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2017年8月

2017年8月31日 (木)

思わず笑える短編集-27- 小さなルール

 最近、自転車で左を走ったり、ポイ捨てたり・・と、小さなルールを堂々と破る者があとを絶たない! …と、鳥肌はブツブツ怒っていた。小さなルールとはいえ、公然とした社会のルールだ…と鳥肌は思うのである。つい、うっかり…とか、間違って…だったらまだいい。法的には心証不作為犯で、分かっていて違反する作為犯とは一線を画する…と思えたのだ。小さなルールの違反の容認は、やがて中規模違反を引き起こし、さらに大規模な社会のルール違反へと発展していく。事件とよばれるものがそうだが、国家間レベルに拡大すれば、紛争や戦争などといった物騒なことになる…と、鳥肌は、やっと動き出したパスの座席で、またそう巡った。
「鳥肌君、えらく遅いな、列車の遅延(ちえん)かね、今朝は?」
「はあ、ちょっとしたトラブルに巻き込まれそうになりまして…」
「トラブル?」
「はい、列に並ばない人がいましたので注意しまして…」
「なんだい、それは?」
 検事長の寒疣(さむいぼ)は意味が分からず、怪訝(けげん)な面持(おももち)で検事の鳥肌に訊(たず)ねた。鳥肌の話では、バスの列に割り込んだ男と割り込まれた後ろの男のトラブルとなり、鳥肌が検事風を吹かせ仲介(ちゅうかい)したのが悪く、返って火に油を注(そそ)ぐ結果になったということだった。
「なるほど、そういうことか…。小さなルールだもんな」
「私も、ただの人・・だと、つくづく思いましたよ、ははは…」
「まあ、そう気にするな。今はそういう時代だ…。届(とどけ)だけは、なっ!」
「はいっ!」
 鳥肌の返事に笑顔で頷(うなず)いた寒疣だったが、実は寒疣も今朝、道で、あるコトに遭遇(そうぐう)していたのである。検察庁へ向かう途中、歩道に落ちている¥5硬貨を一枚、拾(ひろ)ったのである。見て見ぬふりをすればコトは起きなかった。検察官としての自負がある寒疣は、その硬貨を交番へ届けたのだった。コト! はそのとき起きたのである。景観は寒疣の話を聞き、嫌な顔をした。この忙(いそが)しいのに…といった顔である。寒疣は遺失物法の小さなルールを、ただ守っただけだった。書類は作成されたが、寒疣の気持は晴れなかった。小さなルールが無視された気分がしたのだ。相手は法を司る司法職員だ…と、怒りながら歩く寒疣は、変わった赤信号を、いつの間にか見落としていた。

                            完

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2017年8月30日 (水)

思わず笑える短編集-26- 機械

 どんどん文明は進み、今や機械なしで生きていくことは難(むずか)しい時代へと突入している。そんな中、この機械文明の流れに敢然(かんぜん)と挑(いど)む虎皮(とらかわ)という一人の男がいた。虎皮には自己流ながらも貫(つらぬ)き通す一つの信念があった。それは、人が機械を作ったのであり、機械が人を動かすような時代は怪(おか)しい! ・・というものだった。虎皮がテレビを点(つ)けると、コンビューターがゲームで人間を破るという世界的な報道が流れていた。ふん! 見たことか…と、虎皮は思いながらテレビを消した。そう考える自分も機械に毒されている…と思えたからだ。電波が流れ、良い情報や嫌な情報が区別なく流される。良い情報や考えさせる情報ならいいが、嫌な情報が耳や目に入ると、世俗の煩悩に感情が毒され、汚(けが)されるのだ。そんなことで、虎皮はテレビの電源を切った訳である。
「最近は、コレ!という発明がなくなったな…。どれもこれも、今までの実用新案のようなものばかりだっ!」
 虎皮は、また怒れた。そんな虎皮はジレンマの真っただ中にいた。機械を全否定する自分がテレビや車を動かしている。クーラーを入れれば快適どころか、むしろ無ければ夏、冬の生活に支障をきたす。実は数年の間、虎皮はこのジレンマに挑戦するかのようにクーラー、冷蔵庫、車etc.すべての機械を止め、使わない生活をしたことがあった。だが、家を一歩出た瞬間から機械文明だった。通勤のため、車のキーを捻(ひね)ったときからそれは始まっていた。輪をかけたように、職場では有無(うむ)を言わさず機械に毒され続けねばならなかった。仕事にならないからだった。空調を私は使わないから切ってくれ! などと課長の前で言える訳がなかった。そんなことから、虎皮のジレンマへの挑戦は三日で潰(つい)えた。ただ一つ、虎皮にも悩んで得たものがあった。それは、機械文明により、人類が確実に思考能力を退化させている…という生物学的事実だった。ここ100年ばかり、これといった発明がなくなったのがその事実だった。そう偉(えら)そうに考えながら、虎皮は電動ミキサーで作ったミルクセーキを美味(うま)そうに飲み干(ほ)した。

                          完

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2017年8月29日 (火)

思わず笑える短編集-25- なんとか

 なんとか…と思ったり願ったりすれば、おおよそ、物事はなんとかなるものである。では、なんとか…と思う同士だと、どうなるか? これは、そんなお話である。
 春野菜を現地生産する野菜農家、山根のプラントハウスである。 
「山根さん、それはそうなんでしょうが、そこをひとつなんとか…」
「いや~そう言われましてもね。私も精一杯のところなんですよ。これ以上の値(ね)引きは…」
「そこをひとつ、なんとか…」
 大手スーパーのバイヤー、灰峰は、山根に両手を合わせながら必死に懇願(こんがん)した。
「お気持は分かりますが、こちらも採算が合わないというのは…。なんとか、この値でお願いしますよ」
「いや、そのお気持も分かるんですが、なんとか…」
 野菜農家の山根もバイヤーの灰峰も、なんとかしようと渡りあっていた。
どちらも自分のなんとかをなんとかしようと思えば、なんともならない。結局、@¥1だけ山根が値をなんとか↓させて折れ、灰峰は、なんとか契約を締結できることになったのである。
 やはり、なんとかは…は、なんとかなるのである。ちゃんちゃん! ^^

                            完

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2017年8月28日 (月)

思わず笑える短編集-24- 化かしあい

 世の中は人同士が駆け引きをして生きている。いわば、試合にも似た両者の化かしあいで、1人の場合もあれば当然、集団になる場合もある。スポーツの場合は選手の技量で決まるから、化かしあいの余地[大相撲の猫だまし、とかは別]はないが、世界全般では、双方の目に見えない、駆け引きにも似た化かしあいで成り立っている・・といっても過言ではない。
「もう帰っていいよ。遅くまでご苦労さん…[さて彼女、どうでるか…]」
 暗闇の課内で残業する課長の浅蜊(あさり)が、もう一人残っている女性係長の法螺(ほら)に小声で言った。会社の消エネ方針で社内照明はすでに消えており、明かりといえば、暗闇の中に電気スタンドの僅(わず)かな光だけである。冬場だけに6時前ながら課内は真っ暗で、浅蜊と法螺の二ヶ所だけがデスク明かりで照らされていた。
「はい…[ここは下手に出て…]」
 浅蜊は妻帯者だったが法螺に絆(ほ)だされていた。絆されていることを悟られまいと、巧妙に浅蜊は法螺を化かしにかかっていた。妻がいるということも負い目で、自分からモーションをかけられない・・という裏事情があった。しかも会社では上司と部下の間柄だ。となれば、相手が自分に絆されるよう仕向ける以外、浅蜊としては手がなかったから、化かそうと考えた訳だ。片や独身OLの法螺は、今年、三十路(みそじ)に入った触れなば落ちん風情(ふぜい)のキャリア・ウーマンだったが、余りの美しさが徒(あだ)となり、婚期を逃してきた経緯があった。最近の法螺は、もっぱら美食派で、金に糸目をつけず食べ歩くことでストレスを発散していた。その法螺は上司の浅蜊を、いいカモだわ…とばかり、色気を前面に出し、化かそうと考えていた。
「どうだね、このあと食事でも…[食事のあと、ムフフ…]」
「ええ、いいですわよ[あの店は高くつくから、いいカモね。フフフ…]」
 両者は目に見えない丁々発止(ちょうちょうはっし)の闘いを繰り返したのである。この結果は、双方とも化かされ、痛み分けとなった。支払いは割り勘[法螺の負け]で、そのままサヨナラ[浅蜊の負け]・・ということである。
 化かしあい・・は世界の津々浦々(つつうらうら)で、大ごと、小ごとを問わず地球規模で行われている。

                           完

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2017年8月27日 (日)

思わず笑える短編集-23- 迷信

 広崎は迷信をまったく信じない男である。広崎の考えだと、迷信とは信が迷う・・ということに他ならない。ならば、信が迷わないよう、俺が守ってやろうじゃないかっ! と少し大きく構えて信じないことにしたのである。これは広崎の信念である。こうして生き続け、広崎は今年で40の坂に分け入ろうとしていた。俺もそろそろ、くたびれたな…とは思ったが、いやいや、まだまだ…と叫(さけ)ぶ心のあと押しもあり、挫(くじ)けず今年も広崎は前向きに生きていた。そんな春めいたある日のことである。広崎が暮らすようになった町の歩車(ほぐるま)神社では、恒例の祭礼がしめやかに執(と)り行われていた。祭礼の最後に盟神探湯(くがたち)と呼ばれる神事があり、村人から選ばれた厄男(やくおとこ)の若者が熱湯を浴びることになっていた。例年、火傷(やけど)で医師の手当てを受ける若者が絶えず、広崎はこれこそ信が迷っている・・迷信だ…と思っていた。その火傷を負った若者は、弱り目に祟り目で、悪い霊がついている者として、尻を30ばかり火傷の手当てのあと叩(たた)かれた。広崎が聞いた話では、悪霊を追い出すための迷信から始まったようだった。広崎は密かにその忌(いま)まわしい神事をなんとか出来ないものか…と、考えていた。広崎の考えは、神事そのものを無くそう・・とかの大それた考えではなく、なんとか怪我人を出さずに済むよう改められないか…というものだった。
 広崎は、一大計画を立てた。ミッション・インポッシブルである。密かにその年に選ばれた厄男の若者と接触し、火傷(やけど)防止の秘薬を事前に塗っておくよう手渡したのである。若者は最初、断ったが、これ以上、火傷の犠牲者を…と広崎に説得され、引き受けた。そして、広崎はひと芝居(しばい)うつことも若者に頼んだ。そのひと芝居とは、気絶したあとすぐ我に返り、神が乗り移った振りをして『もう、このような馬鹿な神事はやめよ!』と神らしく叫ぶ・・というものだった。若者は広崎の言葉どおりコトを運んだ。村人達は怖れおののき、それ以降、神事は廃止となった。
 信が迷わないようにするには、ひと芝居うち、歌舞(かぶ)くことが肝要(かんよう)なようである。

                           完

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2017年8月26日 (土)

思わず笑える短編集-22- いや、いやいやいや…

 久坂が明日の天気予報を調べると、どうも昼頃から降りそうだ…と判明した。となれば、明日にしよう…と思った外の消毒作業は前倒しで今日やってしまわねばならない。雨の日に消毒をしても無駄になる。よし、やろう! と思った久坂だったが、いや、いやいやいや…と、すぐ、そう思う気持を否定した。最近の天気予報は強(あなが)ちピッタリ合うというものでもなかったからだ。一週間ばかり前もこの日と似たようなことがあった。というより、現実の次の日の天候は真逆で、降るといっていた空から、こともあろうに日射しまで照りつけ、まったく降らなかったのである。あくまでも予報ですから・・と気象庁に言われればそれまでだが、ならば天気予報などいらないじゃないかっ! と怒れることにもなりかねない。久坂は、いや、いやいやいや…その手は桑名(くわな)の焼き蛤(はまぐり)…と訳の分からないダジャレを頭に浮かべながら、逆に今日やってしまおうと決断した。外(はず)れると思わせておいて、実は降る・・という逆の逆も考えられたからだ。逆の逆は予報どおりである。
 少し遅(おそ)めだったが昼までにはまだ小1時間があったから、久坂は消毒を無事、済ますことが出来た。曇(くも)っていた薄墨(うすずみ)色の空から晴れ間さえ出て、まあまあ、だな…と久坂は溜飲(りゅういん)を下げた。
 案の定、次の日は朝からシトシト雨が降り出した。このシトシトは長引くな…と、久坂は地面に落ちる雨粒を見ながら思ったが、すぐ、いや、いやいやいや…そう思わせておいて、明日はいい具合に晴れる・・ということもアリだ…とそう思う気持を、すぐ否定した。ならば明日は、外で美味(うま)いものでも…と浮かび、久坂はそのつもりになった。が、次の日も春の雨は降り続いた。眺(なが)める灰色の雨空が、いや、いやいやいや…そうは問屋が卸(おろ)さない・・と言っているように久坂には思えた。

                            完

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2017年8月25日 (金)

思わず笑える短編集-21- 利用法

 物は使いようという。馬鹿とハサミは使いようともいう。要は、効果的な利用法を知っていると便利だということだ。
 岡崎は使い古した一本の歯ブラシを見て、ふと思った。捨てるのは、もったいない・・かといって、このまま使うのは革靴のブラシ代わりか、取れにくいこびり付いたシミ、フロアの汚れ・・などである。どれも、それ用に使っている以前の使い古された歯ブラシがあった。各持ち場に配置される定員は一名と決まっているから、この歯ブラシの就職先はなかった。岡崎は、はて、どうしたものか? と思案し始めた。だが、コレ! という閃(ひらめ)きも浮かばず、まあ取り敢(あ)えず美味いシナモン・ティーでも啜(すす)りながら考えるか…と、ゆったりキッチンへ向かった。
 茶菓子を頬張り、シナモン・ティーで寛(くつろ)ぐと、妙なもので、ふと閃(ひらめ)きが起きた。そうだ! 歯ブラシは毛が擦(す)り減って使えなくなったんじゃない…と思えたのだ。岡崎はもう一度、使い古した歯ブラシを手に取り、マジマジ・・と見た。すると、あることに気がついた。それは、歯ブラシの繊維で出来た毛の一本一本に変化が生じていたという点だった。正確にいえば、中央の部分の繊維毛は以前の初期状態のままだったが、歯が当たっていた周囲の部分の繊維毛は歪(いびつ)に広がり、直立していなかった・・ということである。岡崎は、この歪な繊維毛を無くせばOKじゃないか…と、単純に思った。岡崎は、カッターナイフで周囲の繊維毛を切るか…と、最初、思った。だが、手間取りそうに思えた。そのとき、また岡崎は閃(ひらめ)いた。サンダー[自動研磨機]があるじゃないか! と。岡崎はさっそく、シャァ~~っと音を立てながらサンダーで歯ブラシの毛の歪な部分を削(けず)り取った。案に相違して、作業は殊(こと)の外(ほか)、短時間で終了した。歯ブラシの繊維毛が人口繊維だったこともある。サンダーとの接触熱で容易(ようい)に溶け落ちた・・ということだ。丸く尖(とが)りがないように周囲を削り、岡崎は歯ブラシのリサイクルを果たした。試(ため)しに一度、磨(みが)いてみたが、使い勝手は良く、満足して道具で出したサンダーを収納した。岡崎はサンダーを仕舞いながら、こういう利用法もあるか…と考えるでなく思った。そのとき、奥から母親の声がした。
『紙に書いておいたから、いつものお買いもの頼むわねぇ~!』
「ああ!」
 岡崎は母親の上手(うま)い利用法で利用された。

                            完

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2017年8月24日 (木)

思わず笑える短編集-20- やればできる!

 さて、どうしたものか…と棚牡丹(たなぼた)は腕を組み、考えていた。中途半端な時間で、今からやれば昼は回ってしまうことは目に見えていた。かといって、昼を回れば具合が悪いのか? と考えれば実はそれほどでもなく、昼食が遅れる・・程度のことだった。天気予報は明日の午後から降る・・と伝えていたから、やるとすれば、今日なのだ。降りだす明日では具合が悪かった。掛時計を見ると11時半ばである。やればできる! と意気込み、家の中の雑事は後回しにして棚牡丹は剪定作業の準備を始めた。よくよく考えれば、剪定を今日、必ずしなければならない・・ということでもなかった。だが、棚牡丹は道具を出し、作業を始めた。棚牡丹の読みでは小一時間かかるろう…だった。案に相違して、剪定作業は15分ほどで片づいた。なんだ、やればできるじゃないか…と棚牡丹はニタリとし、道具を仕舞い始めた。そのとき、ふと棚牡丹の目に樹木の幹(みき)にこびり付いた苔(こけ)が目にとまった。放っておいても取り分けどうということもないのだが、そこから朽(く)ちる・・ということも有り得ない訳ではない。腕を見ると、まだ昼まで15分ばかりあった。やればできる! と棚牡丹は意気込み、水バケツとブラシを準備して苔を取り始めた。すると妙なもので、10分ばかりで幹にこびり付いた苔は、綺麗に洗い流された。なんだ、やればできるじゃないか…と棚牡丹は、ふたたびニタリとした。腕を見ると、昼にはまだ5分ばかりあった。そのとき、ふと棚牡丹の目に、浮き上がった塀(へい)板が見えた。一ヶ所、釘(くぎ)が抜け、浮き上がっていた。棚牡丹は、やればできる! と1本の釘と金槌(かなづち)を出し、板に打ち込んで修理した。腕を見れば昼にはまだ2分ばかりあった。なんだ、やればできるじゃないか…と棚牡丹は、またまたニタリとした。
 昼になったが、取り分けてどうということもないまま、棚牡丹は昼にした。
 なにごとも、やらなければできず、やればできる・・のである。 

                           完

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2017年8月23日 (水)

思わず笑える短編集-19- 探(さが)す

 竹皮(たけかわ)は家を探(さが)していた。
『確か、この辺にあったはずだが…』
 そう巡りながら、竹皮は辺(あた)りの家並みを見回した。以前来たのは十数年前だったから、少しくらいは変わってるだろう…と竹皮は踏んでいた。その踏み加減は甘かった。全然、踏めていなかった。踏むどころか浮き上がっていた。竹皮が探す家並みの情景は一変していたのである。まったくと言っていいほどの知らない建造物がところ狭(せま)しと林立(りんりつ)していた。竹皮は迷路に迷い込んだような錯覚(さっかく)に陥(おちい)った。困った挙句(あげく)、ここはひとつ訊(たず)ねるしかないか…と、竹皮は前後左右と人の姿を探し始めた。すると上手(うま)くしたもので、買い物帰り風の老婆が、乳母車をゆっくりと押しながらこちらへ近づく姿が見えた。渡りに舟…と竹皮はその老婆へと近づいた。
「あの…つかぬことをお訊(き)きいたしますが…」
「はい、なんですかのう?」
 老婆は竹皮に声をかけられ、乳母車を止めると、徐(おもむろ)に答えた。
「確か…この辺りだったと思うのですが、毛孔(けあな)さんというお宅はございませんでしょうか?」
「毛孔…珍しい苗字(みょうじ)のお宅ですのう…。わしゃ、この在(ざい)に60年ばかり住んでおりますがのう、毛孔などというお宅は…」
 老婆は語尾を濁(にご)し否定した。
「そうですか…。どうも!」
 竹皮は仕方がない…と諦(あきら)め、老婆に軽くお辞儀すると歩き始めた。そのときだった。
「ちょっとお待ちくだされ…」
 竹皮の後ろ姿に、今度は老婆の方が声をかけた。竹皮はギクッ! と立ち止まり、振り向いた。
「あなた…もしや竹皮さんでは?」
「はいっ! そうですが…」
 怪訝(けげん)な面持(おももち)で竹皮は老婆の皺(しわ)がれた顔を見た。
「ほう! やはり…。煮物(にもの)の婆(ばあ)でごぜぇます。探しておりましたが、このようなところでお会いできるとは…」
「おお! 婆やっ!」
 かつて、竹皮家で家政婦をしていた煮物ふきだった。
「立ち話もなんでごぜぇ~ます。ほんそこが婆の家でごぜぇ~ますから、そこで、ゆっくり…」
「はあ…」
 竹皮は探していたが探され、婆によって食べられた。

                          完

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2017年8月22日 (火)

思わず笑える短編集-18- 何もしない

 日曜の朝、 アレコレと一週間分の家の雑事を片づけていた峰岡は、ふと、何もしないとどうなるか? …と思った。恐らく、家の中は汚れた洗濯物で溢(あふ)れる。する、しないは別にして、腹は当然、空(す)くから、食べない訳にはいかない。何もしないのだから、買い溜(だ)めた食べ物も減ってくる。そうこうするうちに、食べ物は底をつくことになる。戦国時代で例(たと)えるなら、大軍勢に囲まれ籠城(ろうじょう)する武将に等しい。
「申し上げますっ! 二の丸が敵の手にっ!」
「なにっ! 本丸は死守するぞっ!」
 というような事態が想定される訳だ。峰岡がそんなことを思いながらシナモン・ティーを飲んでいると、『ピンポ~~ン!』と玄関戸のチャイムが響いた。
「はい! 今、開けますっ!」
 ドタバタと峰岡が玄関へ急ぐと、半透明サッシの玄関戸に人影が映っていた。
『宅急便で~す!』
 峰岡が施錠を外(はず)して玄関戸を開けると、宅配員らしき若者が荷物を手に持ち、立っていた。三日ほど前にデパートで買った特売品のお掃除ロボだった。自分はなにもしないで、機械ロボットに掃除をさせよう…というのが峰岡の目論見(もくろみ)だった。峰岡は梱包(こんぽう)からお掃除ロボを出し、ニヤリ! と北叟笑(ほくそえ)んだ。
 ロボに掃除をさせ始めると、峰岡はゴロンとフロアに寝転び、その動き回る姿を片肘(かたひじ)ついて楽しんだ。ところが、である。しばらくすると、お掃除ロボはピタッ! と止まり、その後は動かなくなった。峰岡は手にしてアレコレ弄(いじく)ったが動く気配はなかった。買ってすぐ、故障かっ! と峰岡は怒れたが、怒っていても仕方がない。峰岡は梱包し直すと、送り返すべくデパートに電話をかけた。デパートも信用に関わる問題だから、すぐ取り換える旨(むね)の返答をし、送るか直接、持ってきてくれるよう峰岡に告げた。峰岡は宅配で送り返したあとの帰り道、何もしない訳にはいかないのか…と思った。帰宅した峰岡は、溜息(ためいき)を吐(つ)きながら箒(ほうき)でせっせとフロアを掃(は)き始めた。

                          完

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2017年8月21日 (月)

思わず笑える短編集-17- 身軽(みがる)

 通勤日の朝である。真竹(まだけ)は毎朝のように床(とこ)を出ると寝具を整えて衣類を着始めた。ところが、である。いつもは背広のズボンにあるはずの定期入れ[プリペイド型定期券など]が見つからない。真竹は焦(あせ)った。いつも1時間の余裕を持って起きる真竹だったから、遅刻するほどではなかったものの、いらぬ時間を取られることは必定だった。真竹は考えた。アレコレ持ち歩くと何かと手間がかかるから、身軽がいい…と。朝、せびろを切る前、まずハンカチ、ティッシュ、手帳、腕時計、頭髪用の櫛(くし)財布、定期入れ、車のキー・・などを確認するのが真竹の生活リズムとなっていた。加えて、ワイシャツの汚れ、財布の中身など・・つまらない諸々(もろもろ)の気回しも必要だったから、真竹はある意味、通勤が重荷になっていた。そんなとき、今朝の定期入れの一件が起きた訳である。真竹は朝食のトーストをモグモグと食べながら定期入れを探し続けた。当然、トーストは真竹の口に咥(くわ)えられ、真竹とともに移動しているといった図である。だが、なかなか定期入れは見つからなかった。しばらく探してはキッチンテープルの椅子に座り、スクランブルエッグや野菜を適当に食べ・・いや、この朝の真竹の場合は小鳥のように啄(つい)ばみながら、探し続けた。まあ、仕方がない! 今朝は買うか…と、ついに真竹は諦(あきら)め気分で決断した。腕を見ると、まだ20分ばかりの余裕はあった。真竹は改めて、身軽がいい…と思った。
 玄関で靴べらを手にし、真竹は、ふと靴箱の上を見た。置き物の前に定期入れが楚々(そそ)とあった。んっ? なぜこんなところに? …と真竹は解(げ)せなかったが、まあ、あったんだからいいか…と、そのまま施錠して駐車場の車に乗り込んだ。
 それ以降、真竹は身軽を心がけている。必要品は、ほぼ勤務先のロッカーに保管され、真竹が持ち歩くものは必要最小限の物だけとなった。人は生まれたときは身軽で、死ぬときも身軽に死ぬんだ…と真竹は定期入れを見ながら欠伸(あくび)をした。

                           完

 日曜の朝、アレコレと一週間分の家の雑事を片づけていた峰岡は、ふと、何もしないとどうなるか? …と思った。恐らく、家の中は汚れた洗濯物で溢(あふ)れる。する、しないは別にして、腹は当然、空(す)くから、食べない訳にはいかない。何もしないのだから、買い溜(だ)めた食べ物も減ってくる。そうこうするうちに、食べ物は底をつくことになる。戦国時代で例(たと)えるなら、大軍勢に囲まれ籠城(ろうじょう)する武将に等しい。
「申し上げますっ! 二の丸が敵の手にっ!」
「なにっ! 本丸は死守するぞっ!」
 というような事態が想定される訳だ。峰岡がそんなことを思いながらシナモン・ティーを飲んでいると、『ピンポ~~ン!』と玄関戸のチャイムが響いた。
「はい! 今、開けますっ!」
 ドタバタ戸峰岡が玄関へ急ぐと、半透明サッシの玄関戸に人影が映っていた。
『宅急便で~す!』
 峰岡が施錠を外(はず)して玄関戸を開けると、宅配員らしき若者が荷物を手に持ち、立っていた。三日ほど前にデパートで買った特売品のお掃除ロボだった。自分はなにもしないで、機械ロボットに掃除をさせよう…というのが峰岡の目論見(もくろみ)だった。峰岡は梱包(こんぽう)からお掃除ロボを出し、ニヤリ! と北叟笑(ほくそえ)んだ。
 ロボに掃除をさせ始めると、峰岡はゴロンとフロアに寝転び、その動き回る姿を片肘(かたひじ)ついて楽しんだ。ところが、である。しばらくすると、お掃除ロボはピタッ! と止まり、その後は動かなくなった。峰岡は手にしてアレコレ弄(いじく)ったが動く気配はなかった。買ってすぐ、故障かっ! と峰岡は怒れたが、怒っていても仕方がない。峰岡は梱包し直すと、送り返すべくデパートに電話をかけた。デパートも信用に関わる問題だから、すぐとり返る旨(むね)の返答をし、送るか直接、持ってきてくれるよう峰岡に告げた。峰岡は宅配で送り返したあとの帰り道、何もしない訳にはいかないのか…と思った。帰宅した峰岡は、溜息(ためいき)を吐(つ)きながら箒(ほうき)でせっせとフロアを掃(は)き始めた。

                          完

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2017年8月20日 (日)

思わず笑える短編集-16- 欲しいときにない

 夕暮れが近づいていた。仕事に没頭していたため、井坂は夕飯のことを、すっかり忘れていた。腹が空いたことに気づいた井坂は、ふと、酢豚が無性(むしょう)に食べたくなった。豚肉はパックの買い置きが冷蔵庫にある。ピーマン、ニンジン、シイタケ、それにタマネギも冷蔵庫の野菜棚に入っている。よしっ! と井坂は意気込んで掛け時計を見た。5時過ぎだった。キッチンへと向かった井坂は冷蔵庫から野菜類を出し、適当な大きさに刻(きざ)み始めた。酢・大さじ5、醤油・大さじ5、砂糖・大さじ3、酒・大さじ5だな…と、検索したレシピどおりに準備をした。続いて、豚バラ肉を適当な大きさに切った。さあ! 準備はすべて整ったぞ! …と井坂はニヤリとし、レシピのメモを見た。が、そのときである。井坂は、あるものがないことに気づいた。片栗粉である。確か、この中に…と探(さが)したが見つからない。井坂は焦(あせ)った。切られた豚バラ肉は塩コショウに身を窶(やつ)し、今か今かと出番を待っている。最後の化粧用の白粉(おしろい)がないので困っている。開演は迫(せま)っていた。いつもは滅多(めった)と使わない出番の少ない片栗粉だったが、酢豚に片栗粉は欠かせない。だが今、欲しいときになかった。しかも、他の野菜キャストは全員が揃(そろ)っているのだから、幕が上がらない・・というのも妙な話に思えた。井坂は懸命に、いや、必死に収納棚、小棚、調理カゴ・・と探した。だが、やはりどこにも片栗粉は入っていなかった。日はすでに西山へと没(ぼっ)し、緩(ゆる)やかながらもオレンジ色の薄闇(うすやみ)が辺(あた)りを覆(おお)おうとしていた。井坂は決断した。ひとっ走り! …と、買いに出る決断をしたのだ。
 井坂が住むマンション近くには、幸いにもス-パーがあった。井坂は急いで店に入った。
「すみません! あいにく切らしてまして…。明日(あした)には入ります」
 店員はペコリ! と頭を下げて謝(あやま)った。明日では遅(おそ)いんだよっ!! と井坂は内心で怒れたが、思うに留(とど)めた。
「そうですか…」
 井坂はテンションを下げ、店を出た。別のスーパーが2店、あることはあった。井坂はスーパーへ車を飛ばした。
「おかしいなあ…。えっ? ああ、そう…。お客さん、さっき売れたそうです」
 ひと袋、残っていた片栗粉は売り切れて、なかった。ここで初めて井坂の心は無慈悲な現実に諦(あきら)めへと傾き始めた。井坂が店を出たとき、すでに辺りは暗かった。さあて、どうするか…井坂は迷った。そのとき、出番を待つ刻まれた野菜スタッフ達の顔が井坂の脳裏を掠(かす)めた。よしっ! ここは、やる他ないっ!! 井坂は、ふたたび決断し、最後のスーパーへと車を飛ばした。片栗粉はっ!! …あった!! ぅぅぅ…と瞼(まぶた)に涙を浮かべ、井坂はレジで握りしめた片栗粉を買った。
「どうされました?」
「いや、別に…」
 訝(いぶか)しげに訊(たず)ねる店員に、井坂は小声で返した。
 マンションへ帰り、電気をつけると、開演への調理が始まった。スタッフや準備は整っていたから、調理は殊(こと)の外(ほか)スムースに短時間で終り、井坂が待ちに待った酢豚は無事、完成した。井坂が味見をすると、実に美味(うま)かった。これでっ! …と井坂は意気込んだ。そして、皿に盛り付けた酢豚をテープルへと運び、井坂は満足げに夕飯を済ませた。洗い場で食べ終えた食器を井坂が洗い始めたそのときである。目の前に、探していた片栗粉の袋ち始めたが、美味かった酢豚に救われ、溜飲(りゅういん)を下げた。

                           完

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2017年8月19日 (土)

思わず笑える短編集-15- 差

 鱈腹(たらふく)は食堂で友人の控目(ひかえめ)と合い席で昼の定食を食べていた。鱈腹はハンバーグ定食を早々と食べ終えると、いつものように月見ウドンを頼んだ。控目もハンバーグ定食を食べていたが、食べ終えると席を立った。
「じゃあ、お先に…」
 控目は鱈腹にそう挨拶して出口のレジへ向かった。
「あっ! そうですか。どうも…」
 いつものことだったから、鱈腹は別に気にすることなく控目へ単に言った。レジで控目はハンバーグ定食の料金¥700の硬貨をきっちり支払うと店を出た。ここで、鱈腹と控目との間に支払い料金と時間差が生じた。
 控目は会社へ早く戻(もど)ると鱈腹との間で出来た十数分の合い間を利用して、あるコトをしていた。日々変動する株価のデータ解析である。
「おっ! そろそろ、買いどきだな…」
 控目はパソコンのキーを叩き、株を買い増した。
 一方、その頃、食堂の鱈腹は月見うどんを食べ終え、¥700+¥400
=¥1,100の札一枚と硬貨を支払って店を出た。控目の財布には千円札と僅(わず)かな硬貨が残り、鱈腹の財布には僅かな硬貨だけが残っていた。
 この二人の差は、ほぼ一定のぺースで日々、続いたから、累積差は莫大なものとなっていった。
 そして気づいたとき、控目は会社の大株主となり、執行役員に迎えられていた。一方の鱈腹は肥満ぎみの腹を気にしながら、相変わらずハンバーグ定食と月見うどんを食べ続けている。

                            完

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2017年8月18日 (金)

思わず笑える短編集-14- 馬鹿と利口

 課長補佐の川久保は、書類を手にコピー機へ向かいながら、馬鹿とハサミは使いようか…と、ふと思った。ならば、利口な場合はどうする? と、また思った。利口は、いろいろと対応を考える。馬鹿のようにスンナリ右から左へとは動いてくれない。その対応が、使おうとする者にとって厄介(やっかい)だったり、場合によると邪魔になってしまうのだ。左から右に動かれ、反発を食らうことも覚悟せねばならない。考えるなっ! とも言えず、難儀(なんぎ)なことになる訳である。かといって、馬鹿ばかりだと仕事にならない。
「君、これ…済まんが、ついでに頼むよっ!」
 課長の豚原(ぶたはら)は、営業先へ向かおうと席を立った餌場(えさば)に声をかけた。豚原の手には一通の封書が握られていた。
「はいっ! ポストへ入れておきます…」
 餌場は快(こころよ)く引き受け、封書を受け取った。私用ながら、豚原は課長という目に見えない地位の差を利用して餌場を使ったことになる。餌場は馬鹿ではないが、豚原によって利口に使われた・・ということに他ならない。この二人の話を同じ課の川久保は書類のコピーをしながら見聞きしていた。そのとき、川久保は思った。課長は利口に餌場を使った訳だな…と。川久保は今、昼をどこで食べようか…と、豚原を使おうとしていた。豚原は食い道楽で食い馬鹿だったから、使えるはずだ…と川久保は使おうとしたのだ。
「これ、プレゼンの書類です。あとでお目通しください」
「んっ? ああ…」
「おっ! もう、こんな時間か。課長、昼、どうします? いい店が近くに出来たんですがね」
 川久保は豚原を使い始めた。
「いい店か…じゃあ、行ってみるか」
 豚原は川久保によって上手(うま)く使われそうになった。毎度のことながら、豚原はプライド上、部下には必ず奢(おご)ってくれた。川久保が上手く使ったというのは、その癖(くせ)を見逃さなかったことである。事実、川久保はこの日も絶品の食事をゲットした。
 馬鹿と利口を上手く使えると、世間はスンナリと生きられる。

                            完

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2017年8月17日 (木)

思わず笑える短編集-13- 感情の乱れ

 ここは無用山存在寺の境内(けいだい)である。朝からポクポクポクポク…と木魚の音が本堂から聞こえてくる。この辺(あた)りに土地勘がない壺坂は木魚の音に釣られ、探している家をこの寺で訊(たず)ねよう…と思い立った。なんといっても、寺なら詳(くわ)しいだろうと踏(ふ)んだ訳だ。
「あの…」
 壺坂は本堂の戸をスゥ~っと音もなく壺坂は開け、呟(つぶや)くように遠慮気味の声を出した。
「!? …はい、どなたですかな?」
 木魚を叩(たた)いていた僧侶(そうりょ)らしき出で立ちの男は、壺坂の声にギクリッ! としたのか木魚を叩(たた)くのを止め、振り返りながら腓(こむら)返った声で言った。壺坂はその声に明らかな感情の乱れを見て取った。修行が全然、足りんな…と、一瞬、壺坂には思えた。
「恐れ入れます。通りすがりの者ですが、つかぬことをお訊(たず)ねいたします。この辺りに宗吉(むねよし)さんという家はございませんでしょうか?」
「宗吉さん? でございますか? さあて…お聞きしないお家(うち)ですな。当方の檀家(だんか)さんにはございませんが…」
 いつの間にか腓返った声を元に戻(もど)し、僧侶とほぼ思(おぼ)しき男は霊験(れいけん)あらたかそうに襟(えり)を正すと、僧侶らしく言った。
「さよですか、どうも…。生憎(あいにく)、この町には親戚筋がないものでして…」
「ほう! なるほど…」
「そこの交番ででも訊ねてみます…」
「どうぞ、お好きなように…」
 僧侶らしき男は、初めからそうすりゃいいじゃないかっ! とでも言いたげに、霊験を失った俗っぽい感情の乱れた声でそう言った。壺坂は、まあこの程度の寺か…と感情の乱れで思った。
 感情の乱れは人々を危(あや)うくする。冷静になれるコツを体得することが世間で沈まない秘訣(ひけつ)なのかも知れない。

                             完

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2017年8月16日 (水)

思わず笑える短編集-12- 細々(こまごま)と

 テレビがいろいろな党のいろいろな質問と、政府によるいろいろな答弁を映し出している。
「ほう! …委員会か」
 委員会の名が瞬間、口に出ず、吉川は暈(ぼか)すように呟(つぶや)いた。
「日本は細々(こまごま)と党が多いな…。これじゃ選べんから票が少ないはずだ…」
 最近、海外から日本へ帰国した吉川には今の政治が分からず、好きなように言えた。しばらく観てテレビを消すと、吉川はキッチンへと向かった。小腹がすいたから何か食べよう…と思ったのだ。冷蔵庫の中には細々といろいろなものが入っていた。アレもいるだろう…コレもいるだろう…と選ばず適当に買ったからか、相当な量が入っていた。まあ海外じゃ、こんなものさ…と、吉川は自分の行動に無理やり正当性を持たせ、納得した。
 適当に食べようと思っていたが、案に相違して何を食べるかで迷い、殊(こと)の外(ほか)、時間を取られた挙句(あげく)、結局、カップ麺になった。細々とあるのは迷うし腹が立つ…と吉川は、また思った。カップ麺を食べ終えると、久しぶりに遠出して車を飛ばすか…と、吉川はドライブを思い立った。クローゼットを開けると、また着るものが細々と入っていた。吉川は何を着る…と、また迷った。コレっ! という気に入ったものが、今一つなかったのだ。細々とあるのも考えものだな…と吉川は衣類を整理することにし、選択し始めた。だが、いざ捨てようと思ったものが、こういう場合もあるぞ…と思うと捨てられず、結局、時間をかけて分別した結果、ほとんどの衣類が残っていた。
 票は入れられないわ、食べるものは迷うわ、外出は出来ないわ、衣類は残るわ…など、細々とあると、選択に手間取り、好結果が得られない。

                           完

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2017年8月15日 (火)

思わず笑える短編集-11- 取り扱い説明書[取り説]

 消耗品を除くおおよその機器、備品などには取り扱い説明書[取り説]がついている。使用方法や組み立て方法が複雑になればなるほど、取り説の重要性は増す。
「なになにっ! 部品AをCの穴に差し込んだあと、Bと繋(つな)ぎ合わせてDとし、そのDをFに接着するだとっ!!」
 畑石(はたいし)は日曜の朝、昨日、勤め帰りに買った模型を組み立てていた。部品Aを探し始めた畑石だったが、なかなか部品Aが見つからない。畑石は、しばらくの間、箱の中をガサゴソと探し続けた。
「チェッ! これはGじゃないか。AだよA! 俺が探しているのはっ!」
 腹立たしくて口にせずにはいられなくなり、畑石は手にした部品Gを見ながら恨(うら)めしげに思わず独(ひと)りごちた。
 部品Aは、こともあろうに部品Mの裏側に隠れるように付いていた。畑石が発見できたのは、数十分後だった。やっと見つかった晴れやかな喜び・・そのような気分は畑石に浮かばず、それどころか組み立て続ける気力そのものが萎(な)えていた。
「ちょいと、休むか…」
 気分をリフレッシュするため、畑石はコーヒータイムをとることにした。そうして、また作業を再開した畑石だったが、最後の詰めのところで、ふたたび難題に突き当たった。取り説には次のように書かれていた。
「ほどよく接着できた完成品は、太陽光で完全に乾かしてください・・だとっ!」
 生憎(あいにく)、その日は曇(くも)り空で、日射(ひざ)しがなかった。
「どうするんだっ! えっ! どうするんだっ!」
 畑石は窓から見える薄墨(うすずみ)色の空を見ながら、ふたたび恨めしげに独りごちた。作業を中断して二時間ばかりが過ぎ去ったとき、空に晴れ間が覗(のぞ)き始めた。
「おおっ!」
 畑石は慌(あわ)てて模型を手にするとベランダへと走り、日の光に翳(かざ)した。どういう訳か、安らいだ気分に畑石は満たされた。あとは電池を装着し、スイッチをONにすれば模型は始動するはずだったこともある。
 しばらくして模型が完全に乾ききったことを確認した畑石は、電池を模型に装着して散らばった作業場のあと片づけを始めた。そのときである。ふと、取り説の裏面が目に入った。そこには、次のように書かれていた。
 ※ {1}部品Aは部品Mの裏に付いています。
   {2}完成品は必ず太陽光で乾かす必要はありません。
「表に書いておけっ!!」
 畑石は取り説を手にしながら腹立たしさで三度(みたび)、独りごちた。
 自分の判断も重要で、取り扱い説明書に頼り過ぎると畑石のようなことになる。

                           完

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2017年8月14日 (月)

思わず笑える短編集-10- 検索

 世の巷(ちまた)にパソコンが蔓延(はびこ)るようになって幾久しい。思えば、1998年、某社のシステム・ソフトが発売されるに及んで、黒山の人だかりが起こり、世界は物流の大きな転換期を迎えた。そして現在、パソコンは人々にとって欠くことの出来ない存在となりつつある。なんといってもパソコンを利用した検索は便利で、情報を容易に得る手段として格好の機能となっている。
「課長、調べときましたっ!」
 市役所、商工観光課の高岩(たかいわ)は、まるで鬼の首を取ったかのような大声で唸(うな)った。課内に響き渡るような声に、課員一同が高岩のデスクへ一斉(いっせい)に視線を走らせた。
「…」
 課長の押花(おしばな)は一瞬、なんのことだ? と、返答できなかった。
「いやだなぁ~、動物園ですよ、動物園」
「あっ! ああ…アレな? そうそう、動物園。アレ、どうだった?」
 新しく市営動物園が開設されることになったのだが、事業展開の予算執行が始まる来年度までに、市の総合開発計画の一環として、商業観光課はその中心的存在に祭り上げられていた。去年までは、窓際(まどぎわ)族とまではいかない程度の者達が島流しのようにショボく勤めていた職場だった。それが俄然、脚光を浴びるようになったのは市の活性化策を盛り込んだ予算が議会で承認された直後からだった。今や、高岩を含む商業観光課の全員は一躍(いちやく)、英雄的存在だった。
「いやぁ~、維持費、減価償却費、管理費など、どの自治体でも、いりますねぇ~」
「そら、いるだろう…」
 押花は、当たり前のことをいうヤツだな…という顔で高岩を朧(おぼろ)げに見た。
「大都市圏では、それなりに五十歩百歩で潤(うるお)ってるようですよ。まあ、景気がよかった頃に比べると今一みたいですが…」
「その検索、間違いないんだろうな?」
 そのとき、バタバタと音がして、出張から帰った安川が課へ入ってきた。
「課長、甘かったですね。二、三、回りましたが、どの市も採算が…。もう一度、計画は一から見直した方がいいようです。展開してからでは遅(おそ)いですから」
「やはり、そうか…。部長以上にはそう言っておく。安川君、ごくろうさん」
押花は渋面(しぶづら)を作り、高岩を見ながらそう言った。現実を直視しない電子システムの検索は、時折り、想定外の間違いを結果とするのである。

                         完

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2017年8月13日 (日)

思わず笑える短編集-9- 見下(みくだ)す

 世の中で人と対するとき、自分の置かれた立場、例えばこれは地位とか名誉とか裕福な資産がある場合なのだが、対等であるにもかかわらず、知らず知らず相手に対し、いつのまにか見下(みくだ)して話している。そのことを話している当の本人は知らないから、余計に具合が悪い。こうなると相手は、話しているというより、よく語るな…、あるいはよく講釈をたれるな…などと、少なからず腹が立つことになる。
「なかなかいい陽気になりましたが、一昨日(おととい)の季節外れの雪には参りましたよ、ははは…」
 隠居の裾野(すその)は垣根越しで隣りの隠居、向峰(こうみね)と話していた。
「この冬はエルニーニョとかで暖冬でしたからな。ほほほ…北条は侮(あなど)れません」
 向峰は口髭(くちひげ)を指で撫(な)でつけながら、達観したように少し偉(えら)ぶって返した。
「はっ?」
 意味が分からず、裾岡は訝(いぶかし)げな顔つきで向峰を見た。
「いやなに…テレビの話ですよ、ほほほ…あなたには、お分かりにならんようですな」
 相変わらず見下しぎみに話す向峰は、達観したように、また口髭を撫でつけた。裾岡は、この言われように少しカチン! ときた。一体、何さまのつもりだっ! と怒れたのである。
「分かりますよっ! ええ、分かります。北条は絶えますっ!」
 興奮した裾岡の口は、思わず禁句を発していた。
「絶えはしないでしょうがな、ほほほ…」
 程度の低い人だ…とでも言いたげに、向峰は裾岡を見下した。
「ちょっと、急ぎの用を思い出しましたので…」
 見下された裾岡は、罵声(ばせい)になるのを避けるように、垣根から引っ込んだ。
 見下すような物言いは、どのような場合でもよい結果を生じない。

                           完

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2017年8月12日 (土)

思わず笑える短編集-8- うっかりミス

 集中力を欠くと、うっかりミスが起こる。これが度重(たびかさ)なると、ガサツな人…と思われがちで、人の信用は失墜(しっつい)する。このような人物は人の上には立てず、精神の修養が必要となる。会社とかの研修は、こういう場合に備えるためのものだ。対応する相手は所属する組織外の人や世間の事物だから、好印象、好結果となることが組織としては必要不可欠となる。
「底穴君、明日の資料は大丈夫だろうね」
「はあ、それはもう、万事(ばんじ)手抜かりなく!」
「君は、よく手抜かるからねえ…。いや、君を信用しない訳じゃないんだよ。信用しない訳じゃないんだが、一応、私も目を通しておこうと思ってね…」
 部長から役員待遇に昇格目前の我功(がこう)は底穴を部長席から見上げながらそう言った。
「はあ、そういうことでございましたら、お持ちいたします…」
 底穴も課長昇進の時期だったこともあり、胸を張って返すと、急いで係長席へ戻(もど)った。だが、出来た書類には表面上では分からないうっかりミスがあった。ただそれは、書類枚数の末尾近くで、枚数が多い書類では、見逃しがちな程度のものだった。
 書類に目通しし始めた我功だったが、枚数が多かったため、うっかりミスをし、前あたりで目通しをやめた。
「まっ! これなら大丈夫だろう…」
 我功は大丈夫と思ったが、ちっとも大丈夫じゃなかった。だが先方の会社も、そのうっかりミスをうっかりミスで美落とした。双方、1勝1敗で痛み分けとなった。その後、我功にも底穴にも先方の会社にも、…という結果が待っていた。…については、敢(あ)えて吉凶は、さし控(ひか)えたい。^ ^

                            完

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2017年8月11日 (金)

思わず笑える短編集-7- ドミノ伝達

 することもなく街に出てみようか…と、太月(たづき)は春の陽気の中、のんびりと商店街へ入った。人通りは多くも少なくもないようで、いつもと変わりがないように思えた。
 しばらく太月が商店街を歩いていると、前方にかなり大きな人だかりが出来ているのが見えた。なんだ? と瞬間、思えた太月は早足で近づいていった。
「なにかあったんですか?」
 人だかりの外側の一人に、太月はそれとなく訊(たず)ねた。
「いや、私もよく分からないんですよ…。あの、なんなんですか?」
 太月が訊ねた男は、背を向けて覗(のぞ)き込む内側の男にもまた訊ねた。
「さあ…なんなんですか?」
 その内側の男は、背を向けて覗き込むそのまた内側の男に訊ねた。
『さあ… …』
 そのまた内側の男は、そのまたまた内側の男に訊ねた。ドミノ伝達である。もはや太月には答える男の声が聞こえなくなっていた。それも当然で、かなり大きな人だかりのガヤガヤした喧騒(けんそう)が、そのまたまた内側の男の声を消したのだ。結局、太月は人だかりの後ろ姿を見るばかりで、その騒ぎが何なのか知り得ず、立ち去ろうとした。そのときだった。人だかりの内側から小さな声がした。その声は徐々に大きくなり太月めがけて近づいてきた。逆ドミノ伝達である。太月は足を止めた。
「ああ、そうですか…。ここで、昨日(きのう)撮(と)られた宇宙人の写真ですか。…だ、そうです」
 前の男は振り返ると、訊ねた後ろの男に返した。
「ここで、昨日撮られた宇宙人らしいです」
「ああ、そうですか…。ここで昨日、捕(と)らえられた宇宙人の写真らしいです」
 その後ろの男は振り返り、そのまた後ろの男に返した。
「ここで捕えられた宇宙人の写真らしいです」
 そのまた後ろの男は振り返り、そのまたまた後ろの男に返した。さのまたまた後ろの男は太月だった。
「ああ、そうですか…」
 太月は宇宙人なんかいるかっ! と馬鹿馬鹿しく思え、その場から立ち去った。
 長いドミノ伝達はそのまま伝わらず、内容を変化させる場合が多い。

                           完

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2017年8月10日 (木)

思わず笑える短編集-6- いやだいやだ…

 スーパーでゴチャゴチャと買物をしてお釣りをレジで受け取ったまではよかった田神だったが、そのあとがいけなかった。というのも、買物篭から袋へ入れ替えたとき、手にしていた硬貨を数枚、落としてしまったのである。しまった! と思ったときは、時すでに遅し・・だったが、それでも下に落としたのなら拾えばいい訳だ…と考えることもなく身体を屈(かが)めていた。
 収納台の下の屑篭(くずかご)をずらすと、1円硬貨があった。なおも田神はフロアを探したが、他には見つからなかった。まあ、落としたのはこれだけだったんだろう…と田神は中途半端に納得して、自転車で帰宅した。ところが、である。レシートを見ると、お釣りは8円だった。当然、5円硬貨1枚と1円硬貨が3枚なければならない。だが、5円硬貨がどうしても見つからない。繊細な田神は、ああ、いやだいやだ…と、テンションを下げた。さて、どうしたものか…である。田神は腕を見た。まだ、昼には35分ばかりあった。幸か不幸か、買い忘れた白菜があった。サバ缶と白滝の白菜煮・・これは、まったりと心が和(なご)む和風の一品である。洋食ばかりで、少しそういったものも欲しい頃合いだったから、白菜の買い忘れは主役抜きのようなものでキャスト不足となる。よしっ! もう一度、収納台の下を探すか…と思えた。一石二鳥でもあった。そう閃(ひらめ)いたとき、田神の足はすでに動いていた。
 スーパーへ着くと白菜をまず買った。カードをレジで出そうとすると、「100円以上です…」と言われ、田神は小恥ずかしくお釣りの16円を受け取った。問題はここからだ! と田神は思った。落とした収納台の下に5円が落ちているか・・それが問題なのである。白菜を袋に入れ、さて…と屈んでフロアを探したが、残念なことに見つからなかった。まあ、寄付したことにしよう…と諦(あきら)めかけたとき、老婦人が「どうかされましたか?」と訊(たず)ねた。田神は瞬間、「いえ、いいんです…」と小さく言って立ち去った。よく考えれば。何がいいのか分からないのだが…。少し、いやだいやだ…の気分は解消されたが、少し寂しい思いがした。

                           完

 ※ 田神さんの話によれば、レジに並んでいたとき、何も買わずにレジを通過した者がいた・・という経緯はあったようです。^^ それが関係しているのか? は別として、目に見えない出来事は怖いですね。この世の警察では分かりませんから…。^^

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2017年8月 9日 (水)

思わず笑える短編集-5- ああしてこうして…

 蒼辺(あおべ)は春の陽気に誘われ、のんびりと自転車を漕(こ)いでいた。ギコギコと走らせていると、ああしてこうして…と、これからの予定が浮かんでくる。まずは、久しぶりに昔からある公園にでも行ってみるか…と蒼辺は思った。長い間、寄っていなかった・・ということもある。記憶に残るのは数十年前で、当時はよく親子連れもいた小奇麗な公園だったが、その後どうなったかまでは知らない蒼辺だった。公園でしばらく時を過ごし、小腹が空(す)いたところで、近くにあるはずの洋食屋、マロンで美味(うま)いステーキを食べる。確か…¥1,600ばかりでブランド牛の安価で柔らかい、舌が蕩(とろ)け落ちそうな絶品味が賞味できるはずだった。そして、腹が満ち足りたところで、その隣(となり)の珈琲専門店、楽園で食後の至福の一杯を味わう。カプチーノがいいか…と蒼辺は思った。そしてそのあとは…。まあ、そのとき考えれぱいい。蒼辺はそんな、ああしてこうして…を頭に思い描き、自転車を漕ぎ続けた。
 公園へ入ると、公園は案に相違して人っ子一人いなかった。そればかりではない。荒廃した佇(たたず)まいは、もはや公園と呼べるものではなかった。座り心地のよかった木製ベンチも足の一本が朽(く)ち果てて折れ、僅(わず)かな傾斜角で傾いていた。しばらく時を過ごすつもりの蒼辺だったが居たたまれず、洋食屋のマロンへ向かった。ところが着くと、店は定休日で閉まっていた。蒼辺が思い描いたああしてこうして…は、二つまでも思いは果たせなかった。仕方がない…と蒼辺は隣の楽園前で自転車を止めた。そのとき、である。
「すみませんねぇ~、今日は臨時休業なもんで…」
 店主らしき男が出てきてシャッターを閉じ始めた。
「ああ、そうですか…」
 仕方なく、蒼辺は元来た道を戻(もど)り始めた。このままかっ! と、蒼辺は無性に腹が立った。いつの間にか知らない道を辿(たど)っていた。すると妙なもので、見たことがない和食の料理屋が目の前に現れた。蒼辺は店に入った。すると、メニューに美味(おい)しそうな写真入りの品書きがあった。蒼辺はそれを注文し、満足げに食べ終えた。すると、オーダーしていないのに、和菓子と抹茶茶碗を盆に載せ、店主が持って現れた。
「初来店のお客様への開店記念のサービスでございます…」
「ああ、そうですか…」
 ああしてこうして…は果たせなかったものの、気分よく蒼辺は帰宅した。それ以降、蒼辺は、ああしてこうして…と考えるのはやめている。
 まあ物事は、考えず動くと失敗して上手(うま)くいかないものだが、ああしてこうして…と考え過ぎるのも上手くいかない場合が多い。

                        完

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2017年8月 8日 (火)

思わず笑える短編集-4- やりなおし

 物事には、しまった! と気づき、やりなおしになる場合がある。早く気づけばいいが、今一歩のところで…というときに、しまった! と気づくケースは、いただけない。すべてが水泡(すいほう)に帰す・・とは、まさにこのことで、初めからまた始めなければならないからだ。ほんのごく短い時間とか、そんな大して手間取らないならいいが、数年を費やしてやってきたこととか、かなり長期に及ぶ場合だと、投げ出したくなる・・というものである。
 二日の行程で羽崎(はざき)は山を縦走し、下山する帰途を辿(たど)っていた。山小屋を今朝出た計算で行けば、あと小一時間で麓(ふもと)へ着く計算である。そう急ぐ必要もないと、羽崎はのんびりと歩をゆるめていた。ところが、である。さて、この辺りで休憩しようか…と思ったとき、とんでもないミスを犯していることに気づいた。それは、この登山目的の根幹を揺るがしかねない事態で、軽く笑って済むような話ではなかったのだ。こんなポカミスをなぜっ!! と羽崎は自分自身に腹が立った。というのは、このままでは下山できないミスだった。パンフレットに載せる写真を撮ったネガフィルムの袋を今朝、出た山小屋に忘れたことを思い出したのである。さあ、どうする! …と羽崎は冷や汗を流し、うろたえた。締め切りは幸い、三日後だったから、下りてきた道を山小屋まで取って返せば、なんのことはない…と気づいた羽崎は、休憩をやめ、また下りてきた道を逆に登り始めた。今日中には山小屋へ着くから、山小屋で一泊し、明日(あす)の朝、下りればいいさ…と思いなおし、うろたえた気分も消え去った。
「あの…お預けしておいた袋は?」
 山小屋へは昼前に戻(もど)れ、羽崎はさっそく山小屋の従業員に預けたフィルム入り袋を返してくれるよう話した。ところが! である。
「えっ? 朝、お返ししましたよっ。嫌だなぁ~」
 山小屋の従業員は、キョトン! とした顔で羽崎の顔を窺(うかが)った。羽崎としては返してもらった記憶がなかったから当然、従業員の言葉は解(げ)せなかった。
「そんな馬鹿なっ! 返してもらってませんよっ!」
「いやいやいや、下山されるというので、会計をしたとき確かにお返ししました」
 話し合いは数十分に及んだが、水かけ論となり、いっこう消えたフィルム袋は出てこなかったのである。羽崎は、これでは埒(らち)が明かん! と、やりなおしを考え始めた。
「あの…フィルムは売ってますか?」
「ああ、はい…。普通のフィルムなら」
「それで結構ですっ!」
 羽崎は山岳写真家だったから使用しているフィルムは専用フィルムだったが、そんな贅沢(ぜいたく)を言っている場合ではなかった。フィルムを購入したあと、羽崎は撮りながら来たルートを逆縦走し、最初に登り始めた地点へ無事、下山した。締め切りは明日だったが、それでもまあ、間にあうことは間に合ったのである。
 やりなおしにならないよう注意しないと、苦労することになるが、まあ、人が上達するいい薬にはなるようだ。

                        完

 ※ 紛失したフィルム袋は山小屋の前に落ちていたそうで、後日、郵送されたとのことです。しかしそのときは締め切り後で、結局、羽崎さんの苦労は無駄ではなかったということです。よかった、よかった。^^  

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2017年8月 7日 (月)

思わず笑える短編集-3- 早い

 うっかり、朝寝坊した浅見はカップ麺で、遅(おそ)めの朝食を済ませた。時の流れの、なんと早いことか…と有名な文学者にでもなった気分で思ってみた浅見だったが、よくよく考えれば、寝坊しないよう目覚ましをセットし、○時には起きるぞっ! と意を決して眠ればよかったのだ。単にもうこんな時間か…と寝たものだから、迂闊(うかつ)といえば迂闊だったのだ。そんなことを思っている間に、カップ麺は出来上がっていて、すっかり伸(の)びてしまっていた。浅見は腰のない軟(やわ)い麺をズルズル…と口へ運びながら、ああ、俺の人生もこんなものか…と侘(わ)びしく思った。気づけば、何もない人生の2/3以上が過ぎていた。浅見は、早い…と、また思った。
 ようやく食べ終え、今日は何もすることがなかったな…と巡っていると、昨日(きのう)やり残した修理が残っていたのを、ふと浅見は思い出した。これは急がないとっ! …と腕を見れば、すでに1時を回っていた。慌(あわ)てて浅見は、やり残しの修理に取りかかった。修理は殊(こと)の外(ほか)手間取り、浅見が終わって腕を見ると、すでに5時前になっていた。休憩する間(ま)もなく、楽しみにしていたコーヒーの一杯も飲めない恨(うら)めしい気分で浅見は修理道具を収納し終えた。思わず、時の巡りは早い…と浅見は思った。だがまあ、これからひと息いれればいいか…とインスタント・コーヒーの粉を入れたマグカップに湯を注いだとき、ピンポ~ン! と玄関のチャイムが鳴った。なんだっ! と、浅見は少し怒り気分で玄関へ急ぎ、「はい!」とひと声かけた。するとすぐ、『書留ですっ!』と返ってきた。浅見が以前、受けた入社試験結果の返信の封書だった。結果は合格していた。早いなっ! と思ったが、その早さは浅見にとっては他の早さと違い、いい意味で早かった。
 早い…と感じる場合も、良い悪いと、いろいろある。

                         完

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2017年8月 6日 (日)

思わず笑える短編集-2- 出たのに、また出た

 行楽の春が近くなると、冬眠を決め込んでいた角吹(つのぶき)も、さすがに家を出たくなった。雲雀(ひばり)の声が賑(にぎ)やかで、早く目覚めた・・ということもあったが、暖気のせいか、いくらか気分が花やいだ・・というのが実のところだ。
「やあ、角吹さん。お出かけですか?」
「ええ、まあ…」
 隣りの鹿山は、珍しそうな顔で角吹に声をかけた。角吹は内心、俺だって出かけることはあるさっ! とムカついたが、そう言う訳にもいかず、思うに留(とど)めた。
 しばらく歩くと、見馴れた山裾(やますそ)の畑が見えた。春先には恒例の野焼きが行われる畑は、枯れ草で茶色っぽかった。枯れ草を焼くことにより、地はアルカリ質の肥料を得(え)、しかも害虫の消毒ともなる一挙両得の策だ。しばらくこの辺(あた)りに足を向けたことがなかった角吹は、ひと巡りしてみるか…と、ふと思った。のんびりと歩くつもりで出た家だったから、とり分けて急ぐ必要もなかった。
 通ったことがある細道を進んでいた角吹だったが、しばらく行っところで見かけない家に出食わした。こんなところに家なんかあったか? と訝(いぶか)しく思った角吹だったが、まあ最近、新しく建ったんだろう…くらいに軽く思い、見過ごすことにした。ただ、家が近づいたとき、その家がそれほど新しい家でもなかったのが少し解(げ)せなかった。ところが、である。またしばらく歩くと、まったく記憶にない光景が展開し出した。そんなことはない! と角吹はまた訝しく思え、一端、足を止めて辺りを見回した。だが、やはり一度も通ったことがないところのように思えた。角吹は道を間違え、知らない土地に迷い込んだか…と思った。そう思うと気も漫(そぞ)ろとなり、のんびり歩いている相場の話ではなくなってきた。角吹は焦(あせ)り始め、当然、足は早くなった。そしてまた、しばらく行くと、ようやく見馴れた光景が開けた。しかしそれは、出たはずの角吹の家だった。一周したのか…と、最初、角吹も合点がいった。ところが、である。
「やあ、角吹さん。お出かけですか?」
「ええ、まあ…」
 隣りの鹿山が珍しげに言葉をかけ、角吹は思わずそう返していた。そのとき、おやっ? と角吹は思った。確かに数時間前、この状況はあったぞ! …と。角吹は慌(あわ)てて腕を見た。不思議なことに朝、出かけた時間だった。出たのに、また出たのである。怪(おか)しい!! と角吹は怖くなった。そのとき、目覚ましの音が祁魂(けたたま)しく角吹を襲い、角吹はハッ! と目覚めた。雲雀の声が賑やかに聞こえ、麗らかな春の朝日が窓から射していた。角吹は夢を見ていたのだった。どう考えても、出たのに、また出るという現実はない。

                         完

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2017年8月 5日 (土)

思わず笑える短編集-1- 買ったはずが…

 下岸は買い物に出かけた。取り分けていつもと違うということはなく、ごく有りきたりの買い物をして帰宅した。
 買い物袋を置き、ふと外を見ると、軒(のき)の雨樋(あまどゆ)に落ち葉が積(つ)もり、詰まっているのが見えた。恐らくは昨日(きのう)の激しい豪雨で流れ積もった・・と思われた。このままにしておけば、次に雨が降ったとき、雨水は下へ流れず、溢(あふ)れ落ちることは確実に思えた。このままには、しておけない! と、思う間もなく、下岸は動いていた。脚立(きゃたつ)を物置から出して雨樋の下で立て、上へ昇ると雨樋の落ち葉を少しずつ手で下へ掻き落とし始めた。しばらくすると、詰まっていた雨樋は、すっかり落ち葉がなかった状態へ戻(もど)っていた。下岸は幾らかの達成感を得て、満足げに脚立を元どおり物置へ収納した。さて! と買い物袋を手に家へと入り、買った物を出した。そこまでは何事もなかったように思われた。ところが、である。昼にするか…と、昼用に買って帰ったはずのチラシ寿司のパックを探したが見当たらない。買い物袋の物はすべて冷蔵庫へ収納したのだから、どこへも行くはずがない。買ったはずが…妙だ? と下岸は首を傾(かし)げた。レシートを確認すると、確かにチラシ寿司は買われていた。と、いうことは…と、もう一度、外へ出た下岸は、買い物袋を最初に置いた場所を確認した。だが、やはりチラシ寿司は落ちていなかった。となると…と、茫然(ぼうぜん)と視線を遠くに向けると、パックらしきものが畑の向こうに見えた。下岸が近づくと、食べられたあとのチラシ寿司のパックだった。カラスがカアカアカア…と嗤(わら)う声が聞こえた。してやられたかっ! と下岸は思った。つい、手抜かった失敗だった。どうも、雨樋を掃除している間に運び去られた形跡があった。やはり黒いだけのことはあるな…と下岸は失敗を反省し、油断ならないカラスの周到さに感心した。買ったはずが…と失敗しないためには、油断は禁物なのである。

                          完

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2017年8月 4日 (金)

よくある・ユーモア短編集-100- 始まりと終わり

 始発の電車があれば終電車があるように、始まりがあれば終わりがある。始まったまま放置されると、その物事は終わらず続くから、どんどん溜(た)まることになる。それはまるで、川が堰(せ)き止められ、溜まった水でダムになるようなものだ。国の累積債務だけは、減らして終わらせて欲しいものだ。債務の水嵩(みずかさ)は今も増え続けているというのだから、困ったものである。
「あなたっ! 湯舟、大丈夫っ!」
「あっ、しまった! 出しっぱなしだっ!!」
 妻の久恵に訊(き)かれ、片岸は、ハッ! と、湯を出していたことを思い出し、浴室へ、ひた走った。急ぎの用をやっていたから、軽はずみ感覚で浴室の湯を蛇口から出し始めたのだ。ただ、出したまではよかったが、この行動はまだ、始まってはいなかった。というのも、片岸は浴槽(よくそう)の栓(せん)で蓋(ふた)をするのを忘れていたのだ。これでは、蛇口から勢いよく湯が流れ込んでも、下からダダ漏れて抜けるだけなのである。いっこうに湯は浴槽に溜まらず、激しく出ているだけ・・という構図になる。しかし、片岸の頭では湯舟の湯は溢れそうになっていたから終わっていない・・構図だったのである。現実は始っておらず、片岸や久恵の思いは終わらず、の相違を生じていた。
 半時間後、始まっている中東紛争やテロ、無益な殺戮(さつりく)は終わって欲しいものだ…と、偉そうに考えながら、片岸は自分の失敗を棚に上げ、湯舟にドップリと浸(つ)かっていた。
 始まりは終わりがないと、世の中が乱れることは、確かによくある。

                            完

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2017年8月 3日 (木)

よくある・ユーモア短編集-99- 本音(ほんね)

 人は知らず知らずのうちに自分を飾る。いや、自分は飾ってないぞっ! と言われるお方も、どこかで自分をよく見せよう…と着飾っておられるのだ。それは目に見える外観、見えない心理面の両面を含めてである。
「ははは…何をおっしゃる。たかだか、2億程度の儲(もう)けですよ。大した額じゃない」
 顔で笑いながら、その実、ホールディングス会長の平岡は、どうだっ! 大したものだろう…と内心で自慢していた。この自慢する内心が平岡の本音(ほんね)である。聞いているのは、これも平岡と肩を並べるほどの大物で、AT財閥の総帥、編竹(あみたけ)だった。
「いやいやいやいや…ひと言(こと)で2億を稼(かせ)げるお人は、そうざらには、おられませんよ」
 にこやかな顔で返した編竹だったが、その実、私だってその程度はすぐに動かせますよっ! …と内心で見栄を張っていた。この見栄を張る内心が編竹の本音である。双方、外見も超一流ブランドの特注品の背広で着飾っていた。これは目に見え、どうだ! いい服だろう! とばかりに双方が主張する本音だ。
「どうです? 今夜あたり、一献、傾けるというのは…」
「ほう! いいですなっ! 料亭、鰻政ですか…。あそこは300年の老舗で、天然ものですからな」
「そうそう! 秘書に手配させておきます。今宵(こよい)、六時あたりで、いかがですかな?」
「はあ、それで…」
 この飲み食い話に関しては双方とも本音で、強(あなが)ち人は飲み食いの話となると、本音で語ることが、よくある。

                             完

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2017年8月 2日 (水)

よくある・ユーモア短編集-98- 適度

 慌(あわ)てれば、ろくなことがない・・と、よく言われる。そうかといって、落ちついていればいいのか? と考えると、そうでもない。要は、適度・・ということに他ならない。このファジーな感覚は人それぞれで異なるが、達人ともなると、この適度な感覚が絶妙で、寸分の狂いも生じない。この感覚を得る方法だが、こうすればよい・・という定まった答えはない。鉄板焼ソバの独特の香ばしい風味とか鰻(うなぎ)の蒲焼(かばや)きの絶妙タレ味などがそれだ。あの風味やタレ味は、幾度も幾度も積み重ねられ、初めてあの適度な味となる訳で、短期間で賞味できる味ではない。適度な行動感覚が恰(あたか)もその絶妙味や風味の感覚に似通っている。
 日曜の朝、新発売される玩具(おもちゃ)屋の店頭である。早朝の4時だというのに、すでに数人が並ぶ列ができていた。検察事務官の岡田は、その列の先頭で寝袋(シュラフ)に包(くる)まれ、身体を半折り状態にして地面に座っていた。そこへバタバタ…と小走りでやってきたのは、検事の霜川である。
「岡田君、よく来れたね? 私なんか、土曜の夜からホテルに泊まりこみだよ」
「長年、集めてるマニアですからね。列ができる時間とか込み具合は、おおよそ頭に入ってるんですよ」
「ほう! 大したもんじゃないかっ! 私も長年のマニアだが、来年は退官だからな。もう君のような元気はないよ」
「ははは…ご冗談をっ!」
 霜川と岡田はタッグを組んでいて、検察庁内ではフィギュアコンビと呼ばれ名を馳(は)せる、マニアックな変人だった。
「いつも君は先頭だが、何かコツがあるのかい?」
「ははは…そんなもんありませんよ。今朝の場合、発売が過去シリーズのビンテージの復刻版ですから、そう大した人込みは…と見込んで、適度な時間に家を出ただけのことです」
「それで先頭か…。私なんか、安全策を取った挙句が、このざまだ」
「ただ、2時に家を出ただけなんですけどねぇ~。新シリーズのレアものなら、帰らず外食して直行です」
「普通のフィギュアは?」
「ははは…モノによりますよ。適度に…」
「適度か。適度ねえ…」
 多くても少なくても・・大きくても小さくても・・太すぎても細すぎても…適度を失すれば、物ごとがダメになることは、確かに、よくある。

                         完

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2017年8月 1日 (火)

よくある・ユーモア短編集-97- 価値

 価値が決められる評価の基準は曖昧(あいまい)なものである。苦労して手に入れたガラス製の一個の色づきビー玉は、一人の子供にとってはダイヤモンドより価値があるものかも知れない。
「石崎君、君すまんが来週の土、日さ、月、火に変えてもらえんか」
「ええ~っ! 来週の日曜ですか…?」
 課長の岩辺にそう言われ、課長補佐の石崎は一瞬、躊躇(ちゅうちょ)して怯(ひる)んだ。次の日曜は石崎にとっては大事な日で、婚約した女性の家を訪問するという大事な予定があったのである。会社の方針で、去年から課長補佐以上の管理職は月に一度の土、日出勤が義務づけられていて、今月の番は岩辺だったのである。
「ああ、ちょいと野暮用ができてね。いやなに…どうしても! とは云わんが。出来れば! の話だ。…なんなら、水曜も休んでもらってもかまわん。月、火、水と三日も休めりゃ御(おん)の字じゃないか」
 上目線の陽気な笑い声で言う岩辺だが、内心では、どうしても次の土、日は休みたかったのだ。岩辺の用向きとは、妻にはゴルフで・・と誤魔化し、その実、絆(ほだ)されて出来た女性との一泊旅行を目論(もくろ)んでいたのである。石崎にとっての土、日の価値と岩辺の土、日の価値は、双方とも同等に思えた。ところが世の中は上手(うま)くしたものか悪くしたものかは分からないが、^^ 岩辺の相手と石崎の婚約者は同じ店で働く店員同士で、岩辺の目論見は二人の語らいにより呆気(あっけ)なく表沙汰になってしまったのである。
「あらっ! そうなのっ!! …そりゃ、あなたの方が大事だわよ。私もね、離婚しない人、待って
って仕方ないから、そろそろ他を探そうかな・・って、思ってたとこだったから…」
 二人の間で価値は決定的に格差を見せた。
 二日後の会社である。
「あっ! 石崎君、アレね。アレ、もういいわ…」
「課長、少し元気がありませんね。どうかされましたか?」
「いや、まあ…」
 岩辺は別れ話を持ちかけられた・・とも言えず、口籠(くちごも)って暈(ぼか)した。
 世の中ではやはり、真の価値が価値と評価されることが、よくある。

                            完

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