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2017年9月

2017年9月30日 (土)

思わず笑える短編集-57- ヒーロー

 こうも世の中が複雑になると、ヒーローは出づらくなる。というのも、マスコミによる情報が流れる速さにより、すぐ目立つからだ。2日後の週刊誌に写真入りでヒーロー登場となれば、これはもういただけない。恵まれない人々に愛の手を・・と、タイガーマスクから義援金数百万円が警察署の前に・・といった活躍が関の山の時代である。ヒーローが悪人どもだけでなく、マスコミの取材にもビクビクする・・などといった昨今の構図は、冗談にもいただけない。まあ、それだけ、ヒーローが活躍できる場が減ったということだが、それだけ悪人どもが暗躍しやすくなっている・・ということだから、これまた、いただけない。古くは赤胴鈴之助から、マジンガーZとか機動戦士ガンダムとかの戦隊ものヒーローに至るまで、さまざまに進化してきたが、機械化は、どうも現実離れして目立ちにくいという点にあるようだ。元々、ヒーローは、現実に、いるんじゃないか? いたらいいな! …とか思わせ、子供心を擽(くすぐ)る存在のはずだった。大人だって、見たあとスカッ! としてワクワクしたものだ。その期待感がすっかり萎(しぼ)む寂しい時代である。
「ああ! 誰か暮らしやすくしてほしいよな…」
「そうですとも! いったい、この国はどうなったんですかね?」
「お年寄りが増え過ぎたのか?」
「いえ、それだけじゃないでしょう。働きづらい国になったからじゃないですか?」
「若い者も先まで安定して働けないからな」
「高齢者も年金減らされてまでは働かないでしょ」
「ああ、そうそう。非課税限度額なんて、すぐ超えるからな」
「年金は減らさず、働ける人、働く気がある人を対象に高齢者減額所得税で徴収するというのは、どうでしょう?」
「おおっ! 財源にもなるし、国も元気になるからなっ! ははは…君こそヒーローだっ!」
「いいえ、ヒーローみたいに、そうは出来ませんから…」
「ヒーローは、やっぱり、いないのか…」
 二人は押し黙った。ヒーローが架空の存在と思えたからだ。その頃、出づらくなったヒーローは、密(ひそ)かに、くしゃみをしていた。

                             完

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2017年9月29日 (金)

思わず笑える短編集-56- 少しの違い

 人の言葉は、そのときの感情の持ちようで少しの違いを生む。それは、いい場合もあれば悪い場合もあり、送り手と受け手の双方に言える。
「ははは…まあ、いいじゃないですか」
 ある人Aは、にこやかな顔でそう慰(なぐさ)めた。
「いいじゃないかっ!」
 またある人Bは少し怒り口調で窘(たしな)めた。
 二人は同じ場所に存在してはいたが、同じ日時ではなかった。Aが存在した日は前日で、Bは翌日、その場所に存在したのである。二人の言葉をその場所で受けたのは、同じ人物Cだった。前日のA→Cの場合、Cは気分よかったから、軽くAへ頭を下げたのである。
「そうですね、ははは…」
 Aは自分も軽はずみだったな…と自戒した。
 一方、翌日のBの場合、Cは少しムカッ! とした。その腹立たしい気分はその場ですぐ消え去ったが、しばらくすると怒りへと変化して噴き出した。
「いいことがあるかっ! 馬鹿っ!」
 CはBへ怒りながら返した。
 二人の送り手によって、受け手はこれだけの差を生じるのである。こうなれば、もはや少しの違いどころではなくなり、大きな違いとなるから恐いものである。
 今の地球上で起っている諸々(もろもろ)の出来事もBのような少しの違いから生まれているのかも知れない…などと思いながら、ある人Dは美味(うま)そうに鰻重(うなじゅう)を頬張(ほおば)り、ついうっかり食べ急ぎ過ぎて咽(むせ)た。

                           完

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2017年9月28日 (木)

思わず笑える短編集-55- 鞭(むち)ばかり

 日長な一日、鞭(むち)を打たれるように営業に精を出していた平社員の魚節(うおぶし)は、これといった契約も取れないまま帰社した。魚節は帰って早々、課長の塩焼(しおやき)に呼び出された。
「やはりダメだったか…。まあ、余り期待はしてなかったがね」
「はい、まあ…」
 その言いようはないだろ! と少し怒れた魚節だったが、塩焼の言ったとおり、今までコレといった契約をとれていないのも事実だったから、妙なところで納得した。
「まあ、いい…。がんばりなさい」
 課長の塩焼もそれどころではなかった。このときすでに鞭を打たれるように部長の刺身(さしみ)に呼び出されていたのである。数十分後、呼び出された鞭ばかりの塩焼の姿が部長室にあった。
「やはりダメだったか…。まあ、余り期待はしてなかったがね」
「はい、まあ…」
 そう返しながら塩焼は、おやっ? と思った。刺身の言葉がどこかで聞いた言葉に思えたからだ。それもそのはずで、よ~~く考えれば、それは自分が部下の魚節に言った言葉だったのだ。だが、契約が取れていないのは事実だったから、塩焼は納得した。
「まあ、いい…。よろしく頼むよ」
 部長の刺身もそれどころではなかった。このときすでに鞭を打たれるように専務の煮物(にもの)に呼び出されていたのである。数十分後、呼び出された鞭ばかりの刺身の姿が専務室にあった。
「やはりダメでしたか…。まあ、余り期待はしてませんでしたがね」
「はい、まあ…」
 そう返しながら刺身は、おやっ? と思った。煮物の言葉がどこかで聞いた言葉に思えたからだ。それもそのはずで、よ~~く考えれば、それは自分が課長の塩焼に言った言葉だったのだ。だが、契約が取れていないのは事実だったから、刺身は納得した。
「まあ、いいですよ…。よろしく頼みます」
 専務の煮物もそれどころではなかった。このときすでに鞭を打たれるように社長の浮来(ふらい)に呼び出されていたのである。数十分後、呼び出された鞭ばかりの煮物の姿が社長室にあった。
「そうですか…。まあ、余り期待はしてませんでした」
「はい、まあ…」
 そう返しながら煮物は、おやっ? と思った。浮来の言葉がどこかで聞いた言葉に思えたからだ。それもそのはずで、よ~~く考えれば、それは自分が部長の刺身に言った言葉だったのだ。だが、契約が取れていないのは事実だったから、煮物は納得した。
「まあ、いいです…。よろしく頼みますよ」 
 社長の浮来もそれどころではなかった。このときすでに株主総会が迫っていたのである。数日後、四苦八苦しながら発言する鞭ばかりの浮来の姿が株主総会の議場にあった。
 働く者は下から上まで、皆(みんな)鞭ばかりなのである。

                          完

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2017年9月27日 (水)

思わず笑える短編集-54- 地道な作業

 アスファルト化された道ではなく、鶴嘴(つるはし)を振り上げて穴が出来た地道を平坦(へいたん)に均(なら)す作業に汗する昭和30年代の土木作業員・・正にこれこそが、字義のとおり地道な作業なのである。最近の文明は、この地道な作業を忘れつつある。やれ、パソコンでの検索だのスマホ[携帯用のスマートホーン]でラインなどと、便利さを、さも自慢するかのようにゲーム感覚で使う風潮が蔓延(まんえん)している。まあ、悪くはないものの、必ず必要なのか? と問えば、そうでもない。要は、電力を無駄に使っている訳だ。それなのに電力不足だとかの講釈をたれる文明社会なのである。
 開発担当で、すべての最先端の情報機器に関する知識を持ってはいるが、プライべートでは一切、そういった最先端機器を使わない堅物(かたぶつ)な男がいた。その名も堅辺(かたべ)という。堅辺の公務以外での日常は地道な作業の連続だった。新聞は前の日の新聞をお隣りの多島から貰(もら)い、読み漁(あさ)ることから始まった。さらに、その読み終えられた新聞は地道な作業で整理されたあと物置へと収納され、廃品回収に出されるのかと思いきや僅(わず)かな額で売られるのだった。それによって手に入れられた金は、農作物の種苗の購入費に引き当てられた。またさらに、地道な作業で実った農作物は堅辺の食料となり、生活費の一部を賄(まかな)ったのである。
「ははは…金属は食えませんからねっ!」
 希有(けう)の功労者として文化勲章を授与され、マスコミ取材を受けたときの堅辺の言葉だ。… 確かに、一理ある。

                            完

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2017年9月26日 (火)

思わず笑える短編集-53- 受賞

 日々、生活していると、上手(うま)い具合にスンナリいく場合と、そうならない場合は当然ながらある。学者の芳川(よしかわ)はこれがどういう場合で生じるのか・・ということを事(こと)細かに調べ上げ、データ化する作業に没頭していた。これはある種、変人じみた研究である。芳川はいつの日か、この研究でノーベル賞を受賞してやる! と意気込んでいた。
 ある日の午後、芳川がデータを纏(まと)めあげ、やれやれ…と大の字に手を広げながら欠伸(あくび)を一つ打ったとき、大きく開け過ぎたせいか、突然、下顎(したあご)が外(はず)れてしまった。芳川は慌(あわ)てて下顎に手を当て、力任せに押し上げると、少し痛みは走ったがなんとか元どおりに顎は収まった。それ以降、一定の間隔で芳川の下顎は外れるようになった。それもスンナリとコトが運んで欠伸をしたときには外れず、作業で一定量のノルマを達成したときとか、小難(こむずか)しい作業を達成できたとき、思わず出た欠伸で外れる・・という事実が判明した。ということは、すべて物事がスンナリといった場合、顎は外れない・・という結論が導(みちび)き出せるのである。芳川は、その常識外の馬鹿げた実験データを日夜、取り始めた。
 それから2年の時が流れ、芳川は[スンナリとスンナリいかない場合における下顎が外れる相関関係]という論文を学会に発表し、ノーベル文学賞を授与された。ノーベル医学賞ではなく、ノーベル文学賞である。授与理由は今世紀上、稀(まれ)なるお笑いセンス・・によるものだった。

                           完

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2017年9月25日 (月)

思わず笑える短編集-52- 末吉(すえきち)派

 竹園は占いを信じる一人だが、少し変わっていた。というのは、おおむね籤(くじ)を引いた場合、大吉をよし! としたものだが、竹園の場合は違っていて、末吉(すえきち)を最良と考えていた。続いて小吉、中吉・・と続き、もっとも誰もが願う大吉は、竹園の場合は、凶に次ぐ最悪の八卦(はっけ)だった。なぜかといえば、大吉の場合、危険も大きい・・すなわち、凶に変化する可能性もあると考えたからだ。確かに、大金持ちが一転して借金まみれの奈落(ならく)の底に沈むといったケースがある。大物政治家になれたのはいいが、政治資金で苦境に立たされたり、つまらないスキャンダルで政治家の道を断たれる・・といったケースだってある訳だ。だから、という訳ではないが、慎重で高望みをしない竹園は、未知数ながらも将来や来世を見据(みす)えた吉兆の末吉を最良と考えていた。まあ、外(はず)れた場合でも、小吉ならばよし! と思うくらいだった。
「竹園さん、一杯、どうです? たまには…」
 同僚の松沼が会社帰りに竹園を誘った。
「おっ! いいですね!」
 一も二もなく竹園は了解した。一時間後、小さな場末の飲み屋に二人の姿があった。
「もう一杯!」
 松沼は赤ら顔で手に持つ銚子(ちょうし)を不安定に揺らせながら竹園に酒を勧(すす)めた。松沼はかなり出来上がっていた。
「大丈夫ですか?!」
「ウイッ! わ、私ですかっ? 私は大丈夫ですよ。大丈夫ですよね? …大丈夫じゃないか? ははは…まあ、いいじゃないっすかっ! 一杯!」
「いえ、私は末吉派ですから…」
「はぁ? …」
 訊(たず)ねながら松沼はカウンターへ身体を沈めそうになった。間一髪のところで竹園が松沼の身体(からだ)を支(ささ)え、出されていた料理鉢や小皿、お銚子、杯(さかずき)、箸などは、危うく難を逃れた。竹園が言った末吉派とは、さらに酒を飲んで気分よく酩酊(めいてい)するのは大吉だが、あなたのようにダウン寸前となり凶へ変化する危険もありますよ…という気分を暗に表現した言葉だったのである。案(あん)の定(じょう)、松沼はその後、タクシーで自宅へと返送される人になり、竹園は、ほろ酔いのいい気分で自宅へと帰還(きかん)した。
 すべからく、末吉派は人生や来世を、いい方向へと導(みちび)くようである。

       
                    完

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2017年9月24日 (日)

思わず笑える短編集-51- 詰(つ)め

 何ごとも詰(つ)めを誤(あやま)ると、すべてがご破算になる。
「ははは…詰みましたな」
 二人のご隠居が縁台将棋を指している。白髪のご隠居が、いかにも、どうだっ! と言わんばかりに自慢げに言った。
「… ダメかっ! もう一番!」
 盤面を睨(にら)む相手のご隠居は、禿(は)げあがった頭を片手で撫(な)でつけながら、口惜(くや)しそうに頼み込んだ。
「いや、そうしたいんですがな。このあと、会社の元役員会のお歴々(れきれき)と会食がありまして…。後日、また…」
 そう言いながら、白髪のご隠居が席を立とうとしたそのときだった。
「あっ! 詰んでませんぞっ!!」
 禿げ頭のご隠居が突然、大声で叫んだ。立ち上がりかけた白髪のご隠居はその声に驚き、慌(あわ)てて座り直すと盤面を見据(みす)えた。
「コレ! で、どうです?」
 禿げ頭のご隠居が鬼の首でも取ったような顔つきで、盤面に手駒(てごま)の[銀将]をビシッ! っと打ち据えた。これがなかなかどうして、[詰めろ]を防ぎつつ[王手]となる最善の妙手で、相手の王は即詰みに討ち取られる形になっていた。
「ははは…こちらが詰みましたか。どうも詰めそこねたようですな。…参りました。では、これにて…。いずれまた」
 白髪のご隠居は素直に負けを認め、一礼しながら立ち上がると部屋から去った。禿げ頭のご隠居は、ご満悦で風呂に入ろうとした。ところが、である。湯栓をしていなかったためか湯は浴槽に溜まっておらず、出っぱなしになっていた。禿げ頭のご隠居は詰めを誤り、負けていた。

                            完

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2017年9月23日 (土)

思わず笑える短編集-50- 再生

 日曜の午後、多山は乱雑に部屋内に放置された小物を整理していた。
『いや、これはいらんぞ…』
 そう思えた多山はその小物を捨てる方へ分別した。ところが、しばらくすると、ふとまた使うような気がした。とはいえ、その小物は滅多と使わないもので、それを使う状況はごく限られているのだった。しかもその小物は少し痛んでいて、そのまま使える代物(しろもの)ではなかった。多山はその小物をともかく使う方へ分別しなおした。
 多山はしばらく分別作業を続け、ある程度、部屋が片づいたときだった。
『いや、これはいらんぞ…』
 多山はまたそう思える中途半端な小物に遭遇(そうぐう)した。先ほど迷った小物と同じで、その小物も使う状況がごく限られたものだった。しかも、その小物は先ほどの小物と同じで少し痛んでいるではないか。多山は使う方へ分別した先ほどの小物を手にし、今、迷っている小物と比較してみた。そのとき、ふと多山は閃(ひらめ)いた。二つの小物を少し加工すれば、新しい完璧(かんべき)な小物が再生できるぞ…と。思ったらそのまま放置しておけない性分の多山は、さっそく加工しようと道具を出して二つの小物を弄(いじく)り始めた。そして小一時間が経ったとき、多山の手には再生され完成した新(あら)たな小物が握られていた。
『やったぞっ!! 再生だっ!』
 多山は成し終えた充足感に包まれていた。ただ、部屋はまだ片づいておらず、散らかっていた

      
                    完

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2017年9月22日 (金)

思わず笑える短編集-49- 他人まかせ

 いつまで経(た)っても戻(もど)らない谷底(たにそこ)に、山上(やまがみ)はイラついていた。これなら、自分で行った方がよかったな…という気持も湧いてきていた。腕を見れば、すでに午後2時を回っていた。山上は、いい加減にしろっ! と、誰もいない野原に腰を下ろし、怒鳴(どな)っていた。
 コトの発端(ほったん)は、予想外のハイキングコースにあった。予定したルートの地図上では、この付近に食べられる店が出ているはずだった。それが、無かったのだ。いや、あることはあったのだが、すでに閉じられていて、廃墟(はいきょ)と化した店だった。二人は、空いた腹を抱え、どうしたものか…と思案した。
「俺が近くの家で訊(き)いてくるよ…」
 谷底がそう言って消えたのが2時間ばかり前だった。「ああ…」とは言ったものの、山上とすれば、すぐ戻ってくるだろう…の軽い気分だったのだ。それが2時間である。他人まかせにした自分がいけなかった…と後悔(こうかい)しながら、山上はついに動くことにした。他人まかせにしなければ、行動はすべて自分がやっているのだから腹が立たない。失敗は自分の失態だから、他人に腹を立てることもなくなるのだ。動きだした山上は、急がば回れか…と、古くからある格言を思い出した。
 歩きだして15分ばかりが経ったとき、山上の眼前に一軒の食事が出来そうな店が現れた。山上は躊躇(ちゅうちょ)することなく店へ飛び込んだ。
「いらっしゃいっ!」
 店奥から気分のいい声がかかった。山上は店内を見回して適当に座ろうとした。と、そのとき、ウデェ~~っとした赤ら顔で鼾(いびき)を掻きながら畳席で眠っている一人の男を山上の目が捉(とら)えた。男は、待てど暮らせど戻ってこなかった谷底だった。谷底が横たわる机の上には食べ終えた料理と酒やお銚子が並んでいた。こいつっ!! と山上は腹を立てたが、時が経つに従い、そんな自分が情けなくなってきた。
「こいつと同じものをっ!!」
 山上は店主にオーダーしていた。
「へいっ!」
 一時間後、山上は谷底の隣りで大の字になり赤ら顔で眠っていた。何ごとも他人まかせにせず自分でやることが、好結果を得る早道(はやみち)となる。

                           完

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2017年9月21日 (木)

思わず笑える短編集-48- 少数意見

 最高裁判所の法廷である。再審請求が認められた湯煙慕情騒音殺人事件の判決が言い渡されようとしていた。多数意見は、明らかに被告人、音痴(おんち)の唄った騒音により、隣り部屋に宿をとっていた観光客である被害者が狂死したとの死亡説を採った。それに対し、少数意見は単なる死亡説を採ったが、その裁判官の数は裁判長だけの僅(わず)かに1名だった。ところが、である。まさに判決が言い渡されようとしたそのとき、被告人である音痴が突然、唄い始めたのである。その唄は、まさに被害者が死亡したそのとき、唄われていた唄だった。
「被告人!! 静粛(せいしゅく)にっ! それ以上、唄うと退廷を命じますよっ!」
 これから判決を言い渡そうとしていた裁判長は型(かた)なしで、威厳(いげん)もなにもあったものではない。それもあってか、裁判長の言葉は、少なからず冷静さを欠いていた。まあ、最高裁の法廷で裁判中に唄ったのは、歴史上、あとにも先にも、この男、音痴の他にはいないと思われた。
「分かりました…。でも、裁判長! この唄で誰も死んでないでしょ!?」
 音痴の言うのは道理に叶(かな)っていた。廷内では誰も死んでいなかったのである。
「… まあそうですが…。オッホン!! 静粛にっ! 被告人はこれから判決を申し渡しますから、静かに聞くように…」
 廷内は沈黙し、静まり返った。
「主文 被告人は無罪」
 多数意見が、ものの見事に覆(くつがえ)った瞬間だった。多数意見を述べた裁判官達は、『嘘(うそ)だろっ!』とでも言いたげな眼差(まなざ)しで裁判長を見た。
「判決理由 被告人の唄った行為により死亡者が死亡したと推論した状況証拠の根拠は、法廷内において被告人が成した歌唱行為により崩れたものと見るべきである。すなわち、法廷内に死亡者が出なかったという厳然たる事実は、この段階で被害者は単なる死亡者なのであって、被害者ではなくなることを意味することになる。いかに被告人の唄が常識では到底あり得ない音程のずれた聴くに耐えない唄であったとしても、この行為により罪を犯したとは言えない。被告人と死亡者が偶然、知り合いとなっていた事実があったとしても、心証に作為があったとは言えず、被告人の唄うことによる殺意がある行為、すなわち犯行とする検察側の主張は退(しりぞ)けられることとなる。科捜研の音声解析により、被告人の音声に人類には存在し得ない異質の音域が検出された鑑定結果の事実があったとしても、この法廷内において、廷内の全員が聴いた被告人の唄により死亡した事実が認められない以上、被告人を…」
 うだうだ…と裁判長の判決文の朗読は続いた。
 この世には少数意見が多数意見より正しいことが、あるにはあるのだ。

                          完

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2017年9月20日 (水)

思わず笑える短編集-47- 適度

 物事は、すべて適度が無難(ぶなん)だ。熱すぎても温(ぬる)すぎても風呂に気持よく入れないのに似ている。つまりは、ほどほど、小難しく言えば中庸(ちゅうよう)をもって良しとす・・ということだ。そうはいっても、人生に塗(まみ)れていると、世間の柵(しがらみ)によって、どうしても片寄らざるを得ない機会が多くなる。ここで個人の力量が見え隠れする訳だ。適度の使い方を会得している免許皆伝者は姿や結果を残さず霞(かすみ)のように消えるのだ。実際は存在しているのだが、無関係な霞に巻かれ、透明人間化できる訳だ。この男、俵木(たわらぎ)もそういう男だった。管理者か? と訊(たず)ねられればそうでもなく、かといって、平(ひら)の職員か? と訊(き)かれてもそうではない課長代理という曖昧(あいまい)なポストに甘んじていた。甘んじているとは、取り分け、出世しようとも思わない男・・ということに他ならない。
「俵木さん、そろそろどうですか?」
 課長の米坂(まいさか)が意味深(いみしん)に笑みを浮かべ、課長席の前に座る俵木に訊ねた。課長、副課長、課長補佐、課長代理の席は、他の職員達の席より窓側の最前列にレイアウトされていた。
「…そろそろとは?」
 俵木は意味が分からず、逆に訊き返した。
「ははは…いやですな。あと数年で定年ですから…」
「私ですか? はあ、まあ…」
「ですから、そろそろ…」
「…そろそろ、なんでしょう?」
「いや、実は課長補佐の川平さんが本社の副課長にご栄転でしてね。で、席が空きましてね…」
 米坂は歯に物が挟まったような口調(くちょう)で言った。
「ああ、その話は私も川平さんから聞いて知っております」
「ああ、そうですか。…ですからね!」
「ですから? なんですか?」
 俵木にダ洒落(じゃれ)を言う気は毛頭なかったが、そう返していた。
「いや、どうということもないんですがね。そろそろ管理職になられるお気持は?」
「ははは…そういうことでしたか。私はもういいんですよ」
「そうですか?」
「はい。今の立場が、私には一番、適度なんです」
 俵木は、いい湯加減の血色いい顔で笑った。今さら管理職で同僚を見下ろす・・というのが、適度な職場環境での退職を乞(こ)い願う俵木には耐えられなかったのである。
 適度とは気楽とまでは言えない人々のユートピアなのだ。

                          完

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2017年9月19日 (火)

思わず笑える短編集-46- 機械馬鹿

 機械馬鹿になるということがある。便利で短時間で済むはずの機械操作に手間取り、結局、時間ばかりを取られ、作業も進まなかった者のことを意味する。起き出した薄毛(うすげ)は、朝早くからノートパソコンを起動していた。だが、なかなか立ち上がらず、ようやく立ち上がるまで数分が経過していた。以前はすぐ立ち上がったのだから、薄毛としては不満だった。お蔭(かげ)で朝食はトーストも食べられなくなってしまったではないかっ! と薄毛は憤懣(ふんまん)やる方なく、イラついていた。さらに輪をかけて、立ち上がったパソコンの常駐・セキュリティソフトの動作が緩慢+指示が多いという厄介(やっかい)さも絡(から)み、すっかり手間取ってしまったのである。そこへ加えて、この重さを改善しようと検索し始めたのが災いし、予定の文章入力は昼まで何も進まなかった。要は、中山道で難儀(なんぎ)し、関ヶ原の戦いに間に合わなかった徳川秀忠公のようになってしまったのである。そして薄毛は、いつの間にかパソコンを目の前にして眠ってしまっていた。
 気づくと薄毛は、まだ起き出していなかった。起きた記憶は残っていて、しかもパソコンの延捗(えんちょく)で難儀した記憶も鮮明だったから、寝室にいる自分が理解できなかった。意味が分からないまま取り敢(あ)えずまた起き出した薄毛は機械馬鹿になる危険を感じ、トーストとサラダ、ハムエッグをゆっくりと美味(うま)そうに食べ、外の修理作業を先にやることにした。徳川家康公のように東海道を進んだのである。修理を順調に終えたあと、薄毛はパソコンを手にしようとしたが、まあ、空いた時間でもいいか…と軽く考えたのが功を奏(そう)し、結局、機械馬鹿になることを避けることが出来たのである。めでたし、めでたし…。
                           完

 ※ 漏れ聞くところによりますと、情報の流出やウイルスによる故障、サイバー攻撃などを受ける個人や一切の団体、組織も、すべて機械馬鹿に区分けされるそうです。ただ、私には、よく分かりません。^ ^

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2017年9月18日 (月)

思わず笑える短編集-45- 桜

 あれは葉桜だな…と呟(つぶや)きながら通り過ぎていく若い女を評価する男がいた。取り分けて変質者でも何でもない、一見(いっけん)どこにでもいそうなただの男だったが、実はただの男ではなかった。この男、橘(たちばな)は、すべてを透視できたのである。外見だけでなく、素性(すじょう)や性格、さらには過去や未来の過程を透視できる才に恵まれていたのだ。この女は塗りたくって厚化粧で美人に見せてはいるが、その実、すでに散り染めた中年女・・と、橘には見えた。さらに、その女性が辿(たど)った薄幸(はっこう)の人生までも走馬灯を見るように一見(いっけん)して分かったから、その女が通り過ぎたあと、橘は思わず涙ぐんでいた。そんな橘を対向して近づく通行人が怪訝(けげん)な目つきで見ながら過ぎていった。
 満開の桜が咲き乱れる春四月、陽気はすでに暑いくらいで、ソフトクリームを舐(な)めながら通り過ぎる花見連れもいた。そんな中、幸せそうなカップルが通り過ぎた。瞬間、橘にはそのカップルが一ヶ月後に喧嘩(けんか)別れすることが分かったから、哀れさで思わず振り返っていた。そして、運命のときが、橘に迫っていた。昨日(きのう)店で食べた桜餅の福引券が当たっていたのである。甘いもの好きの橘にとって、それはそれは有難い当たり券で、当たれば桜餅が食べ放題という至福の券だった。店が近づくにつれ、橘の顔はニヤけてきた。

                           完

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2017年9月17日 (日)

思わず笑える短編集-44- 違い

 自分の見方と他人の見方は当然、異(こと)なる。その違いは見解の相違として、時には対立することにもなる。個人的な言い争いから国家間の戦争に至るまで、範囲は大きい。まあまあ…と仲裁(ちゅうさい)が入ることにより、二つの違いはお互いに歩み寄ることになる。要は違いが消える訳だ。
 昼下がりの、とある八百屋の店頭である。店の主人と一人の買物客の男が話しあっている。店頭には出回り始めた苺(いちご)パックが、ところ狭(せま)しと並べられていた。
「いや、それは、いくらなんでも…」
「いいじゃないですか、もう1(ワン)パックくらい。いつも買いに来てるんだから…」
 八百屋の主人が、いつも来る買物客へのサービスで、「お世話になってますから…」と、笑顔で1パックおまけしたのが、いけなかった。買物客は、このサービスを厚かましく利用したのである。店の主人は瞬間、しまった! と悔(く)やんだが、時すでに遅(おそ)し・・だった。
「ははは…私どもは日銭(ひぜに)の商(あきな)いでございましてな…」
「いやいや、ご冗談をっ! 店も手広くされたんですから、結構もうけてらっしゃるんでしょ?」
「いやいやいや…滅相(めっそう)もないっ!」
「これだけパックが並んでるんですから、1パックぐらいっ!」
 二人の気分の違いは縮(ちぢ)まりそうにもなかった。そして30分ほど経過したときだった。別の買物客の婆さんが店へ近づいてきた。この婆さんが二人の思いの違いを縮める役を果たすことになった。
「分かりましたっ! も、もういいですっ! 今回だけですよっ!」
 婆さんが店に入るまでに…と思ったのか、主人は折れて、もう1パック追加して袋へ入れた。男は金を支払うと婆さんと入れ違いに店頭から去った。
「いらっしゃい!」
 婆さんは苺を1パック買うと、何もなかったように帰っていった。
「また、どうぞ…」
 主人は婆さんにサービスしなかった。要は、婆さんへのサービス分の1パックが先の買物客へ回ったということだ。婆さんとすれば、とんだ大損なのだが、そのことを婆さんは知らない。このように、違いは見えない損得勘定で消えることが多い

      
                    完

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2017年9月16日 (土)

思わず笑える短編集-43- いつもの…

 限られた範囲で使用される「いつもの…」という曖昧(あいまい)な言い回しがある。当然、その受け方は「分かりました…」と格好よく品(しな)を作り、さもプロ風に指定された物を取り出す。周囲の人にその遣(や)り取りの意味が分からないと、余計その言い回しは格好よく見える。それが、「いつもの…」である。
 不知火(しらぬい)横丁の路地裏に、いつも屋台を出すおでん屋があった。夕暮れが迫(せま)った頃、店の親父(おやじ)が提灯(ちょうちん)に灯(ひ)を入れると、決まったようにやって来る一人の男がいた。年の頃なら四十(しじゅう)半(なか)ば、その客が何をしているか・・を敢(あ)えて訊(たず)ねようとしない親父だったから、どういう男なのかまでは分からなかった。そうした関係がすでに20年以上、続いていた。そしてこの日も、その男は屋台に現れた。すでに椅子には勤め帰りのサラリーマン風の中年男が二人、冷や酒のコップを飲みながら、おでんを頬張(ほおば)っていた。
「へい、お越しっ!」
「いつもの…」
「へいっ!」
 親父は心得たようにコップを前へ置くと、棚(たな)からボトルした一升瓶を取り出し、トトトト…と八分ほど注(そそ)ぎ入れた。男はその酒を一気に飲み干した。二人のサラリーマン風の男は唖然(あぜん)としてその男を見た。取り分けて変った男とも思えなかったが、置かれた一升瓶を見ると、手を震(ふる)わ
せ、慌(あわ)てて背広のズボンから財布を取り出し始めた。一升瓶には[清酒 人魂]というラベルが貼られていた。
「少し冷えるようになったねえ…」
「そうですねっ! いつもの…で、いいですかっ?」
「ああ、いつもの…」
「へいっ!」
 親父は一升瓶の酒をコップへ注ぎ入れると、また馴れた仕草で皿の上に煮えたおでんを乗せ始めた。
「親父さん、勘定!」
 居たたまれなくなったような声で男二人は立ち上がった。
「そうですねっ! 今日は、¥2,000ばかしで結構ですっ!」
「おお、そうかいっ! 安いねっ!」
 落ちついた笑い口調だったが、二人の顔は青ざめていた。
「またのお越しをっ!」
 二人は走り去るように屋台から消えていった。いつもの…は、怖(こわ)いのだ。

                          完

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2017年9月15日 (金)

思わず笑える短編集-42- 困った人種

 世間には、法律ではどうにも出来ない困った人種がいる。取り分けて暴力とか一般社会の迷惑にはなっていないのだが、その人がしたことが、他人から見れば困った人種だ! と、怒れる場合が困った人種である。この手の人種は悪人よりも性質(たち)が悪く、取り締まりようがない上に、捕(とら)えることすら出来ない。
 通勤電車の中である。宮野(みやの)はこの朝も釣り皮を持って立ち、電車に揺られていた。正面下には、50半(なか)ばの中年女、右下には通学風の中学生が一人、そしてどこから見てもホームレスとしか見えない60前の男が左下の座席に座っていた。宮野の視線は最初、車窓(しゃそう)に流れる景色を捉(とら)えていたが、いつの間にか三人を見下ろす格好になっていた。というのも、三人三様に困った人種だ! と思える仕草(しぐさ)が目の中へ飛び込んできたからである。正面下に座る50半ばの中年女は、人目も憚(はばか)らず、ボタ餅を素手(すで)でムシャムシャと食べ、手に付いた餡(あん)をぺチャぺチャと舐(な)め始めた。それが別に悪いというのではないが、宮野には女性の所作とは思えず、見たくもない困った人種だっ! と怒れた。そして、左下のホームレスとしか見えない60前の男といえば、伸(の)びた鼻毛を一本一本、手の指で引き抜くと、その毛を左の車体金属へ植え付け始めた。これ自体、宮野に実害はないのだが、汚(きたな)いからやはり見たくもなく、困った人種だっ! と怒れた。男は左隅で 「 形に座を占めていて、左には誰もいない。宮野は、思わず見まい! と上を見上げたが、首が痛くなり、しばらくすると仕方なく下ろした。宮野の左横に立つ同じサラリーマン風の若者は器用に釣り皮を持ちながら眠り、我、関知せず・・の風情(ふぜい)だった。右下の中学生はノートを見ながら、何やら呪文(じゅもん)を唱(とな)えるようなほとんど聞こえない小声で、「&$#%’””…」と、訳が分からないことを呟(つぶや)いていた。ほとんど聞こえない声なのだが、気になり出した宮野にとっては余計に大きく聞こえ、困った人種だっ! と怒れた。見まい! と怒れた宮野が、また車窓を見ようとしたとき、50半ばの中年女と、うっかり目と目が合ってしまった。
「お一つ、どうです?」
 ぺチャぺチャと舐めた手で、笑顔の女はボタ餅を一つ、宮野の前へ差し出した。
「いえ、結構ですっ!」
 宮野は困った人種だっ! と、汚い手で差し出した女に怒れたが、笑顔で、すぐ断った。

                          完

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2017年9月14日 (木)

思わず笑える短編集-41- 矢瀬川弁当

 若かったあの頃の、ほのぼのとした追憶(ついおく)・・それは誰しもあるに違いない。これからお話するこの男、矢瀬川(やせかわ)にもそうした甘い思い出があった。
 話は今から数十年ほど前に遡(さかのぼ)る。当時、矢瀬川はまだ三十前で、そろそろ俺も…と、真剣に結婚を考えていた頃だった。
 ある日、同僚のOL、碧(みどり)が不意に矢瀬川の席へ近づいてきた。矢瀬川としては少なからず心を寄せている相手だったから、胸の鼓動は急に激しく早まった。
「あの…よかったら、このお弁当、食べて下さいませんか…」
「えっ?!」
 唐突(とうとつ)な碧の言葉に、矢瀬川は意味が分からず、思わず訊(き)き返した。
「お嫌ならいいんですけど…。実は今朝(けさ)、妹の分も作ったんですけど、今日は休むとか言ったもので…」
「ああ、そうなんですか! 僕でよければ…」
「ええ、どうぞ…。矢瀬川さん、いつも外食なさってるんでしたよね?」
「はい、まあ…」
 矢瀬川はいつも職場近くの大衆食堂で昼は食べていた。そのことは課内の誰もが知っていて、当然、碧も知っていた。矢瀬川は碧の言葉に内心、喜びで興奮していた。だが、それを悟られまいと態(わざ)と冷静を保ち、手作りの弁当を受け取った。矢瀬川は『愛妻弁当ならな…』と、勝手な想いを浮かべながら完食した。ブロッコリーとウインナ、出汁巻き卵、肉の味噌炒め・・と、手弁当にしては手が込んでおり、プロ並みの美味(うま)さだった。あとから矢瀬川が聞いた話では、碧の実家は料亭だそうで、碧自身も調理師免許を持っているとのことだった。その話を小耳に挟(はさ)み、矢瀬川は、なるほど! と納得したのだった。
 その後しばらくして、碧は好きな相手と結婚退職し、弁当は矢瀬川の儚(はかな)い思い出となったのである。そして、数十年が過ぎ去り、矢瀬川は来年、退職を迎える年になっていた。
「あの…よかったら、このお弁当、食べて下さい…」
「えっ?!」
 矢瀬川は、その唐突なOLの言葉を、どこかで聞いたことがあるぞ…と瞬間、思った。
「実は…母から手渡されたんです」
 聞いた瞬間、矢瀬川はすべてを理解した。OLは碧の娘だったのである。矢瀬川はそれ以降、店で弁当を買って食べるようになった。課内では、弁当を食べながらニヤける矢瀬川の光景を、いつしか[矢瀬川弁当]と呼ぶようになった。なんでも、他の課からの見物者が、引きも切らないそうである。

                         完

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2017年9月13日 (水)

思わず笑える短編集-40- バイメタル

 バイメタルという金属物は、なかなか重宝されている。自動信号で切り替わる・・という性質の物ではなく、温度の高低により歪曲(わいきょく)したり伸びたりする伸縮性がある金属物なのである。この特性を利用して、今までも、さまざまな電気製品などの部品として利用されてきた。角鹿(つのじか)は金属そのものではなく、その理論的な部分を世界経済に取り入れられないものだろうか…と、コンビニで1個¥100のおにぎりを頬張(ほおば)りながら、偉そうに考えていた。テレビには今を時めく政界のお歴々が、議員バッチを光らせながら格差社会について論じていた。角鹿の背広には何も付いていなかった。ということは、偉(えら)ぶって考える必要もないのだ。しかし、角鹿は経済学者でもないのに、図書館の専門書から得た知識を生かし、研究をしていた。ケインズが唱えた有効需要理論の修正理論であるバイメタル理論である。この理論によれば、富裕層の富は一定の限界を超えれば、吐(は)き出さないと滅亡するというものである。またその逆で、貧困層の生活レベルが一定の限界を超えた段階で富裕層への道が開ける・・という夢のような理論である。角鹿は、もう1個、おむすびを買っておけばよかった…と雑念を浮かべながら、空いた腹で、そう思った。平等は、なかなかこの世では難しいのである。テレビのチャンネルを変えると、芸能人が美味そうに高価な料理を食べていた。ああ! いいなあ…と角鹿は、また思いながら残ったおにぎりを齧(かじ)った。

                            完

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2017年9月12日 (火)

思わず笑える短編集-39- 汗

 また、暑い季節か…と殿岡は思った。だいたい自分には暑い季節そのものが似合わない…と殿岡は思うのである。殿岡がこう思うのは、何も今、始まったことではない。子供時代から感じていた感覚で、自分は寒い冬向きの人間だな…と気づいたのは、殿岡が物心ついた頃である。その感覚の芽生えには、殿岡の身体(からだ)に起きた一つの大きな事実があった。一定の温度以上、正確に言うなら、摂氏25℃を超(こ)えた段階から吹き出た汗が止まらなくなるのだった。身体に直接、着ける保冷剤を常備している今は、もうその苦労もなくなったが、学生当時の殿岡は、相当な気苦労を余儀なくされた。汗でビショ濡れになったままなら、夏場とはいえ、さすがに風邪(かぜ)をひく。だから、必需(ひつじゅ)品である着がえ用の衣類やタオル、洗剤、水、塩などは、学用品以外に鞄(かばん)へ詰め込んだものだ…と、今になり、ようやく笑える殿岡だった。
 今年も暑い夏が巡ろうとしていた。殿岡には針の筵(むしろ)に座らされるような夏の到来だった。だが、殿岡も馬鹿ではない。暑さ対策は完璧(かんぺき)で、クーラーボックスは申すに及ばず、空冷[空調ではない]システムが整った緊急避難施設が瞬時で分かる電子地図(マップ)は必ず携帯するなど、準備万端で夏に臨んでいたのである。
「フフフ…」
 バトル戦士の殿岡は不敵な嗤(わら)いを浮かべた。殿岡にとって、夏は身体を解かす怪物以外のなにものでもない最大のターゲットだった。

                          完

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2017年9月11日 (月)

思わず笑える短編集-38- 停止

 いつものように虎川はパソコンを起動し、職場から持ち帰った作業を継続しようとした。ところがである。束(つか)の間(ま)、立ち上がったパソコンが、この朝にかぎりウンともスンとも言わなくなったのである。要は、停止してしまったということだ。この突然の停止には、さすが扱(あつか)い馴(な)れた虎川も驚いた。この日は土曜の閉庁日で、役場ではなく自宅だったのが勿怪(もっけ)の幸いだった。虎川は最初のうちは、それほど深く考えていなかった。再起動でもすりゃ、すぐに…くらいの軽い気分である。ところが、どっこい、そうは問屋が卸(おろ)さず、パソコンは店を畳(たた)む危機…いや、停止の危機に陥(おちい)ったのだった。それに虎川が気づいたのは、およそ30分ばかりが過ぎ去った頃だった。
「妙だな…」
 虎川は腕組みし、はて? と、囲碁のプロ棋士のように長考に入った。だが、どうしても停止の理由は分からなかった。昨日(きのう)の終了までは順調に起動しており、取り立てて弄(いじ)った記憶もなかったから、原因がまったく掴(つか)めなかった。虎川は、アレコレと試みたが、やはりパソコンはウンともスンとも言わなかった。
『修理に出すか…』
 停止したままなら、やはり思いつくのはプロ棋士風? の第一感として電気店への修理出しである。いや、別にプロ棋士でなくても思いつくことなのだが…。
 さて! と、原因を探るのをやめ、餅は餅屋だ…とばかり、虎川は電気店へ下駄(げた)を預(あず)けることにし、椅子(いす)から立ち上がった。そして、和室を数歩歩いたときだった。電源に繋いでおいたはずのケーブルがコンセントから抜けていた。結論から先に言えば、停止したのはパソコンの不具合によるものではなく、充電不良によるパソコンのバッテリー切れ・・ということになる。
「なんだっ!!」
 虎川は気づかなかった自分自身に腹が立った。お蔭(かげ)で午前中の作業はチャラとなり、虎川としてはサッパリである。虎川は、上手(じょうず)の手から水だな…と、またプロ棋士のように偉(えら)そうに思った。これでは、先が思いやられる。

                            完

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2017年9月10日 (日)

思わず笑える短編集-37- お豆腐

 森高はお豆腐と職場で呼ばれている。森高の人生は、もはや豆腐抜きでは考えられなくなっていた。なぜ森高が豆腐好きになったのか? という謎(なぞ)を、これから検察官バッチが意味する、烈日の輝きの下(もと)に真実をつまびらかにする作業に準(なぞら)えて、ご説明申しあげよう。えっ? そんなまどろっこしい言い回しはどうでもいいから、早く話を進めて欲しいだって? …まあ、それもそうだと思うので、語ることにしよう。ええっ? 別に語らなくてもいいから、話して欲しい・・だって? ああ、そうすることにしよう。いつものように眠くなった者は、途中で眠ってもらっても、いっこう構わない。
 話は3年ばかり前に遡(さかのぼ)る。森高はその頃、大食が祟(たた)ったのか、劇太(げきぶと)りしてしまった。本人はそれほど食べたとは思っていなかったが、実際には普通の食事の2倍の量を一度に食べていたのである。これでは流石(さすが)に太らない方が不思議というものである。だんだん森高は太っていった。気づいたとき、森高の体重は、優に100kgを超えていた。さあ、これは偉いことになったぞ…と森高は気にしだしたが、時すでに遅(おそ)かった。職場のデスクに座れないとなると、これはもう重大問題である。いや、正確に言えば、座れることは座れるのだが、肥満体が邪魔をしてデスクに身体を密着して執務することが出来なくなった・・ということだ。さて、どうするか! 森高は窮地(きゅうち)に陥(おちい)った。ダイエットすることは当然、至上命題だったが、森高はその方法がどうしても見い出せなかったのである。
「ダイエットですか? ははは…そんなの簡単でしょうよ! 毎日、豆腐を食ってりゃいいですよっ! 森高さん」
 ぼやいた森高に、銭湯の親父は番台の上から、いとも簡単に言い放った。
「そうなんですか…」
 意味が分からず鸚鵡(おうむ)返しで呟(つぶや)いた森高だったが、やってみよう…とは思った。次の日から森高の豆腐 三昧(ざんまい)の日々が始まったのである。最初はよかったが、次第に森高は見るのも嫌(いや)になっていった。それでも我慢(がまん)し続けて食べていると、森高の身体(からだ)にある異変が起こり始めた。その異変は決して病的なものではなかった。身体が豆腐に馴染(なじ)んでしまったのだ。というより、豆腐以外の食事を身体が受けつけなくなっていた。取り分けて病(やまい)に陥(おちい)るということもなく体重は激減し、気づけば80kgを割って元どおりになったのである。ただ、職場で森高は、いつの間にか、お豆腐さんの愛称? で呼ばれるようになった。お父さん・・と聞こえなくもなく、森高はそれほど不快にも思わなかったそうだ。
 まあ、そんな話だ。なんだ、皆(みな)眠っているじゃないか。まあ、別にいいが…。

                           完

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2017年9月 9日 (土)

思わず笑える短編集-36- お金虫

 黄金虫(コガネムシ)はよく知られた昆虫だが、お金虫という昆虫は誰も見たことがない。この世に存在しない幻(まぼろし)の虫で、おそらくは誰もが見たことがない虫なのである。ところが、この男、あえて名は言わないが、このお金虫に出会ってしまったのである。最初に出会ったとき、お金虫は、ただのゴキブリに似て見えた。最初にバッタリ出食わしたとき、虫は動いておらず、ただじっとしていた。男は顔を近づけた。どうもゴキブリ…との外観を感じ、男は捕えようとティッシュを二枚ばかり手にし、サッ! と、虫に被(かぶ)せた。だが、その虫は男よりも早くサッ! と逃げた。その敏捷(びんしょう)さに、男はゴキブリを感じた。
 ただ、最初に出会ったとき、男はその虫がお金虫だとは気づいていなかった。男がただのゴキブリではないと思ったのは、数度、出食わしてからである。ただのゴキブリとは違い、よく見ると、茶羽根から眩(まばゆ)い金色の光を放っていたのだ。お金虫だっ! と男はその瞬間、単純に思った。お金=お足だからで、なるほど! …とお金虫の存在を知ったのである。ゴキブリとお金虫の違いを男が知ったのは、さらに数度、出くわしてからである。ゴキブリは居つくが、お金虫は居つかない…と、分かったのだ。しかも、働いた日はお金虫はよく姿を現し、金色の光を輝かせ、男を元気づけたのである。
 … という夢を男は見た。お金虫など、この世にいる訳がない。しかし、男は、その後も夢を夢とは思えず、懸命に働いて生き続けている。

                           完

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2017年9月 8日 (金)

思わず笑える短編集-35- 傘の唄

 雨が降り出した。最近にしては、途轍(とてつ)もなく強い雨で、蝙蝠(こうもり)傘を慌(あわ)てて広げながら、平岡は半ば走りながら家路を急いだ。降る・・とは朝の出がけにテレビ天気予報で知らされていたから一応傘は持って出たのは幸いだった。だが、こんな大降りは予想外で、平岡はいつもの革靴で出た。これだけ激しいのなら長靴だった…と平岡は悔(く)やんだが、あとの祭りで、家に走り込んだときには、足下(あしもと)はびしょ濡れ状態になっていたのである。平岡はチェッ! と自分自身に腹を立てて舌打ちし、傘を畳(たた)もうとした。そのときだった。閉めようとする傘に平岡は違和感を覚えた。いつものようにスンナリ畳めないのである。よく見ると、傘の骨が一部、折れかけて曲がっているではないか。これは修理だな…と平岡は瞬間、思った。風邪(かぜ)をひくといけないから、とりあえず着がえを済ませると、平岡は、さっそく手術に入った。平岡は修理するとき、自分はドクターだ…と気分を一新して手術に臨(のぞ)むのである。
「とりあえず、梱包用のビニール紐と割り箸、それと…接着ボンド、針金の細線だな…」
 独(ひと)りごちた平岡は、手術用の材料をまず、手元に揃(そろ)えた。
「では、始めます…」
 誰もいないのにそう言うと、平岡は手術を始めた。誰もいないのだが、平岡の心には手術スタッフが何人もいるのだった。そして平岡が思うところの手術は進み、なんとか無事、手術は終了した。
「しばらくは、絶対安静に…」
 絶対安静とは、修理した傘を開いたまま、しばらくそのままにしておくことを意味した。
『先生! 有難うございます』
「いやいや、無事に終わり、よかったです」
『お礼に一曲!』
「ははは…なにもそこまでしていただかなくても…」
 平岡は一人二役で独りごち、冗談にも上手(うま)いとは言えない鼻唄を、唄い始めた。

                           完

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2017年9月 7日 (木)

思わず笑える短編集-34- 突然

 日曜の朝、なにげなく近所の森を散歩していた中御門(なかみかど)の前に、突然、降って湧いたように美人の若い娘が現れた。中御門の両脚は、その瞬間から思考とは真逆にピタリ! と止まってしまい、氷柱のように固まっていた。 
「あの…この辺(あた)りに小御門(おみかど)さんのお家(うち)は?」
 その若い娘は中御門に近づくと、徐(おもむろ)に訊(たず)ねた。
「小御門さんですか。小御門さんの家は、その先を少し行ったところですが…」
 中御門は、チェッ! 小(しょう)のほうかいっ! …と残念っぽく思いながら答えた。だが、そんな怒りの気分も、美人の娘を見ているうちに、すぐ解(と)けて消えた。
「どうも、ご親切に…」
 若い娘は軽くお辞儀すると、立ち去ろうとした。そのときである。
「あ、あの…私は小じゃない中御門です」
 中御門は突然、この若い娘に声をかけた。一目惚(ひとめぼ)れをしてしまったのである。こうなっては、もうどうしようもない。
「はあ?」
 若い娘は振り返って訝(いぶか)しそうな顔で訊ねた。
「い、いや…別に。ご、ご案内しましょう」
 中御門にとり、突然浮かんだクリーンヒットだった。
「そうですか? 助かりますわ…」
 娘を横に見ながら歩く間(あいだ)、中御門は気分を若返らせたが、次の発想がなく案内を終えて娘と別れると、元どおりテンションを下げた。攻めが続かず、チェンジとなった瞬間だった。
 突然という変化は、攻めが続かないと散発となりやすい。中御門は帰宅後、時すでに遅く、突然、そう思った。

                            完

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2017年9月 6日 (水)

思わず笑える短編集-33- ボタ餅とオハギ

 なぜ、お彼岸にボタ餅なのか? を研究する風変わりな一人の男がいた。この男、甲羅(こうら)に言わせれば、別に美味(うま)い寿司でもいいじゃないかっ! ということになる。━ お彼岸にはボタ餅 ━ これは古来より浸透している日本的なものだが、甘いものが好きな甲羅だったから、取り分けて不服がある・・という慣習ではなかったが、どうも気になって仕方がなかった。
 ある日、ふと甲羅が立ち寄った図書館で本を調べていると、あることが判明した。
「なになに…春のお彼岸がボタ餅[こし餡(あん)]で、秋はオハギ[粒(つぶ)餡]か? …」
 甲羅は新しい知識を得た。なおも甲羅は読み進んだ。
「秋は収穫したての小豆(あずき)だから粒餡で食べ、春は小豆の皮が硬(かた)くなるからこし餡で食べるようになったとする説が有力である・・か。なるほどな」
 甲羅は別に決まりではないのだから、春のお彼岸にオハギでもいい訳だ…と、転じて思った。さらに甲羅は読み進めた。
「江戸時代か…。なになに! 小豆のオハギやボタ餅は、庶民が普段、食べられない高価な砂糖を使った甘菓子で、魔除(まよ)けの功徳(くどく)があるとされたか…それをご先祖さまに食べていただき、そのお余りを食すことで家族の無事を祈った・・訳だ…。信仰心からということだな」
 別にお余りを頂戴(ちょうだい)しなくても、堂々と先に食べりゃいいのにな…と、甲羅はまた、転じて思った。
「邪気を払え、でお供えにもなり、しかも美味いものを食べられる・・一石三鳥だっ!」
 グゥ~~! っと腹が鳴り、急にボタ餅が食べたくなった甲羅は、慌(あわ)てて図書館を出た。別に慌てなくてもボタ餅は逃げないのだが…。

                            完

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2017年9月 5日 (火)

思わず笑える短編集-32- 食べるため

 人は食べて生き永らえるために働いている。その原理は変わらず、いくら屁理屈をつけて否定しようとしても、そうなのだから仕方がない。私は財閥(ざいばつ)の総帥(そうすい)で世界的な金持ちだから、偉いんだぞっ! と、上から目線で言っても、食べるものがなければ衰弱し、死に至(いた)る。死んでしまえば地位も名誉も金も、その人の所有したすべてのものが無となり、消えることになる。それだけに、食べるものの存在は大事ということになる。ただ、食べものがあることと食べられることとは、また違う。金で食べものを鱈腹(たらふく)買ったり美味いものを食べようと値が高いメニューをオーダーしようとしても、健康を害し、食べられなければ意味がない。ということは、健康が一番! という結論が導き出される。
 西暦2310年、人類は未曽有(みぞう)の食糧、食料の危機に瀕(ひん)していた。この時代、すでに世界では国という単位は消滅し、分割された幾つかの地域に統合されていた。その幾つかの地域は地球司令部の管轄下(かんかつか)に置かれ、もはや交通の障害となるもの、いわゆる旅券やピザの発給などといった前近代的な制度は無くなっていた。当然、世界各国の輸入協定(TPP[多国間経済連携協定]、FTA[自由貿易協定]、RTA[地域貿易協定]など)という馬鹿馬鹿しい前近代的制度は廃止され、過去にあった歴史上の笑い話の一つとなっていた。
 地球司令部から莫大(ばくだい)な研究開発費を与えられた地球食糧及び食料総合開発研究所では、地球上にさし迫った飢餓(きが)を解決すべく
日夜、研究開発が、なされていた。
「なんとか、金属分子を食肉タンパクに置換合成できないものか…」
「はいっ! 博士(はかせ)、私もそれは思っております…」
 グゥ~~っと腹が鳴る空腹状態の博士と助手は、深いため息を一つ吐(つ)いた。
「君、食べるために…生きるために頑張ろう!」
「はいっ!!」
 博士と助手は目に涙を溜め、手と手を強く握りあった。

                            完

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2017年9月 4日 (月)

思わず笑える短編集-31- 常識

 決めごとではないものの、社会的に当然! ・・とされるのが常識である。思慮分別と呼ばれる曖昧(あいまい)で得体が知れないものだ。この常識は、取り扱いが実に厄介(やっかい)なのである。というのも、それは、まるで目に見えない透明人間みたいな存在で、それでいて強力な威圧感を人々に与えるのだ。これは人々が守らなければならない法的ルールとは一線を画(かく)していて、常識を守らなかったからといって訴えられたり罰せられたり、あるいは捕えられたりはしない。いわば世間で通用する暗黙の了解事項である。バスで席を譲(ゆず)ってもらい、お辞儀をする、あるいはお礼を言う・・これは常識だが、別にそうしなくても怒られはしない。お年寄りに席を譲ること自体が常識なのである。これに対し、列に割り込んだ場合はルール違反で怒られるし、場合によってはトラブルともなる。
 館林(たてばやし)は、常識そのものを毛嫌いし、敢然(かんぜん)と挑戦する男だった。かといって、それは完全に真逆の行為をする・・とかいうものでもなかった。コレはっ! と不埒(ふらち)に思えたり、無駄、疑問と思ったことだけに逆行したのだった。
 定年間近い館林が勤める町役場の住民福祉課である。
「いやいや円(まどか)ちゃん、そういうのは、いけませんよっ!」
 館林は立つが早いか、お茶を淹(い)れようとした新入女子職員の百合川(ゆりかわ)にそう言って止めた。
「でも…」
「いいって、いいって。文句を言う者がいたら、私に言いなさいっ!」
 館林は品(しな)を作って、少し格好よく言った。百合川は、ヒラのあなたでは…という頼りげのない眼差(まなざ)しで館林を窺(うかが)った。そのとき、課長席の掛川が大声を出した。
「円ちゃん、お茶!! どうしたのっ?!!」
「はいっ! ただいまっ!」
 館林は格好悪く、黙って自席へと戻(もど)った。
 常識とは、かくも手ごわいのである。

                            完

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2017年9月 3日 (日)

思わず笑える短編集-30- 思い込み

 明日は数人の客を招いたパーティだった。グラスセットだけ出すのを忘れていた手羽崎は、夜中にベッドを抜け出すと、暗闇の中を物置へ分け入った。明日の朝では…と思えたのだ。手探(てさぐ)りで棚を弄(まさぐ)っていると、歪(いびつ)な形の収納品があった。モノは何だか分からなかったが、新聞紙に包(くる)まれたそのモノは、どうも貰いものの調度品のように思えた。懐中電灯もなく手羽崎が物置へ分け入ったのは、飽くまでも思い込みだったが、特定した場所にグラスセットがある自信があったからだ。以前、グラスセットを仕舞った記憶が鮮明に残っていたのである。それでも暗闇の中では手探りで探す他はない。自然と、おぼつかない動きになったが、手羽崎は仕舞った記憶がある付近の場所を、くまなく探った。すると、それらしいモノが手に触れた。
「これだな…」
 手羽崎は意気込んで、そのモノを棚から下(お)ろした。そのまま家の中へ持ち帰り、明るいキッチンのテープルで梱包(こんぽう)した新聞紙を取った。中から出てきたモノは残念ながらグラスセットではなく皿セットだった。新聞紙に同じように包んで収納したのが。いけなかったのだ。手羽崎は、また物置へと分け入り、同じように探したが、とうとうグラスセットは見つからなかった。掛時計を見ると、すでに夜中の3時は回っていた。手羽崎は後ろ髪を引かれながら、ベッドへ戻(もど)った。
 グラスセットはキッチンにすでに出ていた。手羽崎は出していないと思い込んでいたが、忘れるだろう…と思い、実は昼間、出していたのである。しかも、過去の収納した思い込みが重なり、二重の間違った思い込みになったのである。
 次の日、手羽崎はパーティの準備を始めた。が、それは手羽崎の思い込んだ間違いで、パーティは翌々日だった。
 思い込みは、飽くまでも思い込みで不確かだ。確認が絶対、必要である。

                           完

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2017年9月 2日 (土)

思わず笑える短編集-29- 集中力

 やるのはいいが、集中力を欠けば失敗に結びつく。思いつきではなく、充分に考えてから動く・・という所作も集中力といえる。あ~して、こうして…と複雑ではなく単純に組み立て、動いた瞬間からその組み立てで動けば、大よそのことは上手(うま)くいく。落ちついて物事に処(しょ)す・・あるいは、ゆっくりと書く、キーを叩(たた)く・・などといった所作も、この集中力に属する。手抜かり、書き損じ、入力ミスなどが生じないからだ。
 平山は、ある寺で写経をしていた。生れもって粗忽(そこつ)者の平山は、周囲の人々に比べると格段、書き量が少なかった。
「ほう…! 慎重(しんちょう)に書かれて…悟りの境地(きょうち)ですなっ、ほっほっほっほっ…」
 この寺の貫主で大僧正の蓮寂が平山の左後方から覗(のぞ)き込んで言った。大僧正だけに蓮寂は達観していて、平山がゆっくり書く所作を[悟り]と観たのである。平山としては間違えないよう必死に筆を運んでいるだけなのだ。悟りも、へったくれも無かった。それでも、そう言われれば嬉(うれ)しいのが人である。
「はあ。まあ…」
 平山は、ニタリとして蓮寂を振り返って見上げた。この所作が、いけなかった。振り返った途端、平山が持つ筆の先は紙の上を黒く擦(こす)っていた。集中力を欠いたのである。
「ああっ!」
 蓮寂は平山の失態を見て見ぬ振りで歩を進めた。顔はニタリと笑っていた。蓮寂も僧侶としての集中力を欠いていた。

                            完

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2017年9月 1日 (金)

思わず笑える短編集-28- 零(こぼ)す前に…

 朝の洗面所である。甘酢(あまず)はマグカップに水を入れ、歯をゴシゴシゴシ…とやっていた。いつもより10分ばかり寝過ごし、会社の遅刻を気にする甘酢は少しばかり所作を急いでいた。いや、少しばかりというよりは、かなり、である。慌(あわ)てている甘酢は磨いたあとの歯磨き粉で溢(あふ)れた口を漱(すす)ぐため、水が入ったマグカップを化粧棚に置こうとした。確かに甘酢は置こうとしたが、慌てていたため所作を乱し、マグカップの中の残り水を背広ズポンにかけてしまった。そんな大したことではない…と、そのときの甘酢は思っていた。だが、その失敗は重大なミスだった。ズボンの中には昨日(きのう)、会社でメモした重要な取引先とコンタクトを取る電話番号の紙が入っていたのだ。甘酢は最初、そのメモした紙を背広の内ポケットに入れた。そこまではよかった。そのあとトイレに入ったとき、トイレットぺーパーがなかったので甘酢は内ポケットを弄(まさぐ)った。内ポケットには、こういう場合に備えたティッシュぺーパーが入っていたのだが、メモした紙も一緒に出してしまったのである。
 ティッシュはそのまま手にし、メモ用紙は瞬間、汚(きたな)く感じたのかズボンのポケットに入れたのだった。それをつい、甘酢は忘れてしまっていた。甘酢にしては甘いミスだったが、そのズボンのポケットにマグカップの水を運悪く零してしまったのである。結果、紙は水で濡れてふやけ、書かれた文字は読めなくなってしまった。甘酢がその事実に気づいたのは会社へ着いてからだった。連絡も取れず、甘酢は困ることになった。零(こぼ)す前に…と悔(く)やまれた。
 よくよく考えれば10分の寝過ごしに原因があった。その10分、寝過ごした原因は昨夜、飲み過ぎたためだった。飲み過ぎが寝過ごさせ、零させたのである。
 零す前に…と、甘酢は会社帰りの鮨(すし)屋で一杯飲みながら美味(うま)い鮨を摘(つま)み、うっかりコップ酒を零した。

                           完

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