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2018年2月

2018年2月28日 (水)

隠れたユーモア短編集-8- 損(そん)して得(とく)取れ

 商売には、損(そん)して得(とく)取れ・・と暗黙のうちに言われる隠れた訓(おし)えがある。まあ、訓えとまでは言わずとも、商売をするなら、それくらいの気構えでやれ! とでもいう名言だ。
 樺山(かばやま)は新会社を設立して今年で三年目を迎えていた。会社の前身は小商いの商店で、従業員も数人で小さかった。それが、新会社を設立したときは早くも数十人規模にまで膨(ふく)れ上がっていた。取り立てて従業員を増やした訳ではなかったが、幾つかの部門別にしているうちに、まあ、そうなった・・というのが実情である。会社とはいっても、規模の小さい合名会社であり、会社とは名ばかり・・というのも事実だった。最初の頃は客寄せもあり、損を覚悟で安値販売をしていた樺山だっが、さすがに三年目ともなると、会社経営にも影響する事態となり、仕方なく世間並みの価格で販売をすることにした。むろん、三年間の安値で定着した客層もあったから、損ばかり・・ともいえない一面があることも確かだった。ただ、安値の信用だけで商売が上手(うま)くいかないというのも事実で、樺山は痛(いた)し痒(かゆ)しだな…と思っていた。
 そんな会社が左前になり始めていたある日のことである。樺山の会社に一人の老人が訪ねてきた。
「ちと、ものを訊(たず)ねますがのう…。この辺(あた)りにバカヤマ商店というのはありませんかのう」
 対応に出たのは新会社の店前でバケツで水打ちをしていた樺山だった。早朝のことでもあり、社員は、まだ一人として出勤していなかった。樺山はバカヤマと言われ、少しムカッ! としたが、そこはそれ、グッと我慢して聞き流した。
「ははは…バカヤマ商店は知りませんが、樺山商店はうちです…」
「おおっ! あなたがバカヤマ…いや、失礼! 樺山さんでしたかのう」
 樺山は見識がなかったから、訝(いぶか)しげにその老人を見た。
「あの…どちらさまで?」
「ああ、これはこれは。お初にお目にかかります。私、賢井(かしこい)と申しましてのう」
「はあ…その賢井さんが何のご用で…」
「おたくの安値の一件ですがのう。私のとこの者(もん)から、かねがね聞かされておりましてのう。今どきのご時勢に、見上げたお方だと、実は関心をしておったようなことで…」
「はあ。それがなにか?」
「どうも最近、お商売が上手くいっていないような報告を聞かされましてのう。これは放ってはおけぬ・・と出てきたようなことでしてのう」
「はあ…それは態々(わざわざ)、どうも…。で?」
「私はこの会社の気構えが気に入りました。つきましては、勝手ながらこのバカヤマ商店に出資、いやご寄付をさせていただこうと決めましてのう」
「はあ、この樺山商店に、でございますか?」
「あっ! 失礼! 樺山商店に、でございます」
「ええっ! あなたさまは、どこのどなたで? …」
「先ほども申しましたように、賢井と申す不束者(ふつつかもの)ですがのう…。ああ、そうそう、こういう者ですわい」
 賢井と名乗った老人は、そう言いながら徐(おもむろ)に羽織の奥から一枚の名刺を取り出し、樺山に手渡した。名刺は世界にその名を轟(とどろ)かす大手企業、KS物商のものだった。さらに、代表取締役会長 賢井品次郎 の名も見えた。その老人の隠れた威厳(いげん)に、樺山は昨日(きのう)見た水戸黄門を、ふと思い出しながら、確かに、損して得が取れたな…と思った。

                          完

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2018年2月27日 (火)

隠れたユーモア短編集-7- 秘密の抜け道

 世の中には上手(うま)くしたもので、秘密の抜け道・・というすり抜ける隠れた方法がある。ただこの方法は、悪用されると犯罪が上手く隠されたり、社会の表舞台から隠蔽(いんぺい)されてしまうから、考えものだ。もちろん、表舞台には現れない隠れた、いい出来事もある訳だが、この場合は秘密の抜け道を使う必要がないから、秘密の抜け道は閉ざされた方が社会のためになる・・といえる。モグラが土の中で隠れた穴を掘り進め、作物が枯れたり庭が荒れる・・といった事実は、隠れた人間社会の隠蔽犯罪に似ていなくもない。モグラは大食漢で、土中に住むミミズや虫達を多く食べるが、ミミズや虫達にすればいい迷惑で、枯らされる畑の作物やアチコチを盛り土だらけにされる風光明媚(ふうこうめいび)な庭だって、迷惑千万な話なのである。だが、土中で隠れた生活をするモグラにすれば、そんなこととは露(つゆ)知らず、彼ら自身も、何も枯らしたり荒らしたりするのが目的ではないから、ふ~~ん、そうなんだ…くらいの気分で秘密の抜け道を通るだけなのだ。人間とモグラ・・今のところ、秘密の抜け道を完全に防ぐ手立ては、どちらも残念ながら、コレ! といったいい方法が見つかっていない

                         完

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2018年2月26日 (月)

隠れたユーモア短編集-6- あさぼらけ

 朝から篠山家では大騒動が勃発(ぼっぱつ)していた。
「誰が朝ボケだっ!」
 顔を真っ赤にして怒っているのは、ご隠居の清次郎である。怒らせたのは今年、高校二年になった清吾だ。
「じいちゃん、そんなこと言ってないよ。[あさぼらけ]って言ったんだよ」
「やかましいっ! 儂(わし)はボケてなぞ、いんわっ!!」
 80を過ぎた頃から清次郎は耳が滅法、遠くなっていた。年齢から来る隠れた身体の衰(おとろ)えだが、清次郎は未だそのことを自覚していない。いや、正確にいえば、自覚はしているのだが、まだその事実を受け入れたくないと内心の隠れた潜在意識が否定させているのだった。
 じいちゃんには敵(かな)わない…と、清吾は思ったのか、清次郎の前から無言で素早く撤収して消えた。
「なんだ! あいつ…。散々、儂をこきおろしやがって!」
 まだ、憤懣(ふんまん)やる方なし・・の清次郎だったが、いなくなったら仕方がない…と隠居所へと消えた。
 ここは隠居所である。清次郎が入ってきたとき、電話が鳴った。
「えっ! 孫がでございますか。それはそれは…。もう少し、大きな声でお願いをいたします。…はい、ええ…百人一首大会の優勝で全国大会に出場が決まったと? はい! そりゃ、態々(わざわざ)どうも…。はい! 早速(さっそく)、本人と両親に伝えさせていただきますでございます。えっ? ああ、私でございますか? 私は清吾の祖父にあたる者でございます。ほほほ…どうも。では…」
 電話が切れたとき、清次郎は[朝ボケ]ではなく[あさぼらけ]だと初めて気づいた。 

                         完

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2018年2月25日 (日)

隠れたユーモア短編集-5- どうですか?

 テレピのとある番組の収録である。この国には隠れた妙な風潮がある・・と、ある外国人評論家がアナウンサーに指摘した。「どういうことでしょう?」と、アナウンサーが訊(たず)ねると、その外国人評論家は冷静に返した。
「日本ノカタハ、周囲ノ目ヲ、キニサレル。自分ノ気持ヲ、目立タナクシテ、多数ニ合ワセルコトデ安心感ヲ得ヨウトサレル訳デス」
「なるほどっ! 具体的には?」
「アタリニイル人々ヲ見回シ、私ハ、ソウ思ウンデスガ、ドウデスカ? と、人々ノ中ヘ隠レタ訳デスネ」
「隠レタ?」
「エエ、隠レタ訳デス。他ノ人ニ振ル・・ト言ウヤツデスヨ」
「なるほどっ! 日本人は主体性がないと?」
「ソウ、ソレッ! アイデンティティ、ガナイ!!」
「確かに…一般の日本人にはそんなところがありますね」
「モチロン、全部ガ全部、ト言ッテル訳ジャアリマセンヨ。ドウデスカ?」
「ははは…あなたも、日本人におなりですね」
「アッ! ソノヨウデス」
 二人は顔を見合わせ爆笑した。

                          完

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2018年2月24日 (土)

隠れたユーモア短編集-4- ゴチャゴチャ

 一つのコトやモノが上手(うま)くいかなくなると、大かたの人は、そのコトやモノをゴチャゴチャと弄(いじ)くり始める。分かっていて弄くっているのならいいが、大かたの場合は分かっていない場合が多い。そうすると、どうなるか? 分かりきったことである。益(ます)々、ゴチャゴチャして、収束(しゅうそく)が着かないことになる。それだけならまだいいが、お釈迦さまという有難い仏さまになる、要は、お釈迦になる・・使えなくなる・・という訳だ。この有難い仏さまに至(いた)るまでには隠れた霊的な思考力が介在(かいざい)する。この霊的な思考力は他の人の目には見えないから、当然ながらその人がしているように他人の目には映る。だが、事実はそうではないのだから怖(こわ)い。
「ああ!! ダメだぁ~~~っ!!!」
 傷(いた)んだ、とあるモノを修理をしようとコトを始めた、とある一人の男が、ついにゴチャゴチャ弄くるのを諦(あきら)め、そのモノを放り投げた。
 このゴチャゴチャにならず、コチャコチャぐらいで終わる人、さらにはコチャのあと、スイスイ…と移行する人、スイスイスイスイ…と、すぐ移行する人の個人差はある。こういったゴチャゴチャにならない人にはお釈迦さまが近づかないから、お医者さまという偉い先生に向いているということになる。誰しもこの方向へ進みたいのだが、そこはそれ、生まれ持っての個人差はあるから仕方がない。ただ、このゴチャゴチャを避(さ)ける方法が二つある。ゴチャついたとき、無心となる修養を積む方法と逆に転ずる方法だ。無心となる修養を積む方法は、長い時を費やす心の鍛錬(たんれん)を必要とする。この具体例が妖刀を生んだ若き刀匠、村正だ。彼の晩年の作は剣聖と呼ぶ人もある刀匠、正宗にも引けを取らない・・と言われている。そしてもう一つ、ゴチャゴチャを逆に転ずる方法だが、そのコトから遠ざかる方法である。この具体例が依存症の治療法だ。遠ざかる(忘れる)ことで冷静になり、ゴチャゴチャしない・・という訳だ。これで隠れたゴチャゴチャは身体から出て、遠くの彼方(かなた)へとゴチャゴチャしそうな人を求めて消え去るのである。嘘(うそ)と思われるなら、皆さんも一つ、お試(ため)しあれ。^^

                          完

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2018年2月23日 (金)

隠れたユーモア短編集-3- 味(あじ)

 ここは予約制の、とある高級レストランである。
『ほう…これは、なかなか美味(うま)いな。しばらく出会っていない味だ』
 伊戸公(いとこう)商事の元会長、伊戸公兵衛は悠々自適の身になった今、味覚の旅を楽しみにしていた。食べ終えた伊戸は支払いを済ませると、徐(おもむろ)に店を出ようとしたが、ふと、立ち止まった。
「君、済まないが料理長を呼んでくれないか。少し、訊(たず)ねたいことがある・・と言ってもらえばいい」
「は、はいっ!!」
 タキシード姿のレジ係は、慌(あわ)てて厨房(ちゅうぼう)へと駆け出した。店の従業員全員には、財閥の総帥(そうすい)である伊戸が来店することは周知徹底されていたから当然、レジ係も知っていた。しかも、この日のレストラン客は伊戸だけで、貸切の状態だった。というのも、このレストランは、伊戸公ホールディングスの孫会社系列の傘下にあったためである。
 数分もしないうちに、総料理長が走って現れた。
「…も、申し訳ございません。お待たせをいたしました。なんぞ、ご機嫌を損(そこ)なうことがございましたでしょうか?」
「いや、そうじゃないんだよ。先ほどの料理の隠し味、なかなか絶妙だったよ」
「はっ! お口に合いましたで、ございましょうかっ! 態々(わざわざ)の申し出、誠にありがとう存じます。今後とも、お引き立て賜りますよう…」
 総料理長とレジ係は深々と伊戸に一礼した。
「ああ…。あの隠れた味はいい。最近、お目にかかれなかった味だが、アレは何かね?」
「はあ! その件に関しましては、お答えしたいのではございますが、当店の極秘事項でございまして、誠に申し訳ございませんが、お話することは出来ないのでございます。なにとぞ、ご了解賜りますよう、お願いをいたします」
「あっ! そうなの。それならいいから…。いや、呼び出すほどのことでもなかったんだが、申し訳ない」
「いえ、何をおっしゃいますやら…」
 総料理長は白高の帽子(トックブランシェ)から冷や汗を流しながら恐縮した。伊戸は暮れた味の正体が判明せず、残念でしようがなかった。
『よしっ! こうなったら、何がなんでも、正体を突き止めるぞ…』
 その日から、伊戸公ホールディングスの総力を挙げての追跡が始まった。聞いたところによれば、未(いま)だに続いているそうである。

                            完

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2018年2月22日 (木)

隠れたユーモア短編集-2- 買い物

 欲しかったメモを手に、篠畑(しのはた)はDIY[自身でやる]材料を調達しようと買い物に出かけた。メモどおりに買えば、そう手間取らないな…と篠畑はごく普通に思った。だが、その思いは完璧(かんぺき)に甘かった。
 篠畑がDIY販売店に着くと、思ったとおりメモ書きした材料はあった。あったことはあったが、その種類のなんと多いことか。篠畑はそこまで細かくメモしていなかったから迷いに迷った。どれも使えそうで使えそうでないサイズや種類の多さで、これなら計ってから来るんだった…と悔(く)やまれた。耐火性を重視すればステンレスである。今までのものは、ただの一斗缶(いっとかん)を加工しただけの鉄の薄板だったから、繰(く)り返し使っているうちに短期間で腐食(ふしょく)し、ボロボロになってしまった。そこで篠畑は腐食しない耐用の長い金属板を手に入れようと出かけたのである。
 DIY店へ入ると、板はアルミ製、ステンレス製のものがあった。アルミ製は溶融(ようゆう)点が659℃、ステンレス製は1399~1454℃のものと1427~1510℃の2タイプがあった。篠畑は値段が安いということと、まあ耐火性が600℃ぐらいあればいいだろう…ということで、アルミ製の板を買って帰った。
 買って帰ると、そのアルミ製の板が、なんとも頼りなく思えてきた。ひょっとすると、炎の熱で簡単に曲がってしまうのでは…という不安感も出てきた。ここで篠畑の隠れた才が脳裏に浮かんだ。これでは恐らく駄目だろう。今からでも遅くないから買い物に出よう…という発想だった。昼は回っていたがハングリー精神で篠畑は買い物に出た。買ってしまったアルミ板は他に回せばいい…と篠畑は隠れた才で思った。
 耐火性を考慮に入れ、篠畑は1427~1510℃のタイプのステンレス板を店で買って帰った。アルミ製の板は、物置の湿気(しけ)る紙箱の下に敷くことにした。我ながら適材適所の有効利用法だったから、買いミスを補う自身の隠れた才を篠畑はヒシヒシと肌に感じた。ニンマリと笑うと、篠畑は独(ひと)り、悦(えつ)に入って達成感を得た。

                        完

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2018年2月21日 (水)

隠れたユーモア短編集-1- 靴下の穴

 初めはいいが、何度も履(は)いていると靴下は破れて穴があく。なにも穴があきたくて靴下は穴があく訳でないことは誰にも分かる。穴があいて破れないと、新しい靴下を買ってもらえないから、靴下は破れるのだ・・と考えるのが妥当なのだ。買ってもらえないと製造する会社、平(ひら)たく言えば、そこで働く人々の生活を脅(おびや)かすことになる訳だ。売れないと儲(もう)けが出なくなり、お金が働く人々に渡せなくなるためだ。ということは、靴下の穴は働く人々の生活に貢献(こうけん)している・・と、まあこう見るのが正解のようである。
 今朝も穴があいた靴下に気づき、足川は破れた靴下を新しいのと履(は)きかえた。足川は靴下の製造会社で古くから働く社員だ。自社製品を当然ながら履いている訳だが、今朝は妙なことに気づいた。
━ 営業で靴下の契約を取るために働いているが、その靴下が破れるということは、どうなんだ?━
 と思えたのである。そう思うと、俄(にわ)かに足川の動きが緩慢(かんまん)になった。出社の時間が迫っていた。足川は、まあ、いいか…と玄関を出ると、車を始動した。新しい靴下だから履き心地は抜群だ。会社の駐車場に車を止めたとき、足川はふと、浮かんだ。そうか! 靴下の穴は自分の生活を支える隠れた立役者なんだと…。回り回った結論ながら、足川はなぜか得心できた。

                         完

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2018年2月20日 (火)

困ったユーモア短編集-100- 究極の困難

 人には困ったことに、究極の困難という切羽(せっぱ)詰まることが人生で何度か訪れる。もちろん、一度も訪れず、人生を平穏無事に生きてお亡くなりになる方もなくはない。なくはないが、世間一般では通常、よく見受けられる。
 久山は今年で85になる独居老人だ。妻に先立たれ、子供に恵まれなかったということもあり、今は寂しい身の上となってしまった。それでも久山は、自分のような身の上の人間は世間に五万といる…と考えられたから、まだよかった。孤独感に苛(さいな)まれ、思い余って自殺で命を落とす老人のニュースが、つい一週間ほど前にもテレビに流れたところだった。
 梅雨(つゆ)が明け、ムッ! とする猛暑の熱気が身を包むようになると、久山は独自計画により夏対策を実施し始めた。久山にすれば熱中症で倒れる人たちの気が知れなかった。40℃だったら、フツゥ~ダメだろうが…と久山は考えた。首から水筒をブラ提(さ)げ、片時も水を絶やさなかった。喉が渇こうと渇くまいと、一定時間でグビリグビリと飲んだ。朝からステーキを食べ、高蛋白、メガビタミンを心がけた。お陰で、この独自計画が功を奏し、究極の困難は久山には訪れなかった。その生活リズムが20年以上続き、今は85になる久山だった。
「どれ、暑いが久しぶりに映画でも観るか…」
 久山は観たかった懐(なつ)かしの映画を観ようと、着物姿で街へ出た。水筒は相変わらず首から提げ、冷房で十分、身体を冷やしてから家を出た。万事抜かりないように久山には思えた。バスで街へ出て街に着く頃になると、急激に体温が高まり、汗が滲(にじ)み始めた。いかん、いかん…と久山は水筒の水を、いつものようにグビリグビリと飲んだ。これが、いけなかった。正確に言えば、この日の水がいけなかった。高温と洗っていなかった水筒の所為(せい)で中の水が痛んでいたのだった。しばらくすると俄(にわ)かに差し込むような痛みが久山の腹に走った。
「ぅぅぅ…」
 痛みは便意をともない、急速に強くなった。久山はそのとき、多くの群衆の中に閉じ込められていた。身動きがとれず、トイレを探す騒ぎの話ではない。久山に訪れた究極の困難だった。
「ぉぉぉ…」
 いつの間にか、ぅぅぅ…がぉぉぉ…?になっていた。久山は戦場の兵士のように死に物狂いで敵陣突破を敢行(かんこう)した。その甲斐(かい)あってか、なんとか群集から逃(のが)れられた。逃れられたとはいえ、まだ痛みは消えていなかった。当然、便意も強まり、限界が近づいていた。幸い、遠くに公衆便所が久山の目に入った。久山は一目散に走ったが漏れそうになり危うく止まった。こうなれば仕方がない。チラホラと通る人の目もある。ここは究極の困難からいかに逃れるか・・である。久山は一歩(いっぽ)、そしてまた一歩と歩(ほ)を進めた。ようやくトイレへ駆け込み用を足し終えたとき、究極の困難は久山から去ったように思えた。ところが、ドッコイ! である。トイレット・ペーパーがなかった。迂闊(うかつ)にも、そのときの久山には手持ちの紙がない。さあ、どうする、久山! 
 久山はステテコを脱いで拭(ふ)くと、勢いよく水にジャァ~~と流した。下着は身に着けていなかったから、急に涼しげになり心地いい。久山は悠然(ゆうぜんと公衆便所から出た。気持よく漫(そぞ)ろ歩くと、下半身の心地よい事情で、汗も出ない。これはいいぞ…と久山は思った。究極の困難が至福にチェンジしたかのようだった。そのとき、一陣の風が…。俺はマリリン・モンローかっ! と、思わず久山は着物の裾(すそ)を両手で押さえた。それが久山に訪れたふたたびの究極の困難だった。

                        完

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2018年2月19日 (月)

困ったユーモア短編集-99- 受け皿

 選挙が終わってみると、結果は芋川(いもかわ)が予想したとおりだった。芋川はどう予想していたのか? それは次のようなものである。野党は一枚岩ではなく政府与党の受け皿になるだけの政権担当能力を具備していない。だとすれば、どうなのか・・である。国民は政治に対してほんのひと握りの期待も抱(いだ)けなくなる。これは表面上に現れないメンタルな諦(あきら)めの境地だ。さらに芋川はアレコレと巡った。諦めれば当然、投票行動が萎(な)えたり、まあ、現状のままでいいか…といった投げやりな発想を抱く者も増す。すると結果は、どうなる? 野党は勝てないだろう…。これが芋川の結論的な予想だった。そして終わってみれば、やはり芋川が出した予想は、芋を食べればガスが出るように当たっていたのである。芋川にとっては臭(くさ)く、当たって欲しくない予想だった。だが、奇跡は起こらず終(じま)いだった。受け皿がないと高所から転落した国民は死ぬ危険が大きい。いや、それどころか、必ず死に至るだろう。そうなることを未然に防止する受け皿はセフティネットだが、せめて命綱をつけて下りないと崖下(がけした)へと転落してしまう。芋川の脳裏にふと、かつて登った雪渓(せっけい)を残す夏山の雄姿(ゆうし)が甦(よみがえ)って浮かんだ。

                             完

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2018年2月18日 (日)

困ったユーモア短編集-98- 有終の美

 人は誰も最後を満足できる結果で終わりたいと思う。有終の美である。このグッドなエンドを求め、人はバッド・エンドに終わる最悪のシナリオから逃れようとするのだ。そして今日も、この男、獅子唐(ししとう)は、その挑戦を続けていた。
「どうして君は、こうなんだろうね…。まともな報告書を見せてくれたことは一度もないじゃないか」
「さあ、どうしてなんでしょうね?」
「君が訊(き)いてどうするんだ。私が訊いてるんだから」
「はあ…私としても今回は有終の美を飾ろうとはしたんですけれど…」
「有終の美? そんなものは夢物語だ、これじゃ…」
 課長の鞘豆(さやまめ)は、部下の獅子唐の目の前で報告書を散らつかせながら、やや強めの口調で言った。獅子唐にしても、なにもバッド・エンドでは終わりたくない訳である。いや、それどころか獅子唐は心から、今度こそ有終の美で終わろう…と決意していたのだ。収穫され、課長の鞘豆から美味(おい)しいお褒(ほ)めの言葉の一つも頂戴(ちょうだい)できれば…というのが、偽(いつわ)らざる獅子唐の本音だった。だが今回も、その願いは虚(むな)しく徒労(とろう)に帰したのである。
「はあ…」
「君の場合、有終の美はいいから、とにかく間違えはなくすように…」
「はい! 分かりました…」
「これは私がやっておくから、もう、席へ戻(もど)ってよろしい」
 鞘豆の言葉を聞き終えたあと、獅子唐は冷蔵庫の中のいつもの席へと戻った。

                            完

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2018年2月17日 (土)

困ったユーモア短編集-97- 使い捨て感覚

 困ったことに日本はいつの頃からか、物に対する考え方が使い捨て感覚になった。いつから? とは正確に示せないが、戦後の復興が進み、物が豊かになってくるとともに、その傾向は強まったように思える。使い捨て感覚が蔓延(はびこ)るそれまでは拾(ひろ)いまくられた煙草(たばこ)の吸殻(すいがら)は、巻きなおされて売られ、商売になった終戦直後の時代もあったのだ。それが、フィルターと呼ばれる時代が訪れると、ポイッ! と使い捨て感覚で地面に捨てられるようになった。この感覚は、人のすべての生活に及ぶから、この感覚に毒された人は、すべてを軽く捨てるようになるから困る。もちろん、そんな感覚にならない人も多数いる訳だが…。
「君ね…悪いが、次の異動では子会社へ出向してもらうよ。もちろん、支社長としてだがね。な~に、一年の辛抱(しんぼう)だよ。一年たてば、必ず私が呼び戻(もど)すから…」
 専務派に破れた常務の脇川は、部長の小坂の肩に手をかけると、慰めるようにそう伝えた。すでに副社長に内定していた専務派の常務派追い落とし工作は始まっていた。小坂の出向は身の危険を食い止めるトカゲの尻尾(しっぽ)切りの色彩がなくもなかった。
「ぅぅぅ…常務! 無念ですっ!」
 小坂は使い捨てられたかと一瞬、思ったが、戻れると聞かされ、そうでもないか…と、脇川にヨヨと縋(すが)り、泣きついたのである。
「ああ、私もだ、小坂君」
「ぅぅぅ…お、お願しますっ!」
「ああ…」
 泣きつかれた脇川はどんな気分だったのか・・それは語るまでもないだろう。身の危険を未然に防ぐ使い捨て感覚の予防策だった。甘いのは砂糖だが、世の中、そうは甘くない。

                            完

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2018年2月16日 (金)

困ったユーモア短編集-96- 換(か)わる

 八百(やお)は気分転換にスーパーへ買物に出た。朝が早かった・・ということもあり、人混みは少なく、いつもと違ってレジも割合、スンナリと通れた。取り分け、買い馴(な)れている・・という訳でもなかったが、場数(ばかず)を踏んでいる・・という自負はあった。
 レジで係に言われた金額を支払い、カードを渡したときだった。
「このカードは使えなくなります。今ですと、あちらのサービスカウンターの方で無料で作り換えが出来ます…」
 レジ係にそう言われ、八百は、ああ、そうなんだ、換わるのか…と単純に思いながら無言で頷(うなず)いた。有効期限で・・という話は今までなかったし、作り変えはカードが割れたときだけだったから、どんな事情なんだろう…と、八百には馬鹿っぽく思えた。出た結論は、システムの変更である。カードの磁気読み取り機能に新しい何かの機能が加わり、機能することになったんだろう…という機能的な結論だった。機械化は馬鹿っぽく、安定感がないな…とも思えた。思えたのはいいが、困ったことに次の瞬間、お釣りをフロアへ落としていた。

                           完

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2018年2月15日 (木)

困ったユーモア短編集-95- 本物(ほんもの)

 ここは、賓客(ひんきゃく)の到着を今か今かと待ちわびる、とある会社のエントランスである。困ったことに、会社の役員達にはその人物がどういう外見なのかが皆目(かいもく)、分かっていなかった。というのも、海外伝送システムの俄(にわ)かな故障で、肝心(かんじん)の写真などの人物データが何も届(とど)いていなかったからである。なんといっても、会社を経営危機から救おうという一流の海外総合商社の代表である。役員数人だけでは心もとないということで、管理職以下、総出の出迎えである。社員達の間では、いったいどういう人物が来るんだろう・・という風評が社内のアチコチで囁(ささや)かれていた。
「部長! どんな人なんでしょうねっ!」
「さあ、私にもさっぱり分からんよ。ははは…私に分かっていれば、今頃、アッチにいるよ」
 人事部長の庭池(にわいけ)は課長の苔石(こけいし)に訊(き)かれ、最前列で立ち並ぶ役員達を指(ゆび)さした。
「ははは…そりゃ、そうですよねぇ~」
 嫌(いや)なところで苔石に納得された庭池は、すっかりテンションを下げた。
 問題の賓客の到着は午前10時頃という連絡があっただけで、海外支社からの連絡はその後、一切、途絶えていた。テロ関係の事件で海外との通信が国の指示で丸一日、遮断(しゃだん)された・・ということもある。
 午前10時が迫っていた。約10分前になったとき、一人の貧相な身なりの男が現れた。役員一同は、まさかこの人が…と、誰しもが思った。
「ちと、ものを訊(たず)ねますが…」
 身なりは貧相(ひんそう)だったが、語り口調は上品である。それでもまあ、海外の賓客→外国人…という普通の図式からすれば、本物(ほんもの)でないことは歴然としていた。
「あんたね、ここ邪魔だから。アチラで訊いて…」
 役員の一人は、まるで厄介者(やっかいもの)を追い払うかのように片手を振りながら遠ざけた。
「まさか、アノ人は違いますよね、部長」
「ははは…アレが本物だったら、私は疾(と)うに社長だよっ、苔石君」
「ははは…それもそうです、部長」
 後ろの列で、人事コンビがまたヒソヒソと語り合った。そのとき、数台の車がエントランスへ横づけされ停車した。誰の目にも、この方々こそ! と映った。車から降りてきたのは外人客で、もの珍しそうに社屋ビルを眺(なが)めた。
「ははは…ようこそ、わたしが社長の獅子脅(ししおどし)です」
 獅子脅は歩み出て、片手を差し出し握手しようとした。
「オオッ! ココガッ!」
 外人客も笑顔で握手に応じた。有名ホテルと勘違いしたのだ。
「さあ、どうぞ…」
 数人の外人客は中へと通された。だが、この外人客は単なる観光客で、会社が待ち望んでいた賓客ではなかった。本物の見誤りは、外人客達の背広姿にあった・・といっても過言ではない。
 その頃、追い払われた貧相な男は、入口の警備員と口論をしていた。
「外国から?! アンタねっ! これ以上、妙なことを言うと、警察に突き出すよっ!」
「ああ、突き出しなさいよっ! なんという会社だっ!」
 貧相な男は旋毛(つむじ)を曲(ま)げてエントランスから去っていった。なにを隠そう、この方こそ、恐れ多くも先の従三位(じゅさんみ)中納言、徳川光圀(とくがわみつくに)公ではないが・・賓客の海外商社代表で、二世社長の本物だった。
 外人客達が賓客でないことはすぐに判明し、役員達一同はエントランスへと取って返した。だが、その後は誰も現れず、10時を過ぎ、すでに11時を回っていた。
「来られないねぇ~」「来られませんねぇ~」
 だから、やってみなくちゃ・・ではないが、本物は外見では分からない。

                          完

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2018年2月14日 (水)

困ったユーモア短編集-94- 雨の道

 最近の都会では激しい雨が降ると、雨水(あまみず)が逃げ場を失ってコンクリートやアスファルトのあちこちから溢(あふ)れ出る。人は脚元(あしもと)が濡(ぬ)れて弱るが、雨水にしたって好きで溢れている訳ではない上に逃げ道を塞(ふさ)がれるから大弱りに弱ることになる。雨の逃げ道・・雨の道が消えるのだ。その結果は明々白々(めいめいはくはく)で、側溝(そっこう)やマンホールなどの至るところから水が噴き出し、あたり一面が水(みずびた)しのような状況を醸(かも)し出す。これは、とある男、牧川が雨水から直接、聞いた、嘘(うそ)のようで本当の会話だ。
『いやぁ~弱りましたよ。多くの方が並んでおられるんですから…』
『ははは…今、来られた貴方(あなた)なんか、まだいい方ですよ。私なんか30分待ちです』
『なんだっ! そうでしたか。いつ頃、この道は復旧するんでしょう?』
『さあ? そんなこと、私に訊(き)かれても…』
 逃げ場を求めて先に並んでいた雨水は、すぐ後ろに並んだ雨水へ愚痴るように小声で言った。後ろに並んだ雨水は、思わず天を見上げた。
『しまった! こんなことなら落ちてくるんじゃなかった。もう少し、雲の上で寝てりゃ、こんなことには…』
 先に並んでいた雨水と同じように、後ろに並んだ雨水も愚痴った。
『ははは…おっしゃるとおりです』
 雨水 同士(どおし)の会話を立って聞く牧川は、私ももう少し寝てりゃな…と思った。
「ははは…こんな渋滞(じゅうたい)は困ります。文明進歩もこういうのは、良し悪(あ)しですな」
 牧川は思わず小声で呟(つぶや)いた。その声が語り合う雨水に聞こえたかどうかまでは定かではない。ただ、牧川が呟いたあと、途端に雨は止(や)んだ。軒(のき)で雨宿(あまやど)りしていた牧川は歩いて去り、いつの間にか溢れ出ていた雨水は消えた。雨の道は復旧した。

                           完

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2018年2月13日 (火)

困ったユーモア短編集-93- 夢見心地(ゆめみごこち)

 人は誰しも夢見心地(ゆめみごこち)に憧(あこが)れる。汗水(あせみず)を流して齷齪(あくせく)働いていようといなかろうと、誰しもがそう思うものだ。人間の欲とは凄(すさ)まじいもので、飽(あ)きることを知らない。誰の目にも、アノ方はさぞユートピアで夢見心地なんだろうな…と思えても、アノ方にすれば決してそうではなく、より以上のユートピアがあり、ソコの夢見心地を味わいたい…と思っているものだ。ここに登場する橋場(はしば)も、そんな中の一人だった。
 風が流れていた。夏が去り、少し寂しげな秋風が流れ始める頃、別荘で一人、橋場は深い溜息(ためいき)を吐(つ)いていた。避暑目的で、あれだけ訪れていた来訪者も、夏の終わりの鰯雲が時おり現れる頃になると、バッタリと姿を消した。一人残された橋場は大サッシのガラス戸を開け、浜から流れる潮風を感じた。
「毎度! 三河屋ですっ! 注文の品、お届けにっ!」
 勢いのいい声が垣伝いに聞こえた。橋場にすれば、久しぶりに聞く人の声である。橋場は人に戻(もど)った気分を感じた。いや、それは取り戻した・・と言った方が正しいような気分だった。
「ああ、ごくろうさん! 開いてるから。よかったら、上がってよ…」
「いや、急いでますんで、どうもっ! また、ご贔屓(ひいき)にっ!!」
 玄関ドアを閉める音がした。
 橋場は努力の挙句(あげく)、成金と今の地位を築いた。そして、憧れていた夢見心地を実現させようと、この地に別荘を建てさせたのである。突貫工事だった。完成のあと、多くの祝い客が訪れ、しばらくは来訪者があとを絶(た)たなかった。その数は次第に減りはしたが、それでも夏が近づけば、ふたたび多くの来訪者で活気づいたから、橋場はそれほど気に留(と)めなかった。が、しかしである。夏が去り、少し寂しげな秋風が流れ始める頃になると、別荘で一人、橋場は深い溜息(ためいき)を吐(つ)いていた。夢見心地は、もはやどこにもなかった。夢見心地は憧れていた間が夢見心地だったのかもしれん…と、橋場は、また深い溜息を一つ吐いた。そのとき、電話音がした。長い間、授からなかった我が子が生まれた朗報だった。

                            完

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2018年2月12日 (月)

困ったユーモア短編集-92- 過程[プロセス]と結果

 最後の結果がいいと人は有頂天(うちょうてん)になる。逆に結果が悪いと、困ったことだがお通夜になるのが相場だ。では、その結果に至(いた)る過程[プロセス]はどうでもいいのか? という疑問が芽生(めば)える。芽生えない人は能天気で気楽に生きやすい人だ。こういう人を目指すのが一番いいのだが、世の中はそうは問屋が卸(おろ)さず、品物に不自由する・・のではなく、心理[メンタル]面で影響を受けることになる。
 仕事が始まった朝の市庁舎である。
「ははは…よかったじゃないかっ! 復帰してっ!」
「ええ、それはまあ…。結果オーライですけどね」
「というと?」
「まあね…。時間がかかると思ったんで、F8でスタートアップ回復画面に復帰したところで、そのまま帰ったんですよ」
 先輩職員の十坂(とさか)と後輩の背羽(せばね)が語っている。話しているというよりは語っているのである。それは、すでに執務時間に入っているから・・ということもあった。
 原因は昨日(きのう)の閉庁前に突然、起きたメイン・パソコンのスタートアップ不調にあった。運悪く、フラッシュ・メモリーに落とす前のデータが山積していて、職場は大騒動となったのである。
「なに、やっとるんだっ! 明日までに復旧させておきなさいっ! まったく、近頃の若い者(もん)は困ったもんだっ!」
 十坂や背羽の上司である課長の鳥目(とりめ)は、瞼(まぶた)を忙(いそが)しそうに閉じたり開いたりしながら課を出ていったのだった。
「まあ、そういうことだから…」と、慰めにもならない言葉を背羽にかけて帰った十坂だったが、さすがに気になり、2時間以上も早く、早朝から出勤したのである。
「原因は何だったんだろうね?」
「さあ…。やっていた私が分からないんですから…」
「ははは…」
「ははは…過程[プロセス]より結果か」
 二人は、もう一度、大笑いした。そこへ、課長の鳥目か゜出勤してきた。
「あっ! おはようございますっ!」「おはようございますっ!」
「…ああ、おはよう。なんとかなったのか?」
「ええ、なんとか…」
「さすがは背羽君だっ!」
 鳥目は昨日と打って変わって笑顔で背羽の肩を軽く叩くと課長席に向かった。
「今朝は早いですね、課長」
「ああ…。私にも責任があるからな」
 それを聞いた二人は、さすが課長だ…と思った。ところが、鳥目の真意は副部長昇格の内示が迫(せま)っていたからだった。結果は、責任ある男と映ったが、その実、過程[プロセス]は出世目的だった。

                            完

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2018年2月11日 (日)

困ったユーモア短編集-91- 入れ込む

 冷静になれる人は、決して物事に入れ込むということはない。これは、ダメだな…と分かった段階で、すぐ撤退(てったい)できるからだ。そこへいくと、頭に血が上(のぼ)りやすい・・要するに短気な人の場合は困ったことに撤退できず、入れ込むことになる。さらに困ったことには、入れ込めば入れ込むほど、底なし沼のように動きが取れなくなり、もはやこの時点では撤退ができない。かといって、進めることも叶(かな)わず、物事は暗礁(あんしょう)に乗り上げてしまう・・ということになる。ムダに費(つい)やして流れた時間は取り戻(もど)せることもない。そこへいくと、冷静に撤退した人は、別のことへ進めるから、生活も進む訳だ。
 日曜の朝、朝食もそこそこに、滞(とどこ)っていた残業を帯川(おびかわ)は始めた。家に持ち帰ってやることでもないか…と続けようとしたが、疲れているから、そこまでやることもないか…と思い返し、撤退して家でやることにしたのだ。
 昨日の夕暮れどきの職場である。家に帰れば、少なくても風呂や冷たい酒で疲れを癒せる。ツマミには、取っておいたモンコ烏賊(いか)の黄金漬けが冷蔵庫に収納されているはずだ…と気長はニンマリと笑みを浮かべ席を立った。
「お先にっ!」
「早いっ! 帯川さん、もう済んだんですか?」
「ええ、まあ…」
「出来る人はこうだからねぇ~!」
 もう一人、残っていた襷(たすき)は恨めしそうに呟(つぶ)いた。この男は入れ込む性格で、なにがなんでも今日中に残業を片づけ、帰って日曜はのんびり過ごそう…と目論んでいた。だが、襷も疲れていたから、なかなか捗(はかど)らなかった。
「それじゃ、お先に…」
 そう言って帯川が退社すると、俄(にわ)かに眠気が襷を襲った。襷はそのまま、いつの間にかウトウトと眠ってしまった。そして気づいたとき、夜は白々と明け、すでに早暁(そうぎょう)になっていた。残業は何も出来ていなかった。襷は焦(あせ)った。襷は益々(ますます)、入れ込むことになり、底なし沼へと沈んでいった。
 一方、早々に帰宅した帯川は、風呂と冷酒で疲れを癒し、目覚ましを5時にセットすると早々に眠りについた。起きたあとの帯川は完全にリフレッシュされていた。持ち帰った残業は捗り、早暁には完成を見た。
 まあ、入れ込む人と、そうでない人は、これだけの差を見せるのである。

                            完

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2018年2月10日 (土)

困ったユーモア短編集-90- 候補者

選挙戦たけなわの中、二人の女性候補者が街頭演説の論戦を、ぶち上げていた。候補、宝飾(ほうしょく)は与党・民自党から出馬していた。もう一人の候補、素顔(すがお)は野党・民心党からの立候補者である。両者は相手のマイクが聞こえない程度の距離を保って街頭演説カ-を止めていた。それでも、時折り、風に乗った相手候補者の声が聞こえなくもなかった。
「決して今の政治を認めてはなりません。皆さん、私が変えます。今の日本の政治を大きく変える唯一の候補者ですっ!」
 与党である民自党の候補者がマイクを握り、一段と声を大きくして高らかに唸(うな)った。困ったことに、その声の一部が風に乗り、もう一人の候補者の街頭演説カーに届いたのである。耳にした民心党の女性候補は、内心で『まあ!!』と憤慨(ふんがい)した。憤慨しただけなら、コトは何も起こらなかったのだが、聞いた民心党の候補者はすぐ反撃に出た。
「いえ! 皆さん、そうではありません。私こそ! 私こそが唯一(ゆいいつ)、今の日本の政治を変えられる候補者ですっ!」
 またまた運悪く、民心党候補者のその声が風に乗り、与党・民自党候補者の耳に入った。
「いえいえ! 私です。私こそが、それが可能な候補者ですっ!」
 街頭演説カーの下で聞いている聴衆の耳には、生憎(あいにく)相手候補者の声は風に乗って届いていなかった。
「何が可能なんだい?」
 聴衆の一人が、隣りに立つ聴衆に訊(たず)ねた。
「さあ? …」
 隣に立つ聴衆も分からなかったから、首を傾(かし)げながら返した。聴衆には選挙に出た候補者としか映(うつ)っていなかった。

                            完

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2018年2月 9日 (金)

困ったユーモア短編集-89- 作為(さくい)

 人々が行う物事には、その行為が良い悪いにかかわらず心理で判断する間合いがある。その間合いで、考えた上で行う行為を作為(さくい)、考えずに行ってしまう行為を不作為という。
 中川家では一個のアイスクリ-ムを巡り、家庭不和が勃発(ぼっぱつ)していた。
「馬鹿言わないでよっ! アイスクリ-ムなんて入ってなかったわよっ」
「そんなに言うなら、いったい誰が食べたというんだっ!!」
 鼻息荒く妻の和江(かずえ)に噛(か)みついたのは夫の等(ひとし)である。
「いや、それは母さんが言うとおりだよ、父さん。僕も冷蔵庫、開けたとき無かったから…」
 長男の的矢(まとや)が母親を援護(えんご)した。
「お兄ちゃんが言うとおりよ、私も見たから…」
 現れた妹の真弓が、さらに父親を追撃した。
「すると、なにかっ! お前達は俺が買って入れておいたアイスクリ-ムが、勝手に冷蔵庫から出て消えた・・とでも言うんだなっ!」
 夫はムキになった。
「なにも、そんなこと言ってないでしょ! ただ、入ってなかったって言っただけよっ!」「そうだよ」「そうよ」
 妻もムキになって夫へ言い返し、子供達も追随(ついずい)した。そこへ何食わぬ顔で現れたのが最近、家族に入れてもらった新入り子猫の小太郎である。その小太郎の横には、どういう訳か食べられたあとのアイスクリ-ムの小さく丸い空箱があった。
「あっ!」
 等は、ひと言、そう言うと、何もなかったようにスゴスゴと小さくなって三人の前から消え去った。等は不作為で考えることなく、買って楽しみに取っておいた
アイスクリ-ムを、つい、子猫の小太郎にやってしまったのだ。困ったことに、それを等はすっかり忘れてしまっていた。忘れていたから、当然ながら等の頭の中でアイスクリ-ムは、まだ冷蔵庫の中にあった訳である。世の中では、こんな小さな作為がない間違いが困ったことに多い。

                          完

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2018年2月 8日 (木)

困ったユーモア短編集-88- 勝負と試合

 勝ち負けを争(あらそ)って決着をつけるのが勝負である。試合も、結果として勝ち負けを決するのだが、勝負とは一線を画(かく)する。では、どう画するのか? だが、勝負は勝ったり負けたりすることに拘(こだわ)りがあり、困ったことに、何がなんでも勝たないと気が済まない・・という修羅そのものの性質だ。ところが試合は、技量を争うことにより、結果として勝ち負けが決するという性質のものだ。むろん、試合の場合も負けたくてするものではないから、やる以上は相手や相手チームに勝ちたい…という一念の行為であることには違いはない。だが、両者には目に見えない根本的な差異があるのだ。それが分かっていて冷静に対する者には、自(おの)ずと勝利の女神が微笑(ほほえ)む訳である。いい試合を冷静に心がける者やチームは勝ち、冷静さを失い、勝つことに固執(こしつ)する者やチームは、いつのまにか負けている・・というのがこの地球上で起きる事象である。このことは国家と国家の争いからスポーツや棋士の対戦まで、すべてに共通している。勝負の場合、負けるが勝ち・・ということも当然あり得る。国家対国家の戦争がその具体例で、勝った国は半永久的に戦うことから逃(のが)れられない。負けた国は平和になるから、実質的には争いの絶えない修羅から抜け出せ、勝利した・・とも言える。
 勝った方は相手を言うがままに操(あやつ)れるし、好きなものを手に入れるだろう。だが、それは勝ったことに果たしてなるのか? それは否(いな)である。
「いや! それは僕の…」
「なによっ! これは私のでしょっ!」
 朝から宮尻家では兄と妹の兄弟喧嘩が勃発(ぼっぱつ)していた。止めに入ったのは、今年で95になる祖父である。95とはいえ、まだまだショボくなく、現役バリバリで筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)のご老人だ。
「お二方(ふたかた)、無益(むえき)な争いはやめなされ…」
 悟りきった仙人のような口調でそう言われ、兄も妹も沈黙せざるを得なかった。
「お二方は何をそのように争っておられるのかな?」
 二人が静まったのを見て、祖父はふたたび厳(おごそ)かな口調で言った。
「お兄ちゃんが私が大切にしている色玉を…」
「なに言ってんだっ! それは僕がお前に貸してやってたんじゃないかっ! 元々、僕のだっ!」
「違いますっ! 私のですっ!」
 二人の前には、瑠璃色をしたガラス玉が一つ置かれていた。
「まあまあまあ、お二方…」
 祖父は二人を宥(なだ)めながら、その玉を見た。
「ああ、これなら私も二つ三つ、持ってますぞ。一つ進呈(しんてい)いたしましょう。この勝負、いやこの試合は引き分けといたしますが、それでよろしいかな? お二方」
 二人に異論など、あろうはずがなかった。こうして、宮尻家の兄弟争いは骨肉の勝負的争いとはならず、円満な引き分け試合で終結した。めでたし、めでたし…。

                           完

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2018年2月 7日 (水)

困ったユーモア短編集-87- 理想と現実

 現実は、困ったことに実に厳(きび)しい。人々はそんな中を必要、不必要にかかわらず生きていかねばならないのだ。その世知辛(せちがら)い現実を忘れさせてくれるのが理想である。理想は憧(あこが)れとか希望を抱(いだ)くことで、現実から逃避(とうひ)するための手段である。旅をしたり、趣味に時間を費(つい)やしたり、音楽や映画、絵画鑑賞とかに時間を割(さ)くのも、すべて厳しい現実から逃(のが)れ、一抹(いちまつ)のリフレッシュで心を癒(いや)すための行為・・と言い切っても過言ではない。
「神川(かみかわ)さん、明日からお休みですか…いいですな」
 溜め息をつきながら大仏(おさらぎ)が渋面(しぶづら)で言った。大仏は多くの仕事が山積していて、とても休暇を取れるような状態ではなかったのだ。仕事に追われていたのである。そこへいくと、神川の場合は間逆で、仕事が欲しいくらいに暇(ひま)をもて余した状態だった。まるで、持つ者と持たざる者、あるいは富裕層と貧困層のような差が二人にはあった。大仏は恨(うら)めしそうに蒼白(あおじろ)い顔で神川を見た。
「ははは…ええ、まあ…」
 神川は愛想笑いで暈(ぼか)した。
 さて、ここで問題である。二人を比較して、どちらの方が幸せだと皆さんはお考えになられるだろう。驚くなかれ、正解は大仏の方である。実のところ、神川は多額の債務を抱(かか)えていて、債権者に追われていたのである。休暇も、彼らから身を隠す手段だったのだ。大仏は仕事には追われていたが、終わったあとには、至福のひと時があった。大好物のステーキが彼を待っていたのだ。だから理想と現実は不可解なのである。

                         完

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2018年2月 6日 (火)

困ったユーモア短編集-86- ややこしい

 朝から月見(つきみ)は項垂(うなだ)れていた。昨夜、上手(うま)くいかなかったパソコン設定を、よしっ! 明日の朝はやるぞっ! と、早く寝て起きたまではよかったのだ。それが、早くも昼近くになっていた。朝一で食べずに始めたものだから、すでに空腹は限界に達していた。仕方なく、冷蔵庫から家庭菜園で収穫したキュウリをパリポリと齧(かじ)りながらパソコン画面との格闘である。俺は河童(かっぱ)かっ! と、つまらないところで自分に腹立つ月見だった。解決の方法をパソコン検索で探ったが、なんとも、ややこしい・・のである。まったく要領を得ず、月見はよく知っているパソコン修理部の堅餅(かたもち)に相談しようと電話しようとした。堅餅はとある会社の修理センターの現場技術員として働いている。連絡するには、まず会社に電話をかけ、堅餅を呼び出さねばならない。
『おかけになった内容が修理に関する場合はダイヤルの[1]を、製品に関するご相談の場合は[2]を、その他のお問い合わせの場合は[3]を、お急ぎのご連絡の場合は[4]をお押しください。なお…』
 瞬間、月見はややこしい…と思った。だが愚痴っていても仕方ないから、よしっ! お急ぎだっ! と、[4]を押した。
『ご連絡の内容が製品内容の場合は[1]を、会社への一般連絡の場合は[2]を、業務連絡の場合は[3]をお押しください』
 月見はどれでもなかったから、困った。そして、ややこしい…と電話を切ろうとしたが、まあ、一般連絡か…と、とりあえず[2]を押した。
『ただいま、オペレーターにお繋(つな)ぎいたします』
 案内嬢のメッセージが、いい声で流れた。月見は、よしっ! これで…と応答を待った。だが、月見の読みは甘かった。いつまで経(た)っても回線の呼び出し音だけで、肝心のオペレーターが出ないのである。
『ただいま、回線が混み合っております。おかけ直しいただくか、このまましばらくお待ちください』
 月見は無言で電話を切った。世の中は、ややこしい…と、パソコンもOFFにすると、月見は外へと出た。空(す)いた腹が、それが正解! と言うのを月見は感じた。

                          完

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2018年2月 5日 (月)

困ったユーモア短編集-85- 世も末(すえ)か…

 2%のデフレ抑制策はいいが、困ったことに国産牛肉パックの値段が上がり、小市民の竹川は、『ぅぅぅ…いよいよ安いオージービーフか』と覚悟を決めざるを得ない事態に立ち至っていた。高くても、やはり国産牛肉は癖(くせ)がなく美味(うま)いっ! というのが竹川の本音だった。外国産の牛肉が決して不味(まず)い・・という訳ではない。それなりに美味いといえば美味いのだ。ただそれは、飽(あ)くまでも[それなりに]なのである。¥100近くも高くなった牛肉パックを手にした竹川は無念の思いで、その牛肉パックを元の位置へ戻(もど)した。世も末(すえ)か…と、思えた。虚(うつ)ろな眼差(まなざ)しで竹川がふと見ると、そこには! 超安い豚肉パックがあるではないかっ! 竹川は、ぅぅぅ…これだっ! これこそ、天の助けだっ! とばかり、2パックを買い物籠へ入れた。2パックでも国産牛肉1パックより安かった。いつの日か、100g数万円する国産のブランド牛肉をっ! を念頭に、竹川の挑戦は続いている。言っておくが、世は決して末ではない。

                           完

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2018年2月 4日 (日)

困ったユーモア短編集-84- 地方と都会

 近頃は都会へ流れる人の数が増えている。そうなると当然、地方で生活する人の数は減少する。困ったことだが、これだけはどうしようもない。全国を平均人口にする・・という都合のいいことは不可能だからだ。最近、都会から地方に引っ越してきた鯛焼(たいやき)にはこの理屈が分からなかった。鯛焼にすれば、住みにくい都会へと出て行く若者の気持が量(はか)りかねた。確かに流行や最先端の暮らし向きが都会にはある。だがその反面、雑然とした人間模様と気を抜けない危険性を孕(はら)んでいる・・それが都会だ…と鯛焼は思うのである。甘い気分で長閑(のどか)にのんびり暮らしたい鯛焼にすれば、都会は決して甘く思えなかった。
 鯛焼の近所に住む餅波(もちなみ)が夜になり、鯛焼の家を訪れた。
「鯛焼さん! そろそろ、どうです?」
「えっ? なんでしたか?」
「いやだな。この前、お願いした味噌講(みそこう)ですよ」
「味噌講? なんです、それは?」
「ははは…またまた。この前、訊(たず)ねられたから説明したじゃないですか」
 味噌講は鯛焼が引っ越してきたこの地方に昔から続く風習で、回り番で各家が味噌料理で村人達を持て成す講だった。引っ越して数年は村人も遠慮していたが、一年ほど前、鯛焼の家にも声がかかったのである。鯛焼はそのことを、すっかり忘れていた。
「いや、うっかり忘れてました。そのうち、いずれ…」
 鯛焼は地方も甘くないな…と思った。鯛焼きは甘くて美味(おい)しいが、世の中はどこに住んでも、そう甘くはないのである。

                            完

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2018年2月 3日 (土)

困ったユーモア短編集-83- 働く

 近頃は都会へ流れる人の数が増えている。そうなると当然、地方で生活する人の数は減少する。困ったことだが、これだけはどうしようもない。全国を平均人口にする・・という都合のいいことは不可能だからだ。最近、都会から地方に引っ越してきた鯛焼(たいやき)にはこの理屈が分からなかった。鯛焼にすれば、住みにくい都会へと出て行く若者の気持が量(はか)りかねた。確かに流行や最先端の暮らし向きが都会にはある。だがその反面、雑然とした人間模様と気を抜けない危険性を孕(はら)んでいる・・それが都会だ…と鯛焼は思うのである。甘い気分で長閑(のどか)にのんびり暮らしたい鯛焼にすれば、都会は決して甘く思えなかった。
 鯛焼の近所に住む餅波(もちなみ)が夜になり、鯛焼の家を訪れた。
「鯛焼さん! そろそろ、どうです?」
「えっ? なんでしたか?」
「いやだな。この前、お願いした味噌講(みそこう)ですよ」
「味噌講? なんです、それは?」
「ははは…またまた。この前、訊(たず)ねられたから説明したじゃないですか」
 味噌講は鯛焼が引っ越してきたこの地方に昔から続く風習で、回り番で各家が味噌料理で村人達を持て成す講だった。引っ越して数年は村人も遠慮していたが、一年ほど前、鯛焼の家にも声がかかったのである。鯛焼はそのことを、すっかり忘れていた。
「いや、うっかり忘れてました。そのうち、いずれ…」
 鯛焼は地方も甘くないな…と思った。鯛焼きは甘くて美味(おい)しいが、世の中はどこに住んでも、そう甘くはないのである。

                         完

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2018年2月 2日 (金)

困ったユーモア短編集-82- 確定層

 選挙が行われようとしている。まあ、するならすればっ! くらいに軽く思っている人は無関心層と呼ばれる。こういう人々は、ある意味で気楽だ。別に投票しなくても…程度の気分だからだ。はっきり決まっている確定層の人も同様に気楽である。そこへいくと、無党派層と呼ばれる人々は、困ったことに誰に投票するか迷うことになる。神経質な人なら迷いに迷い、やせ細ることに・・はならないだろうが、困った気分にはなるだろう。幸い、[ダレソレ]に投票したという内容が他人には分からないから、こういった人々は助かっているのだ。
 とある投票所の出口である。
「○○新聞社です。どちらを?」
 無党派層の鮭熊(さけくま)は唐突(とうとつ)に記者風の男から声をかけられ、戸惑(とまど)った。立ち止まり、記者の顔を見ながら対峙(たいじ)すると、『誰でもいいだろうがっ!』と、急に腹立たしい気分に苛(さいな)まれた。そう言おうとしたが、投票を済ませた他の人が通り過ぎ、結局、それが気になってグッ! と我慢せざるを得ず、思うにとどめた。
「すみません! 他の人に聞いてくださいっ!!」
 記者にそう返すのが関の山で、鮭熊は悪いことをしたかのように、その場から立ち去った。人の姿が見えなくなるまで遠退(とおの)いたとき、鮭熊は急に逃げ去った自分自身が腹立たしくなった。鮭熊は瞬間、誰に投票したか堂々と言える確定層になろう! …と心に決めた。

                            完

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2018年2月 1日 (木)

困ったユーモア短編集-81- 虻蜂(あぶはち)取らず

 困ったことに、人は金や地位、名誉などが身についてくると欲が大きくなる。それが意欲のうちは、まだいいのだが、邪(よこしま)な心が起こるとアレもコレもと、ついつい欲が拡大する。虻蜂(あぶはち)取らずに陥(おちい)ってしまう訳だ。俄(にわ)かに世の中を動かすほどの金力を得て財界に躍(おど)り出た花川戸(はなかわど)も、そんな中の一人だった。花川戸は以前、手に入れられなかった二つの物を金力に物を言わせて自分の物にしようと目論(もくろ)んでいた。
「大将! 二つはやめておかれた方が無難(ぶなん)ですぜ。お一つだけにしなされ」
 古くから花川戸工業所で働く西雲(にしぐも)は小声で忠告した。
「社長と言え! 聞こえが悪いっ。それに、つまらんことを言うなっ! 今の私には何とでもなるっ!」
 この傲慢(ごうまん)で思い上がった花川戸の考えが、花川戸工業所を倒産させる破目(はめ)になるのだが、それはまだ先の話である。花川戸の思い上がりは結局、虻蜂取らずとなり、一つも手に入れられなかった。その物が何であったか? までは語りたくない。どうしてもっ! と言われる方は、某メーカーのSF的CMで流れている缶コーヒーとまでは言わないから、緑茶か紅茶の一杯でも振る舞っていただければ手を打たない訳でもない。緑茶か紅茶? 私も虻蜂とらずになりそうだから、何もお出しにならずとも語ることにしたい。…と思ったのだが、お時間のようで語れず、話は先延(さきの)ばしとしたい。

                          完

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