月22日 (木)

よくある・ユーモア短編集-57- 変わる

 春の陽気に誘われ、最近、この地へ引っ越してきた押花(おしばな)は野原を散歩していた。押花の散歩ルートは、ほぼ決まっていて、いつも同じ道を辿(たど)り、途中の湧き水のせせらぎで美味(うま)い水を味わったあと、自宅へ戻(もど)る・・というものだった。そして、この日も押花は道を歩いていた。ところどころに黄色のタンポポが咲き、小鳥の囀(さえず)りさえ聞こえてくる。加えて春の心地よい微風(そよかぜ)が頬(ほお)を撫(な)で、空には快晴の青空と暖かな太陽である。この申し分ない状況に、押花は満足げな顔でスタスタ…と、長閑(のどか)に歩いていた。そして、凸型の街が見えるいつもの地点に近づいたとき、押花は、おやっ? と一瞬、思った。というのも、いつも街の中央に見える細長い高層ビルが、跡形もなく消え失(う)せ、街は平べったい長方形型へと変化していたからである。昨日も同じルートを歩いた覚えがある押花は、気づいた変化に唖然(あぜん)とした。当然、歩いていた両足はピタッ! と動かなくなっていた。押花は、まさか…? と俄(にわ)かには信じられず、手指で瞼(まぶた)を擦(こす)りながら街並みを凝視(ぎょうし)した。だがやはり、高層ビルは消え失せ、街は平べったい長方形型だった。気になり始めた押花は、一端、自宅へ戻ると、ふたたび街へと確認のため、外出した。
 街へ着くと、その高層ビルはやはり消えて無く、跡地になっていた。
「この前のビル、なくなったんですか?」
「えっ? ああ、そうですよ、昨日(きのう)ね…」
 偶然(ぐうぜん)、店表を掃(は)いていた店主らしき男に押花は、何げなく訊(たず)ねた。
「だって、あのビル、去年建ったばかりでしょ?」
「ああ、そういや、そうでしたかね…。またよく似たビルに建て変わるそうですよ…」
「いつです?」
「まあ、前々回のテンポで考えれば、半年以内には恐らく…」
「半年っ!!」
「ははは…そんなに驚かれるこっちゃないでしょ、マジックじゃないんだから。最近は建つのも壊(こわ)すのも速いっ! どんどん変わります、ええ変わる変わる。これで五度目だっ!」
「五度目…」
 押花は、ふたたび唖然とした。
 世の中では最近、物が速いテンポで変化することが、よくある。

                           完

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2017年6月21日 (水)

よくある・ユーモア短編集-56- 苦楽(くらく)

 電気の流れ、電流は抵抗を受ける。大げさに分かりやすく言えば、ピケを張り、入ろうとする人の流れを阻止しようとバリケード封鎖する古き時代の組合員や学生運動の闘士の抵抗にも似ている。…これは穿(うが)った見方だが、まあ、例(たと)えるならそんなものだ。記号式ではI(電流)=V(電圧)/R(抵抗)となる。世の中も同じで、働く人々は必ず苦しむ抵抗を受けている。それを撥(は)ね退(の)け、僅(わず)かな電圧、いや、お金を得(う)るためにコツコツと慎(つつ)ましやかに働き、豆電球を灯(とも)す…いや、生計を立てている訳だ。そういう人々の奮闘に対し、やはり目に見えない形で抵抗は阻止しようと忍び寄ってくる。内的には老化、病気、外的には事故、被害などである。人々はそれにもめげず死ぬまで奮闘している訳だ。ところが、世の中には奮闘せず、抵抗側に付(つ)こうとする人々も存在する。この人々は楽だ。地位も名誉も、そしてお金も、楽をして得られる。苦しんで奮闘する人々を地位、名誉、金を武器として楽に叩(たた)き落とせばいいだけだからだ。が、しかしである。そういう人々は楽をして奮闘する人々を叩き落としたとき、自(みずか)らが数倍、落ちたことを自覚していない。落とされた人も落ちたのではなく、むしろ向上したことを認識していない。それが妙といえば妙といえる世の不可思議さ・・である。
 三月半ば、人事異動の内示が舌牛(したうし)に提示された。
「君、転勤らしいぞっ!」
 課長の鉄板(てついた)は舌牛を課長席へ呼び、他の課員達に聞こえないよう、小声で耳打ちした。
「ええ~~っ! そんな薄情なっ! やっと、本社に戻(もど)れたのに…」
 課員一同の視線が課長席の二人に注(そそ)がれた。
「まあ、そういうな…。ボツにはなったが、君の反対案も一応、上層部に伝わったんだ」
 鉄板は声を小さくしろっ! と言わんばかりのジェスチャーで、舌牛を窘(たしな)めながら慰(なぐさ)めた。
 春先、舌牛はハワイの支社で働いていた。想定とは真逆で、夢の楽園が現実の生活になったのである。その頃、国内本社の上層部は不正が発覚し、すべて首を挿(す)げ替(か)えられていた。
 世の中では楽が苦を、苦が楽を生み出す・・ということが、よくある。

                           完

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2017年6月20日 (火)

よくある・ユーモア短編集-55- 無意識

 夕方、どういう訳か無性にカッブ麺が食べたくなった凸木(でこぎ)は、テレビの男子サッカーのビデオ録画を観戦しながら麺を啜(すす)っていた。
「おおぉぉっ!」
 しばらくし、思わず雄叫(おたけ)びをあげ、凸木は麺を喉(のど)に詰めそうになった。カップの汁が無意識に少し零(こぼ)れた。延長前半15分、貴重なアシストからのヘディング・シュートが相手ゴールの左上ネットに突き刺さったのである。相手チームは強豪だった。さらに後半15分、左後方からのミドルシュートが2本、炸裂(さくれつ)し、相手ゴールのネットを揺(ゆ)さぶった。カップの汁が、無意識にまた零れた。試合は3-0で勝ちとなった。これでオリンピックのアジア予選は出場に王手がかかったことになる。次の準決勝を勝ち進めば、オリンピック代表として晴れて出場できる訳だ。
「成せば成るか…」
 凸木は零れたカップ麺の汁を無造作に拭(ふ)きながら、独(ひと)りごちた。
 凸木は職場で来年度予算に取り組んでいた、今年は上司からの業務命令で当初予算額の削減を余儀なくされていた。膨らむ一方の予算額削減を・・である。民間の企業会計とは異なり、大方の公会計では、当期純利益の計上は目的とされない。余った予算額は上手(うま)い具合に流用、充当ですり替えられ、いつの間にかマジックのハンドパワーのように予算執行率がほぼ100%近くへ高められるのである。その結果、数値的に書類を見れば、『必要だな…』という結論に至る訳だ。そして、来年度予算にも反映されるという馬鹿げた仕組みが毎年繰り返されている。
 理詰めに考えれば、まあそんなことだが、凸木が思ったのは、別にもう一つ、意味があった。実は、医者から検査で塩分の取り過ぎを指摘され、再検査を指示されていたのである。半月が経過し、摂取(せっしゅ)量が一日7~10g以内とは…と、凸木はその難(むずか)しさを思い知らされた。カップ麺1個を食べれば麺とスープで6gを超える。もう何も食べられないではないかっ! ぅぅぅ…という思いが、潜在意識でカップ麺の汁を零したとも考えられた。
 潜在意識で思っていることが、無意識のうちに現実の行動に出ることは、よくある。

                          完

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2017年6月19日 (月)

よくある・ユーモア短編集-54- 人を探す



 毎日、会社までの20分ばかりを徒歩で通勤する祭川(さいかわ)は、最近、車以外、人を見ないな…と歩きながら思った。それはなにも今日に始まったことではなく、数十年前から続いている現象なのだが、今朝、歩いていて、初めてそう思ったのである。こいつは馬鹿か? と思われる方も多いだろうが、それはなにも祭川に始まったことではない。地球上で暮らす高度文明を築き上げた大部分の人々が、恐らくは何の疑いもなく日々、そうした車社会で生きているのだ。
 雪が降った翌日、久しぶりの快晴で外気も心なしか澄み渡っているように感じられた。祭川はこの日の朝も職場へ向かって歩いていた。
『おやっ? 今朝は余り人を見かけないなあ…』
 そう思えた祭川は、辺(あた)りを見回しながら歩(ほ)を進めた。だが、歩道の雪を掻く数人以外、やはり人の姿は見い出せなかった。気になり始めると、そのことが得心できないと気が済まないのが祭川の性分(しょうぶん)だった。気になり始めた祭川は真剣に探しだした。だが生憎(あいにく)、人らしい人影は見当たらない。実は多くの人に祭川は出会っていたのである。ただ、それらの人々は車を運転中で、ガラス越しでしか見えなかったのだ。祭川は職場へ着くと、自分のデスクに座り、はて? と考え始めた。車には人がいる。人はいるが動いていない。動いているのは自動車という物体だ…と。これが果たして人に出会ったと言えるのかと祭川は思った訳だ。人を探し、直接、話し合えたとき・・その瞬間が真に人に会えたと言えるのではないか…と。
 その日以降、祭川は人を探すことに拘(こだわ)った。
「はい! いえ、こちらから直接、出向き、詳細はお出会いしてお話しいたしますので。はい! では、そういうことで…」
 祭川は営業1課を飛び出していった。
「祭川さん、最近、妙に出ますねぇ~?」
「そうなんだよ。そのフェチ原因が今一、俺にも分からん…」
 課内では仕事での外出が多くなった祭川に疑問の声が上がっていた。人の姿を探す祭川にとって、そんなことはお構いなしだった。
 人を探す祭川にとって、電話対応は人に会ったことにはならなかったのだ。
 人が屯(たむろ)する都会や繁華街は別として、車社会となった現在、郊外や田舎で人を探すのが大変なことは最近、よくある。

                          完

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2017年6月18日 (日)

よくある・ユーモア短編集-53- チャンス

 若い市職員の永田は、疲れていた。働けど、働けどだな…と、啄木の詩を脳裏(のうり)で口ずさみながら、じぃ~~っと、格好をつけ、凍(こご)えた手を見た。やはり、ささくれだった詩に出てくるようなそんな手ではなかった。ただのありふれた、どこにでもありそうな手だった。今朝の雪がいけないんだっ! と、雪を悪者(わるもの)にした。子供の頃、雪が降るとあれだけ喜んでいた自分が信じられなかった。
「なぜ雪なんか降るんでしょうねっ!」
 雪を掻(か)きながら、永田は誰に言うでなく口を開いていた。
「ははは…馬鹿か、お前は! 降らなきゃスキー場が困るだろうがっ!」
「…そうか。それも、そうですね…」
 隣りで同じ作業をしていた先輩職員の会国(えくに)は、すでに持ち場の雪を掻き終え、ひと息ついていた。永田もラッシュをかけ、残った持ち場の雪を掻き終えた。掻き終えたとき、永田は、また思った。『そうだ…雪は働くチャンスを与えてくれたんだ…』と。
「さあ、昼にするかっ! 今日の昼飯(ひるめし)は美味(うま)いぞっ!」
「そうですねっ!」
 会国が偉そうな声で上から目線で言った。この人は食い気(け)だけの人だな…と永田は思いながらも、そのことは口には出さず、会国に同調した。
 食堂へ入ったとき、永田はまた思った。『そうだ、会国さんは、世の中の仕組みを考えるチャンスをくれたんだ…』と。
 物事で、ふと考えさせられるチャンスに巡り会うことは、確かに、よくある。

                            完

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2017年6月17日 (土)

よくある・ユーモア短編集-52- 生きている

 今日も汗を流し、角牛(つのうし)は働いていた。ペンキに塗(まみ)れ、家へ帰ると、身体から染(し)みついたペンキの臭(にお)いがした。嫌いな臭いではなかったが、浴室でのシャワーが癖(くせ)になっていた。ほっこりした気分でやっと畳(たたみ)の上へ身体を委(ゆだ)ねると、やっと生きている気がした。
 いつものように夕食を食べ、僅(わず)かに寛(くつろ)いだあと、また明日を思った。寝ようと思い、ふと見上げたとき、天井の隅(すみ)に張られた蜘蛛の糸のような煤(すす)が目についた。角牛は何を思うでなく無造作に箒(ほうき)を取りに行くと、その煤を箒で取り除いた。そして、さあ寝るぞ! と意気込んで床(とこ)へ潜(もぐ)り込んだとき、また煤が反対側の天井の隅に見えた。角牛は、少しイラッ! としたが、ここは落ちつこうと…と思いなおし、また箒を取りに行くと煤を取り除いた。そうこうしていると、少し体が冷えてきた。角牛は、またシャワーをしに浴室へと歩いた。
 浴室を出て、ふと腕を見ると、もう11時近くになっていた。明日も早いのだ。こんなことはしていられない。早く寝よう! と、角牛は思った。ところが、床に入っても、どういう訳かこの日に限って、なかなか寝つけなかった。角牛は焦(あせ)りだした。焦れば焦るほど眠れない。角牛は数字を1から順に読み上げ、眠ろうと努めた。だが真逆に、益々(ますます)、目は冴(さ)えていった。角牛は、もういいっ! と捨て鉢(ばち)になった。目覚ましはセットしてある。そのうち眠れるだろうと…と半(なか)ば、諦(あきら)めた。そのときふと、角牛の脳裏(のうり)にある思いが巡った。自分は何のために汗を流しているのだろう…と。そして、しばらく時が流れた。角牛には分かった。自分を高めるためにいきているのだ・・ということを。何かを得れば生きたことは無駄(むだ)にならないのだ・・と。安楽、地位、名誉・・そういう欲を満たすことが生きることではない・・のだと。そう思えたとき、角牛は深い眠りに誘われていた。…が、しばらくして、ベッドから落ち、また目が覚めた。深夜の2時を回っていた。角牛は、また焦りだした。

                            完

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2017年6月16日 (金)

よくある・ユーモア短編集-51- 笑顔

 世の中で生きていく瞬間は、すべてが真剣勝負だが、そこに臨む本人の姿勢で大きな差異を見せることが、よくある。
 太馬(ふとうま)は、よしっ! と気合いを一つ入れると家を出た。今日はリストラ後、職探しをして受けた会社の面接があるのだ。これまで数社、受けたが、すべてボツで採用されなかった。帰宅して腕組みで考えても、思いつくような原因が太馬には掴(つか)めなかった。ただ、今朝、起きたとき、洗面所で閃(ひらめ)いたことが一つ、あるにはあった。そのこととは、笑顔である。それまでの太馬は仏頂面(ぶっちょうづら)で面接に臨んでいた。だから当然、受け答えする声も陰鬱(いんうつ)で、試験官には悪い印象を与えていたに違いなかったのだ。太馬は今日は一日中、何があっても笑顔で愛想よく振舞おう! と決断したのである。よしっ! と太馬が気合いを入れて家を出たのには、そういう理由があった。
 駅構内へ入ると、偶然、見知らぬ老いた駅員と対向して出会った。
「おはようございます!」
 太馬は微笑(ほほえ)みながら、元気な声でその駅員に言った。
「あっ! おはようございますっ!」
 駅員も笑顔で返事を返してきた。計算でそうした太馬だったが、なぜか気分よくなってきた。それに、何も楽しくないのに、どこかハミングが出るほど楽しい気分がしてきていた。面接は10時からだったから、時間にはかなり余裕があった。事前に面接場所の地図は、ある程度調べておいたが、実際には一度も行ったことがなかったから太馬は迷った。そのとき、目の前に古くからあるような小さな八百屋が現れた。太馬は中へ飛び込んだ。店奥には店主と目(もく)される中年男が、新聞を広げて座っていた。
「あ、あの◎△商事へは、どう行けばいいんでしょう?」
 太馬は笑顔を絶やさず、下手からその店主らしき男に柔和に訊(たず)ねた。その笑顔に気をよくしたのか、店主は新聞を畳むと、立って近づいてきた。
「あんた、この辺のひとじゃないね。◎△商事なら、この前の道を真っすぐ行って、二つ目の信号を右に折れた所さ。…書いてやるよ」
 太馬が頼みもしないのに、店主らしき男はボールペンで新聞のチラシ広告の裏に略図を描いて渡してくれた。
「ど、どうもありがとうございます! 助かります!」
 太馬は笑顔で愛想よく礼を言った。
「ははは…。あんた、いいねっ! あっしも気分がいいや。いやなにね、こちとら江戸っ子でぇ~」
 その日の試験が終わり家に帰宅するまで、太馬は笑顔を絶やさなかった。そして、一週間後、太馬の家へ採用通知が舞い込んだ。笑顔が合格という福を呼び込んだのである。
 笑顔で気分をよくすることは、確かに世間で、よくある。

                         完

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2017年6月15日 (木)

よくある・ユーモア短編集-50- 意固地(いこじ)

 どうも上手くいかないぞ…と、田井岡は意固地(いこじ)になっていた。というのも、冷蔵庫へ収納しようとしたサランラップが半(なか)ばで破れ、ついに出せなくなったのである。最初は、ははは…この程度なら前のように…と田井岡は高(たか)を括(くく)っていた。ところが、ドッコイである。そうは問屋が卸(おろ)さず、スンナリと商品が小売りで売られないから手に入らなくなり・・ということではなく、田井岡は手間どる破目に陥(おちい)った。田井岡はまず、表面の切れ口を探(さぐ)った。しかし、透明なサランラップの表面では容易に切れ口を探せるものではなかった。田井岡は少し焦り始めた。箱の注意書きには、そんな場合はセロハンテープを片隅に貼り…と書かれていた。よしっ! そうしてやろうじゃないか…と、少し挑戦的になってきた田井岡は、セロハンテープを注意書きのようにしてサランラップを引き出そうとした。ところが、また問屋が渋って卸さなくなった・・ということではなく、上手くいかない。この段階から田井岡は次第に意固地になっていった。
「ぅぅぅ…」
 上等(じょうとう)じゃねえかっ! と思えば手も少し震え、注意書きには爪(つめ)や刃物で切らないで下さい・・と書かれているにもかかわらず、田井岡はそうやっていた。だが、やはり首尾(しゅび)よくいかない。いかなくても、いかすぞっ! 田井中は半(なか)ば切れ、完全に意固地に成り果てていた。しばらくセランラップとの闘格闘が続いたが、やはり上手くいかなかった。ここは、ひとまず落ち着こう…と思った田井岡は一端、手を止め、美味いコーヒーとまではいかないインスタントのを啜(すす)ることにした。至福とまではいかない一杯を啜ると、それでも心が落ち着き、田井岡から意固地は退散していた。そして作業? を再開してしばらくすると、どういう訳か上手く出せた。縦に両側の端までセロテープを長く貼ったのが功を奏(そう)したのである。ただ、数mはムダになっていたのだが…。
 意固地になり過ぎると、上手くいくことも上手くいかなくなることは、よくある

                        完

 ※ 田井岡さんに聞いた話では、現在まで1勝1敗だそうです。^^

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2017年6月14日 (水)

よくある・ユーモア短編集-49- 靡(なび)く

 世の中で生きる人々には勢いが個々にあって、それらが他の人の勢いと鬩(せめ)ぎ合って渦巻(うずま)いている。だが、その勢いは誰の目にも見ることができない。いわば、その人を取り囲んで守り、あるいは攻めようとするオーラというようなものに他ならない。その勢いが強く、大きければ大きいほど他の勢い、すなわち、他の人々を靡(なび)かせることができるのである。逆に考えれば、その強い勢いに自然と人々は靡くことになる。選挙の当選、出世による地位、名声、金、権力など・・それらのものにとどまらない。国内政治の潮流、さらにはグローバルな地球規模の国家間情勢にも波及する。
「ほんとに、いい加減にしてほしいわっ! どうしようかしら…」
 猪口(いのぐち)家の主婦、美智江は、キッチンで洗い物をしながら主人の明男に愚痴った。
「なんのことだ?」
 意味が分からない明男は、キッチンテープルで見ていた新聞の手を止め、洗い場に立つ美智江をチラ見した。
「鹿尾さんの奥さんよ。次のPTA会長選挙に出るそうだけど、勧誘がすごいのよっ! レストランに招待されちゃった」
「行きゃいいじゃないか…」
 無関心を装(よそお)い、明男は小声で言った。靡けばいいだろうが・・と明男は思った訳だ。
「でも、あんまり好かないのよ私、あの奥さん」
「なら、行かなきゃいいさ…」
 明男はまた無関心に返した。
「私が入れたいのは松月(まつづき)さんなんだけどね…」
「なら、松月さんでいいじゃないか…」
 明男は愚痴を聞くのが嫌になったのか、無関心から投げやりな口調になった。
「でもさ、松月さん、誘ってくれないのよねぇ~」
 要するに美智江はレストランの食事で釣って靡かそうとする勢いと戦っていたのである。
「レストランへ行って入れなきゃいいだろ?」
 明男は妙案を出した。靡くふりをせよ・・ということだ。無記名投票なら、お前がどっちに入れたか誰にも分からんだろうが・・と暗に言ったのだ。
「あっ! そうよね、そうするわ…」
 美智江はレストランの豪華な食事を連想したのか、舌舐(したな)めずりした。まあこれは一つの例だが、世の中は大よそこんな感じで流れていて、勢いに押され、知らず知らず物事や人に靡くことは、確かによくある。

                        完

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2017年6月13日 (火)

よくある・ユーモア短編集-48- 想定外

 久しぶりの晴れ間に、宝木は自転車で買い物に出ようと家を出た。早朝の初雪に厚着をして風邪(かぜ)を寄せつけないよう万全の態勢で臨(のぞ)んでいた。少しオーパーにも思えたが、まあ、これだけ着込めば大丈夫だろう…という目論見(もくろみ)があった。
 スーパーへ入ると、思いのほか混んでいて、多くの人が蠢(うごめ)いていた。
[ただ今、食品レジが混雑し、お客様には大変ご迷惑をおかけしております…]
 どこからか、スーパーの館内放送が聞こえてきた。
『ははは…これが本当の.com[どっと混む]か…』
 まあ、こんな混む日もあるだろう…という気分的ゆとりもあり、思わずダジャレが浮かんだ宝木は、思わずニンマリした。そのとき偶然、対向から歩いてきた買い物客と目と目が合ってしまった。その買い物客は、知り合い? と勘違いしたのか、二ッコリと笑顔を返し、軽くお辞儀をした。宝木にすれば、見たこともない赤の他人である。想定外のことだったが、ペコリとお辞儀された以上、無視する訳にもいかない。仕方なく、宝木もペコリとお辞儀して返した。これが、いけなかった。
「どちらさんでしたか?」
「えっ? …。あっ! 失礼しました。人違いです…」
 咄嗟(とっさ)の判断で、危うく宝木は想定外の難(なん)を脱した。
 決めていた物品の買い物をひと通り終えると、宝木はレジへ行こうとした。想定した以上に長蛇の列ができていた。宝木の想定では、数人といったところだったのだが、十数人以上の人が並んでいる。宝木は出来るだけ少なそうな列を選択し、一端、左へと流れた。だが、どの列も結構な人が並んでいた。仕方なく宝木は、右へと取って返して流れた。しかし、やはりどの列も結構な人が並んでいた。これでは埒(らち)が明かん! …と、いささか宝木は焦(あせ)り始めた。ともかく並ぼう…と決意し、適当な列へと並んだ。想定しておいた買い物時間は20分程度だったが、餡に相違して小1時間はかかっているではないか。これでは帰って、昼までに、きつねうどんを湯がけない…と腹も立ってきた。結局、買い物を終えて帰宅したのは昼になる5分ばかり前だった。宝木が予想していなかった想定外の買い物は、結局、きつねうどんをカップ麺に化けさせたのである。
 想定外のハプニングで予定が狂うことは、世間でよくある。 

                           完

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2017年6月12日 (月)

よくある・ユーモア短編集-47- 格差

 うらぶれた佇(たたず)まいの家? と見紛(みまご)うダンボールと板戸で囲われた住処(すみか)の中で、途草(とくさ)は新年を迎えていた。都会からは少し離れた人家の少ない田舎町の外れだけに、誰も苦情を言う者はなく、途草はのんびりと日々を過ごしていた。
「ああ…年も明けたか」
 寝転びながら途草は、ふと、溜息(ためいき)をついた。昨日(きのう)店の裏の芥箱(ごみばこ)から頂戴した分厚い肉の切れ端(はし)や食べ残された残飯は、冬の寒い今、まだ十分に食料として食べることができた。それに加え、調理の手間も省(はぶ)けたから、もっぱら年末年始は、この手を使うのがここ数年、途草の常套(じょうとう)手段になっていた。しばらく、寝転んでいた途草は芥捨て場から拾ってきた針金に吊(つ)るされた古い柱時計を見た。古時計はコチコチ…と侘(わび)びしく時を刻(きざ)んでいた。
「こんな時間か…」
 途草は独(ひと)りごちながら、これも拾って敷いた薄汚れたカーペットを立ち上がった。カーペットの下は土だったが、上手(うま)くしたもので、土の上の枯れ草が絶好のクッションとなっていた。立ち上がった途草は、いつものズタ袋を肩にして外を歩き始めた。目的は空き缶拾いで、町をひと回りすれば、それなりの周回ルートは勝手に決めていた。高いときでKg¥120だったものが、今では¥80程度だったから、そう大した必需品は買えなくなっていた。それでも、欲のない途草には必要なものはほとんどなく、一回につき数百円の収入で充分だった。
 途草が歩いていると、成金社長の美葉(みば)が途草に向かって歩いてきた。二人の出で立ちは対照的で、襤褸(ボロ)同然の服・・に身を纏(まと)った途草に比べ、豪華な衣装に高価な靴・・と身を窶(やつ)した美葉である。擦(す)れ違う二人の間に一瞬、目に見えない稲妻(いなづま)が走った。自然が引き起こしたプラスとマイナスの偶然の出会いだった。格差…二人は、擦(す)れ違った直後、同じことを思った。
 最近、世の中では、ふと、そう思えることがよくある。

                             完

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2017年6月11日 (日)

よくある・ユーモア短編集-46- 負ける人

 世の中には勝とうとしない人が勝つことがよくある。
「なんだ…当たっていたのか」
 鹿島は、そう呟(つぶや)きながら、競馬の当たり馬券をシゲシゲと眺(なが)めた。年末に会社の友人、猪田(いのだ)に誘われ、嫌々(いやいや)買ったただ1枚の重賞レースが、ピタリ! と当たっていたのだ。当たった鹿島には喜びも何もない。ただ当たったか…くらいの軽い気持だった。右隣りのデスクに座る猪田の方が浮かれていて、さも自分が当たったような、はしゃぎようである。
「いやぁ~! 凄(すご)いな、お前。初めて買ったんだろ?」
「んっ? いや、まあな…」
 鹿島は、照れて暈(ぼか)した。そこへ左隣りの蝶崎が顔を出した。
「次も頼むよ。乗るからさぁ~」
 蝶崎にそう言われ、負けたつもりで買った馬券が的中した当の鹿島はテンションを下げた。この一回きり! という気分で僅(わず)かな小遣(こづか)いを使ったからだ。もう、こりごりだった。鹿島は、ほうほうの態(てい)で二人に断ると、トイレへと遁走(とんそう)した。トイレに慌(あわ)てて入ろうとしたものだから、出ようとした課長の札花(ふだはな)と出会い頭(がしら)にぶつかった。
「なんだ君はっ!」
「すみませんっ!」
 まあ、こういう場合、上司、ぶつかったのが自分・・という状況で誰もが謝るのが普通である。ところが鹿島の場合は謝る+負けるの気持だったから、入口廊下のフロアにひれ伏し、脇目(わきめ)も振(ふ)らず土下座したのである。
「き、君。そこまで、しなくても…」
 廊下を歩く社員達は、何があったのか? と訝(いぶか)しげに通り過ぎていく。
「そ、それじゃ私が、まるで君を苛(いじ)めているみたいじやないかっ! やめたまえっ!」
 札花は顔では笑いながら、声で怒った。世の中では、何がどうなるか分からない。部長昇任の噂(うわさ)が立っていた札花は、会社評判の悪化を恐れ、鹿島を食事に誘った。それも課内の職務中に大っぴらだった。当然、課内から風評は社内全体へと広がっていった。その後も札花は鹿島を何かと課内で重用(ちょうよう)し、噂どおり部長に昇任した。時を同じくして、どういう訳か鹿島も係長に抜擢(ばってき)された。負けるが勝ち・・とはよく言われるが、そういうことは、確かによくある。

                           完

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2017年6月10日 (土)

よくある・ユーモア短編集-45- 思いこみ

 遅い朝食を食べ始めた蕪家(かぶらや)は、塩が余り効(き)いていない味のない漬物(つけもの)を齧(かじ)りながら、妻の干江(ほしえ)をチラ見した。
「おいっ! こいつは、いくらなんでも薄過ぎるんじゃないかっ!?」
 そうは言いながらも、蕪家は早くも二膳目の茶碗を手にしていた。干江は朝がいつも遅い蕪家を、見て見ぬ振りのお構いなしで洗濯機を回していた。むろん、新婚当初からそんな無愛想だった訳ではない。あれから40年、つきっきりの笑顔で、ニコッとおかわりを差し出してくれた可愛い娘(こ)はどこへ行ったんだ…と思う蕪家だった。その蕪家も、子供たちが自立し、すでに老人会役員に声をかけられる年齢になっていた。
「だって、お医者さまに減塩しろっ! って言われたんでしょ?」
「そんなことを言う医者はいないさ。塩分の取り過ぎですから注意なさってください・・って、やんわり言われたんだよ」
「それで、また検査?」
「ははは…それは、前の前の病院の医者だよ」
「ややこしいのね」
「俺は気に入った医者しか診てもらわん主義だからな! 今は5つ目だ」
「回った病院の数を自慢してどうするのよ。まあ、思いこみの激しいあなただから分からなくはないけど…」
 干江は止まった洗濯機を脱水し始めた。
「仕方ないだろ。そう思える医者なら…」
「それはそうだけど、先生に悪気がある訳じゃないんだから…」
「当たり前だ。悪気がありゃ、医者じゃねえよっ? 俺が言いたいのは人当たりのことだよっ!」
「ああ、接遇ね。それはそうかも…。人当たりで人は、いろいろと思いこむから」
「そうそう。いつやらも反省しろって言われたな。お前が反省しろって思ったよ。そこは、もう行ってないがな。医者に心・技・体は大事だな」
「それは、お相撲でしょ」
「ああ、そうか…」
 食べ終えた蕪家は新聞の相撲欄を偶然、見て言ったのだった。
「あの子の給料、余り上がらないわね…」
 何を思ったのか、急に干江は息子のサラリーを口にし始めた。
「それは、お前の思いこみだろ。今の時代、どこともそうさ。おっ! 株価が暴落したな…」
 干江はそれには返さず、洗濯物を干し始めた。蕪家は新聞を置き、食べ終えた食器を炊事場で洗い始めた。
 思いこみで、世の中が動くことは、確かによくある。

                          完

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2017年6月 9日 (金)

よくある・ユーモア短編集-44- お人よし

 世間では、やらなくてもいいのに両者の言い争いの仲介(ちゅうかい)を勝手に買って出るお人よしがいる。俺がっ! と自分を格好よく見せようとする人によく見られるパターンだ。この場合、双方から反撃を食らい、気づいたときには自分が、とばっちりを受けているというケースがよくある。言い争いを始めた当の本人達は、すでに自分達がなぜ言い争っていたか・・を忘れて普段どおりとなり、逆に2対1で仲介したお人よしを攻めているのだ。
 蚊取物産へ入社して五年の係長補佐、苦虫(にがむし)は、早朝出勤してデスクに座ると、机上のパソコンを開いた。同期入社のOL、雛菊(ひなぎく)は、このときすでに出勤しており、苦虫の姿を見ると、淹(い)れた緑茶の湯呑(ゆのみ)をトレーに乗せ、近づいていった。
「苦虫君、おはよう…」
 雛菊は湯呑を置きながら、そう言った。
「ああ、おはよう…」
 朴訥(ぼくとつ)にそう返した苦虫だったが、心中は満更(まんざら)でもなかった。苦虫は仄(ほの)かな想いを雛菊に抱いていたからである。片や雛菊は、それほどでもなかったから、他の課員と同じように苦虫に接していた。
 しばらくすると、課長や課長補佐、課長代理、係長といった管理職も他の課員達に混ざって次々と出勤し、商品開発課のメンツは麻雀の役満のように揃(そろ)った。
 入社して以降、課長補佐と課長代理の上下関係が今一、分からない苦虫だったが、この朝も二人の顔を見ながら、どうなんだろうな…と心中で、つまらなく思っていた。同列に位置していると見られる二つのポストの上下関係を口にする社員は誰もなく、未(いまだ)だに蚊取物産の子供じみた謎(なぞ)の一つとなっていた。
 仕事が始まり、小一時間が経過したときである。急に課長補佐の蚤坂(のみさか)と課長代理の虱尾(しらみお)が言い争いを始めた。
「何、言ってるっ! 煙(けむり)優先だろうがっ!」
「馬鹿、言えっ! 臭(にお)いに決まってるっ!」
 苦虫にすれば、どちらでもよかったが、ここは想いを寄せる雛菊に格好いいところを見せられるチャンスだっ! …と、閃(ひらめ)かなくてもいいのに閃いてしまったのだから仕方がない。ツカツカツカ・・と二人に近づくと、「まあまあ、お二人とも…」と仲介役を買って出た。
「何だっ、君はっ!」
「そうだっ、部外者が出しゃばるんじゃないっ!」
 逆に蚤坂と虱尾に叱責(しっせき)され、お人よしの苦虫はスゴスゴと自分のデスクへ撤収(てっしゅう)した。遠くに雛菊の姿が見えたが、あとの祭りだった。
 世間でこうなるケースは、いろんな分野で結構、よくある。

                         完

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2017年6月 8日 (木)

よくある・ユーモア短編集-43- 早とちり

 会社社長の道橋は庭戸のサッシを開け、朝風を肌に感じながら空を眺(なが)めた。そしてどういう訳か、思わず溜息(ためいき)を吐(は)いた。空は曇(どん)よりと全天が薄墨(うすずみ)色に曇(くも)っていた。今日は楽しみにしていた地区大会のサッカー・決勝が抜歯(ぬけば)競技場で行われる。道橋はその試合を観戦するつもりでいたのだ。抜歯競技場は生憎(あいにく)、観戦席が防雨構造にはなっていなかった。道橋には早とちり癖(ぐせ)があり、この空では降るな…と早とちりしたのである。
 決勝に進出したのは道橋がかつて所属していたチームで、決勝まで勝ち進めるなどとは、神仏でも予想できなかったであろう快挙(かいきょ)だった。チームが勝ち進むに従い、当然、OBの道橋としては応援しない訳にはいかない。これまでにも道橋は差し入れ、付け届けなど、相応の応援をしていた。チームメンバーには今日の試合前の昼食の特製焼き肉弁当を出前で店へ発注していた。
 昼前、お抱え運転手に車を横付けさせ、道橋は抜歯競技場へと乗り込んだ。席は事前に特等席を確保してあり、試合前に監督や選手達と握手、歓談し、激励したが、監督も選手達も道橋の格好に多少、戸惑った。というのも、道橋は運転手に傘を持たせ、自身はすでに雨合羽(あまがっぱ)に身を包んでいたのである。雨は降っていなかった。いや、降っていなかったというより少しずつ青空も見せ始めていたのである。道橋は、また空を眺めた。いや、いやいやいや、降るに違いない、降らない訳がない…と道橋は自分の早とちりを正当化しようと無理に心で叫んだ。そうしないと、雨合羽に身を包んだ自分が、少しピエロに思えた。道橋にとり、一端(いったん)決断した行動を打ち消すことは、社長の地位が許さなかったのである。
 結局、空は次第に晴れだし、試合開始の午後2時には雲一つない快晴になっていた。試合が開始されたとき、道橋の姿は抜歯競技場にはなかった。
 世の中には、早とちりして目的を果たせなくなることが、よくある。

                          完

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2017年6月 7日 (水)

よくある・ユーモア短編集-42- 見解の相違

 国営テレビに映し出された国会中継を観ながら、本岡は神仏前に供えたあとの、お汁粉を美味(うま)そうに食べていた。本来は小豆(あずき)粥(がゆ)を供えるらしいが、本岡家では古くからお汁粉で供える家風となっていた。
 本岡が、さてと! と食べ始め味わっていると、画面は論議が伯仲し始めていた。『国会は甘過ぎるが、今年は、まあまあの甘さだな…』などと偉そうに本岡は思いながら、フゥ~フゥ~…ズズゥ~…ムチャムチャと味わっていると、この上なく侘(わ)びしい満足感に包まれた。まあ、中東の難民の人々とか震災被害の人々に比べりゃな…とも思えたが、満足感と幸福感とは違う…とも思えた。画面は野党議員が政府の閣僚を前に熱弁をふるっていた。論議は[国民の日常生活に対する実感]だった。野党議員は数値を読み上げ、国民の生活に対する不満足感をアピールし、その答弁に立った閣僚は独自データの数値を披歴(ひれき)して、野党が政権時代の数値よりは改善していると反論した。要は、見解の相違である。
「見解の相違だな…」
 本岡はお汁粉を平らげたあと、淹(い)れた茶を啜(すすり)りながら、小声ではっきりと言った。そのとき、別間から妻の恭子が現れた。
「今日のお汁粉、ちょっと薄かったわ…」
 恭子にそう言われ、やかましい、やかましいわっ! なら、お前が作れっ!! と本岡は偉そうに思ったが、大魔神の逆襲を恐れ、思うに留(とど)めた。大魔神が埴輪(はにわ)姿のときは柔和だが、ひとたび荒ぶれば、天は怒り、地は裂(さ)けるのである。この事実は息子が叱(しか)られている姿で十分すぎるほど知らされている本岡だった。
「そうだったか…。俺はちょうどいいと思ったがな。見解の相違か、ははは…」
 恭子は何が可笑(おか)しいのか分からない・・とでもいうような表情で訝(いぶか)しげに本岡を見た。まだ、国会中継は続いている。いつのまにか質問者が変わり、違う野党議員が質問席に立っていた。
「この人も少し見解の相違があるな…」
「えっ?」
「いや、なんでもない…」
 本岡は、濁(にご)して茶を啜ろうとしたが、湯呑の茶は空(から)だった。
 人と人は大筋で一致して生活しているが、同じ人間でない以上、多かれ少なかれ、見解の相違はある。見解の相違の主張が強面(こわもて)に叫ばれるように
なると、大筋で合意していた組織は細分化する。最近、わが国では、こうしたことが多方面でよくある。 

                            完

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2017年6月 6日 (火)

よくある・ユーモア短編集-41- やってしまっていた

 人の行動とは妙なもので、自分では意識していなくても、知らず知らず、やってしまっていた・・ということがよくある。
 今年で白寿を迎えた棚上(たなかみ)は、アングリした顔で何をするでもなく居間で茶を啜(すす)っていた。
『ああ、また春か…』
 寒い冬が過ぎ、暖かい春がもうすぐそこまで・・と考えれば、普通の場合、心がウキウキと高揚(こうよう)するものだが、棚上の場合は真逆で心が萎(な)えるのだった。というのも、炬燵(こたつ)布団とか冬用品といった冬の片づけがあるからだ。秋も深まって冬用に準備していたものが、そう使われることなくまた仕舞わねばならない…と考えれば、年老いたこともあり、心も自然と萎えてくる。まあ、今日はいいか…と引き、棚上は炬燵布団の温(あたた)かさの押しの中で、いつのまにか猫のようにウトウト・・と心地よく土俵を割っていた。決まり技(わざ)は[寄り切り]というよりは[押し出し]である。
 どれほどの時間が経過したのだろう。棚上は身体の冷えで目覚めた。そしてそのとき、おやっ? と異変に気づいた。炬燵布団もなく、掛布やコンセントに繋(つな)がれたはずの電気コードも消えていたのだ。道理で寒いはずだ…と得心はできたが、消えた炬燵布団やコードの謎(なぞ)が理解できない。SFじゃないんだから…と理詰めで考えれば、思えることはただ一つ、夢遊病のように無意識のうちでやってしまっていた・・としか考えられなかった。棚上は寝転んでいた畳(たたみ)から立ち上がると、いつも収納する炬燵布団があるクローゼットへと近づき、開閉チャックを開けた。中には先ほどまで被っていたはずの炬燵布団や掛布が、きちんと畳まれて収納されていた。棚上は、またアングリした顔で、やってしまったのか…と思った。やってしまうこと自体は、もうしなくていいのだからそれはそれで助かるのだ。だが、意識がないうちに・・というのが妙に引っかかった。棚上の場合は老人性のものだろうが、人には、やろうとして、やってしまっていた・・ということがよくある。

                           完

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2017年6月 5日 (月)

よくある・ユーモア短編集-40- 風の噂(うわさ)

 誰からともなく流れ、しかも確実ではない話がある。それとなく世の中に流れ、耳に入った話・・それを人は風の噂(うわさ)と言う。
「そういや、昨日(きのう)だったか一昨日(おととい)だったか、妙な話を聞いたぞ」
 餅川(もちかわ)は仕事帰りに立ち寄ったおでん屋の屋台椅子に腰かけ、冷や酒をチビリチビリとやりながら、左横に座る杵田(きねだ)にそう言った。
「妙な話? どこで?」
 杵田はおでんのダイコンをフゥフゥ~しながら頬張(ほおば)り、訝(いぶか)しげに餅川の顔をチラ見した。
「ここだよ、ここ!」
「誰に?」
「臼岡(うすおか)」
「どんな話だ?」
 矢継ぎばやな間合いで訊(き)き返され、少しムッとしたのか、餅川はおでんのハンペンに齧(かじ)りついて、嫌な間合いをずらした。
「… 課長が変わるらしい」
「どこの?」
「馬鹿野郎! 俺達の課に決まってるだろっ!」
 餅川はまた矢継ぎばやになりそうな間合いを避(さ)け、杵田へ粗野
(そや)に返した。
「鏡さんが…」
 課長に可愛がられていた杵田は急にテンションを下げ、小声になった。
「いやなに…飽(あ)くまでも風の噂らしいがな」
「なんだ、風の噂か。ははは…驚かすなよ!」
「ああ…」
 つまらんことを言ったな…と思った餅川は軽く頷(うなず)くと、それ以上その話はしなかった。
「そういや俺も、そんな妙な話を聞いたぞ」
 今度は杵田が話し出した。
「そんな妙な話? どこで?」
「ここだよ、ここ!」
「誰に?」
「臼岡(うすおか)」
「それも臼岡か。どんな話だ?」
 矢継ぎばやな間合いで逆に訊(き)き返され、少しムッとしたのか、杵田はおでんのコンニャクに齧(かじ)りついて、嫌な間合いをずらした。
「… 副部長が変わるらしい」
「どこの?」
「馬鹿野郎! 俺達の課に決まってるだろっ!」
 杵田はまた矢継ぎばやになりそうな間合いを避け、餅川へ粗野に返した。
「注連神(しめがみ)さんが…」
 副部長に可愛がられていた餅川は急にテンションを下げ、小声になった。
「いやなに…飽(あ)くまでも風の噂らしいがな」
「なんだ、風の噂か。ははは…驚かすなよ!」
「ああ…」
 つまらんことを言ったな…と思った杵田は軽く頷(うなず)くと、それ以上その話はしなかった。
 ひと月が流れたが、結局、異動はなかった。あらぬ風の噂で多くの人がモチモチと翻弄(ほんろう)されることは、確かによくある。

                         完

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2017年6月 4日 (日)

よくある・ユーモア短編集-39- チャレンジ

 晴耕雨読(せいこううどく)とは、よく言われる。その四字熟語の意味は、━ 田園で世間の煩(わずら)わしさを離れ、心穏やかに暮らすこと━ となる。晴れた日には外へ出て田畑を耕(たがや)し、雨の日は雨滴(うてき)の音を聞きながら静かに書物などを読んだり学んだりし、あるいは家内の諸雑事をのんびりとする・・ところから派生した意味らしい。誇張(こちょう)して意味を捉(とら)えれば、その日に出来ることをする・・すなわち、ムダを省(はぶ)くということにも繋(つな)がっていく。雨の日に田畑は耕せないぞ! 晴れた日には外でいくらでもすることがあるだろうがっ! と、いう訳だ。ところが、そうともかぎらないことが、世の中にはよくある。
「ああ…降り出したな。今日はやめるか」
 御台所(みだいどころ)は、仕方なく外出をとりやめ、居間に置かれた畳の上の座布団にふたたび座った。つい、今しがた立ったばかりだったから、まだ生(なま)温かい。さて、これからどうしたものか…と、御台所はこれからの行動を巡った。普段には思いつく雑事が、こういうときにかぎって浮かばず、御台所は、… と、空(から)になった湯呑(ゆのみ)の茶を啜(すす)ろうとし、? 空か…と、また置いた。次に腕を組んだ。そして徐(おもむろ)に部屋の隅(すみ)を見た。そこには偶然、半月(はんつき)ばかり前に買っておいた雨具のポンチョ[簡易なカッパのようなもの]があった。傘を買う目的だったのだが生憎(あいにく)、財布の持ち合わせが少なく、他に買うものもあったからポンチョにしたのだ。ポンチョは山、ハイキングなどで使うアウトドア装備の一つだが、まあ、いいか…と御台所は買って部屋の隅に置いたままになっていた。御台所は、よしっ! チャレンジだっ! ふと、御台所は
某国の大統領や織田信長公にでもなった気がして、雨の中を耕してやろうじゃないかっ! と決断した。決断とは大仰(おおぎょう)な言い方だが、このときの御台所の意気込みは、やってやろうじゃないかっ! の意気込みで凄(すご)かった。ポンチョを身につけ雨靴を掃いていると、自分はそんな大物でもないか…と思いなおした。
 外は幸い土砂降りから小降りになっていた。ポンチョ姿の御台所は、鍬(くわ)を手にすると、畑を耕し始めた。割合と作業は順調に進み、苗床(なえどこ)の準備をした畑の畝(うね)は出来上がった。これで、あとは苗を植えるだけだ…と、安息の息を吐き、御台所は家の中へ戻(もど)った。世の中ではチャレンジ精神が不可能を可能にすることが、よくある。


                           完

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2017年6月 3日 (土)

よくある・ユーモア短編集-38- 好(この)み

 好(この)みは、人それぞれである。淵川(ふちかわ)は久しぶりに銭湯に入ろうと、今ではもう残り一軒となった銭湯・蛸(たこ)の湯へ向かった。ここは行きつけで店の従業員とは気心が知れていたから安らいだ気分で暖簾(のれん)を潜(くぐ)り、入口のガラス戸を開けることができた。いつも500円硬貨一枚を鯔背(いなせ)にポン! と番台へ置くと、これもいつものようにポン! と準備していたかのように間合いを置かず、テニスのリターン・エースのように数十円のお釣りが返ってくるのが常だった。ポン! と鯔背に置く所作は淵川の好みで、この好みに蛸の湯も合わせてくれるのが、滅法(めっぽう)心地いい淵川だった。
「ここへ置くよっ!」
「へいっ! 毎度…。今日はゆず湯でございますよ、ご主人」
「おっ! そうだったねぇ~。もう冬至かい…。また年の瀬だねえ」
 それには返さず、番台の主人はニンマリと笑顔を向けるだけだった。そして、淵川は外風呂へは必ずと決めている下駄(げた)を脱ぎ、靴箱へ収納して鍵を引き抜いた。このタイミングをまっていたかのように、番台の主人が、「ごゆっくり!!」と鯔背に声をかけた。これも個人的な好みで嬉(うれ)しい淵川だった。
 湯舟にどっぷりと浸(つ)かると、自然に鼻唄が出るというものである。淵川の場合、必ずといっていいほど♪奥飛騨慕情♪で、それもハミングのみで唄うのが好みだった。鼻唄が出るまでには湯舟に浸かって、およそ10分を要した。いわば車でいうアイドリングの時間である。最初は軽く身体を洗い、それから湯舟に浸かる・・という所作を淵川は必ず守っていた。これは好みというより、銭湯に入るマナーと心得ていたから、淵川は必ずそうしていたのである。
「おお淵さん! いよいよ年の瀬ですなっ!」
 浸かり友達の中洲(なかす)がザバッ! と湯舟に入り、ひと声かけた。
「これは! 中さん、でしたか…。いや、どうも」
 ちょうど、アイドリングが終わり、そろそろ唄を! と意気込んでいた矢先の淵川は、ギクリ! として閉じていた瞼(まぶた)を開けた。その拍子(ひょうし)に首まで浸かっていた頭の上のタオルが湯舟に落ちた。慌(あわ)てて淵川は湯の中からタオルを拾(しぼ)ると、ふたたび頭の上へ乗せた。格好が悪く、少し世間話をした挙句(あげく)、結局、唄は出ず仕舞いとなった。
 好みにしている上がりのコーヒー牛乳を飲むと、少し調子が戻った淵川は、出せなかった鼻唄を軽く流した。
「おっ! ご機嫌ですなっ、淵川さん!」
 聞こえたのか、番台の主人が声を投げかけた。
「ははは…まあ」
 鼻唄を唄うのが好みですから・・とも言えず、淵川は笑って暈(ぼか)した。好みで無意識に決め込んでいることは、確かによくある。

                           完

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2017年6月 2日 (金)

よくある・ユーモア短編集-37- さりげなく

 高校2年の広次は日曜の午後、居間でテレビを見ていた。今となっては、もう古典芸能になった紙切り演芸が映っていた。紋付き袴(はかま)の衣装を身に付けた師匠風の年老いた芸人が、見事なハサミ裁(さば)きで三味線などのお囃子(はやし)にのせ、半折りにした一枚の白紙を切り分けていく。その、なんと器用で見事なことか…。広次はもの珍しさも手伝ってか、内心で凄(すご)いなっ! と思った。師匠風の年老いた芸人は切り分けると紙を広げて黒い板木の上へ置き、平たいガラス板を閉じながら客席へと見せた。
『━柳に舞子さん━ でございます…』
 次の瞬間、ドッ! と客席から賑(にぎ)やかな拍手が湧(わ)き起こった。
「おおっ! 珍しいなっ、紙切り芸か…」
 響く拍手の中、父親の広一が、知らないうちに居間へ現れていた。広一の現れようは楚々(そそ)としてさりげなく、猫がスウ~っと物音一つさせず姿を見せ、ゆったりと体を横たえる仕草によく似ていた。そのとき広次は、ふと思った。世の中には器用な人もいるもんだ。どれ、俺もやってみよう! と。広次はテレビを広一に任(まか)せ、さりげなく消えると自分の部屋へと入った。美術用のスケッチ帳の画用紙を適当な大きさに裁断し、片手に半折りの紙、もう片手にはハサミを持って切り分け始めた。何を切ろうか…と一応、考えてはいたが、結局、テレビでやっていた ━柳に舞子さん━ に決めた。上手(うま)くいくか自信がない広次だったが、それでもプロ芸人風に、さりげなく切り終わり、さりげなく広げてみた。現れたのは、柳に舞子さんではなく、一本の大木とお地蔵さんだった。広次は、こりゃダメだ…と諦(あきら)めの溜息(ためいき)を一つ吐(は)くと、何もなかったように、さりげなくスケッチ帳とハサミをしまった。誰でもさりげなく出来そうな仕草も、他人にはさりげなく出来ないことは、よくある。

                            完

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2017年6月 1日 (木)

よくある・ユーモア短編集-36- 脇道(わきみち)

 遠くに見えた建物の多さから、向こうの方がいかにも街らしい…と思った山畑は、その方角へと歩を進めることにした。ところが、行こうとする方向に道がない。細道は2、3あるのに、肝心の街に向かう幹線らしき道がないのだ。仕方なく山畑は脇道(わきみち)を伝って迂回(うかい)ルートで街に向かうことにした。登山では直途を迂回して登る[巻き登り]という手段もあるが、ここは平地である。そんな慎重な手段を使わずとも十分な余裕を持って街へ着くように思えた。ところが、それは少し甘かった。
「あの…すみません。この道を行けばあの街へ行けますよね?」
 山畑は付近の人らしい、畑を鍬(くわ)で耕(たがや)す農家の男に訊(たず)ねた。
「ああ、行こう思や、行けるども…」
 男は鍬で土を耕す動作を止め、朴訥(ぼくとつ)にそう返した。
「そうですか…。ありがとうございました」
 軽く頭を下げて礼を言い、山畑は歩き出そうとした。そのとき、である。
「だけんど、遠回りになるがのう。あんた、どこから来なすった?」
 後方から問いかけられ、山畑はビクッ! として立ちどまり、振り向いた。
「私ですか? 東京からですが…」
「東京かい。いいねぇ~都会(とけい)は。儂(わし)ら一生かかっても行けねえ土地だぁ~」
「いや、そんなことはないと思いますが…」
「なに言ってる。そんなことはあるだよ。あんた、知らねぇ~からそんな気楽(きらく)が言えるのさ」
「えっ? どういうことです?」
 山畑は気になって訊(たず)ねた。
「まあ、聞いてくれろや」
 男は長々と語り出した。話は脇道へと逸(そ)れ始めた。それから約小一時間が経過した。山畑は聞く一方になり、相槌(あいづち)を入れるだけだっ
た。男は専業農家の悲哀を切々と訴えたのである。
「大変なんですね…」
「そうとも! そこへPTAだろ?」
「なるほど…」
 山畑はTPPだろう…とは思ったが、正さず思うにとどめた。
「子供は放っといても育つが、学校は放ってくれねえ~」
 あっ! そちらか。正さずによかった…と、山畑は思った。それから、教育の話へと入り、次第に脇道は複雑な様相を見せ始めた。山畑は腕を見た。すでに街で会う約束の正午まで1時間を切っていた。さりとて、道の脇道相場か、話の脇道からも抜けられそうにない山畑は焦(あせ)り出した。世間では物事の途中で脇道へ逸れることが、よくある。

                            完

 ※ 漏れ聞くところによれば、なんとか山畑さんは時間に間に合ったそうです。

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