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2018年1月

2018年1月31日 (水)

困ったユーモア短編集-80- 城主

 畑地の様相は困ったことに、まさに戦国時代であった。
『申し上げますっ! 敵勢およそ300、茄子川(なすかわ)の辺(あた)りに出没(しゅつぼつ)しおるよしっ! 民(たみ)は、また戦(いくさ)かと萎(な)えておりますっ!』
『うむっ! 大儀(たいぎ)っ! またしても、無駄な出費じゃ…』
 野苗(やなえ)の城主は藻倉(もぐら)の手勢に攻められ、守勢に回っていた。
『殿、いかがなされますっ!』
『回り風車の旗を立ていっ! ともかく今は、三つ葉殿の援軍を待つ他(ほか)あるまいっ…』
「はっ! そのように…」
『胡瓜(きうり)、獅子頭(ししとう)、それに戸的(とまと)城は、かろうじて守られたが…』
『殿、なにか申されましたか?』
『いや、別儀(べつぎ)じゃ!』
 かくして、野苗家の城主と藻倉家の城主との戦いは続いていくのであった。
「あなたっ! まだ、寝てるのっ! 夕飯(ゆうはん)よっ!」
 城主の大声に、耕地(こうち)は飛び起きた。残業続きで、いくら寝ても眠った気がしなかった。顔を洗い、口を漱(すす)いでキッチン・テーブルへ座った。椀(わん)には三つ葉のお吸い物が湯気(ゆげ)を立てて注(そそ)がれていた。三つ葉の援軍は来たのか…と、耕地は思った。

                          完

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2018年1月30日 (火)

困ったユーモア短編集-79- 複雑怪奇

 高桑(たかくわ)はパソコンに疲れ果てていた。最初は使い勝手がよいぞっ! と勧(すす)められ、それじゃ、老いの手習いに…と軽く始めたのはよかったが、困ったことに使い勝手は次第に悪くなり始めたのである。なんといってもワープロとは違い、桁外(けたはず)れに複雑怪奇だった。まるで、富士山麓の青木ヶ原樹海に紛(まぎ)れ込んで抜け出せなくなった放浪者に似かよっていた。とはいえ、使わない・・というのは、どこかパソコンに負けたようで癪(しゃく)だったから、高桑は続けることにした。というのは表面上の口実で、実は、いろいろと欲を満たして楽しめる利点もあったから続けた・・ということもある。
 夕飯はパソコンを買う前、6時半だったものが、いつしか8時を回るようになっていた。そこまでは、まだよかった。ところが、食事後の生活習慣をそれまでと同じように続けたから、当然、眠る時間が遅れることになった。と、どうなるか・・結果は、明々白々(めいめいはくはく)である。起床時間が遅くなった。それまでの散歩時間はなくなり割愛(かつあい)されることになった。と、どうなるか・・結果は明々白々である。体重が5kgも増えることになった。さらに、訳が分かず、虚しく費やす時間が増え、余暇が激減した。
「フゥ~~」
 高桑は溜息(ためいき)ともつかぬ息をひとつ吐(は)いた。パソコンは高桑にとって、生活リズムを崩(くず)し、体重を増やす複雑怪奇な存在に他ならなかった。

                            完

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2018年1月29日 (月)

困ったユーモア短編集-78- 手取(てどり)

 なかなか社会制度は強(したた)かだな…と、桃川は第一感、思った。65になり、これでいくらか増えるな…と楽しみにしていた年金が、困ったことに細かく計算すると減っていたからだった。確かに支給総額では、僅(わず)かながら増えていた。が! である。が、介護保険料が+αで支給総額から引かれ、可処分所得、平たく言えば手取(てどり)が65才以前より減っていたのである。増えた分で年一回くらいの旅行には出られるだろう…という桃川の儚(はかな)い夢は潰(つい)え去ることになった。建て前はどうでもいいっ! 要は、中身だっ! と桃川は怒れた。だが、こんなことで怒っていても仕方がない。桃川は考えないことにした。考えなければ腹も立たず、怒れることもない。そう思うと桃川は気が楽になった。
「やあ、桃川さんじゃありませんかっ!!」
「おおっ!! これは梨山さんっ!」
 公園内を散歩していた桃川は会社で同僚だった梨山にバッタリ出会った。
「こんなところでお会いするとは…。お家(うち)、この近くなんですか?」
「ええ、もちろん。っていうか、あなた、この近くでした?」
 桃川としては自分は古くからこの地の住人・・という自負があり、少し偉(えら)ぶって言った。
「はい、最近、引っ越してきました…」
「なんだ、そうでしたか。まあ、そこで少しお話でも…」
 桃川は公園のベンチを指さした。久しぶりの再会に、いろいろと話は弾(はず)んだ。
「そうでしたか、ははは…。そうそう、私、これから銀行でした」
「銀行ですか?」
「はい、年金ですよ」
「ですか。…急用を思い出しました、それじゃ!」
 瞬間、桃川の脳裏に手取が減る計算が甦(よみがえ)った。梨山に一礼すると、桃川は足ばやに公園から立ち去った。
「桃川さん、どうしたんだろ?」
 梨山は訝(いぶか)しげに桃川の後ろ姿を追った。手取は桃川の気分を悪くする手取川の戦い[上杉軍 対 織田軍]だった。 

                        完

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2018年1月28日 (日)

困ったユーモア短編集-77- 風呂屋の釜(かま)

 家庭風呂が増えたからか、風呂屋が次第に減っている。まあ、時代の趨勢(すうせい)、平たく言えば時代の流れ・・だと言えばそれまでだが、風情(ふぜい)が、困ったことに消える寂しい話には変わりない。
 風呂屋がフェチの薪(たきぎ)は番台前の風呂客用の休憩場で、いつものコーヒー牛乳を飲んでいた。この瓶(びん)も最近、見かけなくなったなぁ…と思いながら、風呂上りのいい気分を堪能(たんのう)していた。客用テレビが国会討論会の録画画面を流している。
「ははは…皆さん、間違ってないんですがねぇ~」
 番台に座る風呂屋の親父が薪に声を投げた。急に声をかけられた薪はビクッ! として番台を見て言った。
「私ですかっ!?」
 親父は小笑いしながら黙って頷(うなず)いた。
「そうですねぇ~…いい政治をしてもらいたいものです」
「私のところでは困ります」
「はっ?!」
「風呂屋の釜(かま)ですよ、ははは…」
「…」
 まだ理解できず、薪はおし黙った。
「湯(ゆ)[言]うばっかり。ははは…」
「あっ! ああ、そうですね。言ったことはやってもらわないと」
「いいことは誰でも言えますからな」
「そうですね、ははは…」
 薪は風呂屋の釜だな…と、思うところは言わず、笑って軽く流した。

                           完

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2018年1月27日 (土)

困ったユーモア短編集-76- そこは、それ…

 なんとも使い勝手がいい言い回しに、そこは、それ…というのがある。暈(ぼか)して、それとなく相手の出方を促(うなが)し、直接的には自分の意思を示さない、ある意味で自分を安全圏に置く困った言い回しだ。
「それは、どうなんですかね。私としては海崎(うみさき)さんの案の方が先方に受けがいいと思いますよ」
「そうかね…。私の考え過ぎか」
 部長の串塩(くしじお)と次長の魚川(うおかわ)は、開発課長の海崎と営業課長の浜砂(はますな)の両案を比較検討していた。
「ええ、そう思います」
「よし! これで決まりだ。で、問題はそのあとの接待なんだがね」
「部長、そこは、それ…。いつものように」
 魚川はニヤリと意味有りげに北叟笑(ほくそえ)んで串塩を見た。串塩も、なるほど…と理解し、笑顔で頷(うなず)いた。
「アレか!」
「アレですよ、部長! お得意の…」
「ははは…参ったな。また私の出番とは」
 一応、釘(くぎ)を刺しはしたが、まんざらでもない顔で串塩は了解した。魚川が言った[そこは、それ…]は串塩の宴会での裸踊りだった。

                            完

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2018年1月26日 (金)

困ったユーモア短編集-75- 意識せず

 周囲の人に対して意識しやすい体質と、しにくい体質がある。図太い! と思われる人は、まったくしない体質だから、しにくいを超越(ちょうえつ)した相当の猛者(もさ)だ。また、意識しやすい体質の者でも、意識的に意識せずを心のお題目(だいもく)で唱えるように意識することにより、周囲の人を意識しなくなる・・というややこしい場合もある。意識せずを念頭に置けばどうなるのか? といえば、意識しなくはなる。ただ、その一点に心が集中すれば、肝心の自分がしようとしていることや言おうとしていることが疎(おろそ)かになり、失敗しやすくなる。結果、失敗すれば、周囲の人を意識し、何をやっているのか分からない。
 吉松は田村眼科の待合室で待っていた。田村 岬(みさき)はご近所で有名な美人女医で、吉松は寿司でも一度、つまみませんか? と密(ひそ)かに誘(さそ)う機会を窺(うかが)っていたのだ。
「吉松さん! どうぞ…」
「どうされました?」
「はあ…どうも、この辺(あた)りが痛くて…」
 数日前、調理をしていて、うっかり切った人さし指が赤く腫(は)れ上がり、少し痛かった・・という唯一(ゆいいつ)の口実をひっさげ、まったく関係がない田村眼科に厚かましくも診療を受けに来たのだった。
「はあ?」
「ここです! ここ!」
 吉松は手指を田村の顔先へ、これ見よがしに突き出した。
「ここは分かってます! 私は医者で目は悪くないんですよぉ~」
 田村が繰(く)り出した嫌味(いやみ)の一発である。田村は、意識せず…と思って医院へ来たのだが、岬の顔を見るともうダメで、意識して身体が氷結して硬(かた)くなるのだった。それも、ガチガチ! に、である。指先を岬の顔の前へ突き出したのも、顔を見ないためだった。
「どうしましょう?」
「どうしましょう? って、お好きになさればいいじゃないですか。私のところじゃないですよ、コレは…。お隣(とな)りなら診(み)てもらえますよ、きっと!」
 嫌味の第二段だ。
「あっ! はい! ははは…お隣りでしたか。でしたね、ははは…」
 田村は笑いで誤魔化(ごまか)した。岬が優(やさ)しかったのが勿怪(もっけ)の幸(さいわ)いだった。そして今、岬を寿司へ誘う話は、田村が岬を意識せず話せる日まで、宙(ちゅう)に浮いている。

       
                   完

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2018年1月25日 (木)

困ったユーモア短編集-74- 攻守(こうしゅ)

 下草(したくさ)は土曜の夕方、風呂上りで一杯やりながら、畳(たたみ)の上へ牛のように寝そべり、テレビの野球中継を観ていた。ツマミは生え草ではなく、熱々(あつあつ)でジュ~シィ~~な出来上がりの白身魚のフライである。ビールにはとっておきのツマミで、下草にとって刈り取る必要がなかった…いや、申し分なかった。
「ほう、かなり攻めてるなっ!」
 下草は応援チームの猛攻にテンションが上がっていた。そこへ、敵チーム・・ではなく、妻のひと声が入った。
「夕飯、何にするっ!」
 妻の攻め手は、いつもこう来るのが常套(じょうとう)手段だった。直接ではなく、外堀から、それとなくヤンワリと来るのだ。このヤンワリが、どうしてどうして、なかなかの曲者(くせもの)で、侮(あなど)れなかった。というのも、責任を相手に下駄を預(あず)けた形にして、自己責任から逃避(とうひ)しているからだった。分かりやすく言えば、攻める打者の「これかっ! あまり食いたくなかったな…」というヒット性の打球や「なんだ、これはっ!!」というホームラン性の打球を封じる魔球的な守りの一投だったのである。
「んっ? なんでもいい…」
 下草としては、すでに少し酔いが回っていたから、どうでもよい気分になっていた。それに試合の状況に気が削(そ)がれていたから、夕飯どころではなくなっていた・・ということもあった。結果、この試合は妻の完封シャットアウトで終わり、下草は完全な酩酊(めいてい)牛となったのである。
「夕飯、出来たわよ。…あら、眠ってるわっ」
 下草家の攻守は案外、スンナリと決着した。

                             完

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2018年1月24日 (水)

困ったユーモア短編集-73- 落ちついて

 落ちついて判断すれば、そう大したことがないような内容でも、焦(あせ)れば、ことのほか梃子摺(てこず)る場合がある。関ヶ原の戦いに間に合わず、家康公から叱責(しっせき)を受けた[私はその状況を見ていないから分からないが、ドラマの場合は、おおよそ、そのように描かれている ^^]秀忠公も、上田から中山道を下る経路で長雨に行く手を寸断され焦られたか焦られなかったかは知らないが、まあ、落ちついて判断すれば、上田攻撃をせず、スゥ~~っと素どおりしていれば間に合ったのではないか・・と推測される訳だ。これは天下の将軍家に対し誠に失礼な物言いとはなるが、…まあ、そのようだ。今の世でも同じことが言える。長蛇(ちょうだ)の列が出来ている中を、これから並ぼうとする人は落ちついた人と落ちついていない人では大きな差異を見せる。まず[1]として、並ぶ列の周囲の込み具合を落ちついて判断する。[2]としてそのときの気象状況を落ちついて判断する。さらに、[3]として、どうしても並ぶべきかの必要性の軽重を判断する。で、[1]、[2]、[3]を総合判断{出来ればターミネーターのように瞬時に判断できるに越したことはない}して、並ぶか、また次の機会にして断念するかを落ちついて決定する・・というものだ。これにはやはり、人間性が多分に影響し、短気な人の場合とそうでない人の場合では違いを見せる訳である。
「あっ! どうぞ…」
「えっ? いいんですか? それじゃ、ここで…」
 雨寄る天候の中、二人の人がスーパーに歩いてやって来た。二人は雨傘を持っていなかった。一人の人は、買い物をせず、そのまま帰宅した。もう一人の人は、買い物をした。買い物をしなかった人は、落ちついて空模様を観察していた。で、降りそうだな…と
落ちついて判断し、車で出直そうと帰宅した。もう一人の人は、なんとかなるわ…と焦って考えた。結果がどうなったかを語りたくはないが、やはりここは語っておかねばならないだろう
「わぁ! 降ってるわ。使い捨て傘を買うのも癪(しゃく)だし、待つしかないか…」
 雨は、やはり降った。買い物をした人は半時間ほど空を眺(なが)めながら、焦り続けた。そのとき、買い物をしなかった人は車でやって来て買い物を終えたところだった。
「あらっ! 送って差し上げますわ、どうぞ…」
 落ちついて判断した結果は皮肉な結末を招(まね)いた。

                          完

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2018年1月23日 (火)

困ったユーモア短編集-72- 気分よく

 人は誰も、気分よく生活したい…と望んでいる。いい服、美味(おい)しい料理、快適な住まい・・これら衣食住を満たすため、日々、頑張(がんば)っている訳だ。まあ、頑張らずに追求だけしておられる人々もいなくはないが…。そんな人々はごく少数の恵まれた存在で、普通一般の人々は日夜、気分よく暮らせることを望んで励(はげ)んでいるのだ。だが、気分よく・・というのは、かなり一方的な自己主張で、本人が気分よく・・と思っても、困ったことに、とり囲むいろいろな軋轢(あつれき)、柵(しがらみ)などが目に見えない形で忍び寄り、邪魔をしたり壊(こわ)したりするのがこの世の常である。
 久々に纏(まと)まった休暇がもらえた逆立(さかだち)は、どう気分よく過ごそうか…と北叟笑(ほくそえ)みながら計画を立てていた。
 逆立の計画では、まずとある温泉へ着き、浴衣に着がえてフラフラと露天風呂へ歩き、湯浴(ゆあ)みしたあと、のんびり塩をつけた温泉卵をモグモグと頬張(ほおば)る。そして、夕暮れどきを宿へと戻(もど)り、ほどよく冷えた、冷酒、ワイン、ビールなどで喉(のど)を潤(うるお)し、宿が出した美味(うま)い料理に舌鼓(したづつみ)を打つ・・というものである。アレコレ計画を立てただけで逆立は気分よくなった。その後、適当な旅行社にプランを依頼し、逆立はクーポンを手に喜び勇(いさ)んで旅に出た。ここまではよかった。
『ただいま和牛-黒豚間で人身事故が発生したため、肉物線の列車は運転を見合わせています』
 駅構内にアナウンスが流れた。せっかく気分よくいい旅を・・と勇んでいた逆立の心が一瞬にして萎(な)えた。肉物線に乗らなければ、とある温泉へは着けず、気分よく温泉卵を頬張れないことになる。計画は総崩れとなるのである。
「なんとか、温泉卵へは着けませんかっ!!」
 逆立の焦(あせ)った心が、そう言わせていた。
「はあ!?」
 駅員は意味が分からず、訝(いぶか)しげに逆立を見た。
「いや、なんでもありません…」
 温泉までは約1時間である。多少高くついても仕方ないか…と、逆立は駅からタクシーで行くことにした。温泉へは着いたが、温泉はひっそりとし、人の気配はほとんどなかった。
「あの…この旅館なんですが…」
「ああ、お客さん。悪いときに来られた。十日ほど前から元湯が止まっちまって、湯が出なくなってるだぁ~よぉ~」
「ええ~~っ!! でも、旅行社はクーポン出してくれましたよっ!」
「ああ、そらそうだろっ。まだ、湯のことは世間に流れてねぇ~のさ」
「そんなぁ~~!!」
 気分よくと考えていた逆立の目論(もくろ)みは完全に消え去り、あとには空(むな)しい気分だけが残った。気分よくいくはずが、気分悪くなったのである。

                         完

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2018年1月22日 (月)

困ったユーモア短編集-71- 考え方

 考えが甘く、軽率な判断で元も子もなくしてしまうことがある。困ったことにソレに気づくときは、時すでに遅し・・という場合が多い。だが、そう思う時点では、もはや自分に負けているのだ。この世の事象はやってみなければ分からない・ころに妙があるのだ。━ なせば成る ━ という格言どおり、ほとんどの事象は、やればできるようになっている。できないのは努力が足りないか、やり方が拙(まず)いかの孰(いずれ)かである。要は、どう思うかの考え方で、先々が変化していく・・ということだ。
 小人数の会合が和室で始まろうとしていた。開催時間にはまだ30分ばかりあったが、人は集まり始めていた。
「嵐川さん、済みませんがねぇ~、そこのお座布、取っていただけませんか…」
 嵐川に声をかけたのは、和室へ入ってきた会員の堤だった。嵐川は一瞬、ムッ! として、躊躇(ちゅうちょ)した。というのも、堤は嵐川より数年年下で、しかも新入会員だったからだ。嵐川に言わせれば、『新入りの癖(くせ)に横柄なヤツだっ! 俺はこの会が始まって以来の古参(こさん)だぞっ! その俺にっ! 自分で取れっ!!』とでも言いたげな猛獣気分だったが、さすがにそうとも言えず、その気分が躊躇させたのだった。
「あっ! 私が…」
 すぐ立ち上がったのは、嵐川の横に座っていた中堅(ちゅうけん)の備場(そなえば)である。備場は人がよかった。嵐川と備場の両者には、明らかな考え方の差が生じていた。立った備場は近くに積まれた座布団の一枚を手にすると、快(こころよ)く堤へ近くと笑顔で手渡した。
「ははは…どうも態々(わざわざ)、すみません。持病の関節痛が再発してまして…」
「そうでしたか。お大事に…」
「…」
 二人の遣(や)り取りを聞いていた嵐川は、面子(メンツ)が丸潰(まるつぶ)れで、小猫になった。
「どうです、一杯」
「ああ、いいですな」
 会合が済んだあと備場と堤は飲み屋街へと消えていった。二人の後ろ姿を見ながら、お呼びがかからなかった嵐川は嵐を起こすことなく侘(わび)しく帰宅する他はなかった。考え方ひとつで、物ごとはよくも悪くも動くのである。

                            完

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2018年1月21日 (日)

困ったユーモア短編集-70- 冷静

 そう大したことでもないのに、慌(あわ)てたり急ぐことで冷静を欠(か)き、困ったことに大失敗するとがよくある。
 冷静になる極意を鍛錬(たんれん)で身につけようと、営業統括部長の刺身(さしみ)は仕事を次長の甘煮(あまに)に任せ、ひと月の休職届を会社に出すという暴挙に出た。これでは、もはや、常務ポストの出世レースは、もう一人のライバル、総務部長の肉焼(にくやき)にほぼ、決定だろう・・と誰の目にも見えた。その頃、休職中の刺身は禅寺に籠もっていた。
「刺身さん、いかがですかな? 少しは悟(さと)られましたか?」
「これはこれは、ご老師…」
 毎朝の修行の禅を組み終え、立った刺身に声をかけたのは、荒塩(こうえん)寺の座主(ざす)、乾佛(かんぶつ)だった。
「冷静さを養いたいと寺へ来られ、かれこれ半月にもなりますかな?」
「はい、お蔭(かげ)さまで…」
「どうですかな、冷静になれる極意は悟られたかな?」
「いや、それが。どうも、今ひとつ…」
 刺身はお茶を濁(にご)した。
「ほっほっほっ…。拙僧(せっそう)の神々(こうごう)しい輝くきの頭を思い出されよ、さすれば、冷静にお成りになられるはず…」
「ぅぅぅ…老師! ご教示、有難うございます。ぅぅぅ…」
 乾佛の言葉に刺身は、よよと感涙(かんるい)に咽(むせ)んだ。会社へ復職した刺身がそれ以降、重役会の新任を絵、新しく常務に就任したことは申すまでもない。冷静を得る極意は神々しく光る老師の頭だった。

                           完

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2018年1月20日 (土)

困ったユーモア短編集-69- 灰色

 白くもなく黒くもない色・・それが灰色である。ほどよい、いい色合いであるにもかかわらず、困ったことに悪い場合で使われる場合がある。灰色高官・・とか、かつて世間を騒がせた政界のスキャンダラスな事件でマスコミを賑(にぎ)わせたのが、その具体例だ。別に灰色を弁護する訳ではないが、色合いの薄い濃いの差はあっても、人の世は黒くても白くても生きられない灰色の世界なのだから必要不可欠の色合いなのである。さらに加えるなら、━ すべからく中庸(ちゅうよう)をもって、よしとす ━ とした中国の故事からすれば、白黒ではない中庸の灰色は理想なのである。ただ、囲碁の世界で持たれる白石と黒石は、白がいい黒が悪い・・という意味合いで打たれる石でないことは明白だ。
 プロ棋士の二人が和室で碁を打っている。中央手前には記録係と時計係の二人がいて、盤面に目を凝らしている。
「ありません!」
 後手番で白石を打つ黒崎九段は先番で黒石を打つ白橋七段に静かに頭を下げ、ポツリとそう呟(つぶや)いた。黒崎九段の顔は苦渋に満ちた顔の表情に変化し、額(ひたい)にはあぶら汗すら滲(にじ)んでいるではないか。瞬間、白橋七段は『おやっ? 』と思った。局面はこれから中盤へと大きく盛り上がろうとするところで、とても苦しくて投了するような局面ではなかったからだ。記録、時計係の二人も同様で、三人は、もののけにでも化かされたような顔つきで黒崎九段を窺(うかが)い見た。黒崎九段は困っていたのである。何に? それは、生理的な現象だ。腹が急に痛み出し、便意を覚えた黒崎九段は、ほぼ限界に達していた。漏らす訳にはいかないのは当然で、そうとも言えない。早碁の対局で、余りに長考したせいか残り時間がなくなっていたのも大誤算だった。
「ぅぅぅ…」
 がまんしきれなくなった黒崎九段は、スッ! と座布団から立つと、和室から走り去った。三人は何ごとが起きたのかと唖然(あぜん)とした。
 「ありません!」と呟き、トイレへ駆け込んだ黒崎九段の便座の横に、白いトイレット・ぺーパーがあった。黒崎九段は、用を足し終えたいい気分で、灰色だな…と何げなく思った。

                           完

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2018年1月19日 (金)

困ったユーモア短編集-68- 救いの神

 予想もしていない困った状況に、ヒョイッ! と正義の味方のように現れてくれるのが救いの神だ。救いの神の出現は、その者にとって、有難くも有難い。なんといっても最悪のピンチを脱出できるからだ。そうなるピンチの予想は誰もしていないし、どこで、いつ、どうなるか・・は、神のみぞ知る未来の姿だからだ。一秒でも時間がづれればそうならないし、それが可能となるタイミングが必要となるからだ。
 竹鋸(たけのこ)は、その日どうしたことか、いつもの落ち着きを失っていた。車でスーパーへ買物に出かけた竹鋸は、いつものように4階以上に敷設されている駐車場へ車を止めようと、車でスパイラル通路を上っていた。生憎(あいにく)その日は混んでいて、車は次から次へと数珠(じゅず)つなぎで上っていた。最初のうちは竹鋸の車も順調に上っていた。ところが2階の踊り場で前の車が急にストップしたのである。竹鋸の車は踊り場手前の上り坂だったから、予想外の展開に、慌(あわ)てて竹鋸はサイド・プレーキを引いた。数珠つなぎで後ろからも車が上ってきている。以前にも同じようなことがあったが、そのときは焦(あせ)っていなかったからか、スンナリとサイド合わせ[ギアをローの位置にし、アクセルをやや強めに吹かしながら静かにサイド・プレーキを戻(もど)す]が出来たが、その日にかぎって少し焦っていたこともありアクセルの吹かしが弱かったのである。当然、車は逆走し、下り始めた。下からは車が数珠つなぎで上ってきていたから竹鋸はかなり慌(あわ)て、ふたたびサイド・プレーキを引いた。そして、もう一度、試みたが、アクセルの吹かしが甘く、車は下り始めた。竹鋸はまたまた、サイド・プレーキを引いて車を停止させた。さあ! 弱ったぞ…と思ったとき、後ろの車を降りた男性が近づいてきた。
「変わりましょうか?」
 竹鋸は瞬間、救いの神だ…と思った。竹鋸は車を降りた。車は見事に上がった。竹鋸は『さすがは神技(かみわざ)だ…』と感じた。
「すみません…」
 竹鋸はフラットな踊り場に止まった車から降りてきた男性に、思わずそう言っていた。お手数をおかけして・・の意味が込められていたのは当然である。救いの神は確かにこの世に存在するのである。

                            完

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2018年1月18日 (木)

困ったユーモア短編集-67- ついでに…

 ふと、心に浮かんで、物ごとを『ついでに…』と、一緒にやってしまおう・・とするときがある。こういう場合にかぎって、ミスが発生することが多い。困ったことに、ミスをしてから反省することが多いのが日常、世間で生きる我々である。それだけ世の中がスピードアップされ、人が時の流れに追いつけなくなっている・・ともいえる。
「節川(ふしかわ)さん、あの…」
「なんです? 多々木(たたき)さん?」
「いや、べつに…。何かやられますか?」
「いいえ、これといって…。次の駅まで少し眠ろうか・・くらいのことです」
 列車旅行で特急・鰹(かつお)の隣席に座った節川と多々木が、車窓に流れる外の景色を見ながら話しあっている。二人は昔ながら仲がよく、飲み屋で意気投合して決めた遠くの温泉への旅に出たのだった。
「そうですか。…でしたら、ついでに…といっちゃなんですが、次の駅で私の分も駅弁買ってもらえませんか」
「えっ? ああ、構わないですよ。なにか、されるんですか?」
 多々木は『列車の中だぞ、妙な人だな…』と思いながら了承(りょうしょう)した。
「ええ、まあ。あなたも、ついでに…どうです」
「ついでに? 何をです?」
「あれですよ、アレ!」
「アレ?」
 多々木が分からず首を傾(かし)げたとき、節川は持参したクーラーボックスで冷やしたワンカップの酒を、二本取り出した。ガラスの酒は冷えに冷えていた。釣りの旅でもあるまいし、クーラーボックスとは? と、思っていたから、その謎が解けた格好だ。
「ああ! ああ、なるほど!」
 多々木は思わず口に出して納得した。
「何がです?」
「いや、べつに…」
「私、飲むと、すぐ眠る癖(くせ)がありますので、ついでに…お願いしたようなことで」
「ああ! ああ! それも、ああ!」
 節川についでに…と言われた意味が分かり、多々木はすべて得心ができたのか、酒のツマミように美味(おい)しく食われた。

                           完

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2018年1月17日 (水)

困ったユーモア短編集-66- それは困る

 梅雨(つゆ)の頃になると、植えた夏野菜も根づき、少しだが実をつけ始める。ところが困ったことに、生育するに従って、苗に害虫がついたり菌による病気が出たりする。さらに、攻撃はそれらだけには留(とど)まらない。
「どうも、妙だなぁ~」
 早朝から家の畑へ出ていた村吉(むらよし)は首を捻(ひね)りながら呟(つぶや)いた。春に植えた夏野菜の茄子(なす)の苗だけが萎(しお)れていたのである。昨日(きのう)は一日中、梅雨の雨がシトシトと降っていたし、地は十分に水を吸っているはずで、萎れることはないはずだった。他の野菜苗が萎れていないのも怪(おか)しい。根切虫やアブラ虫などによる害や、その他の原因も考えられなくもない。村吉はシゲシゲと茄子の苗を観察し始めた。すでに小さな茄子が実をつけ、紫色の花も咲いている。葉先は萎れてはいるが、枯れかけている訳でもなく、茎はしっかりと直立していた。茎に虫がいる様子もなく、毎年、萎れるなどということもなかったから、疑問は村吉の心の中で益々(ますます)、膨(ふく)らんだ。
「まあ、いいか…」
 村吉はバケツに水を汲(く)むと、茄子の根元にやった。
 そして半日が経(た)ち、村吉はふたたび畑へ出た。すると、茄子は勢いを取り戻(もど)し、萎れていた葉も数日前のように、しっかりと開いていた。
「なんだ、やっぱり水か…」
 村吉は、なんとなく納得した。それで、コトは終わるかに思われた。ところが、である。夕方、『もう一度、見ておくか…』と、村吉が畑へ出ると、茄子は朝のようにまた、萎れていた。これは妙だ…と思った村吉の脳裏に根切虫による害・・が浮かんだ。村吉はスコップで根元を掘ってみた。すると、茄子の根元に空洞になった大きな穴が見つかった。村吉は一瞬でモグラだと分かった。
「それは困る」
 村吉は穴が開いた地面に思わず語りかけていた。村吉としては、穴の中のモグラに苦情を言ったつもりだった。バケツで何杯かの水を穴へ注ぐと、水は瞬(またた)く間に地中へと吸い込まれていった。
「なかなかの大物だな…。いや、小物か?」
 村吉はニンマリと笑みを浮かべた。その後の茄子がどうなったかは、読者諸氏のご想像にお任せしたい。

                           完

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2018年1月16日 (火)

困ったユーモア短編集-65- 攻守(こうしゅ)

 ここは土地保全派と建設推進派が鬩(せめ)ぎ合う最前線である。困ったことに相応の折り合いがつかず、土地保全派と建設推進派の両者が戦いを始め、幾久しかった。土地保全派は、元あった公園を憩(いこ)いの場として守ろうとする市民グループであり、建設推進派は市の建設課の面々であった。
「申し上げますっ! 敵勢およそ数人! なにやら掘立(ほったて)小屋のようなものを建て始めましたっ!」
「そうか、もう来おったか…」
 土地保全派の守将、取囲(とりい)は、笑い捨てながら静かに声を出した。取囲は公園の跡地を土地保全派の市民グループに日夜、交代で警備させていた。その全員がヘルメット、揃(そろ)いの着衣に身を固めているから、恰(あたか)も城を守備する城兵に似ていた。すでに、建設推進派である市は裁判所に対し強制代執行の許可を申請していた。これが認められれば、落城することは目に見えていた。物見の市民から報告を受けた取囲は、静かに双眼鏡を手にすると前方の茂みを眺(なが)めた。茂みの中には仮設された物置小屋の姿があった。
「もはや、これまでか…」
 総攻めをする建設推進派の動きを察知し、取囲はひと声、呟(つぶや)いた。これまで攻守を繰り返した籠城の日々が走馬灯のように取囲の脳裏を過(よぎ)った。
 それから十日ばかりが過ぎ、いよいよ建設推進派は強制代執行に踏み切った。
「ただちに囲みを解き、退去しなさい! 退去しない者は公務執行妨害で逮捕しますっ!」
 拡声機の声が公園内に響いた。
「刑部か。もはや、これまで…。皆の者、囲みを解き、退去せよっ!」
「ぅぅぅ…殿!」
 土地保全派の面々は、取囲を取り囲み、無念さに涙した。
「さあ、早う!」
 取囲の声に追い立てられ、市民達は涙しながら公園から去っていった。取囲だけは一歩も引かず座り続け、逮捕された。両者の攻守は強制代執行により幕を閉じたかに見えた。が…、現在は自然の森公園として復活し、残り少なくなった自然の寛(くつろ)ぎを市民に提供している。と、言いたいのだが、実はそうではなく、足りなくなった食糧増産の田畑になっている。攻守は人々VS飢えに変化しているというのが実態だ。

                             完

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2018年1月15日 (月)

困ったユーモア短編集-64- 奈落(ならく)の底

 芝居とか歌でよく見かける舞台には奈落(ならく)という装置がある。どうもその舞台の下を指(さ)すようだが、元々は仏教用語で、サンスクリット語の地獄[naraka]を音写(オンシャ)したときが始めらしい。僧が、うっかり書き間違えたのか、適当に欠伸(あくび)をしながら書いたものかまでは私には分からないが、まあ、そういうことだ。
 足利(あしかが)は奈落の底まで落ちたあと、天まで浮かんだような子だ・・と子供の頃、言われていた。困ったことに、大人になった今もそれがどういう意味だったのか分からず、考え続けている不思議な男である。
 ある時、足利はテレビニュースを見ていた。アナウンサーは、某国の金融市場が破綻(はたん)したっ! と、興奮した気持を必死に抑えるような声で読んでいた。そして、国民生活は最低ラインまで引き下がるだろう・・という悲観的な経済学者の見解を加えた。
「奈落の底だな…」
 足利はテレビ画面を見ながら、意味なくそう呟(つぶや)いたあと、ふと気づいた。そうだっ! 奈落の底とは、最低の生活状態に陥(おちい)ることだ…と。ということは、子供時代に言われていた意味は、最低の生活をしていた子が極楽のような裕福な暮らしをする子になった・・という意味だと分かった。長年の疑問が解(と)け、足利の心は晴々(はればれ)とした。そういえば、父親が宝くじに当たってからというもの、暮らしは一変したことだけは確かだった。一匹のメザシが入った遠足の弁当が、○○堂特製弁当に変化したことからも、それはよく理解できた。それ以降、足利家は利息で生活が事足りている。だから、足利は天まで浮かんでいる・・という訳だ。ただ足利は、応仁の乱→戦国乱世…と続き、やがては徳川家康が天下餅をニンマリと笑顔で頬張る先の世を知らない。

                          完

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2018年1月14日 (日)

困ったユーモア短編集-63- 梅雨(つゆ)

 なぜ梅雨(つゆ)入りするのか? とか、なぜそう宣言する必要があるのか? などと考えるのではなく、困ったことに梅雨がなぜ梅の雨なのか? さらには、なぜ梅雨で、[つゆ]と読むのか? などと、斜(はす)に構(かま)えて考える、風変りな男がいた。名を解明(かいみょう)という。普通に考えれば、呼び名が決まっていなければ、竹雨でも松雨でもいい訳で、取り立てて梅に拘(こだわ)る必要はないのだ。まあ、梅の実が採れる頃だから・・という人もあるだろうが、それだったら桃の実だって成長するのだから、桃雨でもよいことになる…と、解明は考えた。こうなれば解き明かさねば気が済まない解明である。外は雨模様で出にくいこともあったが、解明は書斎に籠(こも)るといろいろな資料を紐解(ひもと)き始めた。
「なるほど…。これによれば、毎日降る雨だから梅の字を当てた・・とあるな。…なになに! この時期は湿度が高く、黴(かび)が生(は)えやすいことから黴雨(ばいう)と呼ばれたものが同じ音(おん)読みの梅雨に転じた・・か…。この説も一理ある。待て待てっ! 調べたいのは梅雨を、なぜ[つゆ]と読むのかだった。少し脇道(わきみち)へ逸(そ)れたな。元の道へ戻(もど)ろう!」
 その後、梅雨を梅雨(ばいう)とも読む・・とは分かった。
「ひとまず、梅雨入りだっ!」
 解明は訳が分からないことをグダグダ…と呟(つぶや)きながら、淹(い)れたミルクティーを啜(すす)った。
「ええっ! まだあるのか。旧暦の五月に由来することから五月雨(さみだれ)な…。五月雨を あつめてて早し ナントカ・・というやつだな。…これもかっ! 麦の実る頃だから麦雨(ばくう)な…。これらも一理あるぞ。まだある! もう、いいっ!」
 解明は、梅雨は梅雨でいい…と見切りをつけ、書斎の椅子(いす)を立った。結局、梅雨が、なぜ[つゆ]と読むのかは分からず、読むから読むんだっ! ということで解明は決着させた。頭の中では、楽しみにしている冷蔵庫の餅(もち)が呼んでいた。

                            完

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2018年1月13日 (土)

困ったユーモア短編集-62- 自然と強制

 物ごとが進む場合、首尾よくいった結果は同じでも、そのプロセスが自然にそうなった場合と強制され、そうなった場合とで分かれる。強制されてなった場合は、自(みずか)らではなく何物あるいは何者かの外的な強制によって、そうなったのだから、いわば無理強(むりじ)いされた・・ともいえる。世の中の事象は自然とそうなるのがいいに決まっているが、シビアな現実はそれを許さず、強制力をもって、かろうじて治安が保たれているのが現状だ。法律、規則、ルールの類(たぐい)は、すべて強制である。まあ、ルールの場合は、この強制がなければ、試合や競技自体が成立しなくなるから少し意味を異(こと)にするのだが…。
「都代富(とよとみ)さん、どうしても、ですか?」
「ええ、これ以上、待ちましても、この地では、もはや美味(おい)しいステーキは食べられますまいっ! ははは…」
 友人の兎久側(とくがわ)に都代富は毅然(きぜん)と断言して笑い捨てた。
「と、なれば、いよいよ強制しかありませぬなっ!」
「ええ。もはや、待つだけ待ちましたからな。自然とそうならぬ以上、致(いた)し方(かた)ありますまいっ!」
 そこへコーヒーカップを運んで現れたのが、これも友人の喫茶店の主(あるじ)、先納(せんのう)である。
「そうなされ…」
 先納にそう言われ、都代富と兎久側は静かに頷(うなず)いた。三人とも歴史好きだけに、時代言葉で話すのが常(つね)となっていた。
 大軍勢ならぬ大金を懐(ふところ)にして、二人が高級ブランド牛生産地、方丈(ほうじょう)へのステーキ征伐(せいばつ)ならぬ堪能(たんのう)の旅に出かけたのは、それから数日後のことであった。自然ではなく、こちらから出向く強制である。結果は語るべくもないだろう。二人は征伐ではなく、堪能(たんのう)して帰途についたのである。

                          完

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2018年1月12日 (金)

困ったユーモア短編集-61- 恐れ入りました

 古谷(ふるたに)は困ったことに、いつも相手に対して感心ばかりさせられるダメ男だった。早い話、相手の方がいつも自分の行動より上手(うわて)だった・・ということだ。そんな人生は面白おかしくもなんともないだろう…と思われがちだが、古谷の場合はそうではなく、いつも相手に感心するだけだった。というのも、古谷は自分がそれほど出来がいい男だと自身で思っていなかったからだ。要するに古谷はプライドというものを、まったく持たない男だった訳である。
 村役場での仕事が終わり、古谷は閉庁のチャイムとともに、大きな欠伸(あくび)を一つするとデスクを立った。さてこれからどうする…と古谷が思ったとき、すでに仕事を終えていた町田が声をかけた。
「古谷さん!」
 古谷は今日は俺が一番だろうと…勇んでいたから、庁舎の出口で町田に声をかけられ、先を越されたんだ…と思った。
「恐れ入りました」
 古谷の口から思わず、いつもの謝(あやま)り言葉が口から飛び出していた。
「えっ? 何がです?」
 町田には何か謝られることをされたのか見当がつかなかった。
「いやなに…お早いですね?」
「はあ? あっ! 私ですか? 私、今日は年次休暇をもらったんですよ、少し疲れていたものでリフレッシュしようと思いましてね」
「なぜ、ここに?」
 休みなら、町田が庁舎にいることは怪(おか)しい…と瞬間、古谷には思えた。
「ああ、忘れものがありましたから、ついでに取りに寄ったまでです。今、温泉の帰りなんですよ」
 村には自然に湧(わ)き出した温泉があり、村人(むらびと)は誰もが無料で湯治(とうじ)することができた。町田はそこの帰りだと言ったのだ。
「ああ、そうでしたたか…。恐れ入りました」
 古谷はまた、いつもの謝り言葉を口にしていた。というのも、古谷もかなり疲れが溜(た)まっていて、年次休暇で休むか と考えていた矢先だったからである。この発想でも先を越された訳で、恐れ入りました…となった訳だ。
「またまた! 何が?」
 町田にはそんな古谷の心境は分からないから当然、また訊(たず)ねた。
「いや、もういいじゃないですかっ!」
 これじゃ切りがない…と、古谷は思わずそう返した。二人はその後、鮨(すし)屋でビールを飲みながら美味(うま)い鮨を摘(つま)まんだ。古谷には入ったことがない初めての鮨屋だった。店を出ようとしたとき、町田が恰好よく言った。
「あっ! いいです。もう払いは済ませてますから…」
 聞くところによると、町田は毎月、先払いである程度の額を店へ前金で入れておくのだという。なんと鯔背(いなせ)な…と、古谷には町田の行(おこな)いが小粋(こいき)に映(うつ)った。
「恐れ入りました」
「なにがです?」
 町田だけではなく、店の店員も意味が分からず、訝(いぶか)しげに古谷を見た。
「いや、まあ…」
 古谷は説明するのも憚(はばか)られ、小声で暈(ぼか)した。そんな古谷だが、相変わらず今日も、「恐れ入りました」と、すべてに恐れ入っている

                         完

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2018年1月11日 (木)

困ったユーモア短編集-60- 有効に…

 人は限られた時間を生きている。無から生を受けた以上、孰(いずれ)は無となる訳だ。などと語ると、出来が悪くキナ臭い愚僧(ぐそう)のような語りとなるが、まあ、そのようなものだ。
 限りある生命なら有効に…ということになる。だが、それに気づくのは、大凡(おおよそ)の場合、人生が半(なか)ばを過ぎ、少なからず生きているということを考えさせられる頃になってからだ。
 川堀(かわほり)は虚(むな)しく街路を歩いていた。苦労して、ようやく築き上げた会社での地位や蓄財を、一瞬のうちに騙(だま)し盗られ、失(な)くしたのである。俺の人生は何だったんだ…と思いながら、川堀は虚しく歩くのだった。明日をどう生きる…と思う気力も、すでになかった。
「やあ、川堀さん! こんなところでお会いするとは…」
 いつぞや仕事で資金援助したことのある浜長(はまなが)が擦(す)れ違いざまに声をかけた。浜長に勧(すす)められるまま、二人は喫茶店で四方山(よもやま)話をした。
「ははは…大丈夫ですよ、川堀さん。有効ですよ、有効!」
「えっ!? 有効?」
 浜長から唐突(とうとつ)にそう言われ、川堀は訝(いぶか)しげに浜長を窺(うかが)った。
「そんなに悩まれなくても、人生はなんとかなるものです。会社再建の資金は私が用立てましょう。まずは小さなお店から有効に…お暮らしください。なんとかなりますよ、ははは…」
「有効に…ですか?」
「はい、有効に…です。無駄(むだ)を省(はぶ)いて…。きっと上手(うま)くいくはずです。私もそうでしたから…、また、ご連絡いたします。では…」
 浜長はレシートを手にすると、席をあとにした。川堀には浜長が救いの神に思えた。
 それ以降、川堀は有効に…を心がけ、生き続けているそうだ。最近、漏れ聞いた話によれば、以前以上の会社再建を果たしたということだ。私も、あやかりたいのだが、さっぱりだ。

                            完

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2018年1月10日 (水)

困ったユーモア短編集-59- 表面化

 忘れていたことが、思わぬところから表面化することがある。困ったことに、表面化するのは慌(あわて)ているときが多い。思わず、その人となりが表面化する訳だ。
 夕方、小忙(こぜわ)しそうに袋崎(ふくろざき)は探しものをしていた。明日は久々の出張である。天気予報は明朝から雨寄(あまよ)ると告げていた。傘がいるな…と、袋崎は折り畳み傘を鞄(かばん)へ入れておくことにした。ところが、いつも入れてあるはずの戸棚(とだな)に、傘がないのである。毎度、同じところへ収納しているのだからあるはずなのだが、見つからない。気づいたときは夕方で、まだ辺(あた)りは明るかったが、いつの間にかすっかり薄暗くなっていた。仕方なく、袋崎は部屋の灯(あか)りを点(つ)けた。そして動きを止めると、ひとまず落ち着いて考えることにした。この段階で、袋崎の潜在意識はまだ表面化していなかった。袋崎が、まず考えたことは、いつも収納する戸棚から最近、動かしたことがあるか…ということだった。だが、どうもそんな記憶がない。とりあえず夕飯にするか…と、袋崎はキッチンの冷蔵庫を開けた。中には昨日(きのう)調理した炒(いた)めものの残り皿が入っていた。袋崎は考えることなくその皿を電子レンジでチン! してテーブルへ置くと、数個のロールパンとともに食べ始めた。まだ、この段階でも袋崎の隠された潜在意識は表面化していなかった。
 食べ終えた袋崎は、いつものように洗い場で食器類を洗い始めた。このとき、袋崎自身が気づいていないある変化が脳内で起きていた。折り畳み傘を探している・・という記憶が飛んで、消えたのである。ド忘れしたという状況だ。さあ、大変なことになった・・というほどのことではないのだが、ともかく、飛んだ記憶は袋崎の発想から除外された。
 飛んだ記憶が表面化したのは、次の日の朝である。袋崎は出張の日・・ということもあり、早めに目覚め、床(とこ)を離れた。やはり天気予報どおり、空は雨寄っていた。困ったことに、このとき袋崎の飛んだ記憶が、『ただいま…』『お帰り…』とでもいうように復活した。気づいた袋崎は、ハッ! と慌てた。そしてついに袋崎の隠された潜在意識が、湧き出るように表面化したのである。袋崎はまるで無邪気な子供のようにソソクサと乱雑に辺りを探し始めた。よ~~く考えれば、折り畳み傘が見つからないからといって出張に支障(ししょう)がある訳ではないのだ。降れば、使い捨ての安いビニール傘を買えばいいだけの話なのである。だが袋崎の表面化した隠された潜在意識は、そんな発想を忘れさせていた。しばらく時が流れたが、折り畳み傘はとうとう見つからないまま、袋崎が家を出る限界の時間がやってきた。傘を持って出る・・という表面化した袋崎の頑(かたく)なな想いは、普通の傘を持って家を出させることになった。その日、雨寄ってはいたが、ついに雨は降らず、普通の傘はお荷物になっただけだった。
 袋崎が出張から帰ったとき、折り畳み傘は、ポツン! と靴箱の上に置き忘れられていた。袋崎は、アアッ! と、思わず叫んでいた。コトの経緯(けいい)を詳しく述べれば、天気予報を聞いた袋崎は無意識で戸棚から折り畳み傘を出したのだが、その記憶も忘れていたのである。ダブル忘れが表面化した瞬間だった

                            完

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2018年1月 9日 (火)

困ったユーモア短編集-58- ベスト・タイミング

 すべてにはベスト・タイミングというものがある。和風に言えば、いい頃合いである。ベスト・タイミングを逃せば、困ったことに、物ごとは上手(うま)く進まなくなるから厄介(やっかい)だ。このタイミングが分かっていれば鬼に金棒、酒好きに酒樽(さかだる)…まあ、こうとは言わないが、ともかく大きな味方になることは申すまでもない。
 ここは、とある中央省庁の人事局長室である。
「そういうことだから、よろしく頼みますよ、鰹身(かつおみ)さん」
 人事局長の本酢(ほんず)から呼び出された部長の鰹身は、次の人事異動の内示を一任されたところだった。それが無条件なら、なんの問題もないのだが、鰹身の手には本酢から手渡された一枚の用紙が握られていた。
「分かりました…」
 鰹身は本酢に一礼すると局長室をあとにした。もちろん、本酢から手渡された内示の極秘用紙は背広の内ポケットに収納されて、である。そこまでは、何の問題もなかった。だが、そのあとが、回り回っていけなかった。
 局長室を出た鰹身は部長室へ戻もどろうと通路を歩いていた。そのとき、本酢に手渡された極秘用紙のことが、ふと、気になった。この、ふと思いついたタイミングがいけなかった。鰹身は部長室へ入るドア前で背広からその極秘用紙を取り出して見た。例外として内示される人名と新任の部署が書かれていたのだが、鰹身はこれを見ていなかったのである。ふと、内容を確認してみたくなったのだ。鰹身は本酢がないと美味うまくない・・ということでもないが、まあ、そんな気分がしたのだろう。一応、確認したあと、なるほど…誰ソレがコレコレへか…と思いながら、ふたたび背広の内ポケットへ収納した。いや、鰹身は、したつもりだった。ところが、内示の極秘用紙は、ポトリ! ・・とフロアの上へ落ちたのだった。気づかない鰹身は、そのまま部長室のドアを開け、中へと入った。そのあと、通路を通りかかったのが、タイミング悪く、次期の課長ポストが噂うわさされていた人事係長の銚子(ちょうし)だった。銚子は落ちていた用紙に気づき、おやっ! と、何げなく拾ひろった。そして広げて見た。用紙には自分ではなく別の人名が書かれていたのだった。そのあと・・ひと悶着もんちゃくあっただろう・・と読者諸氏は思われるだろうが、別に何も起こらず、異動は沙汰止さたやみになったとだけ言っておきたい。理由は肝心の本酢の量が足りなくなり、買いに出なければならなくなったから・・ということではない。
 
                             完

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2018年1月 8日 (月)

困ったユーモア短編集-57- ない方が幸せ

 人は何も持たず、裸でこの世に生まれる。ところが困ったことに、この世ではそのままで生きていくことが出来ない。まず、寒さや暑さなどの環境に馴(な)れる必要があるから、衣類は欠かせない。傍目(はため)もあるし、裸のまま出歩けば社会の公序良俗を乱すということで捕(つか)まるという法律もある。幼児のうちは生産責任者である両親二人の庇護(ひご)を受けているから、自分でどうこうと気遣(きづか)う必要はない。ところが、少し大きくなると欲が出てくるから厄介(やっかい)だ。物欲に限ったことではないが、欲は年とともに大きくなり、他と自分を比較するようになってくる。そうすると、自己満足や他より優位に立ちたい、上手(うわて)に見せたい、自慢したい・・といった邪(よこしま)な心が芽生え、それが果たせないと悩むことになる。
 蔵前(くらまえ)は生まれたときから身体が大きく、小学校高学年で早くも大人の体重を上回っていた。そうなると当然、将来は相撲界・・という話に必然的になる。周囲の期待と注目を一身に浴び、蔵前は力士への道を進んでいった。大学は特待生入学で相撲部に身を置き、大学からは生活援助資金も逆に出るほどの歓待ぶりで、将来を嘱望(しょくぼう)された。だが、蔵前自身は力士になりたい訳ではなかった。食べることが楽しみな性分の蔵前は、プロの元力士が作る、ちゃんこ屋へ密かに足を運んだ。というのも、相撲界より料理界を目指したかったからである。そこに、傍目と蔵前自身の大きなギャップが生まれていった。蔵前は体重がない幸せ・・を願った。
「先生、普通の人のようにはなれないものでしょうか?」
「ははは…蔵前さん、人には持って生まれた体質・・というものがありますから。…まあ、ダイエットで減らすことは可能なんですがね。続けられますか? リバウンドすれば、きついですよ」
 相談に訪れた医院の医者は、やんわりと脅(おどか)かした。
「僕は、ない方が幸せなんです」
「まあ女性でも、そういう方は結構、おられますがね…」
「そういうんじゃなくって…」
「じゃあ、どういうのです?」
「体重がない幸せです」
「いや、あった方がいいでしょう」
「はあ?」
「いやなに…」
 医者は答えに詰まり、押し黙った。その訳は、古い医院を修理した資金の工面で四苦八苦し、ようやく完済し終えた医者には、ない幸せが理解できなかったからだ。そのとき、患者待合室にあるテレビが流す臨時ニュースの声が診察室に聞こえてきた。
『ただ今、入った情報です。○○衆議院議員は、届け出があった政治資金収支報告書に記載されていない多額の使途不明金が贈賄よるものと判明し、本日午後、東京地検・特捜部により逮捕されましたっ!』
 その流れるテレビ音声を聞いたあと、医者は静かに言った。
「やはり、ない方が幸せですかな、ははは…」
「でしょ!」
 二人はニンマリと顔を見合わせて笑った。

                         完

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2018年1月 7日 (日)

困ったユーモア短編集-56- あんぐり

 がっかりする・・まではいかないものの、予想した成果が見込めないとき、人はあんぐりする・・という。あんぐりすると、その気分は顔に出る。━ 青菜に塩 ━ とはよく言うが、それに似た気力が萎(な)え、意気消沈した表情だ。困ったことに、直接、対峙(たいじ)している場合、その表情は完全に相手に見られることになる。声が重なれば、尚更(なおさら)だ。
『休暇中のところ悪いがね、おとといの契約先へ急遽(きゅうきょ)、行ってもらえんかね、多所(たどころ)君』
「えぇ~~~!! これからですかぁ~!?」
 部長の同場(どうば)から電話がかかり、出た多所は、あんぐりした顔で、嫌(いや)そうにそう返した。電話だから幸い、あんぐりした顔は見られずに済んだが、つい嫌そうな声を発してしまっていた。課長代理代行の多所は、次の人事異動で30年来、待ち望んでいた課長代理昇格へのチャンスが到来していた矢先だった。
『いや、無理に! とは言っとらんのだが…。できればっ! 飽くまで、できればっ! の話なんだがね』
 同場は、できればっ! を強調して言った。深く考えれば、『君は確か・・次の異動で課長代理…』みたいなことを暗に言われたとも思えた。
「はぁ! すぐに済む用件でしたら、なんとかいたしますが…」
『生憎(あいにく)、半日はみてもらいたいんだが…。無理かねっ?!』
 同場が最後に発した『無理かねっ!?』も、考えようによっては『まあ、異動は諦めてもらうしかないが、それでいいかね?!』と、取れなくもなかった。
「はあ! まあ、なんとかしてみます。10分ほどお時間を下さいませんでしょうか。折り返し、お電話いたしますので…」
 完全に撤退した物言いの多所は、あんぐりした顔で、あんぐりと言った。
『おっ! そうかっ! そりゃ、有難いっ!!』
 同場は喜色満面の声で、そう言った。実のところ、休暇中の同場も専務の特地(とくち)に同じ内容を依頼され、あんぐりした顔で了解したあとだった。お鉢が多所に回ったのである。あんぐり気分は、行き場を失い、さ迷っていた。

                         完

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2018年1月 6日 (土)

困ったユーモア短編集-55- さて…

 人は時折り、ポカ~ンとしてしまう空虚(くうきょ)な瞬間に立ち至ることがある。それまでは、アアシテ…で、そのあとはコウシテ…と頭で考えていたものが、困ったことに瞬間、ポッカリと穴が開いたような無の状態である。無とは、先々(さきざき)を何も思い描けない状態に陥(おちい)ってしまったことを意味する。縦川もそんな状態に陥った一人だった。
 その日も縦川は、いつものように家の雑用を熟(こな)し、寛(くつろ)いでいた。しばらくして、さて…と、立ち上がったときである。急に先々のことが浮かばなくなったのである。手を見れば、飲み終えた紅茶カップを握っている自分がいた。ああ、飲んだのか…と思え、とにかく洗おうとキッチンへ歩いた。そして、洗い場でマグカップを洗った。そこまでは、まだよかった。ところが、さて…と、その先の行動を思い描くのだが、何も浮かばない。洗い場でポカ~ンと立っていても仕方がないか…と思った縦川は和室へ入ると畳の上へ横になり、ドッペりと寝そべった。縦川が横になったのである。縦が横になれば絵にならない・・ということでもないが、先のことは何も動かなくなることは確かだ。縦川はいつしか、ウトウトと睡魔に襲われていた。気づけば夕方近くになっていた。そういえば、ここ最近、無理をしていたから、睡眠不足になっていたのは確かだった。腹に空腹感を覚えた縦川は、さて…と動くことにした。頭に先々のことが浮かばなくても、生理的要求を満足させることは出来る。縦川はキッチンでパスタを茹(ゆ)で始めた。先々のことは浮かばなかったが、ナポリタンを食べたい…とは思えたからだ。過去の感覚が縦川を、さて…と動かせた。茹で上がったパスタはフライパンの上でトマトピューレや他の食材とともに、賑(にぎ)やかな盛り上がりを見せていた。さて…は、案外と何とかなるものである。

                            完

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2018年1月 5日 (金)

困ったユーモア短編集-54- 万事休す

 最近、困ったことに尾鯛(おだい)の行動は乱れていた。とはいえ、それをどうすることも出来なかった。この前など、お目出度い披露宴の席で、酒の酔いもあったが、つい裸踊りを披露してしまったのである。とんだ披露宴だが、列席者には好評で、宴席の大爆笑、拍手喝采(はくしゅかっさい)を呼んだのは幸いだった。このときは酒のせいだ…と思えたからそのまま深く考えなかったが、それ以降、ちょくちょくそんな奇行が起こるに及んで、深く考え込むようになっていった。それは当然で、なぜそんな行動をするのかが自分自身でも分からなかったからである。気づけば、記憶にないところでそうしていた…とは、起きた状態の夢遊病に酷似(こくじ)して、自分でも怖くなった。尾鯛は披露宴で同席した知り合いの医者、魚頭(うおがしら)に診(み)てもらうことにした。
「ははは…尾鯛さん、軽度の老人性痴呆症と認知症のダブル受賞ですな」
 魚頭の笑顔に、思わず何がダブル受賞だっ! と怒れた尾鯛だったが、グッ! と我慢して、口には出さず思うに留めた。
「そうですか…。なにかいい手立ては?」
「老人性ですからな。手立てというのは、これといってないんですが、リハビリのような機能回復訓練は可能です。私も最近、ボケぎみでして、やっておるのですが、読み書きを意識的に考えてやるというのは有効な手段の一つです。ボケ仲間として言っておきましょう」
 尾鯛は、勝手にボケ仲間!にしないでくれっ! と、また怒れたが、これも思うに留めた。
「先生、妙な行動を止めるには?」
「ああ、それは簡単ですっ! 動かないことです」
 尾鯛は魚頭の顔をマジマジと見て、万事休すか…と諦(あきら)めた。

                           完

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2018年1月 4日 (木)

困ったユーモア短編集-53- 眼鏡士

 目赤(めあか)は眼鏡(メガネ)専門店を開いて40年の熟練(じゅくれん)眼鏡士である。目赤が修理や注文を受けた数は枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がなく、自分で言うのもなんだが、まあそれなりに腕も商売もホドホドは…と内心では思っていた。確かに目赤の仕事は確実で、ほぼ間違いがなかった。ほぼ、というのは人間である以上、間違いや手違いはある・・ということを意味する。その目赤が運転免許の更新を受けようと自動車教習所へとやって来た。75才を越えると、適性検査などのそれまでになかった条件をクリアーしなければならない道路交通法の定めがあったためだ。警察での視力検査と短時間の教習だけで済んだ頃が懐(なつか)かしく思い返された。ところが、その目赤はここ最近、困ったことに視力の弱りを意識していた。
「目赤さん、…眼鏡を作っておかれた方がいいようですねっ!」
 係りの者は当然、目赤が眼鏡を作る眼鏡士だということは知らない。鬼の首でも取ったように笑顔でそう言われれば、なお腹立たしかった。
「はあ…」
 だが、そう言われれば仕方がない。目赤は素直にそう返すしかなかった。眼鏡を作っている者が眼鏡を作らねばならないとは洒落(しゃれ)にならない。眼鏡士が自分の眼鏡を作る・・これは、簡単なことのようだと傍目(はため)には思える。測定する機械はあるにはあるからだ。だが、対峙(たいじ)して測定しなければならないのだから、測定者と測定してもらう者の一人(ひとり)二役(ふたやく)は出来ない。となれば、測定機を使わず試験枠[トライアルフレーム]にレンズを適当に入れ、ピント調整しながら測(はか)るしかない。なんとも絵にならんぞ…と、目赤はテンションを下げた。医者の不養生・・という言葉があるが、プロだけに困ることもある訳だ。

                          完

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2018年1月 3日 (水)

困ったユーモア短編集-52- 魔力

 困ったことに、人は種々の魔力に取り憑(つ)かれやすい。たとえば色気で迫る女性の魔力、金儲(かねもう)けの魔力、ああでもない…こうでもないと悩(なや)ませる魔力、つい気を許す油断させる魔力・・など、さまざまだ。その人の出来次第で、結果は大いに変わる訳だ。
 営業二課の中である。隣りのデスクに座る寺崎が、守宮に声をかけた。
「守宮さん、どうです今夜、一杯?」
「えっ? ああ、いいですよ。久しぶりですねぇ~」
 守宮はスンナリと快諾(かいだく)した。
「かれこれ、半年になりますか…」
「もう、そんなになりますか…」
「ええ…。あの店には近づかない約束をしたんでしたよね」
「そうでした、そうでした。あの店は危険ですから…」
「ええ、あの店は男を食い殺すような魔力があります」
「でしたね。雌(メス)カマキリみたいな…」
「そうそう!」
「やはり、別の店にしますか?」
「おお! それがいい」 
 二人は別の店で飲むことにした。ところが、二人は密かにその店に通っていたのである。店の魔力に完全に翻弄(ほんろう)されていたのである。二人とも通っている事実を、ひた隠していた。魔力とは、かくも恐ろしい力を秘めているのである。

                            完

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2018年1月 2日 (火)

困ったユーモア短編集-51- 柔らかい男

 何ごとにも柔らかい今若(こんにゃく)という男がいた。今若がいれば、大よその揉(も)めごとは丸く収まる・・というほど柔らかい男で、町役場では重宝(ちょうほう)されていた。普通の場合、職員はどこでも所属する課というものがある。ところが、今若の場合は少し事情が異(こと)なった。なんでもやる課という課はあるにはあった。だが今若はそこへ配置されなかった。それが一年だけ・・というのなら、まだ例外として有り得るのだが、今若の場合は毎年で、ずう~~っと続いていた。困ったことに一応、世間体(せけんてい)というものがあるから、折衝(せっしょう)課という課名の課が作られ、そこへ配属された。もちろん、課員一名、課長一名、総員も一名である。今若が出動するのは、いわば消防署の火事や緊急救命による出動と似ていた。普段、何も起こらない勤務時間は、欠伸(あくび)が出るような日々の連続で、することもないままウトウトと居眠りして過ごす毎日だった。
「今若さん、お願しますっ! ドコソコで揉めごとですっ!」
「はいっ! ドコソコですね。すぐ向かいますっ!」
 不思議なことに今若が当事者の間に別け入った途端、両者の硬化していた事態はなぜか柔らかくなり、収束(しゅうそく)するのだった。
 その今若もすでに定年近い年になっていた。
「今若さんっ!!」
「出動ですかっ!」
「使ったあと、冷やして刺身もいいですなっ!」
「えっ?」
「いや、何もありません…」
 個室のような折衝課へ入って来た町長は、ニヤリと意味深(いみしん)に笑うと、何ごともなかったかのように柔らかくなり、出ていった。

                          完

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2018年1月 1日 (月)

困ったユーモア短編集-50- 小市民

 大物政治家の黒崎は小市民だった出世前の自分を振り返っていた。今や、別荘まで持つ身になった自分を思えば、これも俺の力か…と思え、北叟笑(ほくそえ)んだ。ところが、世の中は、困ったことにそう甘いものではなかった。昇りつめたプロセスにミスがあった。ゴシップ記事がマスコミに流布(るふ)されるに及び、黒崎の地位は危ういものになっていった。
「いや、それは、そうなんですがね。そういう訳で、そうなったんですよ。ええ…その事実にはそれなりにそうした訳があったんです。それは本当ですっ!」
 黒崎は[それ][そう]を連発し、必死に報道陣を煙(けむり)に巻こうとした。ところが、煙が十分に出ず、丸見え状態で窮地(きゅうち)に立たされたのだった。
「それは怪(おか)しいんじゃないですか? 目撃者がそう言ってるんですからっ! その言い分だと、目撃者は出鱈目(でたらめ)を言ってることになりますが…」
「いや、そうとまでは言ってません」
「ということは、事実なんですねっ!?」
 報道陣に肉迫(にくはく)され、とうとう黒崎の堪忍袋の緒(お)が切れた。
「やかましいわっ! ウダウダとっ!! 俺は大物政治家だっ!!」
 黒崎は、やはり小市民だった。

                            完

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