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2019年12月

2019年12月31日 (火)

それでもユーモア短編集 (79)のんびり

 誰しも、のんびりしたい…と思うだろう。しかし、世の中はそう甘くなく、そうすることを許さない。やれやれ、やっと片づいたか…と茶でも啜(すす)ろうと思っていると、また片づけなくてはならない雑事が舞い込んでくるものだ。それでも、人はめげずに頑張っている訳だ。頑張らないと人ではいられなくなる・・ということもある。これは決して豚になるとか鶏(にわとり)、牛になるといった類(たぐ)いの話ではない。^^ 飽くまで、人として生活できなくなる・・という意味だ。
 とある温泉である。一人の老人が、いい風情(ふぜい)の景色を眺(なが)めながら、のんびりと露天風呂を楽しんでいる。少し離れた別の一角の露天風呂にも一匹の猿がのんびりと湯に浸かり、いい風情を楽しんでいる。老人は、ようやく人心地ついたのか湯から上がろうとした。そのとき偶然、猿も猿心地がついたのか、湯から上がろうとした。両者は、バッタリと鉢合わせした。
「ああ、お宅もお入りでしたか?」
 老人は思わず猿に語りかけた。
「キキキィ~~~![いいお湯でしたなっ!]」
 猿ものんびりしたのか、赤ら顔を一層、赤くして返した。両者に会話が成立したのである。
 のんびりすることで緊張の糸が解(ほぐ)れ、両者間に会話ムードが生まれることになる。^^

        
                  完

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2019年12月30日 (月)

それでもユーモア短編集 (78)落ちこぼれ

 世間には大勢の人がいるから、自(おの)ずと脱落する人が出る。こういう人は一般に落ちこぼれ・・と言われる。本人は別に好き好んで落ちこぼれたくはないのだろうが、それでも落ちこぼれるのだ。早い話、世間はそれだけ甘くなく、世知辛(せちがら)い・・ということだろう。^^
 ここは、とあるサッカー場である。早朝から大会に向けた模擬試合が中心選手を二手(ふたて)に分けて行われている。その練習を見守るのは、自分自身は決して落ちこぼれじゃないっ! と固く信じる落ちこぼれなのか落ちこぼれでないのか・・が分からないややこしい控(ひか)えの選手達だ。自分自身を落ちこぼれじゃないっ! と信じさせるのは、落ちこぼれなら召集される訳がないだろっ! …と自負させる心である。
「全然、お呼びがかからんな、俺達…」
「まあ、そう言うなっ! どんな有名選手だって、そんな時代があるさっ!」
 そのとき、コーチの呼ぶ声がした。
「おいっ! 逆勝(さかがち)、出番だっ!」
「えっ!? 俺ですかっ!?」
 逆勝は自分が呼ばれたことを信じられず、訊(き)き返した。
「ああ、お前だっ! 具合でも悪いのかっ!?」
「いえ、決して…」
 逆勝は、なぜ俺なんだ…と思いながら準備を始めた。
「なっ! お呼びが、かかったろ!?」
「ああ、まあな…」
 逆勝は訳が分からず、飛び出して監督に訊(たず)ねた。
「監督! なぜ、俺なんですっ!?」
「んっ? いや、別に他意はない。あちらが一点、負けてるからな。お前が入れば変わるかも知れん…と思っただけだっ!」
「それだけですか?」
「ああ。落ちこぼれじゃないところを見せてやれっ!」
「はい、分かりましたっ!」
 監督に軽く肩をポン! と叩(たた)かれた逆勝は、グラウンドへ勢いよく駆け出した。
 監督は、もしかすると落ちこぼれのあいつでも逆転勝ちするかも知れん…と、単純に思っただけなのである。理由はお分かりだろう。それでも逆勝だけに・・と、話はこういう落ちこぼれではなく、落ちになる。^^

         
                  完

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2019年12月29日 (日)

それでもユーモア短編集 (77)努力(どりょく)

 出来ないことを、それでも! と努力(どりょく)することで、出来る場合がある。むろん、いくら努力しても出来ないことは出来ないのだが…。^^ 日々の努力が実を結ぶ・・などと言われるとおり、0≦努力の数式が成立する以上、ダメと分かっていたとしても、それでも努力しない手はないだろう。^^
「先生!! それで助かる見込みはっ!?」
「はあ…今のところ10%程度としか…」
 医者は患者の家族に迫(せま)られ、小声で返した。
「ええっ! そんなにっ! だったら、やってくださいっ!」
「10%程度ですよ?」
「ええ! 10%も助かる見込みがありゃ、御(おん)の字(じ)ですっ!」
 その言葉を聞いた医者は、この家族、大丈夫か? …と、思った。だが、そうとも言えず、思うに留(とど)めた。
「分かりました・最大限の努力はさせていただきます…」
「はあ! 努力してくださいっ! 努力、努力! 一に努力、二に努力! 三、四なくて五に努力!  ・・でお願いしますっ!!」
「… 分かりましたっ!」
 医者は、こんなときにダジャレかいっ! と怒れが、それでもグッ! と我慢して、ふたたび思うに留めた。
 そうこうして、医者が努力する生存率10%を賭(か)けた手術が粛々(しゅくしゅく)と執(と)り行われたのである。
 手術は医者の努力が功を奏したのか、奇跡的に成功した。
「ははは…それでもやってみるもんだな」
 手術を終え、スタッフの女性看護師に呟(つぶや)いた医者のひと言である。
 それでも! と、果敢(かかん)に努力した方がいい結果が出るようだ。^^

        
                  完

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2019年12月28日 (土)

それでもユーモア短編集 (76)もう、ひと息!

 最終目的に近づいてはいるが、その目的には到達していない状況・・こんな場合を人は、もう、ひと息! と言う。最も辛(つら)いところだが、それでも人は最終目的を目指して、なにくそっ! と頑張る訳だ。この根性(こんじょう)が人の心理面のいい肥やしとなり、人はひと皮、剥(む)けることになる。まあ、中には全然、剥けないお方もおられるのだろうが…。^^
 ここは、とある飲み屋である。二人の男が飲みながら小皿の肴(さかな)に箸をつけている。
「もう、ひと息! じゃないかっ! がんばれっ!」
「お前は他人ごとだからそう言うがなっ! 俺の正義感からすりゃ、絶対に許せんのだっ!」
「検面調書か…。あんなもの、なけりゃいいのになっ!」
「いや、そういう訳じゃないんだが…」
「実況見分、供述とか調書が多いよなっ! 公文書はっ! ありゃ長所じゃない、短所だっ! 俺は事務方だから検面は関係ないが、支出負担行為支出調書っていう長~~い名のがあるぜっ!」
「調書は短所か。ははは…上手(うま)いっ!」
「お二方(ふたかた)、調書づいてますなっ! 調書づいたいいところで、今日はサービスの一品をっ!」
 二人の間に割って入った店主は、二人が座るカウンターへ追加の小皿を置いた。
「調書づいた・・調子づいた。ははは…親父さんも上手いっ! ごちになりますっ!」
「いいんですよっ! 私ゃ正義の味方ですからなっ! 罪を括(くく)って人ほどくぅ~ と願いたいもんでねっ!」
「よっしゃ! もう、ひと息! やってみるかっ!」
「そう、こなくっちゃ!」
 そのあと、三人の笑う大声が店内に谺(こだま)した。
 まあ、もう、ひと息! と、それでも頑張る価値はあるようだ。^^

          
                  完

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2019年12月27日 (金)

それでもユーモア短編集 (75)補修(ほしゅう)

 物は使っているうちに少しずつ劣化(れっか)して痛んでいく。それを元に戻(もど)すため、補修(ほしゅう)を施(ほどこ)すことになる。人の場合もまた然(しか)りで、老化をしたり病気になるから補修、この場合は治療(ちりょう)することになる。例えば、セラミックなどの人工関節を入れる外科治療があるが、これなどは補修めいた治療だ。それでも身体や物は劣化していく。そしてやがて補修が追いつかなくなったとき、物や人は寿命を終える・・と、まあ話はこうなる。^^
 小春日和(こはるびより)の昼さがり、二人の老人が長閑(のどか)なひと時(とき)を縁側(えんがわ)で楽しんでいる。
「ホッホッホッ…私など、今年で105ですぞ。至るところ補修だらけで…」
「上には上がいるもんですなぁ~! 103になる私の上などおらぬ・・と思っておりましたが…」
「ホッホッホッ…さよでしたか。お互い補修だらけですな」
「ファファファ…さようで。それでもお迎えが来ないところをみると、まだそれだけお役に立つ値打ちがあるんですかな?」
「まあ、そうでしょうなっ! ホッホッホッ…」
 補修だらけの二人の老人の話は果(は)てしなく尽(つ)きなかった。
 このように、補修だらけの身体で、それでも生き続けられる背景には、人には分からない何らかの訳があるようだ。^^

        
                  完

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2019年12月26日 (木)

それでもユーモア短編集 (74)捨(す)てる人と拾(ひろ)う人

 捨(す)てる神あれば拾(ひろ)う神あり・・という諺(ことわざ)がある。人も同じで、ポイ捨てる人があれば、拾う人も当然ある。^^ 最近は物が有り余るようになった所為(せい)か、捨てる時代になりつつある。ボランティアで拾い集める奇特な人達もいるが、それでも次の日にはポイ捨てられるのだから困ったものだ。残飯のゴミ、ポイ捨てゴミ、粗製乱造でポイ捨てられる番組・・などなど、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。要は、今の世の中、ゴミでゴミゴミしている訳だ。^^ ダジャレを言うつもりは毛頭(もうとう)ないが、禿げるのも困るから指摘だけさせて戴(いただ)いておきたい。^^
 世の中の人々は、捨てる人と拾う人の大まか、二通りに分かたれる。まあ、捨てる人がいるから拾う人もいる・・とは言えるのだが…。.富裕層はゆとりからか捨てる傾向が強まり、貧困層は生活の圧迫から拾う傾向が強まる・・というのも当然といえば当然の話だ。^^
 とある選挙会場である。投票を済ませた二人の老人が外へ出ながら話し合っている。
「今回も人が少ないですなぁ~」
「…ですなぁ~。票のポイ捨てですぞ、これは…」
「塵(ちり)も積もれば・・ですからな。かなりのゴミとなります」
「そうそう! 益々(ますます)、国が汚れますなっ! 掃除しないと…」
「掃除する人は少ないですが、捨てる人は多いですなっ! ははは…」
「もう一度、戦後の物がなかった時代に戻(もど)らにゃ無理なようです」
「そうですなぁ~」
 二人は分かったようなことを言いながら、飴(あめ)ちゃんの包み紙をポイッ! と捨てた。
 このように、分かっていながら、それでも人は捨てるから、拾う人は少ないのである。^^

  
                          完

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2019年12月25日 (水)

それでもユーモア短編集 (73)面白(おもしろ)い

 笑えることを、人は面白(おもしろ)いと表現する。なぜ面(おも)が白いと面白いのか? は知らないが、とにかくそう言う。逆に面黒いと言わないのも不思議で、面白くない場合は、面黒(おもくろ)いっ! と言ってもよさそうに思える。^^ 面白いことを言おう! とか、面白い劇や映画を観せよう! とスタッフや出演者が意気込めば意気込むほど面黒いのは皮肉(ひにく)な話だ。^^ 観客はそれでも笑わねばならないから、「ははは…」と上辺(うわべ)で小さく笑わされることになる。まあ、そんなに面白くないなら観なければいい訳だが、それでも観るのは惰性(だせい)としか言いようがない。^^
 とある公園で洗い場にある水道の蛇口を弄(いじ)っている男がいる。妙なもので三つ並ぶ蛇口の真ん中だけ水が出ないのが不思議なのか、男は小一時間も腕組みをして考えては蛇口を捻(ひね)り、捻っては腕組みをして考える動作を繰り返している。手を洗うだけならあとの二つのどちらかで洗って済ませればいい訳だが、男は何を考えているのか、その動作を続けている。その男の動作が面白いのか、いつの間にか、その洗い場を通行人が取り囲むようになり、大きな人の輪が出来つつあった。
「何かあったんですか?」
 人の輪の後ろを通りかかった男が立ち止まり、最後尾で見物し始めた男に訊(たず)ねた。
「いや、私も知らないんですがね。なにやら面白い見世物だそうですよ」
「そうなんですか…」
 人の輪から自然と笑い声が広がり、次第に大きくなっていった。
 このように、面白いことは自然に発生する妙にあり、それでも! と無理に作り出すものではない・・ということだろう。^^

        
                  完

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2019年12月24日 (火)

それでもユーモア短編集 (72)人と機械

 ここ最近、社会は機械なしでは存在し得ないまでに発展している。今、私が入力しているPC[パソコン]にしたってその一つなのだが、どうも今一つ実感に乏(とぼ)しい存在なのである。とはいえ、それでもこうして使っているのは、使わないと時代に取り残される…という危機感がなくもないからだ。というのは建て前で、結構、重宝しているのは確かだ。機械の便利さというのは凄(すご)いもので、人を数人集めても到底(とうてい)勝ち目などないだけの力を保有しているのである。人は機械に比べ、正確さでは一歩(いっぽ)劣(おと)るとはいえ、それでも機械にはない意外性、独自性、感情面などで機械よりは優(すぐ)れている。よくよく考えれば、機械を作ったのは人であり、機械が機械を作った訳ではない訳だ。^^
 未来のとある高等裁判所である。廷内(ていない)では最高裁からの差し戻し審の審理が行われている。
「ですからっ! 何度も申しますが、見ていた機械がいるんですっ!」
「画像データが残る監視カメラならともかく、ただの案内ロボットじゃないですかっ! そんなもの、証拠にも何にもならんでしょ!?」
 丁々発止(ちょうちょうはっし)のやり取りが検事と弁護士の間で飛び交(か)っていた。そしてついに、弁護側が証人申請をしていたロボットが入廷し、証人席へと座った。
「あなたはロボットですか?」
『ハイ、ワタシ ハ、デキノイイ ロボット ノ グズオ ト モウシマス。ツクッテイタダイテ イウノモ ナンナンデス ガ ジブンノナマエ ハ スキデハ アリマセン』
 裁判長はそんなことはどうでもいいんだっ! …とは思ったが、口にはせず冷静な口調で審理を続けた。
「あなたは、事件を見ていたそうですね?」
「ハイ ヒコクニン ガ ヘヤ へ ハイルノヲ ミマシタ。デルノモ ミマシタ。ミマシタ ガ ハンコウ トカハ ミテオリマセン コックチョウ」
 裁判官は、私はレストランのコック長ではないっ! と怒れたが、グッ! と我慢して、さらに審理を続けた。
「被告人が出入するところは見た訳ですね?」
「ハイ ソレハ 98%ノ カクリツデ タシカデス」
「と言いますと、残りの2%は?」
「ヨク ワカリマセン ノデ コレニテ シツレイ イタシマス サヨウナラ」
 ついに、裁判は成立しなくなった。
 まあ、機械化が進めばこんな事態にはならないのだろうが、それでも人の存在は欠かせない。^^

       
                  完

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2019年12月23日 (月)

それでもユーモア短編集 (71)気まぐれ

 ふと、心に浮かんだら、すぐやることを、人は気まぐれ・・と言う。すぐやるのだから、当然、準備は整っておらず、道具や材料が足らない場合がある。それでも気まぐれな人はやってしまうから困りものだ。^^ 子供の場合に気まぐれが多いのは脳の発達から理解できるのだが、大人の場合は十分発達しているだろうから困りものだ。^^ まっ、気まぐれな人が発達していないとは言わないが、それでもやってしまう性分(しょうぶん)はよくないから改めるべきである。^^
 とある商店街の一角(いっかく)に福引抽選会のブースが設けられている。一人の男が、そのブースにヒョコヒョコと歩いてやってきた。
「気まぐれで買ったら、この券、くれましてね…。ここですか?」
「はい、ここです」
「そうですか。じゃあ、気まぐれに引いてみようかなっ!」
 係員は、引きたいからやって来たんでしょうがっ! とは思ったが、口には出さず思うに留めた。
「回してくださいっ!」
 男は言われたとおり、福引の玉が入っている回転台を勢いよく回した。
「ははは…ハズレです」
 男は、笑うこたぁ~ないだろっ! とは思ったが、口には出さず思うに留めた。
 まあ、気まぐれとはこんな感じになりやすいから、それでも! と力まない方がいいようだ。^^

         
                  完

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2019年12月22日 (日)

それでもユーモア短編集 (70)日本語

 私達は日本語を、さも当たり前のように日常、使って生活をしている。だが、よ~く考えてみると、日本語ほど語彙[ボキャブラリー]に富んだ言葉は世界で少ないということを認識していない。例(たと)えば、英語でI am. と言ったり書いたりした場合、その意味は私だ、おいらだ、僕です、拙者じゃ、俺だ、おいどんでごわす、わらわじゃ・・などと、様々(さまざま)に分岐し、多くの語彙でそのもの、そのことをズバリ! と言い表せる訳だ。ところが近年では、英単語が会話内に含まれるようになり、「私はあなたをリスペクトして尊敬しております」などと意味不明に使用され、^^大層、乱れているのは嘆(なげ)かわしい。^^ 政治家や学識者、評論家の方々がテレビ討論などで多用されておられるが、一般聴衆には? と、意味不明な点もあることをお含み願いたい。確かに、外国語を会話に織り交ぜれば、私はこんな言葉も知ってる知識人なんですよ・・という強調にもなる。^^ なるが、日本語は残念ながらどんどん負のスパイラル[下方へ向かう渦巻]を見せるのである。…私も日本語を乱しそうだから慎(つつし)みたいと思う。^^
 とある会場で著名(ちょめい)な識者を交えた公開討論会が開かれている。
「そりゃ、学術的に怪(おか)しいんじゃないでしょうか。禿(は)げ頭の子供が必ず禿げ頭になりますかっ!」
「私はそうは言ってないっ! 禿げ頭の子供が禿げ頭だったと言っとるのですっ!」
「言ってるじゃないですかっ! パーフェクトに禿げ頭だとっ!」
「いやっ! そんなことは断じて言っとりませんっ!」
「まあまあお二方(ふたかた)っ! パーフェクトでもソフトクリームでもいい訳ですからっ!」
 激高(げきこう)する二人の識者に、司会者が割って入った。
「なんですか、それはっ!! パーフェクトはソフトクリームでもアイスクリームでもありませんぞっ!」
「そりゃそうだっ!」
 いつの間にか二人の識者はタッグを組み[連携(れんけい)して]、司会者を攻め始めた。日本語のトラブルで司会者はタジタジと防戦一方になった。
 近年、ややこしくなったとはいえ、それでも日本語は外国語を含んで進化し続けている。^^

        
                  完

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2019年12月21日 (土)

それでもユーモア短編集 (69)勝ち馬に乗る

 勝ち馬に乗る・・という例(たと)えがある。勝った人に付き従った方が利がある・・という単純な判断で人が勝者に靡(なび)くことを指す。冷静に考えてみれば、おおよそ人は勝ち馬に乗りやすく、負け馬は蹴飛(けと)ばすくらいで見向きもしないものだ。^^ 良し悪し・・ということではないが、残念ながらそれが人の本性(ほんしょう)のようである。負けた側や人にそれでも付き従う人は心からその人を信奉(しんぽう)する人で、いわば精鋭である。単純に靡く人は烏合(うごう)の衆(しゅう)と呼ばれ、まったく当てにはならない。
 とある競馬場で出走前のパドック[競争馬が一般観衆に、どうよっ! とばかりに歩く姿を見せるための場所]で、競走馬がパカポコ…と歩き回っている。その姿を大勢の観客が見守る。
「あのハゲワシホープ、なかなか調子がよさそうですなっ!」
「いやいや、私ゃ二頭後ろのコンドルスカイと見てるんですがねっ!」
「いやいやいや、そうじゃないでしょ! 尻尾(しっぽ)の振り具合からしてその後ろのインカっ! これで決まりですっ!」
 ダメを出された二人は、尻尾の振り具合で見るんかいっ! とは思ったが、思うに留め、愛想笑いで流した。
 しばらくして重賞レース、チチカカ特別が恒例のファンファーレとともに幕を開け、尻尾の振り具合が良かったインカの完全制覇で終結した。
「ははは…実は私もそうなんじゃないか…と思っとったんですよっ!」
「そうそう! 私もですっ!」
 二人は絶対、来ないっ! とは思っていたが、それでも1枚だけインカの馬券を買い、スゥ~っと、いつの間にか勝ち馬に乗っていた。
 このように、勝ち馬に乗るのは、それでも…と保険をかける弱含みな心の人に多いようだ。^^

                          完

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2019年12月20日 (金)

それでもユーモア短編集 (68)ちまちま

 ちまちま・・聞き慣(な)れない方も多いだろうが、この言葉が日本語として国内の各地で通じるのか? さえも私は知らない。ただ、使ったり聞いたことは過去に何度かある。『ちまちました話だ…』とか『ちまちまやってるな…』などと言って使用される。^^ そう言われて、それでも続けるには、心に一本、筋(すじ)が通っていないと、『そうだな…』と引いて、やめてしまうことになる。要は、メンタル[心理]面の根性が必要ということだ。人になんと言われようと、それでも引かない信念である。まあ、そんな大げさな話でもないが…。^^
 大型連休だというのに、大掃除を一生懸命している奇特(きとく)な男がいる。隣(となり)のご隠居(いんきょ)が垣根越しに声をかけた。
「ご精が出ますなっ!」
「ああ! これはご隠居。ははは…ちまちまやっとります」
「いや、結構、結構!」
「ははは…なにぶん、掃除をする暇(ひま)がないもんで、この機会に…と、始めたようなことで…」
「それは兆条(ちょうじょう)至極(しごく)っ!」
 ご隠居は得意のお武家(ぶけ)言葉で労(ねぎら)った。
「いや、実はですなっ! 去年の連休は出かけたんですが、大渋滞で難儀(なんぎ)をしましたっ!」
「なるほどっ! 真田攻(さなだぜ)めに梃子摺(てこず)られ、関ヶ原に遅参(ちさん)された訳ですなっ!」
「? …まあ、そんなとこでしょうか。ちまちまといっこう動かぬ車の中で、それでも待っとりました。ははは…」
「いやいや、失敗は成功の元(もと)! これで、同じ失敗は、まずなされますまいっ! ははは…身体(からだ)にて覚えるが肝要(かんよう)!」
「はあ…」
「ちまちまと長話(ながばなし)にてお手を止めてしまいましたなっ! では、これにて失礼つかまつる!」
「ははっ! 申し訳ございませぬっ!」
 男は思わず頭を下げ、お武家風の挨拶を返した。
 ちまちまとそれでも話していると、いつの間にか気分が移るようだ。^^

         
                  完

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2019年12月19日 (木)

それでもユーモア短編集 (67)お足(あし)

 文明社会のこの世を生きるためにはお足(あし)がいる。必要とか不必要とかいう次元の話ではなく、ついて回るのだ。このお足(あし)のことを、人はお金と呼ぶ。皆さんが手元に多ければ多いほどニンマリと気分がよくなる貨幣や紙幣などである。など・・というのは、小切手とかその他のニンマリもあるからだ。^^
 さて、このお足について考えてみよう。考えたくない人はソフトクリームでも舐(な)めながら寛(くつろ)いでいただけばそれでいい。^^
 人が動くには両足の動きが欠かせない。動かさないでそれでも動くとなれば、移動可能な機械に頼る他はない。乳母車に厚かましく乗りながら母親に押させる幼少時から、その行動は始まっているのだが、歩行にお足は必要がない。歩いているにもかかわらずお足が必要ない訳で、^^ よ~~く考えれば、そんな都合のいいジレンマ話がある訳もなく、体内エネルギーを消費することで見えないお足は使っているのである。ただ私達は、それを自覚することなく動いている訳だ。見えるお足[お金]が要らないのは、歩行か自転車まで[泳ぐ水泳や漕(こ)ぐボート、滑(すべ)るスキー、スノーボード、スケートを含む]で、それ以上はお足が要る。この場合のお足は、機械を起動させるガソリン、電気、ガスとかを買う必要経費である。もちろん、自転車バイクも含まれる。^^
 連休のとある観光を済ませた家族が、すっかり疲れて帰宅した。内の中へ入ろうとしたとき、そこへ偶然、隣(となり)のご主人が通りかかった。
「やあ! お出かけでしたか?」
「はあ、まあ…。ちょいと藁灰(わらばい)温泉まで…」
「ああ、藁灰温泉でしたか? あそこは泉質(せんしつ)がアルカリイオンでいいですなぁ~」
「はあ、まあ…」
「いい保養をなされましたな。私など、手元(てもと)不如意(ふにょい)で、お足が要らない家庭温泉で、鰹の叩きの一杯でしたっ! ホッホッホッ…」
「いや、それがなによりです。帰りの渋滞で、返って疲れました…」
「ああ、さよでしたか。それはそれは…」
 隣のご主人は、お足を使わないでよかった…と思いながら、慰(なぐさ)めの言葉を吐(は)いた。
 お足は、それでも! と無理に使わず、効果的に使った方がいいようだ。^^

                            完

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2019年12月18日 (水)

それでもユーモア短編集 (66)夢物語

 人々は夢物語に憧(あこが)れる。「ははは…そうなりゃいいがなっ! 夢物語さっ!」などと現実にはほとんど不可能だと諦(あきら)める。それでも心の奥底では、『いや! なるかも知れんっ!』と、一抹(いちまつ)の期待を捨てきれないでいる。それが人なのである。芸能界の美人タレントや女優を見て、『ホニャララか…あんなのと結婚出来たらいいがな…』と夢物語なのを分かってはいてもファンクラブに入会したりする可愛いお馬鹿が私達、人だ。^^
 とある採掘(さいくつ)現場である。私財を投げ売ってお宝を探す男が叫ぶ。
「必ず、ありますっ! もう一時間お願いしますっ!」
「分かりましたっ!」
 ショベルカーに乗った男が、『いや、ないだろ…』と思いつつも、そう返す。
「今回の可能性は絶対ですっ!!」
 男の横に立つ現場監督が『懲(こ)りない人だっ! ある訳(わき)ゃないだろっ!』と思いつつも、お得意様・・ということもあり、そう述(の)べる。
「そうかい、監督っ!?」
「ええ、出ますともっ!!」
 現場監督は被(かぶ)ったヘルメットの頭をツルツルと片手で撫(な)でながら、『夢物語さっ!』と思いつつ、慰(なぐさ)めの言葉を吐(は)く。
「ああ! 出るさ…出る出る。きっと出るっ!」
 男は夢物語だな…と半(なか)ば諦(あきら)めながらも、自分を鼓舞(こぶ)するかのように喚(わめ)く。
 このように夢物語は、それでも! と人を陶酔(とうすい)させる憧(あこが)れの魔力を秘めているのだ。^^

                           完

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2019年12月17日 (火)

それでもユーモア短編集 (65)ノルマ

 ノルマ・・この言葉も、もはや日常、よく使われる日本語となっている。ロシア語で、意味は労働基準量を指(さ)すらしい。体力的に限界が近いにもかかわらず、それでも働かなければならないのが私達、人の世なのである。ノルマを熟(こな)して働かないと、「あんた! もう来なくていいよっ!」などと言われて仕事を失うことになる。それこそ、ぅぅぅ…と泣けるような演歌の世界になる訳だ。^^
 すでに夜の九時近くになった、とある会社ビルである。
「もう、いいんじゃないですかっ! 先輩!!」
「君は先に帰っていいぞっ! あとは俺がやっとくからっ!」
「だって、この残業、もう三日続きですよっ!」
「ああ、分かってる。今日までにしとくから、ははは…そう言うなっ!」
「そうですか? それじゃ、お先に…。早く帰ってくださいよっ!」
 後輩が帰ったあと、先輩サラリーマンは仕事を終え、あの世に旅立った。…などとなればド偉い話になるが、幸い、次の日が休みの二人は、疲れを溜(た)めながら、それでも飲めや歌えのドンチャン騒ぎを行きつけの店でしていた・・と、まあ、話はこうなる。
 疲れていながら、それでもノルマが果たされると、達成感が湧(わ)く・・という利点[メリット]もある訳だ。めでたし、めでたし…。^^

         
                  完

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2019年12月16日 (月)

それでもユーモア短編集 (64)もう、いいっ!

 もう、いいっ! と言うときほど、少しもよくないのは皮肉な話だ。^^ 上面(うわずら)ではそう言って体裁(ていさい)を取り繕(つくろ)ったり見得(みえ)を切る訳だが、内心は、なんとかしないとっ! …と、ものすごく気になっているのである。これが、世間でそれでも生き続けなければならない私達の辛(つら)いところだ。^^
 昼休みになった会社の課内である。昼の弁当を弁当屋に買いに行かせた先輩社員が後輩の帰りを今か今かと待っている。いつもより20分ばかり遅(おく)れ、ようやく後輩社員が戻(もど)ってきた。
「お待たせっ!」
「おう! 遅かったなっ!」
「そうなんですよっ! いつもより込んでましてねっ!」
「そうか…。まあ、そんな日もあるわな。それでも、買ってきたんだから、よし! としよう」
「それが…ちっとも、よかないんですよっ!」
「買ってきたんだろ? それでいいじゃないかっ!」
 後輩社員が手に持つ袋を指差しながら言った。
「はあ、買ってきたことは買ってきたんですがね。言ってらした竹輪(ちくわ)弁当が売り切れてましてねっ!
「竹輪だぞっ! あんなもの、フツゥ~売り切れるかっ!?」
「ええ、私もそう言ったんですがね。それが生憎(あいにく)どういう訳か、品切れだったようで…」
「てやんでぇ! 竹輪なんぞ、どこの店でも買えるじゃねぇ~かっ!」
 先輩社員は急に気風(きっぷ)のいい江戸っ子になった。
「はあ、それはそうなんですがね。ないものは仕方ないじゃないですか。今日は蒲鉾(かまぼこ)弁当で我慢して下さいよっ!」
 両手を合わせて許しを請う後輩社員に、先輩として、それ以上は言えない。
「まあ、蒲鉾でもいいや…」
「どうも、すいません」
 後輩社員は深々(ふかぶか)と頭を下げる。
「もう、いいっ! 君が悪い訳じゃないんだからっ!」
 先輩社員は仕方なく溜飲(りゅういん)を下げた。
 退社後、それでも竹輪が食べたかった先輩社員はスーパーで竹輪を10袋ほど買うと、ようやく気分を落ち着かせた。
 このように、もう、いいっ! は、いいっ! という気分を求めさせるのである。^^

         
                  完

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2019年12月15日 (日)

それでもユーモア短編集 (63)具合(ぐあい)

 いい具合(ぐあい)だ・・と言うことがある。具がピッタリと合う訳だ。^^ 具が合わないと不具合となる。それでも放っておけば、阿弥陀さまならいいのだが、悪いことにお釈迦になる。お釈迦さまがそう悪いとも思わないが、世間一般では物や事がダメになった場合によく使われる。お釈迦にならないようにっ! と人々は仕事をし、賢明に頑張っている訳だ。^^
 とある家庭のキッチンである。主婦がせっせと料理を作っている。春ということもあり、料理は旬(しゅん)の筍(たけのこ)の煮付(につけ)である。小鍋(こなべ)がコトコトと音を立て、いい具合に煮えている。
「おお、筍かっ! もうそんな季節になったか…」
 スゥ~っとどこからとなく幽霊のように現れた主人が、空々(そらぞら)しいことを言う。
「毎年、この頃でしょ!」
 主婦がダメを出す。
「ああ。まあ、そうだが…。どれどれ、味は?」
 主人は一端、矛(ほこ)を収(おさ)めるが、小皿を手にして攻めに転じる。
「いいわよっ!」
 邪魔とばかりに主婦は防戦する。それでも主人はお玉を手にして煮汁を小皿に少し掬(すく)い、味見をする。
「どれどれ…。少し薄いんじゃないか?」
「嫌な人ねっ! これで煮てきたら、いい具合になるのよっ!」
「いやぁ~! いい具合にはならんだろ…」
 出来上がったあと、食卓の上に木の芽をあしらった筍の皿が乗る。主人はその一切れを箸(はし)で摘(つま)み、頬張(ほおば)る。
「オッ!」
「でしょ!」
 主婦は、したり顔になる。筍は、いい具合に煮上がっている。
 まあ、具合とはこんな感じがいい訳で、それでも! と追い求めることではないようだ。^^

          
                  完

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2019年12月14日 (土)

それでもユーモア短編集 (62)火と水

 火を点(つ)けるにはコツがある。危険物を取扱われる方ならお分かりだろうが、点火の三要素である可燃物、酸素供給源、点火源と小難(こむずか)しい話で、この三要素が必要となる。「チェッ! 湿気(しけ)て点かないやっ!」とイラつかれる場合は、また別次元の話である。^^ だったら、水の場合はどうよっ!? という話になるが、…まったく、分からない。^^ この分からない・・というのが実は味噌(みそ)で、それだけ水も火も純粋でピュアだということに他ならない。聖火、聖水という類(たぐ)いの難解(なんかい)な話となる。
 火は落雷や木々の乾燥、噴火などによる自然着火を除(のぞ)き、人が意思で点ける訳だが、水は自然から齎(もたら)される恵みであり、人が自ら湧(わ)き出させる訳ではない。まあ、水素[H]+酸素[O]の化学反応で装置さえあれば水は湧く訳だが、日常生活ではほとんど、不可能なのである。
 とある都市が乾燥に喘(あえ)いでいた。ここ数ヶ月、一滴の雨さえ降らず、水不足が深刻化していた。二人の老人が晴れ渡った空を恨(うら)めしげに見上げながら語らっている。
「さっぱり降りませんなぁ~!」
「そうですなぁ~」
「水が欲しいですなっ!」
「欲しいですなっ?」
「そうそう!」
 二人は熱中症が心配される炎天下の中、雨乞(あまご)いでもするかのように水神さま、水神さまと祈(いの)り続けた。だからといってそれで雨が降る訳ではない。ところが不思議なことに、次の日から待望の雨が降り出した・・というのだから、ニモマケズ語ってみるものである。^^ このような水を呼び水と人は言う。火も水も神秘そのものなのだ。^^

                           完

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2019年12月13日 (金)

それでもユーモア短編集 (61)見えないモノ

 人がもっとも怖(こわ)いもの・・それは見えないモノだ。その見えないモノが生物でなく、ただの物であれば、見えなくても取り分けて問題になることもない。ただ、そのモノが生物だと、大小にかかわらず厄介(やっかい)なことになる。どう厄介なのか? といえば、善悪を問わず勝手に動き回るからだ。善なる場合はいいが、悪の場合は相手が見えないのだからそれこそ厄介である。医学的には悪性の細胞やウイルス、悪霊などと呼ばれる憑依(ひょうい)霊的なモノ、犯罪者をそうさせる教唆(きょうさ)犯などがそうだ。この教唆犯も見えればいいが、魔と呼ばれる見えないモノの場合、益々、厄介だ。なにせ、魔は知的にありとあらゆる手段を駆使(くし)して人を困らせようとする。魔が刺した・・などと言う場合がそれで、出来るだけ刺さないで欲しいものだ。^^
 とある宝くじ売り場の前である。一人の男がくじを買おうか買うまいか…と、立ち止まっている。
『いや、買わなけりゃ、たこ焼きが一舟、食えるぞ…』
 そう思った男はトボトボと売り場から遠退(とおの)き始めた。ところが、しばらくすると、また立ち止まった。見えないモノがヒソヒソと囁(ささや)いたからだ。
『いやいや、当たりゃ、五万と食えるか…』
 男はふたたび売り場の方へ戻(もど)り始めた。そして、財布を取り出したとき、またまた思った。
『いやいやいや、五万は食えんぞっ!』
 男は、また売り場から遠退き始めた。そして、しばらくすると、ふたたび立ち止まった。
『いやいやいやいや、タコ焼き以外のモノなら鱈腹(たらふく)食えるか…』
 男は、またまた売り場の方へ戻(もど)り始めた。
 そうこうするうちに、日はとっぷりと暮れ、売り場のシャッターは閉じられた。
 このように、見えないモノに魅入(みい)られると、それでも…と繰り返すことになり、目的が果たせなくなる訳だ。^^

         
                  完

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2019年12月12日 (木)

それでもユーモア短編集 (60)安全性

 過去の長閑(のどか)な時代では気にならなかったものが、現在のように生活が向上して複雑化すると、いろいろと気になり始める。安全性である。食品の安全性、ガス漏れの安全性、火災の安全性、耐震構造の安全性、通学の安全性、治療や投薬の安全性、機械の安全性・・などと枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。よぉ~~~く考えれば、完璧(かんぺき)に安全なものなど、この世には存在しないのだが、それに気づかず、世間の人々は安全性を連呼(れんこ)する。最たる例が放射能の安全性だ。原子力発電が身近な問題として取り上げられているが、全然、取り上げられていないものもある。我が国は保有していないから関係ないが、原子力空母がそれである。確かに燃費コストは馬鹿安なのだろうが、安全性では如何(いかが)なものか? なのである。平和時はいいが、一端、戦闘で船体が損傷を受け、原子炉の放射能漏れでも起こせば、現在の放射性からして乗組員は全員、致命的にアウト! だろう。被爆して助かる余地は、ほぼない。こんな見過ごされがちな安全性もある訳だ。^^
 夕闇が迫るとある、ふぐ専門店の店先である。二人の客が店の暖簾(のれん)を潜(くぐ)ろうとしていた。
「ここのは美味(うま)いんだよっ!」
「まあ、君が言うんだから間違いはないんだろうが…」
「と、いうと?」
「もちろん、安全性さっ!」
「安全性? ふぐ専門店の安全性を疑(うたぐ)っちゃ、お終(しま)いだぜ」
「そりゃまあ、そうだが…」
「そういや、この前のステーキ専門店でも狂牛病の・・とか言ってたな?」
「そうだったか?」
「ああ。鳥スキの店前でも鳥インフルエンザが人にも・・とか言ってたぞ」
「そうだったか?」
「ああ。そう言いながら、食べて美味かっただ。俺はお前の頭の安全性の方が心配だっ!」
「…」
 言われた男は言葉をなくし、押し黙った。
 安全性は、それでも! と気にしない方が、楽しく生活できるようだ。^^

          
                  完

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2019年12月11日 (水)

それでもユーモア短編集 (59)力量(りきりょう)

 誰しも、その本人に生まれ持って備わった力量(りきりょう)というものがある。その力量には個人差があり、小さい人から大きい人まで千差万別(せんさばんべつ)だ。力量が小さいにもかかわらず、それでもやろうとすれば、出来ないのだから当然、失敗したりダメにしてしまう訳だ。^^
 ここは、とある会社の社長室である。室内には創業者である初代社長から先代社長に至る十数人の顔写真入りの額(がく)が所狭(ところせま)しと飾(かざ)られている。その額を見上げながら、社長が弱々しい声でボソッと独(ひと)りごちた。
「皆さん、力量があったんだな…」
 社長がそう呟(つぶや)くのも無理からぬ話で、会社は経営の危機に瀕(ひん)していたのである。そのとき、専務がドアをノックした。
「社長! 専務ですっ! 入ってよろしいか?」
 その声は、額を見上げる社長にも否応(いやおう)なく聞こえた。
「ああ、どうぞ…」
 社長は、自分のことを普通、専務と言うかね? …と、思いながら返した。そして、専務が社長室に入ってきた途端、ふたたび、力量を見損(みそん)じたか…と思った。さらに、専務が軽く頭を下げた途端、会社が傾くのも当然か…と、自分の経営の力量のなさを痛感した。
 力量を見損じ、それでも気づかないと、組織は傾いたり危機に瀕するのである。^^

        
                  完

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2019年12月10日 (火)

それでもユーモア短編集 (58)スケジュール

 物事をする場合、すぐやるタイプと、算段して…と、スケジュールを立てて行動するタイプの二通りに分かれる。すぐやるタイプは、そのまま放っておけない人によく見られるが、放っておけない性格が災(わざわ)いして、出来ないとそれでも続ける・・という状況に至(いた)ってしまう。出来ないものは出来ないのだから一端(いったん)やめて、スケジュールを組んだ後日、やればいい訳だが、それが出来ないのだ。こんな点から見ると、スケジュールは食物をよく咀嚼(そしゃく)[嚙(か)み砕(くだ)く]作業に似ていなくもない。よく噛めば、消化にも良く、栄養がスムースに体内へ吸収される。スケジュールを立てた後の実行は、よく嚙み砕くことと同じなのだ。^^
 とある原っぱで二チームに分かれて草サッカーが行われている。草野球があるのだから、当然、草サッカーもある訳だ。^^ 正式なサッカー大会に向けた練習試合ということもあり、草サッカーながら本格的に熱が入っている。監督、コーチはスケジュールどおりチームの強化を計ってきたが、今日の試合がその集大成である。
「監督、どうなんですかね?」
「? なにが?」
「これで勝てますかね?」
「そらまあ、スケジュールどおり強化してきたんだから勝てるさ、ははは…」
 自信なさげに監督がコーチに返す。
「なら、いいんですが…」
「スケジュールどおりなら祝勝会だな」
「はあ、まあ。スケジュールどおり勝てばっ! の話ですが…」
「負けた場合はっ?」
「負けた場合は負けた場合で、お疲れ会のスケジュールとなっております」
「勝ち負けはスケジュールどおりにはならんが、それでも勝ってもらいたいものだな、コーチ」
「はあ、それはもう…」
 二人は試合の様子を見ながら、自分に言い聞かせるように頷(うなず訳だ)いた。
 このように、スケジュールは安心面から言えば、それでも! と、立てておくに越したことはない訳だ。^^

         
                  完

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2019年12月 9日 (月)

それでもユーモア短編集 (57)工夫(くふう)

 なんでもあるに越したことはない。あれば、それを使って物事を成せばいいからだ。しかし、そういつも物がなんでもある・・ということはあり得ない。そうなると、あるものを工夫(くふう)して足らないものを補(おぎな)う知恵が要求される。その知恵の有りようは人によって違うから、工夫してコトが成るか成らないかは、そのときどきの個人の裁量(さいりょう)に委(ゆだ)ねられることになる。だから、工夫しない前の方がよかった…と言われることも当然、覚悟して工夫しなければならない。^^
 とある都市のデバートである。定休日で客の出入りは皆無だが、店内はレイアウトの変更作業が急ピッチで進められていて人の動きで雑然としている。
「そこは、そのままでいいんじゃないか? 副店長」
「そうですかぁ~? 私は左横の陳列棚と入れ替えた方がいいと思うんですがね…」
「いやぁ~副店長、それじゃ工夫してレイアウトを変えた意味がないじゃないか、副店長」
 店長は、ようやく念願の店長に昇格できたもんだから、自分の地位を誇示(こじ)するかのように副店長を連呼(れんこ)した。今まで自分が副店長だったことも忘れて、である。
「そうですか? 十分、工夫できたと思うんですが…」
「いや、そうは思えんが…」
 それでも店長は言い張る。
「いいでしょ! 他の店員に訊(き)いてみましょう! その結果如何(けっかいかん)で考えられては、いかがですか?」
「おっ! それはナイス、アイデアっ!」
 二人は勤務中の店員を集め、決を取った。結果は工夫した副店長に軍配(ぐんばい)が上がった。
 それでも工夫する場合は決を取ったほうが賢明だ。^^

         
                  完

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2019年12月 8日 (日)

それでもユーモア短編集 (56)風の所為(せい)

 風の所為(せい)で風邪(かぜ)を引く・・とは上手(うま)く言ったものだ。漢字が示すとおり、風の邪(じゃ)、邪(よこしま)な風が吹いて体調を崩(くず)す・・ということである。それでも、初期のうちに気づいて処置をすれば、その邪悪(じゃあく)な風は、『チェッ! 他へ行くとするか…』などとブツクサ言いながら退散するから、それ以上に体調が悪くなる・・ということはない。^^
 とある町のとある大衆食堂である。昼時(ひるどき)ということもあってか、大層(たいそう)賑(にぎ)わっている。
「へいっ! 木の芽ラーメン上がったよっ!!」
 店奥から気前のいい声がする。その声に急(せ)かされたように若い女店員がトレーに二鉢(ふたはち)の木の芽ラーメンを乗せ客が待つテーブルへと急ぐ。
「お待ちどおさま…」
 二人の客は置かれた木の芽ラーメンをソソクサと食べ始める。そのとき、一人の客が思わずクシャミをした。
「どうした?」
「いや~、花粉が飛び始めたからでしょう…」
 クシャミをした後輩風の男は、とりあえず花粉の所為にする。
「いやっ! それは風の所為だっ! 注意しろっ!」
 先輩風の男はジロジロと神経質に辺(あた)りを見回す。
「風なんか吹いてないじゃないですか」
「いや、吹いていなくても、邪な風はどこに潜(ひそ)んでいるか分からんからなあ~」
「…そうなんですか?」
「そうなんだ…」
 先輩風の男が自信ありげに語る。
「あっ! すいませんっ!!」
 そのとき、後方の席から客の声が飛ぶ。
「はぁ!?」
 後輩風の男が後ろを振り返る。
「いゃ~、胡椒(こしょう)が出過ぎましてねっ!」
「…」
 先輩風の男は形無(かたな)しで黙ってしまう。ところが、見えない風は、『ヒヒヒ…俺の所為だがねっ!』と思わずニヤリと。
 このように、他に妥当な原因があったにしろ、それでも邪な風は存在し、嗤(わら)っているのである。^^

       
                  完

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2019年12月 7日 (土)

それでもユーモア短編集 (55)呼吸

 息を止めれば苦しくなる。それでも止めていれば人はチィ~~ン! と鉦(かね)が鳴ることになる。要は死ぬ訳だ。^^ まあ、そこまて゜止められる人は異星人以外いないだろうから、当然、荒い呼吸をス~ハ~ス~ハ~とすることになる。このように、何気(なにげ)なく生きている私達ではあるが、知らず知らずのうちに呼吸をし続け、生きているのである。
 とある町で奇妙な競技大会が行われている。水中息止め選手権である。選手達はA~Fの各グループに別れ、数人ずつ横一列に並ぶ。選手達の前には長椅子が並び、その上には水を張った洗面器が人数分、置かれている。選手達は合図のピストル音とともに顔を水中へ浸(つ)け、そのままでいられる長さのタイムを競う・・という趣向だ。
「こ、これはっ! せ、世界記録が出そうですっ!!」
 マイクを握りしめた大会本部席の係員が興奮気味に喚(わめ)く。
 他の選手達が顔を上げたあと、一人の選手だけが顔を洗面器に浸け続けている。
「ギネスっ! せっ! 世界記録の誕生ですっ!!」
 会場全員の視線がその選手に向けられる。ところが、その選手はいっこうに顔を上げる気配がない。
「… ? これは、どうしたことかっ!!」
 不審に思った係員が、思わず選手に駆け寄る。選手は顔を浸けたまま呼吸をやめ息絶えていた。と、いうことはなく、仮死状態で気絶していた。すぐに人工呼吸措置が施(ほどこ)され、選手は息を吹き返した途端、片手の指でVサインを高らかに上げた。会場からは割れんばかりの拍手が湧き起こった・・と、話はまあ、こうなる。
 このように呼吸は生死に直結し、それでも止め続けられるという馬鹿な話はあり得ない。^^

         
                  完

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2019年12月 6日 (金)

それでもユーモア短編集 (54)生(い)け花(ばな)

 久しぶりに掃除と整理を終えた丸太(まるた)は、ホッコリとした気分で淹(い)れた茶を啜(すす)りながら辺(あた)りを見回した。すると、今までが雑然としていた所為(せい)か、整い過ぎた物足りなさが、どこかした。
『なんか、寒々(さむざむ)しいなぁ~』
 そう思えた丸太は戸棚(とだな)の上に花でも…と思った。上手(うま)い具合に手頃な器(うつわ)や剣山(けんざん)があったから、丸太は庭に咲いた花で生(い)け花(ばな)を始めることにした。作業は順調に進み、次第にそれらしくなっていった。
『まあ、このくらいか…』
 と、思えた丸太だったが、生け終えた器を戸棚の上へ置くと、どこか生け過ぎた感がしなくもなかった。そのままでもよかったのだが、それでも気になった丸太は、生けた花の枝先を鋏(はさみ)でチョン切った。
『まあ、このくらいか…』
 と、ふたたび思えた丸太だったが、今度は反対側の方が少し生け過ぎてるぞ…と、気になり出した。丸太は、生けた花の枝先を、また鋏(はさみ)でチョン切った。そして器をふたたび戸棚の上へと置き、遠目(とおめ)に眺(なが)めてみると、少し上の方が生け過ぎた感がしなくもなかった。丸太は、また気になる枝先を鋏(はさみ)でチョン切った。すると…と、また鋏でチョン切る繰り返しが続き、いつの間にか生けたはずの生け花はほとんど器から消え去っていた。
 このように、生け花はそれでも! と深追いせず、少し気分を我慢した程度にしておく方が無難(ぶなん)だと言える。^^

          
                 完

 

 

 

 

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2019年12月 5日 (木)

それでもユーモア短編集 (53)ギャップ

 双方(そうほう)の間にギャップ[食い違い]があればあるほど、その差が際立(きわだ)ってグッ! とくる度合いや凄(すご)みが増す。例えば時代劇なんかだと、悪役が憎々(にくにく)しいほど、その悪役をやっつける主役が格好よく見えたりする・・といったところだ。色気方面だと、美人なのに秘部が汚(きたな)らしく卑猥(ヒワイ)でそそるとか、弱そうな男子が意外とナニが強く強壮家・・といった類(たぐい)いの話となる。^^
 とある家庭のキッチンで、どこにでもいそうな主婦が、お汁粉(しるこ)を作っている。
「どれどれ…ちょっと味見してやろう」
「偉(えら)そうに…」
 主婦は膨(ふく)れながら、お玉で小皿(こざら)に煮汁(にじる)を少し入れて手渡す。主人はその小皿を、さも当然のように受け取り、口に含む。
「…まあ、不味(まず)くはないが、それでも今一、甘みがな…」
「そう? なら…」
 主婦はそう言いながら、食塩を指先でほんの少し、煮汁へ摘(つま)み入れる。
「お、おいっ!! そんなことしたらっ!」
「これでいいのよっ! はいっ!」
 主婦は自信ありげに、もう一度、小皿に煮汁を少し入れて主人に手渡す。主人はその小皿を、ふたたび受け取り、口に含む。
89「おっ! ギャップがっ!!」
「でしょ!?」
 主人はそう言われ、思わず頷(うなずく)く。
 このように、それでも! と、より以上の効果を望むなら、ギャップが必要となる訳だ。^^

         
                  完

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2019年12月 4日 (水)

それでもユーモア短編集 (52)あの頃

 悪いことが続いたとき、ふと、心に浮かぶのが、あの頃だ。ああ、あの頃はいいあの頃だったなぁ~…などと、あの頃をコロコロと思い出す訳だ。^^ どういう訳か悪かったあの頃を思い出そうとしないのは、深層心理の防御機能が働いていると見られなくもない。詳しいことは心理学者か専門医の先生方に訊(たず)ねてもらいたい。^^
 長閑(のどか)だった森の風景が消え、入れ替わるかのように伐採(ばっさい)された樹々の跡地に建物が建つようになったとある町の細道である。一人の老人がボケェ~っと気抜けしたような顔で変わった景色を見ながらあの頃を思い出している。
「あの頃は、よかった…」
 溜息(ためいき)混じりに、老人は小さくそう呟(つぶや)いた。まだ車が飛び交うほどには発展していない町だけに、ボケェ~っと道に立っていても事故に遭わないだけが勿怪(もっけ)の幸いだった。
「どうかされましたか?」
 そこへ通りがかったリールに猫を繋いで散歩している老人が訊(たず)ねた。
「いや、べつに…。ほう! 猫の散歩ですかな?」「はあ? まあ…」
 確かに、散歩に犬を連れなければならない・・という決めはない。^^
「この辺(あた)りも変わりましたなぁ~」
「なんか殺伐(さつばつ)として、風情(ふぜい)が消えました…」
「木が伐採されて殺伐ですか? ははは…」
「上手いっ!! 私らも孰(いず)れは切られますかな? ははは…」
「まあ、そのようで。ははは…」
「不便ではありましたが、それでもあの頃は、そういう心配はなかったですなぁ~」
「はいっ!」

                          完

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2019年12月 3日 (火)

それでもユーモア短編集 (51)雰囲気

 同じ内容だとしても、周(まわ)りを取り囲む雰囲気が違えば、その時々に生じる結果は自(おの)ずと異(こと)なることになる。いい雰囲気ならいいが、悪いとコトは上手(うま)く運ばない。それでも! と抗(あらが)ってやろうとしたところで、相手は見えない雰囲気だから、人が敵(かな)う訳がない。^^
 とあるコンサートホールである。夕方近くより始まったクラシック演奏会は、いよいよ佳境(かきょう)[クライマックス]へ入ろうとしていた。当然、ホールはいい雰囲気に包まれ、観客は微動だにせず聴き惚(ほ)れている。ただ、その中のひと組の男女だけは少し様子が異なった。女性は聴き惚れていたが、男性はウトウトと首を時折り項垂(うなだ)れ、うたた寝をしていた。そして、ついに座席の前へ倒れ落ちそうになったとき、女性が慌(あわ)てて身体(からだ)を受け止めた・・と、話はこうなる。^^
「眠ってらしたのっ!?」
「ははは…どうもっ! 残業続きで少し疲れてましてねっ!」
 実のところ、男性にとってクラシックは余り興味がなく、管弦楽団が奏(かな)でる演奏は、もっぱらいい雰囲気の子守唄だったのである。
「あら、そうなんですの?」
「ええ、まあ…」
 このように、自分が好む雰囲気でない場合、それでも言い訳の口実(こうじつ)はなんとかつくのである。^^

                            完

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2019年12月 2日 (月)

それでもユーモア短編集 (50)ノボォ~~

 ノボォ~~という言葉は普通、使われない。というか、使われる機会が少ない・・と表現した方がいい擬態語の一つだろう。『あの人はノボォ~~としているな…』とかなんとか言われて使われる場合が多い。全国各地で使われるか? は疑問で、? と、首を傾(かし)げる人もあるだろう。ノボォ~~とは、まあそんなノボォ~~とした言葉なのである。^^ このノボォ~~は、なかなかのもので、周囲から急(せ)かされるように迫(せま)られても少々のことでは動じない強みがある。
 とある都会の大店舗の新商品売り場である。売り場の前には長蛇(ちょうだ)の列が出来ている。いっこう前へ進まない列に、ほとんどの人がイライラしている。そこへ一人のノボォ~~っとした人が現れた。この人も列に並ぶ人々と同じように新商品を買いに来た一人だ。
「あの…どれくらい並ばれてます?」
 ノボォ~~っとした人は、
最後尾に並ぶ人に、ノボォ~~っとした声で訊(たず)ねた。
「もう小一時間ですよっ! 進んだのはほんの2mほどですっ! ちっとも進みゃしないっ!! おやめになった方がいいですよ」
「ああ、そうなんですか。どうも…」
 ノボォ~~っとした人は、それでもノボォ~~っと並び始めた。
「並ぶんですか?」
「はい、他にすることもないんで…」
 ノボォ~~っとした人は、バッグから折り畳(たた)み椅子をノボォ~~っと取り出すと、広げてノボォ~~っと座った。
 しばらくすると急に人の動きが激しくなり、人々は蜘蛛(くも)の子を散らすかのように消え去った。
「どうしたんです?」
 ノボォ~~っとした人は、最後尾から二番目に並ぶ人にまた訊ねた。
「売切れみたいですよ。…じゃあ!」
 最後尾から二番目に並ぶ人も消え、店の前はノボォ~~っと人だけになった。小一時間したそのとき、店の主人がシャッターを下(お)ろそうと出てきた。
「? お客さん、どうされました?」
「つい、ウトウトしてしまいました。そろそろ帰るとしますか、ははは…」
 ノボォ~~っとした人は、そう言うと折り畳み椅子からノボォ~~っと立ち上がった。
「なんだ、まだ並ばれてたんですか? そりゃ~お悪いことをしました。いいでしょ! 一つ、取ってあるのをお売りいたしましょ!」
「いや、それはそれは、どうも…」
 ノボォ~~っとした人はノボォ~~っとした声でそう言うと、新商品をノボォ~~っと買い、ノボォ~~っと帰っていった。
 このように、ノボォ~~は、それでも続ける持続力があり、しかも、目に見えないオーラのようなご利益(りやく)を得られる優(すぐ)れた力がある訳である。^^

                         完

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2019年12月 1日 (日)

それでもユーモア短編集 (49)完璧(かんぺき)

 ははは…これで完璧(かんぺき)な仕上がりだっ! と、したり顔で昼食にしたところ、デスクへ戻(もど)った瞬間、「課長っ! えらいことですっ! ワン! ともニャゴりませんっ!」と、仕上がりミスを指摘されることがある。
「ば、馬鹿なっ! 俺が確認したんだぞっ!」
 と、力んでみても、あとの祭りで神輿(みこし)は出ない。^^ それほど完璧は完璧ではない訳だ。それでも人は完璧を求めて、飽(あ)きもせず試行錯誤(しこうさくご)を繰り返している。どうも、これが人が持っ生まれた本性なのかも知れない。
 手術が終ったばかりのカンファレンス室である。患者の家族が心配そうに執刀医を待っている。しばらくして、徐(おもむろ)にスゥ~っと現れた執刀医が告げる。どうも頼りなさそうな医師だ。
「先生っ!!」
「手術は完璧に成功しましたっ!」
「完璧ですかっ!」
「はい、もちろん! 私が言うんですから間違いありませんっ!」
 自慢げな執刀医はその後、手術の詳細を家族に報告した。それでも不安な家族は、執刀医に繰り返して訊(たず)ねた。
「あの…ほとんどダメだというお話でしたが…。ほんとに大丈夫なんでしょうか?」
「諄(くど)いですなっ! 完璧ですよっ!」
 手術は完璧だったが、その医師は患者の家族を間違えていた。完璧ではなかったのである。^^
 このように完璧と思えることは、それでも完璧を追求する必要があるのである。^^

        
                  完

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