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2017年7月

2017年7月23日 (日)

よくある・ユーモア短編集-88- 都合

 朝が明けていた。寝室を出た高桑(たかくわ)は、この日に限り、無性(むしょう)に腹が減っていた。いつも朝は全(まったく)と言っていいほど食欲が出ず、少しの野菜とミルクセーキで済(す)ますのが常だった。それがどうしたことか、這(は)い回りたいほど腹が減るではないか。こうなっては、さすがに何か食べないと動きが取れない。高桑はキッチンにある冷蔵庫へと、ひた走りに急いでいた。冷蔵庫には幸い、昨日(きのう)、買っておいた食パンが一斤(いっきん)あった。高桑はトーストにすることなく引き千切(ちぎ)ると、生で口へと詰め込んでいた。2枚ほどを機械のように内臓へ収納すると人心地(ひとごこち)がつき、高桑の空腹感は、ほんの少し遠退(とおの)いた。とはいえ、その感覚は、完全に空腹感が満たされたというものではなかった。それでも仕方なく、高桑は勤務する国税庁査察部へと家を出た。
 勤務中も高桑の空腹感が消えることはなかった。デスクに座りながら、高桑は、はて? 昨日と今日の違いは…と考えた。だが、思い当たるような違いはなかった。いつものように昨日も起き、少しの野菜とミルクセーキを飲むと家を出たのである。
「高桑君、どうしたんだ? なんか、今日はおかしいぞ…」
 高桑の勤務態度の変調を察知した部長の麻尾が心配そうに声をかけた。
「いや、別に…。どうも…」
 高桑は半(なか)ば笑って暈(ぼか)した。高桑はその後も必死で我慢し、昼食休憩を迎えた。
「あら? 高桑さん、珍しいわね。そんなに…」
 食堂の賄い婦、絹川が訝(いぶか)しげに訊(たず)ねた。高桑は食券を、いつもの倍、買っていた。
「査察ですか? ははは…まあ」
 高桑は笑って、軽く流した。
 ようやく、勤務を終えて家に着いたとき、高桑の空腹感は嘘(うそ)のように消えていた。それどころか、逆に食欲が全然、湧(わ)かなくなっていた。高桑は、なんなんだ、この変化は? …と思った。必然的に夕飯は抜き、早めに眠ることにした。そしてその夜、高桑は妙な夢を見た。
『そりゃ、私だって都合がありますよ…』
 高桑は胃腸に囁(ささや)かれた。
『ほう、そうなんですか?』
『ははは…当然ですよ。あなただって都合がいいとき、悪いときはあるでしょうが…』
 高桑は、なるほど…と得心したところで目が覚めた。早暁(そうぎょう)の明るさが寝室を覆(おお)っていた。妙なもので、腹具合はいつもの状態に戻(もど)っている。空腹でもなく、食欲がなくもない・・そんな状態だった。高桑は、見た夢を思い出し、身体(からだ)の都合なんだ…と思った。
 すべてが都合で変化するということは、よくある。

                           完

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2017年7月22日 (土)

よくある・ユーモア短編集-87- 無

 無になれば物事がスンナリと上手(うま)くいく・・ということは、よくある。
 財閥の総帥(そうすい)である会長の塚平(つかひら)は、迷いを断とうと訪れた禅宗の芥掃寺(かいそうじ)で禅を結んでいた。
『無になりなされ…』
 ビシッ! と肩に警策(きょうさく)を受け、塚平はハッ! と我に返った。今夜、寄ろうと決めていた高級クラブのママ、美季の顔が閉じた瞼(まぶた)の裏を過(よぎ)り、思わずニヤけて少し身体が動いたのだ。右に左にと歩く禅師はそれを見逃(みのが)さず、硬い樫板の警策で塚平を打擲(ちょうちゃく)したのである。背後で禅師の小声を受け、塚平は身を硬くし、姿勢を正すと、無になろうとした。だが…。
 塚平は、ここ最近、美季に入れ上げていた。二日も店へ寄らないと、もうダメで、会長室で決裁印を押すのがもどかしくなるほど美季に逢(あ)いたくなるのだった。塚平が迷いを断とうとしたのは、実はこのことが原因だった。逢えば、当然ながら、あれやこれやとなり、精を吸い取られて邸宅への帰還(きかん)となる。養子の塚平にとって夜、邸宅へ帰らない…ということは、即、離縁を申し渡される覚悟をせねばならなかったのである。気を遣(つか)うは、精力は吸い取られるわ・・で、塚平はここ最近、心身の衰えを肌に感じていた。それを解決するには、美季を忘れるしかなかったのである。だが、塚平の願いとは裏腹に、禅を終えたとき、塚平の心の中には美季の艶(あで)やかな姿が益々、克明(こくめい)になっていた。逆効果だったか…と、塚平は芥掃寺を訪れねばよかった…と後悔(こうかい)した。だが、もう遅かった。
「いつもの店…」
「はい! かしこまりました…」
 寺を出た瞬間、塚平はお抱え運転手の判鮫(はんざめ)に小声で言った。妙なもので、禅師の小声と塚平の小声は、どういう訳か音の響きが似通(にかよ)っていた。塚平は美季に一辺倒になるという、ある意味の無になっていた。
 無になることは難(むずか)しいが、雑念も一点に極(きわ)まれば、逆に無になれ、物事がスンナリと上手くいく・・ということは、よくある。

                           完

 朝が明けていた。寝室を出た高桑(たかくわ)は、この日に限り、無性(むしょう)に腹が減っていた。いつも朝は全(まったく)と言っていいほど食欲が出ず、少しの野菜とミルクセーキで済(す)ますのが常だった。それがどうしたことか、這(は)い回りたいほど腹が減るではないか。こうなっては、さすがに何か食べないと動きが取れない。高桑はキッチンにある冷蔵庫へと、ひた走りに急いでいた。冷蔵庫には幸い、昨日(きのう)、買っておいた食パンが一斤(いっきん)あった。高桑はトーストにすることなく引き千切(ちぎ)ると、生で口へと詰め込んでいた。2枚ほどを機械のように内臓へ収納すると人心地(ひとごこち)がつき、高桑の空腹感は、ほんの少し遠退(とおの)いた。とはいえ、その感覚は、完全に空腹感が満たされたというものではなかった。それでも仕方なく、高桑は勤務する国税庁査察部へと家を出た。
 勤務中も高桑の空腹感が消えることはなかった。デスクに座りながら、高桑は、はて? 昨日と今日の違いは…と考えた。だが、思い当たるような違いはなかった。いつものように昨日も起き、少しの野菜とミルクセーキを飲むと家を出たのである。
「高桑君、どうしたんだ? なんか、今日はおかしいぞ…」
 高桑の勤務態度の変調を察知した部長の麻尾が心配そうに声をかけた。
「いや、別に…。どうも…」
 高桑は半(なか)ば笑って暈(ぼか)した。高桑はその後も必死で我慢し、昼食休憩を迎えた。
「あら? 高桑さん、珍しいわね。そんなに…」
 食堂の賄い婦、絹川が訝(いぶか)しげに訊(たず)ねた。高桑は食券を、いつもの倍、買っていた。
「査察ですか? ははは…まあ」
 高桑は笑って、軽く流した。
 ようやく、勤務を終えて家に着いたとき、高桑の空腹感は嘘(うそ)のように消えていた。それどころか、逆に食欲が全然、湧(わ)かなくなっていた。高桑は、なんなんだ、この変化は? …と思った。必然的に夕飯は抜き、早めに眠ることにした。そしてその夜、高桑は妙な夢を見た。
『そりゃ、私だって都合がありますよ…』
 高桑は胃腸に囁(ささや)かれた。
『ほう、そうなんですか?』
『ははは…当然ですよ。あなただって都合がいいとき、悪いときはあるでしょうが…』
 高桑は、なるほど…と得心したところで目が覚めた。早暁(そうぎょう)の明るさが寝室を覆(おお)っていた。妙なもので、腹具合はいつもの状態に戻(もど)っている。空腹でもなく、食欲がなくもない・・そんな状態だった。高桑は、見た夢を思い出し、身体(からだ)の都合なんだ…と思った。
 すべてが都合で変化するということは、よくある。

                            完

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2017年7月21日 (金)

よくある・ユーモア短編集-86- 評価(ひょうか)

 人は品や格で他の人々から評価(ひょうか)され生きている。人間である以上、それは仕方がないことなのだが、土那辺(どなべ)の考えは世間一般とは少し違った。品は上品な人だ! とか、下品だわっ! とか思ったり言われたりする。格も同じで、格に合うから合格だとか、格に合わないから不合格だ・・と世間では評価する。土那辺にはその辺(あた)りの見えない基準が分からなかった。だいたい、偉(えら)そうに格に合わない・・などと上から目線で、お前はいったいどれだけの者なんだっ! とムカつくのである。その者とは見えず、漠然(ばくぜん)としているだけに、余計、腹立たしく思う土那辺だった。
 そんなある日のことである。県職員の土那辺は箱矢(はこや)町への異動を命じられ、赴任(ふにん)した。列車を降り、駅を一歩出ると、電話で言われた出迎えを探すため、右や左と見まわした。
「土那辺さん! こっちです!」
 少し離れた駅前広場で待機している一台の車があった。[箱矢町役場]とド派手な文字で書かれた車の前で手を大きく振る男がいた。車はまるでリオのカーニパルでパレードしても不思議ではないように装飾されたオープンカーだった。土那辺は見た瞬間、車評価で、すっかり町に惚(ほ)れ込んでしまった。だいたい、公共物がキチン! と地味(じみ)な楷書(かいしょ)で[箱矢町 商工観光課]と書かれねばならない決まりはないのだ。世間一般が役場は地味なものだ・・と評価しているだけで、ド派手が悪い! ということでは決してない。それに反論するようなこの町長の方針が土那辺を、大いに気分よくしていた。
「商業観光課の軽手(かるて)と申します」
「土那辺です」
 対面した二人は、さっそく名刺交換をした。
「いい町ですねっ! この車は?」
「ははは…随分、派手でしょ? いやぁ~、運転する私ら職員が恥ずかしいくらいですから…」
「町長さんの方針ですか?」
「はい! なにせ、町長は元芸能人でしたから…」
「ほう!」
 土那辺は少し興味が湧(わ)いた。
「まっ! さっぱり売れず、Uターンした口ですがね、ははは…」
「なるほど、それで…」
 土那辺は、なるほど…と思った。
 車が町役場へ着くと、玄関では町長らしき男が出迎えていた。町役場は今にも崩れそうで、町役場には似つかわしくない古い廃材で建てられたと思える建物だった。
「箱矢町へ、ようこそ。私が町長の掃杭(はくい)と申します…」
 掃杭は蚊の鳴くような声で、か弱く言った。
「あっ! 土那辺です…」
 そこへ走って飛んできたのは、助役の水滝(みずたき)だった。
「… …助役の水滝ですっ!」
 土那辺は、そら当然、今夜の歓迎会は水炊(みずだき)だろう…と思った。
 この話は、単なる笑い話だが、評価で人が世間を浮き沈みすることは、確かに、よくある。

                           完

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2017年7月20日 (木)

よくある・ユーモア短編集-85- ウポリタン

 ナポリタンはスパゲティ料理の定番として、よく知られている。生粋(きっすい)の関西人である靴底(くつぞこ)は、別にスパゲティやのうて、ウドンでも、ええんやないか? …という素朴な疑問を抱いていた。その靴底が考案、工夫、吟味した挙句(あげく)、店へ出したのが[ウポリタン]である。カレー、しょうゆ、みそ煮込みなど、いろいろとウドンも馴染(なじ)むからこそ! のアイデアだった。靴底は料理人であるにもかかわらず、アイデアに長(た)けた発明家でもあった。靴底のアイデアは多岐に渡り、いつしか彼は最初のアイデアとして命名した料理名に因(ちな)み、ウポリタンと影(かげ)で人々に呼ばれ称されるようになった。そして後日、靴底は21世紀の発明王として世界で知らない者がない著名な人物となるのだが、残念なことに現在では未(いま)だその名を知る者は数少ない。
 ここで、靴底の実績である混合アイデアの幾つかを紹介してみよう。雷(かみなり)の電力化、悪性細胞の菌遺伝子操作ワクチンによる治癒化、人口重力1Gの生成…など、科学、医学、物理学と枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
 靴底のように実力ある者が、悲しいかな、世に出られないケースは、確かに世界で、よくある。

                           完

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2017年7月19日 (水)

よくある・ユーモア短編集-84- 曲がる

 金属は熱を加えれば、大よその物は曲がるか、溶ける。人も程度の差こそあれ、曲がって生きている。まあ人の場合は、自(みずか)ら積極的に曲がる人、影響を受けて曲がりやすい人、なかなか同調せず曲がりにくい人・・などと分かれるが、それでも少なからず曲がらなければ世間では生きられず、遠退(とおの)くことになる。曲がりにくい人は頑固(がんこ)者と呼ばれるが、さらに、まったく曲がらない人は宗教者、芸術家、芸能人などといった独自の分野で光を自ら発する人々で、世間とは一線を画(かく)す。いわば、他の人々を自らの光で曲げる能力がある人・・ということになる。
「はいっ! それはもう…。私がやっておきますので、課長は先方の接待へお行き下さい…」
「そうか? すまんな、軟場(なんば)君」
「いえ…」
 係長の軟場はグニャリ! と自ら曲がり、課長の鋼原(こうばら)にピタッ! と溶け込むように接着した。
 それを遠目で見ていたのは、そんなお調子者の軟場を快(こころよ)く思わない平社員の陶山(とうやま)と硝子(がらす)だった。
「チェ! 軟場のやつ、また曲がってら…」
「ほんと! あの方、よくもまあ、あれだけ柔らかく曲がられますよね、陶山さん」
「君もそう思うだろ?」
「ええ!」
「フンッ! 料亭かっ! こっちは屋台だっ! 行くぞっ、硝子!」
「はい!」
 腹立たしくデスクの椅子を立った陶山に肩を叩(たた)かれ、硝子は釣られるように席を立った。硝子は陶山に完全に溶かされて曲がり、形のいいグラスになっていた。
 多数から浮き上がるのが嫌(いや)で、いつの間にか多数に入って曲がることは、世間で、よくある。

                           完

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2017年7月18日 (火)

よくある・ユーモア短編集-83- 値打ち

 値下がりした株を買っておいた平社員の氷場(こおりば)だったが、どういう訳か急騰(きゅうとう)した株の儲(もう)けで億万長者になっていた。その株は氷場が働いている親会社の株だったが、氷場はそのことを秘密にして、コツコツと今までどおり働いた。氷場は苦労して得た金と楽をして得た金の、値内(ねうち)の差を知っていた。氷場は株が下がる都度(つど)、その金でまた同じ株を買い足(た)していった。
 時は流れ、氷場はいつのまにか発言力を持つ大株主となっていた。そんな、ある日のことである。
「さて…昼にするかっ!」
 課長の霞(かすみ)はいつもの動作で両手を大の字にして欠伸(あくび)をし、そう言った。その大声に課員達の手は一斉(いっせい)に止まり、課内はザワついた。いつも昼休みの10分前、買い出しと出前回り[出前をこちらから店へ取りに行く]の時間を見て、少し早く昼にするのが慣例となっていた。その10分ぶんだけ早く午後の始業に入るという、一種のフレックス・タイム制である。
「氷場さんは酢豚弁当でしたね…」
 氷場が黙って首を縦に振ると、後輩の霜地(しもち)は飛び出すように買いに出ていった。これも、いつもの一日の流れだった。
「氷場は酢豚ばかりだなっ! ははは…俺は特上の鰻重(うなじゅう)だぞっ!」
「分かってますよっ! 課長は金が有り余ってますからねっ!」
「ははは…馬鹿を言うなっ!」
 鰻のように首をウネウネとさせ、霞は、まんざらでもないように笑った。笑いは、親会社からの電話が社長室へ入るのと同時だった。
「はっ?! うちの会社の、こ、氷場がっ! いえっ! 氷場さんがですかっ?!」
 社長の霧橋(きりはし)は慌(あわ)て驚き、思わず言葉を噛(か)んでいた。
 半年後、氷場は親会社の専務席に座っていた。
「専務…酢豚弁当でしたね」
「ああ、そうしてください…」
 氷場は、さも当たり前のように秘書の霙木(みぞれぎ)の顔を見て言った。
 五年後、氷場は社長席に座っていた。
 物の価値を知り、変化に流されない人は、どこまでも出世する・・ということは、確かに世間で、よくある。

                          完

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2017年7月17日 (月)

よくある・ユーモア短編集-82- 羊(ひつじ)が一匹

 そろそろ眠るか…と貝塚(かいづか)は寝室へ向かった。ところが、である。さてと! と身体を横たえると、いっこう眠くならないのだ。いつもなら、5~10分もすれば、すでにこの世の者でないほど爆睡(ばくすい)しているというのに、この夜にかぎって眠れないのだった。明日(あした)は大事な出張があり、指定席券を取ってある8時半過ぎの新幹線に乗らねばならない。当然そうなると、7時頃には起きる必要があった。だが、眠れないものは仕方がない。貝塚は少し焦(あせ)った。どうしたものか…としばらく巡っていると、ふと、あることに思い当たった。そうだっ! 羊(ひつじ)が一匹だ…と。羊が一匹・・とは、羊の数を数えるよく知られたベタな睡眠法である。それしか思いつかない以上、そうしよう…と貝塚は羊を数え始めた。だが、どんどん羊の数が増えていくのに、いっこう眠くならないのだ。貝塚は益々、焦った。こうなると、眠ろう…と思えば思うほど目は冴(さ)えてくる。そうこうするうちに、頭の中で増えた羊の一匹が、群れから外れ訝(いぶか)しそうな顔で貝塚の目の前に近づいてきた。
『あの…眠りたいんですか?』
『ああ、明日は朝が早いからね』
『ふ~ん、そうなんだ…。なんとかしましょうか? 僕が』
『おっ! そうしてもらえると助かるな…』
『では、そのように…』
 貝塚はすでにウトウト眠り、羊と話す夢を見ていた。次の朝、貝塚は無事に新幹線に乗車できた。
 まあ、焦れば焦るほどコトが進まないことは、確かによくある。

                             完

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2017年7月16日 (日)

よくある・ユーモア短編集-81- 曖昧(あいまい)

 結論を曖昧(あいまい)にすることで話が首尾(しゅび)よく纏(まと)まることは、よくある。右か左かっ! 白か黒かっ! とかの話ではなく、物事が順調に進むために双方が納得できる合意点に歩み寄る訳だ。右なら左へ、左なら右へ、白や黒なら少し灰色へ・・と歩み寄る訳だ。程度の幅はあるものの、双方の妥協である。玉虫色だから、あとあと話が拗(こじ)れる原因にもなるが、ともかくその場は、まあ、いいか…と、双方が丸く矛(ほこ)を収(おさ)める。
 地球規模の国家間では、大筋で合意する・・とかいわれる共同声明などがある。少し規模を小さくすれば、わが国の具体例として、国会の与野党の国対委員長による会談や各委員会の理事会などがある。
『その件に関しては理事会で協議いたします…』
 テレビの国会中継で決まり文句のようによく耳にする、聞き馴れた言葉である。まあ…その件に関しては理事会で・・と曖昧に暈(ぼか)し、審議を続行させる手段である。これで双方の激突は一時的に回避(かいひ)され、審議はスムースに進むことになる。
 会社の昼どきである。昼少し前、買い出し役の後輩社員、井川に頼んだ元久保は、買って帰った井川に愚痴っていた。
「俺は、いつもの! って頼んだんだよっ!」
「いつもの、でしょ。いつものならコロッケ弁当じゃありませんかっ!!」
「馬鹿言えっ! それは、一昨日(おととい)までだろっ。昨日(きのう)からはハンバーグ弁当に昇格させたじゃないか」
「そりゃそうですけどね。いつものというのは一昨日までのも含まれるんじゃないんですかっ!!」
 いつもの・・の解釈を巡って、課内では二人の論争が始まっていた。他の課員達は、馬鹿馬鹿しい、どっちだっていいじゃないか…とでも言いたげに、二人をチラ見しながら食堂や外食へと課を出ていった。課内に残されたのは元久保と井川だけだった。
「もう、いい…! 冷えるから、食べよう」
「はい…」
 どちらの言い分が正しいか、を棚上げし、温(あたた)かい弁当が冷えることを危(あや)ぶんだ二人は、結論を曖昧にした。
 曖昧が物事の潤滑油となることは、世間で、よくある。

                           完

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2017年7月15日 (土)

よくある・ユーモア短編集-80- 流される

 誰もいない一人でいるとき、よし! こうしよう…と強く決めたことが、別の考えの群衆の中にいると、勢いに押され、群衆に流されることが、よくある。
 弓祭(ゆみまつり)町に住む梅川は天気がいいのに気をよくしたのか、ブラッと出ることにした。のんびり釣り竿(ざお)片手に家を出ると、寒さも緩(ゆる)み、肌を撫(な)でる早春の風が心地よい。
「あらっ! 梅川さん。どちらへお出かけです?」
 町の路地を曲がったところで、ばったり出会った知り合いの甘酒が、梅川に声をかけた。
「えっ?! いやぁ~なに。これといって決めちゃいないんですがね。天気がいいんで、この前、忙(いそが)しく出られなかった釣りでもやろうと思いまして…」
「そうでしたか…」
「そういう甘酒さんは?」
「いや、なに。ははは…これから、そこの桃畑でご近所の皆さんと一杯飲みを…」
「なるほど! 桃畑も満開ですからね。いい見頃だっ!」
「そうなんですよ! よかったら梅川さんも…。あっ、そうか。これから釣りでしたね」
「はあ。まあ、必ず! というもんでもないんですがね…。それじゃ!」
 二人が軽く会釈(えしゃく)をし、左右に別れて歩き出したときである。梅川の進む方角から、ぞろぞろと、近所の男達が酒や料理を手にして歩いてきた。細い道だったから、当然、行き違いざまに双方は出食わして止まることになる。
「やあ! 梅川さん。どうです! これからご一緒に一杯!」
「いやぁ~、私は何も持ってきてませんから…」
 近所の男の一人に声をかけられ、梅川は返したが、どういう訳か梅川の口から、釣りの言葉は出なかった。近所の男達に少し流されかけたのだった。
「ははは…いいんですよ。三人分ばかり余計に手料理と酒はありますからな」
 そこへ先ほど別れた甘酒が引き返してきた。前後を近所の男達に囲まれ、いつのまにか梅川は流された。
 小一時間後、飲めや唄えですっかり赤ら顔に出来上がった男達の姿が桃林にあった。むろんその中には、流された梅川の姿もあった。
 人の世の柵(しがらみ)の中では、確かに群衆に流されることが、よくある。

                           完

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2017年7月14日 (金)

よくある・ユーモア短編集-79- あのとき…

 物事(ものごと)の成否(せいひ)には、タイミングというものがついて回る。タイミングを逃(のが)すと、しまった! あのとき…と、後々(あとあと)、失敗を後悔(こうかい)することにも成りかねない。
 槍投げの足川(あしかわ)は、迫った代表選考会に向け、最後の調整をグラウンドで行っていた。足川は勝ち気の性格が災いして、実力がありながら前大会ではライバルの野毛(のげ)に僅(わず)かな飛距離で敗れ、二位に甘んじた苦(にが)い経験があった。それ以降、この日までの練習で、あのとき…と、投擲(とうてき)した瞬間の自分の勝ち気を悔(く)いない日はなかった。というのも、勝ち気が力みを生じ、型を崩して投げた結果、飛距離は今一、伸びなかったのである。意識せず、力まなけば、なんのことはなかった。だが、足川の勝ち気が野毛に負けまいと意識させ、いつもの実力を出させなかったのだ。力まず、無心で投げていれば、隙(すき)は生じなかったのである。それ以降、しばらくの間、足川は野毛に敗れた口惜(くや)しさから、投げ槍になった。だが足川は、しばらくして立ち直った。心・技・体の一つ、心が欠けていたことに気づいたのである。
 あれから一年の歳月(としつき)が流れていた。その間(かん)、足川は寺に住み込み、禅を結ぶことで集中力を養ったのである。
 足川がリベンジに燃える代表選考会の当日を迎えていた。ライパルの野毛は今回も足川を負かす…と意気込んでいた。一年前のあのとき…野毛は投擲に失敗した足川のあとに投げた。投擲に失敗して投げ槍になった足川とは裏腹に、野毛の心は槍投げになっていた。いや、勇(いさ)んでアグレッシブになっていた。飛距離はぐんぐん伸びた・・のである。この日は、野毛の方が先に投げた。野毛の足川を負かす…という意気込みが投擲を失敗させた。結果、あとに投げた足川の心は野毛の失敗で槍投げになっていた。いや、勇んでいた。飛距離はぐんぐん伸び、見事、足川はリベンジを果たすことができた。破れた野毛は、あのとき…と悔いることになった。
 人生では、あとあと、あのとき…と思うことが、よくある。

                           完

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2017年7月13日 (木)

よくある・ユーモア短編集-78- 先を読む

 腕組みをしながら川山は考えていた。ああ、すれば・・当然、こうなる…とすれば、こうすれば・・どうなる? …と、あれこれと巡っていたのである。だが、なかなか思うように先は読めなかった。ああ! そうすれば、いいかも知れない…待てよっ! しかし、こんなことになることも有り得(う)るからな…と、やはり決断できるような結論は出ず、川山は、なおも先を読み続けた。
 そうこうするうちに太陽は中天まで上がり、昼どきになっていた。先方の話では夕方の5時までに・・だから、まっ! いいか…と腹が空いていた川山は、余裕めいて昼にすることにした。
 だが、川山の考えは間違っていた。昼食時間をゆっとりと過ごし、ふたたびさて、どうしたものか…と先を読み始めたが、やはり午前中と同じで結論が出ず、考え倦(あぐ)ねることになってしまった。腕を見れば3時過ぎだった。川山は少し焦(あせ)り始めた。先を読む場合は、じっくりと構え、焦ってはいけない。気持ちが先に立ち、先を読めなくなるのだ。すると、悪くしたもので益々(ますます)、焦る。焦れば先が読めなくなる。この繰り返しが負(ふ)のスパイラル[渦巻き状に上下する様態]という悪循環を起こし、ついには何を考えているのかさえ見失うのである。川山が、そうだった。
 約束した5時が迫っていた。
「あっ! すいません。申し越しの件なんですが、先が読めません! 封じ手ということで…」
『はあ? 何のことです? 当方としましては、そちらさまの出方によって対応をさせていただく予定でございますので、如何(いかん)とも…』
 電話に出た先方の底海は囲碁や将棋の棋士のようなことを言われ、困った。実は底海も川山の出方によって対応を変える先を読んでいた。結局、二人とも先を読み過ぎた挙句(あげく)、一日を無駄にしてしまう結果となったのである。川山も底海も、こんなことなら…と後悔した。
 先を読むことも大事だが、それも人生では程度もので、読み過ぎると上手(うま)く進まなくなることは、よくある。

                            完

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2017年7月12日 (水)

よくある・ユーモア短編集-77- 真偽(しんぎ)

 壺川は無二の骨董(こっとう)好きで、収集家でもあった。過去、鑑定も何回かして貰(もら)ったことのある、古い物には目がないマニアだった。
 その壺川が、また新しい骨董を手に入れたくなっていた。とある地方へ旅行したとき、宿泊した旅館の部屋に飾られてあった掛け軸がひと目で気に入ってしまったのだ。
『素晴らしい! これは、どう見ても本物だ…』
 いくら骨董好きでも売り物でない旅館の装飾品を買うなど、常識ではとても考えられない。ところが、である。どうしても欲しくなった壺川は旅の楽しみなどそっち退(の)けで、その掛け軸に惚れ込んだ。こうなっては、誰も手がつけられないのが壺川である。妻の楓(かえで)は疾(と)うに見限って、壺川の骨董話は聞かないことにしていた。そんな壺川だったが、妻と出かけた旅行先の旅館である。さて、どうしたものか…と、乗った観光船の中でも気も漫(そぞ)ろで景色を愛(め)でるどころの話ではなかった。
「どうしたのよ、あなた?」
「んっ? いや、なんでもない…」
 一泊はするから、旅館に戻(もど)ってから片をつけよう…と、壺川は意を決した。当然、楓には内緒(ないしょ)でコトを進めよう・・の腹積もりだった。
 夕方近く旅館に戻ると、壺川はさっそく動き始めた。温泉へ入ると言って先に部屋を出た楓には、あとから行くからと誤魔化(ごまか)し、壺川は旅館の女将(おかみ)と交渉に臨(のぞ)んだ。
「そう言われましてもねぇ~、私の一存では…。主人と相談いたしますから、後日、お電話でご返事を…」
 言い値で買い取ると壺川に言われた旅館の女将は、壺川から電話番号のメモ書きを受け取ると、忙(いそが)しそうに立ち去った。壺川としても、唐突(とうとつ)な申し出だったから、即決は無理だな…と思え、女将の返答に
納得せざるを得なかった。
 旅から戻り、一週間ばかりが経った夕方、旅館からの電話が入った。話では、壺川が思っていた額とはひと桁(けた)小さい安値で売ってもいい・・ということだった。
「えっ! そんな値で、いいんですかっ?!」
『はあ…贋作(がんさく)と聞いておりますから…』
 話は即決し、後日、壺川からの振り込みが確認されると、掛け軸が壺川の家へ宅配便で送られてきた。壺川は満足だった。小遣い程度で買えた代物(しろもの)だけに、これなら楓にも隠さずに済むぞ…と壺川は北叟笑(ほくそえ)んだ。だが、ただ一つ、壺川には気になることがあった。その掛け軸がどう見ても贋作には思えなかったのである。壺川は専門の鑑定士に鑑定してもらうことにした。そして、ついに真偽(しんぎ)のほどが判明した。その掛け軸は、驚くことに国宝級の本物と分かったのである。壺川は真偽の喜びより、国宝級の本物を見出した自分が嬉(うれ)しかった。
 世間では、本物が偽(にせ)物で、偽物が本物という真偽逆転のケースが、よくある。

                          完

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2017年7月11日 (火)

よくある・ユーモア短編集-76- 煩悩(ぼんのう)

 大晦日(おおみそか)も更(ふ)け、年が変わる少し前ともなるとも、どこからともなくグォ~~~ンという除夜(じょや)の鐘(かね)の響きがやってくる。よく聴いていると、ゴォォォ~~~ンもありゃ、ドゥォ~~~ンというのもあり、まちまちだ。仏教では、108ある煩悩の一つ一つを忘れて取り除(のぞ)く音らしい・・とは池畑にも分かっていた。ただ、聴き逃(のが)せば、偉(えら)いことだな…とは全然、思っていなかった。
 池畑は年越し蕎麦(そば)をズルズル…っと啜(すす)りながら、除夜の音を聞いていた。聴く気はないのだが、自然と耳に入ってくるのだから聞かざるを得ない。
「あれは、相場(そうば)の音だな…」
 池畑に言わせれば、まあフツゥ~の…という音になる。
「あっちは確か、商業寺か…。かなり金回りがいい音だ。響きに勢いが感じられる…」
 池畑はいつの間にか、搗(つ)かれて響く鐘の審査員にでもなった気分で聴いていた。そんな池畑だったが、食べ終えて軽く一杯やっていると少し眠くなり、ウトウト…と半時間ほど眠ってしまった。慌(あわ)ててテレビを点(つ)けると、すでに年が変わっていた。除夜の鐘もいつの間にか搗き終わったのか、聴こえない。しまった! 聴き逃したかっ! と池畑は悔(くや)やんだ。今年は録音してやるっ! 新年早々、池畑に新たな煩悩が湧いた。
 おおよそ世間では、煩悩が湧くことが、よくある。

                           完

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2017年7月10日 (月)

よくある・ユーモア短編集-75- 慌(あわ)て損(ぞん)


 物事は慌(あわ)てれば、多くの場合、失敗や簡単なミスに繋(つな)がり、損(そん)をする。もちろん、失敗しない場合もあるが、慌てると、当然のことで動作を急ぎ、所作が速くなるから、失敗する確率が高まることは事実である。[慌て損(ぞん)]と言われる所以(ゆえん)だが、科学的にも理に適(かな)っている訳だ。
 粂川(くめかわ)は久しぶりにとれた休暇を利用して山登りへ出かけた。多くの場合、粂川が登るのは小高い程度のそんなに高くない山が多かった。
 なだらかな坂道を辿(たど)ると、やがて勾配のきつい登りとなった。場数(ばかず)を踏(ふ)んでいる粂川だったから、そんなことはお構いなしで、どんどん登っていった。ある程度まで登ると見晴らしがよい峠へと出た。下界の景観が望め、気分が心地よい。どれ、ここら辺りで少し休むか…と、粂川は休息をとることにした。草原のように柔らかな草の上で水筒の水を飲み人心地ついていると、粂川は日頃の疲れもあってか急に睡魔に襲われた。ウトウト…と寝入って気づくと、もう昼近くになっていた。粂川は慌てた。のちになってよく考えれば、そう慌てることでもなかったのだが、そのときは余裕がなかったから慌てたのである。急ぎ足で登ると、頂上が展望できる所まで出た。ところが、そこで登山道が二手(ふたて)に分かれていたのである。片方は直途で、もう片方はうねった巻き登り道だった。慌てていた粂川は直途を選んだ。いつもの粂川なら巻き登り道の方が早い…と即断したのだろうが、そのときすでに昼を回っていた・・という状況が判断を誤らせたのである。頂上へ登り、そこでゆったりと昼食を食べながら寛(くつろ)ぎ、ゆったりと下山する・・という粂川の当初の計画は大幅(おおはば)に遅れていた。
 直途は案に相違してきつく、しかも、しばらく行ったところで絶壁の岩場が粂川の進行を遮(さえぎ)った。生憎(あいにく)、ハーケン、カラビナ、ザイル、ピトン・・といったロック用の道具を持っていないのが悔(く)やまれたが、時すでに遅し・・である。粂川は仕方なく元来た分岐点まで引き返した。それでも諦(あきら)めず、分岐路に出た粂川は、もう片方の巻き登り道を辿(たど)った。するとどうしたことか、存外早く、半時間ばかりで頂上へ出た。腕を見ると1時を少し回った頃だった。頂上でゆったりし、2時頃に下山する計画だったから、まだ時間はたっぷりあった。粂川は少しは急いだがそれでも慌てず、昼食を済ませるとしばらくして下山した。思ったより早く下山でき、粂川は得(とく)をした気分になった。
 つい、急いだばかりに、慌て損(ぞん)をすることは、世間でよくある。

                           完

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2017年7月 9日 (日)

よくある・ユーモア短編集-74- 怒(いか)りは敵

 鳥突来(とりつつき)は妻の香澄(かすみ)から、やんのやんの・・と小ごとを言われていた。妙なもので、聞き馴(な)れると腹もそう立たなくなるものだ。30年も昔は、言われてムッ! とした鳥突来だったが、今では馬耳東風(ばじとうふう)+馬の耳に念仏・・といった具合で、どうってこともなくなっていた。これを自覚した鳥突来は、免疫力だな…と香澄をチラ見しながらニンマリとした。この忍耐力とでも言うべき自然に身についた鍛練(たんれん)の成果は、鳥突来の仕事にも多大の影響を与えていた。
「鳥突来さんは怒らないから助かります…」
「今度はどうしたの? 言ってみなさいよ」
 部下で係長の餌場(えさば)に先に言われ、課長席に座る鳥突来は、笑顔でヤンワリと言った。
「いや、そう言われると、どうも…。本当に言っていいんですか? お怒(おこ)りにならないでしょうね?」
「なに、なにっ!? どうしたの? 言いなさいよぉ~」
 人間、隠(かく)されると聞きたくなるものだ。失敗話だから、当然、怒るような話に思えたが、鳥突来は聞きたくなり、ウズウズして、せがんだ。
「それじゃ、いいますよっ! 今回の予約席、…残念ながら取れなかったんです」
「なんだってぇ~~!! ど、どうするんだっ! どうしてくれるんだっ!」
 普段は温厚(おんこう)そうな鳥突来の顔が憤怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)へと一変した。鳥突来が唯一、フェチ的に楽しみにしていた大相撲千秋楽のチケットだったのである。鳥突来が怒ったもんだから、餌場は驚いた。まさか、鳥突来が怒るとは考えてもいなかったからだ。
「そんなに怒らなくても…。だから、言ったじゃないですかっ! 本当に言っていいんですかって」
「馬鹿野郎! 遅かれ早かれ分かるだろうがっ! 一枚ぐらい、何とかできなかったのかっ!」
「はあ、それが…満員御礼というやつですよ。なにせ千秋楽ですから…」
 それからというもの、怒りっぽくなった鳥突来の仕事のぺースは乱れ、部内に多大の影響を与えていった。
「君、どうしたんだ。この頃、怒りっぽくなったじゃないかっ…。訳を言ってみたまえ」
 心配した部長の網戸(あみど)が鳥突来を部長室へ呼び出し、訝(いぶか)しげに訊(たず)ねた。
「はあ…実は大相撲千秋楽のチケットが取れなかったものでして…」
「ははは…なんだ! そんなことかね」
 網戸は部長席の引き出しから一枚の券を取り出した。大相撲千秋楽の、それも砂かぶり近くの土俵に近い好位置の席だった。
「こ、これは…」
「ははは…社長にもらったんだ。君にやるよ。私は接待で無理だからね」
「あ、有難うございますっ!!」
 地獄で仏! というほどの喜びようで、鳥突来は感激した。それ以降、いつもの温厚さを取り戻した鳥突来は、仕事も順調に運ぶようになっていった。
 怒(いか)りは敵・・と言われるが、巣の雛(ヒナ)が孵(かえ)ったような鳥突来の場合は別として、怒ることで物事が悪く変化することは、確かによくある。

                         完

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2017年7月 8日 (土)

よくある・ユーモア短編集-73- 見方

 世の中には、両者に[齟齬(そご)が生じる]と言われる[見解の相違]、平たく言えば、[見方の違い]が発生することが、よくある。それは、はっきり言って、事物や事象に対する両者の捉(とら)え方が異なる点が大なのだ。例(たと)えば、富士山を目(ま)の当りにして、誰しもその優雅な自然の大パノラマに感動を覚えない者はいないだろう・・と思える。ところが、どっこい! 世の中には捻(ひね)くれ者もいて、『ちぇっ! たかが、山じゃねぇ~かっ!!』と、見向きもしない者もいなくはないだろう。それは見方の差異によるものなのである。こんなドブス…と一人の者が思ったとしても、別の者には可愛(かわい)いなぁ~と映るかも知れない訳だ。これも要は、見方の違いによる。
「おやじさん、これ値が下がったねっ! 大丈夫かい?」
 八百屋の店頭で、急に値が下がった松茸(まつたけ)の盛り篭(かご)を覗(のぞ)き見ながら、客が主人に訊(たず)ねた。
「ははは…よく見て下さいよっ! 旦那(だんな)。まだまだ大丈夫ですっ!」
「そうかい? …」
 客には少し前に見たときより、萎(しな)びて見えていた。
「ええ! 私が保証します。いい買い物ですよっ。ほらっ! 色艶(いろつや)のよさっ! ひと盛りで、土瓶蒸し、松茸の焼き物、スキ焼、松茸ご飯と、いろいろ味わえますよっ!」
「そうかい? そういや、そう見えなくもない…。だけど、余りにも安いじゃないか?」
「ははは…これはサマツですから」
「サマツ?」
 聞き覚えのない言葉に、客は訊(たず)ね返した。
「馬鹿松茸とも言われましてね。早く出回るんですよ。松茸に比べりゃ味は少し、という人もいますが、笠(かさ)が開いてない小ぶりのものは遜色(そんしょく)ないようです」
「そうかい…。そういや、美味(うま)そうに見えてきたよ。じゃあ、包んで貰(もら)おうか」
「へい、毎度!」
 客は包みを受け取り、代金を支払うと機嫌よく帰っていった。客が帰ったあと、八百屋の主人は、フゥ~と溜息(ためいき)を一つ吐いた。
「サマツでよかったよ…」
 そのサマツは、あと3日もすれば店頭に並べられない代物(しろもの)だった。
 やれやれ…と居間へ上がり、遅くなった昼食を食べながら主人はテレビを点(つ)けた。テレビには予算委員会の国会中継が映し出され、総理と野党党首が丁々発止(ちょうちょうはっし)の論戦を展開していた。
「見方が違うんだな…」
 二人の声を聞きながら、意味が分からないまま、主人はポツリと呟(つぶや)いた。
 見方の違いは十人十色(じゅうにんといろ)で、それにより話が纏(まと)まらなくなることは、よくある。

                          完

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2017年7月 7日 (金)

よくある・ユーモア短編集-72- 我慢できない

 人にはそれぞれの持ち味があり、個人差がある。我慢もその一つで、我慢できる人と我慢できない人とでは、物事に差異を生じる。
「ははは…まあ、いいじゃないか。長いスパンで考えりゃ、どうってこっちゃないっ!」
 専務を務める執行役員の河馬口(かばぐち)は大きな口を開けて一笑(いっしょう)に付した。
「しかし、君ねえ~」
 角(つの)を尖(とが)らせ苦情を持ち込んだのは、同じ銀行から常務ポストでこの会社へ乗り込んだ執行役員の犀角(さいかく)だった。
「まあまあ、今回は我慢してくれ。私の顔に免じてな…」
 犀角は、お前の顔? お前の顔は口がデカイだけだろうがっ! …と思いつつも、渋々(しぶしぶ)、頷(うなず)いた。河馬口とは同期だったことに加え、ホールディングスの親会社社長、象崎(ぞうさき)から異動をする際(さい)、二人でタッグを組んで会社再建を図ってくれるよう厳(きび)しい業務命令[業命]を受けていたのだ。そんなこともあり、今、仲違(なかたが)いしている訳にはいかなかった。犬猿の仲ではなかったが、二人はお互い、今まで違った分野で頭角を現してきたから、そう深い付き合いでもなかった。だが今は、敵地的に荒廃した子会社の中である。社員達は皆、二人を異端視し、社内での居心地(いごこち)は悪く、二人はことごとに社員達から目に見えない妨害(ぼうがい)工作を受けていた。そんな二人だったが、二人の忍耐力には差異があった。河馬口は妨害工作にも、さほど気にはならず我慢できた。だが、犀角は我慢できなかったから、ことごとに部長以下の管理職と激突した。
 次の日、犀角は部長の馬縞(うましま)を常務室へ呼び出していた。
「今回は我慢して君の案を採用することにしたい!」
 立つ馬縞を目の前にし、常務席に座る犀角の顔は、どこか強張(こわば)っていた。
「有難うございますっ! 聞けば、部下達も喜ぶと存じますっ! では、さっそく、そのように…」
 馬縞は一礼すると、身を反転し、急いで常務室を出ようとした。そのときだった。
「が、我慢できんっ!!」
「はぁっ?!」
 叫ぶ犀角の声に、驚いた馬縞は立ち止って振り向いた。
「…ど、どきなさいっ、前をっ! と、トイレだぁ~~!!」
 ドタドタと走りながら馬縞をかき退(の)け、犀角は常務室のドアから飛び出していった。犀角は漏らす限界で、我慢できなかったのだ。
 まあこれは、生理的現象と社案との偶然の一致だが、どうしても我慢できないことは、この世では確かによくある。

                          完

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2017年7月 6日 (木)

(いざけ)よくある・ユーモア短編集-71- 迷信

 井酒(いざけ)は風呂を上がり、少し疲れがとれたな…と思いながら、寝室へ入った。そして、いつものようにクローゼットに入れてあるパジャマを着てベッドへ潜(もぐ)り込んだ。と、そのときである。まさかそんなことはないだろう・・と思われる事態が井酒の目(ま)の当りで起きたのである。一匹の蜘蛛(くも)がスゥ~~っと天井(てんじょう)から糸を延ばし、井酒の目前まで下りてきたのだ。井酒の驚きは尋常(じんじょう)なものではなかった。それも当然で、寝室には蜘蛛など入る隙間(すきま)もなく、いったいどこから現れたんだ? と首を傾(かし)げたくなるような事態だったからである。
「ギャア~~~!」
 別に虫嫌いではなかったが、不測の事態に井酒は絶叫(ぜっきょう)してベッドから飛び出していた。そのときふと、井酒の脳裏に、郷里の田舎で言われたことのある、言葉が浮かんだ。
『夜に蜘蛛を見たらな、悪いことが起きるぞ!』
 そんな馬鹿なことはないさ…と思いながら聞いていたことを思い出したのだ。井酒は迷信を信じるようなタイプの青年ではなかったから、いつしか忘れてしまった。転勤で上京してこのマンションに住み始めたのが二年前で、ようやく暮らしにも馴れた矢先だった。そこへ今夜のこの事態である。迷信を信じない井酒にも、不吉(ふきつ)な感情が頭を掠(かす)めた。
 その次の日、いつものように会社で勤め、昼休みとなった。井酒は同じ課の中久保と行きつけの定食屋で、いつものように話しながら食べていた。
「俺のマンションに昨日(きのう)な、蜘蛛がいたんだよ…」
 井酒は昨夜の異常事態を中久保に語った。
「ふ~ん、そうか…でも、よかったじゃねえか。夜に蜘蛛を見りゃ、いいコトがあるって言うぞっ! 俺も見て、いいコトあったぜっ!」
 中久保は微笑(ほほえ)みながら、最後の楽しみに取っておいたタレのついた肉団子をパクリ! と頬張(ほおば)った。
「ああ…」
 井酒は、そうなんだ…と思った。
 迷信とはそんなもので、別の結果になることも、実は、よくある。

                            完

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2017年7月 5日 (水)

よくある・ユーモア短編集-70- 急がば回れ

 仕事を終え帰宅した魚川は夕方、コツコツと炊事をしていた。というのも、妻の藻花(もか)がお産のため入院しているためだった。
「ああ、しんどいなあ…」
 愚痴ともつかぬ独りごとが思わず口から零(こぼ)れた。何か作ろうと…とは思ったが、何を作るか・・までは決めていなかったから、魚川はキッチンに立ち、腕組みをした。だが、これ! という食べたいものが浮かばない。仕方なく茶の間へと引き返し、テレビのリモコンを押した。すると、別に番組を選んだ訳でもないのに料理番組が画面に映し出された。
『え~今日は、鮭(さけ)の[鍋風仕立て]ですね?』
『はい。調理は至って簡単ですから…』
 アナウンサーが調理士に振り、調理士は馴れたようにスンナリと返した。その画面を観ながら、魚川は、『石狩鍋じゃないんだ?』と、一瞬、どんな? と思ったが、調理が簡単と聴こえ、これにするか…と思い立った。上手(うま)くしたもので、昨日の仕事帰りに寄ったスーパーで食材はかなり買い込んでいた。確か、その中に鮭パックがあったことを魚川は思い出した。よし! 決めたっ! と、勇(いさ)んで立ち上がった魚川はキッチンへと急いだ。ところが、である。冷蔵庫の中には鮭パックはなかった。はて? と、中をくまなく探したが、やはり見つからない。気は急いていたが、見つからないものは仕方がない。自分に腹が立ってきた魚川だったが、怒っても仕方がない…と諦(あきら)めようとした。そのとき、だが待てよ! と気分が変わった。ここは一つ、バタバタと探さず、ゆっくりと考えよう…と思った。急がば回れ・・の発想である。魚川は昨日の帰宅したときの映像を脳裏に描いた。片手に買い物のレジ袋を持っていた。…レジ袋は有料だったな…あっ! そんなことはいいんだ…袋を持ってドアを閉め…。魚川は順々に昨日の映像を追った。そのとき、魚川は思い出した。飼い猫のパコに鮭をやったことを…。鮭パックは無塩のもので、2パック買ったのだった。その中の1パックを猫の食事用トレーに入れた訳だ。でもな…と魚川はまた回り回り考えた。もう1パックあるからな…。そのとき、また魚川は、そうだった! と思った。もう1パックは猫トレーの上のキッチン棚(だな)に置いたぞ…と。魚川はキッチン棚を見た。やはり鮭パックは、『お忘れですよ…』とでも言いたげに置かれていた。なんだ…と魚川は苦笑しながら、[急がば回れ]だな…と思った。
 物事は、落ちついて回り道をした方が上手くいくことが、確かによくある。

                            完

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2017年7月 4日 (火)

よくある・ユーモア短編集-69- 似ている…

 疲れていたこともあり、のんびりと出かけることにした宇佐山は、10時過ぎにブランチ[朝食と昼食を兼ねた食事]を済ませると、家を出た。腕を見ると、思ったよりは早く、11時にはなっていなかった。
 いつもよく通る道を歩いていると、これもいつものように人がチラホラと見え始め、街へ入ると、やがて人々がワイワイ、ガヤガヤと話しながら歩く雑踏になった。まあそれでも、それもいつものことだったから、取り分けて気にする風でもなく宇佐山は歩いていた。しばらくしたときだった。ふと、前方から対向して近づく中年男に宇佐山の視線が合った。瞬間、宇佐山はその男が馬に見えた。その男が通り過ぎた瞬間、宇佐山は思わず、「似ている…」と呟(つぶや)いていた。
「はっ?!」
 距離が近かったこともあり、その男は立ち止って振り向くと、宇佐山に訊(き)き返してきた。
「いえ! 失礼しました。人違いです…」
 一礼して宇佐山はソソクサと去った。『まさか、馬違いでした』とも言えんしな』と宇佐山は思いながら、フフフ…と笑みを浮かべた。そして、しばらくまた商店街を歩いていると、また一人の男と視線が合った。普通の若者だったが、どこから見ても山羊(やぎ)だった。宇佐山は通り過ぎたとき、また「似ている…」と小$声を出していた。
「んっ?! なんですか?」
 若者は、瞬間、変な顔をして訊(たず)ね返した。
「すみません。人違いでした…」
 宇佐山はすぐ頭を下げ、謝(あやま)った。変な人だ…とでも言いたげな顔つきで若者が去ると、宇佐山は人の顔を見ないよう、下を向いて歩きだした。
 腹が空いたので一軒の洋食屋に入ろうと顔を上げた、そのときである。商店街の街路を歩く人の顔が、すべて動物に見えたのだった。牛も河馬(かば)も豚(ぶた)もいた。宇佐山は立ち止って目を擦(こす)ったが、やはり人々の顔はすべて動物だった。こりゃ、動物園へ行く手間(てま)が省(はぶ)ける…と、宇佐山はニンマリとした。
 まあ、こんなことは、そうない話だが、ふと、○○○に似ている…と思うことは、よくある。

                             完

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2017年7月 3日 (月)

よくある・ユーモア短編集-68- 緩(ゆる)む

 町役場の財政課長である川竹は朝から似合わない日曜大工に励(はげ)んでいた。かなり前に取りつけた棚がグラついて物を載(の)せられなくなったからだ。整理していらなくなった陶磁器類を新聞紙に包んでダンボール箱に収納したまではよかったが、重くなった箱を載せようと思った途端、グラッ! ときたのだ。オット!! と、危うく片手で支(ささ)えて箱を下ろし、川竹はやれやれ…と安息(あんそく)の吐息(といき)を漏(も)らした。そのとき、川竹は問題の棚(たな)を眺(なが)めながら、『ゆるんだのか…』と思った。棚を支える板木のボルトを見ると、やはり緩(ゆる)んでいた。すでに夕方近くだったから、修理は後日、することにした。
 夜になり、録画しておいたテレビの囲碁番組を観ていると、勝った棋士が最後に解説していた。
『…は、緩(ゆる)む手となり、まず打たないと思いまして、付け越しました。それがよかったようです…』
 川竹はそれを観ながら、『ゆるんじゃいかんな、ゆるんじゃ…』と偉(えら)そうに思った。それが一週間前の日曜だったのだが、その棚の修理が気になり、一週間を職場でイライラしていた訳だ。
「課長、予算要求書の素案が出来ました…」
 課長補佐の武藤が川竹に伺(うかが)いを立てた。
「んっ? ああ! そこへ置いといて。あとで見るから…」
 虚(うつ)ろな眼差(まなざ)しで、アングリと川竹は武藤に返した。 
「どうしたんです? 課長。ここ最近、少し怪(おか)しいですよ…。大丈夫ですか?」
「いやなに…なんでもない、なんでもない。少しゆるんだだけだ」
「えっ?」
「ははは…こっちのことだ」
 川竹は潜在意識が緩んでいたのか、[ゆるむ]という言葉を知らず知らず口にしていた。武藤は笑って暈(ぼか)した川竹の顔を訝(いぶか)しそうに窺(うかが)いながら、前の席へと戻(もど)った。
 一週間前、そんなことがあったのだが、少し板木を調整したあと、無事にボルトを締め付けて川竹は欠伸(あくび)を一つした。よくよく考えれば、昨日の夜、『あしたは修理するぞっ!』と意気込んだまではよかったが、それが祟(たた)って、なかなか眠れなかったのだ。それが欠伸となったのである。ともかく一件落着し、川竹はアングリした顔で妻の顔を見て、『これは…』と、深い溜息(ためいき)を一つ吐(つ)いた。
 長く続くと、物、、事、組織によらず、緩むことは、よくある。

                           完

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2017年7月 2日 (日)

よくある・ユーモア短編集-67- 無性に食べたい

 岳山は、よく食べる男・・として社内で名を馳(は)せていた。自分でもそれは分かっていて、取り分けて腹が立つこともなく、今日に至っていた。そんな岳山だったが、彼には一つの生れ持っての体質があった。ふと、無性に食べたくなるのである。その発作(ほっさ)のような食欲は、食物を目の前で見たときであろうと、脳裏(のうり)に浮かべたときであろうと、関係なく起きた。そうなると、もう駄目(ダメ)で、岳山は歯止めが利(き)かなかった。それが仕事中であろうと、のんびり風呂に浸(つ)かっているときであろうと、駄目だった。
 ある日、岳山は社内の後輩社員の結婚式に招かれ、出席していた。披露宴には多くの招待客がテープルを囲んで座っていた。岳山もその中の一人だった。
「新郎、新婦によります、入刀でございます。ご列席の皆さま、盛大なる拍手をお願いいたします…」
 進行を任(まか)された司会者のマイク音が響き、紅白のリボンで飾られたナイフを持つ新婚カップルが、特大ケーキの前へ立ったそのときである。岳山は二人ではなく特大ケーキに目が釘づけになり、突然、無性に食べたい…と思った。もう、こうなるといけない。岳山は別人と化した。フラフラっとテープル椅子から立ち上がると、スポットライトを浴びた二人をめがけ、近づいていった。そして、頭からケーキにかぶりついたのである。こうなればもう、式は滅茶苦茶(めちゃくちゃ)になる…と思われた瞬間、場馴れした司会者は機転を利(き)かせた。
「ははは…皆様、これは事前に当方からお願いをいたしておりました岳山様によりますサプライズの余興でございます。盛大なる拍手をお願いいたします!」
 そう言いながら司会者はスタンド・マイクの前で自らも拍手をした。岳山の行動に呆気(あっけ)に取られ、静まり返っていた招待客だったが、司会者に釣られ疎(まば)らに拍手を始め、やがて拍手の音は大きくなっていった。司会者のマイク音で我に返った岳山は、顔をケーキに埋めている自分に気づいた。ムシャムシャ食べた直後だったから、これはもうどうしようもない。岳山は慌(あわ)ててケーキから顔を引き抜くと、その顔のまま招待客が座るテープルを向き、深々と一礼した。その瞬間、大爆笑と割れんばかりの拍手が、ふたたび起きた。その中を罰(ばつ)悪く、ペコペコと頭を下げながら岳山は早足で退場し、洗面所へと走った。
 まあ、岳山のようなことはないとしても、時折り、無性に食べたい…と思うことは誰にも、よくある。

                            完

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2017年7月 1日 (土)

よくある・ユーモア短編集-66- 探(さが)す

 久しぶりに休めることになった外科医の南波(なんば)は、朝の朝食を済ませ、満ち足りた気分でコーヒーを飲みながら新聞を呼んでいた。買い物に出るには、まだ少し時間があるな…と瞬間、思った南波は、新聞を読む手を止めると、何げなく立ち上がった。庭の雑草が少し生えていたことを、そうだ! と、思い出したのだ。思いつけば、やらないと気が済まない性分(しょうぶん)の南波だったから、当然、動いた。
 庭が見渡せる廊下のガラス戸を開け、足継ぎ石から外へ降りた南波は、いつも除草作業で使っている小ぶりのシャベルを出そうと収納してある置き場へと取りに行った。ところが、である。いつも置いているところにシャベルはなかった。はて? と首を捻(ひね)った南波だったが、思い当たる節(ふし)はなく、妙だなあ…と、置き場の下、右横隅、左横隅・・と探(さが)し回った。が、やはりどこにもシャベルはない。これでは作業ができないぞ…と意固地になった南波は、また、あちらこちらと探す行動に没頭(ぼっとう)した。15分ばかり探したが見つからず、弱ったぞ…と南波は停止して、庭から上がることなく廊下へ腰を下ろした。腕を見ると、思ったほど時間は過ぎていなかった。別の日でもいいか…と一端は思った南波だっだが、やはり、思いついたことはやらないと気が済まない性分が、それを許さなかった。南波は別の小ぶりの金属道具を手に除草を始めた。そして時間は流れた。ひと通り、作業を終えた南波は、やれやれ…と溜飲(りゅういん)を下げ、自分自身に納得して作業を終えた。上手(うま)い具合に頃合いの時間になっていた。頭の中には、シャベルはどこに? …という意識がまだ残っていたが、除草を済ませたお蔭で見つけられない蟠(わだかま)りは南波の心中で小さくなっていた。その後、南波は買い物に外出し、ふたたび家へと戻(もど)った。腕を見ると、昼前になっていたが、昼にはまだ少しあった。よし! もう一度、探すとするか…と、南波はふたたび廊下の足継ぎ石から庭へ下りた。そして、ないだろうが…と諦(あきら)めながらブラリと庭をひと巡(めぐ)りして足継ぎ石へ戻ったときである。何げなく見た視線の先に、これも何げなくシャベルが横たわっていた。そのとき、あっ! と南波は思い出した。そうそう、植え替えで使ったとき、急患の連絡が入り、そのままになってしまったんだ…と。罰(ばつ)悪く、な~んだ…と思わず笑みが零(こぼ)れ、南波はボリボリと首筋を掻(か)いた。
 探すことをやめたとき、何げなく見つかる・・ということは、確かによくある。

                            完

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