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2017年10月

2017年10月31日 (火)

思わず笑える短編集-88- すみません…

 百合川(ゆりかわ)は、よく謝(あやま)る男として村役場で名を馳(は)せていた。
「すみません。つい、うっかり…」
「またかっ! 君は、すみません…が多過ぎるっ! 少しは上司の私の立場も考えてくれよっ! 頼むよ、百合川君…いや、百合川さん! お願いしますっ!」
 課長の谷間(たにま)は両手を合わせ百合川に懇願(こんがん)した。次の人事異動が谷間に残された最後の次長昇格へのチャンスだったのだ、翌々年は、めでたく? ぅぅぅ…と残り少ない後ろ髪を頭引かれながら定年退官を迎える定めが迫っていた。そんな事情で、谷間にとっては今年が最後のチャンスだったのだ。百合川に、すみません…と謝られる凡ミスがまたあれば、恐らく次長候補の選外になることは間違いなかった。
「ははは…大丈夫ですよ、課長。僕は自重しますから」
「どう、自重するんだっ?」
「他の人に代わってもらうっていうか、何もしないようにします。…この言い方もおかしいな。何もしないのは具合が悪いですから、極力、簡単な仕事に徹(てっ)します」
「ああ! そうしてくれっ! いや、そうして下さい、百合川さん」
 二人の間にそんな遣(や)り取りがあって後、しばらく月日が流れた。幸い、百合川がすみません…を口にすることはなかった。そしてこの日、いよいよ運命の人事異動内示の日を迎えていた。しかし、谷間が待てど暮らせど、部長室からの内線電話はならなかった。谷間は、『ダメだったか…』と肩を落としていた。退庁のチャイムが鳴ったとき、ああ…と、谷間は深いため息をひとつ吐(つ)いた。そのときだった。慌(あわただ)しく百合川が課内へ駆け込んできた。
「す、すいません! 課長」
「ど、どうした?」
「部長がさっき課長を呼ばれていたのを、うっかり忘れてました」
「なんだって! そ、それを先に言いなさい」
 谷間は飛ぶように部長室へ急いだ。部長室から出てきたとき、谷間の顔から思わず笑みが零(こぼ)れていた。次長昇格の内示だった。谷間は百合川のすみません…を思い出し、初めて素晴らしい響きだ…と思った。

                            完

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2017年10月30日 (月)

思わず笑える短編集-87- 地震のメカニズム

 滑川(なめかわ)教授は腕組みをしながら、地震のメカニズムの研究に取り組んでいた。次の日は国営放送の報道特別番組に招聘(しょうへい)されていた教授は、番組で何らかの根拠(こんきょ)を提示しようと模索(もさく)していたのである。
 次の日のテレビ局収録現場である。
「今回、起こりました地域の周辺では多くの細かな活断層が走っておりまして、それが火山活動によって活性化されたものと…」
 教授と同様に招聘されていた地震学者が詳細を科学的に語っていたときだった。
「いや、そうじゃないんですっ!」
 滑川教授は地震学者の発言を遮(さうぎ)った。
「失礼なっ! その根拠はっ!」
 地震学者はキッ! と教授を睨(にら)んで声を大きくした。
「霊動学から申しますと、今回の地震もやはり大魔神の怒りが地を震(ふる)わせたのですよ」
「何言ってるっ! 馬鹿かっ、あんたはっ!!」
「ほっほっほっ…あなたも言われますなぁ~。いいえ、私はバカでもアホでもありません。霊動学者の滑川です…」
 滑川教授は一笑(いっしょう)に付した。
「ど、どういうことなんだっ! せ、説明してみなさいよっ!」
「それは…。そうですな、では語るとしましょう。人の悪いふるまいが一定の限界を超(こ)えますと、大魔神が目覚め、地震を引き起こすのですぞ」
「なんだって? やはりあんたはバカかアホだっ! …なら、その証拠はっ?!!」
「証拠は壊(こわ)れた神社、仏閣・・それに多くの建造物です」
「な、なにいってんだっ! そんなもんが証拠になるかっ!! 私らには活断層という列記(れっき)とした事実があるんだっ!!」
 地震学者は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「まあまあ、冷静に…。その説明を聞きましょう」
 司会役のアナウンサーが地震学者を宥(なだ)めた。
「はい…」
 地震学者は矛(ほこ)を収(おさ)め、声を小さくした。
「では教授、教授がお考えの地震のメカニズムについて、もう少し具体的に詳しくお願いします」
「分かりました…。そもそも、大魔神はそう簡単には目覚めませんぞ。活断層があることも事実です。ただ、活断層は大魔神が地を震わせた結果、生じた地の歪(ひずみ)なのですよ。地震は大陸プレートの移動にともない発生する・・と科学では申します。しかし、霊動学では、引き起こすか引き起こさないかを決断するのは大魔神と考えております」
「なるほど…。で、そのメカニズムは?」
「メカニズムの詳細は至って簡単です。人の行いです。ポイ捨てゴミが地を汚す一定基準を超えれば・・ということになりますかな」
「その一定基準とは?」
「それに関しては、今、研究中ですが、反省が見られない一定の基準があるようですな」
「なるほど…。では、これで報道特別番組は終わります。お二方(ふたかた)とも、有難うございました」
 地震学者は多くを語れず、報道特別番組は終了した。

                            完

 ※ 滑川教授は、私小説[幽霊パッション]に登場した霊動学の権威者で、スピン・オフで登場していただきました。地震で被災されました方々に、平穏な暮らしが一日も早く戻りますよう、祈ってやみません。

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2017年10月29日 (日)

思わず笑える短編集-86- 適材適所

 人や物を使う場合、その価値を知り適材適所に配置したり使い熟(こな)せば、より便利になったり効果が現れることは当然だ。そのため、物の場合は分別したり道具を使い分け、人の場合は人事考課[働く職員、社員、工員などの能力の最大効果となる適正な人事配置]をするのである。
「豆岡君、君は知恵の輪を器用にするな…」
 昼休みにデスク椅子で知恵の輪をする豆岡を見て、課長の平崎が歯を楊枝(ようじ)でシーハーシーハーとさせながら感心したように言った。手先が器用だな…と、暗に言ったのだ。
「ははは…課長。これくらいは馴(な)れれば誰でもやりますよ」
 豆岡は謙遜(けんそん)して言った。
「いやいやいや、俺には出来そうにないぞ…」
 平崎はそう言いながら、人事考課をしていたのである。内心では、『こいつは、技術に異動させた方が役立つぞ…人事係長に言っておこう』と思っていた。そんなこととは露(つゆ)ほども知らない豆岡は、得意そうに早くも輪を解(ほど)いて平岡の前へ突き出した。
「お見事っ!」
「いやぁ~それほどでも…」
「ははは…これくらい、仕事が出来ればいいんだがな」
 平崎はダメ出しすることも忘れなかった。
「いやぁ~」
 豆岡は照れて頭を掻きながら、『この人は、この課より営業の方が向いてるな…人事課長の田山に言っておこう』と、内心で思っていた。豆岡と田山は同期だった。

                           完

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2017年10月28日 (土)

思わず笑える短編集-85- 愚(おろ)かな話

 滝山は小高い天上ヶ山をひと巡りするコースを辿(たど)ることにした。行楽の秋たけなわのシーズンである。入山近くの駅は、紅葉(こうよう)を愛(め)でる目的の観光客で、ごった返していた。滝山は、俺は紅葉目的じゃないんだからな…と無理に自分へ言い聞かせ、人を掻き分けながら山の登山口へと進んだ。ほとんどの人は観光客らしく、麓の紅葉(もみじ)の下で寛いでいて、山へ入ろうなどという者はいなかった。地図があるから、迷うことは、まずないだろう…と滝山は気楽な気分で登り始めた。あとから思えば、それが愚(おろ)かな話だった。生まれもって腹が弱い滝山は、その日は体調がよかったものだから、少し油断していたのである。登り始めた最初の小一時間は順調そのもので、行程のおおよそ3分の1は優(ゆう)に登っていた。これが、まず最初のいけなかった・・である。
『ははは…これなら昼までにひと巡りできるんじゃないか』
 そう滝山を思わせる順調さが仇(あだ)となった。滝山は、のんびりと休憩を取った。リュックの中に、いろいろ食料を入れておいたためか、重くはなかったが、結構、嵩張(かさ)っていた。丁度、買嵩減らしにもなるからな…と滝山はパクついた。これが第二のいけなかっただ。しばらくして歩き出したときは、まだよかった。山頂近くに来たとき、急に腹が痛くなり始めたのである。もう少しで山頂・・とうときだった。滝山の視線に頂上のケルン[山頂などに登山者が大小の石を積んで作る小高い塔]が見えたとき、その痛みは始まった。その痛みは、一歩また一歩と、頂上に近づくにつれ、大きくなっていった。そして、頂上に辿り着いたとき、ついに滝山の我慢の糸は切れ、ダダ漏れ状態となった。人の姿はなく、それがせめてもの救いだったが、着替えは持参していなかったから、下着は脱いで、そのままズボンを履くしかなかった。愚かな話である。
 そんなことで、滝山は作って楽しみにしていた昼の食事も少しだけ食べるに留め、下りを急いだ。これ以上、腹が下っては、笑い話では済まなくなる気がしたからだ。
 着替えは持って出るべきだった…と、帰りの電車に揺られながら滝山は思った。下着は山頂の地面に穴を掘って供養塚とし、小さなケルンとしたのである。ズボンだけが幸い汚(よご)れず助かり、人目のある電車の恥だけは掻かずに済んだが、愚かな話には違いなかった。滝山の愚かな話は、結局、汚いだけの話だった。

                            完

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2017年10月27日 (金)

思わず笑える短編集-84- 無駄

 よく晴れた日の朝、増川は歯を磨(みが)いたあと美味(うま)い某メーカーのインスタントコーヒーを啜(すす)っていた。一時期、豆に拘(こだわ)るコーヒー通になったこともある増川だったが、論理的な悟りまで達したのちは、インスタントコーヒーへと回帰(かいき)したのだった。なんといっても安価な無駄のなさがいい! とは、増川の論理的な悟りの1.だった。2.は時間を取られる無駄がなく、手早く入れられる無駄のなさである。豆を焙煎(ばいせん)し、挽(ひ)く・・といった無駄な手間(てま)を楽しんだ時期もあるにはあったが、論理的に無駄を悟ったあとの増川は、その手間自体が無駄な時間だと思えるようになっていた。
 コーヒーを堪能(たんのう)したあと、増川は応接セットの椅子から立ち、また洗面台へと歯を磨きに向かった。そのとき、ふと増川の脳裏(のうり)に浮かぶものがあった。おやっ! 歯は少し前に磨いたはずだぞ…という想いである。それなのに、今また歯を磨こうとしている。これは明らかに時間と手間の無駄だ…と増川は考えを進めた。この発想は理論物理学者ゆえの発想とも思えた。増川にとって、無駄は人生の究極の無駄とも思えていた。人生には限りがある。いくら長寿で生き永らえたとしても、せいぜい100年がいいところだ。200年生きた者など見たことも聞いたことも増川はなかった。だとすれば、限られた人生では無駄を極力、省(はぶ)く努力をするか、すでに出来ている無駄を除去(じょきょ)する他(ほか)はないのである。これが論理的な増川が導き出した結論だった。
 現在、増川は、立って歩きながら食事をする・・という、究極の無駄のない生活を続けている。

                           完

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2017年10月26日 (木)

思わず笑える短編集-83- 行こうとしたら、また来た

 群川(むれかわ)は行き先を決めない旅に出た。時間に追われることもなく、春先の暑くも寒くもない清々(すがすが)しい陽気の旅である。気分が高揚(こうよう)しない訳がない。
「あの…つかぬことをお訊(き)きしますが、この祠(ほこら)は?」
 行き当たりばったりの駅で下車し、しばらく歩いていると、見かけない祠が群川の目の前に現れた。旅先のまったく知らない地へ降り立ったのだから、それも仕方がなかった。偶然、年老いた村人らしい男が通りかかったのを幸いに、群川は訊(たず)ねてみることにした。
「ああ…猫頭(ねこあたま)さんですかの…」
「猫頭さん? なんですか、それは?」
「ははは…猫頭さんは猫頭さんですがな。この祠の前で手を合わせてお願いをしたあと、頭をグイッ! っと祠に向けて突き出すと、その願いが叶(かな)う・・という有り難い道祖神さんなんですわい」
「なるほど…」
「どれっ! 私も久しぶりに、お願いしてみますかのう。孫の受験が近づいておりましてな…。あなたも、ひとつどうですかいのう?」
「えっ? …そうですね」
「私がやるとおり、なさればいいですけん…」
「はあ…」
 群川は村人がやるとおり、頭をグイッ! と祠に向けて突き出した。やってみたあと、なぜか自分が馬鹿男のように思えたが、旅の恥は掻(か)き捨て・・気分で忘れることにした。
 村人と別れたあと、しばらく散策しながら楽しんで歩き、現れた適当な食事処(しょくじどころ)で腹を満たした群川は、そろそろ別の土地へ行こう…とした。ところが、である。駅へと向かう先ほど来た道を逆に辿(たど)っていると、また同じ場所へ戻(もど)って来るのである。そこは、猫頭さん・・と村人が呼んでいたあの祠だった。その後、二度、三度と繰り返し、群川は同じルートを回り続けた。そうこうして、何度目かにまた祠へと戻ったときだった。先ほどの年老いた男が笑って立っていたのである。
「ははは…どうされた? 行こうとしたら、また来んしゃったか」
「はい。行こうとしたら、また来ました」
「ははは…もう起きなされ」
「えっ?」
 そのとき、ハッ! と群川は目覚めた。まだ夜が明けきっていなかった。群川はその朝、行き先を決めない旅に出ることにした。
 
                          完

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2017年10月25日 (水)

思わず笑える短編集-82- お花見

 いい席が取れたぞ…と、新入社員の山車(だし)は鼻高々に会社へ戻(もど)ってきた。
「いい席、取れましたよっ!」
 さっそく山車は先輩の鉾坂(ほこさか)に、かくかくしかじか・・と自慢げに話した。その途端である。
「馬鹿かっ、お前はっ!!」
 鉾坂は顔を真っ赤にして怒鳴(どな)った。
「えっ?」
 訝(いぶか)しそうに山車は鉾坂を見た。
「場所取りする者(もん)が帰ってきて、どうすんだっ!!」
「ええっ~~! だって、仕事が…」
「馬鹿野郎!! 場所取りは会社公認の仕事だっ!! 今頃、他の者が取ってるぞっ!」
「どうしましょ?!」
「ああっ! どうしましょもこうしましょも、あるかっ! すぐ戻(もど)れぇ~~!!!」
 鉾坂の顔は提灯(ちょうちん)が灯(とも)ったように祇園祭になっていた。春の花見に夏の祇園祭は不似合いである。
「はいぃぃ~~っ!!」
 山車は慌(あわ)てて課を出ていった。
「戻ってくるなよぉ~!!」
 鉾坂は出ていく山車の後ろ姿に大声をかけた。なぜか戻ってくるような悪い予感がしたのである。その日は少し早めに課員達は勤めを終え、買い出しをかねつつ夜の花見に備(そな)える・・というのが、この会社の通例となっていた。
 日没となり、夜の花見は始まったが、この年にかぎって一列横隊の、しらこい花見となっていた。山車が戻ったとき、場所はすでになかったのである。
「す、すみませんっ~~!!」
 夜桜の下、テンション低く花見をする課員達の中を、大声で謝(あやま)り回る山車の姿が見られた。

                           完

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2017年10月24日 (火)

思わず笑える短編集-81- 程度もの

 物事には程度というものがある。━ 過ぎたるは及ばざるが如し ━ とはよく言ったものだが、程度を超えれば元も子もなくなる。要は程度ものということになる。
『まあ、これだけあれば、なんとかなるだろう…』
 蒲田(かばた)は、行き当たりばったりで旅にでようと思い、取り敢(あ)えず…と、財布に万の札(さつ)を20枚ばかり入れた。
 行き当たりばったりにしては順調な旅が続いた。列車に揺られながら買っておいた駅弁を美味(うま)そうにパクついたまではよかった。ただ、欲張ってはいけないのが程度もの・・ということだ。買い過ぎか…とは一端、思った蒲田だったが、まあいいか…と欲張り、3個買った。そして、よせばいいのに、3個目も食べ始めた。
「ぅぅぅ…」
「どうされました!!」
 隣りの席の乗客は驚いて蒲田を窺(うかが)った。
「急に! 腹がっ…」
 隣りの客は、よく食う客だ…と早口言葉のように思っていたから、そら食い過ぎですよ…と内心では思ったが、そうとは言えなかった。
「すぐ、呼びますから…」
 急いで立ち上がった隣の客は駅員を呼びに行った。運よく、改札で回っていた駅員が近くにいたのが幸いし、蒲田は難を逃(のが)れることができたのである。言わずと知れた急性胃炎だった。まあ、話はよかった、よかった・・でお終(しま)いなのだが、物事は程度もの・・という分かりよい例だ。

                            完

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2017年10月23日 (月)

思わず笑える短編集-80- けんもほろろ

 すること成すこと、都合よく遇(あしら)われることを、けんもほろろ・・という。本人にはムカつく話だが、受けるダメージの違いは人それぞれだ。しかし、追い込まれていることには変わりがない。
「鋸竹(のこたけ)さん、どうでした?」
「これは、山蕗(やまぶき)さん。私なんか、まったく相手にされてない。けんもほろろでしたよ。ああっ! もう、ダメだっ!」
「まあまあ…。あなたに始まったこっちゃない。私だって、いや、他の誰が乗り込んだって、煮汁(にじる)さんには、けんもほろろなんですから…」
「あと、ひと月ですよ。なにか言い手立てはないんでしょうか」
「雉(きじ)にケンケン、ホロホロと鳴かれなきゃ言い訳ですから、鳳凰で行きましょう!」
「あの…どういうことでしょう?」
 鋸竹は意味が理解できず、訝(いぶか)しそうに山蕗を見た。
「へへへ…これですよっ!」
 山蕗は片手の親指と人さし指で丸を作った。
「金ですか?」
「そうそう、ここは会社がドカン! と、出すべきです」
「でも、なぜ金が、けんもほろろ・・を?」
「ははは…そりゃあなた。一万円札の裏の違いですよ」
 旧札の裏は雉が描かれ、今の新札は鳳凰だと鋸竹が気づかされたのは、そのときだった。けんもほろろに効果があるのは、全(すべ)てではないが、やはり金のようだ。

                             完

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2017年10月22日 (日)

思わず笑える短編集-79- 最適化

 パソコンのハードディスクが重くなるように、人も長く生きていると、つまらないことをクヨクヨと思い込み、重くなることがある。パソコンの場合の処方箋(しょほうせん)は最適化だが、人の場合はどうすればいいんだろう? と、つまらないことをクヨクヨと考える男がいた。臨床心理学者の海鳥である。海鳥はいろいろとシミュレーションを試みた。
「あなたは、いつ頃からクヨクヨと考えるようになったんですか?」
「先生、いつ頃からと言われましても、正確にいつ頃からとは…。覚えてねぇ~んですよ。申しわけねぇ~んですが…」
「ははは…なにも謝(あやま)られる必要はないんですがね。あなたが患者なんですから…」
「そりゃそうなんですがね…。まあ、かかあが出て行けっ! って言うんで、売り言葉に買い言葉で、あっしも、おめえの方が出ていけっ! てなことを言っちまったのが悪かったんですが…。それ以降ですよ、クヨクヨ考え込むようになっちまいましたのは…」
「そうですか。一度、奥さんとも話す必要がありそうですな。なにが原因かは存じませんが、それを解明して最適化する方向でやってみましょう」
「最適化? ですかい?」
「はい、そうですよ。最適化…つまり、一番、あなた方の仲を具合よくしようということです。早い話、仲人(なこうど)に入ってもらおう・・ということですよ」
「ああ、なるほど。そういうことですかい、分かりやした。なにぶん、よろしく!」
 海鳥としてはシミュレーション第1号の男だったから、いつもよりは丁重に対応した。
 男の妻が海鳥の研究所にやって来たのは数日後だった。
「ったくっ! 先生、あの人、なんて言ってました?」
「なに・・ということも言うってられなかったんですが、まあ、よろしくお願いしますとだけ…。で、別居の原因はなんだったんですか?」
「よく訊(たず)ねて下さいました、先生。私という者がありながら、ぅぅぅ…」
 妻は泣き始めた。海鳥は、ハハ~ン! と、すぐ分かった。なるほど! 演歌の別れか…演歌なら私がいるはずだ、海鳥だけに…と海鳥は最適化役は自分をおいて他にないと、自負(じふ)した。二人の最適化は、仲裁役に徹することだった。

                            完

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2017年10月21日 (土)

思わず笑える短編集-78- 玄武坂慕情

 江戸は中頃の話だ。山城屋に奉公する手代の誠之助と女中のお里が深い仲になって、はや半年が経とうとしていたと思いなよ。この時代、そんな身勝手が許されるはずもなく、お店(たな)に漏れでもすれば、これはもう偉(えら)いことになる・・とは二人にも分かっていたから、逢瀬(おうせ)を重ねるにも人目を憚(はばか)る他はなかった。山城屋から少しばかり離れた玄武坂の袂(たもと)にある柳の木が二人の逢瀬の仲持ち役となった。柳の木に恋文(こいぶみ)を括(くく)りつけ、出逢いの遣(や)り取りをしたって訳よ。ものを言わない柳としても、まあ、悪い気はしないさ。いい塩梅(あんばい)に二人が出逢えると、嬉(うれ)しくなってくるわな。ついに柳は生き霊(りょう)となって二人の逢瀬を見届けるまでになった。そんなこととは露ほども知らない二人、お茶屋に湿気(しけ)込んで、あんなことや、こんなことをして、まあそういうことになり、お里は身重(みおも)になった。そうなりゃ当然、月日の流れでお里の腹も大きくなる訳よ。柳もここは、おいらの出番! とばかり、江戸っ子気質(かたぎ)で、ひと肌脱ぐことにしたって寸法よ。そうはいっても柳は柳だ。玄武坂の袂で、ゆらゆらと風に戦(そよ)いでる意外、表立った動きが出来るはずもない。そこで柳は考えた。この袂をよく通るお粂(くめ)婆さんにとり憑(つ)いて、ひと肌、脱いでもらうことにした。ところが婆さん、なにを血迷ったのか、すっかり誠之助に絆(ほだ)されちまったから、さあいけない。こりゃ駄目だとばかり、柳はこれもよく通る仙八爺さんにとり憑いた。するとじいさん、またまたなにを血迷ったのか、お粂婆さんに仄(ほの)かな想いを寄せちまった。そうして、いつしか、誠之助とお里のことなどそっちのけで、二人はいい仲になったのよ。さすがにあんなことやこんなことはなかったようだが、二人は侘(わび)しい暮らしながらも共に暮らしはじめた。瓢箪(ひょうたん)から駒(こま)とはこのこった! …と、柳はいい考えを思いついた。というのは、お里をしばらく二人に預かってもらい、生まれた子供も育ててもらう・・という手立てだ。身勝手な話だが、この手立て以外、誠之助とお里を助ける術(すべ)はない…と、柳は玄武坂の袂で、ゆらゆらと風に戦ぎながら考えた。そうこうして、いつしか話は首尾よく纏(まと)まっていったのよ。話は進むが、全(すべ)てが、めでたし、めでたしで終わるかに思えたが、そうはいかなかったのさ。当の柳がお粂婆さんに絆されちまったのよ。そうして、それからというもの、玄武坂の袂でお粂婆さんに慕情を抱きつつ、ずぅ~~っと風に揺れ続けた・・というこった。聞いた話だから、真偽(しんぎ)のほどは、あっしには分からねえ。

                             完

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2017年10月20日 (金)

思わず笑える短編集-77- 空降(からぶ)り

 空降(からぶ)りということがある。これはなにも、空振りするなどという野球話ではない。ザァ~ザァ~と雨が降っているのに、実は晴れている・・という、いわば逆転現象なのだ。
「元川さん、その後はどうなりました?」
「それがですね、実は…ここだけの話なんですけどね」
 元川は池沼の耳へ近づくと、辺りを窺(うかが)い、声を潜(ひそ)めた。
「ええ…」
 池沼は興味津々(きょうみしんしん)で、耳を欹(そばだ)てた。
「不合格じゃなかったんですよ…」
「ええっ!! だって、泣きじゃくって帰ってきたとおっしゃったじゃないですかっ」
「はあ、そうは申しましたが…。そのときは、何も言わなかったもので、私も駄目だったんじゃないかと…。まあ、昼間は働いておりますから、大学の二部ですが…」
「私もそう思っておりました。ですから、恐らく今日のお話は気落ちしているので心配だ・・とか、予備校へ・・とかのネガティブなお話じゃないかと思っておりましたから…」
「はい、それはそうです。私自身も娘に結果を聞くまでは、そう思っておりました…」
「えっ? どのように?」
「ですから、落ちたんじゃないかと…」
「なるほど。そりゃ、空降りです…」
「空降り?」
「ええ、逆転現象が生じることを言います。ははは…空振り三振の空振りじゃないですよ」
「ははは…ご冗談を」
「いや、実は冗談でも何でもないんです。空降りはあるんです。当然、空晴れもある訳ですが…」
 池沼は元川の耳へ近づくと、辺りを窺い、声を潜めた。
「はあはあ…」
 元川は興味津々で、耳を欹てた。日曜の公園で話す二人の話は尽きなかった。遠くに望めるグラウンドでは少年が野球の試合をしている。バッターに立つ少年が二度、空振りして追い込まれたすえ、ホームランを打った。空振りは空降りと同じ逆転現象だった。

                            完

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2017年10月19日 (木)

思わず笑える短編集-76- かくかくしかじか…

 会話は、人と人を繋(つな)ぐ重要な情報交換の手段となる。ただ、この情報交換が早くスムースに出来るか出来ないかは、人それぞれに備(そな)わった性分(しょうぶん)によって変化をする。実際(じっさい)、同じ内容の伝達でもA→BとB→Cへ伝わった速度は、30分以上も違った。B→Cは遅れたのである。この情報交換に介在(かいざい)したのがBとCの間で交(か)わされた、かくかくしかじか…の話だった。
「Aさんから託(ことづか)ったのは、ロバのパン屋さんがご近所に開店すると・・まあ、それだけの話なんですがね、ははは…。この話、お隣(とな)りのDさんにも伝えてくれということなんで、よろしくお願いします。それじゃあ…」
 BはCの家を出ようとした。このままCの家を出れば、A→BとB→Cへ伝わった速度は、ほぼ同じくらいだった。ところが、である。
「ああ、そうそう! ロバといえば、ラバですが…」
「はあ?」
 Cは意味が分からず、訝(いぶか)しそうにBを窺(うかが)った。
「いえ、なに…。私は昔、ロバと馬の間に生まれたラバを見たことがあるんです」
「ほう! ラバですか…」
 Cも少し興味が出てきたのか、話は枝葉末節(しようまっせつ)にどんどん広がり、いつの間にか、かくかくしかじか…の話となっていった。そして、30分が過ぎ去ったとき、気づいたCが慌(あわ)てて腕を見た。
「しまった! こんな時間か…いけない、いけないっ! アヒルと風呂に入るんだった! 失礼しますっ!」
 Cは出て行くBの姿をポカ~~ンと目で追いながら、どんな家なんだ? と首を捻(ひね)った。そして、Bとかくかくしかじか…と話に花を咲かせたことを後悔(こうかい)した。

                           完

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2017年10月18日 (水)

思わず笑える短編集-75- お邪魔虫

 本人は邪魔になっているとは気づかないのに、かなり邪魔になっている人がいる。こういう人に住みついているのが、お邪魔虫と呼ばれる見えない虫である。この虫は、そう悪さをするという虫ではない。だから、寄生虫ではない。ならば益虫なのか? といえば、そうでもないのだ。しかし、無神経なのがこの虫の特徴だから、住みついてもらえば、社会でのアレコレで一喜一憂することもなく、神経をすり減らすこともないから、至って便利といえば便利になる。
「町田君、君ね、この夏場にその格好は…。暑くないのかい?」
 外気温が40度にもなろうかという炎天下の午後、いくら空調が利(き)いているとはいえ、分厚い冬着で仕事をする町田に、見かねた課長の村畑が声をかけた。
「はい、すいません。僕は生まれついての低体温症でして…」
「ああ、そうなの…? でもさ、課の連中がいるからさ…」
 村畑は暗に、暑苦しくって、お邪魔虫なんだよ、君はっ! とでも
言いたげにお茶を濁(にご)した。このとき、町田に住みついているお邪魔虫は、思わずギクッ! とした。それもそのはずで、自分の名を名指(なざ)しで言われたからだ。お邪魔虫は根がピュアだったから、かなり気にした。そしてついに、町田から離れる一大決心をしたのである。そんなことになっていようとは露ほども知らない町田は、その日も何事もなかったように厚着で出勤しようとしていた。地下鉄を降りて歩く町田に、お邪魔虫は涙を流し、『こ、これで、町田さんとも永(なが)のお別れです。お、お世話になりました…』と、よよと泣き崩れた。もちろん町田には何の変化もない。お邪魔虫は町田が会社のエントランスへ入ったとき、離れよう! と決めていた。知らない町田は、いつものように出勤して、エントランスへと入った。その途端、今まで気づかなかった社員達の目が、急に気になりだしたのである。いや、そればかりではない。町田はその視線に耐えられなくなった。気づけば、町田は会社ビルを飛び出し、地下鉄の構内にいた。その町田を密(ひそ)かに見守るお邪魔虫は、悪いことをしてしまった…とピュアに思った。そして、自分はお邪魔虫じゃなくお助け虫だったんだ…と都合よく解釈し、町田の身体(からだ)へと透過(とうか)して戻(もど)った。お邪魔虫とは、かくも健気(けなげ)な虫なのである。

                            完

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2017年10月17日 (火)

思わず笑える短編集-74- ゲーム症

 早川秀也は小じんまりと机に向かいゲームに明け暮れていた。いや、正直なところ、そんな悠長(ゆうちょう)な状況ではなく、もはやゲーム依存症とでも言えそうな病的状態だった。学校でも、密かに隠れて先生に見つからないようにやっていた。もちろん、そのゲームには小型電子機器が使用されたが、秀也の病状は重く、かなりの影響を他の生徒にも与える伝染性のものだった。
「これは…今、流行(はや)りのゲーム症ですな。早く隔離しないと、偉いことになります!」
 校医は秀也を前に座らせ、立って見守る担任の松尾に心配顔で言った。
「そうですか…。そりゃ大変だっ! おい! 早川、そういうことだっ! 可哀想だが…」
「ぅぅぅ…僕は、どうなるんですぅ~~?」
 秀也は、心細そうなか弱い声で松尾に縋(すが)った。それでなくても、げっそりと痩(や)せ細って蒼白い顔の秀也は、まるで死人だった。
「心配するなっ、早川! そのうち治(なお)るっ! ゲームがしたくなくなるまでの辛抱(しんぼう)だっ、がんばれっ!」
「はいっ! 僕、がんばりますっ!」
「先生、他に隔離する必要がある生徒はっ?」
「はあ、軽症の生徒が数名おりましたが、自宅待機で帰らせました…」
「そうでしたか。それくらいでよかった。蔓延(まんえん)すれば、学級閉鎖、いや、学校閉鎖になりかねん事態ですから…」
「はい、おっしゃるとおりです…」
 ゲーム症は収束するかに見えた。職員室に戻(もど)った松尾は、どういう訳か顔色が少し蒼かった。
「先生、顔色が…。大丈夫ですか?」
 隣のクラス担任の桃配(もくばり)が心配そうに松尾を窺(うかが)った。
「いや、大丈夫です。少し疲れたからでしょう…」
「そうですか? それじゃ、お先に」
 職員室に松尾以外、誰もいなくなると、松尾の目が爛々(らんらん)と輝き出し、顔に不敵な嗤(わら)いが浮かんだ。
「フフフ…」
 松尾はデスクからゲーム用の小型電子機器を取り出し、とり憑(つ)かれたようにスイッチ類を弄(いじく)くり始めた。松尾はすでに秀也からうつされ、ゲーム症に感染していたのである。ゲーム症は怖(こわ)い病気なのだ。

                            完

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2017年10月16日 (月)

思わず笑える短編集-73- 反逆者

 世の歴史には必ず、反逆者が登場する。ここにそれらの人々の名を列挙(れっきょ)するつもりはないが、これらの悪者と呼ばれる人々にも一理がない訳でもない。その時代時代が生み出す一種独特の時代背景がそれらの人々を反逆者へと仕立て上げるのである。この風潮は、現代社会においても当然、生じている。
 牛毛(うしげ)食品の肉挽(にくびき)は朝から落ち着きがなかった。というのも、豚足(とんそく)食品が密かに進めている牛毛食品の吸収合併工作・・と言えば聞こえはいいが、会社乗っ取りにも近いM&Aの片棒を担(かつ)がされていたからである。早い話、反逆者として豚足食品のスパイに成り下がっていたのだ。もちろん、肉挽にも疚(やま)しい心が湧かなかった訳ではい。入社して30年、同期入社の者達は全員、部長や次長クラスに出世しているというのに、肉挽だけは、なぜか係長にもなれず、主任に甘んじていたのである。コレ! というミスをした訳でもなく、会社には相応の貢献をしてきたはずだった。本来ならば当然、肉挽は同期社員並みに出世していてもよかったのである。それが、主任だった。ただ、それだけが反逆者となる引き金にはならなかった。そういう立場にいる肉挽を密(ひそ)かにターゲットにしたのは、豚足食品の人事部情報課から放たれた波牟(はむ)だった。
 その後、着々と豚足食品のM&Aは進んでいった。それもそのはずで、肉挽の情報がすべて波牟に流れたのだから必然だった。ところが、M&Aが実行に移される数日前、肉挽は牛毛食品にM&Aが実施される事実を記(しる)した一通の封書を残し、忽然(こつぜん)と姿を消したのである。
 肉挽は、民地(みんち)海岸の波頭に立っていた。
「ぅぅぅ…俺は反逆者にはなれないっ!」
 肉挽はミンチにもハムにもならず、美味(おい)しく食べられた。

                            完

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2017年10月15日 (日)

思わず笑える短編集-72- 接遇(せつぐう)

 昼前になっていた。立山は家の前の歩道を掃除し、その落ち葉やゴミなどを燃やしていた。
「こんにちは…」
 一人の学校帰りの子供が、礼儀正しい無邪気な小声で通り過ぎていった。立山は、『ピカピカの一年生か…』と、すがすがしい気分になり、「はい…」と、思わず声を返していた。
 しばらくすると、また子供が不満げに通り過ぎた。立山はその子に少し邪気を感じた。だがまあ、腹立たしくなる・・というほどのことはなかった。そしてまたしばらくすると、数人の子供が通りかかった。
「こんにちはっ!!」
 同じ言葉だったが、少しやかましく聞こえる大声で、立山はムカッ! と怒れる邪気を感じた。
 それだけのことだったが、人と人は接遇の具合で、気分が変わるんだな…と思えた。同じ一日なら、気分よく過ごせた方がいいに決まっている。
『おいっ! 飯(めし)だっ!!』
 と、妻に言おうとした立山だったが、思わず口籠(くちごも)っていた。
「そろそろ、昼にしようか…」
 立山の口から出た言葉は穏やかで優しかった。
「はいっ!」
 いい返事が返ってきた。立山は気分がよくなり、「やはりな…」と、接遇の効果を実感した。
 それ以降、立山は接遇に積極的に取り組み、それなりの夫婦効果を得ている。

                          完

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2017年10月14日 (土)

思わず笑える短編集-71- 弁当

 今年、勤め始めた川岡は、出勤前の朝から腹が減っていた。朝食はしっかり食べたのに、である。若いから・・ということもあったが、それにしても…と自分でも感心、いや驚愕(きょうがく)するほどの空(す)きっぷりだった。両親とも、「あんたは、よく食べるわね」とか、「お前、よく食うなぁ。食い過ぎなんじゃないかっ?」と言って呆(あき)れていた。当然ながら昼の弁当は3個分、常備された。母親の美也子としては、3つも作るのだから、それだけでも大変である。惣菜はいいとしても、ご飯の量が3倍は必要になるのだから、それが大変なのだ。それでもまあ、息子の勤め用の弁当だから文句も言わずコツコツと作り続けた。これには、給料を稼いでいる・・ということも関係していた。川岡が学生の頃は、「我慢しなさいっ!」と一蹴(いっしゅう)したものが、今は出来なくなっていた。今の弁当は美也子にとって[金のなる木]だったのである。
 川岡は最初の弁当を、まず仕事前に1個、デスクで食べた。ザワザワと同僚が出勤し出す前に、である。2個目と3個目は昼どきである。それでもまだ腹が減る川岡のデスクの中には、カップ麺が必ず数個、常備されている・・というのが日常だった。
 川岡はある日ふと、弁当というものの歴史を調べてみたくなった。すると戦国時代では行厨(こうちゅう)という言葉があった。
『なるほど…只今より、行厨を使うによって、半時ばかり休むといたそう・・などとなる訳だ』
 川岡は専門書を見ながら、カップ麺を啜(すす)った。そのとき、川岡は背後に人の気配を感じた。
「よく食うな、君はっ! それはいいが、仕事もキチンとしてくれよっ!」
 課長の海野だった。海野は小食な痩せ細で、ほとんどの昼は麺類だけで済ませていた。海野の視線の先には、川岡のデスクに積まれた3個の弁当があった。海野は3個も弁当を食べる川岡が羨(うらや)ましかったのだ。

                             完

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2017年10月13日 (金)

思わず笑える短編集-70- あれこれ

 勤務休みの朝、長足は応接椅子に座りながら、さて、今日はどうするか…と、あれこれ考えていた。
「お父さん、お豆腐と油揚げ、多川さんとこで買ってきて下さらないっ」
 妻の美登里がキッチンから出さなくてもいいのに顔を出し、そう言った。長足は、コレ! といった予定はまだ考えていなかったから断る理由がなかった。
「ああ、いいよ…」
 まあ、散歩がわりに行くか…くらいの気分で長足は軽く応諾(おうだく)した。多川豆腐店は古くからある近所の豆腐屋で、多川が生まれてときにはすでにあったから、思えば随分長い付き合いだな…と、5分ばかりの細道を歩きながら長足は思った。
「へい! いらっしゃい! 長足の旦那、今日は?」
「そうだね、絹ごし一丁と油揚げを五枚」
「へいっ!」
 この店の油揚げは絶品で、焼いた油揚げに少しのお醤油をかけ、熱々のご飯でいただけば、これはもう数杯は御膳が進んだのである。
 買って帰る道すがら、長足は、さて、これからどうするかだが…と考えたが、決まらないまま家へ着いた。すると、美登里がまた声をかけた。
「お父さん、何かすることある?」
「んっ? いや、別に…」
 唐突(とうとつ)にそう言われれば、そう返すしかない。
「じゃあ、お風呂掃除、お願いします」
「ああ…」
 長足は浴室の掃除をする破目に陥(おちい)った。まあこれも決めていないのだから仕方がなかった。
 そして、長足がようやく浴室の掃除を終えたとき、もう昼前になっていた。
 昼を過ぎ、さて! と長足が心を勇(いさ)ませたとき、また美登里のひと言がきた。長足はさすがにムッ! とし、またかっ! と美登里をギロッと見た。
「なんだい、次ぎはっ!」
「私、これからお友達との会食があるの。だから、お買いもの頼むわ」
「ああ、はいはい!」
 長足は完全に意固地になっていた。
 買物から帰り、インスタント・コーヒーを啜(すす)りながら、あれこれ考えるもんじゃないな…と長足は思った。
 世事は、あれこれ考えているうちに、あれこれなるのである。

                           完

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2017年10月12日 (木)

思わず笑える短編集-69- お告げ

 新堀(にいぼり)は、これから先の進路で迷っていた。このまま今の職に踏みとどまるべきか否(いな)か・・で、である。だが、そういつまでも迷っている訳にはいかなかった。というのも、誘いを受けた企業への返事が二日後に迫っていたからである。このままでは埒(らち)が明かない…と思えた新堀は、占ってもらうことにした。
「どれどれ… … ほう! ほうほう! なるほど!」
「分かりますか?」
「むろんじゃ。ただちに、お告げがあったぞよっ! 有難くお聞きなされい」
「は、はい」
「近く現れますな、その方は…」
「はっ?」
「まあまあ、黙って…」
「はい!」
 新堀は的(まと)が外(はず)れたお告げに、この人大丈夫か? と、少し不安になった。占い師にはそこまで言わなかったが、新堀が訊(たず)ねたかったのは、会社を変わるか変わらないかだったからだ。
「ほおほお! 左様でごございますかっ! 吉兆(きっちょう)が現れるという変化のお告げですぞ」
「変化のお告げですか?」
「そうそう! 変化のお告げがありました」
「変わった方がいいと…」
「変わった方がいい? …まあ、そのようなことですかな、ははは…」
 なにが、ははは…だっ! と怒れた新堀だったが、思うに留めて頷(うなず)いた。
 新堀が会社を変わった直後、元いた会社は破産宣告の記者会見をマスコミを前にして発表した。新堀はお告げは本当だったのか…と占いを信じた。だが、そのあとが、いけなかった。新堀の移った会社は幽霊会社で、実在しなかったのである。新堀は仲介者に少なくない金額を渡していたのである。仕事は失うわ、金は持っていかれるわで、散々な結果になった。しかし、運命とは不思議なものである。意気消沈した新堀に、起死回生のラッキーな仕事が舞い込み、決定したのだった。お告げはやはり、存在するのか? その辺りの神威姓については、よく分からない。まあ、お告げとは、その程度のものと考えた方が、いいらしい。

                            完

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2017年10月11日 (水)

思わず笑える短編集-68- 自信作

 個人的な偏見(へんけん)が間違いを犯すことがある。自分では自信作だと思っていても、他人から見ればそれほどでもなく、むしろ愚作と思えるような場合だ。どうですっ! 見て下さいっ! 聴いて下さいっ! と展示した絵画や、自信作の曲が、今一、多くの人の目や耳に馴染(なじ)まないのが、その具体例だ。作り手は受け手の感性を重んじねばならないのだが、時として偏見が間違いを起こさせる。受け手を重んじることは、作る側、送り手、すなわち創作を続ける人々にとって、最低限のルールとなる。
 とある美術館である。展示された作品を鑑賞する一人の中年紳士が佇(たたず)む若者の前に掲(かか)げられた額淵の絵を見て、立ち止まった。
「ほうっ! この絵、なかなかのものですねっ! よく書けてる…」
「…そうですかっ? これはダメでしょ」
「いや、なかなかのものですよ、これはっ!」
「僕は左横の絵が自信作なんですが…」
「えっ? あなたは…」
「申し遅れました。描(か)いた者です…」
 若者は恥ずかしげに、小さく言った。
「ほう! あなたが…」
「ええ、まあ…」
「だったら言いますが、これが断然いいですよ、断然これがっ!」
「そうですかぁ~? 僕は左横の方が、お勧(すす)めなんですがね」
「…そっちですか? そっちは、今一、いただけません…」
「いただけないって、放っておいて下さいよっ! 描いたのは僕なんですからっ!」
「観るのは、私ですっ!」
 双方の主張は、ともに間違ってはいない。ただ、自信作に対する見解の相違が二人にはあった。自信作とはこのように、実に曖昧模糊(あいまいもこ)なのである。

                            完

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2017年10月10日 (火)

思わず笑える短編集-67- 愚(おろ)か

 人は自分を中心に考える。当然、もっともその人物に近しい人が次にその中心となる。家族がその具体例だが、場合によっては親友とか、対象外の人物がその近しい人となる場合もある。人が愚か・・というのはその点だと煩悩では解かれている。だが、どうしても世俗で生きていると欲に流され、人はそうなる。人が神でも仏でもない証(あか)しだ。
 ここは、とある市役所である。
「ははは…用無(ようなし)君、君はどうしてそういつも自己中なんだっ!」
 来月から管理職ポストである課長補佐への昇格内示を得た係長の前崖(まえがけ)は、愚かにも嬉(うれ)しさのあまり、少し張り切り過ぎていた。迷惑を蒙(こうむ)っているのは同じ課の連中だった。
「はっ! 注意しますっ!」
 ベテランながら平職員の用無はマイぺースな男だったから、どうしても怒られる破目に陥(おちい)り、気づけば前崖の矢面(やおもて)に立たされていた。そして、この日も、ペコリ! と頭を下げ、前崖に謝(あやま)った。だが、用無の内心は『チェッ! こんな愚かな若造(わかぞう)にっ!』と怒りの炎がメラメラと燃えていた。
 月が変わる少し前、事態は急変した。内示が取り消され、覆(くつがえ)ったのである。さらに驚いたことに、それは逆転人事で、用無が二階級の昇格という抜擢人事で、課長補佐になることが確定したのである。まさかっ! と用無自身も思えたから、驚きは大きかったが、それ以上に前崖の驚きは、愚かにも崖から転落していくかのような失意のダメージを伴(ともな)っていた。
『わ、私が、あ、あんな自己中の役立たず男に…』
 早とちりして愚かだったのは前崖だった。
「まっ! そういうことだから、今後とも昵懇(じっこん)に頼むよっ!」
 翌月、正式に辞令が交付された日、管理職へ昇格した用無は前崖にタメ口でそう言った。
「… はっ! よろしく、お願いしますっ!」
 二人の口調は、愚かにも逆転していた。

                            完

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2017年10月 9日 (月)

思わず笑える短編集-66- 花見

 気候も暖かくなり、寒気が遠慮するように、『ご迷惑をおかけいたしました…』と言うではなく楚々(そそ)と去ると、いよいよ春爛漫(はるらんまん)となる。
「馬糞(まぐそ)君、場所は取れたろうねっ!」
 馬糞は課長の飼葉(かいば)に諄(くど)く念を押された。
「はっ! それはもう…」
 馬糞は萎(しお)れた小声で返した。
「君は毎年、それだけでいいんだから…」
 飼葉が買い出しを任せないのは馬糞だからだ。馬糞の何が悪いのかっ! と馬糞は最初、思ったが、それもそうだな…と、最近では納得している。花見の食料調達に馬糞・・これは、誰が考えてもいただけない。馬糞が悪い訳でもなかったが、改姓でもしないかぎり、この不幸は続くように思えた。馬糞は初代のご先祖にひと言、言いたかった。言うまでもなく、馬糞という姓(せい)についてである。初代がなぜそんな姓を名乗ったかだ。その疑問がある夜、夢となって現れた。ご先祖が夢の中に登場したのである。
 頃は、ちょうど春爛漫で、桜が満開だった。どういう訳か、桜の下ではご先祖の方々が、ワイワイと花見をしていた。どの顔も馬糞の知らない顔ばかりだった。
『おう! その方が子孫の…』
『はいっ! 馬糞と申します』
『はっはっはっ…某(それがし)も馬糞じゃぞ』
『なぜ、馬糞などと…』
『馬糞、馬糞と申すでない。馬糞は乾かしてのう、夜冷えを防ぐ非常の折りの薪(たきぎ)がわりにもなるのじゃからな』
『はあ…。それと、どういう関係が?』
『鈍(にぶ)いやつじゃ。殿に褒(ほ)められ、馬糞の姓を授(さず)かったのよっ!』
『あの、それまでは…』
『蹄(ひずめ)じゃ、はっはっはっ…』
 そこで突然、馬糞は目が覚めた。危うくベッドから落ちそうになっている自分がいた。ただ、夢の内容は鮮明に残っていた。花見もいいが、蹄だったらなおいいのに…と馬糞は口惜しそうに思った。

                            完

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2017年10月 8日 (日)

思わず笑える短編集-65- 老化

 機械が摩耗するように、人間も少しずつ老化する。老人性の痴呆症、骨粗鬆症、白内障、健忘症、脱毛症・・など、枚挙に暇(いとま)がない。
 今年で80を迎えた高崎は、最近になって、どうも動きが衰えた…と思うようになっていた。手足の筋肉は日頃から鍛(きた)えていて、そう不自由は感じなかったが、どうも俊敏(しゅんびん)な動きが萎(な)えてきている…と感じられたのだ。思考の俊敏さに身体が付いていかなくなっていたのである。先だっても、車の急プレーキをかけて、危うく事故を逃(のが)れたことがあった。これではいかん…と高崎は思った。事故を起こして怪我や入院、いや、死んでしまう可能性もなくはない。そう思うと、小心者の高崎は居ても立ってもいられなくなった。
「すみません…。車の免許ですが、返納に来ました…」
「ああ、はいっ!」
 警察では味もそっけもなくそう言われ、書類を書かされる破目となった。
『長い間、お疲れさまでした…くらい言ってくれてもいいんじゃないか…』
 高崎は少し怒れたが思うに留め、手続きを終えた。
 数日ののち、高崎は車を運転して警察へ向かっていた。返納の確認だったが、このとき高崎は免許を返納したことを、すっかり忘れていた。朝御飯を二度、食べ、着がえも忘れ、鍵もかけ忘れ、高崎は完璧(かんぺき)に老化していた。

                           完

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2017年10月 7日 (土)

思わず笑える短編集-64- 真剣勝負

 今では、人間社会で使われなくなった刀(かたな)や剣(つるぎ)だが、真剣勝負という言葉だけは生きていて、現代でもよく使われている。
 [株]波川物産の応接室である。嘘川(うそかわ)と水根(みずね)は契約を巡り、丁々発止(ちょうちょうはっし)の駆け引きを展開していた。どちらも会社の命運を握っており、まさに真剣勝負だった。嘘川は波川物産の、水根は土穴(どあな)総商の代表で、どちらも会社のエースとして、契約のため特別に社内から選抜された代表・・という点でも、立場がよく似ていた。波川側は製品の単価@を¥11,900に、土穴側は@¥12,900で、という方針だった。
「いや、これ以上は…」
 嘘川は手を横に振った。
「いやいや、私どもとしては、そうしていただかないと…」
 水根は腕を組みなおした。
「いやいやいや、すでに決まったことですから…」
 嘘川は、手を横に強く振った。二人は対峙(たいじ)して真剣勝負をやっていた。剣道でいえば相手へ打ち込める隙(すき)を狙(ねら)い、柔道ならば相手にかけて倒せる技を狙う・・と言ったところだ。もちろん、他の競技のように、得点、ゴール、タッチダウン・・などといった狙いでもあった。
 朝始まった交渉は、食事、休憩を挟(はさ)んで長時間に及び、すでに外は漆黒の闇と化していた。
「私は帰るから、なにがなんでも頼んだよ…」
 部長の多地井(たちい)は嘘川にそう言うと、攣(つ)れなく楚々と帰っていった。残された嘘川としては、おいっ! お前は残れよっ! くらいの気分である。一方の水根にも同じ状況があった。
『私からの連絡は、今日はこれまでだ…。水根君、あとはよろしく頼む』
『部長!』
 部長である倉茂(ぐらも)からの最後のスマホでの連絡だった。
 朝が白々(しらじら)と明けようとしていた。二人は真剣勝負をしたまま、いつの間(ま)にか真剣に眠っていた。


                            完

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2017年10月 6日 (金)

思わず笑える短編集-63- 模様

 蛸川(たこかわ)は、天気模様よりも葉模様を気にする・・という盆栽マニアを自負する初老の男だ。今朝も早くから盆栽棚に置かれた盆栽の観察に余念がない。そろそろ春ともなり、植物は一斉(いっせい)に活気を帯び出し、蛸川としては芽吹き出した葉模様が気になるところだった。今日の天気は下り気味か…などと気にする普通人とは一線を画(かく)した。
「花が咲いてきたな…」
 花芽が出る前の1~2月に二度の消毒をしていたから、今年も桃は葉模様を心配する必要はなさそうだ…と思いながら、蛸川は独(ひと)りごちた。蛸川には数年前、消毒を忘れたせいで葉縮病にやられた苦(にが)い経験があった。
 さて、葉が出る前の花づいた梅、桃、桜には、当然ながら花見用の酒やジュース、それにご馳走、弁当、餅などが付きものだ…と蛸川は、なにげなく思った。そう思った途端、蛸川の心の中で葉模様が一斉(いっせい)に食べもの模様へと変化した。
「あなたっ! 洗濯物、取り入れてくれたぁ~!」
 家の奥から手強(てごわ)い妻の鯛子の声がした。蛸川はうっかり、妻模様を見損じていたのである。これは重大な失態だった。一日、いや他のいろいろな模様に影響を与えることが心配視された。これは、葉模様や食べもの模様騒ぎの話ではなかった。蛸川は急いで洗濯物を取り入れ始めた。
 数十分後、なんとか事なきを得て、居間でホッ! と安息の息を吐(つ)く蛸川の姿があった。居間のガラス越しに桃の花がほころんで見える。
 巷(ちまた)は春一色となり、蛸川を含む多くの人々の浮かれ模様が見られる季節が近づいていた。

                          完

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2017年10月 5日 (木)

思わず笑える短編集-62- 串カツ

 濃厚なタレにつけて食べる熱々(あつあつ)の串カツが、時代とともに世の中の盛衰を語ることがある。
「すみませんねぇ~。昨日からツケは二度までとお願いしてますんで…」
 串カツ屋の親父は、よく寄る常連客のサラリーマンにそう言って謝(あやま)った。ツケが二度までとは、串カツを濃厚なソースだれに浸ける回数が二度までということだ。過去、この回数は数度、引き下げられている。それはやはり、仕入れ値の原材料費の高騰(こうとう)の都度(つど)だった。
「んっ? 二度までなの? なんか侘(わ)びしくなってきたねぇ~親父さん…」
「すみませんねぇ~、諸物価高騰の折りでして…。串の値は上げたくありませんから、ご勘弁を…」
 言いづらそうな顔で、親父は揚(あ)がった串を油からすくい上げながら頼んだ。
「いやまあ…串の値上げよりは、こっちも助かるがね。ご時勢も世知がらくなったもんだ」
 そう言いながら、ついいつもの癖からか、客は揚げたての串を三度ばかりタレの中へ浸けてしまい、ふと気づいた。
「あっ! やっちまったか…」
「いいです、いいです…。次からで」
「そおう? 悪いねっ! ははは…」
 客は助かったように、そう返した。それ以降、この客はズゥ~~~っと助かり続けている。

                            完

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2017年10月 4日 (水)

思わず笑える短編集-61- 見せる

 女子は見せる・・という行為に拘(こだわ)る。男子の場合を考えると、拘る者もいるにはいるが、概(がい)して無頓着(むとんちゃく)な人物が多い。同じ衣類を洗濯しながら数年に渡り傷(いた)むまで着続ける・・という剛(ごう)の者も結構いるのだ。まあこれには、衣類とか化粧品に余り金をかけたがらない・・という男子独特の習性のようなものがあるのかも知れないのだが…。
「これなんかどうかしら?」
「そうですねぇ~。お嬢様なら、こちらの方がお似合いかと存じますよ…」
 若い女性店員は、近くに吊(つ)るされた少し値段が高いドレスを笑顔で示した。
「そうかしら…。じゃあ、これを」
 若い女性客は、[お嬢様]と言われたことに気分をよくしたのか、即決した。店員としては、上手(うま)く売れたわっ! …くらいの気分で、似合ってない、似合ってない! …が本心だ。これが商売というものである。女性の見せる・・という虚栄(きょえい)心をそそる、同性ならではの上手い買わせ方だった。
 店員
若い女性客から代金を受け取り、箱へドレスを収納しようとした、そのときだった。
「待って! これ、着て帰るわっ!」
「あっ! そうなさいます? では、こちらで…」
 店員は着がえ場所を手で指(さ)し示した。そう言った店員だったが、内心は、今の方がいいのに…である。だがそうは言わずに心に留め、店員は笑顔を若い女性客へ向けた。これも商売である。
「ありがとうございましたっ!」
 しばらくして、店員の明るい声に送られ、若い女性客は気分よく店を出ていった。高額を支払い、なおかつ、多くの人に似合ってもいないドレスを見せるためである。

                            完

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2017年10月 3日 (火)

思わず笑える短編集-60- 想い出話

 暮らしにくくなったり辛(つら)いいことが多くなってくると、人は過去のそうでなかったいい時代を懐(なつ)かしみ、想い出話を語りたくなる。
「いやぁ~あの頃はよかったですよ、あの頃はっ!」
「そうそう、あの頃はねぇ~!」
 過田(かだ)と今畑(いまはた)の二人が過去を懐かしんで語り合っている。だが、二人の想いは違っていて、少しずれていた。過田の想いは金利がよかった頃の、利子で物が買えた平成初期の時代であり、今畑の場合は遥(はる)か昔の、牛が田を鋤(す)いていた昭和30年代の長閑(のどか)な時代だった。
「あの頃の国は、皆、頑張ってましたからなぁ~」
 過田の想いは、バブル景気が崩壊したあとの国民の頑張りを意味した。
「そうそう、あの頃は皆が必死でしたな」
 今畑の想いは、終戦後の荒廃したあとの国民の頑張りを意味した。
「いや、必死かどうかは分かりませんが、頑張ってました…」
 過田はバブル崩壊で国民が必死になっただろうか…と、少し今畑の言い方に疑問を感じたが、深くは考えず聞き流した。今畑は今畑で、あの頃は国民全員が必死だったぞ…と、過田の言葉に少し疑問を感じたが、過田と同じように深くは考えず聞き流した。二人の共通認識は、想う頃は違うものの、過去のいい時代だった。それが唯一(ゆいいつ)、二人の話が噛(か)み合う思い出話の起点だった。
「牛でしたからな…」
 今畑は牛を追って田を鋤く農業風景を想い出していた。
「そうそう、牛を買いましたよ」
 過田は預貯金の利子で買った牛皮の財布を想い出していた。
「ほう! 買いましたかっ」
「はいっ! 買いました」
 二人の話は、妙なところで噛み合った。

                            完

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2017年10月 2日 (月)

思わず笑える短編集-59- 場合によっては

 上手(うま)い言い回しに、場合によっては…というのがある。この言い回しが使われる場合は、場合によっては刺し違える・・とか、場合によっては…する・・といった風に、少し威圧的に恐怖感を臭(にお)わせる場合が多い。
「皹皮(ひびかわ)君、誠に言いづらいんだが、場合によっては今月までということになるかも知れん。そこのとこ、よろしく頼むよ」
 人事課から回った書類を見ながら、課長の魚乃目(うおのめ)は派遣社員の皹皮に、そう伝えた。
「分かりました。どうせ、そう長くないだろう・・とは覚悟しておりましたので…」
「そうか! まあ、そういうことで…」
 了解を得た魚乃目としては、やれやれである。ところが、それは甘かった。皹皮は、抜け目がない男で、したたかだった。
「それはいいんですが、そうなれば、場合によっては課長のアノことをばらしますから…」
「なにっ! 私がどうしたって言うんだっ! アノことって、いったいドノことだっ?!」
「フフフ…いやだな、課長。アノことですよ」
 皹皮はニヒルに嗤(わら)っうと、女形(おやま)の仕草をして見せた。瞬間、魚乃目にピン! と閃(ひらめ)くものがあった。
「そ、それは困るよ…。プライべートと一緒にされちゃ、かなわん」 
「私にとれば、死活問題なんですよっ!」
「わ、分かった。なんとか私から頼んでみるから…ひとつ!」
 魚乃目は皹皮の目の前へ両手を合わせ、神仏に祈るように目を閉じた。
「はい…。頼みましたよ」
「ありがとう!」
 次長への昇格が本決まりになる瀬戸際の魚乃目としては、ふたたびのやれやれ…だった。
 翌月、課の同じ席に二人の姿があった。皹皮は派遣を解かれず、魚乃目は次長昇格を見送られていた。場合によっては・・は、場合によっては怖(こわ)い言い回しになるのである。

                             完

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2017年10月 1日 (日)

思わず笑える短編集-58- 烏賊墨(いかすみ)定食

 烏賊墨(いかすみ)定食とは文字どおり烏賊を使った定食・・と思いきや、実はそうではなく、店主のアイデアにより、客に挑戦を叩(たた)きつけるような蛸(たこ)のフルコース定食だった。分かりやすく言えば、客がこの定食を食べ終わったあと、店主が顔を好きなように烏賊墨で塗り書き、二人の記念写真を撮(と)らせれば、無料で食べられる・・という異色の定食である。いわば、平安末期の弁慶が京の五条大橋で集めた刀のようなものである。世界広しといえど、この定食はギネスに登録される定食と巷(ちまた)では評判になっていた。店内には撮られた写真の数々が貼(は)られ、展示されていた。さらに、この定食には記念写真を撮らせた客には一枚、烏賊墨パスタを食べられる無料の食券が貰(もら)える仕組みだった。
「親父! 烏賊墨定食!!」
「おっ! やられますかっ!」
 店主がニタリと笑った。 
「今日は早引けになったからな」
 常連の若い客は漁師(りょうし)で、漁に出ない日は漁業組合の雑用を任されていた。
「海が荒れてますからねぇ~」
「ああ…。それに一度、やってみたかったんだっ。というより、ははは…金回りが悪くてな」
「なるほどっ!」
 しばらくすると、フルコース蛸の烏賊墨定食が若い客の前に置かれた。その後は以下[烏賊]のとおり・・ではなく、以上のような進行となった。

                           完

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