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2017年8月

2017年8月18日 (金)

思わず笑える短編集-14- 馬鹿と利口

 課長補佐の川久保は、書類を手にコピー機へ向かいながら、馬鹿とハサミは使いようか…と、ふと思った。ならば、利口な場合はどうする? と、また思った。利口は、いろいろと対応を考える。馬鹿のようにスンナリ右から左へとは動いてくれない。その対応が、使おうとする者にとって厄介(やっかい)だったり、場合によると邪魔になってしまうのだ。左から右に動かれ、反発を食らうことも覚悟せねばならない。考えるなっ! とも言えず、難儀(なんぎ)なことになる訳である。かといって、馬鹿ばかりだと仕事にならない。
「君、これ…済まんが、ついでに頼むよっ!」
 課長の豚原(ぶたはら)は、営業先へ向かおうと席を立った餌場(えさば)に声をかけた。豚原の手には一通の封書が握られていた。
「はいっ! ポストへ入れておきます…」
 餌場は快(こころよ)く引き受け、封書を受け取った。私用ながら、豚原は課長という目に見えない地位の差を利用して餌場を使ったことになる。餌場は馬鹿ではないが、豚原によって利口に使われた・・ということに他ならない。この二人の話を同じ課の川久保は書類のコピーをしながら見聞きしていた。そのとき、川久保は思った。課長は利口に餌場を使った訳だな…と。川久保は今、昼をどこで食べようか…と、豚原を使おうとしていた。豚原は食い道楽で食い馬鹿だったから、使えるはずだ…と川久保は使おうとしたのだ。
「これ、プレゼンの書類です。あとでお目通しください」
「んっ? ああ…」
「おっ! もう、こんな時間か。課長、昼、どうします? いい店が近くに出来たんですがね」
 川久保は豚原を使い始めた。
「いい店か…じゃあ、行ってみるか」
 豚原は川久保によって上手(うま)く使われそうになった。毎度のことながら、豚原はプライド上、部下には必ず奢(おご)ってくれた。川久保が上手く使ったというのは、その癖(くせ)を見逃さなかったことである。事実、川久保はこの日も絶品の食事をゲットした。
 馬鹿と利口を上手く使えると、世間はスンナリと生きられる。

                            完

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2017年8月17日 (木)

思わず笑える短編集-13- 感情の乱れ

 ここは無用山存在寺の境内(けいだい)である。朝からポクポクポクポク…と木魚の音が本堂から聞こえてくる。この辺(あた)りに土地勘がない壺坂は木魚の音に釣られ、探している家をこの寺で訊(たず)ねよう…と思い立った。なんといっても、寺なら詳(くわ)しいだろうと踏(ふ)んだ訳だ。
「あの…」
 壺坂は本堂の戸をスゥ~っと音もなく壺坂は開け、呟(つぶや)くように遠慮気味の声を出した。
「!? …はい、どなたですかな?」
 木魚を叩(たた)いていた僧侶(そうりょ)らしき出で立ちの男は、壺坂の声にギクリッ! としたのか木魚を叩(たた)くのを止め、振り返りながら腓(こむら)返った声で言った。壺坂はその声に明らかな感情の乱れを見て取った。修行が全然、足りんな…と、一瞬、壺坂には思えた。
「恐れ入れます。通りすがりの者ですが、つかぬことをお訊(たず)ねいたします。この辺りに宗吉(むねよし)さんという家はございませんでしょうか?」
「宗吉さん? でございますか? さあて…お聞きしないお家(うち)ですな。当方の檀家(だんか)さんにはございませんが…」
 いつの間にか腓返った声を元に戻(もど)し、僧侶とほぼ思(おぼ)しき男は霊験(れいけん)あらたかそうに襟(えり)を正すと、僧侶らしく言った。
「さよですか、どうも…。生憎(あいにく)、この町には親戚筋がないものでして…」
「ほう! なるほど…」
「そこの交番ででも訊ねてみます…」
「どうぞ、お好きなように…」
 僧侶らしき男は、初めからそうすりゃいいじゃないかっ! とでも言いたげに、霊験を失った俗っぽい感情の乱れた声でそう言った。壺坂は、まあこの程度の寺か…と感情の乱れで思った。
 感情の乱れは人々を危(あや)うくする。冷静になれるコツを体得することが世間で沈まない秘訣(ひけつ)なのかも知れない。

                             完

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2017年8月16日 (水)

思わず笑える短編集-12- 細々(こまごま)と

 テレビがいろいろな党のいろいろな質問と、政府によるいろいろな答弁を映し出している。
「ほう! …委員会か」
 委員会の名が瞬間、口に出ず、吉川は暈(ぼか)すように呟(つぶや)いた。
「日本は細々(こまごま)と党が多いな…。これじゃ選べんから票が少ないはずだ…」
 最近、海外から日本へ帰国した吉川には今の政治が分からず、好きなように言えた。しばらく観てテレビを消すと、吉川はキッチンへと向かった。小腹がすいたから何か食べよう…と思ったのだ。冷蔵庫の中には細々といろいろなものが入っていた。アレもいるだろう…コレもいるだろう…と選ばず適当に買ったからか、相当な量が入っていた。まあ海外じゃ、こんなものさ…と、吉川は自分の行動に無理やり正当性を持たせ、納得した。
 適当に食べようと思っていたが、案に相違して何を食べるかで迷い、殊(こと)の外(ほか)、時間を取られた挙句(あげく)、結局、カップ麺になった。細々とあるのは迷うし腹が立つ…と吉川は、また思った。カップ麺を食べ終えると、久しぶりに遠出して車を飛ばすか…と、吉川はドライブを思い立った。クローゼットを開けると、また着るものが細々と入っていた。吉川は何を着る…と、また迷った。コレっ! という気に入ったものが、今一つなかったのだ。細々とあるのも考えものだな…と吉川は衣類を整理することにし、選択し始めた。だが、いざ捨てようと思ったものが、こういう場合もあるぞ…と思うと捨てられず、結局、時間をかけて分別した結果、ほとんどの衣類が残っていた。
 票は入れられないわ、食べるものは迷うわ、外出は出来ないわ、衣類は残るわ…など、細々とあると、選択に手間取り、好結果が得られない。

                           完

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2017年8月15日 (火)

思わず笑える短編集-11- 取り扱い説明書[取り説]

 消耗品を除くおおよその機器、備品などには取り扱い説明書[取り説]がついている。使用方法や組み立て方法が複雑になればなるほど、取り説の重要性は増す。
「なになにっ! 部品AをCの穴に差し込んだあと、Bと繋(つな)ぎ合わせてDとし、そのDをFに接着するだとっ!!」
 畑石(はたいし)は日曜の朝、昨日、勤め帰りに買った模型を組み立てていた。部品Aを探し始めた畑石だったが、なかなか部品Aが見つからない。畑石は、しばらくの間、箱の中をガサゴソと探し続けた。
「チェッ! これはGじゃないか。AだよA! 俺が探しているのはっ!」
 腹立たしくて口にせずにはいられなくなり、畑石は手にした部品Gを見ながら恨(うら)めしげに思わず独(ひと)りごちた。
 部品Aは、こともあろうに部品Mの裏側に隠れるように付いていた。畑石が発見できたのは、数十分後だった。やっと見つかった晴れやかな喜び・・そのような気分は畑石に浮かばず、それどころか組み立て続ける気力そのものが萎(な)えていた。
「ちょいと、休むか…」
 気分をリフレッシュするため、畑石はコーヒータイムをとることにした。そうして、また作業を再開した畑石だったが、最後の詰めのところで、ふたたび難題に突き当たった。取り説には次のように書かれていた。
「ほどよく接着できた完成品は、太陽光で完全に乾かしてください・・だとっ!」
 生憎(あいにく)、その日は曇(くも)り空で、日射(ひざ)しがなかった。
「どうするんだっ! えっ! どうするんだっ!」
 畑石は窓から見える薄墨(うすずみ)色の空を見ながら、ふたたび恨めしげに独りごちた。作業を中断して二時間ばかりが過ぎ去ったとき、空に晴れ間が覗(のぞ)き始めた。
「おおっ!」
 畑石は慌(あわ)てて模型を手にするとベランダへと走り、日の光に翳(かざ)した。どういう訳か、安らいだ気分に畑石は満たされた。あとは電池を装着し、スイッチをONにすれば模型は始動するはずだったこともある。
 しばらくして模型が完全に乾ききったことを確認した畑石は、電池を模型に装着して散らばった作業場のあと片づけを始めた。そのときである。ふと、取り説の裏面が目に入った。そこには、次のように書かれていた。
 ※ {1}部品Aは部品Mの裏に付いています。
   {2}完成品は必ず太陽光で乾かす必要はありません。
「表に書いておけっ!!」
 畑石は取り説を手にしながら腹立たしさで三度(みたび)、独りごちた。
 自分の判断も重要で、取り扱い説明書に頼り過ぎると畑石のようなことになる。

                           完

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2017年8月14日 (月)

思わず笑える短編集-10- 検索

 世の巷(ちまた)にパソコンが蔓延(はびこ)るようになって幾久しい。思えば、1998年、某社のシステム・ソフトが発売されるに及んで、黒山の人だかりが起こり、世界は物流の大きな転換期を迎えた。そして現在、パソコンは人々にとって欠くことの出来ない存在となりつつある。なんといってもパソコンを利用した検索は便利で、情報を容易に得る手段として格好の機能となっている。
「課長、調べときましたっ!」
 市役所、商工観光課の高岩(たかいわ)は、まるで鬼の首を取ったかのような大声で唸(うな)った。課内に響き渡るような声に、課員一同が高岩のデスクへ一斉(いっせい)に視線を走らせた。
「…」
 課長の押花(おしばな)は一瞬、なんのことだ? と、返答できなかった。
「いやだなぁ~、動物園ですよ、動物園」
「あっ! ああ…アレな? そうそう、動物園。アレ、どうだった?」
 新しく市営動物園が開設されることになったのだが、事業展開の予算執行が始まる来年度までに、市の総合開発計画の一環として、商業観光課はその中心的存在に祭り上げられていた。去年までは、窓際(まどぎわ)族とまではいかない程度の者達が島流しのようにショボく勤めていた職場だった。それが俄然、脚光を浴びるようになったのは市の活性化策を盛り込んだ予算が議会で承認された直後からだった。今や、高岩を含む商業観光課の全員は一躍(いちやく)、英雄的存在だった。
「いやぁ~、維持費、減価償却費、管理費など、どの自治体でも、いりますねぇ~」
「そら、いるだろう…」
 押花は、当たり前のことをいうヤツだな…という顔で高岩を朧(おぼろ)げに見た。
「大都市圏では、それなりに五十歩百歩で潤(うるお)ってるようですよ。まあ、景気がよかった頃に比べると今一みたいですが…」
「その検索、間違いないんだろうな?」
 そのとき、バタバタと音がして、出張から帰った安川が課へ入ってきた。
「課長、甘かったですね。二、三、回りましたが、どの市も採算が…。もう一度、計画は一から見直した方がいいようです。展開してからでは遅(おそ)いですから」
「やはり、そうか…。部長以上にはそう言っておく。安川君、ごくろうさん」
押花は渋面(しぶづら)を作り、高岩を見ながらそう言った。現実を直視しない電子システムの検索は、時折り、想定外の間違いを結果とするのである。

                         完

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2017年8月13日 (日)

思わず笑える短編集-9- 見下(みくだ)す

 世の中で人と対するとき、自分の置かれた立場、例えばこれは地位とか名誉とか裕福な資産がある場合なのだが、対等であるにもかかわらず、知らず知らず相手に対し、いつのまにか見下(みくだ)して話している。そのことを話している当の本人は知らないから、余計に具合が悪い。こうなると相手は、話しているというより、よく語るな…、あるいはよく講釈をたれるな…などと、少なからず腹が立つことになる。
「なかなかいい陽気になりましたが、一昨日(おととい)の季節外れの雪には参りましたよ、ははは…」
 隠居の裾野(すその)は垣根越しで隣りの隠居、向峰(こうみね)と話していた。
「この冬はエルニーニョとかで暖冬でしたからな。ほほほ…北条は侮(あなど)れません」
 向峰は口髭(くちひげ)を指で撫(な)でつけながら、達観したように少し偉(えら)ぶって返した。
「はっ?」
 意味が分からず、裾岡は訝(いぶかし)げな顔つきで向峰を見た。
「いやなに…テレビの話ですよ、ほほほ…あなたには、お分かりにならんようですな」
 相変わらず見下しぎみに話す向峰は、達観したように、また口髭を撫でつけた。裾岡は、この言われように少しカチン! ときた。一体、何さまのつもりだっ! と怒れたのである。
「分かりますよっ! ええ、分かります。北条は絶えますっ!」
 興奮した裾岡の口は、思わず禁句を発していた。
「絶えはしないでしょうがな、ほほほ…」
 程度の低い人だ…とでも言いたげに、向峰は裾岡を見下した。
「ちょっと、急ぎの用を思い出しましたので…」
 見下された裾岡は、罵声(ばせい)になるのを避けるように、垣根から引っ込んだ。
 見下すような物言いは、どのような場合でもよい結果を生じない。

                           完

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2017年8月12日 (土)

思わず笑える短編集-8- うっかりミス

 集中力を欠くと、うっかりミスが起こる。これが度重(たびかさ)なると、ガサツな人…と思われがちで、人の信用は失墜(しっつい)する。このような人物は人の上には立てず、精神の修養が必要となる。会社とかの研修は、こういう場合に備えるためのものだ。対応する相手は所属する組織外の人や世間の事物だから、好印象、好結果となることが組織としては必要不可欠となる。
「底穴君、明日の資料は大丈夫だろうね」
「はあ、それはもう、万事(ばんじ)手抜かりなく!」
「君は、よく手抜かるからねえ…。いや、君を信用しない訳じゃないんだよ。信用しない訳じゃないんだが、一応、私も目を通しておこうと思ってね…」
 部長から役員待遇に昇格目前の我功(がこう)は底穴を部長席から見上げながらそう言った。
「はあ、そういうことでございましたら、お持ちいたします…」
 底穴も課長昇進の時期だったこともあり、胸を張って返すと、急いで係長席へ戻(もど)った。だが、出来た書類には表面上では分からないうっかりミスがあった。ただそれは、書類枚数の末尾近くで、枚数が多い書類では、見逃しがちな程度のものだった。
 書類に目通しし始めた我功だったが、枚数が多かったため、うっかりミスをし、前あたりで目通しをやめた。
「まっ! これなら大丈夫だろう…」
 我功は大丈夫と思ったが、ちっとも大丈夫じゃなかった。だが先方の会社も、そのうっかりミスをうっかりミスで美落とした。双方、1勝1敗で痛み分けとなった。その後、我功にも底穴にも先方の会社にも、…という結果が待っていた。…については、敢(あ)えて吉凶は、さし控(ひか)えたい。^ ^

                            完

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2017年8月11日 (金)

思わず笑える短編集-7- ドミノ伝達

 することもなく街に出てみようか…と、太月(たづき)は春の陽気の中、のんびりと商店街へ入った。人通りは多くも少なくもないようで、いつもと変わりがないように思えた。
 しばらく太月が商店街を歩いていると、前方にかなり大きな人だかりが出来ているのが見えた。なんだ? と瞬間、思えた太月は早足で近づいていった。
「なにかあったんですか?」
 人だかりの外側の一人に、太月はそれとなく訊(たず)ねた。
「いや、私もよく分からないんですよ…。あの、なんなんですか?」
 太月が訊ねた男は、背を向けて覗(のぞ)き込む内側の男にもまた訊ねた。
「さあ…なんなんですか?」
 その内側の男は、背を向けて覗き込むそのまた内側の男に訊ねた。
『さあ… …』
 そのまた内側の男は、そのまたまた内側の男に訊ねた。ドミノ伝達である。もはや太月には答える男の声が聞こえなくなっていた。それも当然で、かなり大きな人だかりのガヤガヤした喧騒(けんそう)が、そのまたまた内側の男の声を消したのだ。結局、太月は人だかりの後ろ姿を見るばかりで、その騒ぎが何なのか知り得ず、立ち去ろうとした。そのときだった。人だかりの内側から小さな声がした。その声は徐々に大きくなり太月めがけて近づいてきた。逆ドミノ伝達である。太月は足を止めた。
「ああ、そうですか…。ここで、昨日(きのう)撮(と)られた宇宙人の写真ですか。…だ、そうです」
 前の男は振り返ると、訊ねた後ろの男に返した。
「ここで、昨日撮られた宇宙人らしいです」
「ああ、そうですか…。ここで昨日、捕(と)らえられた宇宙人の写真らしいです」
 その後ろの男は振り返り、そのまた後ろの男に返した。
「ここで捕えられた宇宙人の写真らしいです」
 そのまた後ろの男は振り返り、そのまたまた後ろの男に返した。さのまたまた後ろの男は太月だった。
「ああ、そうですか…」
 太月は宇宙人なんかいるかっ! と馬鹿馬鹿しく思え、その場から立ち去った。
 長いドミノ伝達はそのまま伝わらず、内容を変化させる場合が多い。

                           完

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2017年8月10日 (木)

思わず笑える短編集-6- いやだいやだ…

 スーパーでゴチャゴチャと買物をしてお釣りをレジで受け取ったまではよかった田神だったが、そのあとがいけなかった。というのも、買物篭から袋へ入れ替えたとき、手にしていた硬貨を数枚、落としてしまったのである。しまった! と思ったときは、時すでに遅し・・だったが、それでも下に落としたのなら拾えばいい訳だ…と考えることもなく身体を屈(かが)めていた。
 収納台の下の屑篭(くずかご)をずらすと、1円硬貨があった。なおも田神はフロアを探したが、他には見つからなかった。まあ、落としたのはこれだけだったんだろう…と田神は中途半端に納得して、自転車で帰宅した。ところが、である。レシートを見ると、お釣りは8円だった。当然、5円硬貨1枚と1円硬貨が3枚なければならない。だが、5円硬貨がどうしても見つからない。繊細な田神は、ああ、いやだいやだ…と、テンションを下げた。さて、どうしたものか…である。田神は腕を見た。まだ、昼には35分ばかりあった。幸か不幸か、買い忘れた白菜があった。サバ缶と白滝の白菜煮・・これは、まったりと心が和(なご)む和風の一品である。洋食ばかりで、少しそういったものも欲しい頃合いだったから、白菜の買い忘れは主役抜きのようなものでキャスト不足となる。よしっ! もう一度、収納台の下を探すか…と思えた。一石二鳥でもあった。そう閃(ひらめ)いたとき、田神の足はすでに動いていた。
 スーパーへ着くと白菜をまず買った。カードをレジで出そうとすると、「100円以上です…」と言われ、田神は小恥ずかしくお釣りの16円を受け取った。問題はここからだ! と田神は思った。落とした収納台の下に5円が落ちているか・・それが問題なのである。白菜を袋に入れ、さて…と屈んでフロアを探したが、残念なことに見つからなかった。まあ、寄付したことにしよう…と諦(あきら)めかけたとき、老婦人が「どうかされましたか?」と訊(たず)ねた。田神は瞬間、「いえ、いいんです…」と小さく言って立ち去った。よく考えれば。何がいいのか分からないのだが…。少し、いやだいやだ…の気分は解消されたが、少し寂しい思いがした。

                           完

 ※ 田神さんの話によれば、レジに並んでいたとき、何も買わずにレジを通過した者がいた・・という経緯はあったようです。^^ それが関係しているのか? は別として、目に見えない出来事は怖いですね。この世の警察では分かりませんから…。^^

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2017年8月 9日 (水)

思わず笑える短編集-5- ああしてこうして…

 蒼辺(あおべ)は春の陽気に誘われ、のんびりと自転車を漕(こ)いでいた。ギコギコと走らせていると、ああしてこうして…と、これからの予定が浮かんでくる。まずは、久しぶりに昔からある公園にでも行ってみるか…と蒼辺は思った。長い間、寄っていなかった・・ということもある。記憶に残るのは数十年前で、当時はよく親子連れもいた小奇麗な公園だったが、その後どうなったかまでは知らない蒼辺だった。公園でしばらく時を過ごし、小腹が空(す)いたところで、近くにあるはずの洋食屋、マロンで美味(うま)いステーキを食べる。確か…¥1,600ばかりでブランド牛の安価で柔らかい、舌が蕩(とろ)け落ちそうな絶品味が賞味できるはずだった。そして、腹が満ち足りたところで、その隣(となり)の珈琲専門店、楽園で食後の至福の一杯を味わう。カプチーノがいいか…と蒼辺は思った。そしてそのあとは…。まあ、そのとき考えれぱいい。蒼辺はそんな、ああしてこうして…を頭に思い描き、自転車を漕ぎ続けた。
 公園へ入ると、公園は案に相違して人っ子一人いなかった。そればかりではない。荒廃した佇(たたず)まいは、もはや公園と呼べるものではなかった。座り心地のよかった木製ベンチも足の一本が朽(く)ち果てて折れ、僅(わず)かな傾斜角で傾いていた。しばらく時を過ごすつもりの蒼辺だったが居たたまれず、洋食屋のマロンへ向かった。ところが着くと、店は定休日で閉まっていた。蒼辺が思い描いたああしてこうして…は、二つまでも思いは果たせなかった。仕方がない…と蒼辺は隣の楽園前で自転車を止めた。そのとき、である。
「すみませんねぇ~、今日は臨時休業なもんで…」
 店主らしき男が出てきてシャッターを閉じ始めた。
「ああ、そうですか…」
 仕方なく、蒼辺は元来た道を戻(もど)り始めた。このままかっ! と、蒼辺は無性に腹が立った。いつの間にか知らない道を辿(たど)っていた。すると妙なもので、見たことがない和食の料理屋が目の前に現れた。蒼辺は店に入った。すると、メニューに美味(おい)しそうな写真入りの品書きがあった。蒼辺はそれを注文し、満足げに食べ終えた。すると、オーダーしていないのに、和菓子と抹茶茶碗を盆に載せ、店主が持って現れた。
「初来店のお客様への開店記念のサービスでございます…」
「ああ、そうですか…」
 ああしてこうして…は果たせなかったものの、気分よく蒼辺は帰宅した。それ以降、蒼辺は、ああしてこうして…と考えるのはやめている。
 まあ物事は、考えず動くと失敗して上手(うま)くいかないものだが、ああしてこうして…と考え過ぎるのも上手くいかない場合が多い。

                        完

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2017年8月 8日 (火)

思わず笑える短編集-4- やりなおし

 物事には、しまった! と気づき、やりなおしになる場合がある。早く気づけばいいが、今一歩のところで…というときに、しまった! と気づくケースは、いただけない。すべてが水泡(すいほう)に帰す・・とは、まさにこのことで、初めからまた始めなければならないからだ。ほんのごく短い時間とか、そんな大して手間取らないならいいが、数年を費やしてやってきたこととか、かなり長期に及ぶ場合だと、投げ出したくなる・・というものである。
 二日の行程で羽崎(はざき)は山を縦走し、下山する帰途を辿(たど)っていた。山小屋を今朝出た計算で行けば、あと小一時間で麓(ふもと)へ着く計算である。そう急ぐ必要もないと、羽崎はのんびりと歩をゆるめていた。ところが、である。さて、この辺りで休憩しようか…と思ったとき、とんでもないミスを犯していることに気づいた。それは、この登山目的の根幹を揺るがしかねない事態で、軽く笑って済むような話ではなかったのだ。こんなポカミスをなぜっ!! と羽崎は自分自身に腹が立った。というのは、このままでは下山できないミスだった。パンフレットに載せる写真を撮ったネガフィルムの袋を今朝、出た山小屋に忘れたことを思い出したのである。さあ、どうする! …と羽崎は冷や汗を流し、うろたえた。締め切りは幸い、三日後だったから、下りてきた道を山小屋まで取って返せば、なんのことはない…と気づいた羽崎は、休憩をやめ、また下りてきた道を逆に登り始めた。今日中には山小屋へ着くから、山小屋で一泊し、明日(あす)の朝、下りればいいさ…と思いなおし、うろたえた気分も消え去った。
「あの…お預けしておいた袋は?」
 山小屋へは昼前に戻(もど)れ、羽崎はさっそく山小屋の従業員に預けたフィルム入り袋を返してくれるよう話した。ところが! である。
「えっ? 朝、お返ししましたよっ。嫌だなぁ~」
 山小屋の従業員は、キョトン! とした顔で羽崎の顔を窺(うかが)った。羽崎としては返してもらった記憶がなかったから当然、従業員の言葉は解(げ)せなかった。
「そんな馬鹿なっ! 返してもらってませんよっ!」
「いやいやいや、下山されるというので、会計をしたとき確かにお返ししました」
 話し合いは数十分に及んだが、水かけ論となり、いっこう消えたフィルム袋は出てこなかったのである。羽崎は、これでは埒(らち)が明かん! と、やりなおしを考え始めた。
「あの…フィルムは売ってますか?」
「ああ、はい…。普通のフィルムなら」
「それで結構ですっ!」
 羽崎は山岳写真家だったから使用しているフィルムは専用フィルムだったが、そんな贅沢(ぜいたく)を言っている場合ではなかった。フィルムを購入したあと、羽崎は撮りながら来たルートを逆縦走し、最初に登り始めた地点へ無事、下山した。締め切りは明日だったが、それでもまあ、間にあうことは間に合ったのである。
 やりなおしにならないよう注意しないと、苦労することになるが、まあ、人が上達するいい薬にはなるようだ。

                        完

 ※ 紛失したフィルム袋は山小屋の前に落ちていたそうで、後日、郵送されたとのことです。しかしそのときは締め切り後で、結局、羽崎さんの苦労は無駄ではなかったということです。よかった、よかった。^^  

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2017年8月 7日 (月)

思わず笑える短編集-3- 早い

 うっかり、朝寝坊した浅見はカップ麺で、遅(おそ)めの朝食を済ませた。時の流れの、なんと早いことか…と有名な文学者にでもなった気分で思ってみた浅見だったが、よくよく考えれば、寝坊しないよう目覚ましをセットし、○時には起きるぞっ! と意を決して眠ればよかったのだ。単にもうこんな時間か…と寝たものだから、迂闊(うかつ)といえば迂闊だったのだ。そんなことを思っている間に、カップ麺は出来上がっていて、すっかり伸(の)びてしまっていた。浅見は腰のない軟(やわ)い麺をズルズル…と口へ運びながら、ああ、俺の人生もこんなものか…と侘(わ)びしく思った。気づけば、何もない人生の2/3以上が過ぎていた。浅見は、早い…と、また思った。
 ようやく食べ終え、今日は何もすることがなかったな…と巡っていると、昨日(きのう)やり残した修理が残っていたのを、ふと浅見は思い出した。これは急がないとっ! …と腕を見れば、すでに1時を回っていた。慌(あわ)てて浅見は、やり残しの修理に取りかかった。修理は殊(こと)の外(ほか)手間取り、浅見が終わって腕を見ると、すでに5時前になっていた。休憩する間(ま)もなく、楽しみにしていたコーヒーの一杯も飲めない恨(うら)めしい気分で浅見は修理道具を収納し終えた。思わず、時の巡りは早い…と浅見は思った。だがまあ、これからひと息いれればいいか…とインスタント・コーヒーの粉を入れたマグカップに湯を注いだとき、ピンポ~ン! と玄関のチャイムが鳴った。なんだっ! と、浅見は少し怒り気分で玄関へ急ぎ、「はい!」とひと声かけた。するとすぐ、『書留ですっ!』と返ってきた。浅見が以前、受けた入社試験結果の返信の封書だった。結果は合格していた。早いなっ! と思ったが、その早さは浅見にとっては他の早さと違い、いい意味で早かった。
 早い…と感じる場合も、良い悪いと、いろいろある。

                         完

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2017年8月 6日 (日)

思わず笑える短編集-2- 出たのに、また出た

 行楽の春が近くなると、冬眠を決め込んでいた角吹(つのぶき)も、さすがに家を出たくなった。雲雀(ひばり)の声が賑(にぎ)やかで、早く目覚めた・・ということもあったが、暖気のせいか、いくらか気分が花やいだ・・というのが実のところだ。
「やあ、角吹さん。お出かけですか?」
「ええ、まあ…」
 隣りの鹿山は、珍しそうな顔で角吹に声をかけた。角吹は内心、俺だって出かけることはあるさっ! とムカついたが、そう言う訳にもいかず、思うに留(とど)めた。
 しばらく歩くと、見馴れた山裾(やますそ)の畑が見えた。春先には恒例の野焼きが行われる畑は、枯れ草で茶色っぽかった。枯れ草を焼くことにより、地はアルカリ質の肥料を得(え)、しかも害虫の消毒ともなる一挙両得の策だ。しばらくこの辺(あた)りに足を向けたことがなかった角吹は、ひと巡りしてみるか…と、ふと思った。のんびりと歩くつもりで出た家だったから、とり分けて急ぐ必要もなかった。
 通ったことがある細道を進んでいた角吹だったが、しばらく行っところで見かけない家に出食わした。こんなところに家なんかあったか? と訝(いぶか)しく思った角吹だったが、まあ最近、新しく建ったんだろう…くらいに軽く思い、見過ごすことにした。ただ、家が近づいたとき、その家がそれほど新しい家でもなかったのが少し解(げ)せなかった。ところが、である。またしばらく歩くと、まったく記憶にない光景が展開し出した。そんなことはない! と角吹はまた訝しく思え、一端、足を止めて辺りを見回した。だが、やはり一度も通ったことがないところのように思えた。角吹は道を間違え、知らない土地に迷い込んだか…と思った。そう思うと気も漫(そぞ)ろとなり、のんびり歩いている相場の話ではなくなってきた。角吹は焦(あせ)り始め、当然、足は早くなった。そしてまた、しばらく行くと、ようやく見馴れた光景が開けた。しかしそれは、出たはずの角吹の家だった。一周したのか…と、最初、角吹も合点がいった。ところが、である。
「やあ、角吹さん。お出かけですか?」
「ええ、まあ…」
 隣りの鹿山が珍しげに言葉をかけ、角吹は思わずそう返していた。そのとき、おやっ? と角吹は思った。確かに数時間前、この状況はあったぞ! …と。角吹は慌(あわ)てて腕を見た。不思議なことに朝、出かけた時間だった。出たのに、また出たのである。怪(おか)しい!! と角吹は怖くなった。そのとき、目覚ましの音が祁魂(けたたま)しく角吹を襲い、角吹はハッ! と目覚めた。雲雀の声が賑やかに聞こえ、麗らかな春の朝日が窓から射していた。角吹は夢を見ていたのだった。どう考えても、出たのに、また出るという現実はない。

                         完

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2017年8月 5日 (土)

思わず笑える短編集-1- 買ったはずが…

 下岸は買い物に出かけた。取り分けていつもと違うということはなく、ごく有りきたりの買い物をして帰宅した。
 買い物袋を置き、ふと外を見ると、軒(のき)の雨樋(あまどゆ)に落ち葉が積(つ)もり、詰まっているのが見えた。恐らくは昨日(きのう)の激しい豪雨で流れ積もった・・と思われた。このままにしておけば、次に雨が降ったとき、雨水は下へ流れず、溢(あふ)れ落ちることは確実に思えた。このままには、しておけない! と、思う間もなく、下岸は動いていた。脚立(きゃたつ)を物置から出して雨樋の下で立て、上へ昇ると雨樋の落ち葉を少しずつ手で下へ掻き落とし始めた。しばらくすると、詰まっていた雨樋は、すっかり落ち葉がなかった状態へ戻(もど)っていた。下岸は幾らかの達成感を得て、満足げに脚立を元どおり物置へ収納した。さて! と買い物袋を手に家へと入り、買った物を出した。そこまでは何事もなかったように思われた。ところが、である。昼にするか…と、昼用に買って帰ったはずのチラシ寿司のパックを探したが見当たらない。買い物袋の物はすべて冷蔵庫へ収納したのだから、どこへも行くはずがない。買ったはずが…妙だ? と下岸は首を傾(かし)げた。レシートを確認すると、確かにチラシ寿司は買われていた。と、いうことは…と、もう一度、外へ出た下岸は、買い物袋を最初に置いた場所を確認した。だが、やはりチラシ寿司は落ちていなかった。となると…と、茫然(ぼうぜん)と視線を遠くに向けると、パックらしきものが畑の向こうに見えた。下岸が近づくと、食べられたあとのチラシ寿司のパックだった。カラスがカアカアカア…と嗤(わら)う声が聞こえた。してやられたかっ! と下岸は思った。つい、手抜かった失敗だった。どうも、雨樋を掃除している間に運び去られた形跡があった。やはり黒いだけのことはあるな…と下岸は失敗を反省し、油断ならないカラスの周到さに感心した。買ったはずが…と失敗しないためには、油断は禁物なのである。

                          完

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2017年8月 4日 (金)

よくある・ユーモア短編集-100- 始まりと終わり

 始発の電車があれば終電車があるように、始まりがあれば終わりがある。始まったまま放置されると、その物事は終わらず続くから、どんどん溜(た)まることになる。それはまるで、川が堰(せ)き止められ、溜まった水でダムになるようなものだ。国の累積債務だけは、減らして終わらせて欲しいものだ。債務の水嵩(みずかさ)は今も増え続けているというのだから、困ったものである。
「あなたっ! 湯舟、大丈夫っ!」
「あっ、しまった! 出しっぱなしだっ!!」
 妻の久恵に訊(き)かれ、片岸は、ハッ! と、湯を出していたことを思い出し、浴室へ、ひた走った。急ぎの用をやっていたから、軽はずみ感覚で浴室の湯を蛇口から出し始めたのだ。ただ、出したまではよかったが、この行動はまだ、始まってはいなかった。というのも、片岸は浴槽(よくそう)の栓(せん)で蓋(ふた)をするのを忘れていたのだ。これでは、蛇口から勢いよく湯が流れ込んでも、下からダダ漏れて抜けるだけなのである。いっこうに湯は浴槽に溜まらず、激しく出ているだけ・・という構図になる。しかし、片岸の頭では湯舟の湯は溢れそうになっていたから終わっていない・・構図だったのである。現実は始っておらず、片岸や久恵の思いは終わらず、の相違を生じていた。
 半時間後、始まっている中東紛争やテロ、無益な殺戮(さつりく)は終わって欲しいものだ…と、偉そうに考えながら、片岸は自分の失敗を棚に上げ、湯舟にドップリと浸(つ)かっていた。
 始まりは終わりがないと、世の中が乱れることは、確かによくある。

                            完

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2017年8月 3日 (木)

よくある・ユーモア短編集-99- 本音(ほんね)

 人は知らず知らずのうちに自分を飾る。いや、自分は飾ってないぞっ! と言われるお方も、どこかで自分をよく見せよう…と着飾っておられるのだ。それは目に見える外観、見えない心理面の両面を含めてである。
「ははは…何をおっしゃる。たかだか、2億程度の儲(もう)けですよ。大した額じゃない」
 顔で笑いながら、その実、ホールディングス会長の平岡は、どうだっ! 大したものだろう…と内心で自慢していた。この自慢する内心が平岡の本音(ほんね)である。聞いているのは、これも平岡と肩を並べるほどの大物で、AT財閥の総帥、編竹(あみたけ)だった。
「いやいやいやいや…ひと言(こと)で2億を稼(かせ)げるお人は、そうざらには、おられませんよ」
 にこやかな顔で返した編竹だったが、その実、私だってその程度はすぐに動かせますよっ! …と内心で見栄を張っていた。この見栄を張る内心が編竹の本音である。双方、外見も超一流ブランドの特注品の背広で着飾っていた。これは目に見え、どうだ! いい服だろう! とばかりに双方が主張する本音だ。
「どうです? 今夜あたり、一献、傾けるというのは…」
「ほう! いいですなっ! 料亭、鰻政ですか…。あそこは300年の老舗で、天然ものですからな」
「そうそう! 秘書に手配させておきます。今宵(こよい)、六時あたりで、いかがですかな?」
「はあ、それで…」
 この飲み食い話に関しては双方とも本音で、強(あなが)ち人は飲み食いの話となると、本音で語ることが、よくある。

                             完

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2017年8月 2日 (水)

よくある・ユーモア短編集-98- 適度

 慌(あわ)てれば、ろくなことがない・・と、よく言われる。そうかといって、落ちついていればいいのか? と考えると、そうでもない。要は、適度・・ということに他ならない。このファジーな感覚は人それぞれで異なるが、達人ともなると、この適度な感覚が絶妙で、寸分の狂いも生じない。この感覚を得る方法だが、こうすればよい・・という定まった答えはない。鉄板焼ソバの独特の香ばしい風味とか鰻(うなぎ)の蒲焼(かばや)きの絶妙タレ味などがそれだ。あの風味やタレ味は、幾度も幾度も積み重ねられ、初めてあの適度な味となる訳で、短期間で賞味できる味ではない。適度な行動感覚が恰(あたか)もその絶妙味や風味の感覚に似通っている。
 日曜の朝、新発売される玩具(おもちゃ)屋の店頭である。早朝の4時だというのに、すでに数人が並ぶ列ができていた。検察事務官の岡田は、その列の先頭で寝袋(シュラフ)に包(くる)まれ、身体を半折り状態にして地面に座っていた。そこへバタバタ…と小走りでやってきたのは、検事の霜川である。
「岡田君、よく来れたね? 私なんか、土曜の夜からホテルに泊まりこみだよ」
「長年、集めてるマニアですからね。列ができる時間とか込み具合は、おおよそ頭に入ってるんですよ」
「ほう! 大したもんじゃないかっ! 私も長年のマニアだが、来年は退官だからな。もう君のような元気はないよ」
「ははは…ご冗談をっ!」
 霜川と岡田はタッグを組んでいて、検察庁内ではフィギュアコンビと呼ばれ名を馳(は)せる、マニアックな変人だった。
「いつも君は先頭だが、何かコツがあるのかい?」
「ははは…そんなもんありませんよ。今朝の場合、発売が過去シリーズのビンテージの復刻版ですから、そう大した人込みは…と見込んで、適度な時間に家を出ただけのことです」
「それで先頭か…。私なんか、安全策を取った挙句が、このざまだ」
「ただ、2時に家を出ただけなんですけどねぇ~。新シリーズのレアものなら、帰らず外食して直行です」
「普通のフィギュアは?」
「ははは…モノによりますよ。適度に…」
「適度か。適度ねえ…」
 多くても少なくても・・大きくても小さくても・・太すぎても細すぎても…適度を失すれば、物ごとがダメになることは、確かに、よくある。

                         完

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2017年8月 1日 (火)

よくある・ユーモア短編集-97- 価値

 価値が決められる評価の基準は曖昧(あいまい)なものである。苦労して手に入れたガラス製の一個の色づきビー玉は、一人の子供にとってはダイヤモンドより価値があるものかも知れない。
「石崎君、君すまんが来週の土、日さ、月、火に変えてもらえんか」
「ええ~っ! 来週の日曜ですか…?」
 課長の岩辺にそう言われ、課長補佐の石崎は一瞬、躊躇(ちゅうちょ)して怯(ひる)んだ。次の日曜は石崎にとっては大事な日で、婚約した女性の家を訪問するという大事な予定があったのである。会社の方針で、去年から課長補佐以上の管理職は月に一度の土、日出勤が義務づけられていて、今月の番は岩辺だったのである。
「ああ、ちょいと野暮用ができてね。いやなに…どうしても! とは云わんが。出来れば! の話だ。…なんなら、水曜も休んでもらってもかまわん。月、火、水と三日も休めりゃ御(おん)の字じゃないか」
 上目線の陽気な笑い声で言う岩辺だが、内心では、どうしても次の土、日は休みたかったのだ。岩辺の用向きとは、妻にはゴルフで・・と誤魔化し、その実、絆(ほだ)されて出来た女性との一泊旅行を目論(もくろ)んでいたのである。石崎にとっての土、日の価値と岩辺の土、日の価値は、双方とも同等に思えた。ところが世の中は上手(うま)くしたものか悪くしたものかは分からないが、^^ 岩辺の相手と石崎の婚約者は同じ店で働く店員同士で、岩辺の目論見は二人の語らいにより呆気(あっけ)なく表沙汰になってしまったのである。
「あらっ! そうなのっ!! …そりゃ、あなたの方が大事だわよ。私もね、離婚しない人、待って
って仕方ないから、そろそろ他を探そうかな・・って、思ってたとこだったから…」
 二人の間で価値は決定的に格差を見せた。
 二日後の会社である。
「あっ! 石崎君、アレね。アレ、もういいわ…」
「課長、少し元気がありませんね。どうかされましたか?」
「いや、まあ…」
 岩辺は別れ話を持ちかけられた・・とも言えず、口籠(くちごも)って暈(ぼか)した。
 世の中ではやはり、真の価値が価値と評価されることが、よくある。

                            完

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