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2020年8月

2020年8月31日 (月)

疑問ユーモア短編集 (23)統率力(とうそつりょく)

 どのような組織にも言えることだが、その頂点に立つリーダー[トップ]には統率力(とうそつりょく)が求められる。統率力がなければ組織は乱れ、最悪の場合は瓦解(がかい)してガッカリすることになる[ダジャレ^^]。だからリーダーには統率力が求められる訳だが、そう上手(うま)くすべてのリーダーに統率力が備わっている訳ではない。監督、司令官、社長など、リーダーは、いろいろな分野で様々に分化しているが、統率力[リーダーシップ]が有り過ぎるほどあっても、そのリーダーの進む方向が間違っていれば、ただの独裁者で、組織は偉い事態に陥(おちい)ることになる。得てして、こういう人物が国家なら軍国主義で国民が疲弊(ひへい)する事態がそれだろう。まあ、どうにも出来ない私達庶民には、どぅ~~でもいい話なのだが…。^^
 戦国時代の小田原城中である。四方を統率力のある羽柴軍に取り囲まれた北条氏政、氏直親子の下(もと)、重臣達による評定(ひょうじょう)が行われていた。世に言う[小田原評定]である。
「さぁ~~て、どうしたものか…」
「殿、勝ち目はござりませぬ! ここは籠城(ろうじょう)をっ!」
 重臣の一人、家老、松田憲秀に進言された氏政に対し、北条氏康の四男、氏邦は強く、出撃を主張した。
「黙れっ! 聞く耳、持たぬっ! 出撃あるのみぞっ!」
 氏政は、いよいよその統率力を問われることになった。
「籠城じゃ! 籠城っ!!」
 ついに決断は下された。天正18年1月のことである。
『無理じゃ…。降伏のみっ! 糧秣(りょうまつ)が足らず、孰(いず)れは利用(りよう)できぬぞ…[戦国時代のギャグ]』
 氏政の子で徳川家康公の娘婿、氏直は内心で、そう思ったか思わなかったは定かでない。ギャグは言わなかっただろうが…。^^ ただ、降伏思考が史実であるとすれば、真に統率力があった武将は氏直・・ということになる。^^ 事実、天正18年6月以降、北条氏は降伏する。そして、家康公の娘婿ということで一命だけは許され、高野山へ追放となったが、惜しいことに、その翌年、当地で没した。
 統率力とは? と疑問が湧くが、一つ言えることは、間違いが許されない・・ということだろう。^^

                            完

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2020年8月30日 (日)

疑問ユーモア短編集 (22)政党

 政治の話で、誠に申し訳ないm(_ _)m ・・ と先に謝罪しておくのが読者の方々に対し賢明だろう。というのも、私ゃ、そうは思わんっ! と言われれば、それまでだからだ。^^
 いくらいい党でも政権担当が長期に及べば、ボロが出たり腐敗する蟠(わだかま)りが蔓延(まんえん)する。そうした与党に圧力をかけ、正したり奮取(ふんしゅ)することで政権交代するのが野党の立場なのだが、残念なことに我が国には現在、政権担当能力を具備し、なおかつ国民の負託(ふたく)に応(こた)え得(う)る組織の野党がない。昭和40年代のフォーク歌手、メリーホプキンさんの♪悲しき天使♪ならぬ、悲しき事実だが、悲しんでぱかりもいられず、国民は日々を空(むな)しく生きていかねばならないのである。^^ ソチラがダメならコチラへ投票っ!・・という政党の選択肢がないのだ。本来、完成されたデモクラシーにおける政党は、グローバルな政治感で集約化され、政策の違いこそあれ、そうたやすく分裂などはしない。早い話、今の我が国の野党は多くの政策集団に過ぎないのである[与党以外の国会議員の方々、平にご容赦(ようしゃ)をっ!^^]。なぜ集約された政党にはならないのか? という疑問が、ふと浮かぶが、政治家でもない私が兎(と)や角(かく)言う筋合(すじあ)いの話ではないだろう。政治家諸氏の奮闘を期待する以外、打つ手がない。^^
 とある農家の縁側である。日向(ひなた)ぼっこをしながら、二人の老人が話をしている。片田舎(かたいなか)ということもあり、縁側の前には遠景の山々と広大な田畑が広がる。
「今年はまた国政選挙ですなっ!」
「私ゃ、政治など、どうでもいいんですっ!」
「そんな投げ槍(やり)なっ!」
「槍投げでも投げ槍でもいいんですっ! 変らんでしょ!」
「上手(うま)いっ! 大山鳴動して選挙費用のムダ・・ですかっ! ははは…」
「そんなことより、私ゃ、明日の、おしるこっ!」
「ああ、そういや、正月も、はや、小豆粥(あずきがゆ)で終わりますなっ!」
「家(うち)の小豆粥は、毎年、おしるこ仕立てなんですっ!」
「ほう! さよですか…」
「まあ、そんなことはどうでもいいんですが…。今年もいよいよ始まりましたが、いい年になるかは政治次第ですかなっ!」
「はい! 政党に頑張ってもらわんことにはっ!」
「まあ、あまり期待せずに期待するとしましょう!」
「政党には期待せずに期待しますかっ!」
「ははは…まあ、その程度でっ! あくまで、政策集団でない政党ですがなっ!!」
「なるほどっ!」
 政党に期待すれば多くの疑問が湧くから、期待せずに期待するのがいいようだ。^

 ※ あくまでも考え方には、個人差があります。^^

                          完

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2020年8月29日 (土)

疑問ユーモア短編集 (21)絶好調

 絶好調のとき、人はいい気分で浮かれる。それが何故なのか? は疑問だが、テンションが上がっていることが原因の一つとは分かる。概(がい)して、こういうときほど思わぬことで人は不調に陥(おちい)りやすい。要は、絶好調を保つ秘訣(ひけつ)として、浮れ過ぎない! ことが肝要(かんよう)ということになる。^^
 とある会社の社長室である。業績不振に喘(あえ)いでいた昨年までとは異(こと)なり、今年は業績が順調に伸びたためか、社長の礼儀(れいぎ)はホクホク顔で社長席に踏(ふ)ん反(ぞ)り返っていた。そこへ副社長の不躾(ぶしつけ)が入ってきた。
「社長、おはようございます。今月も売り上げは順調に伸びておるようでございます」
「ほう、絶好調かっ! それは、なによりだ」
「ははは…。いやまあ、絶好調とまで回復しておるとは申せませんが…」
「というと?」
「はあ、まあ。好調くらいまでは…」
「好調? うんっ! それでもまあ、不調じゃないんだからね、ははは…」
 礼儀は、ふたたび社長席で踏ん反り返った。そのとき、踏ん反り返り過ぎたためか、椅子の背凭(もた)れが折れて外(はず)れた。その弾(はず)みで礼儀はフロアへ倒れ込んだ。
「おおっ! 社長、大丈夫ですかっ!!」
 不躾は、慌(慌)てて社長席へ駆け寄った。
「ははは…なんの、これしきっ! ぅぅぅ…」
 そのとき専務の作法(さほう)が、小忙(こぜわ)しく社長室へ踊り込んできた。
「副社長、偉(えら)いことですっ! B社の手形が不渡りにっ!」
「なにぃ~~っ!! B社は我が社一番のお得意じゃないかっ!! こりゃ、好調から不調、いや、倒産かっ!!」
 叫び口調で礼儀は返した。
「き、君っ!! 不吉(ふきつ)なことを言うなっ! 不吉なことをっ! ぅぅぅ…」
 不躾は、ようやく立ち上がると、腰を片手で摩(さす)りながら椅子へ座り直した。そのとき部長の挨拶(あいさつ)が、祁魂(けたたま)しく社長室へ飛び込んできた。
「せ、専務!! B社の株がどういう訳かストップ高で、手形がOKにっ!」
「なにっ! それは、事実かっ!!」
「事実も素質もありませんっ! 本当ですっ!」
「おっ! 上手(うま)いっ! 君達、こりゃまた、振り出しへ戻(もど)たぞっ! 絶好調じゃないかっ! はっはっはっ…」
 大笑いしながら社長の礼儀は、ふたたび踏ん反り返ろうとしたが、背凭れが外れたことを思い出し、慌てて背を伸ばした。
 絶好調なときほど兜(かぶと)の緒(お)を締め、いや、背を伸ばさないといけない訳だ。^^

       
                  完

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2020年8月28日 (金)

疑問ユーモア短編集 (20)豊かさ

 豊かさ・・とは何か? という疑問を少し考えてみよう。考えたくない人は、正月残りの餅(もち)でも焼いて食べていて下さればそれでいい。ただ、食べ急いで喉(のど)につめないよう、お願いいたします。^^
 豊かな暮らし・・これはもう、豊かさを感じるそのものっ! と誰もが思うことだろう。だがその豊かさを感じるには数多くの条件が満たされねばならない・・ということになる。その数多くの条件には、物や社会環境といった様々な条件が含まれる。物の場合は暮らしに不自由しない設備、家、生活物資などといった物質面に恵まれ、不足がない状態だ。社会環境だと、周囲の暖かい人々に恵まれ、戦争や紛争がない生活環境となるに違いない。孰(いず)れにしろ、心身ともに豊かさを実感できることが必須条件となる。何か一つでも欠ければ、豊かさの実感は薄れたり消え去ったりするのだ。
 正月開けの餅を古風な練炭火鉢(れんたんひばち)で焼きながら、二人のご隠居が語らっている。
「私ゃ、この安い餅を、こうやって焼きながら食べておるときが一番の幸せでしてな。しみじみ、豊かさを感じるんでございますよ」
「ほう! 偉(えら)く安い豊かさですなっ、ホッホッホッ…」
「はい! あなたの場合は?」
「私ですか? 私の場合は、やはり俳句ですかな。一句、捻(ひね)りますとな、そのゆとりの時間に豊かさを感じます」
「ほう! 偉く古風(こふう)な豊かさですなっ、ホッホッホッ…」
 それを少し離れたところで立ち聞きしていた息子の嫁が呟(つぶや)いた。
「練炭火鉢でお餅を食べてるお二人の時間、これが一番の豊かさ…」
 豊かさとは何なのか? は疑問だが、実体がないから人それぞれで違うことだけは確かなようだ。^^

                         完

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2020年8月27日 (木)

疑問ユーモア短編集 (19)宝くじ

 誰もが豊かな暮らしをしたいに違いない。そりゃ、貧乏で寒さに震えるよりは空調で暖かく過ごす方がいいに決まってるだろっ! と膠(にべ)もなく言われればそれまでだが、その通りだから、まあ仕方がない。この私だってご他聞(たぶん)に洩(も)れないのである。^^ だが、法外に豊かな暮らしは、そう簡単に手に入るものではない。となれば、人々はギャンブルをせねばならない。同じ暮らしを続けていては豊かな暮らしを手に入れられないからだ。そうなると、安全で小さなギャンブル・・まあ、この程度ならギャンブルではなく、オバマ元アメリカ大統領じゃないが、チャレンジと呼ぶに等しいだろう。それが、宝くじである。^^ ただ、ほとんど当たる確率が低く、カラスくじでカアカアァ~~! と鳴く、いや泣くことになる。それにもかかわらず人々が買うのには疑問が湧く。おそらくは、小さな夢を小額のお金で買っているのだろう。だから、それはそれでいい訳だ。ギャンブルとは異(こと)なり、勘定(かんじょう)が合う。しかしこれも、大量に買わない・・という条件がつく。大量に買えば、やはりギャンブルだ。両者を分かつ基準・・これがまた難(むずか)しく、疑問となる点である。^^
 同僚(どうりょう)の二人のサラリーマンが宝くじを買っている。
「どうです?」
「なにがっ?」
「いや、当たりそうですか?」
「ははは…そりゃ、くじに訊(き)いてくださいよっ! 私に訊かれても…」
「まあ、そりゃ、そうです…」
「この前は、これでも6等2,000円が当たってましたがねっ!」
 訊(たず)ねられたサラリーマンは自慢するでなく返した。
「そりゃ、すごいっ! すごいじゃないですかっ!!」
「そうですかぁ~? そんな額じゃないんですがねっ! まぐれ、ですよ、ま・ぐ・れっ! ははは…」
「ここ、ですかっ?」
「ええ、ここで買いました。それがなにか?」
「いや! 当たる率がね」
「ははは…。また、当たりくじがここから出るかは疑問ですがね」
「いや! きっと出ますよ、きっと! 私、10枚、買っておきまっ!」
「私はいつものように一枚だけ…」
 時が流れ、当選くじが発表された。10枚、買ったサラリーマンはすべてがカラスくじでカァカァ~~と泣き、一枚買ったサラリーマンは5等10,000円がめでたく当たってピヨピヨと鳴いた。^^
 宝くじがなぜ当たるのかは疑問となる点だが、まあ運としか言いようもなく、欲を出さないのが無難(ぶなん)ということだろう。^^

                         完

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2020年8月26日 (水)

疑問ユーモア短編集 (18)有利、不利

 ふふふ…こりゃ、かなり有利だっ! と言うことがある。当然、その逆もありで、不利だっ! 諦(あきら)めるかっ! …とショボく思う場合だって起こる。どの時点で有利、不利が判断されるか? は疑問だが、個人差があることは確かだ。
 とある家庭の夜のキッチンである。鍋が美味(うま)そうに煮えている。
「もう、そろそろいいだろう…」
 今、威厳(いげん)を示さないと示すときがない…とばかりに、有利を確信し、偉(えら)そうに父親が言う。
「まだ、ダメよっ! パパっ!」
 娘に釘(くぎ)を刺され、父親の威厳は、たちまち吹き飛ぶ。
「そうよ、パパ。ソコ、まだ半煮えじゃないっ!」
 娘に加勢するかのように妻がダメ出しをする。防戦一方となった父親は不利を、しみじみと悟(さと)る。
「あっ! タレが出てないなっ! 取ってくるか…」
「馬鹿ねっ、パパは…。そこに、あるじゃないっ!」
 立ち上がった父親に娘の止(とど)めのひと言、右カウンターの強打が炸裂(さくれつ)する。
「おっ! おお…」
 小さな声でそう返すと、父親は借り物の猫のように小さくなる。完全なKO負けだが、父親にはなぜ負けたか? の疑問が解けない。10分後、解けないまま、父親も美味しく鍋を突(つつ)く。もちろん、借り物の猫状態だ。
 このように、有利、不利の変化は、原因がつかめないから疑問が解けず、残ることになる。^^

                             完

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2020年8月25日 (火)

疑問ユーモア短編集 (17)気分

 同じ物事(ものごと)でも気分で結果が変化する。どのように変化するのか? という疑問を解(と)くのも面白い。年が明けたというのに、あんたの頭はまだ明けてないのかっ! と言われればそれまでだが、それもそうなので多くは語らない。^^
 とある町の商店街である。朝から気分がいいのか、八百屋の店主が
鼻唄交じりに店頭で品出しをしている。そこへご近所のご隠居が通りかかった。
「♪~~~♪」
「やあ! 朝からご精が出ますなっ!」
「! ああ、これはこれは向こう三軒隣の横丁を入って、右に折れたところを突き当たった家のご隠居!」
「ははは…なにを、まどろっこしいことをっ! ほんそこのご隠居でいいじゃないかっ!」
「いやぁ~こりゃどうも。あっしね、ご隠居。気分がいいと舌が流暢(りゅうちょう)に滑(すべ)るんですよっ!」
「ほう! そうかい。ははは…なんとも気分屋の舌だねっ!」
「そうなんですよっ! そうしますと、上手(うま)くしたもので客足が伸びましてねっ! えへへ…」
「そりゃ、いいことじゃないか。で、気分が悪いと、どうなるんだい? 客がつかんか?」
「ええ、その通りなんで…。そこら辺、ご隠居、どうお思いになられます?」
「どうもこうもないじゃないか。それはねっ、あんたの身体(からだ)から見えないオーラが出てるんだよ、きっと」
「そうでがしょうか?」
「ええ、そうでがすよっ! 気分がいいと+[ブラス]、悪けりゃ-[マイナス]!」
「ご隠居、ほんとですかぁ~?」
「そりゃ、そうさっ! 当の本人が信じないで、誰が信じるっていうんだいっ!」
「ははは…、そりゃ、そうだっ! どうも、すいません! …おやっ! あっし、なぜ謝(あやま)ってんでしょうねっ! とんだ疑問だっ!」
「勇み足だよっ! あんたの負けっ!」
 気分がいいと、勇み足で負けて謝ることになるようである。それがなぜか? という疑問は解けない。^^

                         完

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2020年8月24日 (月)

疑問ユーモア短編集 (16)自由

 誰もが自由に生きたい…と思うだろう。だが、そんなに世の中は甘くない。いくら財産のある人だって、もちろん、普通に暮らしている人や貧乏な人も含むのだが、そう簡単にすべて自由になれる・・ということは、生きている以上、不可能なのである。世の中は目に見えない魔の力で私達の自由を削(そ)ごうと虎視眈眈(こしたんたん)とつけ狙(ねら)っているのである。それが何故(なぜ)なのか? という疑問が湧(わ)くが、たぶん魔は人を幸せにはしたくないのだろう。^^ これが、魔の魔たる所以(ゆえん)なのだが…。^^ そんな疑問を吹き飛ばすには自由にならず物事に拘(こだわ)らないことだが、これがどうしてどうして、なかなか難しく、私達は小さなことについ拘ってしまい、いつの間にか自由から遠ざけられている。お金を持っていても使わなければなんの価値もない、ただの紙切れや金属に過ぎない。魔は自由に使わせないないよう、マインド・コントロールという悪辣(あくらつ)な手法で使う自由を削いでいるのである。^^
 とある街通りに一人の男が寝そべっている。
「どうされました?」
 自転車で通りかかった交番の巡査が、不審に思えたのか訊(たず)ねた。
「どうしたって? 見りゃ、分かるだろっ! 寝てんだよっ! 疲れたから寝てるの…」
「ここは人が通ります。通行の邪魔になりますから…」
「分からねえ巡査だなっ! どこで寝ようと人の自由だろっ!」
「そんなことはないんですっ! ここは自由に寝られません。交通妨害は立派な法律違反なんですよっ!」
「あっ! そうなの? だったら、もっと早くそう言ってよっ! ちっとも知らなかったなぁ~! 道路じゃ自由に寝られないんだ。どうも…」
 男は申し訳ないように立つと、楚々(そそ)と巡査にお辞儀して立ち去った。
 このように真の自由とは、疑問が湧くほど少ないのである。^^

 ※ 考え方には個人差があります。^^

                          完

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2020年8月23日 (日)

疑問ユーモア短編集 (15)御手洗(みたらし[い])

 日本語の読みには疑問が湧(わ)くことが多い。以後の回もそんな話題を書くとは思うが、今回は御手洗(みたらし[い])という言葉を話題にしたい。そう読むんだからそう読むんだっ! と大上段に振り翳(かざ)されれば、そうです…と頷(うなず)く他はないが、よくよく考えれば、音訓的には、とてもそうは読めないのである。[御]の字を[お]と書いて、[お手洗]とすれば、訓読みは、どう考えても[おてあらい]となるだろう。[おたらい{し}]の読みは100%ないのだ。^^ 言語学者以外は、まっ! どうでもいい話なのだが…。^^
 とある公園のイベント会場前で、多くの人が並んでいる。そうなれば当然、トイレも混むことになる。
 二人の男がでイベント会場の列(れつ)に並びながら語らっている。
「御手洗(みたらし)なんですがね…」
「ちょっと見てきましょうか?」
「お願いします…。入場券は取っておきますから」
「さよでっ! そいじゃ、お願いしますっ!」
 そう言うと一人の男は駆け出し、列から姿を消した。そして、しばらくすると、ニヤけた顔で戻(もど)ってきた。手には、みたらし団子を両手に二本ずつ、合わせて四本を持っている。
「ありましたっ! みたらしっ! はいっ!」
 男は片手の二本を手渡そうとした。そうじゃないんですっ!! と言えない男は、笑顔で受け取らず、姿を消した。もちろん、お手洗である。
 御手洗[みたらし]という読みが誤解を招いた馬鹿馬鹿しい話だが、なぜそんな読みになったか? が疑問となる。^^

                            完

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2020年8月22日 (土)

疑問ユーモア短編集 (14)メディア

 昨今、世の中はメディア[媒体]による意思疎通[コミュニケーション]で影響を、もろに受ける時代となっている。ラジオしかなかった時代に比べれば、情報媒体もかなり増え速い速度で私達の目や耳に届く時代である。そうすると、私達は別に思わなくてもいいのに、まったく関係がない出来事に思ってしまうことになる。^^ ニュースでアナウンサーが、「ドコソコの国道△□線で接触事故があり、タレントの○○○○さんはショックのあまり行き先を忘れました…」などというニュースは読まれないだろうが、^^ 余り関係のない事件や事故を報道されても、視聴者サイドは『…フゥ~~ン、そうなんだ。あのタレントが…』くらいの気分で終ってしまう。ところが、タレントの所属事務所は、それどころの話ではなく、ド偉いことが報道されたぞ…と人気落ちの心配気分になるのである。メディアによる影響だ。妙なことに、事実でない報道が、さも事実のように広がり、拡散するうちに虚偽事実が事実に変化するのには疑問が湧く。恋愛のスキャンダラスな話だと、飛ぶように売れるネタなのだろうが、事実でないから、いつしか下火となる。すると、上手(うま)くしたもので、メディアは、両者は破局! などの落ちにして、無かった話にしてしまう訳だ。^^ これは、メディアの力を利用した実に巧妙なお商売だが、それが成立する時代なのだから、そら怖ろしい。^^
 年明けの、とある都会の街通りである。福袋目当ての人の列でごった返している。その中を、まるで他人事(たにんごと)のように興味なさ気に楚々(そそ)と通り過ぎる二人の老人がいる。
「なんですっ? この列はっ?」
「ああ、福袋ですよ、福袋っ!」
「ああ! そういや、今朝のチラシ広告に出とりましたっ!」
「そう、それっ! メディアの影響ですなっ!」
「福袋って、そんなにいいんですか?」
「ははは…そうでもないんでしょうが、メディアによって、より以上によくなってしまった・・ということでしょうな」
「品物というより福袋を買うとか?」
「そう、それっ! メディアの影響ですなっ!」
「やはり、メディアの力ですか?」
「そう、それっ!」
 説明する老人は、そう、それっ! を多用してメディアを強調した。
 なぜメディアにそのような力があるのか? は疑問だが、人をその気にさせる影響力を持つのは確かなようだ。^^

          
                  完

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2020年8月21日 (金)

疑問ユーモア短編集 (13)自然と強制

 物事には成りゆきに任せた自然な進行と、強制して進行させる二つのやり方がある。どちらも完成を目指すのは同じだが、自然な進行は、どうなるか分からず不安定で、いつ結果が出せるか分からない難点がある。ゆとりがあるときは、いいが、緊急時には不向きだ。それに対し、強制で進行させる場合は結果が案外早く、確実でもある。それなら、すべて強制で…という疑問が湧くが、それがいいとも言えないのだ。強制は長続きせず、頼れば偉いことになるデメリット[不利]を抱(かか)える。その点、自然は長続きするメリット[利点]があり、時と場合で使い分けられるか? ということだ。私は自然も強制もしない…という自由主義者の方は、美酒に酔い痴れて下されば、それでいい。^^
 とある高校のサッカー部の部活である。競技場で二人の選手がサッカーのパス練習をしている。それを遠目でコーチと監督が見守る。
「あんな自然に任せたパス回しなのに得点率が高いのが疑問なんですよ」
「返って計算していないからじゃないか。計算し尽くして、強制してパスを通しても、相手は計算どおり動いてくれるかは分からないだろ」
「ああ、なるほど。それは監督が言われるとおりですね」
「だから、なんじゃないか」
「強制は、ある種の賭(か)け・・ですからね。裏目に出りゃ、潰(つぶ)されます」
「ああ。そうなりゃ、結果的にボール・ポゼッションは相手チームが上回るよな」
「はい…。強制より自然ですか?」
「ははは…まあな。そういや、君の強制力は失敗に終わったそうじゃないか」
「知ってられたんですか。もう少し、告りは遅らせた方がよかったようです。彼女に逃げられた理由です」
「ははは…俺は自然に任せて、なるようになったぞっ!」
「今の奥さんですか。私も見習います、ははは…」
 二人はサッカーに関係ない話で盛り上がった。
 どうなるか先が分からない疑問は、急がず自然に任せた方が好結果を得られるようだ。^^

                           完

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2020年8月20日 (木)

疑問ユーモア短編集 (12)出来る!

 出来ないと思っていることでも、出来る! という気持でやれば出来るのはなぜか? という疑問を考えたい。年末のこのクソ忙しいときにっ!他にやることはないんかいっ!! と怒られる方もおありだろうが、これでもキチンとやることはやっているからご安心
を願いたい。^^
 とある高校の柔道大会が行われている総合体育館である。観客席で、柔道部の先輩二人が話し合っている。
「いやぁ~、ナニには勝てんだろっ、いくらなんでも…」
「まあ、番狂わせ・・ということもあるっ! アレは普通の者(もん)では出来ん石段跳びをやってたからな」
「ほう! そんなに足腰が強いか?」
「いや、他の者と、そうは変わらんが、根性(こんじょう)だけは全然、違う。聞いた話によると、出来る! と自分に念じているそうだぞ」
「それは、すごい! なら、ひょっとすればひょっとするか?」
「ああ、ひょっとすれぱ…。いや、アレなら出来る! ぞっ、ははは…」
 アレとナニは順当に勝ち進み、二人は決勝戦で合間観えた。その結果、前評判を覆(くつがえ)し、アレはナニに勝って優勝したのである。
 勝てる! 心意気だけで、なぜ勝てたのは疑問だが、それだやり遂げようとする人の根性は強いということだろう。受験生の皆さん! 出来る! と思えば、必ず合格出来る! がんばれっ!^^

                            完

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2020年8月19日 (水)

疑問ユーモア短編集 (11)意識

 意識すればするほど、思っていたことが思い通りにならないのには疑問が湧(わ)く。実力があるにもかかわらず、いざ本番で意識する余り失敗してしまうことになる。もっと分かりやすい例だと、ホの字、要は惚(ほ)れてしまうことだが、^^ 意識して、相手に思いの丈(たけ)を伝えられず、ぼ、僕は…などと噛(か)むのが、それだ。^^
 とある下町の定食屋である。看板娘の美代ちゃんに、すっかり絆(ほだ)されたサラリ-マンの奈島は日参するように食べ通うようになっていた。ベタ惚れ状態である。^^ 美代ちゃんも少なからず分かっていて悪い気はしなかったが、自分から言い出すことはなかった。
「おいっ! まだ11;30だぞっ! もう昼飯かよっ!」
 奈島の課では、同僚が飛び出ていく奈島を冷やかした。それもそのはずで、会社から定食屋までは30分以上かかったのである。
「困った奴(やつ)だ…」
 課長も奈島の情報は得ていて、定食屋へ日参していることは分かっていたから、遠回しにニヤけた顔で嫌味を言った。課長にも同じような過去の意識した出来事があった・・ということもある。
 そんなことが繰り返され、一年が過ぎていったある日のことである。ついに、意識する奈島に奇跡が起きた。意識しない別の奈島が姿を現したのである。
『今日は、俺が行ってやるよ。お前のダサさは見ちゃいられねえからなっ!』
「はあっ? あ、ああ頼みます…」
 そして一時間後である。
『話はつけてやったぜ。OKだとよ。あとはお前がやりなっ!』
 そう告げると、意識しない奈島は意識する奈島の前から忽然(こつぜん)と消え失せた。
 二年が過ぎ、奈島と美代ちゃんはパンパカパ~~ンと、めでたい曲が流れることになった。
 どうしてそうなったかは疑問だが、ともかく、意識する人にも意識しない反面の心が潜(ひそ)んでいるようだ。^^

                          完

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2020年8月18日 (火)

疑問ユーモア短編集 (10)黒白(こくびゃく)

 黒白(こくびゃく)をつける・・という言い回しがある。申すまでもなく、その行為が間違っているか否(いな)かを明確にする意味である。だが、人の世では曖昧(あいまい)な行為が認められ、善悪どちらも通用しない・・というのが疑問だ。偏(かたよ)れば生き辛(づら)いのが世の中・・ということになる。^^
 高校生の息子とその父親が、いがみ合っている。
「そこまで言うなら、黒白をつけようじゃないかっ!」
「ああ、いいよっ!」
 父親の勝負に、息子はあっさりと乗った。
「じゃあ、お母さんを呼んできなさいっ!」
「分かった!」
 息子は勢いよくキッチンへと消えた。しばらくして、母親と息子が居間へ入ってきた。
「母さん、今夜は石狩鍋だよな」
「石狩鍋ってことはないよ、絶対っ! 鳥スキ!」
「えっ? なにっ? 二人とも違うわよっ! 魚スキ!」
「…」「…」
 親子の黒白はつかず、灰色で終った。
 まあ、こんな平和な黒白のつけ方なら、大いに望むところで、疑問が生まれる余地はないだろう。^^

                            完

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2020年8月17日 (月)

疑問ユーモア短編集 (9) 世間体(せけんてい)

 私達、日本人には世間体(せけんてい)を気にする人が多い。それがどういう訳かは疑問だが、ともかく外国の人々に比べると多いのは確かだ。その辺(あた)りが外国から移住した外国の人々には不思議に思えるらしい。外国では周りの人々がどう思おうと、自分が納得できればそれでいい…的な発想らしい。独自性[アイデンティティ]が世の中で許されている訳である。そこへいくと、日本では世間に馴染(なじ)まないと変な人として白眼視されがちだ。実は、その白眼視する人達が変な人達なのである。そのことに当の本人達は、まったく気づいていないのだから困(こま)る。^^
 とある町の歳末風景である。雪が舞っている。別に舞わなくてもいいのに舞っている。^^
「このクソ忙(いそが)しいときにっ!」
 小忙(こぜわ)しそうに街路を歩く一人の男が、ボソッ! と愚痴った。どう見ても、クソ忙しそうには見えない男だったが、その男の脳裏(のうり)には歳末は忙しいもの・・という世間体独特の思い込みがあったのである。そのとき対向から別の一人の男が歩いてきた。
「やあ! これはお隣の湯屋(ゆや)さんっ!」
「ああ! 禿山(はげやま)さんでしたか…」
 湯屋は禿山に声をかけられ、小忙しさを瞬間、忘れた。
「どこぞへ?」
「いや、まあ…。正月ものでも・・と思いまして…。それにしても小忙しいですなっ!」
「ええ、まあ…。年の瀬ですから」
「お宅は?」
「いや、夜勤の帰りです」
「それはそれは…。お疲れのところを」
「いえいえ。それじゃ!」
 歩き去る禿山の後ろ姿を見ながら、湯屋は小忙しくする世間体に、ふと疑問が湧いた。

 

 ※ 禿山氏は、私小説[あんたはすごい!]に登場した人物で、本作はスピンオフ作品です。^^


                          完

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2020年8月16日 (日)

疑問ユーモア短編集 (8)完璧(かんぺき)

 誰だって、やっていることは完璧(かんぺき)にやってしまいたいだろう。^^ ところが、どこかに間違いがあったり、どこかで間違えたりして、完璧な仕上がりは夢に終ってしまう。それだけ完璧は、なかなか成し遂げられない成果なのである。棋界なら、九段は大勢おられるが、十段はお一人だけ・・みたいなものだろう。^^ 事後になり、なぜ間違えたんだ? と、疑問を抱くことになるが、当然、本人に間違えるつもりはなく、完璧を目指していたのだから、疑問はその間違えた瞬間、何がそうさせたか? ということになる。^^
 春のポカポカ陽気の中、どこにでもいそうなご隠居の二人が、縁側の座布団に座り、庭を愛(め)でながら話し合っている。
「最近は、どうもいけません! 自分じゃ完璧にやったつもりなんですがね、どういう訳か忘れとります」
「そうそう、私もありますな」
「この前も、『おいっ! シャンプーがないぞっ!』って疑問が湧き、妻に問いましたらね。『あんた! 今、頭に立ってる泡(あわ)は、なによっ!』って、こうですよっ! 完璧に頭も洗えなくなってしまったか…と思いますとね、ぅぅぅ…」
「なにも泣くこたぁないじゃありませんかっ!」
 泣きつかれた老人は、慰(なぐさ)めながらハンカチを取り出し、手渡そうとした。
「いや、大丈夫です…」
 泣きついた老人はハンカチを受け取らなかった。決して大丈夫ではなかった老人だが、受け取ろうとしたハンカチが完璧に汚れていたのだ。
「そうですか?」
 手渡した老人は綺麗なハンカチ…と完璧に思っていたから疑問が湧いた。しかし、それは三日前で、完璧に記憶が飛んでいたのである。
 完璧とは、まあこんな疑問が湧く曖昧(あいまい)なものなのだ。^^

 

                              完

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2020年8月15日 (土)

疑問ユーモア短編集 (7)迷信

 信が迷う・・というのが迷信である。^^ 信が迷う・・のは少し疑問だが、その迷信には人々をそう思わせる力があるのに違いない。でなければ、人々は信じず、迷信とはならないからだ。迷信には人々を説得させる力が必要・・ということだろう。
 とある宗教団体の集(つど)いである。興味本位で訪れた人々が教主のマジックに踊らされ、すっかりその気になっている。
「古くから私達は迷信と思ってきました。しかし、このように、現に迷信ではない事実を、皆さんは目(ま)の当(あた)たりにされたはずです。疑問など少しもないのです…」
 教主は入信しようとする人々を見回し、厳(おごそ)かな声で、そう言い放った。誰も話す教主の言動を疑問に思う者はなかった。しかし、そのときである。一人の子供がポツンと小さな声で言った。
「なんだっ! 僕、そのマジック、知ってるよっ!」
 マジックと言われた教主は形無(かたな)しである。その途端、人々から割れんばかりの拍手が湧き起こった。宗教団体の集いは、いつの間にやらマジックの集いへと変化したのである。
 このように、迷信への疑問は、いとも容易(たやす)く解(と)けることになる。^^

                           完

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2020年8月14日 (金)

疑問ユーモア短編集 (6)参詣(さんけい)

 願いごとがあると、人々はどういう訳か神社や寺院に参詣(さんけい)する。参詣したからといって、別にどうなるものではないのだろうが、人々はそうする。ある種の気休めにも思えるが、よくよく考えれば、こうした行為には疑問が生じる。まあ、願いごとがなくても参詣する人々は多いのだが、参詣すれば必ずといってよいほど両手を合わせたりなんかして、古式ゆかしく参詣するパターンが一般的だ。誰が、そうしろっ! と言っている訳でもないのに、人々が条件反射のようにそうするのは疑問である。外国の観光客なんかが神社、仏閣に訪れれば、ほう! そうするんだ…くらいの気分で、キョロキョロと建物を見回した挙句(あげく)、スゥ~っと通過するに違いない。むろん興味本位(きょうみほんい)の見よう見真似(みまね)で両手を合わせる観光客もいるのだろうが…。^^
 とあるお寺である。二人の参詣客がなにやら話をしている。
「前々から疑問に思っとったんですがな。神さまをお護(まも)りするこのお寺ですと、神さまと仏さまは当然、連絡し合っとるんでしょうな?」
「さあ~? その辺のところは、私には…」
「いや、私は当然、あると踏んどります…」
「踏んでおられますか? 確かに、私の足を踏んでおられますが…」
「おっ! これはこれは、失礼いたしました。お痛いことを…」
「いえ、先っちょでしたから、さほどのことは。ははは…」
 いつの間にやら参詣客の疑問は消え失(う)せ、神さまと仏さまは、どこかに忘れ去られていた。^^

                            完

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2020年8月13日 (木)

疑問ユーモア短編集 (5)悪口

 どういう訳か、理由もないのに悪口をいう人がいる。なぜ言いたいか? は疑問だが、とにかく言うことでストレスを発散していることは確かだ。発散する人はいいが、発散される方は堪(たま)ったものではないだろう。この気分はポイ捨てと同じで、家の前に捨てられた人の気分は捨てた人のストレスを貰う形で溜まっていくことになる。それが限界になると、その家の人はそのストレスを発散することになる。ポイ捨てはしないだろうが、なんらかの形で発散するだろう。悪口を言われた人は、別の悪口を言うことで自分への悪口を忘れさせようとする。この現象が続くと、世間は悪口だらけになる訳だ。^^ そうならないためにも皆さん、悪口は出来るだけ言わないようにしよう。もちろん、ポイ捨ても…。^^
 買い物帰りの二人の主婦が立ち話をしている。
「あらっ! そうですの? 私、初めて知りましたわ。まさか芋川(いもかわ)の奥様が…」
「そうですのよ。私も最初、耳にしたときは信じられませんでしたわ。相手がご近所の酢豚(すぶた)さんの旦那さんなんてねっ!」
 二人の気持は同じで、芋に酢豚は合わないっ! という単純な疑問だった。女性の芋川は別として、悪口の矛先(ほこさき)はどうも酢豚らしく、同じご近所のイケメンの青年、刺身(さしみ)なら出なかったのかも知れない。
 何故(なぜ)か? は疑問だが、悪口も対象となる人や物により、悪口が出なくなる・・ということだ。^^

                            完

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2020年8月12日 (水)

疑問ユーモア短編集 (4)風

 風は吹いてよい場合と悪い場合がある。同じ風なのにそれはどうしてか? という疑問が生まれるが、それは決して吹く風の所為(せい)ではなく、すべてが私達の勝手な理由によるところが大きいことに気づかされる。
 とある町の街路である。一人の男が、ブツブツと不満を漏らしながら通りを歩いている。
「どうして俺が外に出ると、風はアゲインスト[向かい風]なんだっ!」
 男は必ずそうなる自然に吹く風に対してトラウマになっている疑問を愚痴った。
『そう言われましてもねぇ~。なにも私ゃ、あんただけに吹いてる訳じゃねえんでねっ!』
 男はその声にギクッ! とし、立ち止まると辺りを見回した。だがそこには、某グループが歌う歌詞ではないが、♪ただ風が吹いているだけ♪だった。^^
「んっな訳ねえよな…」
 男はふたたび歩き出した。そのときやや強めの風がアゲインストからフゥ~~っと吹いた。
『んっな訳はありますよ』
「え、ええ~~~っ!!!」
 男はまたまた立ち止まり、怖々(こわごわ)と辺りを見回した。だが、そこには、やはり、♪♪ただ風がぁ~吹いているだけぇ~♪だった。
『ははは…疑問にお答えしましょう。すべてはあなたの心が生み出した映像であり、声であり、そして、この私、風なのです…』
 風は男に格好よく囁(ささや)いた。いや、囁いたように男には感じられた。そしてどういう訳か、男の風に対する疑問は、いつの間にか風のように消え去っていた。
 まあ、疑問など挟(はさ)む余地はなく、ただ風は♪吹いているだけぇ~♪なのです。^^

 

                          完

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2020年8月11日 (火)

疑問ユーモア短編集 (3)におい

 においには嗅(か)げば気分がよくなる、いい匂(にお)いと、悪くなる臭(にお)いがある。悪い臭いはやめるとして、^^ いい匂いは人によって違うが、香水や香道のお香なんかだろう。その中で、なんといっても鰻(うなぎ)専門店前のいい匂いは鰻好きには堪(たま)らない。^^ この辺(あた)りは落語にも登場し、匂いを嗅いで料金を請求された男が、一文銭(いちもんせん)をチャラチャラさせ、支払った! と粋(いき)がる面白い噺(はなし)もあるくらいだ。^^ まあ、それは兎(と)も角(かく)として、いい匂いを店前で嗅ぎながら、おにぎりを食べれば無料なのか? という気になる疑問が、ふと湧(わ)いた次第である。『あんたも暇(ひま)だな!』と言われれば、それまでなのだが…。^^;
 とある家庭の一コマである。昼前となり、離れのご隠居がソワソワしている。今日の料理はなんだ? …と、心待ちしているのである。それが分かったかのように、母屋(おもや)の方角からいい匂いが漂ってきた。
「… おお! 今日はカレーか…」
 ご隠居は、ヨイショ! と畳から立ち上がるとイソイソと母屋へと向った。その頃、母屋のキッチンでは、孫の小学生が残り物のカレーを美味(うま)そうに平らげていた。そこへ現れたのがご隠居である。だが、腹立たしいことに自分のカレー皿が出ていない。ふと疑問が芽生えたご隠居は、ここは訊(き)かねばっ! と思った。
「ははは…カレーですかな、昼は?」
「あら! お父さま。違いますの。これは残り物で…。お父さまには鯥(むつ)の味噌(みそ)焼きがご準備してありますわ」
 鯥の味噌焼きは、ご隠居の大好物だったから堪(たま)らない。ご隠居の疑問はたちまち解け、気分は上々になった。
 その後、しばらく経った二人の会話である。
「じいちゃん、カレー美味(おい)しかったよっ! カレーは煮込んだ最後の方が美味しいねっ!」
「ははは…じっくりと漬けられた鯥の味噌焼きも、どうしてどうして、なかなかの味わいでござるよっ!」
 二人の目に見えない勝負は、両者引き分けで幕を下ろした。ただ、ご隠居には、どうして味噌焼きの匂いが離れまで届かなかったか? という素朴(そぼく)な疑問が残り続けた。
 においは姿がないから、良(い)いにしろ悪いにしろ、疑問が湧きやすいのである。^^

 

 ※ 言わずと知れた、風景シリーズ・湧水家の方々の特別出演でした。^^

 

                         完

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2020年8月10日 (月)

疑問ユーモア短編集 (2)感化

 クリスマスが近づいている。クリスマスは言わずと知れたイエス・キリスト様の生誕(せいたん)をお祝いするキリスト教の儀式の一つである。クリスマス・イヴと呼ばれる前夜祭ともなれば、それはそれは厳(おごそ)かな聖歌が教会に流れ、教徒の人々は燭台(しょくだい)に灯(あか)りを灯(とも)し、静かにキリストの生誕をお祝いする訳だ。ところが、さほど信仰もしていない一般人が感化され、飲めや歌えと浮かれ狂うのは、悪いとは言わないが、よくよく考えれば疑問に思える。まあ、私も浮かれ狂いまではしないその一人である。^^ 真偽(しんぎ)のほどは分からないが、聞くところによれば、キリスト様は馬小屋でお生まれになったそうだ。別に馬小屋でなくても、ニワトリ小屋でもよい訳だが、コケコッコォ~!! クックドゥドゥドゥ~!! は、流石(さすが)に喧(やかま)しかったか…と思え、疑問はスゥ~っと消える。^^
 とある町のクリスマス・イヴの夜である。いつものように犬を連れて散歩する老人の目前に鮮やかな光を放つ色とりどりのイルミネーションが現れる。老人は一瞬、立ち止まり、その電飾に見惚れながら深い溜息(ためいき)を一つ吐く。感化されたのである。愛犬は感化されていないから、ワンワン! と吠(ほ)える。^^
「これ、これっ!」
 老人は手にしたリールを手繰(たぐ)り寄せ、愛犬を宥(なだ)める。見れば、愛犬は尻尾(しっぽ)を振って喜んでいるのである。要は、愛犬もクリスマスの電飾に感化されているのである。
「まっ、犬だからなっ。お前には分からんか、ははは…」
 老人には愛犬が感化されていることが分からないから、ふたたび歩を進めようとする。ところが、見惚れた愛犬は動きたくないから歩かずに吠え続ける。
「困ったやつだ。そんなにコレが怪(あや)しいか?」
「ワンワンッ!!」
 愛犬は、『怪しかないですよっ、美しいですねっ!』と言っているのである。
 このように感化されたかどうか・・までは傍目(はため)には分からず、疑問が生まれることになる。^^

                            完

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2020年8月 9日 (日)

疑問ユーモア短編集 (1)疑問

 幼い子供は「なぜっ?」と、よく訊(たず)ねるが、そんなとき、大人はすぐに答えられず、「ははは…まあ、そうなってるからさ」とかなんとか適当に誤魔化(ごまか)して逃げることが多い。よくよく考えれば、大人もその疑問が分かっていないのである。^^
 さて、この短編集では、日常のそうした疑問に思える四方山話(よもやまばなし)を書き連ねていきたいと思う。あんた、この師走(しわす)のクソ忙(いそが)しいときに、なんて暇(ひま)なんだっ! …と思われる方もお有りだろうが、実はこれでも結構、忙しいのだ。だが、なぜ忙しいのか? という疑問が解けないでいる。^^ まあ、それはそれとして、一応、お読みいただければ有り難い次第である。今日はその(1)として疑問という総論的なお話を語りたい。講談のようにはいかないと思うが、グッ! と我慢をお願いいたします。^^
 とある公園である。一人の老人がベンチに座り、買ったカップ酒の小瓶を片手に中秋の名月を愛(め)でている。グビッ! とひと口飲んでは小瓶をベンチに置き、買ってきた木箱入りの寿司を摘みながら月を愛でる。そして、愛でたあとは、グビッ! とまた、ひと口飲む。この繰り返しである。この繰り返しが何度も繰り返され、やがて男は酔いが回り、いい気分へと誘(いざな)われていった。そのときである。男の脳裏(のうり)にふと、『なぜ私は、こんなことをしているんだ? という素朴な疑問が浮かんだのである。
「分からんっ…」
 老人は、ひと言そう呟(つぶや)くとベンチを立って帰ろうとした。そこへ別の老人がコンビニ袋を提(さ)げて現れた。
「おおっ! 今日は先を越されましたな、ははは…」
「んっ? ああ、これはお隣の…」
 老人は、自分はいつも、こうしていたからこうしているんだ…と、深く考えず素朴な疑問が解けた。
 日常の小さな疑問は、このように、そうしていたからそうする・・といった疑問に思っていない疑問が多々ある訳だ。^^

                            完

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2020年8月 8日 (土)

楽しいユーモア短編集 (100)結果

 結果がいいと、楽しい気分になれるのは誰しも同じだろう。人は、いい結果を得ようと試行錯誤(しこうさくご)するが、そうさせまいっ! と妨害(ぼうがい)するのが邪魔(じゃま)である。子供達にも[お邪魔虫]の名で知られた超有名な存在で、悪(ワル)の大スターといったところだ。^^ 残念ながら私達の目には見えず、捕(とら)らえようがないから困りものだ。結果は当然、悪くなり、現実に捕らえられるのは邪魔に刺された人々なのである。邪魔はジャマジャマ…[わははは…]と、いい目をして笑っているだけなのである。人生、出来るだけ邪魔されたくないものだ。^^
 宝くじの当選番号が発表された翌日の、とある会社の屋上である。昼休みなのか、社員達が自動販売機で買った紙コップのコーヒーを啜(すす)っている。
「どうだった?」
「…なにが?」
「なにがって、昨日(きのう)言ってたじゃないか、発表だって」
「ああ! 宝くじの結果か?」
「ソレっ!」
「宝くじは当たったぞ、五等・一万円っ! スゴイだろっ!?」
「よかったなっ!」
 言われた社員は、『なんだ、それっぽっちか…。そんなのは当たったって言わねえんだよっ!』とは思えたが、そうとも言えず、小さく褒(ほ)めた。
「ああ。結果がいいと、いい気分で楽しいぜっ!」
「ははは…だろうなっ!」
 言われた社員は、『そんな額でか? こいつ、小せえなぁ…』と、また思ったが、それも言えず、笑って暈(ぼか)した。
 結果の気分は人の感性で大きく(こと)なり、小さな結果でも、いいと、ものすごく楽しくなる人もいるようだ。^^

                             完

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2020年8月 7日 (金)

楽しいユーモア短編集 (99)予定

 予定という言葉がある。訓読(くんどく)すれば予(あらかじ)め定(さだ)める・・と読めるように、前もって決めておけば、たいそう助かり、安心してコトが運べるという事前措置(じぜんそち)を意味する。そうすると当然、楽しい気分に浸(ひた)れる・・と、まあ、話はこうなる訳だ。^^ ただ、総(すべ)ての事柄(ことがら)がキッチリと予定されれば、これはもう肩が凝(こ)ってコリコリになることだろう。それは困るっ!^^
 とある俳句会で旅行計画が立てられている。旅行先で一句、捻(ひね)ろう! という企画だ。同人(どうじん)は十人程度で、そう多い人数ということではないが、行き先が決まらず、楽しい句会のはずが、どうも揉(も)めているようだ。
「それは違うでしょ! 削節(けずりぶし)といういい名勝の地があるんですからっ!」
「いやいや、削節よりは煮干(にぼし)の方が有名ですよっ! アチラならいい句が詠(よ)めるはずですっ!」
 そこへ別の同人が口を挟(はさ)んだ。
「まあまあ、お二方(ふたかた)。二泊三日なんですから、削節で一泊、煮干で一泊、ってのは?」
「…」「…」
 すると、そこへまた別の同人が口を挟(はさ)んだ。
「なるほどっ! 予定としてはいいと思いますよっ!」
 そのとき、話を静かに聞いていた主宰者(しゅさいしゃ)がボソッと口を開いた。
「皆さん、私は昆布(こぶ)が適当と考えておるのですが…」
「おっ! 昆布ですか。アソコがありましたなっ!」
「ああ、アソコなら確かに…」
「ですなっ!」
「皆さん、いかがですかな?」
 主宰者が威圧するような厳(おごそ)かな声で同人達を見回して言った。一同から、「異議なしっ!」の声が一斉(いっせい)に上がった。
 予定は迷わせない強いリーダーシップがあれば、すぐ決まり、楽しい気分は損(そこ)なわれないようだ。^^

                            完

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2020年8月 6日 (木)

楽しいユーモア短編集 (98)ゆとり

 どれほど楽しいことでも、ソワソワしなければならないほど時間のゆとりがなければ、ちっとも楽しくない。急(せ)かされる次の予定が脳裏(のうり)を掠(かす)めて楽しめない訳だ。要は、その楽しいひとときに、ゆとりがないと楽しくならないということになる。
 とある列車の座席である。二人の老人が何やら話をしている。
「いや、こうしてゆったり座らせていただいておるのは誠に楽しいのですがな…」
「なら、いいではありませんか。他になにか?」
「そこなんです! 実は、駅に着いたあと、財界の食事会がありまして…」
「ほう! それはそれは…。お楽しみですな?」
「いや、それが、ちっともお楽しみではないのです。また、あの気むずかしい連中と駆け引き問答をせねばならんのか…と思いますとな」
「楽しくないですかな?」
「ははは…左様で。こうして、ボケェ~~と列車に揺られておる方が、どれだけ楽しいことか」
「なるほど…要するに、ゆとり・・ですかなっ!?」
「そう、ゆとりです! これが至福なんですなっ!」
「ははは…私ら貧乏人には分からん感覚です」
「いや、そんなことはないと思いますが…」
 そう言いながら、二人はゆったりと駅弁を食べ始めた。
 楽しい気分に浸(ひた)れるゆとりは、人それぞれ・・ということになる。^^

 

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2020年8月 5日 (水)

楽しいユーモア短編集 (97)手順

 囲碁や将棋のプロ棋士がよく気にする手順という言葉がある。意味は言葉通り、物事をする順序が後先(あとさき)になることだ。手順前後の結果、上手(うま)くいくはずの物事が上手くいかなくなったりする。要するに、手順前後は手順が間違って悪い場合に使われることが多いのだ。上手くいかなければ当然、楽しい気分にはなれない。食事前にお菓子を食べて怒られたとしても、食事の後ならよかっのか? といえば、これは、どちらもよくないように思える。子供達よ! お菓子は小腹が空(す)いたときに食べよう。^^
 とある家庭の一場面である。ご隠居が朝から竹刀(しない)を手に、エイ、ヤア! と剣道の稽古に余念がない。そこへ孫の正也が現れた。
「じいちゃん、母さんがご飯だって!」
「ほう、そうか…。エイッ! 未知子さんがな。すぐ行くと言っといてくれ。コレは食べる前にやっておかんと意味がないんだ。ヤァ~!」
「そうなの? 食べてからじゃダメなんだ」
「そうだ。食べてからの運動はダメだ。食べる前だからいいんだ」
「要するに手順なんだね。…なぜなの?」
「なぜも、へったくれもない。ダメなもんはダメなんだ、トリャ~~!」
「ふ~~ん。健康によくないんだね」
「そう! それそれっ! トウリャ~~ッ!」
 ご隠居は誤魔化(ごまか)すかのように身構えた竹刀を鋭く振り下ろした。
「じゃあ、そう言っとく!」
「ああ…。正也も少しやらんか? 楽しいぞっ!」
「今はいいよ。母さんに叱(しか)られるから…」
「ははは…ミイラ取りがミイラになるか」
「ミイラ? ミイラは怖(こわ)いよ」
「確かに…アレは怖いな。ははは…トゥ~~!!」
 ご隠居の大声に正也は稽古か笑うかどっちかにして欲しい…と、単純に思った。
 手順などどうでもよかった、古きよき楽しい時代の一場面である。

 

                             完

 

  ※ 風景シリーズに登場した湧水家のお二人の特別出演でした。^^

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2020年8月 4日 (火)

楽しいユーモア短編集 (96)スンナリ

 以前にもよく似た話を書いたとは思うが、物事が自分の思った通りにスンナリと運べば、これはもう楽しい気分になることは疑う余地がない。しかし、世の中はそう甘くはないから、当然、スンナリと物事は運ばない。だが、人はそんな逆風にも負けず[雨ニモマケズ風ニモマケズ・・とかなんとか小難しく書かれた超有名なお方もおられたが…^^]、スンナリといくよう必至(ひっし)の努力をしている訳だ。この努力する姿を神仏が観ておられるとすれば、恰(あたか)も一匹の蟻(あり)が、自分の身体より大きい食べ物を懸命(けんめい)に巣穴へ運ぶ姿と思われることだろう。それほど私達の努力は、強い逆風に抗(あらが)うには、ひ弱なのである。それでも頑張るっ! それが人のいいところだ。^^
 とある高級住宅街である。旅行帰りなのだろう。一人の老婆が車輪付きのキャリーバッグを引きながら坂道を上がっていく。普通の年の者ならスンナリと上れるのだろうが、なにせ老婆である。そうスンナリとは上れない。そこへ一人の学生風の若者が対向から坂道を下りて来た。当然、困っている老婆の姿が目に映る。擦(す)れ違った瞬間、居(い)た堪(たま)れなくなった若者は、背後(はいご)から声をかけ、老婆のキャリーバッグを引き始めた。
「お婆さん、手伝いますっ!」
「これはこれは、ご親切に…。もう、ほんソコでございますから…」
「ほんソコって、住宅街まで、まだ、かなりありますよ」
「そう急(せ)いてはおりませんでのう…」
 老婆は、やんわりと断った。
「僕も急いでません。講義は夜ですから…」
「学生さんでございますかいのう?」
「ええ、まあ…。夜間の大学で、昼は働いてます…」
「ほう! そうでございましたか。そいでは、押していただきましょうかいのう」
 老婆は信用したのか、あっさりと応諾(おうだく)した。若者の手助けもあってか、キャリーバッグはスンナリと動き始めた。それからしばらくして、二人の姿は豪邸前にあった。
「ここがお婆さんのお宅ですかっ! 参(まい)ったなぁ! それじゃ…」
 若者は余りにも壮大な豪邸の景観に、思わず驚きの声を上げた。
「有難うごぜぇ~ましたのう、学生さん。あっ! ちょいとお待ち下せぇ~まし」
 老婆は着物から一枚の名刺を差し出した。
「うちの倅(せがれ)の会社でごぜぇ~ます。なんぞ、困ったことがごぜぇ~ましたら、訪ねてやって下せぇ~まし」
 名刺には世界で超有名な大会社の名が印字されていた。若者はその名刺を受け取ると、老婆に軽く一礼し、ふたたび坂を下っていった。
 一年後、青年は再就職し、スンナリと老婆が手渡した大会社で働いていた。しかも入社ひと月後、その若者は大抜擢(だいばってき)され、スンナリと秘書課長に出世したのである。一度(ひとたび)、スンナリとコトが運べば、スンナリはスンナリを呼び、スンナリ、スンナリと運ぶようだ。まあこれは、そんな場合もある・・という希望的観測のお話だが、こんな人生は楽しいに違いない。^^

                          完

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2020年8月 3日 (月)

楽しいユーモア短編集 (95)確実

 どのようなことでも曖昧(あいまい)[ファジー]に済ますのと確実に済ますのとでは、あとの気分が大きく変ってくる。当然、済ました方が楽しい気分になるはずだ。後顧(こうこ)に憂(うれ)いは残したくないものだが、世の中、そうは上手(うま)く出来ておらず、憂いだらけで溜息(ためいき)ばかりが出る日々が続く。^^ 当然、気分は楽しくあろうはずがない。^^
 日曜の朝、とある普通家庭の勉強部屋である。小学三年の男児(だんじ)が一生懸命、プラスチック模型を組み立てている。その隣(となり)には小学一年の男児がいて、一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)を見逃すまいと、頑(かたく)なに見守っている。そのとき、母親の声がキッチンから響いた。
『もう、お昼よぉ~~!!』
「兄ちゃん、どうする?」
「どうするもこうするも、確実に仕上げてからだっ! ああっ!! どうも、ココが上手くいかないっ! お前、先に食べろっ!」
「うんっ! …でも僕は兄ちゃんの子分だから見てるよっ!」
「んっ? …見てるか? 偉(えら)い偉いっ!」
 何が偉いのか? 分からないが、兄は弟を褒(ほ)めた。
 そうこうして、ようやく模型が完成したとき、母親が部屋へ入ってきた。
「何してるのっ!! お料理が冷(さ)めちゃうわよっ!」
「は~~い!」「は~~い!」
 兄弟は素直な声を出した。
 母親が引っ込むと、兄が完成した模型を満足げに眺(なが)めながら、徐(おもむろ)に口を開いた。
「出来たから美味(うま)いぞっ!」
「出来なかったら美味(おい)しくないのっ?」
「まあな…」
 確実にすれば、美味しくなる訳だ。美味しければ当然、楽しい気分に・・と、話は、こうなる。^^

                           完

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2020年8月 2日 (日)

楽しいユーモア短編集 (94)兼(か)ねる

 生活していく上で、楽しい気分を誰でも味わいたいだろうが、そう上手(うま)く世間は出来ていない。絶えず、すきま風や世の柵(しがらみ)が人々を楽しませまいっ! と邪魔をする。そこで、何かいい知恵はないものか? と一休さんのように知恵を絞(しぼ)ってみれば、あるにはあることが判明する。^^ その方法とは、兼(か)ねる・・ということだ。分かりやすく説明すれば、すきま風や柵を防いだり有効利用することである。もっと分かりやすく言えば、ついでにホニャララも…ということだ。これは、二度手間(にどでま)を避(さ)けることにも繋(つな)がり、時間の有効利用になる訳だ。^^
 とある高級住宅地に住む主婦が日課の散歩をしている。なにも主婦は散歩しよう! と意気込んで毎日、散歩を続けている訳ではない。そこには愛犬が付き従っていて、犬の散歩の付添い人・・という名目(めいもく)なのだが、その実は軽いジョギングになる…という運動を兼ねるという潜在意識が無くもない。要は、一石二鳥(いっせきにちょう)という恰(あたか)も、生芥(なまごみ)を処理機で肥料にリサイクルする・・みたいな話なのである。? …少し違うようにも思えるが、まあ、そんなことはどうでもいいだろう。^^
 主婦がしばらく歩いていると、対向から別の奥様が近づいてきた。
「あらっ! お散歩ですのっ? 奥様っ!」
「ほほほ…チコちゃんのっ! 奥様はっ?」
 見れば分かるでしょ! という気分をグッ! と我慢して訊(たず)ねられた主婦は笑いながら軽く躱(かわ)すと、長刀(なぎなた)で斬り返した。
「クラシックコンサートでもと…。ほほほ…」
 返された主婦も負けてはいない。クラシックコンサートを兼ねたお食事会なのだが、そこはそれ、サッ! と身を躱し、スゥ~~っと通り過ぎようとした。
「あらっ! いい、ざまぁ~~すこと。それじゃ、ほほほ…」
 返された主婦は、やるわねっ! という気分で軽く往(い)なすと擦(す)れ違った。
 兼ねる場合は、軽く躱せたり往なせるのがいいようだ。^^

                            完

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2020年8月 1日 (土)

楽しいユーモア短編集 (93)自我(じが)

 自我(じが)という言葉がある。自分の独自性[アイデンティティ]とでも言うべき性質のもので、楽しい気分をジガジガァ~~っとした気分に変えてしまうから厄介(やっかい)な存在だ。ただ、この自我ってやつは、本人ですら自覚しようがなく、困った場面でニョッキリ! と現れる得体が知れない深層心理なのである。自我が強い人ほど世の中には溶け込みにくいが、その人の主張が間違っていない場合もあるから一概に否定も出来ない。世の中の常識が間違っている場合もあるからだ。^^
 日曜討論会がテレビで繰り広げられている。
『いやっ! それは違うと思いますよっ! 領土の返還は鰻(うなぎ)を蒸(む)したあとでタレを付けて焼くか、蒸さずにタレを付けて焼くかの違いだと思いますよ、私はっ!』
『いやいやっ! 領土返還は、鰻の背開きか腹開きかの捌(さば)き方の違いでしょ、絶対っ!』
『まあまあ、お二方(ふたかた)とも…』
 見かねた司会のアナウンサーが、なんという例えだっ! と憤慨(ふんがい)しながら割って入った。
 その番組を観ていた男がボソッ! と呟(つぶや)いた。
「ふ~~ん、どっちも自我が強いな。別にどっちだっていいじゃないか、美味(うま)けりゃ…」
 自我の無い無我な人は深く考えず、楽しい結果を考えるのである。^^

                           完

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