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2018年9月28日 (金)

泣けるユーモア短編集-20- 適度

 人の意識は、あるときは邪魔になり、またあるときは必要となる二面性を持っている。
 とある病院の病室である。
 適度とは、ほどよい状態・・ということだ。熱くもなく冷たくもない、ほどよい湯加減・・これはもう、寒い冬場に浸(つ)かれば老若男女(ろうにゃくなんにょ)、堪(たま)らないはずだ。世の中では、あらゆることに言える事実だ。
 とある公民館の一室である。あちらこちらで、老人達二人が向かい合い、将棋や囲碁が指されたり打たれたりしている。
「いやいやいや、それはダメでしょっ! 桂馬(けいま)の高飛び、歩(ふ)の餌食(えじき)っ! 飛車を打たれて詰(つ)みですっ!!」
「詰む訳がないでしょ!? それは見損(みそん)じです。この石には生きはありますよっ! 後手一眼ができ、二眼ですからっ!」
「二眼できてるって? 必死がかかってるじゃないですかっ! 即詰(そくづ)みでしょうがっ!」
「いやいやいや、六目半のコミは出ないでしょう」
「コミ? ? …なんだ、碁でしたか…」
 そんな会話が、耳が遠いご老人の間で(か)わされている。これが混線問答といわれる高齢者特有の会話である。この程度ならまだ適度な会話として成立するのだが、ここへボケ老人が加わると適度とは言えなくなるから厄介(やっかい)だ。
「ええっ! 私ゃ、昼はザル蕎麦(そば)と決めとるんですわっ!」
「なにもそんなこと言ってないでしょ! 詰みだ・・と言ったんですっ!」
「私はコミは出ない・・と…」
「ブランド牛のヒレステーキ、美味(うま)いんですよ」
「ぅぅぅ…」「ぅぅぅ…」
 適度が消えると話がややこしくなり、泣ける。

                          完

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