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2019年5月

2019年5月31日 (金)

愉快なユーモア短編集-65- なんとかしたいっ!

 読者の方々は、アレだけは、なんとかしたいっ! とお思いになられたことはないだろうか? ^^
 なんとかしたいっ! という気持は、かなり逼迫(ひっぱく)した気分で、その人物をして行動させずにはいられなくする感情である。
 とある街の通りを二人の男女が反対方向から接近し、擦(す)れ違った。擦れ違わなくてもいいのに…である。^^ というのも、接近した途端、男は女に一目惚(ひとめぼ)れしてしまったからである。男は擦れ違った直後、なんとかしたいっ! と思った。が、女の方はそうは思っていなかったから、要は空振り三振になった。
「行っちまったか…」
 ふり向いた男は独(ひと)りごちると、無念そうな顔で踵(きびす)を返し、歩き始めた。これでは、なんとかしたいっ! も、なんともならないっ! のである。^^ 相場では、ここで『あのっ…』とかなんとか男が女に声をかける・・としたものだが、なんといっても擦れ違いの時間速度は微妙に早く、男は女を見失ってしまった。ここで、なんとかしたいっ! という男の気持が叶(かな)うのは、どういう場合だったのか? を考えてみることにしよう。別に考えなくてもいい訳だが、暇(ひま)だから考えるのである。^^ 
 男は、なんとかしたいっ! と思った。ところが女の方は、それほどでもなかったのである。要は、ここに問題がある。手の平と手の平を近づけるように叩(たた)けば音がする原理がある。片方の手の平をもう一方に近づけても、もう一方の手の平が近づく手の平を避(さ)けようとすれば、肩透(かたす)かしの格好で音はしない・・現象に似通(にかよ)っている。ということは、である。なんとかしたいっ! という気持が叶うのは、もう一方もなんとかしたいっ! あるいは、なんとかなりたいっ! と思う他はないのである。これが縁[えん、えにし]と呼ばれるものだ。これだけはどうしようもなく、人智(じんち)の及ぶところではない。なんとかしたいっ! という気持が叶えられ、愉快な気分となれるよう、皆さんに幸(さち)多からんことをお祈りする他はない。^^

         
                  完

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2019年5月30日 (木)

愉快なユーモア短編集-64- 頼(たよ)りない

 どうも、任(まか)せられない…という場合を頼(たよ)りないと人は言う。当然、その逆もあり、あの人なら間違いがない…と信用に足る場合を頼りになると言う。
 恒例の老人会が行われる前日である。老人会有志による余興は、お決まりのメンバーの余り上手(じょうず)ともいえない寸劇(すんげき)だ。だが、始末の悪いことに、彼らは少しも下手(へた)とは思っていない。それよりむしろ自慢げで、劇団名まで付けているくらいだ。その名も劇団長寿という。むろん、他の老人達はお決まりのように観たくもない劇を観せられる訳で、終われば拍手までしなければならないから、内心では誰もがお冠(かんむり)だった。劇が下手なのには一つの理由があった。なんといっても座長が頼りなかった。取り分けボケた老人でもなかったが、これも始末が悪いことに耳が、かなり遠かった。要するに難聴(なんちょう)である。耳が遠いにもかかわらず、自分の耳は遠くないっ! と意固地で、補聴器を付けないものだから、劇は様(さま)になった例(ためし)がなかった。劇団員達は頼りない…とは思っても言えず、意固地で耳が遠い座長に従う他なかった。それでもまあ、老人会前にはなんとか形になるのだから、不思議といえば不思議な劇団だった。
 そしてこの日も最後のラン・スルー(通し稽古)が舞台で行われていた。
「そうそう! そこで見得(みえ)を切って下され。で、『知らぁざぁ~言って聞かせやしょ~!!』」
「はいっ! 知らぁざぁ~言って聞かせやしょぅ!!」
「『行ってきやしょ~!!』 じゃないっ! どこへ行かれるんですかなっ!」
「座長! そうは言ってませんぞっ!」
「はぁ!!? 掃除に行ってられないっ!? …そういや、今週は私達の掃除当番でしたなっ!!」
 ラン・スルーは急遽(きゅうきょ)、取りやめとなり、全員が掃除をする破目になった。
 トップが頼りないと、変化が激しくなるのである。^^

         
                   完

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2019年5月29日 (水)

愉快なユーモア短編集-63- 手順前後

 プロの囲碁や将棋の世界でよく使われる手順前後という言葉がある。この言葉は何も囲碁や将棋に限って使われる言葉ではなく、日常の私達の生活でもよく使われる。
 将棋の対局場面である。プロの棋士が、ああでもない、こうでもない…と先読みをしながら駒を指している。
「熊黒(くまくろ)九段、残り、二回です…」
 記録係の若い男性棋士が、か細い声で残り時間を言う。熊黒は、ウッ! と気づき、記録係を食べそうな目つきで一瞥(いちべつ)した。次の瞬間、少し慌(あわ)てたのか、熊黒は不用意に桂馬を盤面へと打った。その駒が惜しまれる手順前後で、敗着となった。形勢は一気(いっき)に劣勢の鮭川(さけかわ)九段を勢いづかせ、逆転勝ちへと導いたのである。
 大盤解説が将棋愛好家達を前にして、別室で行われている。解説をするのは川山名人と青空女流二段である。
「先生、ということは、この桂馬が、ですか?」
「ええ、急がずともよかったんですよ。好きなだけムニエルに出来たんです…」
「はあ?」
「いや、詰(つ)んだんです。香(きょう)を先に通して、そのあとの桂馬でした。これでは食べられません」
「はあ?」
「いや、詰みません…」
「なるほどっ!」
 将棋愛好家達も納得したのか、皆、聞き入って頷(うなず)いた。
 手順前後になると、美味(おい)しく食べられないのである。^^

           
                   完

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2019年5月28日 (火)

愉快なユーモア短編集-62- 頭がいい人

 頭がいい人は知識が豊富で物分りもよく、ズバ抜けて他の人より抜きん出た人である。とはいえ、頭がいい人が世の中をよく出来るのか? と問えば、必ずしもホニャララなのである。^^ むろん、頭がいいに越したことはなく、世間を愉快で明るく出来る最低限の条件なのだが、問題はそう出来る応用力が有(あ)りや無(な)しや? という問題に他ならない。分りやすい例を挙(あ)げれば、外国語の成績がいいからといって、必ずしもその生徒が頭がいい! とは言えないということだ。外国語で話された場合、理解して受け答え出来る人が成績が悪いとき、その人は頭が悪いのか? と問えば、実はそうではない。頭がいい可能性がある人なのである。可能性がある人とは、外国語が流暢(りゅうちょう)に話せるだけでは頭がいい人・・とは特定出来ないことを指す。逆のケースも当然、成立する。成績がいい生徒が外国語で話されたとき、 ? と押し黙ってしまう場合、成績は良くても頭がいいとは必ずしもホニャララなのである。^^ ということは、超有名大学を合格し、国家公務員のトップ試験を経(へ)て国や地方の頂点に立った超エリートが、いい国家経営や政治をなし得(う)るか? ということだ。その結果は自(おの)ずと明らかで、今の赤字国債の山に喘(あえ)ぐ我が国の経済状況をご覧になれば、自(おの)ずと愉快な気分でホニャララと笑っていただけることだろう。^^
 とある賑(にぎ)わいのある名店街である。二人のサラリーマン風の若者が歩いている。どうも、昼食に来たようだ。
「あの店がいいんですよっ!」
 後輩風が断言する。
「そうかなぁ~? あの店よりそっちの方がいいんじゃないっ?」
 先輩風が異論(いろん)を唱(とな)えた。
「そっちですかぁ~?」
 不満げに後輩風が返す。
「ああ、そっち! 俺の計算だと美味(うま)いし安いし内容も多いっ!」
「それなら、あの店の方も変わりませんよっ!」
 後輩風は意固地(いこじ)になった。
「甘い、甘いっ! 君は甘いぞっ!」
「なぜですっ? よく分りませんっ!」
 二人は人通りの激しい往来(おうらい)を避(よ)け、立ち止まった。
「君は頭がいいが、先が読めないっ! 確かにどちらも美味いし安い。内容だって多いっ! しかしだっ! 出来るまでの速さが違うっ! そっちだと、これから10分だが、あちらの店は優(ゆう)に30分はかかる。そうなれば、どうなるっ?」
「どうもなりません…」
「頭がいい君が何を言ってるっ! 次のプレゼンの準備があるだろっ! 20分の差は大きいぞっ!!」
「あっ!!」
「何が何でも他社には負けられんだろっ!! ははは…まあ、そういうことだっ!」
 愉快な気分で先輩風が言う。二人はその後、そっちの店へと入っていった。
 頭のいい人は応用が利(き)き、さらに加えて、先読みに長(た)けているのである。^^

                           完

 ※ 超有名大学やエリートの方々を僻(ひが)み根性(こんじょう)で愚弄(ぐろう)するつもりは毛頭(もうとう)ありませんので、その点だけは誤解なきよう、お含み置き下さい。^^

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2019年5月27日 (月)

愉快なユーモア短編集-61- 達成感

 人はやっている事が無事になし終えられると達成感が得られ、満足げな愉快な気分となる。逆に、やっている物事が中途半端に終わったり失敗することにより達成されないと、気分が落ち込んだりする。もしかすると、人の人生はそうした連続なのかも知れない。これは公私を問わず言えることである。例えば私事(わたくしごと)だと、応援しているチームや人物といった対象が勝つと、自分のことでもないのに達成感が得られる。この逆もまた然(しか)りで、負ければ気落ちする。仕事でもノルマが達成出来たり契約が取れたりすると達成感に満たされ、愉快な気分が得られる。
 二人の老人が話をしている。
「どうされました? そんなに落ち込んで…」
「いえ、なに…。ほんのつまらんことで…」
「と、申されますと?」
「実は、いつもよりパックの数が少なかったんです」
「はあ?」
「いえね、いつもは五切れ入っている白身魚フライが四切れで…」
「ははは…それはお店の都合じゃないんですか?」
「いえ、私は五切れでないとダメなんです!」
「五切れでないとダメ? なぜです?」
「二(ふた)切れはビールのツマミ、で、二切れは晩のオカズです。さらに残った一(ひと)切れは次の朝のガーリック・トーストに挟(はさ)むんですっ!」
 聞いていた老人は、好きにやってりゃいいさっ! と思ったが、そうとも言えず、暈(ぼか)して笑った。
「明日(あした)の朝はその分がないっ! ぅぅぅ…」「一日ぐらい、いいじゃありませんかっ」
「いや、ダメなんです。私、それを食べないと達成感が得られず、一日が始まらんのですっ!」
「海老フライじゃダメなんですか?」
「海老フライ…海老フライ? 海老フライもアリか…」
 大相撲の立会い変化と同じで、達成感は違う代用の方法で得られることもある。^^

        
                   完

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2019年5月26日 (日)

愉快なユーモア短編集-60- 真実(しんじつ)

 真実(しんじつ)は一つであり、不変である。いくら他の力で歪(ゆが)めようしても変化しない。テレビを観ていると、真実を詳(つまび)らかにして犯人を追う・・という手合いの刑事ドラマをよく目にする。上手(うま)くアリバイ[現場不在証明]工作をし、さも自分は犯人ではないっ! と完全犯罪を目論(もくろ)む強(したた)かな人物・・などは、観る者の興味をそそる筋立てだが、必ず逮捕されることになっている。^^だが、現実の社会では未解決の事件が横行しているのだ。とはいえ、完全犯罪は存在し得ない。人や社会は騙(だま)せても、犯罪を犯した自分自身は騙せないからだ。それは真実を自分自身が知っているためである。ということで、愉快なことに完全犯罪は成立し得ない・・となる。チャン、チャン!^^
 とある一家庭の話である。
「妙だなぁ~~?」
 夫が朝から冷蔵庫の中を物色している。
「あら、どうしたのっ?」
 妻が洗濯を終え、キッチンへ入ってきて訊(たず)ねた。
「ここに入れておいた鰆(さわら)の味噌漬けはっ!?」
「さあ、知らないわっ。あなた、昨日(きのう)、食べたじゃないっ!」
「ああ、食ったよっ。だが、もうひと切れあったじゃないかっ!!」
「そうだった?」
「ああ!!」
「そんな向(む)きになることないじゃないっ!」
「向きにはなってないさっ! 真実を詳らかにしたいだけだっ!」
 夫は体裁(ていさい)を保とうと格好をつけた。
 半日後、真実は詳らかになった。その真実とはっ! なにあろう、夫の過失と第三者による窃盗(せっとう)だったのである。音の過失とは、冷蔵庫から出し、放置して忘れたことで、第三者による窃盗とは、ふと目に止まった夫の父親により食べられてしまった・・ことを意味する。
 真実とは実に他愛もなく発覚するのである。^^

       
                   完

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2019年5月25日 (土)

愉快なユーモア短編集-59- 我慢(がまん)

 この世は我慢(がまん)することが多い。グッ! と我慢できるほど、いいことが多くなる。逆に我慢できなければ諍(いさか)いごとや言い争い、紛争、さらに大きくなって内戦、戦争へと規模が次第に大きくなっていく。世の中はすべて我慢と我慢の妥協の中に成り立っている・・といっても過言ではない。我慢をすれば、当然のことながら愉快な気分は消える。しかし、我慢をしながら笑える人は達人という他はない。こういう人は笑いながら怒ることが出来るだろう。
 とある大衆食堂である。二人の人が、注文の先だっ! 後だっ! で揉(も)めている。
「ははは…私は怒ってるんですよっ! 先に注文したのは私なんですからっ!」
「だって、あなたは一端(いったん)、トイレへ消えたじゃないですか! 権利はそのとき消えてますっ!」
「消えたっていいじゃないですか! その間に肉野菜定食が出来たって、それは私のものですっ!」
「ははは…あなたのものじゃないっ! 頼んだ人がいなけりゃ、権利は私に回りますっ!」
 二人の遣(や)り取りを聞いていた店員が口を挟(はさ)んだ。
「どっちだっていいじゃないですかっ! 冷めちまいますよっ!」
 そのとき戸を開けて、別の客が入ってきた。
「ちょいと急いでんだっ! …あっ、それっ!」
 行き方の定まらない肉野菜定食は、その客に回ることになった。
 一方が折れて我慢しないと、こういう鳶(とんび)に油揚(あぶら)げ的なことになる。^^

                           完

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2019年5月24日 (金)

愉快なユーモア短編集-58- 気が合う

 気が合う人と話していると、自然と心が和(なご)み愉快な気分になるものだ。当然、その逆も有りで、気が合わない人との話は自然と不愉快になるものだ。
 とある超有名大学で、この違いを研究する心理学の教授がいた。この教授は学内でも変人として名を馳せる風変わりな男だった。この教授には媚(こ)び諂(へつら)うように付き従う一人の助手がいた。媚び諂う理由は簡単明瞭(かんたんめいりょう)で、講師昇格を目論(もくろ)む魂胆(こんたん)があったからである。
「君はコーヒーを飲まないのかねっ?」
「ええ、教授、僕は結構です。紅茶派ですから…」
「ああ、そうなんだ。気が合わないね、君とは」
「いえっ! 飲まないことはないんですっ! ははは…好(この)み、飽(あ)くまでも好みですっ! ええ! 飲みますよっ! 飲みますともっ!!」
「そんなに意固地(いこじ)にならなくてもいいじゃないか、君。気が合わないと意固地になるのか? …おお! これは研究の余地がありそうだっ!」
「ありません、ありません!! す、少し興奮しただけですからっ!」
「益々、意固地になってきたじゃないかっ、君。ははは…これは、次の研究材料に加える価値がありそうだっ!」
「き、教授!」
 助手は瞬間、この教授とは気が合わないから気を合わせる必要があるな…と思った。
 気が合う場合は愉快な気分になれるが、気が合わないと不愉快になるから、合わせる努力が必要なようだ。^^

        
                   完

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2019年5月23日 (木)

愉快なユーモア短編集-57- 進歩

 何ごとも進歩するに越したことはないが、進歩すればいいというものでもない。荒廃した戦後の頃と現代の進歩した時代を比較すれば、その意味がよく分かる。
 小春日和(こはるびより)の一日、ご近所同士の二人の老人が庭の見渡せる縁側(えんがわ)の廊下に座り、話し合っている。黄色やオレンジに色づいた庭木が実に美しく、いい風情(ふぜい)を醸(かも)し出している。
「いい時代になりましたなぁ~」
「そうですか? 私ゃ、さほどとも思えんのですがな
っ」
「と、言われますと?」
「考えてもみてくだされ。確かに進歩はしました。進歩して何でもある豊かな時代にはなりました。なりはしましたが無(な)くなったものも多いっ! 決して元へは戻(もど)らないものがです」
「… それは、そうですなっ!」
「進歩も、よく考えないと・・ですか?」
「はあ、まあ…」
「そういや、長閑(のどか)な時代ではなくなりましたな。車がひっきりなしに飛び交(か)ってます」
「昔は自転車がせいぜいでしたからなぁ~」
「さよですっ! 長閑でしたっ!」
 二人は散々、進歩した時代を扱(こ)き下(お)ろしたあと高級車に乗り込み、愉快な気分で進歩した時代の高級レストランへと出かけていった。^^

        
                   完

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2019年5月22日 (水)

愉快なユーモア短編集-56- 正解

 世の中は何が正解で何が不正解なのか分からないところがある。算数や数学などは、その答えが確実に出るのだが、世の中の動向・・といった目には見えない感覚的な内容はこうだっ! という正解が見出せないのである。例(たとえ)ば政治とか金融政策といった具体的な内容だ。他にも、男女間の恋愛の成功、不成功とか株の相場の損得・・などと挙げれば切りがない。
 男の客が、とある帽子屋で似合いの帽子を買おうと物色している。
「こちらなど、よくお似合いですよ」
 余りの時間の長さに、見かねた若い店員が声をかけた。
「そうかな? これなんか、どうだろうね?」
 若い店員は、それは似合わないだろっ! と一瞬、不正解に思ったが、そうとも言えず、愛想笑いで誤魔化(ごまか)したが、次の瞬間、ここは儲(もう)けか…と悪く思い直した。
「ああ! それもよろしゅうございますね、よくお似合いでっ!」
「ははは…そうかい? どうも、これが正解かなっ! これにするよっ!」
「…はいっ!」
 店員は男が口にした正解という言葉に一瞬、ドキリ! とした。自分が不正解と思った言葉を、心を見透かされたかのように間逆で正解と言われたからだった。そのとき、男の妻と思しき客が店へ入ってきた。
「あら、いやだっ! そんなダサいの買うのっ?!」
「ええっ! イケてるだろっ、お前?」
「なに言ってんのっ! 全然、イケてないっ。戻(もど)ってる、戻ってるっ!」
 店員は、奥さん上手(うま)いこと言うな…と、愉快な気分で不正解を確信した。
 このように、感覚的な正解、不正解は実に曖昧(あいまい)なのである。^^

          
                   完

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2019年5月21日 (火)

愉快なユーモア短編集-55- 三々(さんさん)

 この話は、やや専門的になるので、読みたい人はお読みいただき、読みたくないっ! とお思いの方は、例によって適当にカラオケなどで寛(くつろ)いでいてもらっても、いっこう構わない。^^
 三々(さんさん)とは囲碁の世界で使われる言葉である。19×19路の盤面の中で、隅(すみ)の星[4の四]の位置に打たれた相手石に対し、[3の三]と内部侵入(しんにゅう)をして打ち込むことにより、隅の地(じ)を自分の領域[テリトリー]にしよう…と目論(もくろ)む打ち方だ。だが、これで愉快な気分で勝ちを確信出来るか? といえばそうでもなく、相手石にぶ厚い外壁を作られ、隅で細々と所帯を持つ[生きる]という哀れな場合もある。それでもまあ、生きてりゃいいさ…と言われればそれまでだが、辛(つら)く侘(わび)しいことに変わりはなく、一局を通せば負けになることもある訳だ。むろん三々には逆もあり、ケース・バイ・ケースといえるが…。^^実は、この三々に似通(にかよ)ったことが私達が生きる社会の中でも頻繁(ひんぱん)に起きているのだ。例(たと)えば美人やイケメンだからといって人間的によく出来た人とは限らないし、高価な物だからといって必ずしもいい物とは限らない・・といった事例である。むろん、どちらもいいに決まってはいるのだが…。生物界でも、芋虫の幼虫に寄生蜂が卵を産みつける、カッコウという鳥が、厚かましくも他の鳥の巣の卵を自分の産んだ卵と取りかえる・・といったようなことがある。
 多くの店が軒(のき)を並べたとある町の街路である。一人の背の高い老人が鯛焼きの屋台の前で腕組みをして思案に暮れている。そこへ、もう一人の小ぶりの老人が通りかかった。二人は碁会所仲間だった。
「どうされました、ご隠居?」
「いやね、どちらの鯛焼き屋がいいか・・で悩んでおるんですよ」
 小ぶりの老人は一瞬、どっちだっていいじゃないかっ! と思ったが、そうとも言えず愛想笑いした。
「ははは…さようでしたか。で、どう違うんです?」
「右の屋台は小さいが餡(あん)が詰まってるんですよっ。で、左の屋台は餡は少ないが大きいんです」
「なるほどっ!」
「あなたならどちらにします?」
「ははは…昨日、打ってました三々ですなっ!」
「そう、それっ!」
「大きいが中の餡が少ないっ!」
「小さいが中の餡が多いっ!」
 そこへもう一人、碁会所仲間で小太りの老人が現れた。
「ははは…聞かせてもらいましたぞ。私なら大小は関係なく味(あじ)ですなっ!」
 愉快なひと言に、背の高い老人も小ぶりの老人も言葉を失った。
 三々は味がいいか悪いか・・で、散々(さんざん)な目に合うこともあるのである。^^

                          完

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2019年5月20日 (月)

愉快なユーモア短編集-54- 見てくれ

 見てくださいっ! とか、どうよっ! と他人目をよくしよう・・とする考え方が、見てくれ・・と言われる言葉である。漢字では見て呉(く)れと表記するが、ある種の実益(じつえき)に乏(とぼ)しいパフォーマンスだ。プライドや名声を高めるチャリティー、形ばかりの慈善活動、実名を出す高額の寄付etc.と、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。人は、この見てくれをよくすることで世間に対する対面を保持しようとする。見てくれなど、どうでもいいっ! と考えられるのはプロ中のプロで達観した者である。
 二人の男が車から降り、同窓会が開催予定されている会場に着いた。一人はポロっちい今にも壊れそうなポンコツで、片やもう一人が降りた車は超高級の豪華な外車だった。二人が駐車場に車を止めて降りたときのタイミングが、偶然、ピタリと一致した。
「あっ! これは長者(ながもの)さんじゃありませんかっ!」
「おおっ! これはこれはっ! …確か、貧坊(びんぼう)さんでしたな?」
「なかなか、見てくれのいいお車で!」
「ははは…たかが数千万の安物ですっ! …そう言われるあなたのお車も随分とレトロですな…。お高いんでしょうなっ?」
「ああ、これですか? コレはコレだけのもんです」
「いやいや、なかなかどうして! こんな車はどこも走ってませんぞ」
「そらそうでしょ。アチラコチラと渡り歩いて、まあ恐らく、私が最後になるポンコツ車です。しかし、よく走りますよっ! こんな硬いシャーシの車は今どきないですからなっ、ははは…」
「…」
「見てくれは悪いんですが、内容がいいっ! 私の宝の一つですよ、ははは…」
「はあ…」
 貧保は物怖(ものお)じせず、愉快な気分で笑い、長者は逆にテンションを下げた。
 見てくれも内容もいいのが一番だが、次に選ぶなら、見てくれよりも内容となる。^^

          
                  完

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2019年5月19日 (日)

愉快なユーモア短編集-53- 慣習(かんしゅう)

 社会生活の中で良くも悪くも関わってくるのが慣習(かんしゅう)と呼ばれるものである。公的な慣習[custum]と私的習慣[habbit]に分けられる。公的な硬いところでは、裁判所の判例、柔らかいところでは町内会の恒例集会といったものだ。私的な場合は、楽しみにしている週に一度の甘いデイトなどとなる。良い場合の慣習は祭礼とか風物詩で行われる催事(さいじ)で、愉快な気分に浸(ひた)れるから何の問題もないが、悪い場合は人の自由を束縛(そくばく)する場合もあり、考えものだ。例えば、大勢が余り変わるとも思えない不必要な選挙とかで、歳費の無駄遣(むだづか)いだっ! と思わず怒れる場合である。4年あるいは6年と法律で決められているのだから仕方がない・・と言えばそれまでだが、明らかに無駄で意味がない訳だ。
 とある町の公民館である。老人が敬老の日に出された冷めた弁当を広場のベンチで食べている。
「おじいちゃん! そんなところで食べてないでっ! お茶入れるから中で食べたらっ?!」
 ポツリと一人で寂しげに食べている老人を、見かねた老人係の保母が、ガラッ! とサッシ窓を開け、声をかけた。
「んっ? ああ、どうも…。いや、ココがいいんですよっ! ええ、ココが…」
 老人はふり向いて朴訥(ぼくとつ)に返した。他人目には、つまらない個人的な慣習だが、この老人にすれば愉快な気分に浸れるベンチでの食事なのである。
 このように、慣習も愉快な場合もあり、不愉快な場合もある訳だ。^^

         
                  完

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2019年5月18日 (土)

愉快なユーモア短編集-52- 台風

 台風にも気分・・というものがあるように思える。普通の一般的なコースを辿(たど)る台風もあれば、嘘(うそ)だろっ! と思えるような迷走台風もある。台湾近くまで進み、このまま中国大陸へ上陸か? と思わせておいて、急に進路を90°右へ旋回(せんかい)させる・・などという風変わりな台風だってある。中には、太平洋上をグルグルと回りながら人々をイライラさせておいて、急に本土直撃・・というフェイント形の台風もあるのだ。このように台風も気分で動いているのではないか? と思えなくもない。愉快な気分になると、台風も少し遠慮(えんりょ)ぎみに弱まって上陸したり、外(はず)れたりしてくれるようだ。ところが、怒らせるようなことにでもなれば、これは偉(えら)いことで、大酒を食らい、猛烈な勢いで本土を直撃して甚大な被害を各地に与え、ようやく溜飲(りゅういん)を下げて寝入る、いや、温帯低気圧になる・・などということになる。^^
 台風一過の青空が広がる中、二人の老人が家前を掃きながら話をしている。
「いやぁ~どうなるか? って心配していたんですがね。思ったほどでなく、助かりましたよ」‪
「確かにっ!」
「前日、人助けしたんですが、ソレとコレとは?」
「ははは…関係ないと思いますよ。ソレはソレ、コレはコレっ! …でも、ないか?」
「ははは…どうなんでしょう?」
「まさか! とは思いますがね。ははは…分りません」
 科学では到底(とうてい)、解明できない愉快な真実が台風にはあるのかも知れない。^^

 

                          完

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2019年5月17日 (金)

愉快なユーモア短編集-51- 好き嫌い

 最近の子供は好き嫌いが多いという。特に食べ物に関してはその傾向が強いようで、親御さんの悩みの種の一つにもなっているようだ。好きな食べ物だと愉快な気分となり、嫌いな食べ物だと不機嫌になるという。昭和30年代の半ばに育った世代から言わせれば、有り得ない事態なのである。なにせ当時は食べられれば腹が満たされ有り難かった。私も含め、栄養失調の子供で溢(あふ)れていた時代だったのである。好き嫌いがあれば、当然ながら物事を公平に見る、考えることが出来なくなる。偏(かたよ)る・・という訳だ。ある種の我侭(わがまま)、増長ともいえる人間心理で、人としていかがなものか? と、その傾向の高まりに疑問を投げかけたくなる事態なのである。
 とある商店街の一角にあるうどん屋の近くである。二人の女性が語らいながら歩いている。
「あたしは断然、しっぽく派っ!」
「いやだわっ! あたし、シイタケ嫌いなのよっ! だから、月見派っ!」
「あらっ! あたしは生卵、苦手なのよぉ~」
「そうなのっ? 美味しいのに…」
 うどん屋前で足を止め、二人は暖簾(のれん)を潜(くぐ)った。
「へい、いらっしゃい! 何にしましょ?」
「素(す)うどん!」「素うどん!」
 二人は異口同音に言った。
「あらぁ~!」「あらぁ~!」
 二人は意外な一致に、愉快な気分でニンマリと顔を子合わせた。二人とも好き嫌いのある具入りを避(さ)け愉快な気分になったのである。だからといって、物事を公平に観られる・・という訳ではない。
 好き嫌いをなくすことで、人は愉快な気分で光り輝けるのである。^^

        
                   完

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2019年5月16日 (木)

愉快なユーモア短編集-50- どっこい!

 生きていく上で、物事が総(すべ)て自分の思うように動けば、それに越したことはないが、世の中はそう甘くない。当然、逆撫(さかな)でするような事態が起きて思い通りにならなくする。が、しかしである。ここが総ての分岐点で、どっこい! と諦(あきら)めないでやり続けることが物事を成就(じょうじゅ)させるポイントとなる訳だ。もちろん、やり続けたから成就するというものでもなく、そこには緻密(ちみつ)な方法と奥深い思慮(しりょ)が必要となることは申すまでもない。分らないから申してくれっ! と言う方には何故かの理由を解説しないでもないが、疲れるから明日(あす)にして欲しい。^^
 秋の嵐が近づいていた。文語で言うところの野分(のわき)、早い話、台風である。困ったことに、秋の嵐を、なぜ台風と呼ぶのか? という言語研究をする一人の風変わりな学者が、とある大学の研究室にいた。迷惑顔をしながら、それでも助手だから仕方なく従う助手が訊(たず)ねた。
「教授! もう、やめましょうよぉ~。また研究費、減らされますよっ!」
「ははは…、どっこい! そんなことで私はやめませんよぉ~」
「そうはおっしゃいますがね、教授。背に腹は変えられませんよっ!」
「おっ! 君、今、上手(うま)いこと言いましたねっ! 背に腹は変えられん・・ですか…。これは面白いですね。確かに背と腹は変えられませんが? しかし…大事な五臓六腑(ごぞうろっぷ)とはいえ、背中もねぇ~。腰痛になれば困るでしょうがっ! 寝たきりですよっ、君っ!」
「私に言われても…。それより、この辺(あた)りでどっこい! やめません? 経理担当の私の身にもなって下さいよ、教授っ!」
「ははは…私は私。君の身にはなれませんよっ」
 愉快な気分で笑う教授に、助手は、このすっとこどっこい! には何を言ってもダメだ…と、とうとう諦めた。
 どっこい! には、向かい風を撥(は)ねつける力があるようだ。^^

       
                   完

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2019年5月15日 (水)

愉快なユーモア短編集-49- 想定(そうてい)

 先々に生じることを事前に考えようとするのが想定(そうてい)と呼ばれる頭脳行為である。それでも現実の世界は様々(さまざま)な変化を見せるから、必ずしも想定どおりになるとは限らない。なった場合が想定内、ならない場合は想定外・・と呼ばれる。人々は先々に起こり得る事象をより早く、より高精度で知ろうとしている。その行為を機器に委(ゆだ)ねた場合がシミュレーションと呼ばれる行為だ。気象の先読み、株価の動向予測などという高度なものから、精度と確率が最も低い?^^ と思われる人の占いに至るまで、想定にはさまざまな形態がある。
 とある町の一角にある名店街で人の行列が出来ている。
これは美味(うま)いっ! と好評のカツ丼専門店[ずぼら]だ。その店へサラリーマン風の二人の男がやって来た。
「混んでますねぇ、今日も…。どうします?」
 後輩風の男が先輩風の男に訊(たず)ねた。
「ははは…私の想定どおりだよ、君。このまま並ぼう」
「そうですかぁ~? 弱ったなぁ。僕、昼から取引先との重要な会合があるんですよっ!」
「ああ、そう。なら、付き合わなくともいいよ…」
「そうですかぁ~。じゃあ、別の店へ行きますんでっ!」
 そういうと後輩風の男は駆け出して消え去った。
「フフフ…」
 先輩風の男はニヤリ! と、愉快なゆとりの笑みを浮かぺた。その五分後、どういう訳か人の魚列は消え去り、先輩風の男一人が残っていた。
「あの、すみません! 私ですっ!」
「ああ! オーナーでしたかっ! さあ、中へっ! いつものように、とってありますっ!」
 先輩風の男はこの店のオーナーだった。だから当然、この男の想定は完璧(かんぺき)で、愉快なゆとり気分で笑えたのである。その後、先輩風の男は美味(うま)いカツ丼を堪能(たんのう)した。残念なことに、駆け出して消えた後輩風の男は、向った店が想定外の閉店で、昼抜きの菓子パン齧(かじ)りとなってしまったのである。
 想定は完璧な確実性を求められる訳だ。^^

                            完

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2019年5月14日 (火)

愉快なユーモア短編集-48- 片手間(かたてま)

 物事をする場合、専(もっぱ)らそれだけをする場合と、そうでない場合がある。することはあるのだが、他のことも出来なくはない…と考えてやる場合を片手間(かたてま)にやる・・と表現する。
 帆立(ほたて)は今日もせっせと海の昆布(こんぶ)集めに余念がなかった。荒波に揉(も)まれ、深海で切れた昆布が砂浜へ流れ着くのである。それも、この時期、半端な量ではなかった。ところが、どうしたことか、この日に限ってほとんど浜に見当たらない。帆立は仕方なく僅(わず)かに集めた分だけを持ち帰った。いつもなら、大量の昆布を天日乾しするのだが、この日はそれほどの量でもなかったから、片手間に網(あみ)でも直すか…と帆立は、昆布を乾しながら、ところどころ敗れた網を直し始めた。最初は時間も余裕であったから愉快な波分で、鼻唄も飛び出すいい調子だった。ところがである。俄かに空に暗雲が立ち込め、雨寄ってきたのである。そこへ風も吹き始めた。こうなっては片手間どころの話ではない。帆立は急いで天日乾しした昆布を小屋へと取り入れ始めた。当然、帆立の愉快な気分は消え去り、暗雲が漂い始めたのである。
「同じだな…」
 雨寄ってきた空を見上げながら帆立はポツリと呟(つぶ)いた。
 結局、その後、雨は降らなかった。ふたたび晴れてきたのである。片手間にやれば、物事がややこしくなるようである。^^

                             完

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2019年5月13日 (月)

愉快なユーモア短編集-47- 疲労

 疲労には肉体的なものと精神的なものの二通(ふたとお)りがある。むろん、どちらも疲労には違いないから、体調不良の原因となる。肉体的な疲労の場合は、マッサージや休息、栄養補給をすれば事足(ことた)りるが、目に見えない精神的な疲労の場合は、そう簡単には回復しない。
 とある病院に設置された外来患者の待合所である。隣り合わせた二人の男が話をしている。
「どこかお悪いんですかっ?」
「私ですかっ? 私は内科です。ちょっと過労気味で栄養点滴を…。そう言うあなたはっ?」
「えっ? 私ですか? 私はこれだけのものですよ、ええ、ええ!」
「はあ?」
「いや、ちょっとした精神疲れで、気分が優(すぐ)れませんもので…」
「ノイローぜとか?」
「いや! そんな深刻なものではないんです」
「すると、トラウマ的な?」
「ええ、まあ…。ちょっとした問題ごとがありましてね。それで寝つけず、精神安定剤でもいただこうかと」
「すると神経科ですか?」
「ええ、まあ…」
「睡眠薬とかでは?」
「ははは…それはお医者のお決めになることですから」
「確かに…。お互い疲れ仲間ですなぁ~、ははは…」
「ははは…」
 疲れ仲間になれば、お互い愉快な気分で笑えるようである。^^

        
                   完

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2019年5月12日 (日)

愉快なユーモア短編集-46- やらねばっ!

 生活している中で、やらねばっ! と前もって意気込んでコトに望めば、割合とスンナリいくものである。意気込まなかった場合と比較すれば、違いは歴然となる。ガムシャラに寄り切る・・という大相撲の力士がいるが、何が何でも押し込んでやるんだっ! という気分が相手を土俵外へ突き出している・・といった具合だ。ただ、やらねばっ! に欲が絡(から)むと、今一歩(いまいっぽ)のところで突き落とされたり肩透(かたす)かされたりして、ぅぅぅ…と涙を呑(の)むことになる。
 大相撲中継が賑(にぎ)やかに番付を映し出している。解説者とアナウンサーの会話である。
「そのあたり、どうなんでしょうねぇ~餅山さん」
「はいっ! 一つ言えるのは、やらねばっ! ということなんじゃないでしょうか。見ていますと、なんか覇気(はき)がないというんですか? 怪我は自分が怪(あや)しいんですよっ!」
「はぁ?」
「いや、ははは…それは冗談ですが…。私も今日はカミさんに言われてるんですよっ!」
「はぁ?」
「いや、いつも国技館で買い忘れるもんで…」
「何をです?」
「ははは…グッズですよ、グッズ! ストラップっていうんですかっ?」
「若いですねっ、親方!」
「ははは…まだまだ、老いぼれてる訳にはいきません。精力は取られっぱなしですが、やらねばっ! ですよ、ははは…」
 親方は愉快な気分で笑った。やらねばっ! は、精力を消耗(しょうもう)するのである。^^ 

          
                   完

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2019年5月11日 (土)

愉快なユーモア短編集-45- 目に留(と)まる

 日々、暮らしていると、何気(なにげ)ないことが目に留(と)まることがある。目に留まらなくてもいいのに目に留まるのだから困ったものだ。留まらなかったことにしよう…と心に命じても、気になってしょうがなくなるのだから都合が悪い。こういうときこそ深呼吸の一つでもして心の冷静さを取り戻(もど)すことが肝要なのだが、なかなかそう上手(うま)くはいかない。というのも、冷静になろう! とする心が、すでに冷静でなくなっているのだから、冷静になれない訳だ。^^ 当然、愉快な気分などは疾(と)うに消え失(う)せている。
 とある場所で、若いイケていない男が一面識もない若いブス女と擦(す)れ違った。当然、擦れ違いざま、イケていない男の目にブス女が目に留まるということになる。始末が悪いことに、イケていない男はブス女に一目惚(ひとめぼ)れしてしまった。当然、イケていない男は踵(きびす)を返し、Uターンすると女のあとを追った。そんなこととは露(つゆ)ほども知らないブス女は、絆(ほだ)されたイケメンとの待合場所へと急いだ。
 ブス女が待合場所へ着いたとき、すでにそのイケメンは来ていた。始末が悪いことにその5分前、イケメンは通りかかった美女が目に留まり、声をかけた。イケメンは美女に一目惚れしてモーションをかけながら話し続けた。そこへブス女がやって来た・・という訳だ。ブス女がイケメンに声をかけようとしたとき、イケメンは美女の肩へ手を回しながら愉快な気分で遠ざかっていった。ブス女はションボリと不愉快な気分で気落ちした。するとそこへ、後(あと)をつけるイケていない男がやって来た。
「あの…よろしかったら、僕と…」
「? …はいっ!」
 二人は愉快な気分で歩き去った。
 目に留まれば、事態がややこしくなるが、まあこういう結論がベストに違いない。^^

        
                   完

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2019年5月10日 (金)

愉快なユーモア短編集-44- 資格

 世の中を愉快な気分で生きていく上で、資格は大きなウェートを占める目に見えない個人の重要な装備だ。何も持っていないと軽くあしらわれる場合でも、資格一つ、それも、誰もが一目(いちもく)置く[リスペクト{尊敬}する]資格なら尚更(なおさら)である。
 とある大手企業である。朝から多くの採用希望者が一人づつ呼ばれ、面接員が横一列の長椅子に並ぶ中、面接を受けている。
「37番、戸板です…」
 戸板はペコリ! と一礼したあと、面接員の前にポツリと置かれた折り畳(たた)み椅子に座り、紋切り型で口を開いた。今日で数社目の面接なのだが、戸板はいつも国営放送の喉(のど)自慢じゃあるまいし…と、常々思えていた。そして、今日もそう思ったのだが、合格通知が欲しいばかりにそう言った。
「戸板さんですか。…履歴に書かれている以外に、何か資格はお持ちでしょうか?」
「はいっ! 最近なんですが、面接コンサルタントという資格を一つ取りました」
「面接コンサルタント? 聞き慣(な)れない資格ですね。それは、どういった?」
「どういった、こういったも。今日の面接、そのものの資格です」
「? よく分りませんねぇ~。具体的には?」
「ははは…ですから、あなた方が今、やっておられるようなことですよ」
 戸板は愉快な気分で答えた。
「と、言われますと?」
「ですからっ! 面接員養成の資格です」
「私達のような面接員になるための資格ですか?」
「そうです! たとえばですね。…あなた方は、どのようにして面接員になられたんですか? 面接員の資格はお持ちなんですか?」
「いいえ、持っていません。会社の命令で…」
「そうですか…。もう、結構です。お引取り下さい」
 面接員達は立ち上がって戸板に一礼すると、ソソクサと面接会場から去った。
 資格が物を言うのである。^^

   
                        完

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2019年5月 9日 (木)

愉快なユーモア短編集-43- 自分

 妙なもので、世の中の有りようを自分中心に考えれば、違う点が腹立たしくなってきて愉快な気分が阻害(そがい)されることになる。逆に、行雲流水(こううんりゅうすい)のように世の流れに従って生きれば、割合と愉快な気分になれる。とはいえ、世の中の間違いは間違いであり、間違ってるぞ…と思えば、誰しも自分の信念は曲げたくないものだ。ところが世の中はそう甘くなく、従わせようとする。そうしないと働いて生活できないから困るのだ。腹立たしい得意先に頭の一つも下げねばならないのが、その一例である。
 とある社員食堂である。一人の平社員が食券を手にイライラしながら厨房(ちゅうぼう)前で待っていた。
「おばさん! まだ出来ないのっ!!」
「どうしたのよ? 今日はやけに急いでるじゃない!?  あんたにしては珍しいわねっ!」
「そんなこともないんだけどさぁ~」
「嘘(うそ)おっしゃいっ! 『出来るだけ遅(おそ)い方が長く休めるっ!』って昨日(きのう)、言ってたじゃないっ!」
「ああ、そうだった? まあとにかく、今日は急いでよっ!」
「はいはいっ! 10分前なら出来たのが並んでたんだけどねっ」
 厨房内の賄(まかな)い婦(ふ)のおばさんは、すでに食べている社員達を指差しながらそう言った。
「はいっ! 出来たわよ…」
 5分ばかりが経ち、おばさんがハンバーグ定食をトレイに乗せたときだった。平社員の所属する課長が早足で現れた。
「おおっ! タイミングがいいぞっ! はいっ、ハンバーグ定食の食券!」
 平社員は、思わず『それは僕のっ!』と言おうとしたが心にとどめ、グッ! と我慢した。自分の意思を殺したのである。実は平社員には恋愛しているOLと会える僅(わず)かな時間の約束があったのである。
「なんだ? 君はまだ出来ないのか?」
「ええ、まあ…」
 世の中は自分の都合で生きられず、攣(つ)れなく切ないのだ。^^

        
                   完

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2019年5月 8日 (水)

愉快なユーモア短編集-42- らしからぬ

 人は時折り変化を見せる。動物には少なからず本能があるが、人は霊長類という最も知能に恵まれた存在ゆえに、理性で大まかなことを抑え、制御できる能力を持つ。が、しかしである。平穏な心理状態の場合はいいのだが、心に動揺、心配事などが生じると、一転して、らしからぬ言動、行為に及ぶことがあるのだ。それでも、その言動、行為などが社会で許される範囲ならまだいい。問題は、らしからぬでは済まされない犯罪となるケースだ。
 ここは、とある交番の中である。一人の男が巡査と口論している。
「そんな身なりで歩いてりゃ、誰だって不審尋問しますよっ!」
「ではなんですかっ! この格好で歩いちゃいけない! って言われるんですかっ!!」
「なにも、そんなことは言ってないでしょうがっ! 妙な格好されてるから、妙だなぁ…と思ったから、ここまでご同行を願ったんじゃありませんかっ!」
 最初は冷静に対応していた巡査だったが、次第に興奮してきたのか、巡査らしからぬ対応になりつつあった。
「これの、どこが妙なんですっ! 素っ裸ならまだしも、ステテコ姿で手拭(てぬぐ)いでほっ被(かぶ)りして、下駄で歩いてちゃ悪いんですかっ!!」
「なにも、そんなこと言ってないじゃないですかっ!」
「いいえ、言ってますっ!」
 巡査は、こりゃダメだなっ! …と思ったのか、らしからぬ行動に出た。椅子から立ち上がると、床の上へ正座し、深々と男に土下座したのである。
「わ、私が悪うございましたっ! …どうも、すいませんっ! お引取り願って結構ですっ!}
「…も、もういいですよっ! わ、分かりゃいいんですっ!」
 男は、そそくさと交番をあとにした。巡査らしからぬ逆手(さかて)に取った行動が功を奏(そう)したのである。巡査はニンマリとした。実のところ、早く男にお引取り願い、昼食にしたかったのだ。空腹を我慢していた巡査は愛妻(あいさい)弁当を食べながら、らしからぬ微笑(えみ)を浮かべた。
  このように、らしからぬ・・は、その後の結果に愉快な変化や不愉快な変化を齎(もたら)すのである。^^

                               完

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2019年5月 7日 (火)

愉快なユーモア短編集-41- 予定表

 大まかな予定表はカレンダーに印(しるし)をつけるとかで済むが、細かい情報を含む場合、さすがにそうはいかず、手帳とかメモ書きなどか必要となってくる。さらに情報が多くなれば、文書化をしてファイルへ保持する方法が必要になる。ここ30年ばかりの間に随分と電子機器の情報技術が進歩し、予定も緻密(ちみつ)に処理できる時代になってきている。しかし、先々まで予定表で決定されるようになると、生活空間が実に陳腐(ちんぷ)で味気(あじけ)ないものになってしまうのだ。なにせ、ああして…こうして…で、そのあとはこうか…といった具合に決まっているからだ。人の愉快な生活空間は可能性に秘められ、何が起こるか分らず、何でも起こせる可能性に富んでいるところにある。先々まで予定表で決まれば、味も素っ気もないのだ。もちろん。逆の悪い出来事の可能性もある訳だが、それも人の世の妙といえば妙だろう。
 とある幼稚園の運動会が近づいていた。園児達は先生の指導に意味不明ながらも従い、一生懸命、練習に余念がなかった。そうこうして日は過ぎ、いよいよ運動会当日となった。予定表どうりプログラムが進行していたが、そこへ、なんと、この幼稚園出身の国務大臣が俄かに観覧することになったから、幼稚園はやんやの大騒ぎである。
「どうしましょう?」
「どうしましょう? って言われましてもねぇ~…。こうしましょうとは…」
 運動会はそのまま予定表のプログラムのまま進行させることになった。
 数時間後、園児達に混ざり遊戯(ゆうぎ)を披露する実に愉快そうな大臣の姿が運動場にあった。
 予定表どおり事(こと)が進まないから、世の中は愉快なのかも知れない。^^

          
                   完

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2019年5月 6日 (月)

愉快なユーモア短編集-40- 懐(ふところ)具合

 誰だって懐(ふところ)具合がよければ愉快な気分を満喫(まんきつ)できる・・としたものだ。外出している場合などは特にそうだ。それも遠方へ旅する場合は尚更(なおさら)である。多額の金を持っているという安心感が心の奥底にあるからだろう。
 仲のよい二人が行楽の旅へヒョイ! と出た。目的地を定めない出たとこ勝負の旅である。
「いいもんですなぁ~こういう旅も…」
「はい、なにせ時間に追われませんからなぁ~」
「そうそう! 思いつきの気侭(きまま)旅ですから…」
 各駅停車の地方列車の窓からは、都会では見られない田畑の景色が流れる。懐具合のよさが余計に旅気分を高揚(こうよう)させるのか、二人は満足げに笑う。
「次の駅で降りてみますかな?」
「はい、そうしましょう…」
 二人が降り立ったとある駅は無人駅で、人っ子一人いなかった。
「妙な駅ですなぁ~? 誰もいませんぞ…」
「地方の無人駅ですからな…。少し歩けば、誰ぞに会うでしょう」
「そうですな…」
 二人は駅を出ると、のんびりと歩き始めた。ところが、行けども行けども、いっこう人に会わない。
「? 妙ですなぁ…」
「はい、誰もいませんなぁ。おっ! あちらに人家(じんか)らしい建物が…」
 二人は細道を抜け、遠くに見えた人家らしい建物の方へと近づいていった。ところが、である。人家らしく見えた家は廃屋(はいおく)で、やはり人の気配はまったくなかった。
「弱りましたな。そろそろ昼時(ひるどき)ですが…」
「はい、少し腹が減ってきました…」
「ですなっ!」
 二人の愉快な気分は、いつの間にか消え失(う)せていた。
「ともかく、駅へ戻(もど)りましょう!」
「はいっ!」
 二人は駅へ取って返した。しばらくして、二人はようやく元(もと)の駅へ辿(たど)り着いた。だが、しかしである。駅には時刻表がなかった。それもそのはずで、この地方路線は一日、上下一本の単線だったのである。二人はそのことにまったく気づかず、駅へ降り立ったのだった。うっかりミスも甚(はなは)だしかった。二人はとうとう夕方までジィ~~っと空(す)きっ腹(ばら)を抱(かか)えたまま、鄙(ひな)びた駅の中で下りの列車を待つ破目になってしまった。
 懐具合がよくても、必(かなら)ずいい結果が得られるとは限らない・・という一例である。^^

                           完

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2019年5月 5日 (日)

愉快なユーモア短編集-39- 通り雨

 時代劇の設定に、[通り雨]というのがある。街路を足早(あしばや)に通りかかった誰ぞが、俄(にわ)かに降り出した雨に、思わず近くの軒(のき)へと駆け込む・・という設定だ。『チェッ! 振り出しやがったかっ! …』『おお、降り出しおったか…』とかなんとかの台詞(せりふ)が入るベタなやつである。よくしたもので、その軒には少し前に駆け込んだ美形の女が雨宿(あまやど)りをしている・・ということになっている。そんな都合のいい話は現実には、ほとんどない。しかし劇中の二人はそれが縁でいい仲となり、あんなことや、こんなことをしたりして、まあそういうややこしいことになる・・としたもので、へへへ…大方(おおかた)はそうだろう…と、下世話(げせわ)な連中を愉快な気分にさせる訳である。
 二人の老人が場末(ばすえ)の古めかしい映画館で時代劇映画を観ている。
「…そろそろ降り出しますなっ!」
「ははは…でしょうなっ!」
 二人はヒソヒソと愉快な気分で映画の先読みをして語り合う。周囲の観客は逆で、映画に集中出来ず、不愉快、極(きわ)まりない。だが、老人の語らいのせいか、静かにっ! とも言えず、じれったい気分で映画を観続ける。
 映画が終わったとき、二人は普通の声で、また語り合い出した。
「ははは…何度、観ても、あの場面で通り雨が降りますなっ!」
「ですなっ! ははは…」
 二人の老人は愉快な気分で座席を立ち、出口へと向かった。周囲の観客は、観たなら、何度も観るなよっ! とも言えず、不愉快な気分で座席を立ち、出口へと向かった。
 通り雨は、気分を愉快、不愉快と二分(にぶん)させる雨なのである。^^

         
                   完

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2019年5月 4日 (土)

愉快なユーモア短編集-38- お菓子(かし)

 お菓子(かし)は子供達を愉快な気分にさせる格好の食品だが、なにもそれは子供に限ったことではなく、大の大人にも有り難い食料なのである。登山ではチョコレートが貴重な非常食となったりするし、茶道などでは必要材料となる場合だってある訳だ。だいいち、小腹がすいた主婦達にとって、テレビを見ながら食べるお菓子がないと、機嫌が悪くなったりしてしまう代物(しろもの)なのだ。戦後の時代、まだ駄菓子が入手不足(にゅうしゅぶそく)だった頃は代用のお菓子を食べたものだ。私の記憶では、母が竹の皮に三角形にして包んでくれた紫蘇に漬けた梅干と紫蘇の汁を三角形の穴から吸っていた記憶がある。そんなに美味(びみ)ではなかったと思うが、記憶に残っている一品(ひとしな)である。野草もお菓子の代用になった。イタドリは少し酸(す)っぱ味(み)があったが、皮を剥(む)いてポリポリと味わった記憶が今も残っている。何の草かは知らないが、線路の際(きわ)に生えていた綿のような部分を食べた記憶もある。今の時代のように食べ尽くせないほどのお菓子がある時代とは、まったく違ったが、それでも、今ではない長閑(のどか)な気分で愉快に味わえたお菓子の代用品だった。愉快な気分は、お菓子がある、ない・・という尺度では感じ取れないということだろう。…とはいうものの、種々、豊富にあるに越したことはないようだが…。^^
 時は今、…戦国武将、明智日向守さんの連歌ではない。^^ 二人の子供が縁日(えんにち)の綿菓子(わたがし)を美味(うま)そうに舐(な)めながら神社の境内を歩いている。それを遠目(とおめ)に眺(なが)める通りすがりの男が一人、ふと呟(つぶや)いた。
「あの綿のような草、名前、なんだったんだろうな? …」
 名前は、もっか調査中だそうだ。^^

           
                  完

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2019年5月 3日 (金)

愉快なユーモア短編集-37- おざなり

 物事を長い期間、繰り返してやっていると、ついつい、おざなりになってしまうものだ。おざなり・・とは難(むずか)しい言い回しだが、分かりやすく言えば、いい加減で、その場限りの間に合わせである。物事を繰り返しているうちに、それが馴(な)れを生じ、いつの間にか初めのやり様(よう)や風味、出来栄えが消えて損なわれる。それが、おざなりを生み出す訳だ。当然、いつもやっている人は、気づかない。ある種の慢心(まんしん)が生み出す失敗の原因なのかも知れない。━ 初心 忘れるべからず ━ の格言が指(さ)し示す通りである。
 生(い)け花の未生流宗家から名取りを許され有頂天になった、とある老人のお話である。
 なにせ、十数年も通った挙句(あげく)、ようやく頂戴(ちょうだい)できた名取りだけに、老人の心は充足感に満ち溢(あふ)れ、何をやっても愉快な日々が続いていた。そして月日は流れ、老人は近所で確固とした生け花名人としての地位を築いていた。そんなある日のことである。
「ひとつ、先生…次の老人会で生けてもらえませんでしょうかなっ?!」
「ああ、いいですよっ! …その日は確か・・空(あ)いてましたなっ!」
 老人は自慢げに手帳に記(しる)されたスケジュールを確認しながら言った。すでに有名な先生気取りである。老人は生ける花はその日、準備すればいいだろう…くらいのおざなりで、軽く考えた。ここに慢心が生まれたのである。
 老人会の当日、少しばかり早く会場となる公民館へ出向いた・・まではよかったのだ。ところが、届けるよう電話をしていた花が来ていない。老人は慌(あわ)てて花屋へ電話をかけた。
『ええ~~っ!! 今日でしたかっ?! おかしいなぁ~、先生、確か◎日と言われましたよっ?』
「◎日じゃないっ! ○日、今日ですよっ!」
『弱ったなぁ~、生憎(あいにく)、まだ入荷(にゅうか)してないですよっ! それに。残った花も、ほとんど出ちまって…どうしましょう?』
「どうしましょうも、こうしましょうもないよっ! とにかく、残ったのを、早くっ! もう、時間がないんだっ、時間がっ!!」
 花屋は残っている萎(しお)れかかった花を会場へ急いで届けた。老人は、その花で、かろうじて生け終えた。
「ほう!! …先生、作風が変わりましたかっ?」
「えっ? ははは…まあ、そのような…」
 なんとも貧相な花が会場を飾っていた。照明のスポットライトが返って生けられた花を惨(みじ)めにしていた。笑って暈(ぼか)した老人だったが、いつもの愉快な微笑(えみ)は完全に失せていた。老人はおなざりで確認を忘れた注文にを心で悔いていた。
 おざなりは失敗を誘い、愉快な気分を損なうから侮(あなど)れない・・というお話である。^^

       
                   完

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2019年5月 2日 (木)

愉快なユーモア短編集-36- 昔の子供遊び 10> 落とし

 他にも玩具(おもちゃ)屋で買って遊ぶ駒(こま)回しやメンコ[丸や四角形の絵が描かれた小さな紙]、模型作りの紙ヒコーキなど、いろいろとあるが、切りがないので最後に道具を必要としない10>落としを紹介(しょうかい)して終わりとしたい。例によって、知っているから紹介する必要はないっ! あるいは、まったく興味がないっ! とお思いの方は、気持がいい秋風が戦(そよ)ぐ郊外でも散歩していただいていればいい。^^
 落としは昭和35年頃、お菓子のチューインガムの外包みの紙を利用して遊んだ。たくさん集めて札束のように輪ゴムで括(くく)っては箱に保管し、密(ひそ)かに北叟笑(ほくそえ)んだものだ。この遊びは実に簡単で、10cm~1mくらいの高低差がある場所を選び、上から少し出したガムの紙を人差し指で落とし[ちょうど、崖(がけ)の上から谷へ落とすような感じで]、下に落ちたガムの紙の上へ上手(うま)く乗せられれば下のガムの紙を自分のものに出来るというものだ。取られた紙は返してもらえないから、子供ながらも真剣勝負となる。^^ 私の記憶では、初期はメンコでやっていたが、メンコは買う必要があって高くつくから、後期はガムの包み紙になった・・という記憶がある。
 二人の子供が落としで遊んでいる。
「フフフ…これで今日は、4万の稼(かせ)ぎだっ!」
 と息巻いてはいるが、その実、子供が手にしているのはガムの包み紙が40枚だ。
「チェッ!! 今日は大損だっ!」
「破産かっ?」
「なかなかどうして…。明日、またやろう!」
 夕暮れが迫り、二人の子供は遊びをやめ、家へと帰っていった。
 今の時代のようにバーチャル[仮想]ではなく、安くて実感で楽しめた昔の子供の遊びの数々である。^^

  
                        完

 

※ 大人の遊びのパチンコも、昔は釘(くぎ)の開きを見て台を選んで打つ、愉快な一発打ちや自動台があり、バ-チャルではなく実感で楽しめたものだ。^^

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2019年5月 1日 (水)

愉快なユーモア短編集-35- 昔の子供遊び 9> 缶馬(かんうま)

 どんどん話を進めることにしよう。9>として缶馬(かんうま)という遊びもあった。缶馬とは呼ばなかったように記憶するが、ここでは便宜上(べんぎじょう)、缶馬と呼ぶことにしたい。この遊びもシンプルこの上(うえ)なく、使うものとしては、空き缶が2個と丈夫で適当な長さの紐(ひも)が2本もあれば事(こと)足りるのである。竹馬(たけうま)と同じような遊び方で、一人でも数人でも遊べる簡単な昔の遊びの一つである。まず、遊び道具を作る。空き缶の底に近い横に釘(くぎ)などで穴を開け、缶の中心とその穴を結ぶ延長線の点[直径の点]にも同じ穴を開ける。そこへ紐を通して左右に出た紐の先を結べば、はいっ! 完成っ! となる。これを2個、作れば、いよいよ遊びだ。缶の上へ両足の先を入れて歩けばいいだけだが、音が響きやすい硬(かた)い地面[石畳(いしだたみ)や舗装路]の上を歩くのが適当で、ポコッ、ポコッ!! と鳴るなんともいい音を楽しむ。音が馬の蹄(ひづめ)の音に似て、実に心地(ここち)よい愉快な遊びなのである。
 数人の子供が缶馬で遊んでいる。家の前の路地(ろじ)だから、周囲の家の中へは丸聞こえだ。
「ったくっ!! 遊んでないで、宿題やってしまいなさいよっ!!!」
 ガラッ! と一軒の家の窓ガラスが開き、母親のきついひと声が開口一番(かいこういちばん)、辺(あた)りに谺(こだま)した。子供達は蜘蛛(くも)の子を散らすように消え去った。
 音が聞こえないところで遊ぶのがいい、長閑(のどか)で愉快な昔の子供遊びである。^^

          
                   完

 

 

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